今の方が幸せ



――オマエは予定外で生まれたんだ。いらない子だったんだよ。
――ほーんと。相伝も持たない役立たずの無駄飯喰らいなんだから、雑用くらいしなさいな。

幼い頃から兄さまと姉さまにそう言われ続けて、わたしの中には「いらない子」という呪いの言葉が刻まれた。
由緒正しき呪術師の家系で生まれたわたしは、異分子という立ち位置にいた。両親が望む形で出来た子じゃない上に、相伝術式を持って生まれなかったせいだ。
それが理由で、わたしは生まれたその瞬間から厄介者だった。

――オマエの術式は家にとって災いでしかない。術師としてよりも巫女として働け。

父上にそう命令されたわたしは、小さい頃から巫女としての勉強をさせられ、あまり外にも出してはもらえなかった。他の術師仲間には出来損ないの娘がいることを知られたくなかったらしい。
わたしの周りには使用人しかおらず、誰もわたしを人としては扱わなかった。
わたしは人にあらず――。
そんな思いが確率されたまま、わたしは大人になった。
人ではないから何をされても仕方がない。兄さまと姉さまは、よくそんなことを言いながらわたしをぶった。刃物で顔を斬られたこともある。わたしがいるだけで、家の負担になるらしい。捨て子にすれば罪になるから仕方なく家に置いているんだと、兄さまはわたしを嘲笑った。

それと同じ頃、呪いの化身とも噂される最強呪術師がわたしの住む都へ来たという話を耳にした。何でも彼は呪術師にして、人間に仇を成す者だという。
藤原の北家直属の精鋭が束になっても敵わない。人を殺し、人を喰らい、女子供にも容赦はない化け物。その異形とも言える特殊な肉体を持つことから、民は畏怖の念を込めて、彼のことをこう呼んだ。――鬼神・両面宿儺、と。

「…え、わたしが、ですか」

或る夜のこと。父と母に呼ばれたわたしは、数年前から世間を騒がせている両面宿儺への生贄として「オマエを選んだ」と唐突に告げられた。
この都で宿儺さまが人々を襲わないよう、数年に一度は若い女を生贄として捧げることになっているのだと。そして今年は家の番だったらしい。
もちろん、父と母が姉さまを生贄に選ぶはずがない。厄介者で末っ子のわたしが当然のように選ばれた。

「承知いたしました。しっかり自分の役目を果たして参ります」

この時の心境は、やっと家の為に役に立てる、というものだった。
わたしはいらない人間。いや、わたしは人にあらず。わたしはただの――道具に過ぎない。
だから生贄となることに、何一つ恐怖はなかった。なのに――。

家から参りました。と申します」

床に額をつけながら宿儺さまを待っていると、不意に「どこの家の者だ」という威圧的で鋭い声がした。その声を聞く前から滲み出る重苦しい呪力を感じていたわたしは、頭を上げないまま、ただの呼び名を口にした。名前などわたしには単なる記号と同等でしかない。分かりやすく識別するだけの、ただの飾り。

「…食料の分際で名など名乗るな」

でも宿儺さまには、その記号すら不要だったらしい。当たり前だ。彼からすれば、わたしはただの餌に過ぎない。

「申し訳ございません」
「…おもてを上げよ」

そこで初めて顔を上げると、正面に座る宿儺さまを視界で捉えた。聞きしに勝る異様な圧と呪力は圧倒的で、まさに惚れ惚れするほど禍々しく、わたしは宿儺さまと相まみえたことに感動すら覚えていた。
宿儺さまはわたしの顔をジっと見つめ、たっぷり数秒ほど経ったあと、フンっと鼻で笑ったようだった。

「オマエは俺を見ても怯えもせんのだな。恐怖はないのか」
「…恐怖、ですか。ありません」
「ほう…死ぬ覚悟は出来てるようだな」

宿儺さまがそう言ったのと同時にわたしの頬は切れていて。右脇の髪がひと房、ぱさり、と床へ落ちる。宿儺さまは微動だにしないまま、術式をわたしへ向けたようだ。
驚いたのは攻撃されたことではなく、首を切り落とされなかったことだ。

