確かなものが欲しかった。
曖昧な物じゃなく、形のある"何か"が欲しくて、私はずっと藻掻いていた。
終業式も終わって、今日は待ちに待ったクリスマスイヴ。
「恭弥ー?ケーキ食べないの?」
かって知ったるは何とやらで声をかけてからドアを開けると、いつもは冷静な恭弥も少し慌てたように振り向いて机の引き出しを思い切り閉めた。
「ノックしろっていつも言ってるだろ」
「…ごめん。それより恭弥…今、何か隠した?」
「…別に何も」
「あ、怪しい…!もしかして…エッチな本とか隠した?」
からかうように恭弥の背中を肘でつつけば、すぐに怖い顔で睨んでくる。
でも慣れてるから特に気にしない。
恭弥とは家が隣同士で子供の頃からずっと一緒の、いわゆる幼馴染って関係だ。
「そんなもの読まないよ」
「そうなの…?でも同じクラスの佐久間は読んでたよ。からかったら"興味ある年頃なんだっ"て逆ギレされたけど」
「佐久間…?ああ、あの頭悪そうな奴か」
恭弥はそう言いながらベッドに座ると、読みかけの小説を手にした。
どうやら恭弥が読むのはエロ本じゃなくて、ハードボイルド小説みたいだ。
ちょっと久しぶりに来た部屋を見渡して軽く確認したけど、特に変わった様子もなければ女っ気もない。
少しホっとしながら恭弥の隣に座ると「やっぱり恭弥も興味ある年頃ってやつ?」と顔を覗き込んだ。
「……興味ない」
「うそだー。佐久間だけじゃなくて他の男の子も"昨日エロ動画見た"とか言って騒いでたりするし…恭弥も女の子の体に興味あったり…する?」
「…そんな言葉、口にするなよ。女だろ、一応」
「一応じゃなくてれっきとした女ですー!胸だってちょっと大きくなったんだよ?」
そう言って恭弥に自分の胸を突き出してみせた。
今日はクリスマスイヴ。
この日は毎年、私の家族と、恭弥の家族合同でクリスマスパーティーをしている。
だから私もそれなりに可愛い真っ赤なドレスをこの日の為に先日買いに行った。
赤にしたのはクリスマスっぽいかなって思ったのと、少しだけ大人っぽい雰囲気が気に入ったから。胸元もざっくり開いてて、少し屈むだけで胸が見えてしまうようなデザイン。
お父さんは「肌を見せすぎだ」なんて呆れてたけど、私は気に入っている。
それに恭弥がどう思うかなって少しだけ、そう少しだけ期待した。
なのに恭弥は食事が終わったと同時に自分の部屋に戻ってしまって、これでも多少はガッカリしたのだ。
だから呼びに来たっていうのに、目の前で見ても恭弥は何の誉め言葉も言ってくれない。
あげく胸を強調させてる私をチラっと見ただけで、特に興味を持った様子もなく、プイっと視線を反らしてしまった。
「どこが大きくなったって?」
「うわ、やな感じ…」
「そういう服を着るなら、もっと大きな胸じゃないと似合わないと思うけど」
「……更にやな感じ!気にしてる事をズケズケと」
「気にしてるんだ?」
恭弥はそこで初めて顔を上げると、ニヤっと意地悪な笑みを浮かべた。
人の突っ込まれたら嫌がる部分を見つけると、恭弥はすぐこんな顔をする。
いつからこんなに捻くれたんだろう。昔はもっと優しかったのに。
「いいでしょっ?気にするお年頃なの…っ」
「へぇ。誰に見せるわけでもないのに?」
「未来のカッコいい彼氏に見せる予定なの!その時は今までと違う甘~いクリスマス過ごすもん」
そう言って顔を反らすと、恭弥はぷっと吹き出して読みかけの本を置いた。
「クリスマスイヴに家族とパーティしてるくらいなんだから、すぐには出来ないよ」
「む…そっちだって同じじゃない。彼女のひとりも出来ないんだから」
「僕は出来ない、んじゃない。作らないだけだ」
恭弥はそう言って再び本を手にする。
でも私はちょっとだけ気になって、彼の手からそれを取り上げた。
実のところ幼馴染と言っても、私は最近の恭弥のことを良く知らない。
子供の頃に好きだったものは知っていても、15歳になった恭弥のことは知らないことが増えてきてしまった。
「何、読んでるの?」
「返せよ…」
「わ、これ何…?難しい漢字ばっか」
「簡単だろ?勉強してれば」
「恭弥って勉強してる素振りはないのに、何で頭いいの?」
「元々、ここが違うんだよ、とは」
自分の頭を指差しながら笑う恭弥にカチンと来たが、これ以上言い合うといつもと同じになってしまう。ここはグっと堪えて、その本を放り投げた。
私はケンカをする為にここへ来たわけじゃない。
「何するんだよ」
「恭弥は何で彼女作らないの?」
「……何、急に」
「だって…モテるクセに特定の子、作らないじゃない。私、聞いたんだ。恭弥が2組の子から告白されたこと」
「……女っておしゃべりだな…」
