愛のムチ-05


がふと目を覚ました時、自分の体が何かに包まれているような感覚があった。それはとても暖かく、安心出来る温もりだ。同時に懐かしい優しい匂いがした。この匂いは良く知っている。いつだってを安心させてくれる人の匂いだ。そう感じた時、は微睡みかけた瞼をゆっくりと押し上げた。

《…え》

視界いっぱいに五条の寝顔が見えて、は一瞬これは夢?と思いかけた。しかし何度か瞬きをしても目の前の光景は変わらない。五条は気持ち良さそうに眠っていて、の体を抱えるようにしながら抱きしめている。そこで昨日のことを思い出した。

(わたし…悟に会えたんだっけ…)

何故か愛猫の体ごと五条の元へテレポートしたことを思い出し、ふと意識を自分へ向けてみる。今はミャウ太郎の中に入っていたこともそこで思い出した。五条はミャウ太郎の体を包むようにして眠っているようだ。こうしてミャウ太郎の中にいれば、五条の体温をも感じることが出来る。

(悟とこうして眠ったのは久しぶりかも…)

別れた後は何度も恋しくなった温もりだ。あんなウソさえつかれなければ、きっとプロポーズを受けていただろう。それくらいは五条のことを好きだったという自覚はある。昨日、久しぶりに五条とゆっくり話をして事情を聞いてみると、少しは傷が癒えた気がした。相変わらず呪術師という怪しげな仕事には不安もあるが、実際この状態のを救ってくれるかもしれない存在で間違いない。理解の出来ない世界は怖い。でも今は前のように頭ごなしに否定はできないなとも感じていた。

――もう一度プロポーズをさせて欲しい。

ふと五条に言われた言葉が浮かぶ。正直、凄く嬉しかった。嫌いで別れたわけじゃない。ただ相手を信用できなくなった時、好きだからこそ無理だと思って別れを選んだ。この先つき合い続けて、あのまま結婚をしていたとしても、ふとした時に「これもウソなんじゃないか」と思ってしまうのが怖かった。そんな不信感を持ったまま一緒にいても、いつかふたりの間に亀裂が生じるからだ。それでも五条の仕事はそれくらい特殊なのだと分かっただけでも、頑なだったの気持ちが多少は和らいだ。

――普段の僕がどういう人間か知って欲しい。

五条にそう言われた時、知りたいと素直に思えたのは、自身も自分の知らない五条の姿を知りたい、とそう思ったからかもしれない。半分の姿しか知らないまま、五条のことを拒否するのは時期尚早だと思った。

(もっと…悟のことが知りたい…)

今なら素直にそう思える。こんな訳の分からない状況に置かれ、不安でいっぱいだった心を救ってくれたのは五条だった。だからこそ、もう一度、五条のことを信じたいと思ったのだ。

(悟なら…何とかしてくれる)

そう思うだけで、安心できた。

「おはよう、
《―――ッ?》

すぐ近くで声がして、はギョっとしたように視線を上げた。目の前には寝起きにも関わらず、何とも綺麗な空色が自分を見つめている。

《さ…悟…》
「ん?なんて言ったの?」

そこで今はミャウ太郎の中にいることを思い出した。口から出た言葉は猫語になってしまう。

「ぶにゃぶにゃ言っても分かんないけど、この太々しい顔のミャウ太郎でも中身がだと思うと可愛く見えるな」

マジマジと見ながら五条が呟く。しかしにしたら可愛い可愛い自分の愛猫だ。太々しいと言われてカチンときた。

《…ミャウはこの顔だから可愛いのっ》
「え?何?」

またしてもブニャーという音にしかならず、五条が苦笑した。声の感じで何か不満を言っているのは分かったようだ。

「そんな朝から怒らないの」
《……ちょ…》

ミャウ太郎の頭を撫でながらニッコリ微笑む。そのまま五条の顏が近づいて、のくちびる…いや、ミャウ太郎の口へちゅっとキスをされた。

《……っ?!》
「おはようのキス、ミャウ太郎だから別にいいよね」

悪びれた様子もなく言ってのけた五条に、はふるふると震えながら《いい訳ないでしょっ》と――実際は「ブニャー―!」という声――その右手で五条の顏へ平手をお見舞いした、つもりだった。だが実際は猫パンチが五条の額を掠める。術式をオートにしていた五条も、相手は猫ということで不幸にも全く警戒心がなかった。もろに猫パンチ+鋭い爪を額に喰らう。

