中学2年・初夏。いつも通り部活を終えての帰り道。
俺は最近、よく通っている近所のテニスクラブに行くのをやめて、疲れた体を引きずるようにして家へと向かっていた。
今日はいつにも増して練習がハードだった。

"もうすぐ決勝戦だと言うのにタラタラ練習するな!このたわけ!!"

なーんて真田副部長が怖ーーい顔で怒鳴るから気も緩めらんねぇし。
しかも最後は軽い練習試合と言うからやったのに、真田副部長は本気も本気のマジモード炸裂でガンガン攻め込んできやがった。
おかげで、この俺がずっと走りっぱなしでウザいったらなかった。

「…あちぃ…」

これから夏真っ盛りって空気を存分に感じさせるほどの気温。夕方だってのに、かなりの蒸し暑さ。
俺は制服のネクタイを外し、シャツのボタンを一つ外した。

「……やっ!放して下さいっ」

「…??」

その時、かすかに嫌がる女の子の声が聞こえてきて俺はふと足を止めた。

(何だ、今の…?女の声がしたような…)

通り過ぎようと思ったが、やっぱり気になり辺りを見渡してみると、隣にある大きな公園の木々の合間に人影が見えた。
うちの学校の制服を着た高等部の生徒らしい男が二人、一人の女の子を囲んでいるのが見える。

(チッ。ナンパか?)

そう思いつつ、そのまま歩いて行こうとした。
けど女の方は腕を掴まれた事でパニックになっているようで「やめて下さい!」と叫びながら涙声になっている。
再び視線を向けると、よほど怖いのか何となく体が震えているように見えて、俺は公園の方へ歩いて行った。

「いいじゃん。ちょっと遊ぼって言ってるだけだろー?」
「そうそう!アンタの犬がしでかしたお詫びって事でさ?」
「だ、だからそれは謝ったじゃないですか…」
「謝るだけならガキでも出来るっつーの。これ、かなり高いテニスシューズなんだよなぁ~」

そう言って茶髪の男は自分の靴を女に見せている。
もう一人の小太りの男はニヤニヤしながら怯えている彼女の顔を覗き込んだ。

「ほんと可愛いよなぁ?近所に住んでるの?どこの学校?見かけない顔だよな」
「……あ、あの…腕、放して下さい…っ」
「だから少し付き合ってくれるって言うなら放すって」

小太りの男はそう言いながら茶髪の男に「なあ?」と同意を求めている。
俺はそれを見ていて胸クソ悪くなってきた。

(大の男が二人がかりで何してンだ?)

ああいう奴らは好きじゃない。
堂々と女も口説けないなんて情けないったら。
それに…あんなに怯えてる子をどうにかしようなんて腐ってやがる。
そう思ったら自然に足が公園の中に向いていた。別に正義のヒーローなんて気取る気もねぇけど。

「なぁ、行こうぜ?」
「や…っ」

「その手、放せよ」
「…ぁん?!」

小太りの男と一緒になって茶髪の男も女の腕を掴むのを見て、俺は後ろから声をかけた。
二人の高校生は怖い顔で勢い良くコッチに振り向くと、訝しげな顔で俺をジロジロ見ている。

「何だ。お前―?」
「あ…コイツ…中等部テニス部の切原…!」

どうやら二人も高等部ではテニスをやってるらしい。
肩からはテニスバッグを下げているし俺の事も知ってるみたいだ。
まあ、俺の見た感じじゃ、ちょー弱そうだから控えの控えくらいなんだろうけどな。

「何だよ、テメェ…。文句あんのか?」

小太りの方がイキがって俺の方へ歩いてくる。でも全然怖くないんだよね。(テニス部の先輩の方がよっぽど怖ぇよ)

「まあ、アンタらがうちの学校の品位を落としてるって事には大いに文句あるかも」
「はあ?!ナメてんのか?このガキ!」

今度は茶髪の方が女の手を放してコッチに歩いてくる。
俺は鼻で笑うと「別にナメてないっスよ?先輩」と肩を竦めた。
小太りの男が「コイツ!」と俺を蹴ろうとして短い足を振り上げて来たが、俺の方が先に素早い動きで拳を奴の顔の前に突き出す。
その動作で俺のテニスバッグが地面にドサ…っと落ちた。

「―――ッ?!」
「…やめといた方がいいっスよ?俺、テニスも強いけどケンカも負けた事ないんで」
「……テ、テメェ…」

目の前の拳を驚いた顔で見ながら男は俺を睨んできた。
でもさすがに分が悪いと思ったのか、茶髪の方が小太りの男の腕を引っ張る。

「チッ!行こうぜ?ケンカしてバレたら監督に怒鳴られる」
「…そ、そうだな…。おい、切原ぁ!テメェが高等部に上がったら可愛がってやっからよぉ。覚えとけ!」
「はいはい。でも俺、頭悪ぃから忘れっかも……って、あぁ~もう行っちゃったよ…」