「もちろんです。今すぐお食べになりますか?」
「………オマエは阿呆なのか?」

目を輝かせて尋ねたわたしを見て、何故か宿儺さまは呆れたように溜息を吐いた。何か言葉を間違えたんだろうか?と、あの時のことを思い出すと未だに首を傾げてしまう。
そのあとで、宿儺さまにこう言われた。

――そんなガリガリでは食欲も湧かんわ。もう少し太らせてから喰うとしよう。

あれから早一年。わたしは未だのうのうと生き延びて、宿儺邸でも無駄飯を食らい、今日は寒い雪の中、何故か裏庭で薪を割らされていた。

「裏梅さまぁ…まだ割らないとダメですかぁ…?」
「当たり前だ。手を休めるな。あと十本分は割ってもらうからな」
「えぇ…!それはご無体な…見て下さい、わたしの手…かじかんで真っ赤ですよー。もう感覚がないんですから」
「黙れ。騒ぐほど寒くないだろう。早く割れ」
「それは裏梅さまは寒さに慣れてらっしゃるから…」
「何か言ったか?」
「…いえ別にー」
「口を尖らせるなといつも言ってるだろう」

むぅっと唇を突き出すと、裏梅さまの目がキッと釣り上がる。あんな綺麗な顔をしてるくせに、ほんとに術式と同様、こういう時は本当に冷たい。
かじかんだ手に息をふぅふぅと吹きかけながら、わたしは裏梅さまにジト目を向けた。わたしは薄手の着物一枚なのに、自分はちゃっかり羽織りを着てるなんてズルい、という無言の抗議だ。
ああ、ダメだ。足までかじかんで指先が痛くなってきた。そんなわたしの上から、無情にも雪が降り積もる。さっきまでは薪を割るのに必死で感じなかったけど、動きを止めると、途端にぞわりぞわりと寒気が襲ってきた。

「…へっぷし!」
「何だ、その醜いクシャミは」
「う…クシャミに綺麗も醜いもないと思いますけど…ずず…」
「口答えをするな。そして鼻をすするな!仮にも女だろう、オマエは」
「わたしは女ではありません。食料なので。食べ物にオスもメスもないでしょう?」
「………聞きしに勝る阿呆だな、は」
「え」

裏梅さまはげんなりしたご様子で言うと手を額に当て、呆れたように首を振っている。事実を言ったまでなのに、何故呆れられるのかが分からない。

「阿呆では…っくしゅっ」

言い返そうとした瞬間、鼻がムズムズして、もう一発クシャミが出た。すると裏梅さまは「はぁぁ…」と溜息を吐きながら、何故かわたしの手から斧を奪っていく。

「もういい。残りは私が割る。オマエは先に屋敷へ戻っていろ」
「えっ?そういうわけにはいきません」

まさかの言葉が返ってきたことに驚き、わたしはすぐに裏梅さまの手から斧を奪い返す。それには裏梅さまもむっとしたお顔で、またわたしの手から斧を取り上げた。

「いいと言っている。オマエに風邪を引かれては面倒だから先に戻っていろ。顔が白くなるほど寒いんだろう?」
「でもこれは任された時点でわたしの仕事です」
「……さっきまでウダウダと文句を言ってたのは誰だった?オマエだろう、

ひく、と口元をぴくつかせながら、裏梅さまが目を細める。そこを突っ込まれると耳が痛い。てへへ、と笑って誤魔化したけど、裏梅さまの額に血管が浮き出てしまった。

「あ、あれは…だから…その…ちょっと手がかじかんで挫けそうになっただけで…へっぷし!」
「ほら見ろ。その醜いクシャミは聞くに堪えない。早く――」
「…??」

裏梅さまは一瞬、言葉を切って、何故かわたしの後ろへ視線を向けている。その時、ふと気づいた。さっきまでわたしの頭や肩に降り積もっていた雪が、途切れていることに。

「え、宿儺さま…?」

驚いて振り返ると、そこには番傘を持った宿儺さまが立っていて、何故かわたしの頭上に傘をさしてくれている。恐る恐る視線を上げれば、その凛々しいお顔にはいつもの呆れた表情が浮かんでいた。

