生贄の巫女
藤原の精鋭どもを幾度となく退け、ひと月ばかりたった頃。呪術師どもは手札を変えて俺に擦り寄るようになった。
高価な貢ぎ物に加え、若い娘を贄として差し出す愚行に走り、命乞いをしてくる。
過去、虐げられてきた俺を、強いというだけで恐れおののく姿を見るのは、何とも愉快な気分だった。
気の長くなるような歴史を持つ世界の民を、気分一つで鏖殺することが出来るほどの呪いを飼っている俺に、勝てる人間はいない。
この世の全ての人間は、俺の手のひらの中で生かされている。
「家から参りました。と申します」
今宵もまた、俺の元へ生贄の若い娘が送られて来た。どうせ喰われるだけだというのに大層な着飾りようで、娘は堂々自らの名を俺に示した。
名を明かすその意味を、女は知っているらしい。これまでの贄とは違い、女の目に怯えた色はなく。とうに覚悟を決めているような強い意志を感じた。
俺の姿を目の当たりにしても怖がりもしない。その風変わりな女を、俺は殺さず生かすことにした。
覚悟を決めた女をただ喰らうのはつまらない。
そんないつもの気まぐれ、戯れだった。
と名乗った女は呪術師の家系に生まれながら巫女をしていたという。そのわりに何枚も着せられた着物を脱がせば、何とも貧弱な体が現れた。
どう見ても、まともな食事を与えられていたようには思えない。
「どうか、わたしを喰らって下さい」
ひと月も経つ頃、一向に手を付けられないことに痺れを切らしたらしい。馬鹿の一つ覚えみたいにその言葉しか口にせず、哀願するように見つめてくる女に、俺は「そんなガリガリでは食欲も湧かんわ。もう少し肉付きが良くなったら喰らってやる」と言っておいた。
それが女をムキにさせたようだ。その日以降、裏梅に出されるまま三食の食事を摂るようになった。
しかし日に日に血色が良くなっていくものの、は一向に太る気配はなかった。
あれから一年――。
瘦せっぽちの巫女は、未だに屋敷でのうのう生き延びている。

ある寒い冬の夜半過ぎ。いつもより温い気がして目が覚めた。見れば布団がこんもりと盛り上がり、俺の体に密着してる奴がいる。
こんな無礼を平気で犯す奴は、この家に一人しかいない。がばりとかけ布団を捲れば、ダンゴムシのように丸くなってる小娘がいた。案の定だ。
「…おい、小娘」
「…うーん…もお食べられませんてばぁ…宿儺さまぁ…むにゃ…」
「……ッ(ピキッ)」
一瞬、額に血管が浮き出たほどにイラっとする。この小娘は自分の立場というものを理解しているようで理解していない。
死ぬ覚悟がありすぎる者は時として厄介なのだと改めて思い知らされる。脅したところで、この小娘には何一つ効果がないからだ。
さて、こやつをどうしてくれようか…と、少しでも力を入れたら折れそうなほど細い首へ手を伸ばす。その時「宿儺様!」という騒がしい声が廊下から響いてきた。裏梅だ。
「何だ。騒々しい」
言いながら襖を開ければ、裏梅が慌てて膝をつき、床を舐める勢いで頭を下げている。恐縮しているのか、いきなり「も、申し訳ございません!」と言い出した。
「がどこにも見当たらず、一帯をくまなく探したのですが――」
「なら、ここにいる」
「……は?」
裏梅が驚いたように顔を上げ、次に俺の寝ていた布団を見る。そのあと酷く驚愕したらしい。ただでさえ白い顔を更に白くさせ、目玉が少しだけ飛び出ている。常に冷静な裏梅にしては珍しく本気で驚いてるようだ。
「な、ー!き、貴様、何たる無礼な…!も、申し訳ございません!私が目を離した隙に…!今すぐ叩き起こして尻叩きの刑に――!」
「よい」
「……す、宿儺さまっ?しかし、このような娘を宿儺さまの床へ寝かせるなど…」
「よいと言っている。まあ…今夜は寒いしな。湯たんぽ代わりにはなるだろう」
「は…はあ…」
もう下がってよい、と言えば、裏梅は困惑気味に頷き、自室へと戻って行った。この俺が無礼を働いた小娘に何の罰も与えないのを訝しがっているようだ。
しかし罰などというものは、相手が怯えるからこそ面白味のあるもの。のように何の迷いもない者に罰を与えたところで面白くも何ともない。
――そんなガリガリでは食欲も湧かんわ。
俺のあんな一言で、大きな瞳に涙をためた小娘は、もともと生贄として俺の元へと送られた女だった。
「…っくしゅ」
「………」
布団を捲ったまま放置していたから寒かったらしい。は小さなクシャミをして更に体を丸め始めた。
