-08-恋の方程式



中学に上がって三ヶ月が過ぎた。タケミっちと無事に東卍を結成してからオレがやることは前と変わらなくて、学校じゃだいたいが夢の中だ。今日も教室で寝てると教師がうるさいから、場地と一緒に授業をサボって屋上のドアの屋根部分で昼寝をしていた。ここで寝るなって何回も注意されてるけど、梯子があるんだから上に乗ってもいいってことだ。こんなことをしてるせいで"佐野取り扱い説明書"なるものが教師の間で出回ってるらしい。そんなもんでオレを制御できるなら東卍のみんなも苦労はしねーって言ってたけど、過去のオレってそんな酷かったか?と首を傾げたくなる。

不思議な奇跡が起きて、再びガキの頃からやり直すことになったけど、結局やってることは変わんない。ただ前のような不幸が起きない為に、前より少し早く東卍を結成するのにタケミっちとその辺はきっちり記憶を呼びさまして、嫌な出来事の原因を一つ一つ潰して回る日々だった。険悪だったヤツとは友達になって、全員東卍へ引き入れたのもその為だ。
二度と――大切な人を失いたくない。
黒い衝動は消えても、全く後悔のない人生にはならないかもしれないけれど、今のところは全て順調だ。ただ一つだけ後悔があるとすれば――。

「待ってよ、春千夜」
「うっせーなぁ。ついてくんなよ」
「一緒にお昼食べようよ」
「……オマエ、オレの言ったこと聞いてんのか?」

突然、オレの下でドアの開く音。そして聞き覚えのあるふたりの声が聞こえて来て、オレは上半身を起こして下を覗き込んだ。そこには中学に上がってから金髪にした幼馴染の春千夜と、長い髪をポニテにしたがいた。彼女は相変わらず今日も可愛い。中身18歳のオレが12歳の幼馴染を可愛いと思うのはロリコンっぽいけど、は18歳でも12歳でも何歳でも、オレにとっては可愛い初恋の子だ。
ふたりは何やらモメてるけど、おおかた授業をサボりに来た春千夜に、懲りもせずがくっついて来たんだろう。

(まさか、またこんな光景を見せられるとはな…)

春千夜の過去・・の姿を思い出して苦笑が洩れる。春千夜の後を、はいつも追いかけてたっけ。
小学一年の頃、突然春千夜がをオレの家に連れて来た。転校してきた彼女はクラスの中に馴染めず友達もいないからって理由で、春千夜がオレ達に紹介してくれた。
は小柄で色白で、お人形さんみたいに黒目が大きくて。最初に会った時はこんな可愛らしい子がいるんだと衝撃的だった。オレのクラスの口うるさい女子どもと全然違う。いつも女の尻を追いかけてた兄貴に呆れてたけど、「可愛い子を見て胸キュンしないのは男じゃない」っていう真一郎のアホな持論が、あの時は少しだけ分かった気がした。

何に対しても必死で、ちょこまか動いては春千夜に怒鳴られてるけど、気づいた時にはつい目で追ってしまう。はそんな存在。けどオレが見ているのはいつだって春千夜を見ている彼女だった。

の視線がいつも春千夜へ向いてるのが気に入らない。そんな意味の分からないイライラを抱えてたのはガキの頃からだったけど、を好きだと自覚したのは、確か今よりもう少し後だったか。ただ飽きもせず、春千夜ばかりを追いかけてるを見るのは、今もイライラするのは同じだ。こういうのは18歳―中身だけだけど―になっても、ガキの頃と少しも変わってない。

「はい、春千夜のお弁当」
「…いらねえつったろ」
「でも放っておいたら春千夜、何も食べないじゃない」

ああ、そっか。確か中学に上がって弁当になったからってが毎日アイツの為に弁当を作って来た頃だっけ。春千夜の家は父親しかいない。それも忙しいから殆ど家に帰ってこないし、長兄の武臣が年の離れた弟の春千夜と妹の千壽の父親代わりをしていた。でも武臣の奴は昔から真一郎にくっついて暴走族やってたから、春千夜と千壽はいつもオレの家で飯を食ってた。当然、弁当なんてもんを作ってくれる存在はない。だから中学に入った時、がその役目を買って出たんだった。なのに春千夜は思春期真っ盛りで、急にに冷たく接するようになった。今思えば、春千夜は照れ臭かったんだろうと思うけど、あの頃のオレはそんな春千夜を好きでいるの気持ちが不思議で仕方なかったっけ。

