かすかに眩しさを感じて薄っすらと目を開けた。カーテンの隙間からは朝を告げる日の光が部屋にさしこんでいる。
ベッドの脇に置いてある時計を確認すると起きる予定の時間より30分ほど早かった。
「……う〜ん」
ベッドの中で思い切り体を伸ばす。もう少し寝ていたい気もしたけど今寝たら起きた時にツラい。
「仕方ない……起きよ……」
軽く欠伸を噛み殺してベッドから抜け出すと一気にカーテンを開ける。今日はとてもいい天気だ。出発の日に相応しい。
「……神田はもう起きたかな…」
ふと夕べ、食事の後に早々に部屋へ戻った彼を思い出した。
「明日からキツイ旅になる。今日はゆっくり寝ろ」
キツイ旅……そう言われて私も改めて気を引き締めた。今度の任務は今までのものより、相当危険が伴う。
何せ元帥のイノセンスを壊そうと、アクマ、そして得体の知れないノアという一族までが出張ってきてるというのだから。
これまでのようにはいかないかもしれないという事は私にもよく分かっていた。
「……よし。準備しよ」
そう呟いて顔を叩くと、軽くシャワーを浴びて目を覚ました。
髪を整え、バスローブを脱ぐと、エクソシストの証でもある団服を身につける。
これを着ると気持ちが引き締まる気がした。
「……忘れ物は……あ、そうだ!コートも入れなくちゃ……」
夕べ荷物を詰め込んだトランクの中を簡単にチェックしながら入れ忘れていたコートを入れる。
世界中を旅するのだから寒い国もある事を想定してだ。これくらいかなと思いながら、ふと壁にかけたままのものに目が行く。
それは前に旅先で出会った男から借りたジャケットだった。
「一応これも持ってこう……」
どこの国の何者かも分からないけれど、もしかしたら旅先でまた会うかもしれない。
何となくそう感じて、私はそのジャケットをトランクに入れた。
そして綺麗に片付いてるのを確認すると部屋を出て、しっかりと鍵をかける。
次、いつここへ帰ってくるか解らない。ううん、二度と帰って来れないかもしれないのだ。
いつでも次の人に明け渡せるよう、部屋の掃除はいつもマメにしていた。
「行って来ます」
誰に言うでもなく呟くと、私はそのままへブラスカの元へと向かった。
任務に出る前は必ず彼女に挨拶をしていく。これも自然に身についた習慣だった。
「おはよう、へブラスカ」
≪おはよう、…体調はどうだ……?≫
「だいぶいいわ。疲れも取れたし」
≪そうか……。今回はキツイ旅になるだろう……。体が辛い時はあまり無理をするな……≫
「うん。解ってる」
≪あと……≫
へブラスカはそう言って、少しだけ私の方に近づいた。
≪お前の目の事だが……≫
「ん?」
≪……お前のイノセンスは通常よりも強力だ。戦いが続いた時は必ず休めろ……≫
「……大丈夫だってば。もう前のように気持ち悪くなる事も減ったんだし――――」
≪いや……その事ではない……。力を使いすぎた時は必ず薬をさせ。コムイに言って作らせてある……≫
「薬……?目薬みたいなもの?」
≪そうだ。イノセンスに合うものをコムイが作った。それを受け取ってから出発しろ……≫
「……うん、分かった。でも……なんで急に?今までは力を使っても目の異常はなかったのに」
そう言いながら首を傾げると、へブラスカは無言のまま私を見つめた。
「もしかして……昨日話した変化のこと、気にしてるの?」
≪それもある……。あとはシンクロ率の上がり方が通常より早いのも気になった……急激にパワーアップしているならその後遺症を考えておいた方がいい≫
「後遺症……って……」
≪そんな心配そうな顔をするな。あくまで可能性の話だ……。用心するに越したことはないだろう?≫
「……そう…だね。分かった……」
≪……気をつけて……行っておいで≫
不安げな私を励ますようにへブラスカはそう言って、かすかに微笑んだ。
