「君の瞳は、まるでアートのように美しい」
光の加減によって色が変化する、この不気味な瞳を忌み嫌う人はいても、誉めてくれた人は彼が初めてだった――――。
初めてアクマを見た時は自分を襲ってくる不気味な物体が何なのか、よく分からないまま逃げ回ってた。
何で自分が襲われてるのかも分からないし、何でこんな怖い思いをしなくちゃいけないんだろうって、必死で逃げてた。
それは私の持つイノセンスっていう物質が原因なんだ、と。
いきなり現れた"エクソシスト"と名乗る男の人がそう言った時、更に謎が深まって何を言われてるのかすら理解出来てなかったと思う。
「君はその体にイノセンスを宿してる。寄生型だね」
彼は真面目な顔で言いながら「私の名はティエドール。エクソシストだ」と名乗り、「私と一緒に来ないか?」と言ってくれた。
だから私にとっての師はティエドール元帥で、アクマと戦えるよう指導してくれたのも彼だ。
彼は言う。
「君の瞳は、まるでアートのように美しい――――」
激しい雨の音が聞こえる。
雨は嫌い。あの冷たく、暗い夜を思い出すから――
「……起きたのか?」
「……うん。ゴメン、寝ちゃって」
「いや、これじゃ出るに出れねーし」
神田はそう言って外に目を向けた。雨はまだ、激しさをもって降り続けてる。
「奇怪現象が確認された。すぐに二人で向かってくれ」
二日前、そうコムイさんに言われ、私と神田はある町に向かう途中だ。
けど急にこの雨に降られ、慌てて近くにあった廃墟に入った。廃墟と言ってもただの小さな小屋。
それでもこの枯れた道が続く荒野ではボロ小屋だとて屋根がある分、雨はしのげる。
「もう少し小降りになったら行くぞ。この先でファインダーの奴らが待ってる」
「うん、そうね」
そう言いながら体を起こすと何かが床に滑り落ちた。見ればそれは神田の着ていた団服だった。
「これ……かけてくれたの?」
「……風邪引いて移されでもしたらオレが困るからな」
「あの……ありがとう」
「……ふん」
相変わらずの態度に笑いを堪えつつお礼を言うと神田はバツが悪そうに顔を反らした。
きっと慣れないことをして照れ臭いんだろう。
こういう彼を見てると、神田は皆が言うほど悪い奴には思えない。
口は悪いし言う事はキツイけど、でも私はやっぱり彼の事を優しい人だと思う。
「神田が風邪引いちゃうよ」
ジャケットを彼の肩にかけると「そんなヤワじゃねえよ」と可愛くない返事が返ってくる。
でも次の瞬間、神田は小さなクシャミをした。
「ほら」
「……うるせえ」
そっぽを向く神田に苦笑しながら彼の隣に座り窓の外を見る。
枯れた木しかない荒野を激しい雨が打ち付けているその光景は、この世界の未来を暗示しているかのように、どこか不気味に見えた。
「……うなされてたな。怖い夢でも見たか?」
ふと神田が私を見た。一瞬、首をかしげながらも先ほど見ていた夢の事を思い出し「……うん」と小さく溜息をつく。
「……ティエドール師匠と出会った時の夢」
「ティエドール?ああ……」
「嫌そうな顔ね。嫌いなの?」
「……大嫌いだ」
私の問いに神田は間髪入れずそう応えた。そんな彼に苦笑しながら一緒に打ち付ける雨を眺める。
「私にとっては……命の恩人なんだ」
「…………」
神田は何も応えず外の雨を眺めている。その時ふと、自分の事を聞いてもらいたくなった。
「私ね……子供の頃、死のうとした事があるの」
「――――っ?」
私の突然の告白に、神田は驚いたように私を見た。
「あの日も……こんな雨の夜だった……」
そう、こんな雨の夜。お父さんはアクマに、お母さんはただの皮に、なった――――
「私ね……10歳の時、父を事故で亡くしたの。凄くショックだったけど……でもお母さんの方がひどく落ち込んでた……。
私は何とかお母さんに立ち直って欲しくて、泣きたいのを堪えて、なるべく明るく振舞った。でもお母さんは泣いてばかりで……。
私が何を言ってもただ泣いてた。そしていつからか泣きもしなくなったの。そしてそれと同時に私の瞳は真っ赤になり、見るもの全てが深紅に染まった……」
一つ、一つ思い出すように言葉を紡いでいく。神田は黙ったまま聞いてくれてるようだった。
「もともと光の加減によって色が変わる変な目だったけど泣いてるのを我慢してるから少し疲れたんだと思って私は自分の目の事をそれほど気にしなかった。
それより様子のおかしいお母さんの事が心配だった……。泣きもしなければ笑いもしない。
何の感情も見せなくなったお母さんを見て、私はとうとう気が触れたんだと思った。
……そしてその頃からおかしな事件が身近で立て続けに起こって……。ちょうどこんな雨の夜……アクマは私の前に姿を現した……」
つい数秒前まで"お母さんだったもの"が不気味な形に姿を変え、私を襲ってきた。
私は何が何だか分からなくて、ただ怖くて、必死で逃げた。
家を破壊し、私をも壊そうとする、その化け物が、お母さんだなんて思えなかった。
逃げて、逃げて、体のあちこちに傷を作りながら、私は町の人に助けを求めた。
でも誰一人として、私を助けようとはしなかった。化け物に襲われてる私を家の中からただ、見てるだけ。
もともとこの瞳のせいで怖がられてたんだから、誰も助けてくれるはずなんてないのに。
「その時、私の前にもう一人不気味な奴が現れて笑いながらこう言ったの――――」
「ひっひっひ。お前のイノセンスを壊しに来ましたヨ♡自分の両親に殺されるってのはどんな気分なんでしょうネェ♡」
イノセンス?両親ってこの化け物が?何を言ってるの?この男は誰?あの化け物は何?どうして私がこんな目にあうの―――?
