「か~んだ」
そう言って鍛錬場に顔を出すと、神田は目をつむったまま座禅を組んでいた。
返事をする気配もなく、私はもう一度、彼の名を呼んだ。
「神田・・・?」
「・・・何だ」
目を開ける事なく、いつもと同じように不機嫌そうな返事をする神田に思わず苦笑しながら中へ入ると、彼の隣に座り、私も同じように座禅を組む。
そこで初めて神田は薄目を開けて訝しげな視線を私に向けた。
「何してる・・・」
「何って・・・神田と同じこと」
「・・・さっき任務で疲れたから寝るつってなかったか?」
「部屋に戻って寝ようとしたけど眠れなくて。任務後って毎回気分が高まって眠れないのよね」
「だからって何でココに来る」
「私の自由でしょ?」
「・・・・・・ッ」
澄ました顔で応えれば、神田の口元が僅かに引きつった。
「神田の傍は静かだから・・・こうしてても誰にも邪魔されないし」
怒鳴られる前に本音を言えば、小さく舌打ちが聞こえて私は小さく笑いをかみ殺した。
「神田の邪魔はしないから」
「フン・・・勝手にしろ」
神田はそう言うと、再び目を瞑った。
私も同じように目を瞑り、しばし静寂が鍛錬場を包む。
いつも騒がしい教団内の声や音も、ここだと遮断され、私と神田以外、誰もいないような、そんな気持ちになる。
「・・・・・・・・・」
暫く目を瞑っていたが、何となく薄めを開けて隣にいる神田を見る。
彼は先ほどと同じく目を瞑り、黙ったまま動く気配もない。
この静かな空間を、私は気に入っていた。
他の誰も持っていない神田の持つ、独特の空気――――――。
こうして黙ったまま言葉を交わさなくても傍にいられる唯一の存在だと思う。
(そう言えば・・・神田はいつから教団にいるんだろ・・・?かなり前からいる、と前コムイさんがチラっと話してくれたけど・・・その経緯は聞いてない・・・)
彼の整った横顔を眺めながら、ふと、そんな事を考え、今更ながらに神田のことを何も知らない自分に気づく。
先日、任務途中に雨宿りをしていた時、私は自分の過去を初めて神田に話した。
あの時は私が一方的に話しただけだったが、神田は黙って聞いてくれていた。
(今度・・・神田の話も訊いてみようか。でも何となく答えてくれなさそう・・・)
何でお前に話さなくちゃいけねえんだ?なんて言って怒り出すに違いない。
そんな事を考えながらジっと神田の横顔を見ていると、その切れ長の瞳がぱちりと開き、ドキっとした。
「・・・ッ?な、何見てんだよっ」
私の視線に気づいたのか、神田はこちらを見た瞬間、徐に顔をしかめた。
でもその表情とは裏腹に、頬が僅かに赤く染まっているところを見れば、何気に照れているようにも見える。
「別に・・・綺麗な顔だなあ・・・」
「は?」
「と思って見てた」
「チッ!バカか、お前」
素直に感想を言っただけなのに、神田はギョっとしたように口元を引きつらせた後、いつものように舌打ちをして顔をそらしてしまった。
でもやっぱり少し頬が赤いのは気のせいじゃない。
(ふ~ん・・・神田でも照れることあるんだ・・・。凄く意外・・・)
神田の思わぬ反応にちょっと驚きながら、私は笑いをかみ殺した。
「何笑ってんだよ・・・?」
「べ、別に・・・笑ってなんか――――――」
「声が震えてんだよッ」
神田は珍しくムキになって私の方を睨んでくる。
でも、そんな彼を怖いと言うより、何故か可愛い、なんて思ってしまった。
口が裂けても本人には言えないけど――――。
「だって神田ってば怒ってないのに怒ってるフリするんだもん」
「あぁっ?!」
「ほらーすぐ怖い顔する。もっと優しい顔すれば絶対モテるのに」
「うるせぇ!つか邪魔しないって言ってなかったか?!」
ますます目をつり上げる神田の言葉に「そうでした・・・」と舌を出して笑えば、彼は不機嫌そうな顔で目を瞑る。
でも、それは本気で怒ってるんじゃない。
ここ最近、任務などで組む事が多く一緒にいる時間が長いからこそ、気づいた。
「・・・ねえ、お腹空かない?」
「・・・静かに出来ねえなら部屋に戻れ」
溜息交じりで神田が舌打ちした瞬間、私と、そして何故か神田のお腹までが鳴り、私たちは同時に目を開けた。
「ぷっ。神田もお腹空いてるんじゃない」
「・・・うるせえな!が飯の話をするからだろ?」
「私はお腹空かない?って訊いただけだもん」
笑いながらも言い返すと、神田は「ぐ・・・っ」と言葉を詰まらせ、「ああ言えばこう言う・・・」と恨めしそうに呟いた。
「それはお互い様でしょ?」
「うるせぇ!ったく・・・行くぞ!」
神田は呆れたように怒鳴ると、不意に私の腕を引っ張り立ち上がった。
「え?」
「・・・腹・・・減ったんだろ?」
「・・・うん」
「あ~ダメだ・・・。一度メシのこと思い出すと、すげぇ腹減ってきた・・・」
お前のせいだ、と神田は言って、私の額を指で軽く押しながらも、僅かに口元を緩めた。
それは普段滅多に見せることのない、神田の素顔のような気がした――――。
一度記憶が戻り始めると、忘れかけていた事まで思い出してしまう。
あの時の神田の表情一つ一つが、頭の中に浮かんでは消えた――――。
「なあ、・・・さっきから何してんの?」
すぐ傍でティキの声がして、私はゆっくりと目を開けた。
「座禅」
「は?座禅・・・?何それ」
ティキは意味がわからないのか、困惑したような顔で私を見ている。
前にポルトガル出身だと話してたから、それも仕方のない事かもしれない。
「姿勢を正して坐った状態で精神統一を行うことよ。教団で時々やってたの。修行みたいなもの」
「へぇ~」
意味がわかっているのかいないのか。
ティキは不思議そうに首をかしげていたが、不意に「オレもやろ」と言って、私の隣に座った。
「・・・出来るの?」
「さあ?ってか足の組み方難しくない?どうやってんの、それ――――わっ」
ティキは見よう見まねで座禅を組もうと足を持ち上げたが、バランスを崩して後ろへひっくり返っている。
それを見た瞬間、思わず吹き出した。
「それ結構難しいのよね」
「あ~かもね。オレ、身体硬いのかな・・・」
「ティキは煩悩だらけっぽいから座禅の練習でもすれば?」
「うわぁ~何それ。酷くねェ?」
ティキは私の言葉に苦笑しながら普通に座り直すと煙草に火を付け、ふわりと煙を吐き出した。
「ま、でもオレのノアは快楽だから、当たってるっちゃ当たってるか」
「あ・・・そっか」
彼のノアメモリーを思い出し軽く吹き出すと、ティキは不意に私を見た。
「そういやさ・・・。のメモリーって?オレ、まだ聞いてなかった」
「ああ・・・」
ティキに言われて、私は自身のノアメモリーを思い出した。
今ではノアとしての精神が戻っている。
エクソシストだった時は謎だらけだと感じていた事も、ノアとして覚醒してからはパズルのピースが揃っていくように何もかも思い出していた。
「私のメモリーは"癒やしと苦痛だよ」
「へぇ・・・それって何かみたいだな」
「え?」
「癒やしと苦痛・・・相反するイノセンスとノアを持つにピッタリなんじゃない?」
「あ・・・・・・」
ティキの言葉に、私も同じ事を感じて、僅かに苦笑した。
肉体は一つなのに、心が二つあるなんておかしな話だと思った。
「それより・・・だいぶ体調・・・というか記憶の方が落ち着いて来たみたいねぇ」
「・・・・・・時々・・・さっきの息苦しさが襲ってくるけどね」
「まあお前みたいに今の自分の感情を強く残したまま、ノアの記憶と融合する事じたい珍しいみたいだからな」
「そう、なの・・・?」
「オレは覚醒した直後から前の自分の感情よりノアの自我みたいなもんが強くなったな、確か」
「そうなんだ・・・。じゃあ、こんなに混乱する事、なかったのね」
「まあ、オレも人間としての生活も楽しんでるけどね。みたいに、そんなにツラくは・・・。ああ、だから座禅・・・?」
ふと気づいたように訪ねてくるティキに、私は小さく頷いた。
「・・・・・・沢山の・・・過去と今の良くわからない感情みたいなものが一気に溢れてくるからうるさくて・・・」
覚醒してからは愛憎が入り交じった記憶に溢れ、どこか気持ち悪い。
ノアの記憶を移植されているのだから、当然ノアの感情の方が強く、
エクソシストだった頃の記憶がノアの大きな波に飲み込まれてしまうような感覚にも陥る。
自分であって自分ではない、そんな不快感―――――。
「・・・?大丈夫か?」
気づけばボーっとしてたらしい。
不意に肩を抱き寄せられ、私は小さく息を呑んだ。
「うん・・・大丈夫」
「ほんとに?」
ティキはどこか心配そうな顔で私の顔を覗き込んでくる。
その整った顔を見ながら、ふとさっきのティキの言葉を思い出していた。
言ったろ?お前がどっちでもいいって。お前がどっちだろうと・・・オレは・・・エレナの傍にいたい――――。
憎くて仕方なかった男なのに、それと同じように愛情を感じているのはノアの記憶のせいだろうか。