私もいつものように笑顔で「行って来ます」を告げると、そのままコムイさんのいる研究室へと向かう。
夕べのうちに私の症状をへブラスカが話し、コムイさんが薬を一晩で作ってくれたらしい。
「……はあ、後遺症か……。やっぱり出るのかな……」
確かに戦った後は多少目が痛くなることもあった。でもそれよりも襲ってくる吐き気の方がひどくて目の痛みなどはそれほど気にしていなかったのだ。
同じ寄生型のイノセンスを持つアレンくんからは戦ったあと、腕に何らかの異常が出たとかそういった話は聞いた事がない。
アレンくんの左腕と私の目とでは少し異なるのかもしれない。
「……コムイさん、いますか?」
研究室を覗き込みながら声をかける。中には数人のスタッフがいて私が入っていくと何故か驚いたように一斉にこっちを見た。
「あ……ちゃん……」
「リーバー班長、コムイさんいる?へブラスカに薬をもらえって言われて……」
「あ、ああ……目薬の事だよね。預かってるよ……」
リーバー班長は何故かげっそりとしつつ悲しげな顔で薬の入った小瓶を私に差し出した。それには綺麗な淡い水色の液体が入っている。
「ありがとう。これ普通にさすだけでいいの?」
「あ、ああ……。疲れたと思った時や寝る前に2〜3滴、目にたらして……」
「分かった。コムイさんは?」
「……室長なら徹夜でそれ作ったから今は部屋で休んでるんだ」
「そう……悪い事しちゃったな。お礼言っておいてね」
「あ、ああ……言っておくよ……」
顔を引きつらせながらも微笑むリーバー班長に多少の違和感を感じながらも、私は小瓶をポケットにしまった。
その間、他のスタッフは仕事をしながらも何故か私をチラチラと見てはヒソヒソ話をしている。
皆の様子がおかしい事に気づき何だろうと気にはなったが、出発前に食事をしに行かなくちゃいけないと、研究室を後にした。
「何よ……。私、何かしたっけ?」
食堂に向かいながらも首を傾げる。
いつもならリーバー班長や他の皆も人懐っこく話しかけてくるのに今日に限って遠巻きに見てはヒソヒソ話すだけだった。
彼らの気に障るような事をした覚えもない。
「徹夜で薬なんか作ってもらっちゃったからかなぁ……。でも徹夜なんて彼らにとってはいつもの事だし……」
ブツブツ言いつつ食堂に入ると、入り口で数人のファインダーの人達とすれ違った。これから仕事に出るのだろう。
いつものように「おはよう」と彼らに声をかける。
でもファインダーの人たちは一様に私を見て驚いた顔を見せると、どこかよそよそしい態度で行ってしまった。
それには多少呑気な私も気になってくる。
「何よ……。無視しなくてもいいじゃない」
確かにファインダーとエクソシストという関係では対等じゃないのかもしれない。
でもいつも命がけで援護してくれてる彼らに、私はちゃんと敬意を表してる。
そんな私に彼らも普段は普通に話しかけてくれたりしていたのに……。
「……はあ。出発前なのに何かへこむ……」
溜息交じりで呟くと食堂で顔なじみのジェリーさんに声をかけた。
「ジェリーさん、おはよう」
「おはよ――って、あ、あら……ちゃん……」
振り向いたジェリーさんは私の顔を見るなり、ドキっとしたような顔で微笑んだ。
その表情は先ほどのファインダーの人たちと同じに見える。
仲のいいジェリーさんにまでそんな顔をされて私はますます落ち込んだ。
「早いのね。もう行くの?」
「うん……。その前に朝食食べていこうと思って。オムレツとクロワッサン、お願いしていい?」
「え、ええ。分かったわ」
注文をとりながらジェリーさんはニッコリ微笑んだ。でもその笑顔はどこか作り笑いっぽく見える。
私はそのままジェリーさんが手早くオムレツを焼き始めるのを眺めていた。
