「各地のエクソシストを集結させ、四つに分ける。――元帥の護衛が今回の任務だよ」
黒の教団に入って一年が過ぎた頃、それは突然、告げられた。この時は、これが辛く、長い戦争の幕開けだなんて思いもしなかった――――
「はぁ。長い任務から戻ったと思えばこれか……」
私は溜息交じりでベッドに寝転ぶと、静かに目を閉じた。
二日前に教団に戻るまで、半年間もの間、イノセンスの回収をする為、世界中を駆け回ってたのだ。
合流していたアレンくんやラビとも、途中で別れ、私はまた神田と二人で任務をこなしてきた。
そしてやっと帰ってきたかと思えば、今回の任務……。千年伯爵が狙っていると言う"ハートのイノセンス"。
伯爵は適合者の中でも強い力を持つ元帥たちに"ハート"の可能性をみたのではないか、とコムイさんは言っていた。
「ノアの一族とアクマ。両方に攻められては、さすがに元帥だけでは不利だ」
「……ノアの一族……?」
初めて聞いたその名。コムイさんが言うには彼らは伯爵と深い繋がりがあるらしい。
「"人類最古の使途、ノアの遺伝子を受け継ぐ者"かあ……」
私達エクソシスト、そしてこの世界の全てを憎んでいる一族……。
新しい仲間、ミランダさんを見つけて戻ってきたアレンくんがそう教えてくれた。
彼らはアクマじゃない。私達と同じ人間だって……でも、私達の"敵"。その一族とアクマが、教団の元帥達を狙っている。
先日殺された元帥の一人を使って送られてきた伯爵からのメッセージ。それを見てコムイさんはそう判断し私達に護衛の任務を下した。
「同じ人間なのに戦わなくちゃいけないなんて……キツイな……」
深く息を吐き出してから思い切って体を起こす。ノンビリしているヒマはない。
明日からは護衛の為、世界中を飛び回っているティエドール元帥を探しに出なくてはならないのだ。
もちろん私や神田の師匠でもある人だ。ティエドール元帥の弟子には他にマリ、デイシャという二人のエクソシストもいる。
元帥の前にまず、その二人の仲間とも合流し、世界のどこかにいるであろう師匠を探す。
「はあ……護衛より探す方が大変そう……」
ティエドール元帥はイノセンス回収の為、各国を点々としている。
(とりあえず教団に報告はあるみたいだし、最後に連絡が来た場所に行けば何とかなりそう)
荷物を詰めなおしながら小さく息をつくと私は部屋を出た。
長い任務の疲れのため昨日は一日中寝てしまったせいで、へブラスカにも挨拶できなかった。
(今回、回収したイノセンスの適合者がいればいいんだけど……)
「やあ。へブラスカのところかい?」
廊下を曲がるとエレベーターの前にコムイさんが立っていた。先ほどの任務のせいで忙しいのか大量に資料を抱えている。
「ええ。コムイさんは?」
「今、アレンくんやラビ達も新しい仲間と一緒に戻ってきてね。アレンくん達には一足早く元帥護衛の任務が出ていたんだがどうやらその先で出会ったらしい」
「え、新しい仲間って……。じゃあ例の吸血鬼はやっぱり……」
「ああ。彼はやはり適合者だった……っていうか、、よく知ってるね。吸血鬼騒動のこと」
「だってラビが滞在先のホテルにしょっちゅう電話してきて。最後の電話で"これから吸血鬼退治に行く"って言うから心配してたんだけど……」
苦笑交じりで説明すると、コムイさんは楽しそうに笑った。
「なるほど。でもまあその通りだ。クロウリーはイノセンスの適合者だった。彼もエクソシストとして僕らの仲間になる。後で挨拶したらいい」
「分かりました。あ、じゃあ後で……」
「へブラスカに宜しく。今回はイノセンスが多くて大変だろうけどね」
コムイさんは笑いながらそう言うと隣のエレベーターに乗り込んだ。
私も彼を見送った後、地下へと続くエレベーターに乗り込み、へブラスカの元へ向かった。
≪お帰り……≫
「ただいま!へブラスカ。どう?今回のイノセンスは」
≪よくこれだけ集めたな…まだ適合者は見つからないが……すぐ現れるだろう……≫
暗い部屋の中、淡い光の中に姿を見せた彼女は優しい声でそう言った。
任務から帰ると私はこうして彼女に会いに来る。報告もあるがへブラスカが私の目を気遣っているからだ。
