「ここに記した人物を削除して下さイ♡」
千年公にさらりと言われ、オレは長い一人旅に出るハメになった――――。
『どうでスカ?お仕事は順調に進んでまスカ?』
滞在するホテルに入って早速千年公へ連絡を入れたオレは、帽子を放り投げてベッドへとダイヴをした。
「ボチボチってとこかなー。今ホテルに着いたとこだし、少し休んでから今夜にでも探してみるよ」
『サボらないで下さいネエ♡ 吾輩はとっても急いでるんですカラ♡』
「サボってねーし。今めっちゃ削除生活よ、オレ」
ベッドに寝転び煙草の煙をくゆらせながら苦笑すれば、千年公は楽しそうに笑う。
こっちは大変だっつーのに、全く呑気な"社長"だ。
だいたいオレの割り振り多すぎじゃね?探し回るだけでも一苦労だっつーの。
『ではその街に何日か滞在して探すんでスネ?』
「んー。まあそうなるかも。ちょっと面白いもん見つけたしね」
ふと今朝の事を思い出しながら笑みを浮かべる。あれはオレにとっても予想外の出来事だった。
『面白いもの、とハ?』
千年公が早速食いついてきたが今は話せるほど確信もない。そこはテキトーに笑って誤魔化した。
「ま、ハッキリしたら報告するよ、シャチョー♡」
『嫌ですネエ、家族内で隠し事なんテ♡』
「だってオレにとったら運命的な出会いかもしれないのに確かめもせずアクマなんか送られて殺されても困るしねー。そこは見逃して♡」
『女、でスカ?仕事中に不謹慎ナ♡』
「それくらい大目に見てくれてもいーじゃん?オレ、最近はかなり真面目に仕事してるんだしさ♡」
オレの言葉に千年公も『仕方ありませんネエ♡』と苦笑いをこぼす。
結局はいつも通りオレの我がままが通るんだ。ま、千年公も本気で心配してるわけじゃないから同じことだけど。
『では引き続きお仕事頼みますヨ♡ ティキぽん♡』
そこで電話は切れた。
「・・・ったくその呼び方やめろって言ってんのに」
苦笑しながら受話器を戻し、再びベッドに寝転がる。
ここ数日はまともな場所で寝ていなかったせいか、一気に睡魔が襲ってきた。
「やべえ・・・。シャワー入りたいのに体が動かん・・・」
しばらくゴロゴロしながら例のカードを取り出しそこに載っている名前を見ていく。
ずらりと並んだ名前の中にはすでに×印がついたものがいくつかある。どいつもこいつも大ハズレだった奴だ。
「はあ・・・まだこんなに残ってんの?オレいつになったら人間の生活に戻れんだよ」
そうボヤきながらも今、この状況を楽しんでるオレがいて。
どちらの生活もあるからオレは退屈しないで済んでいる。
(ま、あの子とも再会できた事だし・・・当分は退屈しないで済むかな)
軽く笑みを浮かべカードを放ると、オレは静かに目を閉じた――――。
「よう!神田!!」
「デイシャ!」
待ち合わせ場所の駅前に行くとデイシャが笑顔で手を振っているのが見えて私は思わず走り出した。
……が、重たいトランクを持ったまま急に走ったせいで、その重みと勢いに耐えられなかった足が何かに躓き、体が倒れそうになる。
「わ――――っ」
石畳の地面が視界に入り、転ぶと思った瞬間、誰かが受け止めてくれた。
「ったく〜危ねえじゃん」
その声に顔を上げるとデイシャが苦笑交じりに私を見下ろしていた。
もう少しで地面に直撃だった私を受け止めてくれたらしい。
「あ、ありがとう」
「久々に会って綺麗になったと思えば・・・・相変わらずはドジじゃん」
「これでもマシになったの!」
落としたトランクを拾いながらデイシャをジトっと睨めば、彼は軽く肩を竦めて後ろから歩いてきた神田に声をかけた。
「よお、久しぶりじゃん、神田。思ったより来るの遅かったじゃん」
「アクマに邪魔されて指定時刻の列車に乗れなかった」
「ああ、オレもじゃん。奴らこの辺一帯に集まって来てやがる。やっぱ元帥を追っかけて来てるようじゃん」
「で?元帥はいたのか?」
「もうこの街にはいなかったじゃん」
「え、もう?じゃあどこに・・・・・」
すぐ師匠に会えると思っていた私は、デイシャの一言にがっくりと項垂れた。
「バルセロナに向かったらしいじゃん」
デイシャが溜息交じりで肩を竦める。
師匠がこの街にいると聞いてデイシャは早めに来たらしいけど、その頃にはすでに移動していたようだ。
神田は小さく舌打ちしながら「一足違いかよ」と目を細める。
「じゃあマリはどこにいる」
「マリもここに来るはずだったけど待っても全然来る様子ねーし先ずはオレ達だけでも元帥を追いかけようじゃん。マリも元帥が移動したのを聞いて先に行ってるかもだし」
デイシャは「ラグが馬車の手配しに行ってくれてんだよな」と言って私のトランクを担いで歩き出す。
「ちょっとデイシャ!私のトランク――――」
「足、挫いたんだろ?馬車まで運んでやるよ。――神田!に肩貸してやれじゃん」
「あ?何でオレが――――」
「い、いいよ!自分で歩けるし」
デイシャがそこまで気付いてた事に驚きつつ、目を吊り上げた神田が怖くて私はすぐに歩き出そうとした。
でもその瞬間、足首に痛みが走って軽くよろけると急に腕をつかまれた。
「か、神田?」
「ったく・・・・・荷物持って急に走るからだ」
「ご、ごめん・・・・・。あ、あの腕――――」
「馬車までだ。後でラグに言って湿布でも貼ってもらえ」
神田は仏頂面で言いながらも私の腕に自分の腕を掴ませゆっくりと歩き出す。
普段なら怒ってサッサと行くクセに、と内心突っ込みながらも大人しくついて行くと、そこへラグが馬車を借りて戻ってきた。
何とか中へ乗り込み痛む足を見てみれば、挫いたものの腫れはないようでホッとした。
「さん、これ貼っておいて下さい」
「あ、ありがとう」
幸運な事にラグが湿布を持っていたようでそれを受け取り足に貼っておく。
この様子なら明日には痛みも引いているだろう。
「これでよし、と」
「・・・・・戦う前から怪我してちゃ世話ねえな」
神田が意地悪な笑みを浮かべながら私を見る。それにはムッとしたけど何も言い返せない。
「は時々ドジるからなー。前も飲みすぎで足とられて人様んちの花壇に突っ込んでたじゃん」
「そ、そんな前の話、今しなくても――――」
ケラケラ笑うデイシャに私は顔が赤くなった。神田がいる時に余計な事を、と思いつつ隣を見れば案の定、冷たい視線と目が合う。
「あ、あの時はたまたま飲みすぎちゃって・・・・・」
「歩けなくなるまで飲むな」
「う・・・・・」
釣り目を更に細める神田は呆れたように舌打ちをした。
神田はお酒が強いらしく、前に「泥酔した事も二日酔いした事もねえ」と豪語してたのを思い出す。(未成年のクセになんて奴)
「だいたい任務中にいつも何してんだ、お前ら」
「任務が無事に終わった後の乾杯しただけじゃん。な?」
「う、うん・・・・・」
「下らねえ。ハメ外しすぎだ」
「何だよ、神田は任務完了の乾杯とかしねーの?」
「しねえよ」
神田は仏頂面のまま首を振る。それにはデイシャも苦笑いだ。そういえば任務中以外で神田と一緒に食事に出かけたことはない。
でもデイシャとは師匠と旅をしている時に何度か行動を共にした事があるし、同じ歳というのもあって気心が知れている。
そのせいか、合流した時には師匠と三人で時々食事に行ってはお酒を飲んだりしていた。
「ったく、神田は相変わらず怖いねえ。も大変なのと組まされたじゃん?」
