-05-ファーストキスは君



「そんじゃーと灰谷兄の婚約を祝しましてーカンパーイ!!」

そんな稀咲の号令で始まった仲間内での婚約パーティは、その灰谷の経営するクラブの一つを貸し切りで行われた。初めて来たその店はいかにも六本木の大人空間といった雰囲気の店で、お洒落感満載なのがどこかイラっとする。カジュアルなパーティというわりに、元東卍の仲間達はそれぞれ軽めのスーツなんぞ着込んでいて、昔ゴリゴリの特服を着ていた連中には見えない。オレもに言われてスーツにしたが、仲間内でやるパーティにドレスコードなんてもんを指定する灰谷にまたイラっとする。
ぶっちゃけて言えばすっぽかす予定だったのに、何だかんだ気になって来てしまうんだから、マジでしょーもない。今日の主役であるは春らしい淡い桃色のカクテルドレス
を着ていた。色白のによく似合っているが、あれも灰谷が選んだのかと思うと、またイラっと――。

「春千夜、飲んでる?」

ちょうど乾杯のシャンパンを煽った時に声をかけられ、思わず吹き出しそうになった。どうにか耐えて飲み込むと、目の前にまたグラスを差し出される。視線を下げれば、さっきまで皆の中心にいたが笑顔で立っていた。

「おー…サンキュー」

飲み干したばかりだけど、やけに喉が渇いてから新しいシャンパングラスを受けとる。

「主役がオレなんか構ってていいのかよ」

本当ならこういう時、ドレス似合ってるとか誉め言葉の一つでもかけてやれればいいのに、オレの口からはそんな言葉しか出てこない。でもは気にした様子もなく、店内を見渡した。

「一通り乾杯してきたもん。こうして東卍のメンバーが集まるのって久しぶりじゃない?」
「あーまあ…そう言われればそうだな。つーか、マイキーは?」
「あ、万次郎は大事なレース前だから後日改めてって言ってた」
「ああ、そーだったな。今度の大会もマイキーのぶっちぎりで優勝だろ」
「そうだね。あ、チケットもらったから一緒に観に行こうよ」
「…は?何でオレが。灰谷と行けよ」

(って何でオレはこう素直に行くって一言が言えねーんだ)

言った矢先から後悔したものの、は灰谷の方へ視線を向けた。

「蘭ちゃん、この日はお仕事でダメらしいの」
「…ふーん」

ってことはオレはアイツの代わりってことか、と内心面白くはなかった。でもアイツが来ないなら…

「じゃあ…仕方ねーから付き合ってやるよ」
「え?いいの?」
「…おう」
「やったー!」

は本当に嬉しそうに笑った。

「…そんなに嬉しいのかよ」
「え、嬉しいよ。だって春千夜と出かけるの久しぶりだもん」

はさも当たり前のように言って微笑む。コイツは昔から素直だった。嬉しいことは嬉しいと、ハッキリ相手に伝えられる子だった。オレとはまるで正反対。だから今、こんなことになってんだろうけど。

「おー?こんなとこにいたのかよ、ちゃん」
「あ、スマイリーくん、久しぶりー!」
「遅くなってごめん。兄ちゃんが何着てくかで散々迷っちゃって」

そこへスマイリーとアングリーの河田兄弟がやってきた。東卍時代に大暴れしてたふたりも、今は都内でラーメン屋をやってる。地味に美味くて、に誘われ何度か食いに行ったことがある。

「ううん、まだ乾杯終わったとこだよ」

はそう言いながらふたりにもシャンパングラスを渡した。

「いやー婚約おめでとー!」
「ありがとう、アングリーくん」
「まあ相手があの灰谷ってのが気に入らねーけど」
「兄ちゃん…めでたい席なんだから」
「でもオマエもそー思うだろー?春千夜~」
「…まー…そうだな」

この時ばかりはスマイリーの言葉に全オレが賛同した。

「もー皆して…蘭ちゃんが可哀そう」
「…かわいそーか?アイツ、と婚約するって東卍メンバーに自慢しまくって、わざと煽ってるとしか思えねえ」

スマイリーが笑顔を引きつらせた。確かには東卍のみんなから可愛がられてたし、何なら密かに想いを寄せてた奴だって一人や二人じゃない。今日集まった中には灰谷を抹殺したいと企んでる輩がいたっておかしくはないだろう。まあ、その筆頭のマイキーが不在だから、そんなことにはならないだろうが。

「まあ…蘭ちゃん、ああいう性格だから…」

は苦笑しながらも灰谷を庇っている。そんな姿を見てると、本当に手の届かないところへ行くんだなと思った。

「でもさー。いつの間に灰谷兄とそんな関係になったん?オレの知ってる限りじゃ、彼氏も作ってなかったろ」
「……え、そ、そう…だっけ」
「そうそう。飽きもせず春千夜のあとくっついてたもんなー」