そのダンゴムシ姿を見ていたら興が削がれ、溜息しか出ない。こんな小娘、殺したところで俺の寝床が汚れるだけだ。
「おい、。真ん中で寝るな。俺が寝れん」
「んー…寒ぃ…」
「ハァ…貴様、生贄の分際で俺の寝床を奪うとは…やはり望み通り喰ってやろうか――」
「…宿儺さ、ま…はや、く…食べて…くださ…ぃ…むにゃ…」
「…………」
夢の中の俺にも同じ言葉を言ってるらしい。進歩のない奴だ、と呆れつつ、この娘はここへ来た一年前から、一貫してブレない芯の強い娘だというのは薄々分かってきた。呪術師の家系、その中でも高貴な巫女に生まれながら、末っ子というだけでここへ送られたことを恨むでもなく、己の使命を全うしようとする姿勢はあっぱれと言えよう。
だが――。
「フン…そう簡単に楽になどさせるか」
隣に胡坐をかいて座ると、小さな額にかかった前髪を指で避ける。そこには兄や姉につけられたという傷跡が薄っすら残っていた。
人間は自分とは違う人間をとかく排除したがる生き物だというのは、身をもって知っている。この娘もまた"排除された側"の人間なのだということも。
この娘と俺の違いは、強者か弱者か。その一点のみ。全てを憎み、鏖殺してきた俺とは違い、この娘は力がないゆえに奪われる。
その儚い人生を、たった一つの命を。
「…フン、下らん…」
情けをかけるほど俺は優しくもなければ、慈悲深くもない。そう思うのに、一年もを生かしてるとは自分でも呆れてしまう。
こやつの望み通り、サッサと喰らってやれば良いものを、何だかんだと傍に置いているのだから、俺もどうかしてるとしか思えない。
「ん…宿儺…さま」
「………」
寝返りを打ち、その小さな手が俺の着物の裾をきゅっと掴む。その仕草に僅か胸の奥に苦しさを覚えた。馬鹿な、と思う。
人並みの心を捨て、化け物になることを選んだはずが、といると引き戻されそうになるのが不快だった。
なのに俺を恐れもしない存在がいる、と思うと、何とも言えず心地良い感覚に包まれる。その矛盾したものを抱えながら、の隣に潜りこんだ。
やはり寒かったんだろう。俺の体温を本能的に察知して、はその華奢な体を擦り寄せてきた。ぴったりと俺に寄り添う小娘に、捨てたはずの心が揺さぶられる。
無意識に顔を寄せると、は口の中でむにゃむにゃとまた寝言を言ったようだった。
「…よく喋るやつだ…」
小さな頭に触れると、手が勝手に絹糸のような髪を撫でていく。こんな風に誰かを愛でたのは初めてだったかもしれない。
「…んぁ?」
髪を撫でたことが刺激となったのか、は寝ぼけ眼を俺に向けて、そして柔らかい笑みを向けてきた。どこか惚けた笑みは、捕食される側が見せるものとは到底思えない。
「宿儺さま…?」
「…起きたか」
「あれ…わたし、どうして…」
目を擦りながら上体を起こしたは、きょろきょろと室内を見渡し、首を傾げてる。ここへ忍び込んだことすら忘れたらしい。全く呆れた小娘だ。
「あ、そうでした…。寝込みを襲えば空腹で起きた時にわたしを食べてくれるかと思って…ほら、宿儺さまは起きたらすぐに腹減ったって言うでしょう?」
「…そんな下らん理由で俺の寝所に忍び込んできたのか」
「だって、こうでもしないと…あ!もしかして宿儺さま、今、お腹空いてます?」
「オマエは俺を何だと思ってる」
へら、と笑うに人を食いしん坊みたいに言うな、と睨めば、わたわたと正座し直して「すみません…」と頭を下げる。
「そうですよね…わたし、まだガリガリだし…これでも最近はいっぱい食べてるんですけど、まだお肉が足りないのかな…」
は自分の腹を摘まみながら、悲しそうな顔で溜息を吐いている。この娘はこれを本気で言っているから面白い。
こいつがここへ献上された際、今よりもっとガリガリで、「オマエみたいな鶏ガラは喰えんからもっと太れ」と言ったのを未だに実行している。
ただ、裏梅がを太らせようと、栄養のある食事を食べさせ始めたが、体質なのかこいつは一向に太らない。
よって――俺の食欲も湧かない。
今日まで何度も「食べて頂けないのでしたら無駄飯喰らいになってしまうので、どうかわたしを殺して下さい」と言われたのだが、そう言われると反対のことをしたくなるのは昔からだ。こいつに言われて素直に殺してやるのも癪だった。
結果、無駄飯喰らいのまま、俺の食糧として居つき、今日に至る。