「え?で、でも神田にはいつも助けてもらってるし・・・・・」
デイシャの言葉に口元が引きつりつつ――隣の人の顔が怖い――首を振ると、神田は溜息交じりで腕を組む。
「それよりマリを探すぞ。行く途中にいるかもしれねえしな」
「ああ、んじゃゴーレム辿りながら行っか」
デイシャは馬車の窓を開けて自分のゴーレムを飛ばした。
馬車はすでに街を抜け、海の近くを通ってるようだ。外からはかすかに潮の匂いが流れてくる。
師匠は海辺が好きで良く絵を描いていた。もしかしたらこの辺りにも立ち寄ったかもしれないな、とふと思う。
「どうだ?反応あるか?」
「うーん、かすかにノイズが聞こえるじゃん。もう少し行ったら歩いて探してみようじゃん」
デイシャはゴーレムに耳を傾け、軽く肩を竦めた。
通信機能もあるゴーレムは10キロ圏内ならば仲間の居場所も辿れるようになっている。
マリが近くにいれば何らかの交信があるだろう、とデイシャが言った。
「ところで・・・・・教団の奴らは元気?新人が何名か入ったんだって?」
「あ、そうなの。アレンくんっていう男の子とクロウリー、ミランダさん・・・・・」
「お♡ 女の新人ちゃん?可愛い?歳いくつ?」
「まだ会った事はないの。確か25歳って言ってたかなあ。何か凄くネガティブな人なんだってアレンくんが言ってたわ」
「いいじゃん、年上〜!オレがポジティブにしてやるし今度紹介してじゃん」
「・・・・・デイシャも相変わらずじゃない」
途端にウキウキしだすデイシャに思わず吹き出す。
確かにネガティブ思考のミランダさんとポジティブすぎるくらいのデイシャなら何となくお似合いかも、と思った。
「じゃあ今度デートでも誘ってみたら?」
「あーデートしたいじゃん!最近任務しかしてねえし・・・・ってかはどうよ」
「は?」
「教団行って、いい男の一人や二人は見つけたか?」
「な、何でそんな話になるの?」
動揺しつつ、そっと隣を見れば神田が仏頂面のまま腕組みをして黙っている。明らかに"下らねえ話しやがって"的な顔だ。
とはいえ移動中は暇なので以前はデイシャとこんな風に色々な話をしていた。
「何でって教団にはいっぱい出会いがあんじゃん?はガキの頃から元帥と旅してたんだし恋愛する暇なんかなかったろ」
「そ、そうだけど・・・教団に行っても任務遂行するのが精いっぱいで恋愛とか考えた事なかったし・・・・・」
と言いつつ、ふと思い出した。そういえば今回の任務に出る際、神田とこんな話をしたんだっけ。
あの時は神田に「恋愛したいのかよ」とあまりに似合わない質問をされ、癒される場所が欲しいと言ってしまった気がする。
本音を言えばあの言葉が本当の気持ちだ。これから戦争が始まろうとしている時に、と神田には怒られるかもしれない。
でもこんな時だからこそ寄り添える人が欲しい、とも思う。ただ現実的にはそんなものは遠い夢でしかない。
デイシャはそこまで考えていないのか、「へーもったいねえじゃん」なんて言いながら呑気に笑った。
「んじゃー神田は?何かいい出会いでもあった?」
私がつまらない答えをしたせいか、今度は神田にとんでもない質問をしている。
予想通り、神田は怖い顔で「下らねえこと聞くなっ」と顔を背けた。
「ったく神田も相変わらずの仕事中毒じゃん?」
「うるせえな・・・・・。少しは黙ってられねーのか」
苦笑するデイシャに神田は更に不機嫌そうな顔になっていく。けどデイシャはふと思い出したようにポンっと手を打った。
「あ!ってか神田はあれか。確か探してる女がいるんだっけ――――」
「っ?おい!!」
「・・・・・・っ?」
急に大きな声を出す神田に驚いて私は息を呑んだ。
見れば神田は普段以上に怖い目でデイシャを睨んでいる。明らかに本気で怒っている時の神田だ。
「そんな話・・・・誰に聞いた?」
「へ?あ、ああ・・・・・」
いつもと様子の違う神田の態度にデイシャもギョっとしたような顔で私をチラっと見ると、
「いや・・・・実は前に元帥とお前が話してるのマリが聞いてオレに教えてくれたっつーか・・・・・・」
「―――――っ」
デイシャが気まずそう応えると神田は舌打ちをして「二度とその話はすんな」と一言、言った。
普段なら不機嫌な神田をわざとからかうデイシャでもそこは素直に「分かったよ」と頷いている。
私は私で何も言えず、さっき以上に不機嫌な顔で目を瞑っている神田をただ見ていることしかできない。
デイシャもどうしていいか分からないと言った様子で黙ったままだ。そんな状況で何となく馬車内が気まずい空気になったその時。
デイシャのゴーレムが鳴りだし、マリのゴーレムを探知した事を知らせてきた。
「お、マリの奴この近くにいるっぽいじゃん。――――ラグ!馬車止めろ」
デイシャの言葉にラグは上手に馬を停止させ、私達は海の見える岩山だらけの道に降りた。
捻った足もだいぶ痛みが引いている。これなら自力で歩けそうだ。
「うわー久々の海だ」
下方を見れば青い海と浜辺が見えて、私は思わず笑顔になった。
なのに神田は「早く来いっ」といつもの怒り口調で一人先を歩いて行く。
私とデイシャは互いに顔を見合わせ、ラグにその場で待つよう告げてから歩き出した。
「何か知らねーけど、神田を怒らせちまったようじゃん」
「・・・・さっきの話?」
「ああ。ま、誰にでも知られたくない事の一つや二つあんだろーけど」
デイシャは溜息交じりで肩を竦めた。その言葉に私もふと自分の過去を思い出す。
以前神田には話したけど、私もそれまでは誰にも言えなかった。
「神田に探してる人がいるって・・・・・ホントなの?」
「ん?ああ・・・・。っつーか、実際聞いたのはマリだしオレも良く知らねーんじゃん」
「そっか」
さっぱり要領を得ないデイシャの話に私は溜息をついた。
「探してる人が女性だって神田が言ってたの?」
少し気になって訊ねると、デイシャは「うーん・・・・・」と首を傾げながら考えている。
「ってかオレが勝手にそう思っただけかもじゃん」
「何で?」
「5〜6年くらい前の事じゃん。その頃神田は無茶な戦い方ばっかしてやがってよ。任務途中で大量のアクマと遭遇して戦った後、
元帥が"そんな戦い方をしてたらいつか死ぬよ"って神田に注意してるのを、少し離れた場所にいたマリが聞いたらしい。
その後で神田が"オレは死なねえ。あの人を見つけるまでは・・・・"って独り言のように言ってたって」
ま、女だってハッキリ断言できるかっつったら分からねーけど、とデイシャは苦笑した。
「でも何となく女っぽいだろ?」
「え?あ、うん、まあ」
「それマリに聞いた時は意外過ぎて驚いたじゃん。あのストイックな神田が?ってな。だから覚えてたんだけど・・・・この話、あいつには禁句だったみたいじゃん」
デイシャはそう言いながら溜息をつく。確かに意外だ、と私も思った。神田にそんな人がいたなんて思いもしなかった。
神田もそんな話をするような人じゃないし当然だけど・・・・。そこでふと思い出した。神田と恋愛の話をしていた時の事を。
"今のオレには、んなもんねーよ"
神田は確かにそう言ってた。あの時、私はその言葉を聞いて、神田は過去に好きな人がいたんだなと感じたのだ。
神田は否定してたけど、あの時の私は彼の一言を聞いて直感でそう思った。
