愛猫と元カレ-03


ある日、突然、愛猫の中で目覚めたは、自分に起こっている不可思議な現象に驚愕し、悩んだ末、呪術師という一風変わった職業をしている元恋人の五条の前に姿を現した。どうやら五条の元に行かなければ、と頭の中で強く念じたこと、そして同時刻にその五条もまたのことを頭の中で延々と考えていたことで、の意識とリンクしてしまったようだ。しかしそれが幸いした。五条が体を探すべく動いてくれると約束をしてくれたことで、はやっと安心することが出来た。しかしそれはつかの間の話で――。

《な…何で悟と寝食ともにしなきゃダメなの…?》

五条の手によって、高専の寮だという場所に連れて来られたは、また一時入っていた愛猫ミャウ太郎の体から姿を現し、目の前でニコニコしている五条を睨んだ。
――因みに、一度ミャウ太郎の中から出たことで、その後は出入り自由になったらしい。

「何でって、いつが記憶を取り戻すか分からないだろ?それにミャウ太郎は仮死状態になってるけどまだ生きてる。君が中にいる間、食事を摂らせてあげないと死んじゃうからさ」
《え…そ、そう…なの?》
「うん、多分。だから…」

と言って五条は先ほどパンダたちに買いに行かせたキャットフードをコンビニ袋から取り出した。

「はい、これ。しっかり食べてミャウ太郎の体調を少しずつ戻してあげないと」
《な…何それ…わたしにキャットフード食べろっていうの?》
「だって…ミャウ太郎は多分、餓死寸前までいってたと思うし栄養付けてあげないと」
《……》

笑顔で説明されると言い返せない。確かに五条の言うことも一理ある。猫のご飯を食べるというのは多少の抵抗もあったが、愛猫の為ならば仕方ない。ツナ缶と思えばどうってことは――。

「ってのは冗談でー」
《…は?》

そこで五条は軽く吹き出した。

「一応、買ってきてはもらったけど、さすがに猫の体に入ってるとはいえ、にコレを食べさせるのは僕としても忍びない」
《え…でも食べなきゃミャウ太郎はホントに餓死しちゃうじゃない…》

は覚悟を決めて猫ご飯を食べるつもりだったらしい。本当に素直だな、と五条は内心苦笑した。は大の動物好きで、特に子供の頃から猫や犬と一緒に生活してきたようで、この愛猫ミャウ太郎のことも溺愛していたことを思い出す。五条としては自分に懐かないミャウ太郎をライバル視していたものの、餓死してもいいとは思っていない。の悲しむ姿も見たくはなかった。そもそもが霊体としてここに来れたのは、ある意味ミャウ太郎のおかげでもある。

「だから…そうならないよう寮の食堂ででも抵抗なく食べられる猫の体にも優しい食事を作ってもらうよ」
《さとる…》

五条の気遣いに、は泣きそうになった。肉体はないので涙は出ないが、心細い今は心情的に五条の優しさが身に沁みる。

「それにしても…が飲み会をしていたのが、9月3日。そして今日、ミャウ太郎の中で目覚めたのが9月15日。約半月近く時間が空いてる」
《うん…それはビックリしたけど…》

も当然、飲み会をした次の日だと思い込んでいた。しかし実際は半月もの空白がある。その間、ミャウ太郎は飲まず食わずで頑張っての帰りを待っていたのだろう。だが力尽きそうになった時、の意識が中へ入り、ギリギリのところで五条の元へ来て助かったようだ。とりあえず高専の医者に点滴を施してもらったところ、冷たくなりかけていた体に体温が戻って来たことで、中にが戻り、五条に連れられ、部屋へ来たのだ。が一時抜け出たことで、今は五条の隣に横たわっている。

「でもそれでが生きているという可能性は否定できなくなった。ただ今日死んだということかもしれないけど…」
《それはない、と思う。何かね、ずっと自分の意識と繋がってる感じなの》
「どんな風に?」
《んー…時々誰かの声が聞こえて来るんだけど…わたしは多分…眠ってるんだと思う…その声に反応したくても出来ない感じなのよね…》
「…誰かの…声?」
《うん…男の人の声…どこかで聞いたことがある気もするんだけど…分からなくて》

は首を傾げながら考えている。五条は彼女の話を聞いて、まずは仮説を立てた。

「飲み会の帰り…は誰かに拉致されたんじゃない?で、今はどこかに眠らされて監禁されているとしたら…」
《え…でも眠っただけで霊体になるものなの…?》
「いや…幽体離脱って現象はも聞いたことあるだろ?」
《う、うん…そういうの苦手だけど話には聞いたことがある》
「肉体から精神だけが離れる。まあ霊体状態になるんだけど、その場合だとあまり長くは離れていられない。でも聞けばがミャウ太郎の体に入ってから12時間は経過しているし、その現象でもないと思う」
《じゃあ…何でだろ》
「うーん…」

