世界は光り輝く



「クソ……! あの小娘、何を考えてるっ」

井戸の水で火照った顔をバシャバシャと洗う。真冬の井戸水は恐ろしく冷たい。なのに顔の熱はなかなか引いてはくれなかった。
あの柔らかい感触が未だ、唇に残っているせいだ。
おなごに口を吸われたのが初めてとはいえ、激しく動揺してしまった自分自身すら腹立たしい。

男女のことに疎いのことだから他意がないのは理解している。ただ、あの小娘の行動は予想の遥か斜め上をいくので厄介だ。どうせ宿儺さまに言われたことを変に誤解しているか、大きく勘違いしてるに違いない。

「ハァ……いくら珍味が好きとはいえ、まさか宿儺さまがをおなごとして愛でるようになるとは……」

とボヤいてたはずが、ふと脳裏に裏梅さま、と笑顔を見せるが過ぎり、またしても顔の熱が復活してしまった。
一瞬でも可愛らしい、と思いそうになった邪念を祓うよう、ぶんぶんと顔を振って水気を飛ばす。

「全く……我々よりもの方が遥かに怪物なのではないか……?」

扱いづらい、という意味でだが。
しかし、そこでハッと我に返った。

「こうしてはいられない……宿儺さまの元へ行かねば」

下世話な女術師と宿儺さまを二人きりにするなど、側近としては失格だ。柄杓ひしゃくを投げ捨て、急ぎ奥座敷へ向かう。
すでに宿儺さまが女をあっさり殺している可能性もあるが、私の願い空しく。開け放たれたままの座敷を覗くと、万は五体満足の状態で存在していた。ただ、心配してたようなことにはなっておらず、万は宿儺さまの前へ座している。
さすがの宿儺さまも、こっちの珍味は口に合わないらしい。

「あら、裏梅。戻って来たの――って、どうしたの?顔が真っ赤じゃない。何気に濡れてるし」
「黙れ。馴れ馴れしく私の名を口にするな。殺されたいか」
「あら、怖い。どうせなら仲良くしない?」
「は? 何故オマエと――」

と言ったところで、宿儺さまが「裏梅」と私へ手招きをする。一礼してから座敷へ入ると、私も宿儺さまの前で膝をついた。隣にいる万のニヤケ顔が不愉快極まりないが。

はどうしてる」
「は。痛み止めの薬草を塗ったので大人しく私の部屋で休んでおります」
「そうか。では万。さっきの話を裏梅にも聞かせてやれ」

話、と言われ顔を上げると、万は心底面倒だという様子で息を吐いた。その態度は鼻につくが、この女の持ってきたらしい話が気になった。

「仕方ないわねえ」
「いいから早く話せ」

やれやれといった様子の万は女の身の上でその場に胡坐をかいた。着物の裾がめくれ、白い太腿が露わになったが一切気にする素振りもみられない。
この女もまた、とは違う意味で恥じらいのない無頓着な人物らしい。思えば初対面の時もほぼ全裸だったことを思い出す。
だが不思議なことに、この女の痴態を見ても何一つ心は動かされなかった。女の色香を振りまく万は、私から言わせると見苦しいだけだ。
その万が膝に肘をつき、私の方へ少しだけ身を乗り出した。

「先日ここへ藤原の姫が来たろう?」
「……藤原……。ああ、二の姫とやらか」

唐突に話し始めた万の口から、思いがけぬ名が出て少しだけ驚く。その存在をすっかり忘れていたからだ。
自らここへ乗り込んできたかと思えば、宿儺さまと添い遂げたいなどと御託を並べていた女だ。だがその末路は宿儺さまの慰みものとなり、意識が酩酊している間に私が自ら息の根を止めた。その亡骸はすでに虫の餌にでもなって骨にされている頃だろう。

「あの女が何だ」
「嫌ねぇ。あの姫様は腐っても藤原の姫。その辺の女とは位が違う。宿儺に殺されたとなれば当然――藤原が動く」
「……ふん。そんなことか。まだ宿儺さまへ楯突ける余力を残していたとはな」
「前に宿儺とアンタが相手にした"五虚将"は第二部隊。私が消滅させたのは第三部隊。そして今度こそ重たい腰を上げたのが――第一部隊。つまり藤原最強の部隊が出張ってくるって言ってんの」

私を含めた、ね……と万は笑った。
要するに、この女は自身が属する部隊の機密情報を宿儺さまに暴露しに来たということだ。デカい鼠がいたものだな、と呆れてしまう。
しかし、理由が分からない。
何故わざわざ自分を取り立ててくれた藤原の意に背くのか。

