
捜索願い-06
生徒達に任務を押し付け――もとい。任せてきた五条はミャウ太郎を家入に預けて、ミャウ太郎から抜け出たと共に、まずは彼女の自宅マンションへと来ていた。管理人とは以前からの顔見知りであり、婚約したと嘘をつくだけで合い鍵を貸してくれたのは幸いだった。
「しばらく見なかったからてっきり別れたのかと思っていたよ」
「いえ、僕、ちょっと長期出張で東北に行ってたんで」
愛想のいい笑顔を振りまき、五条はサングラスをかけ直した。と会う時は目隠しを外し、常にこの姿だった。
「それにしても心配だね…。ちゃんが入院なんて。仕事場の人が出社して来ないって私のところへ来た時は驚いたよ。事件に巻き込まれたんじゃないかと心配してたんだ。いや無事で良かった」
「彼女の仕事場には僕から説明しておきますよ」
「頼むね。ああ、着替えを頼まれたのに鍵を失くしたんだっけ?その鍵はしばらく持ってていいよ。本当はダメなんだけど君は彼女の家族のようなものだし、私がいなくても出入りできるように持ってなさい」
「ありがとう御座います。じゃあ彼女が退院したら返しにきますね」
そう声をかけ、五条はエレベーターへ乗り込んだ。
《……嘘ばっかり言って》
五条の隣にいるは僅かに目を細めている。事情があるとはいえ、人の良い管理人のおじさんを騙す形になり、申し訳ないと思ったのだろう。
「仕方ないだろ?の部屋に入れなきゃ手がかりがあるかどうかも分からないし」
《でも実際、もしそんな嘘をつかれたら部屋の鍵を簡単に入手できちゃうのよね…》
そう考えると少し怖くなった。自分の知らないところで勝手に部屋に入られていたらと思うとゾっとする。そこでふと気づいた。五条も同じことを考えていたようだ。
「本当にが誰かに拉致されたんだと仮定して…ソイツはの部屋の鍵を手に入れることが出来るよな…」
《い、言わないでよ、そんな怖いこと!わたしもチラっと考えたけど…》
「僕だって考えたくないよ。が知らない男に拉致されたかもって考えるだけで殺意が湧く。でも君を救うにはあらゆる可能性を考えておきたい」
五条はの部屋の前に立つと、管理人から借りた鍵でドアを開けた。
「じゃあ…入るよ」
《う、うん…あ、あの…変なとこは見ないでね…》
「まあ…でも何かなくなってる物がないかくらいは調べないと」
《あ、そ、そうね》
も納得したところで、五条は室内へ足を踏み入れた。サングラスを外し、丁寧に部屋の隅々まで見ていく。しかし怪しげな残穢はないようだった。
「がいなくなってから時間も経ってるからな…特に怪しい気配はないか」
まずはリビングやキッチンなどを見たが、綺麗に片付けられている。ミャウ太郎があちこち移動したのか、トイレの砂が部屋のいたるところに落ちているくらいだ。
「とりあえず換気するか」
《お、お願い。ミャウのトイレが悲惨なことになってるし臭いでしょ》
「大丈夫だよ。ミャウ太郎もひとりぼっちで君のこと待ってたんだと思うと、これくらい」
五条は苦笑しながらベランダの窓を全開にして風通りを良くすると、ミャウ太郎のトイレに溜まった排泄物を綺麗に片付けていく。
《ありがとう、悟》
「いや、このくらい気にしないでいいよ」
いちいち申し訳なさそうな顔をするを見て、五条は懐かしいと感じていた。付き合ってた頃も時々ミャウ太郎の世話をしたことがある。任務を早く終わらせ、会いに来た時はミャウ太郎と一緒にが仕事から帰って来るのを待っていたことも。全然寄り付かないミャウ太郎はいつもジトっとした目で五条を見ていたが、五条はよくミャウ太郎に話しかけたりもしていた。トイレをすれば今みたいに片付けてやったことも一度や二度じゃない。結局、最後まで懐かれなかったのだが。
「さて、と。寝室を調べても?」
「う、うん」
五条もこの部屋には何度か泊ったことがある。忙しい仕事柄、なかなか会う時間が取れないことも多かったが、は文句も言わずにいつも「お仕事頑張ってね」と励ましてくれたことを思い出す。