見ればそそくさと逃げていく男二人。

「何だよ…最後まで人の話聞いてけっつーの」

俺は軽く苦笑すると地面に落ちたテニスバッグを拾おうと後ろを振り返った。
すると目の前には差し出された俺のバッグ。
と、今までアイツらに絡まれていた女が立っている。

「あ…あの!ありがとう御座いました」
「え…あ…いや…」

勢いよくペコリと頭を下げられ、俺は少しだけ後退した。
彼女はすぐに顔を上げると笑顔で、「本当に助かりました。あのこれ…」と俺のバッグを再び差し出す。
けど俺はそれを受け取る事も出来ずにボーっと目の前の女を見てしまう。

「あの…?」
「………ッ(め…めちゃくちゃ可愛い…!)」

さっきは遠めでハッキリ分からなかったけど、こうして目の前で見ると、その子は物凄く綺麗な子だった。
黒くて長い髪にパッチリと大きな黒い瞳。
小柄で俺より身長も低いけど、それが綺麗な彼女を可愛くも見せている。
俺は柄にもなく、しばし彼女に見惚れていた。

「あの…」
「え?あ…わ、悪ぃ…」

キョトンとした彼女を見てハッと我に返りバッグを受け取る。
その時、彼女の足元から小さな物体がヒョッコリと顔を出した。

「うぉっ…犬?」
「あ…この子、私の犬で"ブン太郎"って言います」
「…へえ…ブン太…郎…ね…(ぷっ…どっかで聞いたことある名前…)」

その子はその小さな犬をひょいっと抱き上げ再び笑顔を見せる。
彼女のその笑顔がまた可愛くて少しドキっとした。

「そいつ…何て種類?」
「トイプードルです」
「え?マジ?でもコイツ茶色い…」
「今はこの毛色の子が多いんですよ?」
「そ、そう…なんだ…」

プードルっつったら真っ白で変てこりんなカットとかしてるイメージしかねぇや。
へぇ…でも茶色のプードルも可愛いかも…何だかモコモコしてるし熊のヌイグルミみてぇ。

「で…何で…絡まれてたの?」

ヘッヘと舌を出して俺を見上げてくる子犬を撫でながら尋ねると、彼女が困ったように眉を下げた。

「この子の散歩に来たら、あの人たちに声をかけられて…。断ってたらこの子があの人たちの靴に噛み付いちゃったんです…」
「ああ…それで靴がどーの言ってたんだ」
「はい。この子の歯の跡がついてしまって…」
「ふーん。ま、いんじゃねぇの?それくらい、どうってことないと思うし元々、アイツの靴汚かったからさ」

そう言って笑うと彼女もクスクス笑いながら、ゆっくり歩き出した。

「あの…」
「え?」
「ケンカ、強いんですね。それにテニスも…してるんですか?」
「ああ、まぁね」

何となく彼女を追うように歩き出し、隣に並ぶ。
彼女は俺の肩よりも少し低いくらいで、ほんとに小柄だ。

(やべぇ…ほんと可愛いかも。俺、ちっちぇー子に弱いのかな…?)

「…私の知り合いもテニスに夢中らしくて」
「そうなんだ」

軽く相槌を打ちながら風にサラサラ揺れてる彼女の綺麗な髪を見ていた。
どこの…学校なんだろう。見た感じじゃ同じような年齢にも見えるし少し上にも見える。
ここに散歩に来るって事はこの近所に住んでるのか?
でもだったら同じ学校なはずなんだけど、こんな可愛い子いたら気づかないはずねぇしな。
やっぱ高等部の子かな?
頭の中であれこれ考えてると、彼女が住宅街の方に歩き出した。

「あ…私の家、こっちなんです」
「あ~…そっか…」

何となく名残惜しい気がして俺は頭をかきつつ足を止めた。

(名前くらい…聞こうか。いや、でも変に思われっかな…。さっきの奴らのせいで怖い思いもしてるし…)

一瞬の間にそんな事が頭をよぎるが、俺にしては珍しいくらい言葉が出てこない。

「じゃあ…さっきは本当にありがとう御座いました」
「あ…いや…」

あんな事くらいで律儀に何度もお礼を言う彼女に、妙に胸の奥がざわついた。
俺に取ったらちょっとした暇つぶし(ストレス発散ともゆう)だったのに。

「それじゃ…」
「あ…名前――」
「え?」

歩き出そうとする彼女を引き止めるのに、つい口走ってしまった。

「名前…聞いてもいい…?」

(ああ…人の名前を聞くなら、まず自分から先に名乗った方が良かったか…?)