(でも何であんなに怒るんだろ・・・・・。ツラい別れだったとか?それとも相手が死んじゃったとか?いやでも見つけるまではって事は生きてるのよね)
そんな事をあれこれ考えながら歩いていると、前方から「おい!」という神田の大きな声が聞こえてきた。
「こっち来てみろ!」
その言葉にデイシャと顔を見合わせた。マリでも見つけたのかと走っていくと、神田は岩場の後ろから顔を出した。
「ど、どうしたの?そこに何が――――」
そう言いながら岩場の奥を覗きこむ。
「これ・・・・」
そこにあったのはファインダーの人達が普段から着ているコートだった。
しかしファインダーの姿はない。コートだけがその場に一着落ちている。
この状態という事はアクマに殺されたのだろう。
「チっ!朝にはここを通ってるじゃん・・・・・。完全にアクマに先手を取られちまったじゃん」
デイシャはコートの切れ端を拾うと、苛立ったように呟いた。どうやらアクマはバルセロナ方面へと移動しているらしい。
その時、神田がふと顔を上げ、デイシャと私に「伏せろ」と言った。
「いたたたっ!何すんじゃん?!」
「な、何?アクマ?」
私とデイシャの頭を押さえこんでる神田は岩場の陰から下の方を覗きこんだ。
「見てみろ」
そう言われて下を覗けば、浜辺に向かって長い雑草が生えている。その雑草がガサガサと揺れているのが分かった。
「何あれ・・・・・。アクマかな」
「行くぞ!」
神田はそう言って勢いよく下へと走っていく。デイシャと私もその後から続いた。僅かに足首が痛んだが、今はそんな事も言ってられない。
岩場を降り、雑草を抜けると浜辺が見えてくる。すると神田が不意に足を止め、目の前にいる存在を確認すると大きく息をついた。
「神田に・・・・デイシャとか?」
「あ・・・・マリ!!」
こちらに背を向けて浜辺にいたのは先ほど街で合流する予定だったノイズ・マリだった。
大柄な体格で、盲目ながら聴覚が鋭いエクソシストだ。
「いつまで経っても現れねえと思ったら、こんなとこでサボってたんじゃーん!通りで見つからないわっけじゃん――――」
「静かにしてくれ、デイシャ」
デイシャの言葉を遮ると、マリは耳につけているヘッドホンで何かを聞いているようだった。
彼の特殊なヘッドホンは遠く離れた地点の音を拾ったり、聞き分けたりすることが出来る。
マリはしばらくジッとしたまま音を拾っている様子だったが、神田が「どうだ?」と訊くと小さく頷いた。
「100・・・・。20・・・・。敵の数が多すぎて全部は聞き取れない。凄い数だ・・・・・。かなり遠い。夜にはバルセロナの街につく」
「おーいおい!夜までなんてどんなに走っても間に合わないじゃん!」
デイシャが頭を掻きむしりながら叫ぶのを尻目に、神田はマリの方へと歩いて行った。
「元帥は?」
「師匠も多分・・・・街の周辺に」
「くっそ!急ごうじゃん!」
とデイシャが一人で走り出す。それを神田が「待て」と止めた。
その声を合図にマリは静かに立ち上がると海の方へと歩いて行く。そこには小型の船が浮かんでいた。
「え、船なんか用意してたの?」
「この辺りに来てアクマの通った痕跡が多くあった。急がねばならないと用意していたので待ち合わせ場所には行けなかった」
マリはそう言いながら船へと乗り込んだ。私も上で待っているラグさんを呼んで荷物を持ってきてくれるよう頼むと、神田、デイシャと共に船へと乗り込む。
そこへラグさんが荷物を抱えて下りてきた。事情を説明すると、彼は慌てたように頷き私達のトランクを船へと運ぶ。
「私は他のファインダーと合流して馬車でバルセロナへ向かいます。皆さんはどうか急いで下さい」
「分かったわ。ラグさんも道中気を付けてね!」
「はい!皆さんもお気をつけて――――!」
次第に遠くなっていくラグさんに手を振ると、私は軽く息をついて空を見上げる。
まだ日は明るいが夜までにはバルセロナにつきたかった。
「マリ、間に合いそう?」
「間に合わせなければならない。あの数だとファインダーだけでは荷が重いだろう。師匠がいてくれたらいいが・・・・」
マリはそう言うとスピードを徐々に上げていく。私は祈るような思いで前方を見つめた。
100体以上のアクマが師匠を狙って移動してると思うと、やはり心配だ。
「千年伯爵は本気で元帥を皆殺しにする気みたいじゃん」
「そうね。他の班は大丈夫かな・・・・・」
「他の部隊のエクソシストも何人か殺されているようだ。さっき本部に連絡を入れたらコムイが言っていた」
「そんな・・・・・」
エクソシストまでがそんなに殺されているという事実に愕然とした。
伯爵やアクマとの戦いの中、最後の砦とも言われているエクソシストがそれほど簡単に殺されてしまうなんて思いもしなかった。
「ソカロ部隊やクラウド部隊のエクソシスト合わせて5名。しかもソカロ部隊の2名はイエーガー元帥と同じ死因だったそうだ」
「え、同じって・・・・・」
「体を開いた傷はないのに臓器の一つがまるごと取り除かれていたらしい」
「そんな・・・・・っ」
マリの説明を聞いてぞっとした。そんな殺し方は普通じゃない。アクマでもない。
(もしかして・・・・・ノア?)
神田やデイシャも同じことを感じたのか、互いに顔を見合わせている。
そこでアレンくんやラビ達の事を思い出す。――――彼らは無事だろうか?
「どうした?青い顔して」
不意に額を小突かれ顔を上げると、神田が意地悪な笑みを浮かべて私を見下ろしている。
「ビビったのか?」
「そうじゃなくて・・・・・。アレンくん達大丈夫かなって思って――――」
「・・・・チッ」
「・・・・だから何で舌打ちなのよ」
アレンくんの名前を出した途端、神田は仏頂面へと変わり、私は溜息をついた。
「モヤシの心配してる暇あんなら自分の心配しろ。足はもう大丈夫なのか?」
「え?あ、ああ・・・・多少痛むけど平気。皆の足を引っ張るようなことはしないから心配しないで」
「・・・・ふん。そんなもん最初から心配してねーよ」
「・・・・え?」
神田は驚いたように顔を上げた私の頭をつかみ、ぐりぐりと振り回す。
それはそれで痛かったけど、それよりも神田の言ってくれた言葉が嬉しかった。
信用してくれてるんだという事と、何気に足の心配をしてくれてた事が。
その時、マリがじーっと私達の方を見ているのに気付いた。(彼は盲目だから見えてはいないだろうけど)
「そう言えば・・・・さっきコムイに連絡入れた時に聞いたんだが――――」
「え?(嫌な予感)」
「と神田、付き合いだしたんだって―――――」
「付き合ってねえ!!!」
マリの言葉に神田は目を吊り上げ、私はまたしても軽い眩暈に襲われた。
教団本部を出発する際、それは誤解だと説明し、コムイさんも「そうだろうと思った」と言っていたのだから、あんな噂を信じているはずはない。
きっと面白がって真面目なマリをからかったんだ、と私は思った。(なんて迷惑な人なんだ)
「何の話じゃん?」
と、そこで事情の知らないデイシャが首を傾げている。
これ以上おかしな噂を耳にする人を増やしたくない私は、説明しようとするマリの口を慌てて塞いだ。
「何でもないの!下らない事だから気にしないで。ね?マリ」
「あ、ああ。何でもない。それよりデイシャ、師匠の足取りなんだが――――」
マリも空気を読んだのか、それとも神田や私の顔が怖かったのか(!)
