他の生き方を知らない



あー退屈だな、と思いながら男は暗い山道を歩いていた。気配の殺し方は心得ているものの、いちいち気を張るので面倒極まりない。男はまだ若いながらに最近"五虚将"の第一部隊に迎え入れられたばかりで、前線に出るのはこれが初めてのことだった。第二、第三、と潰されたことで人手不足という災難もあり、適当に呪術師として小さな功績を上げればいい程度の気持ちだった男にとって、その大層な部隊に入れられたことはほまれでも何でもなく、ただただ面倒でしかない。しかも偵察部隊という危険な職務に就かされ、こうして日も明けぬうちから鬱蒼とした山道を歩かされている。誰も、何も話さない。すぐ近くで獣の遠吠えらしき声が上がっても、ただ無言でひたすら歩いている。それが退屈で男はつい大欠伸をしてしまった。
しかもそれを上官に見られてしまい「緊張感を持て」と窘められた。

「仮にも鬼神のねぐらの近くぞ。油断はするなと言われただろう」
「……は。申し訳ございませぬ」

男は慌てて謝罪したものの、内心ではそこまで気を張らなくても、と思っていた。
鬼神、両面宿儺。その異名はもちろん男も知っているし、恐ろしい存在だというのも理解している。ただ幸か不幸か、男は宿儺と直接対峙したこともなく、新嘗祭に招かれていた宿儺を遠目からチラリと見ただけ。それだけでも禍々しさは感じたけれど、遠い対岸の火事のような感覚で、さして身の危険は感じなかった。根が呑気でいて注意力も散漫。
要するに、そのような男に偵察部隊は向いていないのである。

「この脇道から裏へ回ろうぞ」

先頭を行く仲間の術師が暗い中で小道を見つけた。屋敷の裏へ続いているようだと言う。
偵察部隊は3人。大人数では気配を悟られる可能性も考え、少人数に絞った。
男はその真ん中を歩き、後ろには上官の男が歩いている。静かな山道に男達のざ、ざ、という土を踏む音がかすかに響いていた。しかし小道を少しばかり進んだ頃、背後で「がっ」というおかしな声が聞こえた気がして男が足を止める。

「どうした?」

先頭の男も気づき、振り返った。男は「何か今、声が」と報告しつつ、手燭てしょくをかざしながら振り向くと、そこにいたはずの上官がいない。おかしいな。この闇ではぐれてしまったんだろうか?
しかし単なる一本道なのではぐれようもない。男は手燭の灯りだけを頼りに上官のことを呼びながら、少し道を戻ってみた。するとパキ、と何かを踏んだ感触。小枝か?と思い、男は自分の足元を照らすように手燭を前へ翳してみた。

「これは……上官の手燭?」

足で踏んだのはどうやら蝋燭らしい。その近くには今、自分も握っている手燭が落ちている。上官が落としたのだろう。その衝撃で蝋燭が外れ、道端に転がったようだった。しかし転んだのかと思ったが、その上官の姿はない。
どういうことだ?と思った時だった。辺りを照らす為、手燭を更に前へ翳した時、目の前にぼんやりと人のようなものが灯りの中に浮かび上がる。
まず見えたのは着物の帯。ぎくりとして更に上を照らすと、はだけた合わせ目から覗く組まれた腕。しかし顔が見えないところを考えれば自分よりも随分と大柄らしい。ぎょっとして思わず男が後ずさった刹那。シュッという空気を切り裂くような音と共に、男の視界がぐらりと動く。
最後に男の視界に映ったのは、手燭を持った自身の体。首を斬られたのだと気づいた時、男はすでに絶命していた。
もう退屈だと嘆くことも、面倒さを感じることもない。目に映るのは闇だけだった。





「後始末は私がしておきます」
「ああ、頼んだ。裏梅」

足元に転がる術師崩れを見下ろし、欠伸を噛み殺す。
夜半過ぎ。藤原の精鋭が再び動くと聞いた宿儺は、念の為にと屋敷付近にの術式で操れる動物たちを仕掛けさせていた。もし何者かが近づけば動物たちが遠吠えを上げる手はずで、先ほどその声に宿儺と裏梅が気づく。
そうして偵察部隊らしき3人組を見つけ、速やかに排除したところだった。