"オレならもっと優しくすんのに"

なんて一丁前に思ってた頃の自分を思い出して恥ずかしくなった。

「あ、春千夜。今日、学校終わったら"ティーポット"に行っていい?」
「はあ?来んなよ。今日は東卍メンバーが増えてから初めての集会だっつったろ」
「でも万次郎は来てもいいって言ってくれたもん」
「あ?んなの社交辞令ってやつに決まってんだろ?」

その会話を聞きながらふと思い出した。昨日、集会があるって話をしたら、が行きたいって言いだしたから「来いよ」って確かにオレが言ったんだった。"ティーポット"ってのは近所の喫茶店で、くたびれたオッサンが一人で経営してる。そこが今のところ東卍メンバーのたまり場だった。


「…るせ…ふあぁぁぁ…」

あまりの賑やかさに隣で寝てた場地が目を覚ましたようだ。大欠伸をしながら起き上がり、オレと同じように下を覗き込む。

「あー…まーたが春千夜追っかけまわしてんのか。懲りないヤツ。あんな冷たいヤツ、放っておきゃいーのに」

場地は笑いながら、ちらっとオレを見た。その何か言いたげな顔に軽く舌打ちが出る。

"助けてやんねーの?"

そう言いたげな顔だ。場地はバカなくせに勘だけは鋭くて、きっとこの頃のオレの気持ちを見抜いてたと思う。
オレは仕方ねーなあと立ち上がって、そこから一気に下へ飛び降りると、「おい」とふたりに声をかけた。

「あれ、万次郎。またサボってたの?」

オレに気づいたは笑顔でこっちに駆け寄って来た。春千夜は溜息交じりで、その後ろを歩いて来る。どうせまたオレがを甘やかすと思ってんだろう。まあ、甘やかすけど。

「今日、夜の七時にティーポットな」
「あ…うん。でも…」

と、は隣で仏頂面の春千夜を仰ぎ見る。さっき来るなって言われたのを気にしてるようだ。でもこれはオレが誘うんだから文句は言わせない。

「春千夜もいいだろ?今日はみんなで集まるだけだし」
「…まあ。マイキーがいいならオレは別に…」

春千夜はバツの悪そうな顔でモゴモゴと言いつつ、顔を反らした。あの頃は何となく分かるって感じだったけど、今ならハッキリ分かる。春千夜はのことを意識してるって。ついこの前まではそんな素振りなかったのに、中学に入った途端、に冷たくなったのは、異性として意識し始めたからだと気づいた。

「ほんと?じゃあ一緒に行こうよ、春千夜」
「あ?何でだよ」
「だって夜、ひとりで歩くの怖いんだもん」
「だったら来なきゃいーだろ?」

また始まったと苦笑が洩れた。ふたりのこんなやり取りは日常茶飯事になりつつある。そういや春千夜はオレの影響でかなり性格が過激になってきたのもこの頃からだった。小学校高学年くらいには高校生とケンカすんのに引っ張りまわしたりしたことが原因かもしれない。前はどっちかと言えば大人しい性格だったけど、めきめきケンカが強くなってからは春千夜も随分と強気な部分が出てきたっけ。多分、ガキの頃に武臣に虐げられてた反動が思い切り出て来てるって感じだ。押さえつけられてた分の反動は相当デカい。

「じゃあオレが迎えに行ってやるよ」
「え?万次郎が?」

つかさず助け船を出してやると、春千夜がギョっとした様子で顔を上げた。その顏を見る限り、に見せてる態度が本心じゃないことくらい、オレでも分かる。まあ…前は・・分かんなかったけどな。

「いいよ、マイキーがわざわざ行かなくても……オレが連れてくから」
「え、いいの?春千夜」

春千夜のひとことでの顏がパっと明るくなる。なら最初からそうすればいいのに、ほんと素直じゃねえったら。

「仕方ねえだろ?オマエごときにマイキーが時間さくならオレが迎えに行くわ」
「ごときってひどい…」

はしゅんと項垂れた。春千夜の言葉ひとつで一喜一憂する。そんな素直なが、やっぱり今も好きだなと思う。

「いちいち、こんなことくらいでへこむな、うぜー」
「…ごめん。あ、そーだ。万次郎」

場地のとこに戻って昼寝をしなおそうと歩き出した時、に呼び止められた。

「春千夜がいらないって言うし、これ食べる?」

そう言って差し出されたのは、可愛い袋に入った手作りのお弁当だった。今日はおにぎり二個とおかずが入った弁当箱らしい。

「え、いいのかよ」
「うん。捨てるのもったいないし」

思わず手を出そうとしたが、ふと春千夜へ視線を向けると、少し慌てたように目を反らされた。あの様子じゃ本当は食いたいんだろうなと気づいたけど、お仕置きの意味もこめて彼女の弁当を受けとっておく。素直にならなきゃこんな風に目の前で掻っ攫われるってこともあるんだっていう教訓だ。