ノアとして転生したものは実際に血の繋がりなんかない。
それでも互いを必要とし、本当の家族に感じるような愛情すら抱くのだ。
それは何千年経っていようと消えないノアの、記憶。
そんな事を思いながらティキの体温を感じていた。
壊れ物を抱くように私を抱きしめるその腕を、懐かしいとさえ感じる。
その時、不意に影が落ちて頬に口づけられた。
「な、何・・・?」
「まだ慣れない?」
ドキっとして見上げる私に、ティキはどこか余裕のある笑みを浮かべている。
ノアの記憶があるとはいえ、実際にこの世界で生きてきた私にはこんな事すら免疫がないのだから慣れるはずなどない。
それが・・・少しだけ悔しく感じた。
「あ、相変わらずね・・・そういう意地悪なとこ」
「へぇ・・・オレ、昔も意地悪だったんだ」
「し、知らない・・・。ただそう思っただけで」
「ああ、それともがエクソシストの時に会ったオレのこと?」
ティキは苦笑気味に言うと再び顔を覗き込んでくる。
互いの顔があまりに近くて鼓動が跳ねたが、彼にはバレたくなくて僅かに顔をそらした。
「・・・そうかも・・・」
「オレ、意地悪だった?」
優しい笑みを浮かべ、綺麗な形の指で私の顎を持ち上げるティキに、今度こそ心臓が音を立てる。
彼はゆっくりと唇を近づけてきて、その間も妖しい光を持つ瞳は私を見つめていた。
「、顔が真っ赤。可愛い♡」
「・・・・・・っ」
「邪魔者もいない事だし・・・キス、してもい?」
「――――――ッ」
至近距離で見つめられ、そんな事を言われると顔全体が熱くなるのがわかる。
先ほど千年公に呼ばれた双子が戻ってこないかとドアの方へ視線を向けたところで、ティキには効果もないようだ。
「大丈夫・・・双子はクロス追えって言われてるだろうから・・・戻ってこないよ」
「・・・ちょ、ダメ・・・」
もう少しで唇と唇が触れあいそうなほどの距離に、ティキの顔がある。
私は無駄な抵抗と知りながらも体を動かしてみたが強く腰を抱きよせられているせいで、大した距離を取れなかった。
そんな私をティキは愛おしそうに見つめている。
前の私ならきっとどうにかして彼の腕から逃れようと暴れたりしたのかもしれない。
でも今は記憶が邪魔をして全く体が動かず、まるでヘビに睨まれたカエルの気分だ。
「あ、あの・・・」
「ん?」
「え、えっと・・・」
「うん」
「・・・ダメ」
何とかそれだけ言葉に出すと、ティキは一瞬目を丸くして、その後小さく吹き出した。
「ぷっ・・・ぁはは・・・!」
「な、何がおかしいのよっ」
いきなり笑われ、顔が赤くなるのがわかった。
それでも肩を震わせながら笑うティキに、思い切り目を細める。
「ダメって・・・か~わいいんだけど」
「そ、そんなに笑わなくてもいいでしょ!いくらノアの記憶が戻ったからって今の私はまだ・・・っ」
そこまで言って言葉に詰まる私を見て、ティキはふと真剣な表情を見せた。
「まだ・・・オレのことを許してない・・・って事か」
「・・・・・・・・・ッ」
「図星だ」
ティキはそう言って息を吐くと、少しだけ微笑んだ気がした。
心の中を見透かされたような、そんな気がして思わず視線をそらせば、ティキは私を解放してがっくりと頭を項垂れている。
「だよなぁ・・・。やっぱ、まだ早いか・・・」
まだ早い――――。
そう、全て忘れてしまうくらいの時間など経っていない。今の私には。
エクソシストの記憶を思い出せば、こうして彼と一緒にいることさえ罪悪感に変わっていくのだ。
そんな気持ちが伝わったのか、ティキは優しい笑みを浮かべると、その大きな手を私の頭に置いた。
「そんな顔すんなって」
「・・・・・・・・・」
「オレだけ余裕ないみたいで恥ずかしいじゃん」
「・・・ティキはいつだって余裕だったじゃない」
「そう見える?」
困ったように微笑む彼に頷けば、ティキは「はあ」と小さく息を吐き出した。
「まだわかってないねぇ、オレのこと」
「え・・・?」
「オレ、の前じゃ、いつだって余裕なんかなかったけど?」
「・・・・・・ティキが?」
「そ。何かといると調子狂うんだよね~」
そう言って笑うと、ティキは煙草を吸いながら天井を仰いだ。
「ま、この先まだまだ長いんだし?待つ事にするよ」
「待つ・・・?」
「そ、ノアのがオレを求めてくれる日まで、ね」
ティキはそう言って素早く私の頬へキスをした。
「ちょ・・・」
「え、ほっぺもダメなの?」
思わず身を引くと、ティキは「それは多めにみてよ」と苦笑している。
でも不意に真剣な顔で私の顔を覗きこむと、
「ってか、さっきから気になってたんだけどさ」
「な、何・・・?」
「"カンダ"って・・・誰?」
「えっ?」
思いがけない名前を出され、私は普通に驚いてしまった。
「だ、誰って・・・」
「さっき・・・エクソシストの記憶が戻った途端、すぐ口にしてたからさ・・・。誰か気になって。まさかとは思うけど――――の恋人?」
「こ・・・っ?恋人じゃないわよ・・・っ!神田は私の・・・っ」
「・・・私、の?」
言葉を詰まらせる私を見て、ティキは僅かに眉を上げると不機嫌そうな声で訊いてきた。
そんな顔をするほどの事じゃないのに、と思いながら軽く息を吐くと、「ただの・・・同僚!」とだけ言って顔を背ける。
でもティキは納得いかないといった表情で目を細めた。
「同僚~?じゃあ"カンダ"はエクソシストってコトね」
「うん・・・そう」
「でもただの同僚の名前を記憶戻った瞬間に口にするか?」
「だ・・・だって神田とは長い間一緒に任務に出てたし・・・」
「ふ~ん。長い・・・間ねぇ・・・」
ティキは面白くないと言った様子で私を見ると、煙草を口に咥えてその場に寝転んでいる。
その間も私の反応を伺うように見てくる視線に耐えきれず、私は座禅を組み直そうと姿勢を戻した。
ノアの記憶があるとはいえ、ティキがどうしてここまで私に固執するようになったのか、それも良くわからない。
お互いの正体を知る前に出逢った時の事を思い出してみても、特に何があったというわけでもない。
そんな事を考えていると、カチッと音がして煙草独特の香りが鼻を刺激した。
と、その時、頭の中に突然声が響いてきた。
《ティキぽーん♡ そろそろを連れて我輩のところへ来てくれますカ♡》
その声は千年公のものだった。
ノアはこうして頭に直接呼びかける事も出来るから便利だな、と思う。
「はぁ~祭りの準備が整ったかな?」
煙草の煙を吐きながら体を起こすと、ティキは苦笑交じりで立ち上がった。
「にとったらノアとしての初めての"仕事"になるかもな」
「・・・・・・・・・」
ティキの言葉に心臓がかすかに音を立てる。
でも今の私にはそれくらいの動揺しか感じられない。
これもノアとして目覚めたせいなのか、と心の中で失笑した。
先ほど千年公が言っていた"お祭り"が、ここ江戸に潜入してきたエクソシスト達の迎撃の事だと聞いても、それは変わらなかった。
エクソシストとしての自分は、気づかない間にノアに飲み込まれていってるんだろうか、と少しだけ怖くなる。
だけど――――別の思いも確かにここにある。
「ま、"元"同僚相手にするのも最初は戸惑うかもしれねェけど――――」
「・・・大丈夫。ちゃんと言われた事はやる」
静かに応えれば、ティキは困ったような笑みを浮かべて息を吐いた。
「まあ、オレは反対なんだけどね。一時とは言え、を"アッチ側"に返すのは」
「でも・・・お父様に言われたんだからやらないと。でしょ?」
「はぁ~千年公だってホントは嫌なクセにさ~。ま、それだけが大丈夫だって信じてんだろーけど」
「私の事というより・・・ノアの記憶を信じてるんだよ、きっと」
そう言って苦笑する私を、ティキは優しい目で見つめた。
「ま、信じていることに変わりはないさ」
そう言いながら私の腕を引っ張ると、
「んじゃまあ、千年公のところへ行きますか」
彼の言葉に頷けば、ティキは私の手を繋いで歩いて行く。
そんな彼の背中を見ながら、私は先ほど父、千年公に言われたことを思い出していた。
「方舟の引っ越しも残り僅かでス♡
無事に完了するまでの間、邪魔なエクソシスト達の相手は皆さんに頼みますヨ♡」
クロス元帥が江戸へ潜入していること、そしてそのクロス元帥を追ってエクソシスト達が上陸してきたこと。
偵察させていたアクマ達から報告があり、それらがハッキリしたところで千年公は私たちにエクソシスト達の足止めを命令したのだ。
そして私にはティキ達とは違う、別の事を頼んできた。
「本当なら憎きエクソシスト達の元へ返したくはないんですけどネェ・・・
今ならまだ奴らもがノアとして覚醒した事を知らないはずですカラ♡」
その言葉の意味を、私はすぐに理解した。
そして私にとってもそれは必要な事でもあった。
一度、皆に・・・エクソシストの仲間に、会いたい――――。