「いててっごめん、悪かったから爪は立てないでっ」

傍から見れば、ベッドの上で猫と戯れている特級呪術師が、そこにいた。



+ + +



「ぶははは!悟~何だよ、それ!」
「うるさい、真希」
「悟でもケガすんだなー。さすがに猫相手じゃ無限も効果なしか」
「黙れ、パンダ」
「……おかか」
「そ、そうだよ…笑ったら先生、可哀そうだろ…?」
「憂太…オマエの優しさはたまに人を傷つけることもあるんだな…」

それぞれの反応に五条はイラっとしつつ、深い溜息を吐いた。その五条の額には一枚の絆創膏がしっかり貼られている。ここへ来る前に同僚の家入に貼ってもらったものだ。

「え、アンタ、フラれて寂しいからって猫飼いだしたの?」

中身はのミャウ太郎を抱いて医務局に行った時、そんな爆弾を投下してきた家入に、五条は本気で殺意を抱いたものの、後々面倒なので事の経緯は説明しておいた。ミャウ太郎の中にがいると知って心底驚いてはいたが、そこは家入硝子。この不可思議な現象をすぐに受け入れ、納得してくれた。とりあえず細かい話は後にしようということになり、まずは生徒の任務を告げる為、五条が教室へとやってきたところだ。案の定、担任教師の額に貼られた絆創膏を見て、生徒達は大笑いしていたが。

「じゃあ各自、それぞれ任務は頑張って」
「え、悟は引率しねーのか」

全員に任務を割り振った後、サッサとどこかへ行こうとする五条を見て、真希が尋ねた。五条がぴたりと足を止め、振り向く。その腕にはしっかりとミャウ太郎を抱いている。

「元カノ同伴で任務にでも行くのかよ」
「僕のしょぼい任務はオマエ達に割り振った。引率は伊地知や他の補助監督が就く」
「は?テメェ、自分の任務、私らに押し付けようって魂胆かっ」

シレっとした顔で言いのけた五条に、真希が噛みつく。パンダと棘,乙骨はすでに諦め顔だ。

「嫌だなあ、押し付けるなんて人聞きの悪い。全てオマエ達の成長の為なんだから、僕から愛のムチだよ」
「テキトーこいてんじゃねえぞ、悟!どのツラ下げて愛とかほざいてんだ」
「真希は任務もう一つ追加でー。うん、よろしくー」
「おい!」

五条がケータイで誰かに指示を出しているのを見て、真希の顏が盛大に引きつった。ただでさえ朝早くに起きて眠い上に、昨日のペナルティ「校庭200週」を走って来たばかりだ。ぶっちゃけ真希は任務前から疲れていた。これ以上仕事を増やされるのは地獄に等しい。

「ってことで僕はこれからの事件の調査に向かう。オマエ達はしっかり任務をこなして少しでも多くの呪霊を祓っておいで」
「…く…っ」

なんとも爽やかな声色で言いのけると、五条はミャウ太郎を抱いたまま歩いて行く。その背中に殺気を放ちながらも、真希は深い溜息を吐いた。生徒に任務を丸投げする己の担任には怒りしか湧いてこない。とはいえ、五条が遊びに行くわけじゃないと分かっただけ、少しは仕方ないと思えた。

「チッ…仕方ねえ…とっとと終わらせて私らも調査に行くぞ」
「そーだな。まあ、悟が調べるんだからオレ達のやることなさそうだけど」
「少しでも手掛かり多い方がいいだろーが。一人より五人で探した方が早くみつかるかもしれねえ」

真希はニヤリと笑みを浮かべると、自身の呪具を担いで補助監督の待つ出立口の門へ歩いて行った。