「今思えばアレが千年伯爵だったのよね……。その時の私には目のせいで真っ赤に染まって見えたアイツこそが、悪魔に思えた……」
「…………」
化け物に追い詰められた時、私は死を覚悟した。このおかしな瞳のせいで友達もいない、唯一の味方だったお父さんとお母さんもいない……。
もうそれでもいいかって――――思った。
「その時だった。瞳が燃えるように熱くなって目の前が突然光ったの……。気づいた時には化け物は塵のように壊れてて私の瞳は元の色に戻ってた。
何が起きたのか分からなくて私はそこで意識を失った。そして目が覚めた時――――」
最初、瞳に映ったのは優しい笑みを浮かべたティエドール元帥だった。
伯爵には逃げられたようですね、と言いながらも放心状態の私を抱き上げ、安全な場所まで逃がしてくれたティエドール元帥は、
私が正気に戻った時、全てを話してくれた。
どうしたらアクマは出来るのか、何故存在するのか。イノセンスの事も、千年伯爵の事も、全て詳しく説明してくれた。
そして私のお母さんがどうなったのかも――――。
「変わった瞳の娘がいる、と聞いてね。君に会いに行く所だったんだ」
そう言って優しく微笑むティエドール元帥は、とても暖かい空気を持つ人だと思った。
「千年伯爵はずっと私を見張ってたらしいの。そしてイノセンスを奪う為、私の父を事故に見せかけて殺し、悲しみに暮れる母を皮だけにした……。
そんな手のこんだ事をしたのも伯爵のお遊びでしかなかった……。ただの暇つぶしでアイツは私の両親をアクマにして私に殺させた――――」
「絶望の淵に落としてからイノセンスを奪うつもりだったんでしょう」
ティエドール元帥の言葉に、私は初めて千年伯爵を憎んだ。
許さないと思った。この手で千年伯爵を殺してやりたいと……
でも子供の私にはどうしたら千年伯爵と戦えるのかすら分からない。イノセンスの扱い方も分からない。
そう悩んでいる時、お母さんまでがあんな事になって町の人はそれまで以上に私に冷たくなったの。
あんな化け物が小さな町で暴れたのだからそれも当然の事だった。
たった一人助かった私は"アクマの子"と呼ばれ、皆から忌み嫌われた。
「絶望、と言うのならあの時の私は確かに絶望していた。知らなかったとは言えお父さん、それにお母さんをこの手で殺した罪から逃げたかった。だから――――」
気付けば私はナイフを握っていた。そのナイフを胸に突き付け死のうとした。
「そんな私を見つけて止めてくれたのがティエドール元帥だったの。そして彼は言ってくれたわ。"私と一緒に来なさいって……」
"我々には君が必要なんだ――――"
嬉しかった。
一人ぼっちになったと思っていたから。
こんな私を必要としてくれてる人がいる、と思うだけで勇気が湧いて……。
自分の中にあるというイノセンスで千年伯爵やアクマを倒せるならばエクソシストになろうと、決心をした。
「もう失うものはないから、あの町を出るのは何のためらいもなかった……」
今では思い出す事もない、小さな港町。
あの場所に、私の居場所はなかった。
「それからはティエドール元帥に励まされながら修行を積んで色んなところを旅してまわったの。
それまで知らなかった世界が広がっていて私の心の痛みを癒してくれるような気がした。
師匠には沢山の事を教えてもらったの。絵もいっぱい描いてもらった。師匠は何でも絵にしたがるから困る事もあったけど……」
そこまで一気に話し、小さく息を吐いた。
「でも…楽しかった…」
それまで誰にも話した事のない、私の過去。
何故、今、神田に話してるのか分からない。でもホントはずっと、誰かに聞いて欲しかったのかもしれない。
私の事をもっと知って欲しい、と思ってたのかもしれない。
(ああ、そうか……。この感情が……ラビの言っていた――――)
"オレの事も少しづつでいいから知っていって欲しい"
あの時のラビの気持ちが、今なら少し分かる気がした。
誰かと関わって行くという事は、互いに知って、知られていくということ。
私達は本物の"家族"じゃないから、話さなければ何も伝わらない。
「……?」