その気持ちだけは消せなかった。
あんな別れ方をして、皆はきっと心配してるはずだ。
まさかこんな事になっているなんて想像もしてないだろうけど、会ったとしても本当の事なんて言えないけど、でも――――。
私は生きてるよ、と無事だという事を知らせたい。ただ、それだけだ。
アレンくんの師匠でもあるクロス元帥――――。
私は会ったことはないけど、この江戸に来ている事はあの夜アレンくんから聞いて知っていた。
ふと先ほどデビットとジャスデロが見せてくれたクロス元帥を思い出し、あんな感じの人なんだ、と内心苦笑する。
そのクロス元帥を追って潜入してきたエクソシストの話を聞いた時も、それがラビやリナリー達の事だとすぐに気づいた。
最後にアレンくんと話したのは、確かあの夜だった。
デイシャを・・・ティキに殺されたあのバルセロナでの、夜―――――。
「・・・・・・っ」
「――――?」
突然胸苦しさを感じ、私は胸を押さえながらその場にうずくまった。
それを見て驚いたティキが慌てて顔を覗き込んでくる。
だがその瞬間、凄い速さで私から離れて後ろへ飛び退くと、口元を引きつらせながら僅かに苦笑いをこぼした。
「・・・すげぇ殺気」
「・・・・・・ティ・・・キッ」
またしても呼吸が出来ずに、絞り出すように呼べば、彼は困ったように頭をかいて歩いてきた。
「どうした?オレのこと・・・殺したくなった?」
「・・・・・・ッ」
「おっと・・・」
震える手を彼の首元へ伸ばせば、いとも簡単にそれを阻止する。
私の手を掴んだティキは、どこか悲しげに瞳を揺らすと小さく息を吐き出した。
「苦しいんだろ?そんなんで大丈夫か?」
「・・・・・・うる・・・さいっ。もう少しで・・・おさまる・・・」
吸えない空気を求めて喘ぐことしか出来ない私を、ティキはやっぱり悲しげに見つめている。
そんな顔を見ていると、先ほど頭に浮かんだ光景が薄れていくのを感じ、次第に呼吸も落ち着いて来た。
「・・・?」
「・・・・・・・・・」
浅く呼吸を繰り返す私を、ティキは優しく抱きしめた。
その腕の暖かさで乱れた心も落ち着いてくる。
彼の胸に顔を埋めれば、トクントクンと静かな心音が聞こえて、それが耳に心地よく響いた。
「――――落ち着いた?」
不意に額へちゅっと口づけられ、別の意味で心臓が鳴る。
困ったように顔を上げれば、ティキの、今にも泣いてしまいそうな笑顔が私を見つめていた。
「・・・ごめんね・・・ティキ」
「いや・・・何か・・・思い出した?」
「・・・・・・・・・」
その問いに応えられずにいると、ティキは何もかもわかっているというように私の頭を撫でた。
「言ったろ?気長に待つってさ」
「・・・・・・ティキ・・・」
「お前を苦しめてるその今の感情を・・・ノアの記憶が消してくれるまでね」
そう言ってティキは私を立たせると、「もう歩ける?」といつもの笑顔を見せた。
小さく頷くと、「そ?なら良かった」と言い、ふと足を止めてもう一度私を見る。
その様子に首を傾げれば、ティキは困ったように頭をかいた。
「そう言えばさ・・・お前に話しておこうと思って忘れてたんだけど・・・」
「・・・何の・・・話?」
「例の・・・少年のこと」
「少年・・・?」
「アレン・ウォーカー?」
「・・・・・・っ」
ティキの口からその名を聞いて、鼓動が大きく跳ねた。
同時にティキが彼の腕を破壊した光景が頭をよぎり、体中の血が熱くなっていくのを感じる。
その熱は一点に集まるように私の目を痛くさせた。
「あっと、ごめん。こんな話すればまた苦しくなっちゃうな」
「だ・・・大丈夫・・・」
そう言いながら疼く右目を押さえる。
私の中のイノセンスが暴れだそうとするのを必死に押さえ込もうとしているのか、そこで私の額に聖痕が現れたのを感じた。
肌の色も灰色に変わっていく様子に、ティキはホッと息を吐いて、私の頬へ手を添えた。
「やっとその姿になったな?」
「え・・・?」
「前は・・・無意識に押さえ込んでるような感じがしたからさ」
ティキは苦笑気味にそう言うと、「で、さっきの話の続きな?」と私の頭をくしゃりと撫でた。
「あの少年・・・アレン?はあの時、ノアとして覚醒を始めたから、あの後どうなったか知らないだろ?」
「・・・・・・っ」
そう言われて思い出した。
私が覚えているのは、アレンくんの右腕が破壊され、彼のイノセンスをティキが壊そうとしているところまでだ。
その後の記憶はといえば、気づけば私はここにいて、全てを思い出したのはついさっきの事なのだから、あの後の事なんか知るはずもない。
「アレン・・・アレンくんは?!どうしたの?!」
思い出した途端、心の奥がざわついて、アレンくんの事が心配になった。
ティキの目的はリストに載っている人物の暗殺――――。
そのリストにアレンくんが載っていたのは知っている。そしてティキなら必ず目的を遂げているはずだ。
「まさか・・・アレンくんまで殺したの・・・?」
そう呟く私に、ティキは困ったように笑うと、小さく肩をすくめてみせた。
「そのつもり、だったんだけどね」
「・・・え?」
「まぁ、またに嫌われる要素は増やしたくないから、あんま詳しくは話したくないんだ」
「ティキ!いいから教えて・・・っ!アレンくんは――――――」
しがみついて答えを請う私の唇に、ティキはそっと指をあてた。
「結論だけ言えば――――――奴は生きてる可能性が強い」
「・・・・・・っ」
「って言ったらどうする?」
「ほんと・・・?ほんとにアレンくんは・・・」
驚いたようにティキを見上げれば、彼は例のリストであるカードを私に見せた。
中を覗けば囚人が泣きながら天井をこすっているのが見える。
そこにはアレンくんの名前が刻まれていた。
「な?このリスト、ターゲットが死ねば名前は消える。でも少年の名前は消えてない」
「良かった・・・」
その意味を理解した私はホっと息を吐き出した。
だがティキは納得いかないといった様子で溜息をついている。
「何で生きてるのか・・・今どこにいるのか・・・謎だらけなんだけどね~」
その言葉を聞けば、やっぱりあの後に彼は一度アレンくんを殺したんだろう。
私に意識がなかったおかげで、残酷なものを見なくて済んだ。それだけが唯一の救いだ。
それに・・・どういうわけかは知らないがアレンくんが生きているかもしれない、と教えてもらった事で僅かな希望が持てた気がする。
「ああ・・・目、元に戻ったみたいだな」
「え?あ・・・」
先ほどまで反応していたイノセンスが消えたのか、気づけば目の疼きはおさまっているようだった。
同時に肌の色も元に戻り、聖痕も消えている。
でもこれからする事を考えれば、その方が都合が良い。
「安心した?」
「え?」
不意にティキが私の顔を覗き込む。
その顔は少し不満げではあったが、優しい表情だった。
「少年が生きてるかもしれないって聞いて」
「あ、当たり前じゃない」
「そ?なら・・・まあいっか。オレとしては悔しいけどね~。千年公に怒られるなぁ、こりゃ」
そんな事をボヤきながら再び私の手を引いて歩き出すティキに、思わず吹き出した。
視力を奪われ彼と一緒にいた頃も思ったが、ティキはノアのくせにどこか人間くさいところがある。
「な~に笑ってんだよ」
「・・・何でもない」
スネたように私の額を小突いてくるティキに、また吹き出すと、彼もつられて笑う。
ついこの前までは敵だったはずの彼とこんな風に笑い合う日が来るなんて、エクソシストだった頃は考えもしなかった。
と、そこで目の前の大きな扉が開いて、双子が顔を出した。
「おっせぇ~よ!ティキ~!」
「遅刻!遅刻!ヒヒヒッ」
「あれ?お前らクロス捕獲に行ったんじゃねぇの?」
「その前に"祭り"に参加しよーと思ってさぁ」
「祭りだ!ワッショイ!イヒヒ♡」
「なるほどねぇ」
双子のはしゃぎっぷりに苦笑いを浮かべると、ティキは私の手を引いて千年公の元へ歩いて行く。
そこにはスキン・ボリックという大男のノアもいた。
スキンは私とティキを交互に見て、何故か顔を赤らめている。
「な、なにイチャついてやがったんだ?ティキ!」
「うるせーよ、甘党」
「あ、甘党ではない!スキン・ボリックだ!」
「はいはい・・・。千年公ぉ~お待たせしましたぁ」
スキンを軽く交わすと、ティキはピアノの前に立つ千年公の前まで私を連れて歩いて行く。
千年公は振り向いたと同時にニッコリ私に微笑んだ。
「、ティキぽん、待ってましたヨ。――――――でハ、始めましょうカ♡」
千年公はそう言いながら皆を連れて方舟の外へ出ると、大きなお城の高い場所へと乗った。
大きな月明かりに照らされた江戸の町並みを見渡せば、無数の影が浮いている。
それは初めて見るレベル3のアクマ達だった――――――。
「うわ、レベル3?」
「ん?ああ・・・は初めて見る?」