≪どうだ?目の調子は……≫
「だいぶいいわ。アクマと戦っても吐かなくなったし」
≪それは良かった。どういう心の変化だ……?≫
「うーん……アレンくんに話を聞いてもらったら、少しすっきりしたっていうか……」
そう説明すると、へブラスカは納得したように頷いた。
≪ウォーカーになら……の気持ちが分かるだろう……≫
「そうね……。本当に心が軽くなった……」
私が戦っているアクマはお母さんじゃない、お父さんじゃない。
私が破壊しているアクマは殺しているんじゃない……救ってるんだ。
そう教えてもらった時、それまであった心の枷がとれた気がした。
≪良かった……。コムイも心配してた……≫
「ありがとう……」
彼女の気遣いが嬉しくてお礼を言いながら、ふとあの夜の事を思い出した。
任務が終わり、いつものように体調が悪くなって休んでいた私の前に現れた、一人の男……
その瞬間、私の瞳が緑色に染まった、あの夜の事――――。
「あ、あの…へブラスカ」
≪……何だ?≫
「さっき…目の調子はいいって言ったんだけど、その……ちょっとした変化があって……」
≪変化……?どういう変化だ……?≫
あの症状をどう説明していいのか解らず、とりあえずは起きたことを細かく説明した。
アクマとは違う、瞳の反応、そしてあの時に感じた危険だと告げる本能……その原因があの男なのかどうか分からないことばかりだ。
あの症状はあれ以来、起きてはいない。
≪……いつもとは異なる反応か……それは初めてだったんだな?≫
「うん……。あんなの初めてだった。へブラスカは何だと思う?私のイノセンスがおかしくなったのかな」
≪いや……イノセンスが変化を起こしたのは何らかの原因があると思うが……おかしくなったのとは違うだろう。むしろ進化していると見るべきじゃないか≫
「進化……」
≪とイノセンスのシンクロ率は92%だったな≫
「ええ」
へブラスカは私の体に自身の髪を巻きつけ、何かを探るように目を瞑った。
≪まさか……!今はそれよりも少し上がっているようだ……。それが原因か……?≫
今のシンクロ率は96%……へブラスカは驚いたようにそう言った。こんなにも早く臨界者へと近づいていっているなんて信じられないと。
私自身もピンとは来なかったが、でもあの状態を経験しているのだからありえる話だとも思った。
≪……は寄生型のイノセンスだ。しかもそれは瞳……思っていた以上にイノセンスとシンクロしやすいのかもしれない……≫
へブラスカはそう言って、また何か変化があれば知らせてくれ、と言った。
それ以上、調べても解らないようだったので私も仕方なく本部へ戻る。自分の身体に変化が起きていると言うのは少しだけ不安があった。
「あ、!」
「アレンくん……」
上に戻った瞬間、アレンくんとバッタリ会った。ちょうどコムイさんに会ってきた後らしい。
「お帰り、アレンくん!今回も無事に適合者を連れて来たみたいね」
「はい。まあ……色々とありましたけど何とか」
そう言ってアレンくんは苦笑いを零した。その表情は以前と比べて少しだけ大人びたように見える。それに――――
「あれ……左目の傷……治ったのね!」
「え?あ、これですか?実は……クロウリーの屋敷で戦ってる最中に進化したみたいで――――」
「進化……。傷は大丈夫なの?」
「はい。もう大丈夫です。あの時は心配かけました」
アレンくんはそう言って照れくさそうに笑った。
以前、リナリーと奇怪が起きている街に行き、そこでノアと遭遇した際、アレンくんは左目を潰されたことがあった。
それを聞いた時は死ぬほど心配したけど、今のアレンくんを見れば傷もすっかり良くなっている様子だ。それには心の底からホッとした。
「あ、そうだ。今、クロウリーをコムイさんに紹介してきたところです。にも紹介しますね」
アレンくんがそう言った瞬間、賑やかな声が後ろから聞こえてきた。
「ー!!久しぶりさ〜!」
「ラビ!お帰りなさい」
笑顔で駆け寄ってきたラビにそう言うと、彼は嬉しそうな顔で笑った。
その後ろには見たことのない黒マントの男がおどおどした様子で立っている。(見た目はホントに吸血鬼みたいだしこの人が?)