そこは上手く誤魔化してデイシャの気を反らしてくれた。
「チッ!コムイの野郎・・・・・。帰ったら刻んでやるっ」
「この件に関しては私も止めない・・・・・」
額に怒りマークを浮かばせている神田に激しく同意する。コムイさんも今頃は殺気を感じてゾっとしているかもしれない。
「ところで・・・・バルセロナまではどのくらいで着くの?」
「あと5〜6時間ってとこだろうな。飛ばせば5時間切るかもしれない」
「そう・・・・。何とか間に合えばいいけど・・・・」
遠い海の向こうを眺めて溜息をつく。そろそろ相当な数のアクマがバルセロナに集結しているはずだ。
師匠はもちろんのこと、バルセロナに集まっているであろうファインダーの人達の事も心配になった。
「あの街で師匠に会えてれば問題なかったのに・・・・・」
そんな事を呟きながら、ふと彼の事を思い出した。
(そういえば結局ティキにジャケット返せなかったな。滞在すると思ってたらすぐ移動になっちゃったし・・・・)
時間があったら連絡して、と渡されたメモを見ればホテルの名前が走り書きされている。
(確か2〜3日いるって言ってたっけ。なら次の街で時間があればホテルに送ってもいいし・・・・・)
そう決めると少しは気も楽になる。今は戦争中だ。こんな時に普通の人と接触して巻き込んでもいけない。
私はメモをなくさないよう内ポケットにしまいファスナーを閉じた。
その時、全員のゴーレムがリリンと鳴りだした。光出したライトの色を見ればファインダーからの通信だと分かる。
『誰か――――近くにエクソシストはいますか!こちらバルセロナ――――』
途切れ途切れに聞こえて来たメッセージは一斉送信のようだ。受信できるくらいには距離が近づいたらしい。
「こちらノイズ・マリだ。どうした?」
『エ、エクソ・・・・スト?!こちらファ・・・・ンダー第33部隊のリトーと言い・・・・す!第34第35部隊共に・・・クマに襲撃・・・・』
「今そちらへ向かっている。あと数時間もすれば着く!何とか持ちこたえてくれ!」
『わ・・・・りました!・・・・ていま・・・・早く・・・・』
「くそっ。アクマのノイズに邪魔されている」
途中で通信が途絶え、マリは船のスピードを一気に上げた。
「少し揺れるぞ!、足は大丈夫か?」
「大丈夫!それより急いで!」
船の揺れが激しくなる中、私は振り落とされないようつかまりながら叫んだ。その時――突然視界が赤く染まった。
「・・・・神田!南西の空にアクマがいるわ!」
「チッ!あいつらもバルセロナに向かってるようだな」
「行かせねえ、じゃん!」
最初に攻撃をしかけたのはデイシャだった。
デイシャはフードの先のボールを外し、それを思い切りアクマ達の方へ蹴り飛ばす。――――隣人ノ鐘。
イノセンスが入ったドアベルは、発動すると鐘の音が鳴り響き、聴覚からアクマを内部破壊する。デイシャ用に作られた、対アクマ武器だ。
「1体、2体、3体っと!はっはー!ちょろいぜ!」
デイシャはそれを足で上手く操り次々にアクマを壊して行く。神田も六幻を発動し、界蟲一幻でアクマを破壊していった。
「他のアクマがこっちに気づいた!大群で押し寄せて来たぞ!」
「海の上じゃ不利だな・・・・。砲弾の的になる。――――3人で何とか持ちこたえてくれ!」
「了解!マリは操縦に集中して」
私もすぐに攻撃態勢へと入る。頭上にわんさかと集まって来たアクマはどれもレベル1程度で助かった。
アクマ達は私達を見つけるとすぐにボディを銃器に転換し始めた。
「来るぞ!」
神田が六幻を構え、叫ぶ。そしてアクマ達が銃を撃つ前に、私の両眼がアクマを捉えた。
「イノセンス発動――――!」
十字の形の光が辺りを包んで赤く染める。
その光に包まれたアクマ達は一斉に方向転換しバラバラに動き出した。幻覚作用でアクマ達には私達の姿が消えたように見えているのだ。
私の瞳が放つ光を一度見たアクマは脳内を破壊され、幻覚を見ながら壊されている事にも気づかず滅んでいく。
頭上にいた沢山のアクマは徐々に頭が膨らみ内部から粉々に砕け散った。
「ひゅ〜♪やるじゃん、」
「無駄話してる暇なんかねえぞ、デイシャ!」
更に飛んできたアクマ達を斬りながら神田が叫ぶ。デイシャも「はいはい」と苦笑しながらチャリティ・ベルを蹴った。
「っつーか、めちゃくちゃ多いじゃん!」
このアクマ達は何体いるのかすら分からないくらいに数が多い。前方後方から現れ、壊しても壊してもまた現れる。
神田は「面倒くせえ!」と怒鳴りながらも6体一気に斬り裂いた。
「こいつら私達を足止めに来てるみたい」
「チッ!キリがねえ・・・・っ!」
神田がそう言った瞬間――――彼の斬ったアクマの背後から銃弾が飛んでくるのが見えた。
目の前のアクマのせいで後ろのアクマが神田の死角になったのだ。
「神田!危ない!」
「―――――っ?」
私は思わず飛び出して神田を突き飛ばした。
「……!!」
アクマの銃弾が肩や太腿を貫通したのを感じた直後、体中にペンタクルが浮き出てくる。
アクマのウイルスが肉体に入り込んだのだ。一気に体が熱くなり痛みのあまりその場に崩れ落ちた私を神田が抱きとめた。
「バカ野郎!!何してんだお前!」
「・・・・大丈・・・夫。私は撃たれても毒では死なないから・・・・・」
寄生型のイノセンスを持つ私の体は、入り込んだウイルスを浄化出来る。
一度浮き出たペンタクルも今は少しづつ消えていった。
「だからって怪我はすんだろーがっ!この馬鹿!」
「バカバカって・・・・言わないでよ・・・・。それよりアクマ倒して・・・・・・神田」
「チッ!分かってる。お前はマリの傍で休んでろ!」
神田はそう言ってすぐにデイシャの加勢に戻る。私を撃ったアクマもすでにデイシャが破壊したようだ。
「大丈夫か?!」
マリが操縦しながらも心配そうに声をかけてくるのが聞こえて、私はかすかに微笑んだ。
「・・・・ごめんね、マリ・・・・。少し休めば何とか動ける・・・・」
「おい!?!」
毒の浄化に力を使いすぎたのか、急に意識が遠のいて私はそこで気を失った―――――。
所変わって中国―――――
「はあー!!遠いさ!めちゃ遠かったさー!!」
市内に入り、一同ホッとしたところでラビが叫んだ。
僕も同様の気持ちだったけど、ここから更に師匠を探し回らなければならず、休んでいる暇などない。
しゃがみこんでいるラビを無視して、僕達は賑やかな飲み屋街へと歩き出した。
酒好き女好きの師匠の事だ。絶対にこの辺りに出没していたはずだし誰か一人くらいは目撃している人がいるかもしれない。
「おーい!アレン!ちょっと待てさ〜!オレ腹減ったしー!」
「僕も減ってますよ!でも早く師匠を探さないと」
僕のコートを引っ張ってくるラビに一喝すれば泣きそうな顔でラビは俯いた。
「分かってるさ〜。でもその前に腹ごしらえ・・・・」
