-06-それは春の嵐のように



男は女より精神年齢が低いなんて言われるが、それはあながち間違ってない。小学校高学年になっても、中学校へ上がっても、夢中になるものは自分の好きなもの一択で、オレはマイキーの影響で単車やケンカに夢中だった。周りにいる奴らも同じようなもんで、飽きもせず男同士でつるんではバカなことを毎日のようにやってる。女なんてもんは二の次で、交わす会話もバイクがどーだとか、他中に強い奴がいるらしいとか、そんなんばっかだった。夢中になってたプラモデルや玩具の代わりにバイク、みんなでやる遊びがケンカに変っただけだ。
だけど、オレがそんな日々を過ごしていた間、幼馴染の中にいつの間にか変化を遂げているやつがいた。
ずっと隣にいた幼馴染が、ついこの間まで一緒になって公園で走り回ってたが――女という生き物に変っていた。

最初の感覚は"柔らかい"だった。むにゅっとしたものを口に押し付けられて一瞬、何が起こったのか分からなかった。

中学の入学式だったこの日。オレはいつものようにマイキーの家に寄った。マイキーや場地と一緒に稽古をしてから真一郎の作った夕飯を食べて、その後は皆でその時流行ってたヤンキードラマを見て盛り上がって、見終わってから帰宅した。いつもくっついて来るや妹の千壽がこの日に限っていなかったのも特に何とも思わなかった。時々エマも入れた女同士で出かけるようになってたからだ。けど家の前まで来た時、何故かが立っているのを見て少し驚いた。
は中学の制服を着たままだったが、普段は下ろしている髪をアップにしている。昼間の学校で会った時と明らかに違うのは、薄っすらとメイクをしていることだ。艶のあるぷっくりとした唇は、色白の肌を引き立たせるような、ほんのりと赤いリップが塗られていた。

(誰だ…この女?)

最初にを見た時の印象はそれだった。

「お帰り、春千夜」
「…オマエ…何だよ、その顔」
「えへへ。似合う?」

オレが呆気に取られつつ応えると、は照れ臭そうに笑った。その顏がやけに女らしく見えて心臓が変な音を立てた気がした。じんわりと顔に熱が広がっていく。

「……似合わねえ。ってか誰だコイツって思ったわ」

心の動揺を気づかれたくなくて素っ気なく返すと、は「ひどい…」と口を尖らせた。それはガキの頃からののクセだ。でもそのガキ臭いクセも、艶々した赤い唇でやられるとドキっとさせられる。さっきからうるさいオレの心臓が何なのか分からなくて酷く落ち着かない。いつの間にか変化を遂げたに対してなのか、ずっと一緒にいた幼馴染が実は女の子だったんだと改めて認識させられたからなのか。どっちにしろ何も変わっていないオレとは対照的に、の精神年齢は一つ二つ先へ進んでいたようだ。

「んで何してんだよ。こんな時間にひとりでウロついてたら危ねーだろが」
「…春千夜待ってたの」
「あ?なら何でマイキーんち来ねーんだよ」

いつもは誘わなくてもは勝手について来るか、帰りが別でも後から必ずマイキーんちに顔を出す。こんなとこで待ってるなら来た方が早いだろと思ってると、はどこかモジモジしたような素振りで「今日は春千夜とふたりが良かったから」と呟いた。少し頬なんて染めて上目遣いで見上げて来る顔は知らない女みたいで、やっぱり落ち着かない。しかもオレとふたりがいいってどういう意味だ。

「…何で?」

素直に疑問に思ったから訊いた。すると一歩。は前に出てオレの目の前に立つ。ふわりと鼻腔をくすぐったのはのシャンプーの香りかもしれない。小学校までオレと同じようなものを使ってた記憶があるけど、いつからこんな柔らかい香りをまとうようになったんだと思った。

「わたしが春千夜のこと好きなのは分かってる…よね」
「……あ?」
「いつも言ってるんだし…分かってるでしょ?」

どこかいつもと違う口調で言われ、さっきから変にうるさい心臓が更に加速していく。がオレに大好きって言うようになったのは、かなり昔、ヤンキーに絡まれてたを助けた時からだ。女の子にそんなことを言われたのは初めてで、すげー驚いたから覚えてる。それ以来、はオレのあとをくっついて来るようになった。何かあるたび大好きって太陽みたいな笑顔で言って来るようになったのも、その頃からだ。でもそれは異性というより幼馴染に対しての言葉だと思っていた。

「だから…何だよ」

この妙な空気が落ち着かなくて素っ気ない言葉しか出てこない。でもは気にした様子もなくオレを見つめて来る。その大きな瞳はいつだってオレを真っすぐ射抜いて来る。

「だから…やっぱり初めては春千夜にあげたくて」
「……何を?」

さっぱり要領を得ない上にやたらと緊張感の漂う空気が嫌で、から目を反らした時だった。ふいにふわっと甘い香りが近づいたのと同時に、オレの唇にむにゅっと柔らかいものが押しつけられて固まった。その柔らかいものはちゅっと可愛らしい音を立てて、すぐに離れていく。ゆっくりと視線を戻せば、が頬を赤くして俯いていた。その表情は女のそれで、オレの脳内は軽くパニックになった。

「な…何してんだ、テメェ…」

驚き過ぎて思わず口元を手の甲で拭う。その時、赤いものが手についた。それがの塗ってたグロスだと気づいて、顏がカッと熱くなる。最近色気づいたエマや千壽が乾燥防止とかで買ってたアレだ。確かも買ったと話してた。

「何って…初めてのキスした」

真っ赤なくせに、そんなことを言いながらオレを見上げて来るが、オレの知ってるじゃない。耳が燃えてんのかって思うくらいに熱くなってきた。

「……っすんじゃねーよ!」
「だって…今日から中学生だし、そろそろいいかなぁって――」
「何がいいんだよ…ッ意味わかんねーぞ!」
「…わたし、春千夜の彼女になりたい」
「はあ?彼女って…」
「…ダメ、だった?」

この瞬間、が普段の顔に戻った。泣きそうな顔でオレを見上げて来る。オレはこの顔に弱い。でもハッキリ言って彼女とか彼氏とか、オレにはまだよく分からない。ただ一緒にいるだけじゃダメなのかよって思ってしまう。

「ダ…ダメに決まってんだろ…!つーか、オマエ、女のクセにキスとかしてくんじゃねーよっ」
「…ごめん…でもこれくらいしないと春千夜、わたしのこと女として見てくれないじゃない」
「お…女だろ…は…」

そう、女だ。今更ながらに実感した。ずっと隣に居た子が、女の子だって――。
はオレにとって幼馴染で、大切な存在だ。それは分かってる。コイツが泣いてたら助けてあげたいって思うし、笑顔にさせてやりたいって思ったあの時の気持ちは今もある。でも、だけど。だからこそ、汚したくないって思う。

「とにかく二度とこんな真似すんじゃねーぞ…っ」
「あ、春千夜――!」

心臓が壊れそうなほど激しく動いてる。このままと向かい合ってたら更にひどいことを言ってしまいそうで、オレは彼女に背を向けた。
ガキだったオレの精神年齢が、のせいで一つランクアップした瞬間だったかもしれない。
とファーストキスを交わしたこの日、オレの中で何かが変わった。