「そうそう!に紹介するさ〜!クロちゃんも今度からエクソシストとして教団に入る事になったし」
「クロちゃん……?あ、やっぱり彼がクロウリー?」
「ア、アレイスター・クロウリーである……。よ、宜しくである……」
私が視線を向けるとクロウリーは顔を赤くしながらも自己紹介してくれた。アレンくんが言うにはクロウリーはかなりの照れ屋らしい。
アレンくん達が行った先の小さな町で吸血鬼として恐れられていたのはどうやら彼のようだ。その不可思議な力もやはりイノセンスの力だった。
「宜しく。クロウリー。私は。あなたと同じ、寄生型よ」
「寄生型……」
「そう。私の力はこの目に宿ってるの」
そう言って瞳を指すとクロウリーはマジマジと私の瞳を覗きこんできた。見た目とは違って優しそうな人だ。
「き、綺麗な瞳であるな……。光に反射して色が変わっていく……」
「あ……ありがとう」
顔を真っ赤にしながら誉めてくれた彼にお礼を言う。
昔はこの瞳が嫌いだった。この瞳のせいで友達もできなかったから。
でもイノセンスの存在を知ってからはこの瞳を好きになれた。
褒めてもらえた時も素直にお礼をいう事が出来るようになった。
「あークロちゃん早速を口説いてるさ〜!」
「く、口説いてないである!私は褒めただけで――――」
「だけはダメさ〜!オレのもんだからな」
「……ラビのものになった覚えはないけど?」
そう言いながら横目で見るとラビはエヘへと笑いながら頭をかいている。
彼も相変わらず元気のようで、ずっと一緒だったアレンくんは大きく溜息をついた。
「……それよりも聞きましたか?今回の任務……」
「ええ。元帥の護衛でしょう?私は二日前に戻ったばかりでさっき言われたの。私は師匠でもあるティエドール元帥の護衛だって」
不意に真面目な話に切り替えたアレンくんにそう話すと彼はグッタリとしたように頭を項垂れた。
「そうですか……。僕もそっちが良かったな……」
「え?どうして?」
「アレンはオレ達とクロス元帥の護衛に任命されたから嫌がってるんさー」
「あ……そういうこと……」
ラビが面白がって笑っている。アレンくんのクロス元帥嫌い(?)は有名だ。
よく過去の辛い思い出話をしてはアレンくん自身もちょっと壊れる時がある。(それが黒アレン※命名ラビ)
まあ確かに子供の頃から働かされたり、借金を押し付けられたりしていればトラウマにもなるだろう。
「はあ……。師匠にだけは会いたくないのに……」
「仕方ないさ〜。今回はちょっとヤバイ事態になってるからな」
「師匠は大丈夫だと思いますけどね、僕は。間違ってもアクマやノアに殺される人じゃない。逆に師匠を殺しに行ったアクマに同情したいくらいですよ」
「……ホントに会いたくないみたいね」
すでに半目で黒い笑みを浮かべるアレンくんに、私も苦笑するしかない。
アレンくんの師匠でもあるクロス元帥には実際に会ったことはないけど――彼は教団との連絡を一切絶っているらしい――
相当ひどい人らしい。(※アレンくん談)私としては話を聞いてどんな人だろう、と少しだけ興味があった。
でも前にそう言った時、アレンくんは顔面蒼白になって「師匠はかなりの女好きですから絶対にダメです!」とキッパリ言われた。
何でもクロス元帥は世界中に愛人がいて、彼女達にお金を貢がせているらしい。(それ以外は借金で生活しているとか)
「師匠は世の女性の敵です!」とアレンくんが目を吊り上げながら言っていた。
「アレンくん達もまたすぐに出発?」
「はい、明日。ラビとブックマンとクロウリー。そしてリナリーと」