「特に…変わった様子はない?から見てどう?」
寝室に入り、カーテンを開ける。はキョロキョロと室内を見渡していたが、《特に変わったとこはないかな》と首を傾げた。何もかも、あの飲み会のあった日の朝、出かけた時のままに見える。
「クローゼットは?開けてもいい?」
《うん。あ、でもチェストの下段だけは…》
そこには下着が入っている。いくら元カレとは言え、恥ずかしいのであまり見られたくはない。
「ああ、そこは見ないようにするから。何かなくなってるものとかあれば教えて欲しいんだ」
が頷いたのを見て、五条はクローゼットを開けた。そこには夏物がかけられている。
「どう?何か変わったとこはある」
《うーん…ない、かな》
「ってことは、拉致したヤツがいたとして…まだここには来てないってことかもしれないな。ヘタにのマンションの近くや建物内をウロついて誰かに見られたら、それこそ致命的だろうしね」
未だ推測の域を出ないが、が忽然と姿を消したのなら、必ず犯人はいる。もし呪霊に襲われたのだとしたら何らかの痕跡は残るし体が全く見つからないということはない。やはり、これは人間が関わっているとみて間違いないと、五条は思った。
「次はの仕事場に行ってみようか」
《え?》
「昨日、警察の方に手を回して調べてもらったらの職場から捜索願いが提出されてたらしいんだ」
《え!そ、捜索願いって…》
「そりゃそうだよ。出勤してこないんだから不審に思うだろ。きっと家に来ても不在で、君の上司が警察に行ったんだと思う」
《え、上司…?》
「うん。捜索願いを出したのは宮部良一って人だった」
《…宮部係長?》
その名を聞いてはおっとりとした優しい顔を思い出した。
「の直属の上司?」
《うん。凄くいい人よ。優しくて気遣いのある人で…そっか。宮部係長が捜索願いを…》
「じゃあ、まずその人や他の同僚なんかにも話を聞きに行こう。職場の人なら何かしら知ってる人がいるかもしれない」
《知ってるって…?》
「の周りで何か不審なことがあったかどうか。だいたい拉致するような人間はそこに至るまでの間に何か行動を起こしてるはずだ。も何か思い出したらすぐに教えてくれる?」
《分かった…》
「じゃあ、行こう」
ここからの勤めてた大学までは車で30分ほどだ。五条は部屋を後にするとタクシーを拾い、大学へと向かった。
その人物はが話していた通り、優しそうな雰囲気を漂わせていた。白髪交じりの髪に黒ぶちの眼鏡。少し地味な印象の宮部良一は、突然訪ねて来た五条を見て、酷く驚いた様子だった。
「え…くんの…婚約者?」
「はい。ああ、僕、仕事の関係上、警察に顔が効くので個人的に探すのを許可してもらったんです。警察から連絡きましたか?」
五条が澄ました顔で尋ねると、宮部は戸惑いながらも頷いた。
「ああ、はい。さっき僕のところに電話が…くんの知り合いが行くので協力するように、と。でもまさか婚約者が来るとは思わなかったな」
「僕も心配で居ても立っても居られなくて」
「そう、ですよね。でも警察は動いてくれないんでしょうか」
「警察は事件にならないと動きません。なので僕が直接彼女を探そうと思っています」
「そうですか…心配ですよね…。何故急にいなくなったのか…」
宮部は五条のウソを信じたようだ。溜息交じりで肩を落とした。その様子を見る限り、宮部がこの件に関わっているようには見えない。
「それで…早速ですが最近、彼女の周りで何かおかしなことがあったとか、何か困っている様子だったとか、そんなことはありませんでしたか」
「…いや、それが…分からなくてね。彼女はいつも仕事熱心だし、明るい性格だったんで誰からも好かれてた。特におかしな点はなかったと思います」
「そうですか…。では彼女と親しかった人は?」
「ええと…この事務の中だと山田さん、かな。ああ、ほら。あそこに座っているボブカットの女性です」