そんな小さな後悔を感じつつ、彼女の返事を伺うようにチラリと視線を送った。
でもその不安も吹き飛ぶほどの笑顔と目が合う。

「あ…ごめんなさい。私ってば名乗りもしないで…。私、って言います」
「……?」
「はい」

(へぇ…名前も凄く可愛いかも…何つーか…この子にピッタリっつーか…)

「あの…」
「え?」
「私もお名前聞いていいですか?」

彼女…はそう言ってニッコリ微笑んだ。

「あっと…悪ぃ。俺は…切原赤也。そこの立海大付属中の2年でテニス部所属」

ついクセで学校まで名乗ってしまった俺を見て、が驚いた顔をした。

「え…立海大…?そう言われてみれば…制服が同じ…ネクタイしてなかったし分からなかった…」
「へ?同じって…誰と…?」

その言葉に眉をひそめると、は更に驚いた顔で「あ…それに…テニス部…?!」と再び目を丸くしている。

「えっと…」
「あ、ごめんなさい。私の知り合いも立海大付属中のテニス部で…」
「…え?そ、そうなの?!つか…だ、誰?!」

彼女の言葉に俺もビックリして思わず尋ねた。
うちの部員なら顔くらい知ってるかもしれねぇ。
まあ控え選手なんて山ほどいるから知らないかもしれないけど――。

「あの…切原くんなら知ってるかも…」
「…え?」
「ブンちゃん、テニス部のレギュラーだって言ってたし…」
「んぁ?!ブ…ブンちゃんんん…ッ?!」

そんな"今日のワンコ"みたいな名前(ォイ)うちのテニス部には一人しかいない。
俺の脳裏にガムを膨らましながらニヤリと笑う、あの先輩の顔が浮かんだ。

「アンタ、もしかしてブン太先輩の――」

「あー!!そんなトコで何してンだぁ?」

「あ、ブンちゃん!」

「――――ッ?!」

そこへ聞きなれた声が俺の耳に飛び込んで来た――。

「あっ!!赤也!!」
「(うげ!マジかよ!)…ブ…ブン太先輩?!」

住宅街の方から、さっき学校で別れたばかりのブン太先輩が驚いた顔でこっちへと走ってくるのを見て、俺は軽い眩暈を感じた。

「赤也…お前何してンだぁ?、どうしてコイツと――」
「あ、やっぱりブンちゃんの知り合いだったんだ!実はさっきブン太郎の散歩に行った時に会って――」
「はぁ?ナ、ナンパでもされたか?!」
「ちょ!ブン太先輩!俺、ナンパなんてしてないっスよ!!」

さすがの俺もそこで慌てて口を挟む。
するとが笑いながら首を振ってちゃんと説明してくれた。

「違うの。その逆でナンパされて困ってた私を切原くんが助けてくれて…」
「え!マジで?」

ブン太先輩は目を丸くしたまま俺の方に視線を向けるから俺も「マジっスよ!」と頷く。
そこでブン太先輩はやっと納得してくれたようだ。

「そっかぁ~怖かっただろぃ?…散歩なんて俺が帰ってくるまで待ってれば良かったじゃん…」

ブン太先輩はそう言いながら心配そうな顔での頭を撫でている。

(うわーこんなブン太先輩、初めて見たかも…)

「でも部活で疲れて帰ってくると思って…」

も頭を撫でられ嬉しそうな笑顔を見せる。

(チェ…何だよ…。この子はブン太先輩の彼女なのかな…)

少々ガッカリして二人を見てると、ブン太先輩が俺の方に顔を向けた。

「赤也、サンキューな!コイツ助けてくれてよ」
「別に…。つか…二人は付き合ってるんスか…?」

チラっと視線を上げて尋ねるとブン太先輩は一瞬キョトンとしたけど、すぐにケラケラ笑い出した。

「違う違う!は俺の幼馴染みだよ」
「…へ?幼…馴染?」
「なあ?
「う、うん…、そうなの」

もそう言って俺に微笑んだ。
あーやっぱこの子の笑顔、可愛いかも…
見てると何だかコッチまで元気になれそうな…明るくて綺麗な笑顔。

は一年前まで俺んちの隣に住んでたんだけど、親父さんの仕事の都合で最近までアメリカに行ってたんだ」
「へ、へぇ…(って事は…英語ペラペラ?)」
「で、先週やっと戻ってきて来週から俺達と同じ学校に転校してくるんだよ」
「へえ…え?!て、転校?」

そこで俺が彼女を見ると、ニコニコしながら頷いた。

「はい。立海大付属中の2年のクラスに」
「マ、マジ?って事は…え?俺と同じ歳って事?」
「そうみたい。来週から宜しくね?」

ニッコリ微笑んでくれた彼女に俺もつられて笑顔になる。
けどそんな俺を見ていたブン太先輩は目を細めると、

「おい、赤也ぁ。宜しくすんのも面倒見るのもいいけどよ…手は出すなよな?」

ビシっと俺の鼻先を指差し、いつものようにガムを膨らます。
それを見ていたが慌ててブン太先輩の腕を掴んだ。

「ブ、ブンちゃん!何言ってるの?切原くんに失礼じゃない」
「ぜぇーんぜん!コイツにはこれくらい言っておかないとな」
「……け…何スか、そりゃ・・・(何でこうなんだよ…)」

