――オマエは僕のこと好きだとか、付き合ってとか絶対言わないでしょ。だから会ってて楽。

あの言葉はわたしにとっての呪いの言葉になった。
面倒な女だって思われないよう、五条と会う時も気持ちを押し殺して、わたしも遊びだと割り切ってるように接してきたと思う。
五条がセフレの子を切った場面に遭遇したことも大きかったかもしれない。時々あの子と自分が重なって見えて、わたしもいつか五条に切られるんじゃないかって想像しては怖くなったし、あの子みたいにはなりたくないと強く思った。
それにあの子はまだいい。関係を切られても二度と五条に会わないで済む。
でもわたしは切られたあとも五条と関わり続けなければいけない立場だから、気持ちを悟られてはいけない。絶対に――。
 
そんなことばかりを考えていたら疲れてしまった。
二十代最後の歳を迎える時、わたしと五条の先にある未来は永遠に交わらないんだろうなと思ったら、急に空しくなったのだ。
だから、あれで良かったんだと思う。また以前のような関係に戻れるなら、そっちの方がいいに決まってる――。

「――さん、大丈夫ですか?」

ボーっとしてたらしい。不意に声をかけられて、はっと我に返った。こうして気づけば五条のことを考えてる。これじゃ切れた意味がない。

「……七海くん」

目の前にいたのは怪訝そうな顔をした七海建人、一級呪術師。彼は一年下の後輩だ。
一度呪術師をやめて一般企業に就職した珍しい経歴の持ち主だった。
七海くんは学生の頃から真面目で、変人の多い呪術師の中では意外と常識人でもある。そんな彼のサポートをするようになって早数年。
普段はどちらかと言えば五条より、七海くんに就く方が多かった。

「今朝も思ったんですが顔色が悪い。どこか具合でも悪いんですか」
「ううん、大丈夫。それより呪いは――」

七海くんの指摘にどきりとしつつ、平静を保って笑顔を見せると、彼は「全て祓いましたよ」と、後ろに見える廃寺を親指でくいっと指した。
この中にいたのは一級相当の呪霊が数体。それをもう祓ったのかと少し驚きながら「お疲れ様です。さすが七海くん」とホっと息を吐いた。
一学年下ながら、七海くんは学生の頃からわたしよりも何百倍、呪術師としての才能も適正もある。それを証拠に彼は呪術師に復帰してたった一年で一級呪術師へと昇格した。

「じゃあ街へ戻って、残り二件の現場に向かおうか」
「はい。でも街へ戻ったら少し休憩をとりませんか」
「え?」

運転席へ乗り込むと、七海くんは助手席へと乗り込んできた。彼は普段から後ろより、こうして助手席に乗る方が多い。前に何で?と聞いたら「先輩のさんに運転をしてもらってる手前、後ろでふんぞり返ってるわけにはいきませんから」と言われた。
いつも伊地知くんの運転する車の後部座席でふんぞり返ってるあアイツとは大違いだ。まあ伊地知くんは後輩だけど、例え伊地知くんが先輩だったとしても五条は変わらないんだろうな。
その点、七海くんは本当に礼儀正しいし、常識人だし、人としても尊敬できるんだから凄い。よく先人が言う「爪の垢」でも煎じて五条に飲ませてやりたい。この言葉に尽きる。
労働は嫌いだと言うわりに、きっちり残業だってこなしてくれる。その七海くんから休憩しようと言い出すのは珍しいことだった。

「あ、七海くん、疲れた?」
「いえ。それはさんの方では?寝不足でしょう。目が少し充血してますし」
「あ……ま、まあ……」

相変わらず鋭い、と驚きながら引きつった笑みが浮かぶ。指摘された通り夕べは眠れなかったし、ついでに泣いてしまったせいで目が赤いのは気づいていた。けど、目薬を何度かさしたら少しはマシになったから大丈夫かと思っていたけど、そうでもなさそうだ。

「なので少し休憩してから次の場所へ向かいましょう。今夜は泊りですし時間は気にしなくていいので」
「そ、そうだね。じゃあ、駅前の辺りにお店もあったし、そこ向かうね」
「お願いします」

アクセルを踏み込み、急な坂を下っていく。人もあまり来ない場所だけに、舗装がされてない道も多く、時折ガタガタと車体が揺れるからハンドルをとられないよう慎重に進んだ。
ここは静岡と名古屋の県境にある小さな街だ。"窓"から「呪い確認」の報告が入り、今日一日で三件ほどの祓徐をする予定だった。
元々は後輩に当たる猪野二級術師へ割り振られた任務。でも窓の報告で呪霊が一級相当に育ったことが分かり、急遽七海くんと猪野くんの任務を交代したのだ。
今日、七海くんとわたしが向かうはずだった千葉県にある現場の呪霊は二級相当だったけど、数が多いということで七海くんへ割り振ったものだった。
でも猪野くんは「数が多いのは得意っす!」と張り切って出かけて行ったから、まあ大丈夫だろう。