「それにしても、の術式はそういう使い方も出来るのですね。何とも便利です」

軽々と男の死体を担ぎ上げながら、裏梅が笑う。
当のでさえ、自分の力を単に動物を手なづけるだけのものだと思い込んでいた。いい術式を持っていたとしても、本質を知らなければ宝の持ち腐れでしかない。そうさせたのはの愚かな両親だ。

「もっと呪力を練り上げ、鍛えれば視覚共有も出来るようになるだろう。コイツらよりの方がよほど偵察部隊としては優秀だ」
「そのようですね。それで、動物たちを仕掛けたはどうされましたか?わたしも行くと言い張ってましたが」
「気づけば寝ていた。夕餉を食べて眠くなるとは、まるで幼子だな」

ふっと笑みを浮かべると、裏梅も「左様ですね」と笑いを噛み殺した。
最近では多少女らしさが出て来たとはいえ、中身はまだまだ前のまま。食欲も変わらずの大喰らいで、裏梅が食後に出した甘味もぺろりと平らげていたことを思い出す。

「とはいえ、俺も眠くなってきた」
「はい。ここは私に任せて宿儺さまはお休みください。もうすぐ夜明け。さすがに偵察部隊は来ないでしょうし、万が一来たとしても優秀な見張りがいます」
「そうだな」

裏梅に促され、俺はすぐに寝所へと戻った。そもそも今の敵も少数でしかなく、何の手ごたえもない。
前回と同じ轍を踏まぬよう、藤原もこちらの動きを知りたいのだろうが、たったあれしきの人数で偵察をさせるとは愚かな奴らだ。よほど俺に知られず奇襲したいとみえる。

「こうなってくると万の話も真実味が出てくるな……」

今日の昼間も押しかけてきた万が「奇襲作戦でいくのは間違いない」と言っていた。前回は正面からこの俺に挑み、壊滅させられたのだから当然かもしれないが。
例え奇襲を受けたとしても俺と裏梅なら大して問題なく"五虚将"をやれるだろう。だがもいる以上はなるべく屋敷への侵入を防ぎたかった。
今の俺に侮りはない。誰にも負ける気はしないが、予想外に起こりえることも含め、想定して動く。
とはいえ――。

「全く……緊張感のない奴だ」

寝所へ入った途端、苦笑が洩れた。布団の真ん中に大の字で寝ているを見下ろし、ため息を吐く。裏梅が苦労したというように、寝相の悪さは子供のそれだ。かけ布団などはすでに蹴飛ばして部屋のかなた。仕方ないとそれを拾ってにかけてやった。

「いくら春先でも腹を冷やすぞ、
「うー……ん……桜……餅……」
「……さっき食ったのに夢でも食ってるのか、こいつは」

むにゃむにゃと寝言を言いながら頬を緩ませるを見て、つい苦笑が洩れる。万が手土産に、と持って来た甘味処をすっかり気に入ったようだ。

――藤原の方はこのような美味な餅を常に食べておられるのですか!

夕餉のあとに桜餅を口にしたが、心底驚いていたのを思い出す。
自分の頬の方がもちもちとしてるくせに、共食いだろうと裏梅に言われて、二つにとどめていたが、あの様子ではまだ食い足りなかったに違いない。
また万に持ってこさせるかと思いながら、の隣へ寝転がると、秒にも満たないうちに眠ってたらしい。
早朝、腕の中でもぞもぞと動く気配でふと目が覚めた。寝たふりをして伺っていると、は静かに俺の腕から抜け出し、寝所を出て行く。まだ外は明け始めたばかりで薄暗いというのに、マメなことだと苦笑が洩れた。

「……またあそこか」

だいぶ寒さも和らいできた4月中旬、夏鳥のオオルリが南の国からやってきた。おかげで寝坊助だったはこのところ早起きだ。
移動してきたのは最初に裏山で見つけたオオルリとはまた別個体のオス。それに続き、メスも来たのだろう。裏山の奥にある川近くの岩肌で産卵。一昨日雛鳥がかえったので、は毎日そこへ様子を見にいく。

オオルリは卵を産むと、苔などで巣作りを始める。普通は崖の岩壁など見つけにくい場所に作るというが、今回巣が作られた場所は屋敷の裏にある川沿いの岩肌。その場所を他の獣に襲われないよう、が周りを小枝などで囲み、雛を襲いそうな獣や鳥が来たら術式を使って遠ざけているようだ。
ただ毎朝鴉どもが来るのでも雛が心配らしい。早起きをして様子を見に行き始めた。
何が面白いのか分からんが、このところせっせとオオルリ親子の世話をしてるは毎日楽しそうだ。
死にたがりだったが日々の中に楽しみを見つけてくれたことは、裏梅もホっとしているようだった。

