未来へ誘う①
偵察部隊が戻ってこない――。
藤原の屋敷は不穏な空気に包まれていた。精鋭部隊と一口に言ったところで、第二、第三と潰された今、"五虚将"にやれることは限られている。まず正面から宿儺と対峙すれば過去の二の舞になるのは誰の目から見ても明らかだった。
ならば宿儺の虚をつくこと以外、我らが勝利を掴む手立てはない、と考えるのも当然のことで、今はその機会をどう作るかというところで止まっていた。頼みの綱の偵察部隊が戻ってこないせいだ。
「そもそも宿儺に隙など出来るのか?」
「あやつとて人間。眠りもすれば、食事もするだろう。そうだ、その食事に一服盛るというのはどうだろう」
「誰がそれを実行する」
「愚かな貴族たちがせっせと貢ぎ物を運んでると聞く。その中に毒を仕込ませれば、死なずとも弱らせることが出来るのでは?」
「しかし気づかれれば逆に向こうから襲ってくるやもしれぬぞ。一応、手打ちという形で今は宿儺もむやみに襲ってはこなくなったが、こちらから仕掛けたことがバレれば奇襲どころの話ではない」
「だが我々の偵察部隊が仮に宿儺の手に落ちていたとして、もう我々の動向に気づいているのではないのか」
「……なら何故ゆえ襲ってこないのだろうな」
「うーん……」
世間では猛者と呼ばれている呪術師たちが、雁首揃えてああでもない、こうでもないと悩んでいる姿は滑稽でしかない。万はその部屋の隅に寝転がりながら、世話係の娘に運ばせた菓子を頬張っていた。
先日の偵察部隊は万の与り知らぬところで勧められたこと。よって宿儺に報告することは出来なかったが、特に問題なく排除したようだ。
(ま、私の宿儺がこんな雑魚どもにやられるわけもないのよねぇ)
玉露で口の中の甘さを緩和しながら、万はにんまりと黒い笑みを浮かべた。彼女が以前、潰した部隊を考えても、一部隊はそれに比べて更に突出している強さ。しかしそれでも足りない。両面宿儺の異名を与えられた男を倒すには、もっと次元の違う強さが必要だと万は考えた。
出来ることなら宿儺は私の手で――。
一瞬、そんな思いも過ぎるのだが、今の自分では宿儺に敵わないのも万は自覚している。
それに今は宿儺を倒すよりも手に入れたい気持ちの方が強かった。その目的の為なら快適な藤原での生活を捨ててもいいとさえ思う。
――宿儺の孤独を救えるのは私の愛だけ。
根拠もなくそう信じていた万は、どうやって宿儺に添い遂げさせようかと思案する。
それにはまず、宿儺が傍に置いている小娘をどうにかしなければならない。
そもそも、あのとかいう小娘は宿儺の何なのだろう。一度本人に聞いたところ「生贄です」と満面の笑みで応えていた。そのすっ呆けた様子からは、とても生贄という哀れな存在に見えず、万も毒気を抜かれてしまったのだ。
ただ生贄というならば、何故に生かされているのか。宿儺が侍らせている理由も謎だ。二人の様子はどう見ても捕食者と生贄という感じではなく。どちらかと言えば宿儺が大層甘やかしていると、万の目には映った。
そしてあの目。小娘を見る宿儺の目は、万が強く惹かれた深い孤独を纏うものではなく、どこか満ち足りたものが滲んで見える。万はそれが気に入らなかった。あんな小娘が宿儺を孤独から救うなど笑止千万。
今は物珍しさで傍に侍らせているだけ。万はそう結論付けた。
「それにしてもあの小娘……どこの家の術師だ……?」
未だ宿儺攻略のための会議を続ける呪術師たちを横目に、万は親指をカリッと咬んだ。生贄と言うからには、小娘を宿儺へ差し出した者がいるはず。
今更ながらに気になってきた万は、少し調べてみるかと思いながら、再び団子を頬張った。
「――おい、万!オマエも何か良い案はないのか」
不意に呪術師の男から声をかけられ、万は面倒そうに視線だけを向けた。それは元部隊長の術師だった。今はその座を万に奪われていることから、彼女を見る目は氷のように冷たい。しかし名ばかりとはいえ、今は一部隊の隊長を務める万を無視するわけにもいかないといったところだろう。
「宿儺を仕留める策は考えてあるのか?」
「……策ねえ」
万は横たえていた体を起こし、その場で胡坐をかく。その際、羽織っていただけの着物がはらりと捲れ、白い太腿が露わになった。術師の男が「う」と言葉を詰まらせ、視線を反らす。