「あら、席に行ってていいのよ。出来たら運んであげるから」
「……うん……。それより……どうしたの?ジェリーさん。何か様子がおかしい」
「え?な、何が?」
私が突っ込むとジェリーさんは明らかに動揺した。
「だって私のことジロジロ見てるかと思えば、目が合うとそらすし……。何かあった?」
「な、何もないわよ。いや〜ね!――はい!出来た。オムレツとクロワッサン」
あっという間に焼き上がったオムレツと、彼(彼女?)特製クロワッサンをトレーに乗せてジェリーさんはニコニコと笑顔を見せている。
でもやぱりどこか様子が変だ。さっきから視線を合わせようとしない。
「しっかり食べて任務頑張って来てね」
「うん……あ、あのジェリーさん――――」
「ところで……今度も神田と一緒に行くの?」
「え?」
様子がおかしい事を再度聞こうとした時、ジェリーさんが身を乗り出してきた。
しかも小声で神田の事を話すジェリーさんは先ほどとは様子も違い、どことなく瞳がキラキラしている。
「え、ええ……神田と私は同じ師匠だから」
「そ、そうだったわね〜♪まあ……仲がいいわよね」
「――は?」
「あ、な、何でもないの!おほほほ♪――――あ、あらおはよう、神田!噂をすれば、ね」
「……あ?」
そこへ神田が歩いて来た。私と同様、大きなトランクを持ちながら出発前に朝食を食べにきたようだ。
「おはよう、神田」
「ああ……」
寝起きの悪い神田は不機嫌そうな顔を隠す事なく、ジェリーさんの前に立った。
「あ、神田はいつものね♪」
「ああ」
いつもの、とはザルソバの事でジェリーさんはすぐにそれを用意する。
それを無言のまま受け取った神田はサッサとテーブルに歩いて行った。それを見て私も歩いていこうとすると、
「二人で朝食なんてホント仲がいいのね。夕べはイロイロと燃えたのかしら〜♡」
「……え?(燃えた?イロイロ?何が?)」
「きゃ〜さっきからアレコレ想像しちゃってコーフンしちゃう♡――ああ、いいから早く神田のとこ行きなさいよ。任務も頑張ってね」
「はあ……」
ジェリーさんはニコニコしながらそう言った。さっきの態度よりは普段に近いが、何となく違和感を感じ、私は首を傾げながら神田の後を追った。
神田はすでにテーブルについて食事を始めている。
「ねえ……神田」
「……何だよ。サッサと食え」
「分かってるけど……それより何かジェリーさんの様子がおかしいの」
「あ?知るか……。あいつはいつもおかしいだろ?」(!)
隣に座った私を神田は面倒臭そうに見た。(ホント朝はいつも以上に機嫌が悪い)
「でも……ジェリーさんだけじゃなくて科学班の皆もファインダーの皆もちょっと態度が変だったっていうか――――」
そう言いつつ周りを見ると食堂には数人ファインダーの人たちが食事をしていた。でも皆、それぞれ食事をしながらもチラチラと私達の方を見てくる。
だが私と目が合うとサっと視線を反らし、仲間同士でヒソヒソ話し始めた。それにはさすがに私もムっとする。
「ここにいる人たちも何だか様子が変……」
「気にすんな。それより早く食え。時間がねぇーんだ」
「分かったわよ……」
皆の態度が気にはなったが食べたらすぐに出発しなければならない。私は溜息をつくと仕方なくオムレツを口に運んだ。
その時、賑やかな足音が聞こえて私はふと顔を上げた。入り口に現れたのは思った通りの人物で、彼は何故か慌てたように食堂の中を見渡している。
そして私達に気づくと物凄い勢いで(!)こっちに走ってきた。
「〜〜!!!」
「ラビ、おはよう」
息を切らして走ってきたラビに驚きつつ挨拶をする。
でもラビは私と神田の前に立ってバン!とテーブルを叩いた。その反動でそばつゆの入った器が倒れテーブルの上に広がっていく。
それを見た神田は金縛りにあったように固まり、私は私で普段は温厚なラビの変わりようにギョっとして顔を上げた。
