招かれざる客



宿儺さまに喰われた(?)あの夜以降、わたしの寝場所は宿儺さまの寝所へと変わった。
裏梅さまに訳を尋ねても、呆れ顔をされ、鼻で笑われるだけ。自分で考えろと言いたいのかもしれないが、わたしには全く思いつかない。
宿儺さまに尋ねても同じ反応をされる。ついでに夜な夜な宿儺さまから口を吸われたり、体に触れられたりして、あのふわふわと夢心地のような気分を味わわされ、途中で意識は途絶えて気づけば朝。なので考える暇もない。
不思議なことに最初のような激痛はなく、ただただ心地よくされて意識を飛ばしてしまうらしい。
そして今朝もまた気づけば朝、というやつだった。
ただいつもと違うのは、布団から起き上がった時、腰が痛くて立てないということだけ。

「……いたた」
「やっと目覚めたか」

不意に襖が開き、宿儺さまが顔を出された。でも腰を抑えて呻いているわたしを見て「どうした?」と目の前にしゃがまれ、体を抱き寄せられる。情けないことに宿儺さまにしがみつかなければ動けなかった。

「す、すみません……腰が痛くて動けません」
「……腰?」
「はい……何かこう……気怠いのに痛いと言いますか……。ぎっくり腰、というやつでしょうか」
「……」

宿儺さまは一瞬だけ片眉を上げると、すぐに「ぶは」と吹き出したようだった。何がおかしいのかよく分からない。

「それは……悪かった」
「え?」

何故宿儺さまが謝るのですか、と思ったけれど、尋ねる前に体がふわりと浮く。宿儺さまに抱き上げられたせいだ。

「あ、あの?」
「痛みが取れるまでオレが運んでやる。どうせ腹が減ってるのだろう?」

と宿儺さまに聞かれた瞬間、腹の虫がぐぅううと大きな音を立てた。宿儺さまは「ほらみろ」と更に笑い、わたしを抱えて座敷へと向かう。生贄のわたしがこんな贅沢な扱いを受けていいものなのかと驚いたものの、宿儺さまに「はもう生贄ではないだろう」と言われ、そうだったと思い出す。
ただ強く根付いた意識は簡単に消えないようだ。そもそも何故わたしを生かすのかも分からない。
喰らうのでもなく、殺すのでもないのなら、わたしはここで何をすればよいのだろう。

は俺のそばにいればいい」

宿儺さまに尋ねたら即答されてしまう始末。そばに、と言われても今は膝の上に抱えられ、いつものように餌付けをされている。しかも宿儺さまから直々に。

「次は何を食う」
「え、あ、あの……わたしだけ食べさせてもらうのは……」
「俺はもう食った。オマエが寝てる間にな」
「はあ……」
「で、次は?」

宿儺さまに問われ、目の前にあるお膳を眺める。裏梅さまが用意して下さった朝餉――もう昼餉の時刻だけれど――は、お浸しにもろみ、里芋の煮物、大根や梅干しの漬け物、焼き魚、お吸い物、おこわ二合、ときっちり栄養が均衡に取れる物ばかり。それを酢や塩、ひしおで自分好みに味付けて頂く。実家にいた頃の食事とは大違いだ。

「ほれ」

宿儺さまはわたしが食べたいと言った里芋を箸で上手に摘まんでわたしの口へ運ぶ。それをぱくりと食べれば、満足そうに微笑むのだ。

「美味いか?」
「お、美味ひい、れす」

もぐもぐと租借をしつつ応えると、すぐにまた里芋が運ばれてくる。でもこの手の仕事は本来、わたしがやらなければいけないのでは、と思ってしまった。誰かに世話をされることに慣れていないのだ。しかも宿儺さまに世話をされるなど、裏梅さまに言われたように贅沢すぎると思う。
なのに宿儺さまは上手にわたしを甘やかすので、ついつい言われるままペロリと食事を平らげてしまった。

「相変わらず細っこいのによく食べる奴だ」
「す……すみません……」
「……ケヒッ。何故謝る?別に責めておらんが」
「で、でも宿儺さまの手を煩わせてますよね、わたし」
「俺が好きでやっている」