この時代、高貴な女は屋敷の奥深くに住んでおり、男に肌を晒すのは媾う時のみ。それも選ばれた男だけが、女性のいる御簾の向こう側へといけるのだ。当然こんな公の場で肌を晒す女性は一人もいない。よって男達は一様に視線を泳がす羽目になる。
万は男達のそういった動揺を見るのが心底好きだった。どれだけ力を振りかざして威張り腐ろうが、その辺の男など女の手のひらで踊らされる愚かな生き物でしかない。宿儺とは根本的なものが違うのだ。
そう腹の中で嗤いながら、万は愛想のいい笑みを顔に張り付けた。
「宿儺の弱点を探してみよう」

最近の朝はぴぃぴぃという甲高い鳴き声に刺激され、目を覚ますことが増えた。
が裏山でオオルリの雛を拾ってきたせいだ。
雛はまだ日も上がるか上がらないかという早朝に鳴きだすので、私もつい声につられて起きてしまう。
――おかげで寝不足だ。
ふぁっと欠伸をしながら寝床を抜け出すと、台所をまず覗く。そこに置いてある木製の桶の中に、が集めてきた小枝と苔で巣が作られている。オオルリの雛はその真ん中を陣取り、元気よく口を開けていた。餌をくれ、と催促してるようだ。餌はこれまたが地面を掘ったり、山を散策して捕まえた虫たちで、小箱に入れられている。私は見るのもおぞましく開けたことがない。どうせ、が起きて来るだろうと思い、寝床へ戻ろうとした時。予想通り静かに引き戸を開けてが顔を出した。
「あれ、裏梅さま?お早いですね」
「……(誰のせいだ)」
寝ぼけ眼の私とは違い、やけにスッキリした顔で台所へ入ってくると、はまず雛の様子を確認。それから餌付けに取り掛かる。
よくもまあ寝坊助だったが、こうも頑張って早起きをしてくるものだ。少しの感心をしつつ横目で見ていたら睡魔が少しずつ納まってきた。
仕方ない。少し早いが朝食の準備に取り掛かるか。
そう思いながら、まずは寝所で軽く着替えを済ませ、再び台所へ戻る。は楽しそうに雛の口へせっせと餌を運んでいた。
「あ、裏梅さま、見て下さい!この子、食欲旺盛でもりもり食べてくれてますー!小さいのに食いしん坊みたいで」
「……主に似たのだな」
「え?」
「何でもない」
顔を上げて私を見るはきょとん、とした顔だ。あまり自覚がないらしい。もう太れとも言われてないのに未だ何でも食べたがるのはも同じだというのに。
腰ひもで着物の袂を軽く上げて縛ると、まずは調味料の減り具合を確認。少なくなったものは都へ下りて買いに行かねばならない。
――油断させる為、普段通りの生活をしてて。
万という女はそう話していた。あまり信用しすぎるのも良くないが、奇襲の策をこちらが気づいているという印象も与えたくはない。買い物へ出るくらいは大丈夫だろう。そう思いながら塩の入った器をとる。そろそろ切れそうだったなと思い出し、中身を確認しようと思ったのだ。だが手にした時、夕べ感じたよりも随分軽いなと思った。
手のひらほどの陶器の器は蓋がついている。私は当然のようにそれを開けて中身を確認しようとした。その時、何故かが「あ!」という声を上げ、私はびくりと器を持つ手を震わせてしまった。
「急に声を出すな!驚くだろうっ」
「い、いえ、でもそれは――」
私が怒りながらも蓋へ指をかけた時、の顔が一瞬で青くなる。だが気にすることなく蓋をとったのは早計だったかもしれない。視線を手元へ移した時、視界に入ったのはもぞもぞと動く不気味な物体――芋虫だった。
「うあぁぁぁ!」
想定したものとは全く異なるものが入っていたことで、私は思わず器を放り投げた。それは弧を描き、石造りの床の上へ真っ逆さまに落ちる。ガシャンという耳障りな音が響いたのは言うまでもなく。前に都で一目惚れをした陶器の器は、見事粉々になっていた。
「す、すみません~!大きな子だったので入れる器が見当たらず、つい残り少ない塩を避けてそこへ入れてしまって――」
ぷるぷると身を震わす私の怒りが伝わったらしい。は青い顔をしてその場に土下座をした。あげく雛を入れた桶を前へ差し出し、「この子の栄養の為に大きな餌をあげたくて……」と言い訳をする。