お城の屋根に立ったティキは、強い風に顔をしかめつつ、僅かによろけた私の体を包むように支えてくれた。
「う、うん・・・まだ・・・遭遇した事なかったかも」
お腹に回された腕にドキっとしつつ、風に浚われる髪を手で押さえると、ティキがそっと頭に口づけるのがわかった。
「こいつら知能がある分、厄介だよ?エクソシストにとってはね」
そう笑いながらティキは私を連れて屋根に装飾された大きな魚の上に腰をかけた。
そこからの長めは絶景で、同じく屋根の上に立つ双子は《伯爵様》と言いながら次々に姿を現すアクマ達を見ては騒いでいる。
「キッモー!これ全部日本地区オンリーのアクマ?」
「ヒヒ!こんな呼んでどうすんのかね、社長は!ヒヒッ♡」
確かに物凄い数だと思った。
これまでこんなに多くのアクマを見たことはない。
方舟を守る為に、ここまでするんだ、と少しだけ驚いていた。
すると不意に双子が振り向き、
「おい、ティキ!テメェ、もう日本に用はねぇだろ!次の仕事行ってこいよ!何くつろいでんだぁ?コラ」
「クロスはジャスデビのもんだよ!ヒヒ!」
「・・・・・・うるせぇ・・・」
双子の言葉に、ティキは目を細めながら煙草の煙を吐き出すと、何かを考え込むように遠くを見ている。
その時、「ティキぽん♡」と千年公の声が上から聞こえて来た。
「千年公・・・その呼び方やめて欲しいんスけど」
「・・・イノセンスを舐めちゃいけませんヨ。アイツは我輩達を倒すためなら何だってする悪魔なんですからネ♡」
「・・・・・・・・・」
ニヤリと笑う千年公に、ティキは何やら考えていたが、目の前にいたレベル3のアクマ一体を不意に指さした。
「じゃ、そこの奴」
指をさされたアクマが音もなく飛んで来る。
間近で見るレベル3は、今まで見てきたどのアクマよりも静かで、ティキが行ってたとおり知能があるんだろうと思わせる。
ティキはそのアクマに向かって、ためらうことなく指令を出した。
「今すぐ"箱"で中国へ飛んで」
詳しい事は頭の中で指示したのだろう。
言われたアクマは音もなくその場から姿を消し、どこかへ行ってしまった。
それを見ていた千年公が、ふとその場にいる双子とスキンへ目を向ける。
「今回はお手伝いしてあげますが、ジャスデビとスキンくんも、いつまでも元帥にやられてちゃダメですヨ。
ハート探しはまだまだこれからなんですカラ♡――――――ちゃんと仕事しなさイ♡」
「す、すんません・・・」
珍しく怖い顔をする千年公に、デビッドとジャスデロ、そしてスキンの顔から血の気が引いた。(元々血色悪いけど)
「フロワの入国目的はわかりませんが、クロス・マリアンがこの国に来たのはイヤな予感がしますネ。
あの男は全く正体がつかめなイ♡ 昔カラ♡ 我輩が居合わせたのも何かの運命ですかねェ・・・クロス・マリアン・・・」
千年公は独りでブツブツ話していたが、その内容よりも、私はある人物の名前に意識が向いていた。
フロワの入国目的はわかりませんが――――――。
(フロワ・・・ティエドール元帥!!)
同時に優しい面影を思い出し、胸の奥がドクンと音を立てた。
ティキに捕まる直前まで私はティエドール元帥を探して神田、そしてデイシャやマリと合流して動いていたのだ。
という事は皆と元帥は合流できたという事だろうか。
ふとそんな事を考えていると次第に心臓が早くなっていくのを感じ、小さく息を吐き出した。
(もしかしたら・・・ラビやリナリー達だけじゃなく、神田やマリも日本に来ているかもしれない・・・)
考えれば考えるほど胸の奥が痛くなってくる。
「神田・・・」
小さく消え入るように呟けば、強い風が私の長い髪を浚っていく。
目の前に広がる闇と無数のアクマ達がゆっくりと赤色に染まっていくのを感じ、無意識にティキの手を放していた。
「・・・?」
黙ったまま、遠くを見つめる私を見て、ティキが訝しげに眉を寄せたのがわかった。
その時――――――千年公が空高く舞い上がり、ハッと顔を上げれば意識がハッキリとしてきた。
「新たな船出の前夜祭とでもしまショウ・・・♡」
そう言った瞬間、千年公は変わった傘を手にすると、後からあとから集まってくるアクマ達へ、その傘をかざした。
「行きなさイ。アクマたチ♡ 全軍で元帥を討テェ!!!!総攻撃です♡ 日本全軍で元帥どもを討ち破れェッッ♡」
その号令が合図となり、大勢のアクマ達が一斉に蠢きだす。
不気味なその光景を唖然としながら見ていると、千年公が私の元へと下りてきた。
「では・・・さっき話したとおり、お願いしますネ♡」
「はい・・・お父様」
優しく頭を撫でながら微笑む千年公に、私は気を引き締めて頷いた。
「ティキぽん♡ を・・・娘を守って下さいネ。必ズ♡」
「わかってるよ、千年公」
千年公の言葉にしっかり頷き、私の手を握るティキを見上げれば、彼も優しい眼差しで微笑んでいる。
月明かりに浮かぶ私たちはきっとエクソシストから見れば悪魔そのものに見えているのかもしれない。
でも、ノアとしての記憶は、これが正しい選択なのだ、と言っている気がして、ティキの手を少しだけ強く握り返した。
その時だった――――。
遠くでドォォォンという凄まじい音がして、最初にソレを見つけたのはジャスデロとデビットだった。
「なに・・・?!」
「ヘビだぜ・・・?」
「喰らえ―――――!!」
聞き覚えのあるその声に驚く間もない。
その巨大で真っ赤な龍は私たちめがけて真っ直ぐ物凄い勢いで飛んで来た。
「ラビ・・・」
そう呟いたのと同時に、私の体を抱えたティキは後方へと飛び上がり、双子とスキンもそれに続いた。
だが私たちをかばうように体を投げ出した人物は――――――。
「あ」(ティキ)
「あっ」(スキン)
「ギャハ♡」(ジャスデロ)
「千年公が喰われたぁ~!!」(デビット)
「嘘・・・」
さっきまで全員がいた城の屋根や魚のオブジェが大きな炎に呑まれているのを唖然としながら見下ろす。
だが次の瞬間、どこからともなく「アホな♡」という千年公の声が聞こえてきた。
同時に何らかの反撃をしたのか、煙の中から大きなエネルギーが遙か遠くの建物へと向けて放たれる。
同時に白煙の中から浮遊する傘を手にした千年公が姿を現した。
「お父様?!」
「大丈夫ですヨ、。――――元帥、の攻撃ではないですネ。この程度ハッ♡」
余裕の態度で笑う千年公を見ながら、私を抱きかかえたティキ、そして双子とスキンは飛んでいるレベル3のアクマ達の体へと飛び移った。
「出てきなさイ。――――――ネズミども♡」
千年公が先ほど攻撃を仕掛けていた建物へ目を向ける。
屋根を破壊し、崩れかけたその建物の回りは土煙で遮られ、よく見えない。
けど、またしても吹き付ける強い風に煽られ、建物を覆っていた煙が晴れた時。
こちらを見上げる人影が、私にはハッキリと見えた。
「ラビ・・・とリナリー?」
そこには――――――懐かしい顔が揃っていて、私は思わず目を見開いた。
「元帥の元へはいかせんぞ!!」
「キャー。勝てると思ってるんですカー?♡」
宣戦布告をするエクソシスト達を見下ろし、千年公、そしてノア全員が楽しげな笑みを浮かべた。
けど私は久しぶりに見る仲間の姿に喉の奥が痛くて、ティキの肩にしがみつくことしか出来ない。
距離があるせいで、他に誰がいるのかすらわからなかった。
「?大丈夫か?」
「う、うん・・・」
「あいつら、知ってンの?」
「・・・・・・・・・」
その問いに小さく頷けば、ティキは少しだけ心配そうに私の顔を覗き込んで来た。
だがすぐハッとしたように視線を下へと戻す。
見ればラビが槌を使い、誰かと一緒にこちらへ飛んでこようとしているのが見えた。
それに気づいたティキは千年公を見上げると、
「オレが行く」
と一言告げて、何故か私の方へニッコリ微笑んだ。
「少しの間、ここに入ってて♡」
「・・・・・・え?」
その意味を問う間もない。
気づけば私は宙に浮く透明な箱の中に閉じ込められていた。
「な、何これ・・・?!」
「その中なら多少攻撃受けても危なくないから。オレが動けば一緒に移動するしオレも安心。わかった?」
「え、ちょ、ちょっと――――――」
驚いている私を見ながら、ティキは凄い速さで移動を始めた。
すると彼の言うように、私を閉じ込めている箱も連動するように彼について行く。
「便利だろ?普段は敵を閉じ込めたりするのに使うんだけどさ~。あ、ちなみに使用したオレが解かなければ中からは出られないから♡」
「出られないから♡じゃない!出してよ!私はやる事が――――――」
そう言った私に、ティキは苦笑しながら肩をすくめた。
「その方が拉致られてる感じあるだろ?こんな状況で普通に会いに行ってもお前が怪しまれるじゃん」
「あ・・・」
その説明に何となく納得し、私は仕方ないと溜息をつく。
まあ確かに便利な箱だ、とは思った。
「さ、にとっちゃ久しぶりの再会だ、な!!」