宿儺さまは殊の外、優しい眼差しでわたしを見つめた。同時に髪を撫でて下さるから、つい頬が熱くなる。こんな風にされるのも初めてで未だに慣れない。このむず痒く、どうしようもなくなる火照りは何なんだろう。
そこへ「失礼いたします」と裏梅さまが顔を出した。どうやらお膳を下げに来たようで、わたしは慌てて立ち上がろうとした。

「わ、わたしが下げますので――」

と動いた瞬間、またしても腰に負荷がかかったのか、ビキッと痛みが走る。

「いたた……」
「無理に動くな。余計に痛める」
「そうだぞ、

裏梅さままで「オマエはジっとしていろ」と言い出すから困ってしまった。午後は薪割りをしなくてはいけないのに。
でもそれは裏梅さまにサクッと断られてしまった。

「そんなものは私がやる。オマエにやらせると余計に時間がかかると分かったからな」
「す、すみません……でも少し休んだので動けるかと――」
「いいから、はこれでも食べて休んでいろ」

と、裏梅さまは下げたお膳の代わりに小皿へ乗った木の実を置いた。赤いその実は食べると甘くて美味しいのは裏梅さまから教わった。

「あと食後の甘味もありますので、宿儺さまはそちらを――」

と言った瞬間、裏梅さま、そして宿儺さままでが、何かに気づいたように同じ方向へと視線を向けた。

「いつもの貢ぎ物を持って来た、というわけではないらしいな」
「今すぐ見て参ります」
「良い。この様子じゃオマエが止めても勝手に入って来る」
「しかし――」

と裏梅さまが言った時だった。誰かの騒々しい足音と声が廊下の方から響いてきた。こんな風に宿儺さまのお屋敷へ勝手に入ってくる人間は初めての気がする。

「宿儺!そこにいるの?」

それは女性の声のようだった。宿儺さまに対して、これほど気軽な声かけをする人間は見たことがない。わたしは呆気に取られて声のする方を見ると、ドタドタと走ってきたらしい足音は座敷前で止まり、襖ががらりと開け放たれた。

「宿儺!ここにいたの!」
「……やはりオマエか」

宿儺さまは顔をしかめつつ、溜息をもらす。どうやら知り合いのようだ。
その女性は長い黒髪をなびかせ、派手な着物を着こなした美女だった。なかなかに強い呪力を持っているから呪術師なのだろう。宿儺さまを討伐にきた様子でもない。

「ふん、生きてたのか」
「宿儺の愛を受け止めただけで死ぬわけないじゃない」

その女性はうっとりしたように言いながら座敷へ足を踏み入れる。そこで裏梅さまが術式を使ったらしい。その女性の足が瞬時に凍り付いた。室内の温度も急激に下がったのか、吐く息が白い。

「それ以上、近寄るな。下﨟め……勝手にズカズカと屋敷へ立ち入るとは――」
「あら、またアンタ?冷たいじゃないの」

その女性は足を凍らされたにも関わらず、笑みまで浮かべている。けれど、ふとわたしの存在に気づいたようで目が合った。その瞬間、彼女の柔らかい表情が一瞬で般若のように豹変した。

「な……何なの!その膝の上に乗せてる小娘は!小さすぎて気づかなかった!」
「ひゃ」

凄まじい殺気を向けられたのを肌で感じ、一気に鳥肌が立つ。一瞬死んだかと思った。それほど強い呪力が彼女の周りに漏れだしたせいだ。意に反して体が勝手に震える。なのに宿儺さまは平然とわたしを腕の中へ納めると「大丈夫だ」とひとこと言って、わたしのこめかみにちゅっと音を立てて口付けた。
それを見た呪術師の女性が「あぁぁぁぁあ!!」と物凄い奇声を発した。

「な、ななな、何してるのよ、宿儺!そ、そそそんな小娘にく、口付けなんてしないで!」
「俺が何をしようと貴様には関係ない。とっとと去ね」
「ゆ、許せない……!そんな鶏ガラの小娘より、私の方が抱き心地はいいはずよ!」

鶏ガラ、とはわたしのことらしい。まあ当たっているので何とも言えない。それにこの人の方がはるかに肉付きも良く、女性らしい体をしている。わたしも太ればこうなれるのだろうか。
なんて考えていると、宿儺さまはかすかに笑ったようだった。