――毎日裏庭で土を掘ってるから何事かと思いました。

そう言って裏梅が苦笑いを浮かべていたのは一昨日のこと。親鳥や雛の為にミミズなどを探していたらしい。野生なのだから手をかけるなと言うと、少し寂しそうな顔をしていた。小さな鳥たちを見ていると、何か手助けをしてやりたくなるのだと言う。親鳥が不在の間、ぴぃぴぃ鳴いている雛は寂しそうだから、と。
幼い頃から親の愛情を受けられず、人任せにされていた自分と雛を重ねて見ているのかもしれないが、野鳥に人の手をかける方が成長の妨げになる。裏梅にもそう諭され、は渋々餌を与えるのをやめた。

――は自分が何かの役に立ちたいという思いが強いように思います。

裏梅はそう言っていたが、確かににはそういう一面があった。自分のことには無頓着のくせに、自分以外のことはやたらと熱心だったりする。何度も俺に「早く喰らって下さい」と哀願していたのも、自分を捨てた家族の為、または一族の為なのだ。
無垢なに呪いのような刷り込みをした両親や兄弟たちの罪は重い――。

「……そのうち殺すか」

我が子を俺に差し出し、のうのう生きてるの家族を思うと虫唾が走る。
どうせ藤原の部隊が動く時、後衛部隊としての呪術師も参加をするだろう。まとめて鏖殺するのも、また一興。
……ま、はそんなことを望んでもないだろうが。

「俺も起きるか」

二度寝しようと思ったものの、独り寝は退屈だ。軽く欠伸を噛み殺して着物の上から羽織りを着ると、の向かった場所へと歩いて行く。
障子を開けると心地のいい風に交じり、春らしい甘い香りが漂ってきた。木々のざわめきや野鳥の声が夜明けの山を彩っていく。これまで感じたこともなかったが、気づきが増えるのは悪くない気分だった。
ここしばらくは長く続いていた不快な苛立ちもない。こうして朝焼けが美しいと感じるようになったのは最近のことだ。
強者と戦うことでしか得られなかったはずが、そんな些細な風景にすら快を得られるとは思わなかった。



塀の裏戸を開け、敷地を抜けるとオオルリが巣を作った川沿いを歩いて行く。一応、声をかけてみたが何の返事もない。
どうしたのかと巣のあるところへ向かうと、が地べたに座り込んでいるのが見えた。

、どうした」
「……宿儺さま」

ハッとした様子で振り向いたが何故か泣いていて、その手にはオオルリを乗せている。一目で絶命しているのが分かった。

「何があった?」
「……か、鴉です、きっと……」

見ればそこら中に黒い羽が落ちている。どうやら明け方、鴉が来てオオルリの巣を襲ったのだろう。のそばにはメスのオオルリも死んでいた。

「わたしがもっと早く起きて来ていれば……」
「……四六時中ついてられないだろう。これも世のことわりだ」
「で、でも……」

はぐすぐすと泣きながらオオルリの亡骸を抱きしめている。また違う個体を捕まればいいだろうと言いかけたが、何となく言ってはいけない気がして口を閉じた。
するとピィピィ、とかすかに小さな声が聞こえてきて、が驚いたように顔を上げる。雛も全滅したかと思ったのだが、どうやら一羽だけ助かったようだ。声のする方を見上げると、大木の枝に小さな雛が引っかかっていた。

「鴉が連れ去ろうとして一羽だけ落としていったようだな」
「で、でもあんな高い場所にいては――」

と慌てたように木を上ろうとするを見て、俺はすぐに止めた。危なっかしいったらない。

「オマエには無理だ。落ちたらどうする」
「だ、大丈夫ですっ」
「ダメだ」
「む……宿儺さまはあのような小さき者を見捨てろと仰るんですか!あのまま日干しされてあの子に干物になれと?」
「そうは言っておらん。ハァ……」