呆れたように溜息をつきながら、恭弥はベッドに寝転がった。
そんな恭弥の顔を覗き込みながら「断ったんだって?」と尋ねる。
恭弥は目を瞑ったまま「よく知らない子だし興味もない」と言って息を吐き出した。
「凄く可愛い子なのに」
「どこが。男に媚売ってるのみえみえ」
「胸だって大きいよ?」
「……そんな事で選ばない」
「じゃあ……何で選ぶの…?」
一番、聞きたかった事を、口にした。本当はそれが一番気になってたから。
私は子供の頃から恭弥が好きだった。
いつも優しくて、私のことをいじめっ子の男の子から守ってくれる恭弥が大好きだった。
でも中学に入った頃から、恭弥は少しずつ私に隠し事が増えて優しくなくなった気がする。
年頃の男の子なんだから仕方ないってお母さんは言うけど、私はそれが少しだけ寂しいのだ。
前はノックをしなくても何も言わなかったのに、最近はノックしろ、なんてさっきみたいに怒って来るようになったし、私が来た瞬間、何かを隠したのだってそう。
前は何でも話してくれたのに、今じゃ聞いてもあまり応えてくれない。
もしかしたら好きな子でも出来たのかなって思い始めて、でもそう思ったら急に怖くなった。
私以外の女の子と恭弥がいるところを想像するだけで、それはもうホラー映画並みの恐怖映像だ。
恭弥は私の問いに応えないまま、ゆっくりと目を開けた。
そして四つん這いになって恭弥の顔を覗き込んでる私を横目で見ると、呆れたように溜息をついている。
「胸、見えそうだよ?」
「見えても困るような胸じゃないもの。それより誤魔化さないで応えてよ。ね、何で女の子選ぶわけ?あ、やっぱり頭がいい子、とか…?」
「……には関係ないだろ?」
「いいじゃない、教えてよ。幼馴染でしょ?」
そう言って身を乗り出し、恭弥の顔を更に覗き込む。
恭弥は煩わしそうに視線を向けて私を見たけど、その瞬間かすかに息を呑んだ。
「…何?」
「…………」
驚いたような顔をしている恭弥を見て、首を傾げる。
すると恭弥は無言のまま、腕を私の方へと伸ばして来た。
「―――ッ?」
突然、視界が反転し、気づけば恭弥を見上げる形になっていた。
何が起きたのか分からずに目をパチクリさせていると、私を見下ろしている恭弥の唇が優しい弧を描いてる。
「…な、何?」
「何って、押し倒してる」
「………ッ?」
その言葉にドクンと鼓動が跳ねた。確かに今はベッドの上で、恭弥は私に跨った状態。
それに気づいた途端、一気に顔が赤くなった。
「わぉ。耳まで真っ赤になった」
恭弥は笑いながら、相変わらず私を見ろして強い眼差しで射抜いて来る。
「な…何して…」
「そんな格好で、男の部屋に来ると、こうなる」
「…え?」
「少しは警戒したら?」
「きょ、恭弥…?」
「僕だって一応、男なんだから」
そう言われてドキっとした。気づけば恭弥の顏にはいつもの皮肉めいた笑みはなく。
これが冗談じゃないという事を物語っている。
今まで二人きりになってもこんな事はしなかったのに、突然男の顔を見せ付けられたような気がして戸惑った。
「きょ…恭弥、あの」
「…いつもと違うクリスマス、僕と過ごしてみる?」
「―――ッ?」
恭弥は私の鎖骨に手を置いて、ゆっくりと大きく開いた胸元へと滑らせていく。
その感触に心臓が大きな音を立てた。
「ちょ、恭…弥っ」
「……僕が何で彼女作らないか、教えてあげようか」
「……え?ぁっ」
恭弥はそう言いながらも、少しづつ手を下降させていく。
そしてドレスの胸元に辿り着いた時、それを指で引っ掛けて僅かに下げた。
「ちょっと――」
下着が露になり、さすがに抗議しようと口を開きかけた。
からかってるだけにしても、これは度を越してる。
けど、恭弥は私を見つめながら、ゆっくり身を屈めて耳元に唇を寄せた。
「バカで…鈍感な幼馴染が傍にいるから、いらないんだ」
「え…?っひゃ、」
そう言った瞬間、耳に唇を押し付けられ、ビクンっと体が跳ねる。
その行為も、そして恭弥が言った言葉も、全てが身体を熱くしていく。
「恭…弥?」
「ぷ……の顔、真っ赤」
潤んだ目で見上げると恭弥は小さく吹き出して、私は更に顔が赤くなる。
「な…恭弥のせいでしょ…っ?」
「がしつこく聞いて来たくせに」
「さ、さっきは興味ないって言ってたくせに…エッチっ」
照れ隠しでいつもの軽口を叩くと、恭弥は徐に顔を顰めた。
「あれはわざわざ動画見るほどの興味はないって意味だよ。好きでもない女の裸見たって仕方ないだろ」
「な…」
その言葉の意味を理解してドキっとした。
じゃあ今、恭弥が私にこういうことをしてくるのって…私のこと好きって…こと?