「き、き、貴様……食べ物を入れる器にあんなものを入れるとは――!」
「ぴぃ」
「ぐ……っ」
「ぴぃぃ」
「……(かわいい)」
まるでの代わりに謝罪をするように鳴く雛は、私の荒んだ心を少しだけ和らげてくれるほどに可愛らしかった。もしこれを計算して差し出したのならば、は相当な策士だろう。しかし天然なにそこまでの知があるはずもなく。これはこの子に免じて許して下さい、という情けを欲しがる行動に過ぎない。
「……チッ。今度からは絶対に餌を入れるな!雛の餌を入れる器は別に用意してやる」
「は、はい!ありがとう御座います!」
ぱぁっとまさに花を咲かせたの笑顔は、朝から眩しすぎるくらいの輝きを放っている。こうなれば叱る気力も失せ、私は悲しみの中、お気に入りの器の欠片を片付け始めた。
これでは塩と同様、器も買い直さなければならない。
「……何だ。朝から騒々しい」
そこへ欠伸をしながら宿儺さまが台所へ姿を見せた。私の悲鳴と器の割れる音で起こしてしまったらしい。
「申し訳ございません。の悪戯のせいで、つい大きな声を上げてしまいました」
「……悪戯?」
の顔が再び青ざめる。
宿儺さまは私とを一瞥しながら、ふと床で粉々になった器から這い出てきた芋虫を見下ろした。そこで想像がついたのだろう。唐突に「ケヒッ」と吹き出し、肩をゆすって笑っている。
「なるほど。裏梅がの悪戯に引っかかったというわけか。愉快、愉快」
今度はの顔が真っ赤に染まった。宿儺さまもわざとやったのではないと気づきながら、敢えてそういう言い方をされたのは、突拍子もないことをするが面白く、また彼女の反応すら楽しんでいるのだろう。
「器ならまた買えばいい。なあ?裏梅」
「はい。他にも買い足したい物がありますので、後ほど都へ行きたいのですが……宜しいでしょうか」
「良い。何ならも連れて行ってやれ」
「は?しかし……」
以前には一人で使いに出したこともあるが、最近はを屋敷の外へ出したことはない。それを気にしていたようだ。
「も雛の巣を入れるもっと大きな桶が欲しいと夕べ言っていたんでな」
宿儺さまはそう言いながら、叱られると思い身を縮こませていたを抱き上げ、その滑らかな頬へ軽く口付けている。
どうやら買い物に付き合ってやれと言いたいらしい。宿儺さまもとことんに甘くなってしまったようだ。やれやれ、と苦笑をしつつ「承知いたしました」と応える。だけが状況を分からず、またもやきょとんとした顏だった。

「で、では行って参ります」
以前と同様、立派な着物へ着替え終わると、宿儺さまへ声をかけた。まさか再び都へ行けるなどと思ってもいなかった。
「裏梅から絶対に離れるなよ」
宿儺さまは真剣な顔でわたしを見つめてくる。確かに今はこちらも狙われている身。警戒しておいて損はないということだろう。藤原はわたしの存在を知らないけれど、裏梅さまのことは知っているので何か起きても不思議ではない。
「あの……宿儺さまもご一緒に行かないのですか?」
警戒というなら宿儺さまが一緒にいれば向こうもそうそう仕掛けてはこれない。そう思って尋ねると「俺は行くところがある」とだけ仰った。
宿儺さまは以前から一人でふらりと出かけていくのは知っていた。どこへ何をしに行くのかは分からないし、詳しく訊いたこともない。ただ戻られた宿儺さまからは、いつもかすかに心地のいい香の匂いがしていた。直感ではあるけれど、それは女性物などではなく、高貴な身分の方が纏う香りのように思えた。
「そうですか。では……何か欲しいものはありますか?」
「……特にはないが……ああ、オマエの好きな菓子でも裏梅に強請れ。それを俺も食う」
「はい!」
菓子、と聞いてつい笑顔になると、宿儺さまはまた軽く吹き出し笑っている。何がそんなにおかしいのか不思議でならないけれど、宿儺さまが楽しそうだと何故かわたしも楽しいと気づいた。
「暗くなる前には戻れよ」
一頻り笑った宿儺さまは、わたしの頬に口付けて優しい眼差しで見つめてくる。その何とも言えない温かさは、今のわたしに死ぬことよりも大切なことがあるのだと教えてくれるようだった。
ひとこと送る
メッセージは文字まで、同一IPアドレスからの送信は一日回まで
現在文字数 0文字