08-笑えない
最近、悟の様子がおかしい。夏油が唐突に言い出すから、自然と五条へ視線が向く。娯楽室の窓際。窓を開けてボーっと外を眺めてる後ろ姿は、確かにおかしい気もする。普段は黙れと言っても人一倍うるさい男が黄昏てる姿は、同級の私達からすれば異常現象。その見目麗しい外見からは想像もつかないような暴言を吐くし、性格はまあ…アレだ、残念という言葉がしっくりくる男でもある。
そんな五条が、一人静かに夕日を眺めてる絵面はちょっと不気味だ。
「何あれ。黄昏ちゃって。恋する乙女かな。溜息なんかついてるし」
「ずっと、あの調子なんだ、最近」
夏油は自販機で買ったブラックコーヒーを一口飲みながら、未だ微動だにしない五条を眺めてる。五条のことだから腹を下したとか、遊んでるゲームで詰んだとか、愛読してる漫画をトイレに落としたとか、どうせそんなとこだろ。そこまで心配するほどのこともないとは思うけど、あの五条をあんな腑抜けにした原因は、ちょっと気になるところではあるな、確かに。
「そう言えばさー。最近、先輩の尾行してなくない?」
「ああ、急にしなくなったな。見つかったし意味がないと思ってやめたのかもしれないが、よく分からない報告書と動画を渡されて以降は、続きを持ってくる気配もない」
「あ~。前に見せてくれたやつね。っていうか、報告書っていうより、尾行日誌でしょ、あれ」
小学生レベルの文を思い出してケラケラ笑うと、夏油は「硝子…それ悟に言うなよ」と釘を刺されてしまった。
そもそも先輩の家のことは夏油から教えてもらったけど、私も五条が警戒するほど彼女が悪い人には思えない。かなり変わった先輩ではあるけど、他の先輩方が言うように、それがかなり面白かったりする。こうして娯楽室にいつもお菓子を差し入れてくれるし、コンビニで会えば、いつも何かしら奢ってくれるし、私から見れば後輩思いの優しい先輩だ。いや別に物に釣られてるわけじゃなく。
あまり人付き合いを好まないのか、自分からは殆ど絡んでくることはしないけど、こっちから話しかけるとちゃんと応えてくれるから、人嫌いではないのかなと、勝手に思ってる。
だいたい生まれつきのあれやこれやで彼女を差別するようなこと私には出来ないし、夏油も同じ気持ちらしかった。五条ひとりだけが、彼女を目の敵にしている。
そこで、ふと気づいた。そういえば、五条も前ほど先輩に突っかからなくなったように思う。前は顔を合わせるたび、舌打ちしたり、何かしら嫌味を言ったりしてたのに。
そう指摘すると、夏油も納得したようだった。
「言われみれば…そうだな。それも…尾行を止めたあとくらいから」
「へえ。何か心境の変化でもあったかな?夏油は何か聞いてないの、その辺のこと」
「いや、特に…」
「そっか。まあ平和ならそれが一番なんだけど――って、噂をすれば、あれ先輩じゃない?」
「ああ、ほんとだ。彼女、先週から沖縄に出張だったらしい。非術師殺しの呪詛師が沖縄へ逃げたって情報が入ったとかで」
夏油は言いながらも、ちょうど娯楽室に入って来た彼女へ、笑顔で声をかけた。
「先輩、お疲れさまです。今、帰校したんですか?」
「ああ、夏油くんに家入さん。ただいま」
「お帰りなさい~。って、硝子でいいですってば」
家入さん、なんて呼ばれ慣れてないし、ここじゃ教師だって「硝子」と呼び捨てにしてくる。なのに先輩はどこか他人行儀に「家入さん」と呼ぶのが前から少し気になっていた。だから、つい言ってしまったけど、どうなんだろう。
慣れ慣れしかったかな、と思っていると、彼女はジっと私を見つめながら「じゃあ硝子ちゃん」と、急激に距離を縮めて、いきなりちゃん付けで呼んできた。名前で呼んでくれるとしても、てっきり「硝子さん」くらいの温度で呼ぶ気がしてたから、この予想外のところがやっぱり面白い。
「ちょうど良かった。これ、買ってきた。みんなで食べて」
先輩は愛用のキャリーバッグを開けると、そこから沖縄名物"サンダーアンダーキー"の入った大袋を取り出した。どうやら沖縄土産らしい。
「ありがとう御座いまーす。早速食べていいですか?」
「どうぞ。夏油くんも、良かったら」
「あ、いただきます」
先輩に声をかけられ、夏油も私のいるテーブルに腰を落ち着ける。そこでもう一人の同級生も呼んでやるか、と窓際を見ると、ついさっきまで、そこにいたノッポの姿がない。あれ、どこ行った?と思っていたら、すぐ近くで「何これ、沖縄土産?」という五条の声がした。声のした方へ振り向くと、五条はいつの間に移動したのか、先輩の横に立ち、彼女が皿に出しているサンダーアンダーキーを覗き込んでいる。
「ああ、五条くんもどう?甘い物好きだろ」
「まあ……どうしてもって言うなら…食うけど」
何だ、そのツンデレを絵に描いたような受け答えは。別に食べたくないなら食べなきゃいいのに。そう思って見ていると、五条はてんこ盛りに積まれたサンダーアンダーキーを一つ摘まんで、それにかぶりついた。
「うま…」
「良かったらいくつか持ってって」
「……ん。そう…する」
いや、何でカタコト?っていうか、五条、いつから先輩とそこまで素直に話すようになった?