「オマエは俺の餌の分際でその体に風邪菌を入れたいのか?」
「…うっ」
「サッサと屋敷に戻れ。ここは寒くてかなわんわ」
「も、申し訳ございません!宿儺さま!今すぐを下がらせますゆえ――」
「裏梅。オマエもだ。風邪を引かんうちに早く屋敷へ戻れ。薪などそれで足りる」
「宿儺さま…」

裏梅さまはどこか感激された様子で瞳を潤ませながら宿儺さまを見上げている。でもその優しい表情はわたしを見ると、すぐに一変した。

「聞いていただろう。サッサと戻れ、。ここは私が片付けておく」
「え?で、でも――」
「行くぞ。オマエは早く風呂に入って体を温めろ。鶏ガラの体じゃ芯まで冷えて風邪を引く。その体に菌を入れることは許さん」
「は、はあ…」

確かに宿儺さまのご飯になる者として、菌を体に入れてはいけない。ただ本当に後片付けを裏梅さまに任せていいものか、と迷っていると、宿儺さまにじとりと睥睨された。

「俺の言うことが聞けないと?」

怖い顔でわたしを見下ろしながらも、宿儺さまはわたしの頭や肩に積もった雪を、さりげなく払ってくれている。よほど餌が風邪菌に侵されるのが嫌みたいだ。

「い、いえ。戻ります…」
「なら、とっととついてこい」

宿儺さまに手首を掴まれ、ぐいぐいと引っ張られながら、わたしは屋敷へ連れ戻されてしまった。わたしとしては有り難いけど、仕事を途中で放り出した感じがして申し訳な気持ちになる。他に何か役に立てることはないのかと考えていると、気づけば宿儺さまの手で風呂場に放り込まれてしまった。文字通り、ぽいってな感じだ。
風呂は先ほどわたしが沸かしていたのだけど、そこで薪が足りなくなって先ほどの作業に繋がった。なのにわたしが一番風呂に入るのは図々しいにもほどがある、気がする。

「あ、あの…わたしが先に湯あみをするのはおかしいのでは…」

ぴしゃりと閉じられた扉の向こうへ声をかけると、すぐ傍で大きな溜息を吐く音が聞こえた。

「オマエは俺のものだ。それをどうしようと俺の自由。ごちゃごゃちゃ言ってないで早く体を温めろ。それは誰の体だ?」
「……宿儺さまのものです」
「なら早くしろ」
「は、はい――っくしゅ!」
「……ハァ。風呂から出たら念の為、裏梅に薬を調合してもらえ。良いな?」

宿儺さまの呆れた声は、それきり聞こえてこなくなった。こうなれば言うことをきくしかなく、わたしはすぐに着物を脱いで、沸かしたばかりの湯へ浸かる。冷えた体には熱湯風呂かと思うほどに熱い。

「ぅあっつぃ!…うぅ…死ぬ…溶ける……でも我慢…」

茹蛸の気持ちがよく分かる、と思いながら、肩までしっかり湯に浸かると、かじかんで感覚のなかった足の指にも少しずつ体温が戻ってきた。そしてふと思う。
宿儺さまの餌、或いはおやつのわたしが、こんなに優遇されてていいのか、と。無茶ぶりをされることはされるけれど、結局最後はこうして甘やかされてる気がしないでもない。でも甘やかされる理由はないので、やはり餌のわたしが病にかからないように、との配慮なんだろう。
この御恩に報いる為にも、わたしに出来ることはただ一つ。

「…今夜もたくさん食べなくちゃ」

お湯の中でぐっと拳を固めつつ、今夜の夕餉は何かしら。裏梅さまの作るお食事は凄く美味しいから楽しみすぎる、とあれこれ想像してはウキウキしてしまう。
実家にいた頃よりも、それはわたしにとって幸せなひと時だったかもしれない。





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