裏梅日録
平安の世・天徳四年某月某日。
この日、宿儺さまが裏山にて熊を数頭仕留めて下さった。それを上手に捌く技は圧巻で、見ていて惚れ惚れする。私がそれを鞣し、冷凍保存しておいた。
そろそろ氷室の食糧も古いものから食していかねば、新たな獲物が入らなくなってきたので、今宵は宿儺さまの夕餉、小娘の餌として、いの鍋にしてみた。
宿儺さまは大食漢なので、お一人で鍋をぺろりと平らげて下さる。「裏梅、今宵も美味だったぞ」とお褒めの言葉を頂けたのは、料理人として最高の賛辞だ。あの一言の為に料理人になったようなもの。
明日は何をお作りしてさしあげようか、と考えるだけで心が躍る。
ただ、あの小娘に至っては「裏梅さま、とっても美味しいです!お代わり下さい!」と図々しく椀を出し、遠慮もなくがっついてもいたのだが、一向に太る気配がなく何とも腹立たしい。
どれだけ栄養価の高い食事を与えようと、腹は薄いまま、腰も細すぎて、少しでも力を入れたらポキリと折れてしまいそうだ。
宿儺さまから「小娘にたっぷり栄養付けさせて太らせろ」と申し遣っているのに、これでは私が無能と思われてしまう。
私に恥をかかせるなど、生意気な小娘だ。
しかし、も時には役立つこともある。私が知らないことを、術師の家系という恵まれた環境に生まれたは知っているからだ。
今日は裁縫というものを教わった。最初はあんな小さな穴に細い糸を通すなど出来ないと思っていたが、は器用にそれをこなす。
鈍臭いにも出来るのなら私にだって出来るはず。そう思うことで、どうにか糸を通すことが出来た時は、妙な嬉しさがこみ上げてきた。
これで宿儺さまの着物がほつれた時は、私が縫って差し上げることも出来るからだ。
「裏梅さまは器用ですね」と、に褒められた。…あんな小娘に褒められたところで、別に嬉しくはなかったが――。
と、そこまで日録を書き終え、ふと筆を置く。後ろでスヤスヤと寝ているが、今宵も布団を蹴飛ばしたからだ。
「全く…いい歳のおなごのくせに、こうも寝相が悪いとは…」
溜息を吐きつつ、呆れ半分でボヤくと、私は静かに立ち上がり、の方へ歩いて行った。この寒さだというのにかけ布団を足で蹴飛ばし、それを股の間に挟んで寝ている。いつも本人に言っていることだが、仮にも女だというのに色気もくそもないものだ、と呆れてしまう。
まあ餌に色気を求めてるわけじゃないので、肉さえつけば何でもいいのだが。
足に挟んでいる布団を引き抜き、それをまた鶏ガラのようにほっそりとした体にかけてやると、は口元を綻ばせ「んー…もう…お腹いっぱい…ですぅ…」という寝言をほざいた。一瞬、私の殺意が駄々洩れになったのだが、を冷凍してしまうわけにもいかず、慌てて呪力を抑え込む。
こうして自分の力を制御できるようになったのは宿儺さまのおかげだ。でなければ、もきっと私の両親のような末路を辿ったことだろう。
「…宿儺さまの大事な珍味…冷凍して味を落とすわけにはいかないしな…」
今ではスヤスヤと気持ち良さそうに眠っているを見つめながら、ふと独り言ちる。
――裏梅。この小娘の面倒はオマエが見よ。餌として太るまではな。逃がすなよ?術師の女というのはなかなかに美味だからな。
がここへ来た時に宿儺さまからそう仰せつかり、今では私の私室で寝起きを共にしている。
最初の頃は不本意でしかなかったが、宿儺さまからの命令では致し方ない。逃がさぬよう見張る意味も込めて――は絶対に逃げませんと言い張っていたが――自分の部屋へ置くと決めた。
地下牢へ繋いでも良かったが、あの場所は衛生的にも良くない。宿儺さまのお口へ入るものは、出来る限り私が厳選しているので、それと同じようにを扱った。
しかし未だは宿儺さまの食の条件に適うような肉付きにはならず、こうして生き延びている。ここへ来て早一年も経つというのに、全く運のいい小娘だ、と苦笑が洩れた。
だが、私の嫌味を聞くたび、それは違うと、は言う。
――私はここへ生きる為に来たわけじゃありません。宿儺さまに食べて頂きたくて来たのです!食べて頂けないのならサクッと殺して頂きたいのですけど。
そんな台詞を真面目な顔で言われた時は、さすがの私も呆気にとられたものだった。しかも本気で言ってるのだから開いた口が塞がらない。