「へえ、悟、今日は素直に食べるんだな」
クズの相棒も同じことを思ったらしい。先に土産をもらった私たちを差し置き、サッサと食べ始めた五条に夏油がさらりと嫌味を言う。いや言いたくなる気持ちも分かるけど。
だいたい五条は先輩を敵視するあまり、彼女のやること成すこと全て気に入らないといった態度だったし、彼女がこうして何かしら買って来た物や、娯楽室に補充してくれる駄菓子の類にも一切手を付けようとしなかった。ガキか、と呆れて見てたけど、でも今。五条は先輩が買ってきた物を素直に食べている。え、マジでどうした、お前。
「うっせえな。食いもんに罪はねえし」
「まあ、そうだけど、前は――」
「ああ、そうだ。五条くんに頼みがあるんだけど、いいかな」
先輩はふたりのやり取りを聞いてなかったらしい。いつもの駄菓子の補充を終えると、ふと思い出したように五条へ声をかけた。珍しいことがあるものだ、と私もサンダーアンダーキーを頬張りながら五条の反応を伺う。どうせ「あ?何で俺がお前の頼みを聞かなきゃいけねえんだよ」くらい言って一蹴するんだろう。私はそう読んでいた。
なのに――五条はその予想を大きく裏切ってくれた。
「え、頼みってなに?」
あの五条が、唯我独尊の俺さま五条が、あれほど毛嫌いしていた先輩に対し、秒で返事をしただけじゃなく、素直に頼みを聞こうとしている。しかも表情がいつもと違う。刺々しい感じじゃない。しかも心なしか嬉しそうに見える。いや、ないか、それはないか。でもそれくらい五条の表情は柔らかい。
もしや…ついに来るのか?天変地異!
それくらい驚いた光景だった。現に夏油もサンダーアンダーキーを食べようとした瞬間の姿で固まったまま五条を見ている。口をぽかんと開けてるのは、多分驚きの方が大きいかもしれないけど。
私や夏油の様子には気づかず、先輩は相変わらず淡々と話し出した。
「この前、私を尾行してた時に撮っていた動画を見せて欲しい」
「……は?動画?」
五条じゃないけど、私も驚いたし、夏油も驚いただろう。サンダーアンダーキーを全然口へ入れようとしない。いいから早く食えよ、それ。
先輩に尾行がバレたのはさっきも聞いたけど、まさか尾行されてた本人がその映像を見せてくれと頼んでくるなんて、そんな話は聞いたことがない。一瞬、娯楽室内に微妙な空気が流れた。でもそこは先輩の凄いところで、全く意に介さず、普通に話を続けている。
「ああ。カメラで撮ってただろ?見たいのは元スポーツセンターへ行った時の映像なんだ」
「………何で?」
五条はやっと言葉を絞り出した感満載で、珍しい光景だから、ついついガン見してしまう。
「ちょっと確認したいことがあって。まだ消してないなら見せて欲しい」
「まあ………ある、けど。まだ」
「そうか、助かるよ。なら今から部屋へ行っても?」
「……え、俺の部屋…っ?」
「ダメならカメラごと貸してくれてもいい」
「………」
考えてる考えてる。五条は難しい顔をしたり、と思えば、頬を緩めたり、忙しなく表情筋を動かしてる。まあ、端的に言えば動揺してるってとこだ。数秒乃至、一分近く黙っていた五条は、唐突に「じゃあ…俺の部屋で」と、ぼそっと呟いた。この瞬間、私と夏油は同じタイミングで顔を見合わせる形になり、お互いに「えー…」みたいな顔をしてた気がする。
「いいの?悪いな」
「…別に。暇だし」
そんな温度差を感じさせる会話をしながら、ふたりは娯楽室を出て行ってしまった。一つの違和感を私と夏油に残して。
「…夏油」
「ああ…分かってる」
「なんか今、ヤバいものを目撃してしまった気が…」
「私もだ…見ようによっては明らかに最後、ニヤけてたような…」
そんな言葉を交わしながら、私と夏油は互いに顔を見合わせ、しばし見つめ合う。と言っても、別にここで私とこいつの間にロマンスが芽生えたわけでは絶対ない。死んでもない。あり得ない。
ただ、今の恐ろしい現象に関しては共感の嵐が吹き荒れた。
「まさか…ついに来るのか?天変地――」
「ああ、それ、さっき私が言った。心の中で」
夏油も私と同じ思考回路で笑う。ただ、五条の異変は全然笑えなかった。

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