ティキはニヤリと笑いティーズを呼び出すと、そのまま下から跳んで来たラビ達に強烈な攻撃を繰り出した――――――。
オレは上から向かってくるノアの姿を瞳に捉えていた。
ここへ来る途中の戦闘で体はボロボロ。
治る間もなく次の戦闘、それも最悪中の最悪と言っていいレベル3がこんなに大量にいて、最後まで体が持つか心配だったが、そうは言ってられない。
運の良いことに、ここには千年伯爵やノア一族らしき奴らまでいる。
余裕かまして城の屋根の上から高みの見物をしていた奴らの中に、アレンを殺した、そしてを連れ去ったノアがいるかもしれない。
そう思うと体が痛いなんて言っている暇はなかった。
「いっけぇ~クロちゃん!!」
槌に乗せたクロウリーを思いきり空へ飛ばす。
だが、その瞬間、上から降ってきたノアらしき男の攻撃で、その軌道が僅かにズラされた。
「・・・・・・お前っ」
瞬間、その男とスレ違い視線が絡み合う。その挑戦的な目を見て、オレの脳裏にあの映像が流れ込んできた。
「あん時の旦那と・・・眼帯くんじゃねぇか~♡」
「あの男は・・・ティムの記憶にあった・・・」
下で見ていたリナリーも気づいたのか、驚いた顔でその男を見上げている。
奴の顔を見た瞬間、オレの体中の血が沸騰するような、そんな感覚になった。
「忘れねェぞ、そのツラ・・・!!!」
近くの建物に着地した男を追いかければ、間違いなくそれは――――。
「あの夜の・・・アレンを殺したノア・・・!!」
「今ちょっと暇だからさ。また相手してよ」
「上等だ!!」
「ラビ・・・!」
不安げに俺の腕を掴むリナリーの手を思い切り振り払う。
頭に血が上っているのは自分でもよくわかっていた。
でも、この怒りはおさまるどころか、どんどん増幅していて自分では抑えられそうもない。
「このホクロはオレが戦る!誰も手ェ出すなさ!ボッコボコにしてやらねェと気がおさまんねェ・・・ッ」
目の前で余裕の笑みを浮かべている男を睨み付ければ、やつは不思議そうな顔でオレを見た。
「何?イカサマ少年、殺したこと、そんな怒ってんの?もしかして友達だった?」
「うるせェ・・・」
「あー友達だったんだ」
「うるせェ!」
「もしかして、そこの可愛い子もイカサマ少年の友達?」
「うるせェ」
「ごめんな。悲しいよな。わかるよ」
そう言って男はオレの方へゆっくり歩いてくると、ふざけた笑みを浮かべた。
「オレにもいるからさ。友達?」
「うるせエ・・・」
「わかるよ。少年」
「うるせェ」
「友達が死ぬと、悲しいよな」
「うるせェェ・・・ッ!!!」
とても殺気を放っているとは思えない静かな口調が癇にさわり、オレは思い切り槌を振り上げた。
だが目の前の男はそれでも余裕の笑みを浮かべると肩をすくめ、「んな怒んなって」と小さく吹き出した。
「奴は生きてる。もうじき来るかもしれないよ。会いたい?」
「――――――――ッ?!」
「ただし・・・お前らがそこまで生きてれば、の話だけど。そんなに時間はかからんと思うぜ?」
信じられない事実を聞かされ、言葉を失うオレとリナリーの反応を見ながら、男は楽しげに言葉を続ける。
「アレン・ウォーカーのイノセンスはオレが壊したから、無抵抗のまま使いのアクマに半殺しにされて拉致られりゃ、すぐ来る」
「・・・・・・ッ?」
「ああ、それ、と――――――」
男はニヤリと笑みを浮かべ、左手をそっと空へ掲げた。
「お前らの・・・もう一人のお友達は――――――ココにいるぜ?」
「な・・・・・・っ」
ふわりと音もなく、頭上から現れた透明の箱の中にいる人物を見て、オレは今度こそ息が止まるかと思った。
「ラビ・・・」
「・・・・・・か?」
夢、かと思った。
彼女が行方不明になってから、どれだけ探しに行きたいと願っても、今の状況がそれを許してくれなかった。
アレンも殺され、リナリーも大怪我をして、手を貸してくれた教団のサポーター達も皆、死んでいった。
オレ達も大怪我をしながら必死の思いで辿り着いた日本はすでに千年伯爵の手に落ち、こんなアクマだらけの絶望的な現実を突きつけられたら、オレはココで死ぬかもしれない、と覚悟もした。
だから、せめてだけでも、どこかで生きていてくれたら、と何度祈ったかわからない。
生きているなら、せめて彼女だけでも助けたい、とそう思ってここまで来た。
だから、思っても見ない状況で彼女が目の前に現れたから、触れたら消えてなくなるんじゃないか、とバカな事を考えた。
「ほんとに・・・さ?」
「ラビ・・・ごめんね、心配かけて・・・」
みるみるうちに彼女の綺麗な瞳から涙が溢れ出し、頬を濡らすのを、オレはバカみたいに、ただ見ていた。
「おいおいおい~感動の再会とは思うけどさぁ。この状況でそれっていいわけ?」
「・・・・・・っ」
不意に聞こえた男の声に、オレはハッと現実に引き戻された。
と、同時にドゴンっと後頭部へ強い衝撃を喰らい、オレは前のめりで転ぶと、そのまま屋根から転げ落ちそうになる。
慌てて縁に捕まれば上からジジイが呆れたようにオレを見下ろしていた。
「バカか、お前は!敵を前に何ボーっとしとる!」
「く・・・パンダジジイーッ!蹴る事ないだろ!」
頭にきてそのまま屋根に飛び上がると、もう一発ゲンコツが跳んで来て、頭がクラクラした。
「痛ってぇな!!」
「嬢が無事だったんじゃろ!ならサッサと助けんか!バカもん!」
「・・・・・・ッ」
ジジイの言葉に見えない拳でまたしても殴られたような気がして、オレは小さく笑った。
確かに彼女が無事なら、心を蝕むものなどもうない。
「わかってるさ!!待ってろよ、・・・今助けるから――――」
そう叫んだ瞬間、男が不敵な笑みを浮かべ、彼女を捉えている箱を後方へと下げた。
「・・・!」
「熱くなってるとこ悪いんだけどさぁ。彼女のイノセンスはもうないぜ?それでも――――――"仲間"として助けるのか?」
「な・・・何言ってるんさッ」
「だから・・・壊れちゃったんだよ。イカサマ少年のイノセンスと同じく、ね」
「――――――ッ」
男の言葉に愕然とし、の方へ視線を向ければ、彼女は悲しそうな顔でオレを見ていた。
その瞳の色の変化に今更ながらに気づいて、オレは力一杯、湧き上がる怒りを目の前の男にぶつけるよう槌を振り下ろした。
「――――――火判!!!」
「おっと~あっぶねぇ~」
男は身軽な動作でオレの攻撃をかわすと、後方へ飛び退き苦笑いを浮かべている。
その余裕ヅラを見ているとイライラが最大限に上がって行く。
の綺麗な瞳が好きだった。
光を受けるたびに変化する、あの綺麗な瞳が、とても――――――好きだった。
彼女のイノセンスが破壊されたという事は、もうエクソシストとして一緒に戦えない、という事だ。
その現実がただ、悲しかった。
その時、上空でゴォォォという音が響き渡り、その場にいた全員が空を見上げれば、信じられない光景が視界に飛び込んできた。
「な・・・」
「オイ、何だ、あれは!」
「やべーちょ!やべーちょ!」
戻って来たクロウリーと、オレ達を日本へ運んでくれたクロス元帥の改造アクマ、チョメスケ(命名オレ)が大騒ぎしながらオロオロしている。
リナリーも驚いたように空を指さし、
「見て!アクマ達が集まっていくわ!」
「別にどうって事ありゃせん。機械どもが融合してバカでかくなっただけじゃ!」
ジジイは溜息交じりでそう言うと、近くに寄ってくるアクマ達へ針を飛ばしている。
ただデカくなっただけ、と言ってもアレを破壊するのは、なかなか大変そうだ、と思った。
「よそ見してる場合じゃねェぞ」
「――――――ッ?」
男の声と同時に鋭い攻撃を繰り出され、オレは槌を盾に後方へ回避した。
「お、右腕動かせんじゃねェか」
「ちくしょ・・・っ!こりゃ痛ェとか言ってらんねェな」
傷ついた体を動かすたび軋むような激しい痛みが襲ってくる。
でもがすぐ手の届く場所にいるのに泣き言など言ってるわけにはいかない。
早くあそこから助け出さないと、この戦闘に巻き込まれでもしたら――――――。
そう思いながらイノセンスを発動すると、目の前の男を睨み付けた。
「あんた、何でも通過する能力があるみたいだけど・・・イノセンスは別だったりして」
「・・・・・・・・・」
オレの言葉に男はニヤリと笑みを浮かべた。
「あの時・・・アレンの左手に一発くらってたさ。お前らノアもアクマ同様イノセンスが弱点なんじゃねーの?」
「ふ・・・確かめてみろよ」
「まる火、まる天――――――コンボ判!!剛雷天!!!」
雷の塊である龍を男にぶつけるが、男は手のひらから大きな蝶を出して、それを空に飛ばした。
「ティーズ。デカい獲物だぜ?祭りだ、祭り♡」
命を賭けた戦いだと言うのに、あいつは未だに楽しそうな笑みを浮かべていて、それがオレをイラつかせる。
でも確かに目の前の男は強い。そんな気がした。