早とちりめ、と溜息交じりで言いつつ、俺は雛の引っかかっている小枝に向けて指を小さく振ってみせた。小さな斬撃が飛び、小枝が切れると雛ともども落ちてくる。それを受け止めると、今の今まで怒っていたの顔はまるで花が咲いたように喜色を浮かべた笑顔になる。

「あ、ありがとう御座います、宿儺さま!」
「……フン。さっきまで人でなしとでも言いたそうな顔をしてたくせにゲンキンなやつだ」
「う……も、申し訳ございません……」

雛を枝から外し、の手のひらへ乗せてやると、涙を浮かべながらも笑みをこぼす。俺にとって雛はどうでもいいが、のこういう顔は嫌いじゃない。

「怪我はしてません。良かった!ほんとにありがとう、宿儺さま!」
「おい……っ」

は大喜びしたかと思うと、突然抱き着いてきた。腰の辺りにくっつかれ、思わず咳払いをしたのは、よく分からないむず痒さが走ったからだ。からそんなことをしてくるのは初めてで、どういう顔をすればいいのかも分からない。

「……これくらい造作もないわ」
「でもこの子の命が助かりました」

たかだか小枝を切り落としただけで、こうも感謝をされると何ともいえない気持ちにさせられる。この俺が雛鳥を助けるなど、自分ですら想像もしていなかった。
ただ、に泣かれるよりはマシ。そう思っただけだ。

「で……そいつをどうする気だ?」

やっと離れたは何とも嬉しそうな笑みを浮かべて、雛の小さな頭を指で撫でている。を親鳥と勘違いしてるのか、雛は甘えた声でぴーと一鳴きした。口を大きく開けているところを見れば、どうやら餌を強請っているようだ。

「野生の子に手をかけちゃいけないと言われましたが……親鳥が死んでしまったのでわたしが面倒を見たいのですが……」
「……何だ、その目は」

瞳を潤ませ、下からジっと見上げてくるに、つい後ずさる。言葉にしなくとも何を言いたいのかは分かってしまった。見捨てられるわけがないのだ。これまでオオルリ親子を見守ってきたが、こんな小さな雛を親もいない山へ置き去りにするなど、出来るはずが。

「この子の世話をしたいのですが……いけませんか?せめて大人になるまで」

案の定、はその言葉を口にした。どうせ反対したところで、また人でなしと罵られそうだ。たかが雛の一羽や二羽、面倒を見たいとが望むのなら、それはそれで――。

「勝手にしろ」
「え、いいんですか?」
「どうせ反対したところでオマエはその雛を育てる気だろう」
「……ありがとう御座います!」
「だから、いちいち抱き着くな」

また抱き着いてきたは、自分の顔を俺の腹へ埋めた。柔い華奢な体が己の腹に当たっている。
小さく息を吐いて、の艶やかな黒髪を見下ろしながらそっと頭を撫でてやると、また嬉しそうな笑みを浮かべて見上げてくる。
の笑みには邪気がなく、素朴で、純粋で、綺麗だった。

「あ、この子のお家を作らなきゃ」
「……家?」
「だって寝床がないと可哀そう。親鳥が作った巣を覚えてるので同じように作ってみます」

言い切るの瞳はやけに真剣だった。育てられることが嬉しいのか、はすぐに屋敷の方へ走って行く。こんな朝から早速巣作りをするらしい。

「やれやれ……裏梅は怒るかもしれんな」

優秀な側近が顔を引きつらせている絵が浮かび、苦笑交じりでの後を歩いて行く。
以前、裏梅に指摘されたへの甘やかしが過ぎる自覚は、俺にもあった。
だが、そうしてやりたいのだからどうしようもない。これまでもそうして自分の意志の赴くまま、身の丈に合う生き方をしてきた。
そんな生き方しか、俺は知らない。誰も他の生き方を教えてはくれなかった。
自ら選択し、その道を進む。これまで一人だったその道に、裏梅と、が増えただけだ。
家族、なんて呼べるような関係性でもないが、今はただ三人で過ごす日々が心地よかった。
その時――屋敷の方から裏梅の怒気を孕む声が響いてきた。

「――そ、それは何だ!ちょ、ちょっと待て!桶に雛を入れるなぁ!」

案の定、裏梅の逆鱗に触れたらしい。その声を苦笑交じりに聞きながら、のんびりと屋敷へ向かって歩を進める。
今日も賑やかな一日になりそうだ。そんな予感が胸を掠めていった。


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