何故、生きている体から意識が離れたのかまでは五条にも分からない。しかしが眠らされてる過程で呪霊が関与しているなら、この不可思議な現象も理解出来そうな気がした。

「もしかしたら…を拉致した人間が呪霊と関わっているかもしれない」
《…じゅ…れい?って何だっけ》

プロポーズされた時に聞かされた気もするが、あの時は嘘をつかれていたショックであまり覚えてはいなかった。五条は苦笑しつつもにもう一度、呪霊とは何かを説明した。

《え…じゃあ悟はそのじゅ…呪霊?を祓うのが仕事のじゅ…じゅじゅちゅ…じゅ…言いにくいっ》
「ぶは…っじゅじゅちゅって…かーわいい。霊体になってもそういうとこ変わらないね」

噛み噛みになっているがあまりに可愛くて、五条が小さく吹き出した。は笑われたことが恥ずかしかったのか《か、からかわなでよ…》とむくれている。こういうやり取りはつき合っていた頃からしていたので、五条は懐かしく思えた。

《でも…その呪霊って人間と一緒に何かをするものなの…?》
「うん。元々人間の悪意に満ちた念から生まれるようなものだからね。を拉致した人間の念が生み出したならあり得るよ」
《そう…なんだ…じゃあ…わたし誰かに恨まれてたってこと?》

人に拉致され、監禁されるなど普通ではない。自分の周りにそんな人間がいるとも思えなかった。しかし五条は「人は恨みだけで行動するわけじゃないだろ」と言った。

《どういう意味…?》
「恨みだけなら、わざわざリスクを冒してまで拉致しないし、監禁なんて尚更簡単にできるものじゃない。人ひとり監禁するなら場所が必要だし、気づかれないようにするにはかなり大変な作業だと思うからね。たんに恨んでいるだけなら普通に殺す方法を考えた方が楽でしょ」
《あ…そっか…》
「だから僕は…その犯人、を傍に置いておきたい人物だと思う」
《わたしを…傍に?でも何で――》
「犯人は君に好意を抱いていた人物ってこと」
《え…》

五条の顏がふと真剣になった。はドキっとしたものの、確かにその理由なら、リスクを冒してでも拉致したことは頷ける。ただにはそんな人物に心当たりがなかった。

…僕と別れた後…その…」
《え…?》
「付き合った男って…いる?」

どこか不機嫌そうに、聞きにくそうに尋ねて来る五条を見て、は慌てて首を振った。

《い、いないよ…いるわけないでしょ?悟と別れてからまだ一ヶ月しか経ってなかったのに…》
「そっか…」

いないと聞いて五条もホっとした。彼女は可愛らしく職場である大学でも人気があるのは知っていたので少し心配していたのだ。

《わたしだって……悟と別れたことはツラかった…。すぐ他の人、なんてあるわけないでしょ…?》

はどこか寂しげな顔で呟いた。その姿を見て、五条は改めて彼女を傷つけてしまった自分に怒りを感じる。だが彼女のその吐露した気持ちを聞いて、まだかすかながら可能性があるかもしれないと思った。

…」
《え…?》
「僕が…君の体を探し出して無事に戻れた時は…さ」
《…うん》
「…僕とのこと考え直してくれる?」
《悟…》
「君に…もう一度プロポーズさせて欲しい」

ドキっとしたように五条を見つめる。今は目隠しも取り――から怪しい!と突っ込まれた為――何も覆っていない青い瞳は、以前と変わらぬ愛情を宿している気がした。しかし、やはり一年間も嘘をつかれていたショックは未だに残っている。素直に頷けるほど立ち直ってはいない。まだ時間が必要だった。その思いを正直に伝えると、五条は一瞬へこんだものの、すぐに「分かった」と頷く。

「なら…の体を探す間、僕の仕事も自分の目で見て、普段の僕がどういう人間かを知って欲しい」
《え…》
「嘘をついていた事実は消えないけど…実際僕らの仕事は普通の人達にバレないようにしなくちゃいけないんだ。余計なパニックは起こさない為にね。それにはこういう話、物凄く苦手だろ」
《う…ま、まあ…》
「言い訳になるけど、そう聞かされた時、本当のことを言えなくなって…つい一年も経っちゃったってのが本当のとこ。でもを傷つけた事実は変わらないから、それを挽回する為にも僕にチャンスをくれないか」

真剣に語る五条の瞳に、嘘はない。もそれは感じ取っていた。そしてはふたりでいる時の五条しか知らない。自分の知る五条悟はそれが全てではなかったんだと思った。

(わたし…悟のこと何も知らなかったのかも…)

ふたりでいる時、五条は優しい恋人だった。
と五条が出会ったのは一年前の初夏。まだ梅雨明けもしていない小雨の降る夜だった。