(クソ・・・こっちは怪我人だらけだっつ~のに・・・)
他の部隊が来てくれたら――――――。
そんな弱気な願いが脳裏をかすめた――――――。
アクマの集合体が大きくうねり、強大なパワーを吐き出すのを見てデビットとジャスデロは楽しげな声を上げた。
「ひょ~♪ いいじゃねーの♪ ボクらも行くか?」
「ドキドキ~」
「ジャスデビ♡」
その時、後ろに千年公が下りてきて、二人を引き留めた。
「「あい?」」
「今すぐクロス・マリアンの元へ飛びなさイ。奴の動向が気になってきましタ♡」
千年公の言葉を聞いて、双子は互いに顔を見合わせた。
「奴らの江戸襲撃・・・クロスが仕組んでる気がしまス。あの男・・・狙いはノアの方舟かもしれませんヨ~♡」
「クロスの目的が方舟ォォオ?!」
驚愕しながら叫び倒すジャスデロの頭を撫でながら、デビットは千年公を見上げた。
「何で?つか、だったら早く新しい方舟で江戸出た方がいいんじゃねーの?」
「新しい方舟は今の方舟のプログラムをダウンロードしないと機能しませン。今ロードがやってるところでス♡」
「あ~通りでロード見ないわけだ・・・。でもそれってボクらも手伝えねーの?」
素朴な疑問を口にしたデビットの言葉に被るように、後ろにいたスキンは「できん」と一言、呟いた。
「ノアの方舟の"奏者"の資格があるのは千年公と長子のロードのみ。お前らには無理だ!」
「あ?うっせェよ、ハーゲ。ぶっ殺すぞ」
スキンの物言いにデビットが中指を立てて文句を言うのを尻目に、ジャスデロは千年公を見上げた。
「ね、社長!どうして今の方舟は江戸から離れられないの?」
これまた素朴な疑問をぶつけてくるジャスデロに、千年公は困ったように微笑んだ。
これまで他のノアには特に説明を省いてきたのだから、わからないのも仕方ない。
「お前達がまだ生まれる前の話ですヨ。ノアにはもう一人"奏者"がいたことがあったのでス。そいつが裏切って方舟を狂わせたのですヨ♡」
「ノアがぁ?!」
「殺しましたけどネ♡」
千年公の説明に双子もさすがに驚いた。
同じノアの中に裏切り者がいた、そしてソレを殺した、と初めて聞かされれば少しばかりショックを受けるのも仕方のないことだ。
「そいつは"奏者"の資格をどっかの誰かに与えてしまったのでス。それから方舟は江戸との接続を解除出来なくなり、その"誰か"しか場所を移せなくなったのでス。
だから我輩は新たな方舟を造りましタ。汚れた人間の手に墜ちる方舟など、もはや我らの舟ではなーイ♡
ティキぽんに暗殺を頼んだ要人達はその裏切り者の関係者でス。ここまで言えばわかりますネ?♡」
千年公の長い説明を聞いていた双子は、そう問われて暫し考える。
だがすぐにピーンと来て、その両眼を丸くしながら立ち上がった。
「キィ~!それクロスだってクロスだぁって、絶対!!」
「アイツ、ティキのリストに入ってたもん!」
「超ォ~強ぇ~しィ~!」
「超ォ~偉そーだし!」
「持ってるよ、千年公!!あいつ絶対"奏者"の資格、持ってるって!!!」
「だからそれを確かめて来なさいっテ・・・・・・・・・」
ギャースカ騒ぎ出した双子に、千年公は諦めたように呟いた。
「よーし!こうなったら何が何でもあいつとっ捕まえんぞ!!」
「オッケーだよ。ヒッ」
突然張り切りだした双子は「じゃあ、ちょっくら行ってくるわ」と慌ただしく走って行った。
それを苦笑交じりで見送りながら、千年公は残ったスキンを見る。
「手のかかる子ほど可愛いと言いますガ・・・本当に手がかかる子達ですねェ♡」
「・・・・・・・・・」
「さて・・・ティキぽんも順調に足止めをしているし、も無事のようですネ。このまま様子を見ましょうカ♡」
「己は何を?」
「ああ・・・スキンくんはココに残っテ♡」
「・・・・・・わかった」
どうせ己のターゲットは江戸に来ている、と呟き、スキンは戦闘が行われている遙か下方を黙って見つめていた――――――。
それと同じ頃――――改造アクマの案内で、ティエドール、神田、マリが江戸に到着していた。
「ゴツいのがいるぜ」
遠くの方で暴れているアクマの融合体を見ながら、神田が言った。
マリはその方向へ耳を澄まし、聞こえる音や声を拾い始める。
それを見たティエドールは「マリ」と声をかけ、
「キミの耳で何が聴こえる?」
「あそこから――――――アクマの膨大なノイズに混ざって、かすかにリナリー、ラビ、クロス部隊の声が聴こえます」
「・・・・・・・・・」
神田とマリがティエドールの方を振り返る。
その目に、彼らの強い意志が見てとれた。
「うん・・・。行ってあげなさい」
そう言ったのと同時に、神田とマリの姿は消えた。
残ったのは僅かな土煙のみで、それを僅かに吸い込んだティエドールが軽く咽せていると、後ろの方から改造アクマが近づいてきた。
《いいのか?お前の護衛行かせちまって》
「何を白々しい事を・・・。エラく派手にしちゃって実はコレがキミらの目的だったんじゃないのかい?だしょ?――――――改造アクマくん」
背後にいる改造アクマにそう言えば、《へへ・・・》と笑う声が聞こえてきた。
《でも乗ってくれるんだ》
「マリアンに貸しを作ると面倒くさいからねェ。私らは私らで日本に用があるんだが・・・ま、連れてきてもらったお礼は返すよ」
《そうか・・・へへ。お前らとの旅・・・ドキドキしたぜ。オイラも腹が減ったから――――――行くわ》
そう言ったと思えば、背後から派手な爆発音が聞こえて油断していたティエドールは僅かに後ろへ吹っ飛ばされた。
尻餅をついて、「いてて・・・」と起き上がり、溜息交じりで汚れを払う。
「ゲホ・・・ッ派手だなぁ、もう・・・」
殺人衝動が起きた改造アクマは自爆をするように出来ているらしい。
「こんな事を知れば・・・アクマの魂が見える彼からは苦情がきそうだね・・・」
遠くで戦う仲間を見ながら、ティエドールは苦笑いを浮かべた――――――。
その頃、神田とマリは一番戦闘の激しい場所へと向かっていた。
上空を見れば大きなアクマの融合体が凄まじいエネルギー放射を続けながら、周りの建物を破壊しまくっている。
家が吹っ飛び、その瓦礫が頭上から降り注ぐ。
その中を素早く駆け抜けながら、時折アクマの方へ反撃がなされている場所を見つけた。
あそこにクロス部隊の誰かがいるのは間違いなさそうだ。
「先に行くぞ」
そうマリに声をかけ、神田は跳躍すると身軽な動作で戦闘が行われている方へと向かう。
高い建物に上がり、屋根伝いに移動すれば、遠くで戦う人影が見えてくる。
「あそこか・・・」
その人物を視界に捉えた神田は更にスピードを上げた。
ちょうどその時、轟音と共にラビらしき姿が下へ落下するのが見えて、神田は小さく舌打ちをした。
どうやら、かなりの劣勢らしい。
「何やってんだ、アイツは・・・」
そう呟きながらその場所へ近づいていくと、砂埃が風に流され視界が急に良くなった。
おかげで前方にいる敵らしき姿までがハッキリ見える。
屋根の上に複数いるのが見え、その中に知ってる顔も見つけた。
「あれは・・・リナリーと・・・誰だ?」
見ればリナリーを羽交い締めにしている男。
その近くにはエクソシストとは無関係の人間もいるようだった。
「あの肌の色・・・ノアか?」
リナリーを捕らえている長身の男は、話に聞いたノアと風貌が一致する。
それに気づいた神田は更にスピードを上げた。
(ノア野郎には聞きたいことが山ほどある・・・)
思ったよりも早く遭遇出来たことで、神田は満足げな笑みを浮かべた。
見たところリナリーを拘束して今にも攻撃をしかけそうな雰囲気だ。
(急がないとヤベェな)
どうやら近くにいるのは普通の人間らしい。
エクソシストでもない、ただの人間にリナリーを助ける事はまず無理だ。
そう感じた神田は一気に屋根を走り抜け、リナリー達のいる建物内部へと素早く侵入した。
「エクソシスト様を放せ!!」
「チャオジーさん・・・ダメ・・・」
「シラけんなぁ・・・。ティーズ、喰っちまえ」
そんな声が上から聞こえて神田は六幻を抜刀した。
そしてノアの声がする真下から六幻を思い切り突き上げる。
「――――――ッ?」
その勢いで屋根を突き破り、ノアらしき男へ攻撃を仕掛けると僅かの差でガードをされ、神田は舌打ちをし、素早く男から距離を取った。
「危ね・・・今日は客が多いなぁ・・・」
この状況で笑みを浮かべつつ呑気なことを言っている目の前の男に、神田は有無も言わさず斬りかかった。
「ちょ、」
休むことなく速い攻撃を仕掛ける神田に、男はガードを崩さず攻撃を交わしていく。
だが片手にリナリーを抱いているせいで防戦一方になっている事が不利だと察したのか、「悪いね、お嬢さん」と突然神田の方へリナリーを突き飛ばす。
その行動のせいで神田が一瞬怯んだスキに、強烈な一撃を繰り出してくる。
(間に合わない――――!)