「、ユウとデキちゃったって本当さっっっ?!!」
「ぶほッッ」
「……は?」
ラビの突拍子もない発言で、キレかけていた神田は口からソバを吐き(!)私はその場でフリーズした瞬間フォークからオムレツがポトリと落ちる。
「な……何て言ったの……?今……」
「だーかーらぁー!とユウが夕べ――――」
「それ以上口を開いたら刻むぞっっ!!!!」
「ちょ、神田、こんなところで――――」
神田は剣を抜いてラビに突きつけた。いつものラビならここで降参する。なのに今日に限ってラビは強気だった。
「オレは本当の事が聞きたいんさ〜!」
「うるさい!!何だ、本当の事って!」
「とユウがデキちゃったって噂さぁ!」
「……はあ?!」
ラビの言葉に今度は神田がフリーズして、私はと言えば一気に顔が赤くなってしまった。
さっきの質問は冗談とかじゃなくラビが本気で聞いているという事を脳がやっと理解したのだ。
「バ、バカなこと言わないでよっ!」
「てめぇ、死にたいらしいな……!!」
反論する私、そして怒りの形相で再び剣の切っ先をラビにつきつける神田。一時、食堂は騒然となった。
周りで食事をしていた人たちは興味心身でこっちを観察しているようだ。
「脅されても聞くまで引かねぇさ!」
「てめぇ……まだ言うか、バカ兎!!」
「ちょ、ちょっと待ってよ!いったい何の話?噂って…私と神田が――――」
(デキてるって――??)
ラビの爆弾発言に私は軽い眩暈を感じた。
「な、何でそんな話になるわけ?私と神田はただのパートナーじゃない!」
「だってオレはそう聞いたんさ。寝起きに聞いたおかげで眠気も吹っ飛んだっつーの!」
「聞いたって……誰に何を聞いたの?」
恥ずかしさのあまり逃げ出したくなるのを堪えながら訊くと、ラビは鼻息荒く未だ剣を突きつけている神田を睨みつけた。
「朝、起きて研究室に行ったら皆がそう噂してたんさ。オレも最初はありえないって笑ってたけどジョニーが見たっていうし――――」
「ジョニーさん?見たって……何を?」
「夕べ、神田の部屋から二人が手を繋ぎながら出てきたとこ!ジョニーが"あの雰囲気は絶対にヤッた後だ"って言ってたんさ!」
「―――――ッ??!」
「……なっ!ババ、バカ言わないで!!そんなわけないでしょっ!」
首まで真っ赤になりながら言い返した後で、ふと夕べのことを思い出した。
神田と夕飯を食べに行こうと二人で部屋を出た時、確かにジョニーさんに会っている。
ジョニーさんが私と神田の新しい団服を持ってきてくれたのだ。まさかあの時の事を誤解したなんて思いもしなかった。
「ジョニーがユウはシャツ一枚羽織った状態で胸元がはだけて乱れてたって――――」
「やっぱりアイツか…!チッ!」
「ちょ、ちょっと待ってよ。あれは神田が寝起きだったから――――」
「!いちいち答えるな!余計にややこしくなる!」
神田は怒りマークを額に浮かべながら舌打ちをすると剣を納めて再びテーブルについた。
「本当なんさ?夕べはユウのところに――――」
「部屋に行ったのは行ったけど……別にそういうんじゃないし……!それに手を繋いでたっていってもアレはただ引っ張られただけで――――」
「おい、。そんな下らねえ話に聞く耳もつなって言ったろ!」
神田はすでに興味もないのか、不機嫌そうに食事を続けている。そんな神田にムっとしたラビは真剣な顔で私を見た。
「本当に違うんさ?」
「ち、違うわよ!夕べはちょっと任務の話をしに行っただけで、それだけだってばっ」
内容が内容だけに恥ずかしかったが他の皆にも聞こえるように話す。
今朝から感じていた、あのおかしな態度の原因が今はっきりわかったのだ。
だから科学班の皆もファインダーの人たちも様子がおかしかったんだ……!