河田兄弟がニヤニヤしながらオレを見て来る。その顏は気に入らないが、話の内容は確かに気になった。長いことのそばにいたオレが、灰谷と付き合ってたことに気づかなかったんだから、河田兄弟の言うことも最もだと思う。

「えっと…みんな、そういう反応すると思ってコッソリ付き合ってたから…」
「へえ。でもじゃあ…もしかしてのファーストキスって灰谷兄ってことか…」
「えっ?」

スマイリーの一言にの頬が赤くなる。そんな話は聞きたくない。嫌でも頭の中に浮かんで来てしまう。

「ちょ、兄貴…!そういう話はすんなって」
「え、でも気になんだろ。はずっと彼氏作らなかったんだし、の初めてを全部灰谷が奪うのかと思うと、何かこうはらわたが煮えくり返るっつーか――」
 「へえ。じゃあもっと煮込んでラーメンの出汁にでもすりゃーいーんじゃね?」
「あ?」
「蘭ちゃん!」

そこに口元を引きつらせた灰谷兄が立っていた。カジュアルとか言って、自分はバッチリとブランド物のスーツに身を包んでる。180以上もあるからそれが似合ってるってとこも何かムカつく。
灰谷が来たことで、河田兄弟も笑顔を引きつらせつつ「あ、向こうでドラケンが呼んでる」と言いながら、そそくさと言ってしまった。ドラケンは新婚ホヤホヤだから今はエマしか見てねーっつーの。

、オレちょっと仕事で抜けるけど平気か?」
「うん、大丈夫だよ」
「わりいな。終わる頃には戻ってくっから。あんま飲みすぎんなよ?」
「うん。蘭ちゃんもお仕事頑張ってね」
にそう言われるとすげー頑張れる気しかしねえわ」

灰谷はデレたように言いながらの頬にキスなんかしやがった。殺してえ。つーか目の前のオレは無視か。そう思ってると、灰谷がふとオレを見てニヤリと笑った。

「何だよ。文句でもあんの」
「…チッ。婚約パーティだってのにテメェは抜けんのか」
「いーんだよ。こういう場は女の子の為のもんだから。誰もオレの顔なんて見に来てねーよ。じゃーのこと、頼むな、明司」
「テメェに言われる筋合いねーよ」
「はいはい」

灰谷はヘラヘラと笑いながら歩いて行く。その後ろ姿を見送ってるにも、だんだんイラついてきた。あんな男のどこがいーんだ。ぜってー浮気すんだろ、アイツ。あんな男と結婚して幸せになれる気がしねえ。

"の初めてを全部灰谷が奪うのかと思うと――"

さっきのスマイリーの言葉がやたらと耳に残って、想像するだけで腸が煮えくり返るっていう意味が分かった気がした。

「おい」
「…え?」
「オマエ…マジで灰谷と結婚すんの」
「…春千夜…どうしたの…?」

は少し驚いた顔でオレを見上げてる。その顏を見てたら自然と口元へ目がいった。淡いドレスの色と同じ色の口紅。のふっくらとした唇によく似あう。あの男がこの唇にキスをしているところが頭に浮かんで胸が嫌な音を立てた。

「つーか…マジでファーストキスもアイツかよ…」
「え?」

つい本音が漏れてハッとした。慌てて違う話を振ろうかと思った時、が目を細めて「やっぱり忘れてる…」と呟く。その意味が分からず、首を傾げた。

「あ?何が」
「だから…ファーストキスのこと」
「……だから何だよ」
「もー…わたしのファーストキスは春千夜でしょー?何で忘れるかなぁ…」
「…は?オレ?」

そう言われてドキっとした。

「中学の入学式に…あげたじゃない、春千夜に」

恥ずかしそうに言って、はオレを睨んで来た。その口元は僅かに尖っている。これはガキの頃からのスネた時にやるコイツのクセだ。

(中学の…入学式…?)

そこであの夜の光景が唐突に浮かんだ。中学に入ったばかりの、まだまだガキの延長のような年頃。そんな時、オレはにキスをされた。ただの幼馴染でクラスメート。いや、それだけじゃなく、あの頃もオレはを大事な存在としてすでに受け入れてた。それは異性とか関係なく、というひとりの人間として、オレはコイツが好きだったし、大切だった。なのに中学に入ってすぐ、はオレの知らない顔を見せた。

"やっぱり初めては春千夜にあげたくて――"

は確かにそう言った。付き合ってたわけじゃない。はよくあの頃から「春千夜、大好き」と言ってたけど、当時のオレはまだガキで、恋愛とかよりも仲間やバイクに夢中だった。そんなオレの心の中に、という"女の子"が生まれたのは、間違いなくあの夜のキスが原因だった。

(そうだ…何であんな大切なことを、オレは忘れてたんだ…?)

一つ思い出すと、一気に当時の想いが蘇ってきて胸が苦しくなった。
オレにとってもファーストキスは間違いなく、目の前の彼女だった。