「抱き心地の良さでコイツを傍に置いてるわけではないからな。確かよろず、と言ったか。俺がオマエを選ぶことは万にひとつもあり得ん」

宿儺さまはハッキリと仰った。思わず見上げると、宿儺さまもわたしを見下ろす。その柔らかい眼差しに何故か頬が熱くなる。この前からわたしの胸がおかしい。

「そこー!私を差し置いて見つめ合うな!」

宿儺さまが万と呼んだ女性は溶けつつある氷を砕いてだんっと足を踏み鳴らした。よく分からないけれど、この女性は宿儺さまがわたしを抱いてることが気に入らないようだ。その理由は分からない。

「騒々しい。早く去ね」
「私が目障りならこの前のように斬ればいい!」

シッシと手を振る宿儺さまに万さんが怒りだす。この前の、とはいつのことを指すのか。そんなどうでもいいことを考えていると、宿儺さまが大きな溜息を吐かれた。

の前で流血沙汰は避けたい。部屋も汚れるしな。――裏梅」
「は」

名を呼ばれた裏梅さまが、手印を結ぶ。でもそれを見た万さんは「ちょっと待って!」と裏梅さまを制止した。

「もう氷漬けは願い下げ。それよりせっかく大事な話をしに来たのに、それを聞かずに追い帰すのはないんじゃない?」
「……大事な話?」

宿儺さまが初めて興味を持たれたようだ。「何の話だ」と少しだけ身を乗り出す。それを見た万さんは何故か頬を染めて身をくねらせた。

「それはぁ。宿儺と二人きりじゃないとぉ」
「……貴様。何て図々しい……破廉恥な!」
「良い」
「しかし宿儺さま――」
「裏梅。オマエにを頼みたい」
 「え」
「……は。ではそのように」
「ああ、それとは腰を痛めてうごけん。おぶってやれ」
「……分かりました」
「あ、あの」

不本意、といった顔で裏梅さまが傅くのを見て、宿儺さまを見上げると「大丈夫だ」とわたしを解放し、裏梅さまへ預ける。裏梅さまの背中へおぶさった際、普段よりも体が冷んやりしていたのは怒っているからだろう。
座敷を出る際、万さんが嬉々とした様子で宿儺さまの方へ駆け寄るのを見た時、ちくりと胸のどこかが痛んだ気がした。

「す、すみません。裏梅さま……」

座敷を出た時、つい謝罪をすれば「何故が謝る」と不機嫌まるだしの声で言われた。

「えっと……怒ってらっしゃるので……」
「オマエに怒っているのではない。あのいけ好かない女が宿儺さまに擦り寄るのが許せないだけだ」
「……あ、万さん……?」
「名前など知らん」

ふんっと鼻息荒くボヤいた裏梅さまは、わたしをおぶったままご自分の部屋へ向かうと、わたしを一度框へ下ろし、布団を敷いてくれた。

「そこへうつ伏せになれ」
「え」
「腰が痛いのだろう?薬草を塗ってやるから着物の裾をめくれ」
「は、はい」

薬草、と聞いて素直に布団まで這って行くと、言われた通り裾を捲ってうつ伏せになる。お尻を丸出しにしても、今回は叱られなかった。そっと視線を向ければ、裏梅さまは薬草を擦りながら顔を反らしている。叱りはしないが、やはり見たくはないらしい。お尻に何か嫌な思い出でもあるのかしら、と思ったが、そこは敢えて聞かないでおく。
しばらく薬草を擦っていた裏梅さまは「よし、出来た」と呟き、わたしの傍へ座る気配がした。

「塗るぞ」
「は、はぃ――ひゃっ!冷た……っ」

ペタペタと薬草を塗られ、くすぐったさと冷たさで声が出る。我慢しろ、と言われて何とか声を抑えたけれど、塗られた傍から腰の辺りがすーすーしてきた。とても気持ちがいい。

「これは痛みに効く。明日には引いてるはずだ」
「あ、ありがとう御座います……」
「ハァ。夕べも宿儺さまは無茶をされたようだな」
「無茶……?」
「……いい。どうせ何も分かってないのだろう?オマエは」

裏梅さまは苦笑交じりで言うと、「終わったぞ」とわたしの着物を元通りに直して下さった。
最近わたしへの扱いが柔らかくなった気がするのは気のせいだろうか。
宿儺さまの寝所で寝起きをするようになっても、文句のひとつも言われないのが逆に怖かった。
以前、忍び込んだ際は尻叩きの刑にされたのに。