教団では極悪非道(!)で通ってる神田と私が付き合ってる、なんて勘違いをしたなら、ああいう目で見られてもおかしくはない。
(――――もう……!ジョニーさんてばとんだ誤解をしてくれたわ!)
そう思いながらもう一人の当事者である神田を見た。
彼はこの誤解を気にしてもいないような顔で新しいつゆをもらい平然とソバを食べている。
そこで夕べ、神田が呟いた言葉を思い出した。
"どーせバカな誤解でもしたんだろ"
神田はきっとこうなる事をわかってたんだ。じゃなければ、あんなこと言うはずない。
「神田……。分かってたんなら昨日の時点で違うってジョニーさんに言ってくれればいいのに」
私の言葉に神田は煩わしそうに顔を上げた。
「……別に何も言われてもいないのに弁解したら逆に怪しく思われるだけだろが」
「で、でもどっちにしろ誤解されてるじゃない」
「人の噂なんてすぐ消える」
「だからって……!誤解解かなくちゃ私達はずっとそんな目で見られるのよ?神田は平気なの?」
「別に気にしなきゃいいだけだろ?」
しれっと応えた神田はサッサと食事を済ませて立ち上がった。そして未だジトっとした目で自分を見ているラビを睨むと、
「……何だよ。誤解だって分かっただろが」
「でもと噂になるのがユウなんて納得いかないさ」
「チッ!下らねえ……。勝手にやってろ!!」
神田は額に怒りマークを浮かべるとトランクを持って歩いて行く。それには私も慌ててトランクを持った。
「ゴメン、ラビ。私、行かなくちゃ」
「え、ちょ、――――」
「その噂は間違いなく誤解だから皆にもそう言っておいて!じゃあ、行って来ます!」
走りながらそう叫ぶと、ラビは両手いっぱい振りながら「ユウはムッツリだから気をつけろさ〜!!」と、とんでもない事を叫んでいる。
凄く嫌な予感がした、その時――背後で異様な殺気を感じた(!)
「六幻――災厄招来…"界蟲一幻"!!」
「か、神田?!」
遂にキレたのか、その声と共に神田のイノセンスである六幻がラビめがけて攻撃をしかけた(!)
神田の使う技の中で唯一の飛び道具である界蟲一幻は人間に向ければかなり危険な技だ。案の定ラビは青い顔をして逃げ出した。
「ぎゃっ!!ユウの鬼ーーーっっ!!」
界蟲に追いかけられ物凄い速さで逃げ回るラビの姿を見ながら、後ろで冷静に刀を戻す神田を睨んだ。
「何も対アクマ武器で攻撃しなくても……」
「バカ兎が余計なことを言うからだ。それよりサッサと行くぞ。今週中にはデイシャと合流したい」
「……わかってるけど……」
想像通りの答えが帰って来て溜息をつく。
サッサと歩いていく神田の後を追いながら未だ食堂を逃げ回っているラビに「怪我しないでね」と心の中で呟いた。
「やあ、やっと来たね」
「あ……コムイさん」
教団内にある地下水路に向かうと、そこにはコムイ室長が待っていた。
それを無視するように船に乗り込む神田を、コムイ室長はニヤニヤしながら見ている。……ちょっとだけ嫌な予感がした。
「いやぁ、聞いたよ。二人、付き合ってるんだって――――」
「……付き合ってねえ!」
またしても、今度はコムイ室長にまで六幻を突きつける神田に私はギョっとした。(神田は相当イラついているみたいだ)
「ちょっと神田!室長に失礼でしょっ」
「……い、いやいーよ。慣れてるから」
コムイ室長はホールドアップしながらも引きつった顔で微笑んだ。神田を怒らせる事を慣れてるという室長に私の顔も多少引きつる。
「ま、半分は信じてなかったからね。ジョニーのいう事だし」
「はあ……ちょっと誤解されちゃって……」
