「今日も俺のは可愛いを着こんでる」
今日も今日とて可愛い幼馴染をこっそりケータイで撮影しながらご満悦の五条。
「ただのジャージじゃないか」
身も蓋もないツッコミをする夏油に対しても「は何を着てても可愛いだろうが」と言い返す懲りない男だった。
じめじめとした季節も終わり、これから夏本番といった朝から暑い日だった。
そんな日に限って任務もなく。二年生の五条達も「今日は一年と合同で体術訓練をしとけ」と担当教師の夜蛾から言われてしまった。何でも夜蛾は上層部からのお呼び出しを受け、今日の授業もせずに出かけるという。
それを聞いて早速「暑いから教室で座学させろ」と五条が噛みつく。夏油も夏油で「私は暑い日に運動してはいけない病で……」とふざけた返しをしながら、手で額を抑えるフリをした。体が弱いアピールらしい。
しかし昨日も任務先で呪霊を五体ほど元気にボコしていたと補助監督から報告を受けていた夜蛾は「へえ。それは大変だな。傑」と鼻で笑うだけ。
伊達に二人の担当を任されていない夜蛾は、クズ二人の扱いをすでに熟知している。
特に五条に至っては何を餌にすればいいのか、しっかり弱点を把握していた。
「悟と傑は必要ないだろうが、は体術苦手なんだから、こういう空いた日にオマエらで訓練付けてやれ。もちろん後輩達にも――」
「了解!」
と少し食い気味で手のひら返しの如く答えたのは、最初に夜蛾へ噛みついた五条だった。
狙い通り……!と夜蛾の口元が悪い笑みを浮かべる。元々人相は良くないのだが、今は新世界の神になろうとしてる殺人鬼のような黒い笑みを滲ませていた。
本当に賢い人間は自分の狙いを隠し、相手を上手く誘導していく。夏油は早速を連れて教室を飛び出していく五条を「単純な奴だな」と呆れ顔で眺めながら「ちゃんを利用するとはやるね、先生も」と苦笑を零していた。
かくして五条と夏油、そして遠回しに体術を鍛えろと言われたは、炎天下の中、グラウンドで体術訓練をする羽目になった。
途中で買ったコーラを飲みつつ「のジャージ姿もかわいくね?」とケータイで彼女をパシャパシャ写真に収めていた五条だったが、夏油に「いくら幼馴染でも隠し撮りするのは変態ぽいからやめな」と窘められた。しかし本人は全く聞いていない。「今のポンコツキック見た?可愛すぎだろ、俺の」と目をハートにしてる始末。夏油はげんなり顔で溜息を吐くほかなかった。
その時、から「悟、まわし蹴りの上手い当て方、教えてー」とお願いされ、遂に重たい腰を上げ――いや「おっけ♡」と軽い動作で立ち上がる。昔からに関することだけはフットワークが軽いという家族からの定評(?)もある五条だった。
可愛いからのお願いとあれば、暑いだ何だと言ってる場合じゃない。ここらでビシっと最強というものを見せてアピールしなければ、と少しズレた気合を入れる。
「今のもう少し重心を低くして蹴ってみて。その方が体も安定するし蹴りの威力も増すから」
「う……悟に当てられる気がしない」
流れるような動作でしなやかに動く五条を捉えるのは難しく、は何度か同じ動きを言われた通りに繰り返す。五条には無限がある為、本気で当てにきてもいいと言われたのだが、その無限にすらかすりもせず、もだんだんムキになってくる。
夜蛾の言うように体術は昔から苦手であり、五条と通っていた合気道や空手の類はいつもビリであった。しかし本人としては少しでも上達したいという思いだけは強く。頑張って中学卒業までは通っていた。あまり上達はしなかったが。
に格闘センスはないな、と五条も薄々気づいているし、出来れば苦手なことを無理にやらせて怪我をして欲しくもない。だが本人は「悟に一発くらい当てるぞー」とガッツポーズでやる気を見せるので、可愛いやつ、というデレた思いだけで、彼女の特訓に付き合っていた。
(そう言えば一緒に通っていた空手なんかでも、は苦手なくせに一生懸命だったっけ)
道着を着たも可愛かったことを五条は思い出していた。
あれは小学校へ上がった頃のこと。将来は呪術師になることが決められていたも、そのための鍛錬は当然のようにやっていた。だが元々は体術が苦手、というより運動全般が苦手だった。
そこで親の勧めを受け、基礎の動きを学ぶために空手を習いだす。それを知った五条少年は、すでに技術体術は完璧だったにも関わらず、親に頼み込みと同じ道場へ入門。
と一緒にいたいが為の、可愛い我がままだった。
「悟くん強いのに空手も習うの?」
「俺がを守るって言ったろ。男だらけの中にオマエを置いておくのは心配だからな」
空手道場は当然ながら男の方が断然多い。女の子もいることにはいるが、この道場はを入れて三人ほどだった。