「あっちに肉まん売ってるよ」
ラビの嘆きに苦笑すると、リナリーは屋台を指さした。
その匂いにつられラビもやっと笑顔を見せると、「肉まんって何さ?」と首を傾げている。
「とりあえず軽めに食事して元帥を探すである・・・・」
クロウリーもお腹が空いた――彼の場合はアクマの血が欲しい――のか、力なく溜息をついている。
そんな仲間の姿に苦笑し、リナリーが肉まんを買って来てくれた。彼女は中国語も話せるので非常に助かっている。
「はい、アレンくんには50個」
「あ、ありがとうございます〜!」
ひどくお腹が空いていたのも事実。ほこほこ湯気の出ている肉まんに僕は思い切りかぶりついた。
「う、まーい!」
「はー生き返ったさ〜!」
ラビも肉まんを頬張りながら涙を流して(!)喜んでいる。
僕達は肉まんを食べながら繁華街を歩いて、目についた客引きや店の人に師匠の似顔絵を見せて回った。
その似顔絵にはリナリーが中国語で「この人知りませんか?」と書いてくれている。
「知らねーなー」
「見たことない顔だ」
数人に聞いて回ったけど、どれも帰ってくる応えは同じで僕は溜息をついた。
もうすでに夜になっているから宿も探さないといけない。
「あと一回聞いたら宿でも探しましょうか」
「そうするさ〜。お腹が満たされたら眠くなってきたさー」
ラビは欠伸を連発しながら再びしゃがみこんだ。こういう時、がいてくれると助かるんだけどな、とふと思う。
その時、ラビも同じことを考えていたのか、不意に溜息をついた。
「は元気なんかなあ。もう二週間以上、声を聞いてないさぁ・・・・・」
「今頃はスペイン辺りでしょうか」
「ちえーっ。めっさ遠いし!コムイに聞いてもユウからまだ連絡ないって言ってたしなあ。同行してるファインダーの電話番号も教えてくんねーし!」
「きっと宿を取らずに移動してるんでしょう。向こうは途中で他のエクソシストと合流するようですし」
「・・・・デイシャとマリだろ?まあマリは安心できるとして・・・・デイシャは危険さ〜」
「危険って何がです?」
ラビの様子に首を傾げながら聞けば、「と仲良しだから」とすぐに答えが返ってくる。
「仲良し・・・・?」
「そ。同じ師匠だろ?ティエドール元帥と行動を共にしてた時、デイシャも時々いたようなんさー。んで仲良くなったんだと」
「それから聞いたんですか?」
「そうさ〜。まあデイシャは人懐っこいから話しやすいんだろうけど」
「ラビも十分人懐っこいじゃないですか」
笑いながらそう言うと、ラビは不満げな顔で僕を見た。何だ、そのネガティブオーラは。
「、オレにはうるさいとか色々言うクセにデイシャの事は何も言わないし」
「ああ、それはラビがしつこく付きまとうから――――」
と、そこまで言って言葉を切った。ラビのたれ目が珍しく吊り上がってる。(神田みたいだ)
「どーせオレはウザい男ですよ・・・・。どーせウザ兎ですよ・・・・」
「え、いや僕は別にそこまで言ってないんですけど・・・・」
次第に落ち込んでいくラビを見ていると可愛そうになって来た。
明るいだけが取り柄(酷っ)のラビにネガティブオーラは似合わない。
どんどんヘコんでいく後ろ姿はミランダさんみたいだ(!)
「で、でもほら。最近はもラビに優しくなってきたんじゃ」
「・・・・どんな風に?」
「ど、どんな風にって・・・・。た、例えば・・・・例えば・・・・?」
何かあったっけ?とあれこれ思い出してみたが、これといって思い浮かばない。
ラビもそれに気づいたように今度はどんどん目が垂れていく。(もともとたれ目だけど)
「ほらー!ないんさー!全然ないんさー!」
「い、いや思い出せないだけで全然ないって事じゃなく・・・・」
って何で僕がラビを慰めてるんだろう?と若干の疑問を持ちつつ、笑って誤魔化す。
その時ラビの背後から忍び寄る影が見えて僕は思わず「あ」と声を上げた。
ごんっ!
「いだっ!」
「何をダラダラしとるか!」
「じじい!何すんさー!」
ブックマンに後頭部を一撃されたラビはその場にうずくまり頭をさすっている。まあこれもいつもの事だ。
「しゃべってる元気があるなら一人でも多くクロス元帥の情報を聞いてまわらんか!」
「へーへー。分かってますよー」
ばこっ!
「うぎゃっ!」
だれた返事をした瞬間、またしてもブックマンに殴られたラビを見ながら、僕は深い溜息をつきつつ最後の肉まんを口に放り込んだ。
「まだ食べたりない・・・・」
未だお腹が鳴っている僕は、さっきとは違う肉まん屋の前で立ち止まった。
その店で再び肉まんを買いながら、ふとその店主に師匠の似顔絵を見せる。これで知らないと言われたら今夜は諦めるつもりだった。
が、その店主は似顔絵を見た途端、親指を突き出し、
<あー知ってるぜ、そいつなら!おかしな仮面つけた赤毛の異人だろ?>(※中国語)
「むほっ?!」
中国語は分からないけど何か知っているというのはニュアンスで分かる。思わず肉まんを吹き出しそうになった。
<肉まんあと10個買ってくれたら教えてやるよ>
「ま、待って。中国語ちんぷんかんぷん・・・・。――――リナリー!このおじさん何か知ってるみたいなんですー!」
と、そこで言葉の分かるリナリーを呼ぶ。
リナリーが聞いたところによると、師匠はこの近くの妓楼の女主人の新しい恋人、という事だった。(なんて師匠らしい情報なんだ)
「――――で、この店ってわけ?」
教えてもらった場所につくと、全員で目の前の派手な門構えを見上げる。
ここはいわゆる"遊女"の方々がいる店で、女好きの師匠なら当然寄ったに違いない。
「しっかし派手な店だなー」
「ここの港じゃ一番のお店らしいよ」
「ついにクロス元帥を見つけたんか・・・・。長かった・・・・。てか遠かった・・・・」
ラビは先ほどのネガティブが吹き飛んだのか、瞳をきらきらさせて喜んでいる。でも、だけど。僕としては少々複雑だ。
「・・・・・(見つけてしまった・・・・)」
ラビのように手放しで喜べないのは過去のトラウマのせいだと思う。
しかしここまで来たら覚悟を決めなきゃ、と重い足取りで店の前まで歩いて行く。その時――――突然巨体が僕の目の前に現れた。
「待てコラ」
「――――ーっ(でかっ!)」
「ウチは一見さんとガキはお断りだよ」
そう言って拳をボキボキと鳴らす巨体に僕は唖然とした。
「ア、アレン・・・・こいつ胸あるさ・・・・。女だ・・・・!」
ラビは青ざめた顔で何気に失礼かつセクハラまがいな事を言っている。(幸い相手は中国人だからバレてない)
「ご、ごめんなさい!何かよく分からないけどごめんなさい!」
言葉は分からないけど彼女(?)が何か怒っている、というのは分かる。ここは素直に謝っておいた。
なのにその巨体は突然僕らの胸倉をガバっとつかみ、僕とラビは軽々と持ち上げられた(!)