言われて五条が視線を向けると、沢山のデスクが並んだ一画に髪の短い女が仕事をしているのが見える。その名前は五条も何度かの口から聞いたことがあった。
「山田さんはさんと歳も同じで時々ふたりで飲みに行ったりもしてたようです。もしかしたら僕より何か詳しいことを知ってるかもしれないですね」
「分かりました。彼女から話を聞いても?」
「ええ、もちろん」
「ああ、あと。さっきこの事務だと、と言ってましたけど…と親しくしていた人が他にもいたんですか」
「え?あ、ああ…いや。くんは知っての通り気さくで人見知りのしない明るい性格なので、講師や学生たちにも人気がありましてね。結構、彼女目当てで事務に来る人も…」
と、宮部は何故か言葉を濁した。その空気を敏感に感じ取った五条は「それって…男、ですよね」と尋ねるのを忘れない。宮部の表情が困ったように崩れた。
「いや、ははは…。婚約者の方にこんな話はどうかと思うんですが…」
「いえ、何がヒントになるか分からないので教えて下さい」
五条は限りなく冷静を装い、笑みまで浮かべてみせた。宮部もホっとしたのか、「いや実はね」と身を乗り出し、
「学生たちは大抵は憧れ的な感じでくんに対応してもらいに来ることが多いんですが、中には本気でさんに好意を寄せる子もいることにはいまして…夏頃に結構しつこく誘って来た学生がいたようでね」
「それは誰ですか?」
「ええと…理学部の…確か井田くん、といったかな」
「井田…他には」
「あと経済学部の田所くん…くらいかな。他の子達は事務員と学生という立場で接してた子ばかりだと思いますよ」
宮部はそれ以上、何も知らないようだった。ひとまずお礼を述べて、五条は一度、事務室を出ると、大学構内を見てまわることにした。次は同僚の山田に話を聞きたかったのだが、今は仕事中ということもあり、休憩時間ならと言われたのだ。それまで時間を潰すしかない。
「、聞いてた?」
《うん…》
「井田と田所って学生、ほんとに君に言い寄ってたの?」
《い、言い寄ってたっていうか…》
少しだけ空気がピリつく感じがするのは五条が不機嫌なせいだろう。宮部の話を聞きながら、自身もハラハラしてしまった。
《ただちょっと映画とか食事に誘われただけだし…》
「そーいうのデートに誘われたって言うんじゃない?」
《で、でもちゃんと断ったわよ。学生だし、年下に興味ないもの》
「ふーん…」
本題から反れている。五条はスネたように目を細めた。時期的にはまだ五条と付き合っていた頃の話だ。自分の知らないところで恋人がデートに誘われていた事実はあまり愉快とは言えない。
《そ、それより悟だって…》
「僕が何?」
《婚約者だなんて言っちゃって…》
「それは仕方ないだろ。別れた男が君のことを探してたら、それこそ不審がられるし」
《そ、そうだけど…》
「とりあえず今は警察が動いてくれないから婚約者の僕が探してるっていうことにしておいた方が何かと探りやすい」
ニッコリ微笑む五条を見て、どうも周りから固められていっているような気もしたが、確かに別れた恋人という形で職場の人に会われても困る。
「それに嘘から出た実になるかもしれないし?」
《……悟ってば呑気に》
楽しげにしている五条を睨んでみたものの、本人はどこ吹く風で構内を見渡している。こうして自分の職場に五条がいるのは、少し不思議な感覚だった。
「」
《え…?》
突然、廊下の途中で立ち止まった五条は、意外と真剣な顔でを見つめた。
「さっきの話もそうだけど…僕に隠してた話があるならちゃんと話して欲しい。その中に犯人がいるかもしれないしね」
《…悟…》
「僕は一刻も早く、君を…の体を取り戻したい」
五条の言葉にハッとさせられた。自分の顔見知りが犯人だと思いたくはないが、早く自分の体に戻りたいのはも同じだ。今は五条の気持ちがありがたいと感じた。
《分かった…ありがとう、悟》
そう応えると、五条は笑みを浮かべて、再び歩き出す。その横を、学生たちが走り抜けていった。