「わかるよ。ジョニーはよく勘違いして、すぐそれを皆に話すからね〜。まあリーバー班長は素直に信じて落ち込んでたけどね〜あはは☆」
「え?」
「あ、ああ。いや何でもない。こっちの話だから」
そう言って呑気に笑う室長に神田はいつもの如く舌打ちをして船内に腰をかけた。とりあえず刀を納めてくれてホっとする。
「それより……薬は受け取ったかい?」
「はい、さっきリーバー班長から」
「そうか……。まあへブラスカにも言われただろうけど決して無理はしない事。力を使った後は必ず薬を使うんだよ?」
「はい。あの……私の為に徹夜させちゃってすみません」
軽く頭を下げるとコムイ室長は優しい笑みを浮かべた。
「何言ってる。仲間の体を気遣うのは当然の事さ。気にしなくていい」
「……ありがとう御座います。じゃあ……行って来ます」
「気をつけて。神田くんもね」
コムイ室長の言葉に神田は小さく頷いた。私も船に乗り込むと待機していたファインダーの人がゆっくりと船を漕ぎ出す。
振り返るとコムイ室長が笑顔で手を振っていた。
「座れ。コケるぞ」
立ったままコムイ室長を見ている私に、神田が仏頂面のまま言った。あの噂のせいでまだ機嫌が悪いらしい。
「帰ってくる頃にはあんな噂なんて皆も忘れてるよ、きっと」
「フン……どうでもいい」
「どうでもよくないでしょ?私と誤解されたままじゃ神田にも恋人が出来ないかもしれないし」
「……あ?!」
軽い冗談のつもりで言ったのに神田は怖い顔で私を睨んだ。
この顔でこの世に生まれたんじゃないかと思うほど、神田は怒った顔がよく似合う。(!)
笑うと可愛いのに、なんて内心思っていると神田は呆れたように溜息をついた。
「……何言ってんだお前」
「何って……当然あることじゃない。結構、教団内でカップル誕生なんてしてるみたいだし」
これは以前ジェリーさんに聞いた話だ。毎日戦いの中に身を置いていると帰ってきた時に安らぎが欲しくなる。
それを恋愛に求めても何ら不思議はない。
「教団内にも女性は沢山いるし、エクソシストの中にも付き合ってる人たちがいるみたいよ?ジェリーさんが言ってたもん」
「……チッ。下らねえ……。愛だの恋だの言ってて伯爵に勝てるのかよ。ここは戦う場所だ」
「それはそれ。守るべき人がいると逆に強くなるって言うでしょ」
「……フン、お前は経験あんのかよ」
「………そりゃあ……」
神田の突っ込みに言葉が詰まる。そんな私を見て神田がやっと笑顔を見せた。(と言っても嫌味な笑みだけど)
「……偉そうに言ってたクセに経験ないんじゃ説得力がねえな」
「わ、悪かったわね!今はないだけでしょ?!昔は好きな人くらいいたもん。それにエクソシストなんてやってると出会いもないの!」
世界中を飛び回るこの仕事をしていれば恋人が出来た所で会う時間など皆無に等しいだろう。
だからこそ教団内での恋愛が増えるのは当然の事だけど、私の周りは皆、年下ばかりだしそんな気持ちすら起きなかった。
エクソシストになる前は同じ街に好きな男の子くらいいたけど、私の瞳の色が変わることを知ると自然に離れていった。
そう言えば私の初恋は彼だったなぁ、とふと思い出す。
少女時代の淡い思い出……。でも今思えばあんな男なんか好きになるんじゃなかった、なんてちょっとだけ後悔した。
「お前は恋愛したいのかよ」
「え……?」
昔の事を思い出してボーっとしていると不意に神田が口を開いた。ことのほか真剣な顔で問われ、思い切り顔が赤くなる。
全てにストイックな神田とまさかこんな話をする日が来るなんて思ってもみなかった。
「れ、恋愛っていうか……疲れて帰ってきた時に癒される場所が欲しいなぁとは思う、かな。相手の事も支えてあげたりとか……」