車で三十分ほど行けば、東海道本線の通る駅が見えてくる。駅前にはファミレスやカフェなど多数の店が並んでいるので、近くの駐車場へ車を止めて、七海くんと目についたカフェに入った。
梅雨入り目前で外は蒸し暑いけど、店内は少しクーラーの効きすぎで肌寒いから温かい紅茶を注文しておく。七海くんはいつものブラックコーヒーを頼んでいた。

「この分だと夜には終わりそうだね。移動時間の方が長いかも」
「そうですね。なるべく早く終わらせたかったんですけど、これではやはり日帰りは無理そうです」

フィンチ式眼鏡を外して布で拭きつつ、七海くんは溜息を吐いた。その発言を聞く限り、七海くんは日帰りを狙っていたらしい。

「もしかして七海くん、今日用事でもあった?もともと千葉での任務だったもんね」

だからてっきり誰かと約束でもしてるのかと思った。でも七海くんは眼鏡をかけ直し、苦笑交じりでわたしを見ると「いえ」と首を振ってみせた。

「私ではなく。さん、今日お誕生日でしょう。なのに出張となってしまったので申し訳ないな、と……」
「え……わたし?」
さんこそ……約束があるのでは?」

運ばれてきたコーヒーを口へ運びながら、七海くんは苦笑いを浮かべたまま、わたしへ視線を向けてくる。
もしかして祓徐を急いでたのはわたしに用があると思ったからなんだろうか。

「ううん。残念ながら特に約束はないよ。だから七海くんも気にしないで。この歳で誕生日もないし」
「そんなことはないでしょう。でもそう、ですか……。てっきり五条さんと約束してるものかと」

七海くんの口からその名前が出た時、心臓が分かりやすいくらいに跳ねてしまった。どういうことかと七海くんを見つめると、彼はスーツの内ポケットから何かの封筒を取り出し、わたしの方へ差し出す。封筒の表面には店のロゴらしきものが刷られていた。

「え、これは……?」
「私からさんへお誕生日の……まあ、プレゼントと言いますか」
「えっ?」

これまで誕生日祝いと称して後日飲みに行ったり、その際に奢ってくれることはあったけど、七海くんにこういった類の物をもらった記憶はない。何で突然?と驚いていると、七海くんも少しだけ意外そうな顔で目を瞬かせた。

「何も聞いてませんか。五条さんから」
「……五条?何のこと?」
「実は先月くらいに今年の誕生日はさんに何をあげるんだと聞かれたんですが、その時に五条さんからこの店の招待券をプレゼントしてやって欲しい、と言われたんです。さんが行きたがってたからと」
「え、何それ……」

本気で驚いてしばし唖然とした。プレゼントの強要なんて五条らしいけど、その言動の意味が分からない。七海くんもそう思ったようだ。

「まあ私も同じような反応をして、ご自分であげたらいいじゃないですかと返したんですが、それじゃ意味ないとかブツブツ言ってたんで理由はよく分からないですけど――」

と、そこで言葉を切った七海くんは小首を傾げながら「ん……?この話は秘密って言ってましたっけ……」と独り言ちている。

「まあ、いいでしょう。五条さんの考えてることはよく分からないので。とりあえず、どうぞ」

何故か一人で完結したようで、七海くんは手にしていた封筒をわたしへ再度差し出した。誕生日のプレゼントということだし断るのも変なので「ありがとう……」とお礼を言ってそれを受けとる。封筒には確かにわたしが行きたいと思っていたホテルの高級レストランのロゴ。
そう言えばこの前、五条とウチで流行りのテレビドラマを見ていた時、劇中このレストランが登場して「ここずっと行ってみたかった店だ」と言った気もする。でもあんな些細な一言を、あの五条が覚えてるなんて思わない。
しかも何でそれを七海くんに頼むのかが分からなかった。

(何なの、五条の奴……切れてからも人を混乱させて、ほんと意味分かんない……)

脳内にヘラヘラ笑うアイマスク姿の顔が浮かび、思わずバッグの中で封筒をぐしゃりと握りつぶしてしまった。
そこでハッと我に返り、慌てて封筒をバッグへしまう。経緯はどうであれ、これをプレゼントしてくれた七海くんに罪はない。

「ああ、ちょっと一本電話をかけてきます」

内心、五条への苛立ちで沸々していた時、七海くんのスマホに高専から何かメッセージが入ったらしい。彼はスマホを手に店の外へと出て行ってしまった。大方、次の任務の連絡だろう。
この間にわたしも高専の方へ定期連絡のメッセージを送っておく。