プイっと顔をそらして唇を尖らせる俺には、「ごめんね?」と謝ってきた。
その申し訳なさそうな顔を見たら、嫌でも笑顔になる。

「いや…いつもの事だし…」
「あれぇ…赤也、いつもと態度違うじゃん?自分のファンには素っ気ないクセにぃ」
「な、何言ってんスか?お、俺は別に…!」

(って俺、何でこんな焦ってんだ?クソ…うぜぇ…俺はこんなキャラじゃねぇ!)

「アホらし…。俺、帰るっス…じゃあブン太先輩、また明日ー」

軽く手を上げてクルリと二人に背を向け歩き出す。
だいたいブン太先輩の幼馴染ってとこからして…

「切原くん!」
「――――ッ?」

その声にハっとして振り返るとが笑顔で手を振っていた。

「ほんとにありがとー!また来週ね!」

その言葉と無邪気な笑顔にまた顔が自然と緩んだけど、がブン太先輩の腕に自分の腕を絡めてるのを見てちょっと口元が引きつった。
(あれじゃ、どう見ても付き合ってるようにしか見えねぇ…)
それでも無理やり笑顔を作って手を振り返す。
ブン太先輩がニヤニヤしてるのは、この際だ…見なかった事にしよう、うん。

「…か…」

ゆっくり歩きながら、ふと呟く。
可愛くて、明るくて、そう、まるで向日葵みたいに眩しい、あの笑顔が何だか頭から離れない。
ゆっくりと空を見上げると、オレンジ色をした夕日が辺りを染めて怖いくらい綺麗だった。

「来週…か…」

ふと彼女の言葉を思い出し、何となく来週が待ち遠しくなってくる。
さっきまで重かった足取りも今は嘘のように軽くて、俺は家までの道のりを再び歩き出した。











あれから数日が過ぎ、今日は週の初めの月曜日。
俺は朝練が終わって早々、校門へと走った。

「あれぇ?赤也」

後ろから名前を呼ばれ振り向くと、そこには同じ学年でも仲のいい女、ユリが驚いた顔で立っていた。相変らずばっちりメイクで、全く朝日が似合ってねえ。

「朝練終わったの?って言うか…こんな門の前に突っ立って何してんの?」
「…うるせぇなぁ。カンケーねぇだろ」

何となくバツが悪くて顔をそらすと、ユリはムっとしたように唇を尖らせた。

「何よ、その言い方」
「うるせぇっつってんだろ?放せよ」

絡めてきたユリの腕を振りほどき、俺は仕方なく校舎の中に入った。

「ちょっと待ってよ、赤也!何そんな朝から機嫌悪いの?あ、また真田副部長に怒られたとか?」
「…そんなんじゃねぇーよ」

俺が素っ気なく答えるとユリは首を傾げつつ俺の顔を覗き込んでくる。
綺麗にセットされた明るい色の髪がサラリと肩から落ちて、大きな瞳がジィっと俺を見つめていた。前の俺なら"可愛い奴"とか思ってたかもしれない。
ユリは2年の中でも目立つくらいダントツで綺麗な女だ。
だからじゃないけどユリに言い寄られるのも"付き合ってる"なんて噂されてるのも悪い気はしてなかった。まあ我がままでプライドが高いところが自分と重なって、いまいち心が入らず本当に付き合うまではいってないが。

「今日の赤也、何だか冷たくない?」
「…んな事ねぇよ」
「あるよー!」
「はぁ…マジでうるせぇ…」

しつこい奴は好きじゃない。
俺はそれ以上、ユリの相手をするのがウザくなり、足早に自分の教室へと入った。
ユリは入り口のところで「何よ、赤也のバカー」と文句を言って自分の教室へと走っていく。
それを見送りつつ俺は窓際の自分の席に座り、思い切り溜息をついた。

(あの子…今週からうちの学校に通うって言ってたよな?いつ…来るんだろ)

ふと窓の外を眺めると、次々と生徒が校舎に向かって歩いて来る。
その中にあの綺麗な長い髪の少女の姿を自然と探してしまう自分がいた。

はぁー今朝の練習の時、ブン太先輩に聞こうと思ったのに…何で今日に限って休みなんだ?
真田副部長に聞いても「さあ。用事がある、としか聞いていない」なんて言うし。用事って何だよ。頬杖をつきながらボーっと外を眺めつつ、そんな事を考える。
そこに担任の教師が入ってきて、クラスの奴らが一斉に席へと座った。
ガタガタと音がして騒がしかった教室が一気に静かになる。

