何度も、何度も目が覚めて、長い夜が終わらない。時々襲ってくる、この喪失感。
あの頃の私は何を求めて戦っていたんだろう。"憎しみ"という、連鎖の中で―――
"やーい、アクマの子〜!お前も呪われてんだろー!"
無邪気に投げられる罵声に、必死で耳を押さえる、幼い頃の私。
聞きたくない。
聞きたくない。
聞かせないで。
これ以上、私に現実を見せないで――!!
「………ッ」
そこで意識が戻り一瞬で目が覚める。そこは暗い闇に包まれた自分の部屋。数ヶ月前からの、私の"ホーム"――――
「……はあ……」
額の汗を拭い、深く息を吐き出せば、自然と体の力は抜けていく。
ゆっくりと体を起こして窓を開ければ、少し肌寒い風が火照った頬をかすめていった。
「まだ……夜中の2時なんだ」
時計を見て溜息をつく。久しぶりに、あの夢を見た。
ここ暫くは任務が続き、疲れ果てて帰ってくるからか、グッスリ眠れてたのに。たまに休みがあるとこれだ。
もう一度寝ようか、と思ったが、どうも寝れそうにない。
こういう時は無理に寝ようとしても眠れないものだ。
「仕方ない……。起きよ」
ベッドから出てカーディガンを羽織ると、そのまま部屋を出る。
この時間じゃ食堂も開いてないし、コーヒーも飲めない。
こういう時は読書をするに限る、と書室へ足を向けた。
「あれ……電気ついてる」
暗い廊下を進むとこんな時間にも関わらず書室からは明かりが漏れていた。
という事は誰か先客がいる、という事だ。
一瞬、どうしよう、と思ったが、このまま戻ってもどうせ眠れない。
なら本を何冊か持って、自分の部屋で読めばいい。
そう決心すると私は静かに書室のドアを開けた。
キィ…という、いつもなら気にならないドアの軋みも、この時間では多少響く。
案の定、中にいた先客もその音に気づいてハッを顔を上げた。
「……ラビ?」
「あれ……。どうしたんさ。こんな夜中に」
驚いたようにこっちを見たラビは、今まで真剣に読んでたらしい本を閉じてゆっくりと立ち上がった。
「そっちこそ……どうしたの?」
「オレはちょっと調べ物があって。は?眠れないとか?」
「うんまあ……ちょっと目が覚めちゃったし本でも読もうかなって」
「そっか。あ、座って座って」
ラビが自分の隣の椅子を引いてくれる。
進められるまま隣に座ると、ラビは「コーヒーでも飲む?」と言ってウインクした。
「え、あるの?」
「うん。オレ、ここ来る前にジェリーにコーヒー淹れてもらったから」
ラビはミニキッチンのスペースに歩いて行くと、コーヒーポットを持ち上げて見せた。それにはつい笑顔になる。
「良かった、ちょうど飲みたいなって思ってたとこなの」
「なら良かったさ」
ラビは笑いながら使っていないカップにコーヒーを注ぐと私に持ってきてくれた。
「はい。あ、砂糖とミルクは?」
「あ、じゃあ砂糖を少しだけ……。ミルクはいらない」
「じゃ、オレの愛情エッセンスは?」
「………いらない」
「え〜っ」
ラビのボケに口元が引きつったけど、唇を尖らせスネている彼を見ていると思わず笑ってしまった。
「んじゃカンパーイ!」
「お酒じゃないんだから」
カップをカチンと当ててくるラビに苦笑混じりでそう言えば「あ、じゃお酒にする?」なんて答えが返って来る。
「教団内でお酒なんて飲んじゃダメ。コムイさんに怒られるもの」
「ちぇー。と一緒にお酒飲めると思ったのにさー。そんで酔わせて……」
「……手つきがイヤラシイ」
そこでジロっと睨みつけると、ラビは「……すみません」と素直に頭を下げる。
それには思わず噴出してしまった。
「ホント、ラビっていつもそんな感じなの?」
「そんな感じ?」
「無駄に明るいって言うか……元気って言うか」
「む、無駄って……」
私の一言にシュンとするラビに、「ゴメン、ゴメン」と笑って謝る。
以前よりもこんなノリに少しは慣れてきた。
「まあ、オレは元気だけがとりえだし仕方ないさ」
「そ、そういう意味じゃないんだけど……。ほら、それにラビは時期ブックマンじゃない。頭もいいし、何でもよく知ってるし、とりえなんか沢山あるでしょ?」
「……そぉ?ホントにそう思う?」
「ま、まあ……」
(今泣いてたカラスが何とやら、なんて言葉がピッタリかも)
目の前でニコニコしているラビを見ながら故郷のことわざを思い出す。すると不意にラビの顔がドアップで視界に入って来た。