「ありがとう御座います……」

体を起こし、もう一度お礼を言うと、裏梅さまは先ほど仰っていた甘味処をわたしにくださった。

はそれを食べて、ここで大人しくしていろ」
「裏梅さまは……どこへ」
「私は宿儺さまのところへ戻る。あの女が何をしに来たのか気になるからな」
「あの……万さまは呪術師なのに友好的なんですね」

ふと思い出したのはわたしがここへ来る前のこと。
都の呪術師たちは鬼神・宿儺を討伐するのに躍起になっていたはずだ。それはの家にいた頃、耳にしたことがある。
なのに、あの万さまからは宿儺さまへの敵意は感じられなかった。わたしへは何故か恐ろしいほどの殺気を向けて来たけれど。
わたしの問いに裏梅さまは苦々しい顔で舌打ちをされた。

「オマエは"五虚将"を知っているか?」
「え、"五虚将"と言えば確か……藤氏直属征伐部隊の……?」
「あの女はその"五虚将"を一人で返り討ちにして、のちに藤原へ上手く取り立てられたと聞く」
「え……あの"五虚将"を一人で……?」

藤原北家直属の精鋭部隊。恐ろしく強い術師が揃っていると聞いていた。それを女の身で返り討ちにするとは、想像すら出来ない。
ただ、その精鋭部隊は宿儺さまにも軽くあしらわれたと聞く。それが原因でわたしは生贄に選ばれたのだから。

「では万さんは今、藤原に……」
「そうだ。言ってみれば敵側の術師。その女が宿儺さまに懸想しているのは解せん」
「けそう……とは?」
「……そこからか?」

聞き慣れない言葉を口にされ、小首を傾げたわたしを裏梅さまは呆れ顔で見ている。
ついでに溜息交じりで苦笑された。

「オマエは本当に何も知らないのだな。特に男女のことは」
「す、すみません……巫女の仕事と無関係なことは何も習っていなくて……」
「べ、別に責めたわけでは……物を知らないのはオマエのせいじゃない」
「でも……」
「それに……オマエは私が知らないことを知っている。それで十分だろう」
「はあ」

裏梅さまは言ってからぷいっと顔を背けてしまった。何のことかは分からないけれど、もしかして褒めて下さった?
人に褒められたことがないからよく分からない。でも何となくそう感じたのは自惚れだろうか。

「それよりオマエは横になっていろ。私は宿儺さまのところへ――」

と、イライラした様子で行こうとする裏梅さまを見ていたら、つい着物の袖を掴んでいた。
こうすれば気分が良くなると宿儺さまが仰っていたことを思いだしたのだ。

「何だ。まだどこか痛いとこでも――」

わたしの前へ屈んだ裏梅さまの頬を「失礼します」と引き寄せ、そのまま自分の唇を裏梅さまの唇へ押し付ける。むにゅっとした感触は確かに心地いいと最近感じることだ。
けれど、裏梅さまは何故か驚愕した様子で目を見開き、色白なお顔を真っ赤にされてしまった。

「ぷは……っな、な、な、何を……!!」
「え、あの……口を吸えば気分が良くなると宿儺さまが仰ってたので、裏梅さまのイライラした気分もマシになるかと――」
「……〇※▽◇※っ」

あわあわとする裏梅さまは今にも倒れてしまいそうなほどに顔が赤い。
手当をしてもらったことと、褒めて下さったこと。その嬉しさからお礼もかねて気分を良くしてあげたいと思った。
だけど失敗した、と思ったのは、裏梅さまの額に血管が浮き出たのを見たからだ。

「し、し、しなくていい……っっ!」

裏梅さまはそう怒鳴ると、目にも止まらぬ素早さで離れを飛びだしていく。外からガシャン、ガタン、とおかしな物音がしたのは裏梅さまが何かにぶつかった音らしい。少々呆気に取られてしまった。
まさか、あんなに怒るとは思わない。

「……口を吸っても気分が良くならない人もいるってこと?」

宿儺さまは色々と教えて下さるけれど、やっぱりわたしにはよく分からない。
また尻叩きの刑かしら、と思うと、少し憂鬱になってしまった。




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