「えー今日は転校生を紹介する」

「………ッ?」

その言葉に驚いて顔を前に向けた。
すると担任の後ろからおずおずと前に出て俯いてる少女が視界に入る。

「ぁ…っ」

です…皆さん、宜しくお願いします」

ビックリ、した。
あの子が俺のクラスにいることに。












ホームルームが終わると俺は席を立って、に声をかけようと歩きかけた。
けど早速クラスの男どもが彼女を取り囲み「どこから来たの?」なんて話しかけている。
それにはも驚いたような顔で皆の顔を見渡したが、ふと俺の方に視線を向けた途端、嬉しそうな笑顔を見せた。

「切原くん!」
「……よう…」

ドキっとしたが顔には出さず、軽く手を上げれば、彼女を囲んでいた奴らまでが一斉に俺を見た。

「え、何で切原と?」
さん、切原と知り合いなわけ?」
「うん。ちょっと」

はそう言って席を立つと俺の方に歩いてきた。
あの日と変わらず可愛らしい微笑みを浮かべる彼女は綺麗な髪を肩までたらし、うちの学校の制服も凄く似合っている。
これじゃクラスの奴らが寄ってくるのも無理はない、か。

「さっきクラスが分かって切原くんと同じだって聞いたから驚いたんだよ?」
「え?聞いたって…誰に?」
「ブンちゃん。今朝、練習を休んで職員室まで一緒に来てくれたの」
「へぇ…そうなんだ…」

(何だ…。それで今朝ブン太先輩来てなかったんだ)

「でも良かった。切原くんが一緒で。これから宜しくね」
「ああ。こっちこそ…」

そう言いかけて周りを見れば、何故かジトっとした目で皆が見ている。
"何だ、切原のお手つきか"とでも言いたげだ。
女どもに至っては早速妬み根性丸出しといった顔でヒソヒソやりだした。

「勉強、ついてこれそう?向こうとじゃ全く違うだろ?」
「うん。でも向こうで日本の勉強もしてきたから何とか」
「マジで?凄いな…」

その時、教室に「きゃぁ~♡」という女どもの叫び声が響いたのと同時に――

!」

声のする方へ視線を向けると、入り口のところでブン太先輩がガムを膨らましつつ、こっちに向かって手招きをしている。もちろん呼ばれたのはだ。

「あ、ブンちゃん!」

ブン太先輩を見た瞬間、嬉しそうな顔で走っていくに、周りにいた男達や女達も驚いた顔で二人の事を見ている。
テニス部で仁王先輩と人気を二分するブン太先輩と転校生の彼女が何故、知り合いなのかと驚いてるようだ。

「ホームルーム、どうだった?上手く挨拶できたか?」
「うん。ってもう…私は子供じゃないよ?」

ブン太先輩に頭を撫でられつつもは少し唇を尖らし抗議をしている。
そんな彼女に優しい笑顔を見せているブン太先輩を見ていると、やっぱり多少の驚きは隠せない。だいたい、あんな優しい表情のブン太先輩なんて俺は見たことがない。
本当に大切にしている女の子って感じに見えるな、なんてことを考えていると、不意にブン太先輩と目が合いドキっとした。
ブン太先輩は指をちょいちょいっとやって俺に"こっちに来い"と言いたげだ。

「…何スか…?」

クラス中の注目の中、仕方なく廊下へと出て行くと、ブン太先輩は俺の肩に腕を回して端っこの方へと連れて行く。
一見、先輩に絡まれてる後輩という図式の出来上がりだ。

「どうだった?クラスの奴らの反応」
「…へ?(反応?)」

その言葉に首を傾げていると、ブン太先輩はチラリと教室の方を見た。
中にいるクラスメート達は全員が俺達の方をチラチラ見ているのが分かる。

「…何だか興味津々って顔でこっち見てやがんなあ」
「…え、ああ…転校生の彼女とブン太先輩がどんな関係なのか気になってるみたいっスよ…」
「ふーん…」

ブン太先輩は軽く笑うと、俺の首に回してきた腕をグイっと自分の方に引き寄せた。
必然的に俺の顔がブン太先輩の顔と近くなる。

「…は昔からモテる…。が…それに気付かないくらい鈍感だ」
「え?」
「お前と同じクラスになったのも何かの縁だし…もしクラスの男どもがにちょっかいかけようとしてたら、お前止めてくんない?」
「…は?」

その言葉に驚いて顔を上げると、ブン太先輩はガムを膨らましながらニヤリと笑った。
目の前で膨らんでいくグリーンの風船を見つつ、俺は慌ててブン太先輩の腕を振り払った。