「うわー!リナリー!!」
ラビが言葉の分かるリナリーを呼ぶ。リナリーも慌てて走ってくると、
<仲間を離して!私たちは客じゃないわ!>
と中国語で叫んだ。
が、その瞬間。その巨体が小さな声――しかも英語――で、
「裏口へお回り下さい。こちらからは主の部屋に通じておりませんので・・・・」
「・・・・へ?」
唖然とした僕を見て、その巨体な女性は自分の舌を出して見せた。そこには黒い十字架のタトゥーが入っている。
「我らは教団のサポーターで御座います」
その一言に僕とラビは互いに顔を見合わせた――――。
夢を、見ていた――――。
遠くの地でアレンくんやラビ達が大量のアクマと戦っている。
互いのイノセンスが呼応しあっているみたいに、私もその場にいるようなリアルな夢。
助けに行きたいのに、私の体は思うように動かなくて。ただ叫ぶ事しか出来ない。
そんな私をあざ笑うかのように黒い影が突然現れてアレンくんを捉える。
大きな口がにやりと笑って、その影はいとも簡単にアレンくんの左腕を、壊した――――。
「――――アレンくん・・・・!!」
意識が戻った瞬間、思わず叫んでいた。でも次の瞬間、体中に激痛が走りその場に倒れこむ。
「・・・・痛っ」
「さん!動いちゃダメです!」
「・・・・ラグ?」
ゆっくり目を開けると目の前にはファインダーのラグが心配そうに私の顔を覗き込んでいた。
「そっか・・・・私・・・・船の上でアクマの銃弾を・・・・」
「はい。ここに来る途中で意識を失われたと・・・・」
「それで皆は?!無事だったの?!」
「大丈夫です。3人とも無事ですから。ここはバルセロナですよ、さん」
そう言われて改めて周りを見渡す。今いるのはレンガ造りの小さな部屋だった。
良く聞けば外のあちこちから叫び声や攻撃音がしている。そのせいで嫌な夢を見たんだ、と思った。
「・・・・神田達は?」
「着くなりアクマとの戦闘になって今もこの街のどこかに・・・・」
「私も行かなきゃ――――つぅ・・・・っ」
「ダメですよ!そんな体で無理しないで下さい!毒は浄化されてますが撃たれた傷は深いんです」
「でも――――」
「大丈夫です。皆さんが頑張ってくれてますから」
起き上がろうとする私を止めながらラグは微笑んだ。
少し動くだけで痛みが走る。肩と足の傷は治療されてはいるけど歩くのがやっとの状態だ。
でもこんな状態でジっとはしていられない。その時、外の音が止んだ。
「静かになりましたね。この辺のアクマは全て倒したようです」
「でもまた次のアクマが来る……。――――そうだ、師匠は?ティエドール元帥はいたの?」
「いえ・・・・。バルセロナに向かったはずなんですが、まだ到着していないのか現れません」
「そんな・・・・。途中で襲われたんじゃ――――」
と、そこへドアが勢いよく開き、神田が部屋へ入って来た。
「気付いたか」
「神田・・・・!」
それを見たラグは「温かい飲み物でもお持ちしますね」と入れ替わりに部屋を出て行った。
少し疲れた様子の神田は溜息交じりでベッドの方へ歩いて来ると、
「傷の方はどうだ?」
「こんなの平気・・・・それより師匠が現れないって・・・・。どこかで襲われてるんじゃ――――」
「心配するな。これくらいの襲撃でくたばらねえよ。そのうち現れるさ」
神田はそう言いながら椅子に腰を掛けると、「お前は少し休んでろ」と仏頂面で私の頭を小突いた。
「・・・・デイシャとマリは?大丈夫なの?」
「この辺のアクマを全て壊して回ったから、それぞれ違う場所で休憩してる。今さっき無線が入ったし安心しろ」
「そう・・・・良かった・・・・。さっきも大丈夫だったのね」
「ちっとも良くねえ。無茶しやがって」
神田は怖い顔で私を睨んだ。船の上でのことを言ってるんだろう。
「だ、だってあの時は無我夢中で・・・・。神田は撃たれたらウイルスにやられちゃうんだよ?」
「お前は誰かが撃たれそうになったら、また同じように庇ってやるのか?そんなんじゃ命がいくつあっても足りねえだろが」
「でもあの時はああするしかなくて――――」
「余計なお世話だ」
「そんな言い方・・・・」
「ふん。オレのせいでお前に死なれたらバカ兎に何言われるか分かったもんじゃねえからな」
「神田・・・・」
口調はきついけど神田は本気で言ってるんじゃない、と気づいた。怒ってはいるけどそれは私を心配してくれてるからだ。
「ごめんね、神田・・・・」
「謝るくらいなら最初からすんじゃねえ」
神田はそっぽを向いていつものように舌打ちをする。でも私がまた「ごめん」と一言謝ると、「分かったから寝てろ」と溜息をついた。
そこへラグが紅茶を持って戻って来た。
「どうぞ」
「ありがとう。――――あ、ラグ。お願いがあるんだけど」
そこでふと気になっていたことを思い出した。
「何でしょう?」
「あのね。アレンくん達に電話をしたいの。番号とか分かるかな」
「ああ、本部に聞けば分かるかと。同行しているファインダーがいれば電話番号も分かるでしょう」
「ホント?じゃあ電話して聞いてもらってもいい?」
私がそう頼み込むと神田が「おい!」と怖い顔で私を見た。
「何でモヤシに連絡する必要があんだよ」
「ちょっと嫌な夢を見て心配になったんだもん・・・・」
「夢だあ?」
「うん・・・・。アレンくんの腕が――――」
そう言いかけた時。ラグの背負っている電話が鳴りだした。
「教団から連絡かも・・・・。――――はい、ティエドール部隊のラグです」
ラグは話しながら一度部屋を出ていった。
でも少しして慌てたように戻ってくると、ラグは受話器を私の方へ差し出した。
「え、誰から?コムイさん?」
「いえ、噂をすれば、です」
「え?」
「ウォーカーさんから電話ですよ」
「え!ホントに?!」
あまりのタイミングの良さに驚きながら、私はすぐに受話器を受け取った。
「もしもし!アレンくん?!」
『ですか?怪我をしたって大丈夫なんですか?!』
ラグから事情を聞いたのか、アレンくんは慌てたように訪ねて来る。
それでも久々に聞いたアレンくんの元気な声に私はホッと胸を撫で下ろした。
「大したことないから大丈夫だよ。そっちは大丈夫?怪我人とかいない?」
『こっちは全員大丈夫ですよ!それより神田をかばって怪我するなんて・・・・無茶しないで下さい!』
「う、うん・・・・ごめん、心配かけて・・・・」
神田に怒られ、まさかアレンくんにまで怒られるとは思わず、素直に謝った。
けどまた今日みたいなことがあれば、私はきっと同じことをするだろうと思っていた。
もう誰も傷ついて欲しくない――――。
でもそれはアレンくんだって同じで。だからこうして怒ってくれてる。その気持ちが嬉しかった。
『ホントに大丈夫ですか?』
「うん。それより・・・・アレンくん達は今どこ?」
『今は広州です。そこで教団のサポーターに出会って師匠の足取りを掴んだので、明朝、船で日本へ向かう予定ですよ』
「え、日本?」
『ああ、日本はの故郷でしたよね。どうやら僕の師匠は日本に向かったようで・・・・・』
苦笑交じりで応えながらもアレンくんの声がどんどん落ちていくのが分かり、私は軽く噴き出した。
探しに行ってはいるけどクロス元帥に会う覚悟はまだないらしい。