はどうにか俺に殺してもらおうと、時々こういった無礼を平気で仕掛けてくるが、今日みたいに床に忍び込んできたのは初めてだった。
「裏梅に栄養のある食事を与えてもらってるんだろう。それでも太らないのなら、それは体質だ。諦めるんだな」
「だから、それではここにいる意味がないので早く殺して下さらないと…」
「またそれか。何故オマエはそんなに死に急ぐ」
普通の人間なら生にしがみつくものだ。死を恐れ、少しでも長く生きたいと願う。
だからこそ人は俺を恐れて、こいつのように生贄を献上してくるのだ。
しかし、は人間の、いや生物としての生存本能というものが、まるでない。そこが前から不思議だった。だから訊いた。
俺の問いにはきょとん、とした顔をしたが、すぐにいつもの穏やかな笑みを浮かべて、こう言った。
「わたしはいらない人間だからです」
「……いらない、人間か」
その言葉を不快に感じたのは、まるで自分のことを言われてる気がしたからかもしれない。
何故、そう思う、とは訊けなかった。いらない人間だからこそ、はここにいるのだということは、俺が一番理解している。
「なら早く太れ。俺が喰ってやる」
「はい」
俺の一言で嬉しそうに返事をしたは「明日からまたもりもり食べるので、もう暫しお待ち下さいね」と拳を固める。その何とも無邪気な笑顔に、つい苦笑が洩れた。
「オマエは太りにくい体質だからな。ちょっとやそっとの量じゃ肉もつかんだろう」
「え…そ、そうですか?でもこの辺は少しぽっちゃりしてきた気もするんですけど…」
「どこがだ。俺から言わせれば、まだまだガリガリの骨と皮だ」
「え、でもほら。ここは美味しそうにふっくらお肉がついてきたんです」
そう言ったは何を思ったのか、着物の衿元を開き、己の乳房をぽろんと出して俺にずいっと突き出した。さすがに目が点になる。
本人が言うほど肉はついていないが、女特有の丸みを帯びた膨らみは、確かに美味そうだ。
「…宿儺さま?これくらいのお肉じゃ足りませんか…?」
は悲しそうに眉を下げながら、相変わらず綺麗な形の乳房を俺に披露している。その何とも無防備な姿が、逆に俺の雄の部分を刺激してくるのだからタチが悪い。餌の分際で。
「オマエ…恥じらいというものはないのか。一応、女だろう」
「え?」
「もういい。その貧乳をしまえ。俺は寝る」
から視線を外し、布団へ横たわる。娘はしゅんとした様子で「ごめんなさい…」と呟き、着物を直すと「では部屋に戻ります――」と立ち上がろうとした。そのの手を掴んだのは、この寒い夜に一人で寝る気がしなかったからだ。
「オマエもここで寝ろ」
「…え?でも…」
「いいから寝ろ。湯たんぽ代わりだ」
「は、はい…」
さっきは勝手に潜り込んできたくせに、変なところで遠慮をするは、困惑気味に俺の隣へ横になった。そして掛布団をかけ直すと、俺の体にぴったりと身を寄せる。
「…ほんと、この方があったかいです」
「肉がないから余計に冷えるんだろう、の場合は」
「う…そ、それは…言わないで下さい」
「本当のことだ。また明日からたっぷり喰わせてやるから覚悟しとけ」
俺の言葉にはまた嬉しそうに「お願いします」などと返事をする。相も変わらず食べられる気満々のようだ。
「…お腹が空いたらいつでも襲って下さいね」
が囁くように呟いた。そんな日がいつか来るんだろうか、と考えていたら、隣から小さな寝息が聞こえてきた。こいつは寝るのも子供並に早い。
仮にも男の俺の隣でこうも無防備に寝られるとは呆れる。命を奪うことだけが襲うこととは限らないんだがな。
「…フン…間抜けたツラだな、寝顔も…」
俺に身を寄せながら薄っすら口を開き、気持ち良さそうに眠る寝顔を見ていたら、自然と睡魔が襲ってきた。
人の体温をこんなにも心地いいと感じたのは初めてかもしれない。
久しぶりに熟睡できるような気がして、俺は静かに目を閉じた。
だがその三十分後――。
腹の辺りにぼふっという衝撃と共に目が覚めたら、俺の腹にの片足が乗っていた。
「………こいつ。やっぱり殺すか」
俺に抱き着く格好で熟睡してるを見ていたら、言葉とは裏腹に苦笑しかでない。
いつもより温かいせいで、小さな殺意すら萎んでいくのは、こんな風に誰かに縋りつかれたことなどなかったからかもしれない。
僅かに抱き寄せると、またが俺の名前を呟いたのが、かすかに耳に届いた。

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