「な、何よ」
突然の事に驚いて、後ろに体を反らした。
至近距離で男の子の顔を見たことなんてない私は一気に鼓動が早くなる。
「いや……の素顔って初めて見たな〜と思ったんさ」
「………っ」
ジィっと見つめられ、そんな事を言われると急に恥ずかしくなった。
普段は簡単にメイクもしてるけど今は寝起きのせいで確かに素顔をさらしてる。その事に気づいた時、慌てて顔を隠した。
「何で隠すんさー、メイクしてなくても凄く綺麗なのに」
「あ、あまりジロジロ見ないでよ」
顔を反らしても覗き込んでくるラビは、私のその態度にクスクス笑いながら両手を頭の後ろに組んだ。
「何で?男は綺麗なものに見惚れるって相場は決まってるっしょ」
「……き、綺麗?」
「そ、は綺麗さ。気づいてなかった?」
「……あのね」
「あ、、顔が赤いさー。もしかして照れてる?……っぃてっ」
いしし、と笑うラビの頭を思い切り殴る。
どうしてラビはいちいち、反応しづらい事をサラリと言えるんだろう。
「ヒドイ……何も殴らなくても」
「ラビは口で言っても分からないでしょっ。いいから本でも読んでなさいよ」
プイっと顔を反らしてそう言うと、ラビは頭をさすりながらも、いやいやと首を振った。
「せっかくが起きて来たのにもったいないさー。それより今夜は朝まで語ろうぜぃ」
「……イ・ヤ」
「えぇっ即答?!」
笑顔が一瞬で悲しげな顔になるラビは本当に表情豊かだと思う。
「だってラビ、それ真剣に読んでたじゃない。私は何か本を借りて部屋で読むわ」
「えぇぇぇっうそぉ……。そりゃないさー。別にコレは明日でもいーし……って、オレ明日、任務だっけ」
「ほーら。任務に出たら数日は戻れないでしょ?」
「まあ……そうだけどさ…。だからこそ今のうちにと語らっておこうかと思ったんさ〜」
ラビはブツブツ言いながらテーブルに頭を突っ伏し、縋るような目で見てくる。
私は最近、ラビのこの顔に弱い……気がする。
「……帰ってきたら、いつでも語らえるでしょ?まあ、私も明日は任務だけど」
「ほら!いつでも、じゃないさー。それに……」
「……それに?」
ふと顔を上げ、目を伏せるラビは、小さく溜息をついた。
「オレ達はエクソシストだから……。いつでも、なんて事は絶対ないんさ」
「……え?」
「千年伯爵やアクマとの戦いは……殺るか殺られるかの戦いだから、オレはいつも覚悟してここを出てくんだ」
「ラビ……」
ラビの言葉に胸を貫かれた気分だ。私はまだエクソシストというものを、よく分かっていなかったのかもしれない。
ここを出れば壮絶な戦いがいつも待ち受けてる。その中で"死なない保証"なんてものはない。
必ず助かる、という保証なんてどこにもないのだ。私達エクソシストはいつだって"死"と隣り合わせ……。
「だからオレは後悔しないよう、出来るだけ人前では笑顔でいたいんさ」
「え……?」
「もしオレに何かあった時、元気なオレを思い出してもらえるよーに」
「ラビ……」
それはさっきの答えだったんだろう。ラビはちょっと微笑んで、「特に可愛い子には、ね」と呟いた。
その言葉が突き刺さる。人の命なんて、脆く、はかない。それを私達エクソシストは嫌というほど知ってる。
でも今、私達は確かにここにいるんだから。ここに存在してるんだから。
それが一瞬で消えてしまうくらいに儚い存在でも。
「……ラビ?」
不意に手を握られ、ドキっとして顔を上げる。
そんな私を見つめるラビの瞳は見た事がないくらいに真剣だ。
「少しでいいから、こうしてていい?」
「……え?」
「の手の温もり、知っておきたいんさ」
そんな事を言われたら振りほどけないじゃない。
いつもはおちゃらけてるクセに、あんな話をした後でそんな事を言うなんてズルイ。
「……いい?」
「…………」
子供みたいなところがあると思えば急に大人びた顔をする。
よく分からない存在だった彼を、少しづつ知っていく瞬間。他人だった彼が仲間になっていく、温もり。
「……いいよ」
照れ臭いのを堪えて、そう応えると、ラビが微笑んだ気がした。
「ありがとう」
握る手に力がこもる。この手の体温は生きてる証だから、今のこの瞬間を、大切にしたい、と、何故だかそう思えた。
今この手を離しても、いつかまた触れることができるだろうか――――