「……フン。恋愛で癒されるなんて思い込みだ。相手が自分と同じように感じてくれてるかなんて分からねぇし分からないからイラつく。癒しどころかストレスになんじゃねーの」
「…………」
「何だよ、その顔……」
唖然としている私を見て神田は思い切り顔を顰めた。神田が恋愛論を語ったという驚きと衝撃がもろに顔に出てしまったらしい。
「何か……意外」
「あ?」
「神田の口からそんな言葉が出るなんて」
「……刻まれてえのかよっ!」
照れ臭かったのか、神田はいきなり怒鳴って顔を背けた。その横顔はかすかに赤い気がする。
いくら強くてクールでも彼はまだ18歳だ。こういう面があるのは当たり前かもしれない。
「分からなくてイラついた事があったの?」
「あぁ?!」
「だって、そう言ってたじゃない。恋愛なんてストレスだって」
「…………ッ」
そう言って顔を覗きこむと、神田は一瞬、言葉に詰まった。そして無言のまま視線を反らす。
普段と様子の違う神田に首を傾げると軽く舌打ちされた。
「……うるせえな。今のオレには、んなもんねえよ!」
「今の……ってどういう、意味?過去にはあったみたいな言い方――――」
「だからねえよ!少し黙ってろっ」
これ以上その話はしたくないと言わんばかりに顔を背ける神田に少しの違和感を感じながらも、
そのふくれっ面に思わず笑いを噛み殺した。(船をこいでるファインダーの人も何気に肩が震えている)
「……何がおかしい」
「別に。ただ神田も普通の男の子なんだなぁと思っただけ」
「あぁっ?子って言うんじゃねえ!一つしか違わねえクセに年上ぶんなっ!」
「はいはい」
「……チッ!!」
珍しくムキになる神田に私は頷きながら肩を竦めた。神田はますます不機嫌そうに仏頂面で顔を背けている。
その時、教団の外に抜けたのか、ファインダーの人が船を止めた。
「着きました。これからヨーロッパの方角へ向かいます」
「そう……。ここからは歩きかぁ。これがキツイのよね」
そう言いながら船を下りる。これから任務遂行中のデイシャを探しに行く予定だった。
「私がご案内します」
一緒についてきたファインダーは、ラグと名乗った。最近まで任務中のデイシャと行動を共にしていたらしい。
彼がデイシャの向かった先に案内してくれる事になっていた。
「では行きましょう。明るいうちに街へ出ないと……」
神田も降りたのを確かめると、ラグはそう言って先頭を歩き出した。
その時、私の無線ゴーレムがリリリンと派手な音を鳴らし、目の前へと飛んでくる。10キロ圏内なら仲間とゴーレム同士で通信出来るようになっている。
教団を出た直後なのに連絡してくる人物といえば一人しかいない。
『ー♡もう外に出た?』
「……ラビ…無事だったのね」
六幻に襲われていたにも関わらず明るい声で話すラビに苦笑した。
神田はまたしても舌打ちをして、面白くなさそうな顔で前を歩いていく。
その姿を見ながら「どうしたの?何か用事?」とラビに話しかけた。
『そうじゃないけど……さっきはまともに見送りも出来なかったし』
「そんなのいいのに」
『良くないさ〜!特に……今回の任務は色々と大変だし――そうですよ〜十分に気をつけて下さいね――』
「アレンくん?」
ラビの声と一緒にアレンくんの声も聞こえて思わず笑顔になる。今回はあまり会って話す時間もなかった。
「アレンくん達はまだ教団にいるの?」
『僕らももう少ししたら任務に戻る為、出発します。今は戦の前の食事中ですよ』
「そう」
『それより……聞きましたよ。今朝のここでの騒ぎ』