私の裸になら興味あるって……そういう意味?
「……胸、ないって言ったクセに…」
「僕は大きさで選ばないって言った」
「…じゃ、じゃあ何で……選ぶの?」
ドキドキしながら一番聞きたかった事を、もう一度口にする。
恭弥はちょっと笑ってゆっくり覆いかぶさると、涙で潤んだ私の目じりにそっと口付けた。
「恭…」
「もう黙って」
鼻先が触れ合うくらい近い場所で、恭弥が囁く。
いつも意地悪な恭弥が、今日は優しい。
まるで昔に戻ったみたいに蕩けるくらいの眼差しと視線が絡みあう。
これって、幼馴染、卒業って事――?
そう聞きたかったのに、開きかけた唇は恭弥のそれと重なって、何度も啄まれるうちに言葉は飲み込まれて消えてしまった。
「メリークリスマス…」
いつもと違う、クリスマスになっただろ――?
何度も唇を食べられた後で、恭弥の言葉が耳を掠めていった。
◇
◇
◇
「ね…さっき何、隠してたの?やっぱりエッチな本とかDVD?」
ふたりでベッドに横になってキスの余韻に浸っていた時、ふと思い出して尋ねた。
恭弥の気持ちは分かったけれど、恭弥が私に隠しごとをしているのは確かだ。
なのに恭弥はどこか呆れたような顔で私をの方に視線を向けると、盛大な溜息をついた。
「はあ……そんなものに興味ないって言っただろ」
「だって…あんなに慌てて隠すし何かと思うじゃない…。私に見られたらまずいものなんでしょ…?」
「別に…まずくないよ。最初からに渡そうと思ってたものだし」
「え…?」
恭弥は体を起こすとベッドから下りて先ほどの引き出しの中から何かを取り出しベッドへ戻って来た。
「本当は明日のクリスマスに渡そうと思ってたんだけど…日付も変わったし今あげるよ」
「恭弥…?それって――」
思わず身体を起こそうとした私の肩を押さえて、恭弥が覆いかぶさって来た。
またしても心臓が大きく跳ねてしまったのに、そのドキドキが消えないうちに恭弥の手が私の手を掴んだ。
「に……初めてのクリスマスプレゼント」
その言葉に驚いた時、指に何かを付けられた。
見れば花の形をした可愛い指輪が右手の中指に飾られていて、私は声も出ないほどに驚いた。
あの恭弥が、私の為にこんな素敵なプレゼントを用意してくれてたなんて想像もしてなくて。
胸がいっぱいとはこういうことを言うんだと思った。
ツラいのとは違う、嬉しさで胸の奥が苦しくなるなんて、知らなかった。
「わ、私…何も用意してないよ…」
「別に期待してない」
「…ひ、酷い」
こんな状況でも恭弥は意地悪なことを言う。
けれどその表情はいつもと違って穏やかだ。
恭弥は困ったような顔で「うそ」と言って笑った。
「からのプレゼントはさっき貰ったから」
「…え?でも私、何も…」
と言いかけた時、また恭弥の唇が私のと重なった。
「これ」
「え…」
「のファーストキスを貰ったから僕としては満足だよ」
そんな甘い爆弾を落とした唇が、赤くなった頬にも落ちて来る。
どうしようもなく心が疼いて、確かな幸せを感じた。
私が今感じているこの幸せを、恭弥も感じているなら、こんなに嬉しいことはない。
確かなものが欲しかった。
曖昧な物じゃなく、形のある"何か"が。
15歳のクリスマス、私は遂にそれを手に入れた。
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