「さんきゅー。ちょうど腹減ってたんだ」
「ううん。春千夜の好物ばかりだけどね」

はテヘへっと笑って「じゃあ、わたし教室に戻るから」と校舎内に戻っていく。それを見送った後で、もう一度春千夜を見ると、仏頂面で寝転んでいた。

「おい、春千夜」
「…何だよ」
の弁当、マジでいらねーの?」
「…いらねーよ」

寝転がったまま応える春千夜に思わず溜息をついて、隣に座った。さっきから腹が鳴ってるくせに、マジで春千夜は素直じゃない。でも肝心なところで素直にならないと、大切なものは手に入らない。前の世界では確かにそうだった。黒い衝動を制御できず、大切な仲間を傷つけるのが怖くて全員を手放したオレと、そんなオレについてくることを選び、春千夜もまた、大切な存在を突き放した。その結果が前の最悪な世界を創ったんだ。

真一郎を失い、場地を失い、エマまで失った世界。春千夜が突き放して、は死なずに済んだけど、あの世界では確か三ツ谷と付き合いだしたって風の噂で聞いたっけ。三ツ谷も例に漏れずが初恋だったのはオレも知ってる。三ツ谷の妹が随分とに懐いてて、面倒見のいいは時々三ツ谷の代わりにふたりと遊んであげてたみたいだ。

三ツ谷が惚れるのも分かる気がするし、春千夜に傷つけられて、優しい三ツ谷にすがったの気持ちも理解できる。幼馴染を次々に失くして、もツラかったんだろう。ふたりのことを聞いた時の春千夜の表情が今もこの目に焼き付いてる。ホっとしたような、それでいて悲しそうな、何とも言えない顔をしていた。
そんな最悪だった過去・・を思い出してたら、やっぱりこのままじゃダメだと思った。

「食えよ」
「え?」
「腹減ってんだろ?意地張んなって」

そう言ってのおにぎりを春千夜の腹の上に置く。春千夜は少し驚いたようにオレを見上げた。その綺麗な顔に、過去のような派手な傷跡はない。春千夜を傷つけた過去のオレはもういないし、ここは最悪の世界線じゃないから、変えようと思えばいくらでも悲しい未来を変えることが出来るはずだ。

「いらねーの?」
「………」

春千夜は意地になってるのか、おにぎりに手をつけようとしない。ここで素直にならなきゃ、春千夜はまたを失うことになるだろう。前のように三ツ谷に奪われるか、それとも他の誰かか、もしくは――オレか。

「いらないなら…オレがもらうけど。おにぎりも――も」

挑発するように言ったオレを、春千夜は驚いたように仰ぎ見た。でもすぐに、「マイキーならお似合いじゃね」と呟く。何となく、それは本心のように聞こえた。

「オレにとって…は大切な家族みたいなもんだから…マイキーなら安心かな」
「何だそれ。余裕ぶっこいてっとマジでを誰かに盗られるんじゃねーの」

何となく興が削がれて苦笑すると、春千夜はひとこと言った。

「マイキー以外の男ならオレがぶっ殺す」

意外にも――春千夜は真剣だった。

「それって…愛があるってことじゃん」
「…さあ。オレはバカだから難しいことはよくわかんねーけど…マイキーが言うならそうなのかもな」
「だったらもっと大事に…ってか、せめて優しくしてやれよ」
「……」

春千夜は何も応えなかった。コイツの中ではに対する複雑な想いがあるのかもしれない。でもそれが何なのかまでは、今のオレにも分からなかった。きっと春千夜本人にも、分かっていないのかもしれない。

――恋愛はどんなに難しい方程式よりも難しい。

なんて、どっかの偉い学者さんが言ったんだっけ?
恋の方程式なんて、きっとどんな天才でも解けないに違いない。