「え……」
クスクス笑うアレンくんに思わず顔が引きつる。きっと神田と私のあの噂の事でラビが騒いだ事を言っているんだろう。
「あ、あのね、あれは――――」
『分かってますよ。が神田なんかと付き合うなんて天と地がひっくり返ってもあるはずないです――お、いい事言うさ〜アレンは♪――』
「え、いや、あの……そこ強調しなくても――――」
アレンくん、そしてそれに便乗しているラビの声に更に顔が引きつる。
この会話はスピーカーで流れてくるので当然、前を歩いている神田にも聞こえてしまうのだ。
案の定、アレンくんの一言に神田は怖い顔で振り向いた。
「うるせえぞ、モヤシ!!」
目を吊り上げながらゴーレムに向かって怒鳴る神田に、私は内心思いきり溜息をついた。
アレンくんは当然こうなる事を分かっていたに違いない。
『ああ……いたんですか神田……っていうか僕はモヤシじゃない。アレンです!』
「……フン!任務前におしゃべりか?随分と悠長じゃねーか。サッサと元帥探しに行かねーと、アクマかノアに殺られちまうぜ」
『あいにく僕の師匠はそんなにヤワな人じゃないんです。こっちの心配より自分の心配をしたらどうですか』
「余計なお世話だよ。ウゼェからゴーレム使うなってバカ兎に言っとけ!は今、任務遂行中なんだよ。無駄話に付き合ってるヒマはねえ」
「ちょ、ちょっと神田……。そんな言い方しなくても……今は移動中だし」
だんだん険悪になってきた二人の会話に慌てて止めに入る。でも意外にもアレンくんは『分かりました』と言って苦笑した。
『僕らもそろそろ出ます。もくれぐれも気をつけて。体調にもね』
「ありがとう。アレンくん達も気をつけてね」
『はい――あーちょっと待てアレン!オレまだ少ししか話してないさ〜!――ラビ!これ以上無駄話してたら、また神田に怒られますよっ』
向こうでモメる声が聞こえたものの、最後にはラビが代わり『また連絡するし、それまで気をつけて』と言いながら通信を切った。
危険なのはお互い様なのにかなりの心配性だ、とつい苦笑する。
「終わったのか?」
「あ、うん。ごめんね」
「……別に。が謝る事じゃねえ。遊び気分で連絡してきたバカ兎が悪い」
「またそんなこと言って……。何で仲良くできないかな」
神田の隣に並んで歩きながら苦笑すると、彼は素っ気ない態度で目を反らした。
これもいつも通りで神田は別に怒ってるわけじゃないと分かる。ただ任務に対して忠実なだけなのだ。
それもここ一年、彼を見てきたから分かる事だ。
「アレンくん達も無事にクロス元帥に会えるといいけど」
「あんなモヤシの事なんか知るか。オレ達はあのオッサンと合流する事だけ考えればいい」
「オッサンって……仮にも師匠でしょ」
「もう何年も会ってねーよ」
「そうなんだ……。私は……去年の今頃だったかなぁ……。いきなり教団に行きなさいって言われたの」
最初はそれが凄く不安なことのように思えた。でも……来てみれば皆、いい人たちばかりでホっとしたものだ。
「師匠……元気かな」
そう言いながら青空を見上げる。神田も同じように空を見上げ、眩しそうに目を細めた。
「あのオヤジの事だ。呑気に風景画でも描いてんだろ」
「そうだね。皆で会いに行ったら驚くだろうなあ……。デイシャやマリ、それに神田と一緒に師匠に会うのは初めてだし」
「……チッ。オレは会いたかねえけどな」
心底嫌そうな顔をする神田に私は笑った。
その時、木々の合間から真っ白い鳥達が羽ばたいて青い空へと消えていく。つかの間の平和。
後ろを振り返ると、愛すべきホームが、私達を見送ってくれているように見えた――――。