宿儺さまの方へ視線を向けると、どこか愉しげに笑みを浮かべていた。常日頃から手ごたえのある強者を完膚なきまでに叩きのめすことを快とされる宿儺さまのことだ。今回の件は願ってもない暇つぶしなんだろう。

「それで……何故オマエはその話を我々に?」
「あら、そんなの決まってるじゃない。宿儺の為よ」
「……何?」

シレっとした顔で当然と言いたげに、万はうっとりとした眼差しを宿儺さまへ向けた。思わず額に手を置き、天井を仰ぐ。

「愛する人の為なら、私は喜んで裏切者になるわ。だから今日だって従者は置いてきたんだし」
「ヌケヌケと……信用できない。オマエが藤原の密偵じゃないとどうして言える」

こちらへ寝返ったと見せかけ、実は罠にはめようとしているのかもしれない。そんなことくらいで宿儺さまが窮地に陥ることはないが、少しでも危険な芽は排除しておきたかった。
万は「うーん」と困ったように苦笑しながら証明は出来ないけど、と肩を竦めた。

「だから行動で示すわよ」
「行動……?」
「藤原の動きはちくいち教えてあげる。それでいいでしょ」
「だから、それが罠じゃないと、どう信じれば――」
「裏梅」

そこで宿儺さまが立ち上がった。ハッと息を呑み、見上げると「良い」と笑み浮かべて仰った。

「しかし――」
「別に罠であろうとなかろうと、奴らを鏖殺することに変わりはない。向かってくるのであれば尚更だ」
「は、それは……左様でございますが……」
「それともオマエは俺が藤原の術師どもに後れをとると思っているのか?」
「滅相もございません」
「ならオマエも存分に楽しめ。なあ? 裏梅」
「は」

どのような状況であろうと歯向かって来る者があれば殲滅するのみ。やることは、さして変わりはない。
ただ万という女が宿儺さまに懸想をして、このような大胆不敵な暴露をしに来たという事実だけが解せないだけだ。

「ねえ、宿儺。だいたいの話も終わったところで……私と媾曳あいびきでもど――」
「用が済んだなら去ね」

万が慣れ慣れしく宿儺さまの肩へ手をかけた瞬間、ピッと万の頬から微量の血液が飛ぶ。肉がスッパリと切れたせいだ。だが万は怯むことなく、むしろうっとりした表情で身をくねらせた。

「いやぁん。この切り口、ドキドキしちゃう」
「……ハァ。この都には阿呆の女しかおらんのだな」
「って、まさか……私を追い帰してさっきの小娘と媾曳するつもりじゃないでしょうね!」
「ハァ……五月蠅い。俺の勝手だろう」

言いながらも宿儺さまはどんどん先へと歩いて行く。大方のところへ様子をみにいくおつもりだろう。ならば万がついていかないよう、ここは私が処理をするしかない。

「うわ、ちょっと裏梅!何するのよっ」
「馴れ馴れしく呼ぶなと言ったはずだ」

万が油断してるところへ下半身を氷漬けにしてやると、万はあっさりとすっ転んだ。その氷で動けなくなった足を持ち、ずるずると外まで引きずって行く。その間、延々と罵倒されたが門扉の向こうまで力任せに放り投げた。ここまですれば本性を現わすかと思ったが、意外にもバカではないらしい。
万は「分かったわよー」と渋々ながら帰ればいいんでしょ、と肩を竦めて見せた。

「ったく。私は荷物じゃないんだから。早く溶かしてよ、これ」
「その程度の氷くらい自分で破壊できるだろう。薄皮一枚凍らせただけだ」
「あっそ。宿儺の側近は頭も固いのね」

万はブツブツ言いながらも、自らの呪力で何等かの刺激を与えたらしい。氷がぱりん、とひび割れて砕けた。
やはり、この女侮れん、と思ったのは、女の呪力が想定よりも多かったからだ。
"五虚将"を殲滅したという実力は本物らしい。

「じゃあ、また新しい情報が出たら来るって宿儺に伝えておいて」

そんな捨て台詞を残し、万は浮かれた様子で帰って行った。

「ふん、その前に裏切りがバレて殺されればいい」

腹立ちまぎれにボヤいたものの、例えそうなったとしても、今の藤原にあの女を殺せるほどの実力者がいるとは思えない。
前と同じように返り討ちされるのがオチだろう。

「それにしても……また"精鋭部隊"とやらが出張ってくるのか……多少、対策を考えねばならないな」

宿儺さまお一人なら瞬殺だろうが、今はこの屋敷にもいる。一応、闇討ちも視野に入れて準備をしておくか。
あれこれ作戦を考えつつ、私は重たい足取りで屋敷へと戻った。






名を呼びながら部屋を覗いたが、そこに姿はなく。代わりに台所脇の裏へ続く扉が僅かに開いていた。
腰が痛いと言っていたが、もう動けるようになったらしい。
つい、いつものように無茶をしすぎてしまうのは良くないな、と自嘲する。初物にがっつくほど経験が浅いわけでもないというのに、ただの戯れにしては度が過ぎているという自覚はあった。