「そう。私達はバルセロナに着いたところなの。でもティエドール元帥に会えてなくて・・・・」
『そうですか・・・・。それは心配ですね。他のエクソシストには会えたんですか?』
「うん。マリとデイシャも一緒。今は神田がそばにいるよ」
言いながら神田を見れば不機嫌そうな顔で舌打ちをしている。
アレンくんも急に低いトーンになると『どうせ怖い顔で舌打ちしてるんでしょ』と溜息をついた。
さすがアレンくん。神田の性格をよく分かっている。
「まあ・・・・そんなとこ。あ、アレンくん」
『はい?』
「あの・・・・くれぐれも気を付けてね」
『どうしたんですか?僕なら大丈夫ですよ』
普段のように明るく笑うアレンくんの声に少しだけホッとしながらも、先ほど見たあの夢を思うと胸騒ぎがする。
その事を話そうか迷っていると、神田がイライラしたように受話器を奪った。
「ちょっと神田――――」
「おい、モヤシ!ダラダラくっちゃべってんじゃねえ!は怪我してんだ。用事がないなら切るぞ」
いつものように喧嘩越しで言うと受話器の向こうから『アレンです!』と怒った声が聞こえてくる。
これ以上は喧嘩になると私は慌てて神田から受話器を奪い返した。
「ご、ごめんね。大量のアクマと戦った後だから気が立ってるみたい」
「・・・・チッ!」
そっぽを向く神田を睨みつつアレンくんに謝ると『神田はいつも気が立ってますよ』と苦笑する声が聞こえて来た。
「そ、そうだよね。あ、ラビやリナリーは元気?ブックマンにクロウリーも」
『はい。みんな元気です。ラビは今出航の準備を手伝いに行ってます』
「そっか。じゃあよろしく伝えておいて」
『僕だけと話したってバレたら怒られそうですけどね。今電話しないとしばらく連絡できないので』
「うん。話せて良かった」
『僕もです。ああ・・・・ブックマンが呼んでいるようなので、そろそろ切りますね』
「うん。あ、あの・・・・ホントに気を付けてね!絶対に一人で戦わないで」
一向に消えない不安に、ついそう声をかける。
そんな私の気持ちを知らないアレンくんは優しい声で『こそ無茶しないで下さい』と言ってくれた。
『また元気なに会えるのを楽しみにしてます』
その言葉を最後に電話は切れた。通信が途切れただけの事なのに、何故か私の不安は膨らんでいく。
これが最後の会話だったらどうしよう。そんなことまで考えた。
「おい、!終わったなら寝てろ。傷、悪化させたいのか?」
「う、うん・・・・。あ、ありがとう、ラグ」
受話器をラグに返すと、私は素直に横になった。本音を言えば痛みはある。
でも今は不安の重みでそれどころじゃない。神田はそんな私の様子を見て訝しげに眉を寄せた。
「お前はモヤシのいったい何を心配してんだ?たかが悪夢見たくらいで」
「だ、だって・・・・!凄く嫌な夢だったんだもん・・・・。不気味な影がアレンくんのイノセンスを壊すの・・・・。だから――――」
「バカじゃねえの?モヤシが簡単にやられるようなタマかよ。お前は余計な事は考えずに休んでりゃいいんだよ」
「・・・・またバカって言う」
「バカだろ、実際」
その言い方にムッとして睨んでも神田はしれっとした顔で紅茶を飲んでいる。
その態度はムカつくけど、でも嫌いじゃない。神田の毒舌にホッとしてるなんて、かなり洗脳されてる気がする。
と、そこへ他のファインダーが走りこんできた。
「ま、またアクマの大群が押し寄せて来ました!」
「チッ!またかよ。いったいどれだけの数を送り込んでやがんだ?伯爵のヤロー」
神田はそう言いながらすぐに立ち上がると、
「はここで寝てろ。オレが戻るまで部屋から一歩も出るな」
「神田・・・・」
「何かあったら無線ゴーレムで知らせろ」
それだけ言うと神田はすぐに部屋を出て行った。ラグもその後から着いて行く。
今はエクソシストが3人しかいないのだ。ファインダーの人達も援護するのは大変だろう。
「・・・・何でこんな時に・・・・」
痛む肩や足を見ながら溜息しか出ない。それでも神田達の事が心配で私は自分のゴーレムを飛ばすと外の音を聞いてみた。
『・・・・ちも大群のアクマが浮かんでるじゃん。そっちは?・・・・』
『こっちも同・・・・だ。殆どがレベル1と2だな・・・・』
周波数が合って来るとデイシャやマリの会話が聞こえてきてホッと息をついた。
レベル1や2であれば3人で簡単に破壊できるだろう。外からは再び悲鳴や爆撃音が響いてきて、私はゆっくりと体を起こした。
「ラグさん!いる?外はどうなってるの?」
ドアの方へそう声をかける。でも返事はなく、近くには誰もいないようだ。
「そりゃそうか・・・・。ファインダーのみんなも走り回ってるよね・・・・」
大人しくしていろ、とは言われたが、外の様子が気になってやはり落ち着かない。
私は痛みをこらえてベッドから下りると部屋のドアを開けた。
「ここ・・・・お店だったんだ」
店内と見られるそこは雑貨屋なのか色々な品物が飾られていて、住人は避難したのか誰もいない。
ファインダーの人達が無人の店を借りているようだ。
足を引きずりながらも何とか外へと続くドアを開ければ路地裏のような場所に出た。
「ここ・・・・街のどの辺なんだろ」
外はすでに暗く青白い月が見える。その月明かりの中に見える黒い点は無数のアクマ達だった。
「なんて数なの・・・・。これじゃ街が破壊されちゃう」
表通りの方からはファインダーの人達の怒鳴り声や悲鳴が聞こえてくる。
私は撃たれた足を引きずりながらも声のする方へと歩いて行った。
その時、無線ゴーレムがデイシャの声を拾った。
『・・・・ら減ったな・・・・』
『あ?何言ってやがる』
そう応えたのは神田の声だ。デイシャの方はノイズが入り少し聞き取りにくい。
『音、悪いな。デイシャ』
そう言ったマリの声は綺麗に聞こえてくる。どうやら全員無事のようで私はホッとした。
『・・・・ったくもー。最近調子わりぃじゃん。オレの無線ゴーレム』
『お前らどこにいる?』
『・・・・デケェ変な塔から東に3キロくらい?』
『私は西5キロといったところだろう』
『チッ!オレは南だ。めんどくせ・・・・』
いつもの神田の舌打ちを聞きながら私も空を見上げてみる。
割と近い場所にデイシャの言う"でかくて変な塔"が見えた。どうやら私の今いる場所はデイシャに一番近いところのようだ。
『・・・・長い夜になりそうじゃん、こりゃ・・・・』
『アクマ達のノイズがあちこちで聞こえる・・・・。奴らの密集区に入ってしまったな』
『集まろう。10キロ圏内ならゴーレム同士で辿れる』
『・・・・じゃあオイラと神田でマリのおっさんとこ集合って事で!』
『時間は?』
『夜明けまでだ』
『・・・・オッケー』
神田の声にデイシャが応える。その後すぐに戦闘の音が聞こえて来た。
どうやら3人の周りにはアクマが大量に押し寄せているようだ。
私は3人の会話を聞きながら少しづつ歩き出していた。神田には怒られるかもしれないけど、やはり大人しく寝ているなんて出来ない。
派手な戦闘は出来ないけど、私のイノセンスならそれほど動かなくてもアクマを破壊出来る。
その時、無線ゴーレムからデイシャのチャリティ・ベルの音が聞こえて来た。
それも反響して聞こえているから近くでデイシャが戦闘しているという事だろう。