「オレもと一緒がいいさ〜!」
そこでラビがいつものように我がままを言い出し、思わず笑ってしまった。
「ダメよ。大事な任務だし、コムイさんがチーム分けしてくれたんだから」
「分かるけど……は師匠が同じだからどーせ、またユウと一緒なんだろー?」
「うん、まあ。あとは今も任務に出てるマリやデイシャと合流する予定なの」
「ふーん……って、何でオレがクロスチームなんさー。納得いかねえさー」
ラビはブツブツ言いながら、スネている。ついでにアレンくんまでが「僕だって嫌ですよ!」と怒り出した。
そのやり取りを見ていたクロウリーは不安げな顔で、
「クロス元帥とは……そんなにひどい人なんであるか……?」
「……うーん。私も話を聞いただけで会ったことはないんだけど」
「そうであるか……。私は一度会ったがそうは見えなかったである……」
「え、クロウリーはクロス元帥に会ったの?」
「お金を貸したである」
「………………」
(やっぱりクロス元帥ってアレンくんの言うとおり、非道な人なのかも……)
アレンくんとラビを宥めているクロウリーを見ながら内心、溜息をついた。
アレンくんは"黒アレン"化してからずっと目が据わってしまっている。
「だいたい師匠を探したって見つかりませんよ……。いつも借金取りから上手く逃げてるんですから……。あの逃げ足の速さは世界一です」
「まあまあアレン〜〜っ!」
「それに僕は今回の任務を受けてから毎晩悪夢にうなされてるんですぅ……。おかげで寝不足で……ははは……」
クロス元帥が絡むと普段の温和な顔が消えてしまうほどアレンくんは豹変する。それを楽しんで見てるのはラビくらいだ。
それでも何とかアレンくんを宥め、明日の準備をするといってその場は解散になった。
「はあ……大丈夫かなぁ、アレンくん。相当なトラウマになってるわね」
延々とクロス元帥への恨みつらみを語りまくったアレンくんも最後には半泣き状態になっていた。
普段はあんなに優しい子なのにあれほど豹変するほど追い詰めたクロス元帥を改めて怖いと思った。
「……もし教団に戻ってきてもなるべく関わらないようにしよう」
そう心に決心して(!)私は自分の部屋へと向かった。けどその前にふと神田の部屋の前で足を止める。
先ほどコムイさんの話を一緒に聞いてたけど、その後は何をしているのか解らない。
寝てるかな、とも思ったけど軽くドアをノックしてみた。
「神田……起きてる?」
そう声をかけたが何の返答もない。でも少しだけドアノブをまわすと静かに開いた。
「神田……?」
細い隙間から中を覗いてみる。中は真っ暗で、窓からは月明かりが洩れていた。
「……何だよ」
不意に奥から声がして私は小さく息をついた。
「起きてるなら返事くらいしてよ」
神田の部屋は前にも入った事があるのでそのまま中へ入る。
彼が風邪でダウンした時、コムイさんに言われパートナーである私が看病したのだ。(※本人の意見は無視)
教団にも医療班はいるのに神田が「ただの風邪だ」と言って診せようとしないのが理由だった。(それも婦長が苦手だから)
治療を受ける事や、他人が部屋に入ることを神田はやけに嫌う。
でも看病の一件以来、私だけは入る事を許してくれてるみたいだ。時々任務前に起こしに来たりしても前ほど怒らなくなった。
「……お前が来るまで寝てた」
「起こしちゃった?ゴメン……」
神田は眠そうに欠伸をしている。ベッドの傍まで歩いて行くと彼は不機嫌そうな顔で体を起こした。
「……別にいい。腹が減ったから食堂に行こうと思ってた」