リナリーを受け止めた事で僅かに体勢を崩した神田が小さく舌打ちをした。
が、そこにラビが飛び込んで来たかと思った瞬間、男の攻撃を槌でガードしたのが見えた。
「ちっ」
今度は男が舌打ちをして後方へと跳躍し、神田とラビから距離を取る。
そしてどこへ消えたのか男の気配が消えて、神田は軽く息を吐いた。
「よ、大将!こんな修羅場で奇遇さね」
「何やってんだ?お前ら」
相変わらずのラビのノリに、神田は呆れたように目を細め、腕に抱いたリナリーをラビへと預ける。
リナリーは気を失っているのか、ラビの腕の中でグッタリとしていた。
「いや、何かウチの元帥が江戸で仕事があるとかで・・・そっちは?」
「こっちも似たようなもんだ」
「そっかぁ~!いやでもマジ助かったさ~!何せオレら怪我人だらけだし、ノアやアクマ相手にどうしようかと――――――」
普段のノリで話し出すラビを軽く無視して、神田は先ほどのノアがどこへ行ったのかと周りを見渡しながら歩いて行こうとした。
だが不意に「あ!!!!」と大声を出したラビに、コートの上に羽織っているマントの襟首をグイっと強く引っ張られ、「ぐぇ」っと苦しげな声を上げる。
「て、てめェ・・・」
あまりの衝撃で神田の額に怒りマークが浮き出たが、ラビは慌てたように首を振ると、
「そ、そんな事より・・・い、いたんさ!!!」
「あぁ?!」
人の首を絞めておいて、と言わんばかりに六幻を突きつける神田に、ラビはそれでも怯むことなく、その名を口にした。
「がいたんさ!!」
「――――――――ッ?!」
その名を聞いた瞬間、神田の顔色が変わり、ラビは大きく息を吐き出した。
「生きてたんさ!は・・・。オレ、さっき会って――――――」
「どこだ!!」
「うわっ」
説明しようとしたラビの胸ぐらを神田が掴む。その力の強さに首が絞められ、ラビはさっきの神田と同じような声を上げた。
「ぐ、ぐるじぃ・・・」
「はどこにいた?!早く言え、バカ兎!!」
「だ、だがら苦じぃって・・・」
そのラビの訴えに舌打ちをしながら神田が掴んでいる手を放すと、ラビは何度か咽せながらも「ユウは鬼さ・・・」と涙目になりながらボヤいている。
だが普段ならここでファーストネームを呼ぶな、と怒鳴るはずの神田が、それを無視し「はどこにいた」と、真剣な顔でラビを見た。
いつもとは違う神田の様子に、ラビは戸惑いを感じながらも僅かに目を伏せ、息をついた。
「さっきオレが戦ってたノアの男に捕まってたんさ・・・」
「さっきの?あの天パか」
「ああ・・・。さっきまで近くにいたんだ、も。だけど何か変な物体の中に閉じ込められててさ。何度か割ってやろうと攻撃しても壊せなくて。あの天パもすぐ攻撃仕掛けてくるし――――――」
そこまで話を聞いていた神田だったが、突然その場から走り出し、ラビは慌ててリナリーをチャオジーに預けると、急いで神田を追いかけた。
「ユウ!どこ行くんさ?!」
「アイツを探す。はアイツに捕まってンだろ?」
「そ、そうだけど・・・」
「だったら助けるに決まってンだろーが!バカか、お前は!ついでにファーストネームで呼ぶんじゃねェ!刻むぞっ」
「なっ?!だ、だってアイツ、めちゃ強くてスキがねェーんだって!」
「チッ!関係あるか」
そう言った瞬間、更にスピードを上げる神田に、ラビは慌てて着いて行く。
どこか普段とは違い、焦りの色が見える神田の背中に、ラビは僅かな違和感を覚えた。
(こんなユウ、初めて見るさ・・・。いつだってこういう時は冷静に動いてたはずなのに・・・)
その時、頭上で耳をつんざくような悲鳴が聞こえて、ラビは空を見上げてみた。
「な、何さ?どしたん、コイツ」
「あ?」
見れば融合体のアクマがおかしな体勢でもがいている。
それを見た神田は、「マリの弦に捕まったんだろ」と言った。
「あいつの奏でる旋律はアクマには毒だぜ」
見れば前方に見える高い建物の上にマリが立っている。その手には対アクマ武器であるノエル・オルガノンがあった。
その弦に捕獲された融合体のアクマが道を塞ぐようにゆっくりと傾いてくるのを見て、神田は舌打ちをすると、
「・・・邪魔だ」
と呟き、六幻を発動した。
「災厄将来――――――"二幻刀"」
「き、気をつけろ、ユウ!!そいつメチャクチャ硬ぇ―――――」
素早く跳躍し、空高く舞い上がる神田にラビが声をかける。
だが言い終わる前に、融合体の頭は真っ二つに切り裂かれ、その本体が一瞬で崩れ落ちていくのが見えた。
「ぞ・・・っ」
その凄まじい攻撃力を目の当たりにし、ラビの顔から血の気が引いた。
「また気持ち良く斬りおった!腕をあげたな。神田め」
近くでブックマンが感心する声が聞こえてくる。
だがラビの背後に着地した神田が、ラビの方へ「おい・・・貴様」と声をかけた。
その冷んやりとした声に、恐る恐る振り向くと、神田は目をつり上げながら殺気丸出しでラビを睨んでいる。
「オレのファーストネームを口にすんじゃねェよ。何度言ったらわかるんだ?――――――刻むぞっ」
「・・・・・・ッ!!(相変わらず怖ェェ・・・)」
あまりの迫力に震え上がるラビを尻目に、そのまま神田は歩いて行こうとした。
だが、遠くに見える大きな城の上に、さっきのノアを見つけたラビが「あ、あそこ!!」と声を上げ、神田はハッとしたように城を見上げた。
その視界に映ったのは、月明かりに浮かぶ千年伯爵、そしてもう一人――――――。
「やるねェ・・・お前」
飄々とした顔で見下ろしてくるノアの男。その後ろには――――――――。
「・・・・・・?」
驚愕の表情で自分を見ているを捉え、考えるよりも先に神田の体が動いていた。
「あ、ユウ――――」
後ろで叫ぶラビを無視し、数体のアクマを足場に遙か頭上へ跳躍すると、神田は六幻を発動した――――――。
あちこちで爆発音やアクマの悲鳴が上がる中、私はラビとティキの戦いを少し離れた場所でハラハラしながら見ていた。
ノアとして覚醒し、色々な事を理解したつもりではいた。
自分の中に前とは違う自分がいるのも感じている。
でも、それでも実際に二人が戦う姿を見ていると、何とも言えない思いが溢れてくる。
「あ・・・ラビッ」
ティキの攻撃で下へと吹っ飛ばされたラビを見て、思わず声を上げる。
だが次の瞬間、ティキが無抵抗のリナリーを拘束したのが見えて、慌てて透明の壁を叩いた。
「ティキ・・・!リナリーを放してよ!彼女、怪我してる――――――」
そう叫んでみたところで、少し距離があるせいか、声が届いていないようだ。
仕方なく頭の中で呼びかけてみれば、すぐに反応があった。
《何?どうした?》
《彼女を放して。怪我してるわ。無抵抗な女の子を殺す気?》
《・・・おいおい。こいつはエクソシストで敵だぜ?》
苦笑気味に応えるティキに《わ、わかってるけど・・・》と言葉を詰まらせる。
《まーだ元お仲間が心配?》
《・・・まだ・・・エクソシストをやめたわけじゃないもの。イノセンスは戻ってる》
《・・・・・・ま、そうだけど、さ》
私の言葉に、今度はティキが言葉を詰まらせた。
《、お前――――――》
《え?》
《いや・・・。とりあえず、この子はココで殺っとくぜ?そういう命令だからな》
《ちょ、ティキ?!》
その言葉通り、ティキがリナリーの首元へ手をかけるのが見えて息を呑む。
ティキの手のひらにティーズが現れ、リナリーの心臓へそれを突き立てようとしているのが見えて、私は思わず「やめて――――――!!」と叫んでいた。
その瞬間――――――ティキの方へ一人の男が殴りかかったのが見えた。
男はエクソシストではなく普通の人間のようだ。
男の拳はティキの胸を通り抜け、驚いたような顔をしている。
(力を持たない人間にティキは倒せない・・・。通過自在の体に効くのはイノセンスだけ・・・)
と、そこで今、自分のイノセンスを発動すれば、彼を止めることが出来るだろうか、と思った。
この大量のアクマの気に中てられているせいか、さっきから瞳の奥が疼いているのがわかる。