「な、何で俺が?そんな心配ならブン太先輩が守りゃいーでしょ」
「バーカ。俺がしょっちゅう2年のクラスに来るわけにはいかないだろぃ!」
「そりゃそうだけど…」
「まあ、なるべく俺も様子は見に来るけどよ。頼むよ、赤也」

ブン太先輩は珍しく両手なんて合わせて可愛く拝んでくる。
その辺の女子がこれをされたら絶対「可愛い」なんつって絶叫もんなんだろうなと思う。
同時に俺はこの前も感じた疑問が再び浮かんできた。

「…ブン太先輩」
「引き受けてくれるか?」
「って言うか…」

パっと顔を上げたブン太先輩を見て軽く息をつくと、俺は後ろで大人しく待っているに視線を向けた。

「彼女とブン太先輩って…ほんと幼馴染ってだけっスか?」
「あ?そう言っただろぃ」
「でもそんな心配しちゃって…俺に頭まで下げるくらい大事なんスよね…」
「大事だよ?」
「……っ」

アッサリと肯定されて俺はギョっとした。
ブン太先輩はちょっと笑うと、壁に寄り掛かりながら膨らませた風船をパチンと割る。

「あいつは子供の頃から一緒だし昔から俺がアイツを守ってきたっつーか…」
「…へぇ…」
はさ。世間知らずっつーか…ちょっとぽやーんとしてるとこあっから色々心配なんだよな」

ブン太先輩はそう言って苦笑すると肩を竦めてみせた。
そんなブン太先輩を見てると、ああ本当に大事にしてんんだなっていうのが伝わってくる。

「…分かったっスよ…」
「…え?」
「ブン太先輩の代わりに…俺が見張ってればいいんでしょ?」

俺が素直に了承するとブン太先輩はホっとしたように息をついて「ああ、頼めるか?」と微笑んだ。

「まあ…俺の目に入る範囲以内であれば、だけど」
「ああ、頼むよ」
「あ、でも…」
「何だよ?」

ふと小さな疑問が浮かび、俺は更に声を潜め、ブン太先輩の方に顔を寄せた。

「誰かが彼女にちょっかいかけたとして…もし彼女の方もソイツに気があるようだったらどうするんスか?それでも邪魔しろって?」
「…………」

俺がそう尋ねるとブン太先輩は思い切り顔を顰めた。

「万が一、そんな事があれば真っ先に俺に知らせろ」
「……はあ」

やっぱりな、と思いつつ、もう一つ気になった事を口にしてみた。

「あ、じゃあ…」
「…何だよ?」

まだ、あんの?と言いたげなブン太先輩に、俺はニヤリとしながら、

「俺が彼女にちょっかいかけたくなったら…どうすればいいんスか?」

と言った瞬間、ゴンッと強烈なゲンコツを落とされた。

「―――てッ!!」
「…ふざけんな」
「………(やっぱり…な…)」

そう思いながら殴られた頭を擦りつつ苦笑を浮かべる。
そこへが驚いたように歩いてきた。

「な、どうしたの?ブンちゃん…!何で切原くんを殴るの?」
「ああ、別に何でもないよ。赤也がアホなこと言っただけ」
「…アホなこと…?」

(アホなことって…半分本気だったんだけどな…)

そう思いつつ不思議そうな顔で俺を見ているにニっと笑いかけた。

「何でもないって。こんなのいつもの事だから」
「…いつもの…って…」
「そういう事。んじゃ、また放課後な?」
「あ…ブンちゃん…っ」

ブン太先輩はそう言っての頭を軽く撫でると、俺の肩をポンポンと叩いて自分の教室へと戻っていった。
残された俺とはそれを見送った後、どちらからともなく顔を見合わせる。
そこでちょうど授業開始を告げるチャイムが鳴り響いた。
だがは再び、ブン太先輩が歩いていった方へと視線を向けて教室に入ろうとしない。

「おい、…そろそろ先生来るぜ?」
「あ…うん」

はぎこちない笑顔を見せると俺の後から教室へと入った。
クラスの奴らはすでに席についていたが、男も女も一緒になって俺たちの事をジロジロ見てくる。それを軽く無視して自分の席に座るとも真っ直ぐ席に向かう。
何気なく彼女を見ていると、は席に着いた後こっちに顔を向け、ニッコリ微笑んできた。
その笑顔にドキっとしつつも笑顔を返すと、同時に先生が入ってくる。
一時間目は俺の苦手な英語の授業だったのを思い出し、慌てて教科書を机に出した。

(そう言えば彼女はアメリカに住んでたんだし英語は得意なんだろうな…)

そんな事を思いながら、ふと視線を向ければ、彼女は隣の男――名前すら知らねえ――と何やら言葉を交わしてるようだった。

(何だ、アイツ…ニヤケやがって…。も愛想よく笑顔見せすぎだっつーの)