なのに――この手に抱けば体は勝手にを欲しがるのだから、難儀なやつだと思う。

己の手を見下ろし、苦笑が洩れる。
あの小娘の何が、こんなに俺を引き付けるのか、それを知りたいから、また触れてしまうのかもしれない。
こんな感情すら初めてのことだ。

「ふ……だから面白いのかもしれんな」

飽き飽きしていた。
畏怖の念を向けられることも、蔑む視線を向けられるのも。
それでも殺せば少しは乾いた心も癒された。
でも一人くらい、心を許し、全てを受け入れてくれる存在がいれば――或いは。

「あ、宿儺さま!」

裏庭でしゃがみこんでいたが、俺の気配に気づいて振り返る。その無垢な顔には眩いばかりの笑顔を浮かべていた。
俺を見てこれほど無防備な笑顔を向けてくれる女は、恐らくだけだろう――。

「こんなところで何をしている」
「見て下さい」
「ん?」

が嬉々とした顔で立ち上がると、その両手を俺に差し出す。
彼女の手のひらには美しい青を纏った野鳥が乗っていた。

「すっごく綺麗な小鳥を見つけました」
「ほう……これはオオルリだな」
「おお、るり?それはこの子の名ですか?」
「いや、個体の名ではなく、種類を指す」
「種類……」

は小首を傾げながら考えこんでいる。こういった知識は巫女の職に関係ないのだから、軟禁されていたには覚えがなくて当然だ。

「どこにいた? よく捕まえられたな」

野鳥は人に懐かない。近づけばあっという間に飛び去ってしまう。なのにオオルリはの手のひらで「ピーリーリー」と美しい鳴き声を上げていた。

「え、と。わたしの術式のおかげです」
「……術式?」

そう言われれば家は古くから続く術師の家系だという。その家に生まれたのだから、当然にも術式がある、というのを失念していた。
しかしは相伝術式を持って生まれなかったことで、更に家族から疎まれていたと聞く。ならば彼女の術式は――。

「オマエの術式は鳥獣操術か」
「いえ、鳥獣だけじゃなく……自然のものなら同調することが出来ます」
「何……? それはどういったものだ」

珍しい術式に興味が沸いて尋ねると、は「花や木とか、石なんかも……」と少し恥ずかしそうに応えた。

「ということは……自然じねん操術か」
「名前は分かりません。家族にはこんな力、何の役にも立たないと言われてましたし……」
「愚かな……」
「え……?」

役に立たない? 愚かすぎて笑いが洩れた。
大方の家族はこの能力を見誤ったのだろう。単に鳥や獣を操るものだと勘違いしたのかもしれない。
鳥獣だけじゃなく、自然を自在に操れるなら攻守一体の戦い方が出来る。もし幼い頃から鍛えていれば、は今頃"五虚将"などよりも強い術師になっていただろう。
なのに、は自身の能力をそれほど大層なものだと理解していない。宝の持ち腐れ、とはこのことだ。
こういう一面が何ともらしい、と苦笑が洩れた。

「あ、あの……宿儺さま……?」
「いや、何でもない。いい術式を持ってるな、オマエは」
「え……」

言いながら頭を撫でてやると、白い頬が薄っすら朱に染まる。きっと自身の術式を褒められたことなどないのだろう。驚きと戸惑い。そして喜び。そんな複雑な感情が入り混じっているような顔をしている。
ついでに大きな瞳が潤みだし、「泣くな、これくらいで」とこっちが驚く番だった。

「す、すみません……そんなことを言われたのは初めてで……」
「ふん。これまで言われたことは全て忘れていい。オマエの家族が阿呆なのだ」
「……それはどういう?」
「どういうも何も、そういう意味だ」

はぐす、と鼻を鳴らしつつも、未だよく分からないといった表情だ。幼い頃から罵られてきたのだから、すぐには理解できまい。

、これからは俺の声だけを聞いておけ。俺の言うことだけを信じろ」
「宿儺さま……」
「そうすればオマエの見える世界も少しは光り輝く」

いいな、と念を押せば、の顔は次第に泣き笑いへと変わり「はい」と嬉しそうに微笑む。
少しずつでいいから、変わっていってくれたらとガラにもなく願ったのは、この笑顔をいつまでも自分に向けて欲しいと思ったからなのかもしれない。





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