「"一件目は無事に終了。これから次の場所へ向かいます"……と、これでよし」

補助監の仕事はこういう細かな「ほう・れん・そう」も大切で、今の連絡はこっちが無事だと知らせる目的もある。この定期連絡が途絶えた場合、何か異変があったと知らせることにも繋がり、現地の"窓"が現場を確認後、高専から援護要員が派遣されることになっていた。

「それにしても……五条の奴、どういうつもりでこんな……」

スマホをバッグへしまおうとした際、先ほどもらった封筒が再び視界に入って手に取った。テーブルの上に置いて、シワを伸ばしながら溜息を吐く。
五条はどうして七海くんにこれを頼んだのか気になったけど、今更それを聞くのも癪だ。
そう思っていた時、バッグの中のスマホが震動してすぐに手を伸ばした。

「……は?五条?」

画面を確認すると、それは五条からのメッセージだった。開いた瞬間「怒」の文字と何かのキャラが顔を真っ赤にして怒ってるようなスタンプが飛び出すような動きで目に入る。アイツ、また新しいスタンプ買ってやがる、といつも呆れる瞬間だ。
新しもの好きの性格なのか、五条が送ってくるスタンプはいつも最新のもので、今は「ゆるだら」キャラの飛び出すクマタオルとかいうスタンプがお気に入りらしい。そのきもかわキャラの怒りようについ首を傾げてしまった。

「っていうか何で怒ってんの?アイツ……」

と言った瞬間、今度はメッセージが届く。

『出張になったんだって?もしかして泊り?』

その端的なメッセージからもかすかに五条の不機嫌さが伝わってくる。いつも無駄に添えられる絵文字が一切なかったからだ。

「ったく……何だってのよ」

ブツブツ文句を言いながら、「泊り」とだけ返しておく。そもそも関係は切れたんだから、こんな気軽にメッセージを送って欲しくない。
そう思いながらスマホをバッグにしまおうとしたところで、再びピロンと音が鳴った。ここからチャットのようなやり取りが続く。

『七海と?』
――そうだけど。
『誕生日に七海と泊りかよ』
――だったら何。仕事なんだから仕方ないでしょ。
『なら明日の夜までには帰って来られるわけ』
――それは大丈夫だと思うけど、何で?
『荷物取りに行くって言ったよね』
――あーそのことなんだけど、やっぱり荷物は送るよ。明日の夜は疲れてそうだし。

こうなると家に来られるのもツラいと思って、そうメッセージを送る。でも秒もしないうちに今度は直電がかかってきた。

「げ……五条?」

画面に名前が表示され、思わず項垂れる。確か今日のスケジュールを確認した時、五条は任務もなく、生徒達の指導、となっていたはず。
特級の五条が出張る任務と言えば、滅多にないけど特級呪霊が出た場合と、あとは一級相当の場合。あとは術師がどうしても足りない時、下級の祓徐でも五条が出向くこともある。
でも今日は術師も足りてるし、強力な呪霊発生という事案もないため、五条も教師の仕事に当たってるんだろう。
どうせ生徒同士で体術訓練とかさせて、自分は暇だからわたしにメッセージを送ってきたに違いない。でもさすがに電話で話す気にもなれず、そこはスルーしてしまった。

「何なの……もう構わないで欲しい……せっかく忘れようとしてるのに」

一大決心をした直後だというのに、こうも前と変わらずのノリで連絡を寄こされるのは地味にキツい。
これが半年経って……とかなら、まだ分かるけど、一昨日の今日では感情をどこに置いておけばいいのかも分からなかった。
今は顔を合わせるのもツラい――。
そう思ったわたしはメッセージで伝えた通り、ウチにある五条の荷物を取りに来させることなく、アイツのマンションへ送ることを、この時点で決めた。

長い付き合いではあるものの、わたしはまだ、五条のことを何も分かっていなかったのかもしれない。
わたしがセフレを解消したことや、荷物を送ったことで五条の何かを刺激してたなんて、この時は想像すらしていなかった。




次の日。出張から帰って来ると、わたしは部屋にある五条の私物を全て段ボールに入れ始めた。
そこで気づいたのは、知らないうちに五条の持ち物が部屋のあちこちに置かれてたということ。
歯ブラシや着替えの類はまだ分かる。来る時間帯によっては泊ってくこともあったから。
漫画もまあ、分かる。先に五条が来た場合、わたしを待つ間に読んでたこともあったから。
ゲーム機やソフトも一緒に遊んだりもしてたし、理解は出来る。学生の頃から、よく対戦とかもしてたから。
でもいくら何でも多くない?とは思った。
 