急に黙った私を心配したのか、神田が不意にこっちを見た。
彼は今日まで、どんな人生を送ってきたんだろう。
「……どうした、急に黙って」
「ううん。何でもない。ゴメンね、暗い話しちゃって」
「……いや。それで?」
「え?」
「その後……どうしたんだ?ティエドールと旅してたんだろう?何故、突然教団に来た」
「ああ……それは――――」
言いかけて言葉を切る。神田を見れば訝しげな顔で私を見ていた。
神田から質問してくる事は滅多にない。
「……何だよ、その顔」
「神田……私の事、知りたいって思ってくれてるの?」
「……は?!」
「だって今、聞いてきたでしょ?何故私が師匠との旅を止めて教団に来たのかって」
「べ、別にオレは……お前が話したそうにしてたから……」
珍しくしどろもどろになりながら慌てている神田を見て、私は噴出してしまった。
こんな姿、きっと教団の誰も見た事がないに違いない。
「な、何がおかしいっ」
「だって……神田ってば顔、赤いし」
「……な、そんなわけねーだろっ!」
「でもなーんだ。知りたいって思ってくれたなら嬉しかったのにな……」
「あのな――――」
「――――ッ」
その時、私の瞳がアクマを感知した。十字が浮かぶ私の瞳の色を見て神田も気づいたのか、すぐに外へ目を向ける。
「アクマか?」
「そうみたい。3体ほど町に向かって移動してる」
「……チッ。待ち合わせてる町か……」
「ファインダーの人たちが危ないわ。行こう、神田」
「ああ」
団服を着込み、神田が小屋を飛び出していく。
外に出ると、雨はいつの間にか、小降りになっていた。
「急ぐぞ」
「うん」
町に向かって一気に走る。雨粒が顔に当たるのを感じながら、アクマの気配を辿った。
少しくらいの距離があっても、私の目は誤魔化せない。
「奴ら、スピードを上げてる……。ファインダーの人たちが見つかったのかもしれないわ」
「……チッ」
舌打ちして更にスピードを上げる神田に、私もついていく。
少しすると町が姿を現し、それは真っ赤に染まって見えた。私のイノセンスはアクマを感知すると瞳が赤く染まる。
案の定、町の上空にはアクマが3体浮かんでいた。
「捕えた」
「行くぞ!」
神田が剣を構え、イノセンスを発動する。彼のイノセンスである"六幻"はいつ見ても綺麗だ。
「神田」
「あ?」
「さっきの答え」
「ああ……」
神田がチラっと私を見る。その彼の顔も今は真っ赤に染まって見える。
瞳の奥がビリビリと痺れたような感覚。それが次第に大きくなっていく。
「自分の力を……自分でコントロール出来なくなったから。教団に行ってヘブラスカに見てもらえって師匠に言われたの」
「……何?」
「暴走しちゃうとアクマ以外にも影響出ちゃうのよ」
「な……」
「だから神田も気をつけてね」
そう言って笑うと彼よりスピードを上げて前を走る。近づけば近づくほど、体中の熱が瞳に集中するのが分かる。
「……おい、今はちゃんとコントロール出来るようになったんだろっ?」
「そりゃ少しはね。でも、いつまた暴走するか分からないってへブラスカが。シンクロ率の上がる時が危ないらしくて――――」
「な……何だそれっ!全然ダメじゃねーかっ!」
思い切り顔を顰めた神田は「暴走したらどうなるんだよっ」と、しきりに聞いてくる。
その慌てた姿も、らしくなくて、つい笑ってしまった。
「そうだなぁ……。三日ほど、目が見えなくなるかな」
「…………ッ」
「師匠もそれで絵が描けないって嘆いてたっけ」
ニッコリ微笑んでそう言うと、神田の口元が僅かに引きつった。
「じょ、冗談じゃねえ!いいか、絶対、暴走すんなよっ?!」
「大丈夫だってば。多分」
「多分だあ?」
「それより……向こうもこっちに気づいたみたい」
「……チッ!」
アクマが凄いスピードで飛んでくるのを見て、神田は六幻を構えた。
アクマがどんどん近づいてくる。そのたび私の中のイノセンスが力を増していく。
私のイノセンスとのシンクロ率は92%――――
あの可愛そうなアクマを救えるのだと、壊せるのだと、叫んでいる。闇から来た者は闇に還す。
「イノセンス、発動――!!」
この瞳の、光が輝き続ける限り――――