宿儺さまは「面白い奴を寄こしたものだ。家も」と笑ってらしたが、私はもしや家が宿儺さまのお命を狙って、小娘に何か仕込んでるのではないかとまで疑ってしまった。しかし身体中、隅々まで調べたが、毒のような仕込みもなく。何の変哲もない、本当にただの普通の小娘だった。
では何故、あそこまでは自分の命に対して無頓着なのかが分からない。そこで私は宿儺さまからのお許しを頂き、家について調べてみることにした。
少し探るだけで、それはすぐに調べがついた。
先ほど日録には"恵まれた環境"と書いたが、に限って恵まれたなどという環境は皆無だったようだ。
相伝術式がない。生まれてくる予定のなかった娘。は生まれたその瞬間から、厄介者、という立ち位置だった。
ここへ来て最初に調べたの体には、無数の怪我の跡があった。その理由を、私は知ってしまった。何のことはない。私や宿儺さまと、は似たような境遇だったのだ。
幼い頃から虐げられ、あまつさえ、最後は生贄として差し出される。それも血を分けた家族によって。
それを知った時、私は宿儺さまに話さずにはいられなかった。
――通りで覚悟が強いわけだな。フン、愚かなやつだ。自分を虐げてきた家族の為に自らを犠牲にして使命のように命を捨てようとするとは。
宿儺さまは明らか不愉快そうに、そのお顔を歪められた。もしかしたら、過去の屈辱の日々が脳裏を過ぎったのかもしれない。
それから宿儺さまは少しだけへの態度が軟化したように思う。相変わらず「サッサと太れ」と言い、私にも「早う太らせろ」と仰るのだが、本気で喰らう気があるのかどうか、今は私にも分からない。
先日は寝所に忍んで布団にまで潜り込んだを赦し、最後は湯たんぽ代わりにするなど、以前の宿儺さまなら考えられない行動が目立つようになったからだ。
私のような者を救ってくれたお方だけに、にも似たような感傷を抱いてられるのかもしれない。
今の、私と同じように。
「…うーん…鹿…食べた…い」
「…………」
は再び頬を緩ませ、ごにょごにょと寝言を放った。こやつは食い物の夢しか見ないのか?と心底呆れてしまう。
ただ、の家ではまともな食事も与えられなかったようで、私の作る色々な料理に「こんなの初めて食べます」と嬉々とした顔で言ってたことを思い出す。
もしかしたら、幼少から万年栄養不足で太れない体質になったのかもしれないな、とふと思った。
「仕方がない…明日の夕餉は鹿をさばいて――」
「…裏梅さまあ…」
「――っ?」
その時、が私の名を呼びながら、その細い腕を伸ばし、触れた着物の裾をきゅっと掴む。どきりとして身を引きかけた時、がまたしても、ごにょごにょと何かを呟いた。
「…お…かわり…下さい…」
その寝言に一瞬呆気にとられつつも、つい小さく吹き出してしまったのは――宿儺さまに拾われた時のように、自分が誰かの役に立っている、という喜びだったのかもしれない。
少なくとも、この小娘に私の料理は必要らしい。
「…………チッ。食いしん坊め」
私の着物の裾を掴む手を外し、布団の中へと押し込む。
私の隣に寝かせるからには、一応凍えさせないように、と布団を二枚ほどかけているせいか、細身のからすると少々重く、暑いらしい。朝には必ず掛布団を蹴飛ばしてミノムシのように丸くなっているまでが常だった。
今夜も雪で冷えるので、明日の朝もそんなことになってなければいいが、と思いながら、私もそろそろ床につこうと、行灯の火を吹き消す。
その時、が再び布団を蹴り飛ばす物音がした。
「…貴様、また布団を――」
と言いながら振り向いた私は、その光景を見て瞬時に脳みそが凍り付いた。
相当、暑かったのだろう。布団を足で剥がしたの襦袢の合わせ目がぱっかりとはだけ、白い乳房がぽろりと出ている。おまけに白い太腿までが露わになり、帯はただ腰に巻き付いた状態でしかなく、何の意味も成さない物になり果てている。
おなごの肌など興味もない…はずなのに。凍り付いた頭へ、今度は燃えたのかと思うような熱がカーっと一気に上がってきて、軽い眩暈を感じてしまった。
「き、きき、貴様!どう寝たらそんなことになるのだ、!!」
「…ふぁ…?!」
夜半過ぎ、離れの部屋に私の怒号が響き渡り、大股を広げて寝ていたが飛び起きたのは言うまでもない。

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