楽しげにしゃべってる二人と見て何となくムっとしながら、さっきあんな事を頼んできたブン太先輩の気持ちが少しだけ分かる気がした。












「切原くん」

放課後、部活の用意をしているとが俺の方に歩いてきた。

「ん?」
「これから部活?」
「ああ。も見学に来るんだろ?」

今朝、ブン太先輩が彼女に"放課後な"と言っていたのを思い出して尋ねると、も笑顔で頷いた。

「うん。部活終わったら一緒に帰ろうって」
「そっか。じゃあ一緒に行くか?場所、分からないだろ?」
「うん」

嬉しそうに頷いて、は鞄を持って後からついて来た。

「赤也ー部活頑張ってね~!」
「おう」

廊下を歩いていると数人の女から声をかけられる。
それを見ていたは「切原くんってモテるね」なんてからかうように顔を覗き込んできた。

「べ、別にそんなんじゃ…ってかさ…。赤也でいいよ」
「え?」
「名前」
「あ…うん。じゃあ…私もでいいよ?」
「え?」

笑顔でそう言ってくる彼女に少しドキっとして足を止めた。

「アメリカではずっと名前で呼ばれてたし…何だか苗字で呼ばれるのって変な感じがするようになっちゃって」
「あ…そっか…。分かった」

そう言って再び歩き出す。
そして、ふと今朝の授業の事を思い出した。

「そう言えば…ほんと英語ペラペラなんだな?」
「え?あ…」
「先生より発音いいしビックリしたよ」

素直な感想を口にすると、はクスクス笑い出した。

「だって1年住んでたら嫌でも話せるようになるし」
「そうだよな…。まあ、でも俺、英語ってめちゃくちゃ苦手だし尊敬するかも」
「そんなこと…。覚えるしか…なかっただけだし…」

は少しだけ寂しげな顔で微笑んだ。
その横顔にドキっとしつつ「辛かった?」と聞けば、彼女も小さく頷いた。

「やっぱり最初はイジメられたかな。会話もへたくそだったから」
「へぇ…」
「凄く日本が恋しかった」
「じゃあ…戻ってこれて良かったじゃん?」
「うん」

は俺の言葉に嬉しそうに頷いた。
やっと笑顔を見せてくれたことにホっとして、俺もつられて笑顔になる。
そのまま二人で校舎を出ると、テニス部のある方へを案内した。

「ほら、あそこがテニスコート」
「わぁ、何だかギャラリーが多いね」

テニスコートを囲んでいる輩を見ては目を丸くした。
すでに策の外側にはギャラリーが大勢いて、先輩達が出て来るのを今か今かと待っているようだ。
これがウチのテニス部の日常でもある。

「ああ…いつもこんな感じだぜ?うちのテニス部は一番人気だし」
「そうなんだ。あ、だから赤也くんも人気者なんだね」
「そ、そんな事ねぇけど…」

彼女の言葉にガラにもなく顔が赤くなった。
普段どおりにしてるつもりなのに、何となく彼女と話してると調子が狂う。

「ああ…俺より…ブン太先輩や仁王先輩たちの方が人気者だしさ」
「そうなの?」
「ああ。あのギャラリーの半分以上は二人目当てかな」

そう言って笑うと、は少し複雑な顔をしながら、「そうなんだ…」と呟く。
その瞬間――ベシッと後頭部に衝撃が走り、「いてっ」と声を上げた俺は、頭を押さえつつ足を止めた。

「何すんだ…って、あっ仁王先輩…?」
「何しとんじゃ。赤也」

振り返れば、そこにはニヤニヤしている仁王先輩が立っていた。
殴られた場所を擦りつつ「何でいちいち殴るんスか!」と文句を言ったが、仁王先輩は大して気にもせず俺とを交互に見ている。

「お前、いつの間にこんな可愛い彼女作ったんじゃ?」
「な!彼女じゃないっスよ!」

仁王先輩の言葉にギョっとしつつ否定してを見れば、彼女は少し顔を赤くして俯いている。

「じゃあお前のファンか?」
「それも違うっス!彼女はブン太先輩の幼馴染で…」
「丸井の?」

仁王先輩は少し驚いたように彼女を見た。
そこでもやっと顔を上げて「…初めまして。です」と丁寧に名乗る。
その途端、仁王先輩も「俺は仁王雅治。宜しくの」なんて優しい眼差しでニッコリ微笑んだ。
女はこの笑顔に騙される。