(けど・・・それはお父様の計画を邪魔する事になる・・・。"千年伯爵"には逆らえない。ノアである限り――――)
ノアの使途は千年伯爵を守る為に存在する。
転生しても、それは同じ事で逆らうことは許されない。またその記憶には抗えない―――――。
ティキは自分を攻撃してきた男を邪魔な存在と見なしティーズに喰わせようとしている。
それを見ながら何も出来ずにいる自分の、呪われた運命に気づかされた気がした。
が、その時、ティキの足下から誰かが飛び出してくるのが見えた。
直後に物凄い破壊音が鳴り響き、辺りには砂埃が舞っているせいで私のいる場所からは下の状況がわからない。
「ティキ?!」
彼に何かあったのかと叫んでみても聞こえるはずもなく。
さっきのように頭の中で呼びかけても、何の返答もない。
嫌な予感がして身を乗り出しながら下を覗き込んでいると、砂埃の中からティキが飛び出してくるのが見えてホっと息をついた。
その腕にはまだリナリーを抱えている。
ティキの手には大きなティーズが現れていて何かを防御しているように見えた。
「誰かと・・・戦ってる?」
そこに気づいた瞬間、ティキが抱えていたリナリーを前方へと突き飛ばし、上空に回避するのが見えた。
《・・・?》
そこへ不意に声が聞こえてドキっとした。
《ティキ?!大丈夫なの?》
《ああ、悪い。さっき急に新手が現れてさ。余裕なかった》
《新手・・・ってエクソシスト?》
《ああ・・・何かめっちゃ目つき悪ぃ奴でさ。スピードもパねえから油断出来ないっつーか・・・。つか眼帯くんも戻って来たから一度そっちへ戻る》
ティキの言葉に下へ視線を戻すと、言葉通りこっちへ飛んで来る姿が見える。
だが、それまで戦っていた場所を見てみると、砂埃が風に煽られ舞い上がり、ハッキリと視界に捉えることが出来た。
その場所には先ほど再会したラビ、見たこともない男達数人と、そして――――――。
「・・・・・・ッ?!」
思わず息を呑んだ。
さっきまでいなかったはずの、その人物を見て一瞬、幻かと思った――――――。
「神田・・・」
無意識にその名を呼んだ瞬間、胸の奥が熱くなって、懐かしさで涙が溢れ視界が歪む。
それを慌てて手で拭っていると、
「・・・カンダ?」
「・・・・・・ティキっ」
いつの間に戻ったのか、気づけばティキが私の隣に立っていた。
彼は訝しげな顔で私、そして遙か下の方でラビと何やら話をしている神田を交互に見ている。
「へぇ・・・アイツが"カンダ"なんだ」
「え?あ・・・まあ」
そう応えながらも、先ほどティキが「何かめっちゃ目つき悪ぃ奴で――――」と話していたのを思い出し、小さく吹き出した。
(あれ、神田の事だったんだ。納得・・・)
濡れた頬を拭きながら、そんな事を考えていると、不意にティキの手が透明の壁を通り抜けて私の鼻をギュっとつまんできた。
「・・・痛っ。な、何する――――――」
「アイツ見て泣くくらい、会いたかったの?」
「・・・ふぇ?」
鼻をつままれているせいで変な声が出た。
目の前のティキは極端に目を細め、どこか面白くないと言った顔で私を見つめている。
「ちょ、放ひて・・・」
鼻をつまんでいるティキの手を強引にはがすと、私はヒリヒリする鼻をさすりながらティキを睨んだ。
「何、怒ってるの・・・?」
「別にぃ~?の元パートナーだっけ~?"カンダ"。――――――つか、ホントにパートナーってだけかよ」
「ど、どういう意味?」
「そうやってボロボロ泣くくらい会いたかったのかって聞いてんの!」
ティキはそう言うと手をかざして城の方へと私の入った箱を移動させていく。
私は神田のいる方を振り返りながら、
「懐かしんでただけでしょ?――――――ちょっと、ドコ行くの?」
「あとは融合体のアクマに狩らせる。危ないから移動するんだよ。それとも・・・"カンダ"と再会したかった?」
と、皮肉めいた笑みを浮かべて私を見た。
どこかトゲのある言い方にムっとすると、
「別にっ後で皆のとこへ行くんだし」
と、そっぽを向けば、ティキは「へぇ、行くんだ・・・」と面白くなさそうに目を細めている。
そもそも元からそういう計画なのだ。
何がそんなに気に入らないんだろう。
「ラビと会った時だって泣いたでしょ?皆とはもう会えないかと思ってたんだから・・・涙くらい出るよ・・・」
私を心配して助けようとしてくれたラビを思い出し、ふと胸が痛くなった。
(後で・・・もう一度きちんと謝ろう・・・)
そんな事を考えていると、不意にティキの手が伸びて私の涙で濡れた頬へ触れた。
「ま、また触る・・・。いくら通過自在だからって――――――――」
「違ったように見えた」
「・・・え?」
「眼帯くんと会った時のと・・・さっきのの涙が、さ」
どこか寂しそうな顔をしながら私を見つめるティキに、僅かに鼓動が跳ねる。
こんな顔をされると、私の中の記憶が胸の奥に痛みを連れてくるから困る。
「ち、違ったように見えたなら・・・それは私と神田の一緒にいた時間のせいだよ・・・」
「時間・・・ね」
「それに最後に会った時は・・・神田に言われた事を守れなかったっていう罪悪感・・・」
それだけ告げると、ティキは小さく息を吐き出し、私の頭をくしゃりと撫でた。
「あの夜・・・ノアのオレとが会ったあの夜・・・アイツも近くにいたの?」
その問いに小さく頷く。
「そっか・・・。いたんだ。だったら・・・後悔してんだろうな、アイツも」
「・・・え?」
「"傍にいたのに守れなかった"。そう思ってんじゃねェの?」
「そ、それはないと思うけど・・・」
「なーんで?さっきアイツと戦ってみてわかったけど、めっちゃ自信家のオレ様だったぜ?」
「そ、それは当たってる、けど・・・だから?」
ティキが何を言いたいのかわからず問いかけると、彼は小さく吹き出した。
「ああいう奴は大事なもん守れなかった時、自分の事を責める。男ってそういうもんだ」
「だ、大事って・・・それはない、絶対。神田はきっと私が鈍くさいからだって怒ってるよ・・・」
「ぷ・・・っ。もまだまだ男ってもんを知らないねぇ」
「は?」
何となくバカにされたように感じて目を細めれば、ティキは困ったように微笑んだ。
確かにティキは大人だけど、それでも長いことパートナーを組んでたんだから神田の性格は私の方がわかってる・・・ハズだ。
「とにかく私が浚われた事で神田が自分を責めてるなんてあり得ない。以上!」
そう言い切って話を終わらせようとした、その時。
物凄い轟音がして足下を見てみれば、さっきまで動き回っていた融合体のアクマが真っ二つになったのが見えて唖然とした。
「ティキぽん♡」
不意に声が聞こえて顔を上げると、いつの間にか頭上に来ていた千年公がティキに何やら目で合図をしたように見えた。
ティキは小さく頷きながらゆっくりと倒れていく巨大なアクマを見下ろし、僅かに口元を引きつらせると、
「やるねぇ、お前」
そう呟くティキにハッとして下を見れば、そこには神田が驚いたように私たちを見上げていた――――――。
「神田・・・」
その表情を見れば、私に気づいたんだとわかる。
一気に鼓動が速くなっていくのを感じてティキの方を見れば、彼もまた私を見ていた。
「来るぜ、アイツ」
「え?」
そう言われて再び視線を戻せば、スピードを上げてこっちへ向かってくる神田が見える。
「さて・・・さっきの答えはどっちかな?」
そう言いながらニヤリと笑ったティキは凄い速さで攻撃態勢に入った。
神田もまた空に浮かぶアクマを足場に、加速しながら確実にこっちへ近づいてくる。
そして最後のアクマを蹴って跳躍すると、神田が六幻を発動したのが見えた。
「よぉ、カンダ・・・さっきの続きやろぅ――――――――」
そう言いかけたティキを物凄い速さで素通りした神田は、何故か私の入った箱を六幻で攻撃した――――!
「・・・・・・・・・ッ?!」
二つに、綺麗に割れた箱に唖然としながらも、その勢いのまま腕に抱えられた私は。
文字通り言葉もないまま、元パートナーのエクソシストに連れ去られた――――。