「なら起きてたんじゃない」
苦笑しながらベッドに腰を掛ける。神田はめんどくさそうに舌打ちして髪をかきあげると壁にもたれかかって私を見た。
上半身裸のまま、長く綺麗な髪を肩にたらしている神田は、こうして見ると年下のクセに男くさい……というよりも妙な色気すらある。
普段とは違う雰囲気の神田に気恥ずかしくなって、思わず視線を外した。
「相変わらず何もない部屋だね」
「……必要ねえだろ」
「そりゃ寝るだけの部屋だけど……窓のヒビくらい修理したら?」
そう言いながら窓の方に目を向ける。遠くに見える月が鮮やかに光っていてそれがこの部屋を照らしていた。
何もない部屋でもここは神田の居場所なんだろう。部屋の片隅に置かれている小さな花を見ながら、ふとそう思った。
「どうした?何か用事か」
「うん……。明日、また出発だなぁと思って」
「だから何だ。嫌なのか?」
小さく溜息を吐く私を見て神田は鼻で笑った。
「嫌ってわけじゃないけど……帰ってきたばかりなのになぁって思っただけ」
「まあな……」
「今回はもっと長くなりそうじゃない?ティエドール元帥が今どこにいるか知ってる?」
「オレは知らねえよ。マリを見つけりゃ知ってんだろ」
「そう……。こっちから連絡取れないってホント不便よね。元帥達はそれぞれ独自に動いてるし」
神田は欠伸を噛み殺しながらも、黙って私の話を聞いているようだった。
「師匠大丈夫かな……。アクマに襲われてないかな」
「あのオッサンなら大丈夫だろ。仮にも元帥だ」
「そうだけど……コムイさん言ってたじゃない。今回はアクマだけじゃなくて――――」
「ノア一族か?」
「うん……。正体もよく分からないし、アレンくんから聞いた限りじゃ相当強いって」
アレンくんとリナリーが遭遇したノアは小さな少女だったと言っていた。それなのに彼の左目を壊すくらい力がある。
どんな能力を持っているのか得体の知れない新たな敵に、私は少しだけ不安を感じていたのかもしれない。
だからこそ、こうして神田のところへ来て弱気な事を言ってしまっている。言っても怒られるだけだと分かっているのに。
「バカか。まだ戦ってもいない相手に何ビビってんだ?」
案の定、神田は私の頭を小突きながら呆れたように言った。私がそうして欲しいと思っているのを気づいているのかもしれない。
エクソシストになってから時々襲ってくる不安。そのたび神田の強さに甘えてしまう自分がいた。
神田は何も聞いては来ないけど、いつも私の欲しい言葉をくれる。背中を押してくれる。そうしてもらう事が今の私には必要だった。
「アクマでもノアでも関係ない。目の前に現れた敵は倒す。それだけだ」
「……うん。そうだね」
「それにモヤシから聞いた情報なんてアテになるか。あいつが弱いだけだろ」
「またそんなこと言って……」
いつもの憎まれ口を叩く神田に思わず苦笑した。アレンくんと神田は顔を合わせるたび、大なり小なりケンカになる。
でも今ではそれも教団の名物みたいなものだ、と私は勝手に思っていた。
「……腹減ったな……」
「そう言えば……今日起きてから何も食べてないんじゃない?起きてすぐコムイさんから任務の話があったし」
「ああ……。そろそろ食堂に行くか」
「一緒に行っていい?私も何も食べてないの」
「勝手にしろ。つかお前……最近、食欲あるな。任務後に前ほど吐かなくなったし」
ベッドから降りてシャツを羽織りながら、神田は不思議そうな顔で振り向いた。
アクマを壊しても前のように吐かなくなった私に神田も気づいていたらしい。