「でも…見かけない顔じゃのう」
は今日、転校してきたばっかっスから」

俺が代わりに説明すると、仁王先輩は意味深な笑みを浮かべて俺を見た。

「ほう…。その割りには名前で呼んだりして打ち解けてるのう…」
「そ、そんな事ないっスよ…これくらい普通でしょ?」

俺は慌てて顔を反らした。
だいたい、こんな顔した時の仁王先輩は危ない。

「まあええ。それより…ちゃんは見学するんか?」
「あ、はい…。ブンちゃんが見においでって言ってくれて…」
「…"ブンちゃん"…」

仁王先輩はそこに反応して、さっき以上にニヤニヤ顔になってる。
大方、可愛らしい呼び方をされてるブン太先輩をからかうネタが出来たと思ってる事だろう。

(まあ俺も突っ込みたかったけど俺が言うと殴られっからな…)

この仁王先輩もブン太先輩もほんと理不尽な先輩だっていうのは嫌と言うほど分かっている。

…?!」
「あ、ブンちゃん!」

そこへやっとブン太先輩が登場した。
すでに着替えてラケットを抱えながら、慌ててこっちへ走ってくる。

「遅いからどうしたかと思えば…仁王たちと何してンだ?」

ブン太先輩は俺と仁王先輩をジロっと見ると、の目線まで屈んで顔を覗き込んだ。

「あのね、赤也くんに連れてきてもらったの。それで仁王先輩に会って…」
「そっか…仁王に何か変なことされなかったか?」
「え?!」
「おい、丸井…。どういう言い草じゃ、それ」

ブン太先輩の一言に仁王先輩は思い切り顔を顰めている。
俺は内心、噴出しそうになったが笑えば絶対殴られるし必死で我慢した。

「どういう言い草も何も…そのままの意味だろぃ」
「ブ、ブンちゃん…っ?」
「ほう…俺がお前の可愛らしい幼馴染に何かするとでも?」

キラリと詐欺師の目が光り、俺は何となく一歩、後ずさってしまった。

「さぁな。お前の病気(女好き)は俺がよぉーく知ってるし」
「…………」

ジトっと睨みあう二人。
その隣でオロオロしたように困っている

(はぁ…関わりたくねー)

心からそう思っていると、不意に仁王先輩がニヤリと笑った。(すげぇ嫌な予感)

「丸井に、こんな可愛い幼馴染がおるなんて初耳じゃのう」
「…言ってないからな」
「ほうか。まあ…せっかく、うちに転校して来た事だし…。今後は俺も可愛がらせてもらおうかの。ちゃん」
「え…?」
「ぁ――!」

仁王先輩は素早くの頬にキスをして「パワー補給も完了したし今日も練習、頑張るかの~」と口笛を吹きつつ歩いていく。
それには俺も唖然としたが、ブン太先輩もあんぐりと口を開けて固まっていた。
ただ、に至ってはキョトンとした顔で仁王先輩の事を見ていて「仁王先輩も…アメリカ留学してたの?」なんて呑気な事を呟いていた。

「こ、こらぁ~~!!!待て、仁王!!このドスケベがぁ~~!!」

の呟きにハっと我に返ったブン太先輩は、顔を真っ赤にして怒鳴りながら仁王先輩の事を追いかけていった。
そして後ろから仁王先輩に飛び掛り、拳で頭をグリグリしている。
まあ、あんなジャレ合いはいつもの事だし何とも思わないが、俺はの受け取り方の方が驚いていた。

「お、おい、…」
「え…?」
「何で…仁王先輩が留学してたとかって思うわけ…?」

まさかとは思ったけど一応聞いてみる。
すると彼女は少しだけ首を傾げると、

「え、だって…何だかノリがアメリカ人と同じだから…」
「……は?」
「あっちの人は挨拶で頬にキスするし、ブンちゃんが怒るような意味合いじゃないんだよ?私も最初は驚いたけど」
「………ああ…そう…」

はぁ…ダメだ、こりゃ。ブン太先輩が言ってた意味がマジで分かった気がする。
ぽやーん、どころかマジで見張ってないと、ホント危ないかも…。
だいたい仁王先輩がしたキスはハッキリ言って挨拶とか、そんなノリじゃなく…ブン太先輩が怒る意味合いのものだし。
まあ半分はを可愛がってるのが見え見えのブン太先輩をからかったんだろうけど…残る半分は絶対"スケベ心"だろ。
なのにと来たら…全く分かってねぇんだから―――。

「赤也くん…?どうしたの?」
「…………」

軽く目頭を押さえている俺を不思議そうな顔で見てくる

(あークソ!何だか俺が守ってやらなきゃ、とかガラにもない感情が湧き上がって来るのは何でなんだ?)

だってコイツ、男の下心とかぜってぇー分かってなさそうなんだもん。

「赤也くん…?」

はくりくりとした大きな瞳で俺の顔を覗き込んでくる。
その表情はやっぱ凄く可愛くて。
ブン太先輩に釘は刺されてるけど、出来れば見張り役より、ちょっかいかける側になりたいかも…なんて思っちまう。
とりあえず、明日から仁王先輩にはを近づけない方が良さそうだ。


一凛の向日葵