わたしと五条の関係が厄介なのは、セフレ以前に同級生という長きに渡って築かれた関係性があるところだ。いつもいつも会ってる間中、セックスだけをしてたわけじゃないし、二人で他のことを共有することもあった。
たまに気になる店があれば付き合ってもらったり、五条もスイーツ類を食べに行く時はわたしを誘ってきたりもした。
だから、その一つ一つに思い出が出来てしまって、なおかつ「これって、もう付き合ってる?」なんて勘違いしてしまいそうになったこともある。
でもそのたび、五条のあの言葉が脳裏をよぎった。

――オマエは僕のこと好きだとか、付き合ってとか絶対言わないでしょ。だから会ってて楽。

そう、五条はわたしといて気楽だから、セックス以外のことも平気で誘ったりしてくるんだ。ただ、それだけのことで特別なことは何もない。同級生の頃のノリってだけだ。

「こんなに沢山、持ち込んじゃって……だから勘違いしそうになるのに」

見てるのもツラくて、どんどん箱へと入れていく。っていうか彼氏でもないのにホント置きすぎじゃない?何で香水まであるのか分からない。それに着替えも下着も多すぎる!っていうか、何でぺアグラスとか置いてあるんだっけ?
これでわたしはビール、五条はコーラとか一緒に飲んだ記憶はあるけど、あまり深く考えずに使ってた。これがマグカップだと「ん?」くらいは思ったかもしれないけど、グラスは猛点だったかもしれない。
 
だんだん腹が立って部屋中にあった五条関連の物を全て詰め込んでいく。その時、アクセサリーボックスの中にしまってあったネックレスのケースを見つけた。これは去年の誕生日、五条がプレゼントしてくれたものだ。
最初渡された時は死ぬほど驚いた。セフレにプレゼントをする心理も謎だけど、そのネックレスが高級ブランドの物だったからだ。
ただ五条の収入を考えたら、多分アイツの感覚的に数千円程度のものなのかもしれないと思って、つい受け取ってしまった。つけるのがもったいなくて未だにケースにしまってあったものだ。
少し考えたけどそれも段ボールに入れたのは、やっぱり持っているだけでツラいし、未練を残したくなかったからだ。

「こ、これでどうだ……!」

五条関連の目につく物を全部片づけて最後にガムテープできっちり封印する。それから宅配業者に電話して家までとりに来てもらった。今はそういったサービスもあるから便利だ。
そう、何も五条が取りに来なくても電話一本で済むんだから。

「ではお届けは指定通り明日の昼になります」
「はい。宜しくお願いします」

荷物を引き取ってもらったら、気分的にかなりスッキリした。
五条は今日、急遽広島方面への出張が入ったというのは確認済み。だから今夜荷物を取りに来ると言ってたけど、わたしが断るまでもなく、結果的に来れなくなったのはラッキーだった。五条は明日の夜までには帰宅するはずだから、帰ったら宅配ボックスへ入れられた荷物に気づくだろう。
あれを返すことが出来た時、完全にわたしと五条の関係は切れる気がしていた。
この次の日の夜。出張から戻ったばかりであろう、五条がいきなり尋ねてくるまでは。



この日は猪野くんの任務に一日同行して、高専に任務完了の報告書を提出、事後処理などを終わらせて、午後十時にやっと帰宅することが出来た。

「はぁ、スッキリしたぁ」

湿度に弱いわたしは帰宅早々シャワーを浴びて一日の汗を流すと、バスローブを羽織り、髪をバスタオルで拭きながら冷蔵庫を開けた。
もちろんビールを飲む為だ。でもいざ缶ビールを出してタブを開けようとした時、ピロンというメッセージ受信の音がして、ふと振り返る。スマホはテーブルの上に置きっぱなしだった。

「何だろ。緊急の任務の連絡かな」

明日は一カ月ぶりの休みになっていたせいか、もし任務同行の連絡だったらやだなあ、くらいの気持ちでスマホを確認する。でもそれは仕事の連絡事項でも何でもなく、五条からのメッセージだった。そこで荷物のことを思い出す。

「まさか……届いたよっていうどうでもいい報告だったり……?」

昨日今日と特に五条からはメッセージが届くことも、電話がくることもなく平和だったせいか、こんな時間の不意打ちメッセージにどきりとした。
まあ、届いた報告だけならスタンプだけで返せばいい。そう思いながらメッセージを開いた。

「……は?」

見た瞬間、そんな乾いた声が出たのは、五条が予想外の行動に出たからだ。

『今、オマエのマンションに向かってるから家にいて』

それはまるでセフレの頃のようなメッセージで、わたしはただただ驚きで固まってしまった。