「アレンくんと話したらすっきりして……。アクマを壊しても前みたいに絶望的な気持ちにならなくなったの。ほら、アレンくんはアクマの魂が見えるでしょ?彼が言うには――――」
「……チッ」
「……ちょっとーそこで何で舌打ちなわけ?」
面白くなさそうに顔を反らした神田に思わずムっとする。そんな私の抗議を無視するかのように神田はドアの方に歩いて行った。
……いつも思うけど神田の不機嫌になるツボはよく分からない。ああ、それともアレンくんの話をしたからかな。
「何よ。そんなにアレンくんのこと嫌いなの?」
「ああ……。オレの一番嫌いなタイプだ。それより行かねーのか?置いてくぞ」
「行くわよ……」
不機嫌なのを隠そうともしない神田の背中を見ながら私は溜息をついた。それでも神田の理不尽さにはだいぶ慣れたつもりだ。
「……神田の怒りんぼ」
「……怒ってねえよ」
「怒ってるよー。ほらオデコに怒りマークが――――」
「怒ってねえって言ってんだろっ」
ふざけて前髪に隠れた彼の額を触ろうとした私の腕を神田が慌てて掴む。その瞬間、神田が私を見下ろし至近距離で目が合った。
神田の瞳の中には月明かりが反射していて、そこには私の驚いた顔が映っている。
でも気まずそうな顔で目を反らす神田に私も急に照れくさくなった。
「ゴ……ゴメン。髪、触られるの嫌だったっけ」
「……別に。いーから行くぞっ」
神田は掴んだままの私の手を強く引いて、部屋を出て行く。引っ張られる格好になりながらも私も部屋を出た。
……が、出た瞬間、神田の背中に思い切り顔をぶつけた。
「……いったーい!何で立ち止まるの?」
ぶつけた鼻を擦りながら神田に文句を言った。でも神田は何も言わずにただ舌打ちをして、ついでに私の腕を慌てて離す。
何事かと思って神田の顔を覗き込もうと顔を上げれば、私達の前にはまさに驚愕の表情で立っている科学班のジョニーさんがいた。
ジョニーさんは大きな丸いメガネが半分ずり落ちそうになりながら固まっている。
「ジョニーさん?どうしたんですか?」
笑顔で声をかけてもジョニーさんは未だ驚いた顔のまま――どことなく頬も赤い――私と神田を交互に見ている。
それでもハッとした様子で我に返ると手に持っていた大きな袋を、慌てたように差し出した。
「い、いや……!コムイ室長に言われて明日から任務に出る二人に新しいコートと靴を届けに……!」
「あ、ありがとう」
仏頂面の神田の代わりにその袋を受け取る。前に使用していたコートや靴は長い旅と戦いの中でボロボロになっていたのだ。
袋の中を確認して神田の分は彼に渡す。でもジョニーさんは何かを言いたげにしながら「あ、あの」と口篭っていた。
「……??どうしたの?ジョニーさん」
「い、いや、その…………………何でもないっす!」
「え?あ、ちょっと――――!」
いきなり走って行ってしまったジョニーさんに呆気に取られていると、後ろでは神田が仏頂面で舌打ちをしていた。
「ったく面倒なヤツに……」
「え?」
「いや……」
神田も何かをブツブツ言うと受け取ったコートを部屋の中へと放り投げ「行くぞ」と言ってサッサと歩いていく。
私はよく分からないまま彼の後ろからついて行った。
「……ジョニーさん、何か様子が変だったね」
「……チッ……どーせバカな誤解でもしたんだろ」
「……誤解って……?」
「そのうち分かる……」
ウンザリ顔で溜息をつく神田に首を傾げながら、私はこの後、教団中にとんでもない噂が流れる事をまだ知らないでいた――――。