そんな中に未来のお嫁さんを一人で通わせられない、とは両親を説得した時の五条少年の言葉。それを聞いた両親がいたく感動し、「よし!しっかりちゃんを守って来い、悟!」と家族一同からの拍手喝采を受けて、五条少年は送り出された。息子も息子なら親も親である。
この頃から五条家の将来――五条悟のワンマンチーム――は見えていたかもしれない。
かくして、と同じ道場で空手を習う――秒で黒帯へ昇格したが――ことになった五条少年は、どうにか可愛らしいとお近づきになろうと近づいて来る少年たちを見つけては、個人練習という名目で呼び出し、日々ボコボコにしていた。道場唯一の黒帯であり、師範代よりも空手のセンスがあったことで、同年代の指導を任されたのがキッカケだ。大好きな幼馴染といたいが為に入門しただけの五条少年に、大事な弟子たちを任せた師範代の目は節穴だったとも言える。
「こんなことも出来ねぇの?雑魚だな、オマエら」
言葉の暴力で少年たちの心をへし折り、「たった20枚の瓦も割れない雑魚はに近づくなよ?」と言う無言の圧をかけていく。
現在であったならパワハラモラハラ、暴力的指導のオンパレードで訴えられていたかもしれない。
しかし中には懲りない男子もいる。五条少年は怖いが、は可愛い。そこで五条少年が家の仕事で遅刻した時を狙い、に話しかけた男の子がいた。隣町の小学校に通う及川くんだ。
「ちゃんは五条くんとどういう関係なの?」
「え、悟くん?」
「いっつも二人は一緒にいるでしょ。何か特別な関係なのかなって」
「うーん……特別っていうか、悟くんはお兄ちゃんみたいな感じなの。いっつもを守ってくれるんだぁ」
可愛らしい笑顔で応えるにデレていた及川くんであったが、そこへ何も知らない五条少年がやって来た。当然のことながら、自分以外の男子と楽しくお喋りをしているを見るや否や、まずは固まる。五条少年の脳が情報を処理しきれないほど驚いたからだ。何かの幻術か?と、三度見くらいしてしまったが、ひたすら仲良さげには及川くんとお喋りをしている。周りにいる男子は五条のみ、という環境になっていた為、からすると五条少年以外の男の子と話すのは新鮮だったらしい。「俺以外の男と話すな」という五条少年の言いつけもすっかり忘れて及川くんとポケモンの話で盛り上がっていた。
「……!」
怒りとショックで放心していたものの、我に返った五条少年は当然ながら二人の間へ割って入ろうと歩いていく。男子と二人で話す行為は浮気だ。そう問い詰めようとした時だった。
「あ、悟くん!待ってたよー」
五条少年がやって来たのを見たが嬉々とした顔で駆け寄る。するとそれまで呪いのような殺気を垂れ流し、鬼の形相だった五条少年の表情が一変。ポっと音が出たと思うほどに頬を染め、青い瞳がきょろきょろと左右へ動いた。
「お、遅くなって悪かったな……。一人で大丈夫だったかよ」
「うん。及川くんがお話してくれてたから」
「……へ、へえ。何の話してたわけ」
「えっとね。悟くんのこと聞かれて、あとは悟くんの好きなポケモンの話をしてあげてたの」
「……(ほぼ俺の話じゃん)」
他の男子と話すのは気に喰わないが、内容が自分のことだったと分かり、荒んで凸凹だった五条少年の心が綺麗に整地されていく。の存在は五条にとって、心のロードローラーに匹敵するようだ。
だがしかし。やはり自分以外の男子と話すのは面白くない。というか……凄く嫌だった。自分のいぬ間にへ声をかけたであろう憎き及川くんを一発殴りたかったが、五条少年が現れた時点で道場を飛び出していったのか、とっくに姿は消えていた。空手は下手でも陸上選手くらいはなれそうな速さで逃げて行ったらしい。
内心舌打ちをしつつ、燻っていた嫉妬の炎をついへ向けてしまう。
「あっそ。ならいいけど……他の男と話すのは浮気だからな」
くりくり眼で自分を見上げて来るを、ジト目で見下ろす。しばし二人の間に沈黙が流れ、がゆっくりと小首を傾げた。
「うわき……ってなぁに?」
「……」
まずはそこから教え込む必要があるようだ。
「お、今の蹴り、良い感じじゃん」
教えた通りの動きをしたを褒めると、五条はデレた顔で彼女の小さな頭を撫で始めた。空手を習っていたこともあり、基本は出来ているのでコツさえつかめば体術でも応用が利く。
しかしは真っ赤な顔ではふはふと荒い呼吸を繰り返していた。暑い中、激しい動きを連続でしたせいか、前髪が汗で貼り付いている。
「あーあ。暑いだろ。何か冷たいもん飲むか?」
額にくっついた髪を指で避けてやりながら彼女を見下ろすと、もまた「うん」とかすかに笑みを見せて五条を見上げる。一瞬、目が合った時、五条のどこかが刺激されたのは、の火照った顔がどことなくエロかったからだ。
ついツヤツヤの唇へ目が向いてしまう。
その時、五条の脳裏に、彼女と交わしたファーストキスの記憶が鮮やかに蘇ってきた。
あれはそう。小学五年の夏休み。空手合宿に参加した時の話である。