『・・・・音波に寄る内部破壊じゃん。小せえからってバカにすんなよ。――――鐘になっちまえ!』
デイシャの声に続いて、リンゴーンという鐘の音がする。それが建物に反響して聞こえて来た。
「あの建物の向こうにいるみたいね・・・・」
少し歩いただけで息が切れたが、私は何とかデイシャのいる方向へと足を進める。
太腿の傷が痛んだけど、ここまで来て引き返すのは嫌だった。その時――――ドゴンっという壁を壊すような音が近くでして、私は足を止めた。
「デイシャ・・・・?」
もう近くまで来ていたらしい。私は痛みを堪えて歩くスピードを少しだけ上げた。
『・・・・あん?何でこん・・・・とこに人間が・・・・』
その時、ノイズに混じってデイシャの声が聞こえて来た。神田やマリと話しているわけじゃない。
『・・・・エクソシストか・・・・』
無線ゴーレムからは知らない男の声が聞こえて来る。
「誰・・・・?」
ノイズがひどくてハッキリとした声は分からないけど、やはりデイシャは誰かと話している。
街の人は非難しているはずなのに。何となく嫌な予感がして私は声のする方へと歩いて行く。
『・・・・怪しい奴だ・・・・。何者だぁ?』
『・・・・ただの通りすがり・・・・気にしないでくれ・・・・』
『・・・・待て・・・・よ!』
デイシャが怒鳴ったかと思うと、チャリティ・ベルを蹴る音がかすかに聞こえて来た。
だけどデイシャが街の人に向けて攻撃するとは思えない。
「もしかして・・・・アクマ?」
そう呟いた瞬間――――
『・・・・っかく我慢・・・・・して・・・・のに。―――――我慢の、限界だ』
冷たい声がハッキリと聞こえた。
『――――っ?その顔色・・・・額の傷・・・・。お前・・・・ノアの一族・・・・っ』
デイシャの驚くような声がその名を告げた瞬間、私は小さく息を呑んだ。
「ノア・・・・ですって?」
―――まさか!そう思った瞬間、私は足を引きずりながらも走り出した。痛みがあろうが傷口が開こうがどうでも良かった。
今のが聞き間違いでなければデイシャが今、相対しているのはノアの一族だ。胸の奥がざわざわと鳴りだし、嫌な汗が額を伝っていく。
(ダメだよデイシャ・・・・。一人で戦うには危険すぎる!)
以前、アレンくんがノアの少女から受けた傷を思い出し私は必死に走った。まさかこんな場所でノアと遭遇するなんて――――最悪だ!
『・・・・だったらどうする?』
『ちぃっ!・・・・チャリティ・ベル!!発動――――』
ノイズの合間に聞こえるデイシャの声。ノアに攻撃を仕掛けている。
時々声が途切れて聞こえなかったが、目の前の建物の反対側からチャリティ・ベルの音が響いてきた。同時に窓ガラスの割れる音――――。
『・・・・終わりだ!ノア!』
すぐ近くでデイシャの声がした。
(デイシャはこのビルの向こうにいる!)
そう思って走り出した瞬間、突然視界の色が変化して私は足を止めた。
「何・・・・?こんな時にまた・・・・・!」
アクマの反応じゃない。今の視界は深い緑色に変化している。あの夜と同じだ、と感じたその時――――。
『・・・・終わりはどっちだ・・・・?・・・・』
『・・・・う、わぁぁぁぁぁっ――――』
「デイシャ・・・・!!」
静かなビル街にデイシャの悲鳴が響いて私は思い切り走った。怪我の痛みで転びそうになりながらも必死にデイシャのいる方向へと向かう。
そして角を曲がり黒い人影を瞳が捉えた瞬間、緑色に変化した視界が更に濃くなった気がした――――。
『・・・・殺すのって・・・・楽しい・・・・』
「デイシャ!」
無線ゴーレムからも聞こえる悲鳴と、ノアの不気味な声。
それを振り切るように叫ぶと、黒い影が私の方へ振り向いた。
「・・・・あれ、もう一人いたんだ。しかも女のエクソシストってのは初めて見る」
「―――――っ」
振り向いたのは長身の男――――。
遠目で顔は分からないが、男の目の前には街灯に逆さまの状態で張り付けられたデイシャの姿。
その恐ろしい光景に私は瞳を見開いた。
「デイシャから離れて!!」
「・・・・そ・・・・の声・・・・、バカ、野郎・・・・。何で来た・・・・?」
「デイシャ!」
私に気づいたのか、デイシャが掠れた声で応えるのを見てまだ生きている、とホッとしたのもつかの間。
男はデイシャのイノセンスを拾うと、それを一瞬で消滅させた。
「やめて――――」
「黙って見てなよ。女のエクソシストさん。怪我してるようだし無理は良くない」
男はそう言って小さく笑う。男の手のひらにはいつの間に出したのか、黒い蝶が乗せられている。
そしてその蝶をデイシャの胸に押し付けた。
「何を・・・・やめて!!」
思い切り走った瞬間、傷の痛みで力が抜けその場に倒れこんだ。それでも何とか体を起こし2人の方に歩いて行く。
傷口が裂け、そこから血が溢れ出てくるのが分かる。足に力が入らずにガクガクと震えている。
「く・・・・来るな・・・・っ!」
デイシャが声を絞り出すように叫ぶ。でも、だけど――――この場から逃げるわけにはいかない。
(イノセンス・・・・発動しなきゃ・・・・デイシャが殺される――――!)
そう思った瞬間、瞳の奥がビリビリと痺れだし私は思わず目を瞑った。視界の色は緑色のまま。
いつものように発動しているのにそれは変わらない。
「どうして・・・・?何でこんな時に色が変わるの・・・・っ」
痺れは次第に瞳全体へと広がっていく。そんな私を尻目に、ノアの男は自らの体を宙に浮かしデイシャの胸に手をかざした。
「やり残したことはないかい?」
「別に・・・・ない・・・・じゃん・・・・」
「そうか」
痺れのせいなのか、瞳が霞んで良く見えない。助けに行きたいのに足が思うように動かない。
全身の力が抜けていくのを感じて膝をついた時、男はデイシャの胸にあてた手を、そのまま強く押し込んだように見えた。
「う、ああぁぁぁぁっ!!」
「デイシャ・・・・!やだ、やめて――――!」
デイシャの悲鳴。私の叫び声。それらが街に反響する。強い光が前方から見えて私は思わず顔を背けた。
呼吸がどんどん荒くなる。嘘だ。こんなの悪い夢だ。頭が混乱して少しも動けない。私の目の前で、デイシャが―――――。
「さて、と。次はお嬢さんの番かな?」
「―――――っ」
気付けばデイシャの声は途絶えていて、静寂の中に男の声が冷たく響く。
ゆっくりと顔を上げれば黒い影が私の前に立ちはだかっていた。
月明かりを背に立っている男の顔は、影になっていて良く見えない。
なのに、男の恰好には見覚えがあるような気がして、それに気づいた時。心臓がどくんと大きな音をたてた。
「君はアレン・ウォーカーがどこにいるか知って・・・・ってっあれ?君・・・・」
不意に男がしゃがんだ。さっきよりもずっと近くに男の顔がある。
(黒いハットと黒のコート・・・・。そして――――この、声)
うっすらと見えた男の顔に、私の思考は一瞬で凍り付いた。
「もしかして・・・・・?」
「―――――っ?!」
男の声が私の名を呼ぶ。頭では分かっているのに理解できない。何故、どうして――――。そんな言葉ばかりが頭に浮かぶ。
その男――――ティキは私の顎を持ち上げて、驚いたように目を見開いた。