04-帳を下ろそう・後編



呪術実習も終わって帰路につき、娯楽室で皆とお茶をしながら"今日の反省会"をしていた最中。
今日一番張り切っていたがとうとう泣き出してしまった。
それから、かれこれ30分はこの状態だ。

「う…っく…うう…」
「おい、…もう泣くなって…」
「そーだよ。俺だって"帳"?なんか下ろせねーしさ!」

さっきからウチの男どもはオロオロしながらを慰めている。だけどはよほどショックだったのか「ほっといてっ」と叫んで、二人から涙でべしょべしょの顔を背けてしまった。彼女のその頑なな態度は女に免疫のない虎杖も、そして彼氏である伏黒もお手上げといった状態だ。
一人余裕そうにコーヒーを飲みながらその光景を眺めていた五条先生だったけど、三人の様子を見かねたように遂に重たい腰をあげた。

「仕方ないなあ。恵も悠仁も。女の子の扱いも分からないようじゃ呪術師なんか出来ないよー」
「呪術師に女の扱い、関係あるんスか…」

五条先生のふざけた言葉に早速伏黒が絡んでいる。きっと自分の彼女なのに自分が泣き止ませてあげられないことが腹立たしいに違いない。
相変らず仏頂面でヘラヘラしている五条先生を睨みつけつつ、の背中をさすっていた。

そもそも何でこうなったのかというと、今日の呪術実習でが初めて"帳"を下ろす担当を任されたのが発端だ。
私達みたいに前から呪術の何たるかを叩きこまれている人間からすれば、"帳"を下ろすことなど造作もない。だけど最近になって呪術を学びだしたにとっては僅かな呪力コントロールさえ難しいらしい。
幸いには術式こそなかったけど、一般人よりは呪力があったようで、当然呪いも視える側の人間。あとはそれをどう使えるようになるかというのが課題だった。
補助監督ならば"帳"くらい下ろせないと実戦の現場をサポートをするのは厳しい。なので高専に入学してからはずっとも必死に練習をしているようだ。

そこで今回初めて現場で"帳"を下ろす仕事を五条先生に任された。
…だがしかし。今日、は見事に失敗した。
それがショックで、こうして帰って来てからも落ち込んで泣いているというわけだ。

。そんな落ち込まないの。誰だって最初は失敗するもんだよ?」
「だ、だって…あ…あんなに…ひっく…れ…練習…した…ひっく…したのに…」
「そりゃこの前まで普通の中学生だったが一から呪術の勉強を始めたんだから失敗して当然なの。いきなり出来たら僕が驚く」

五条先生が冷静に諭すように話すと、は嗚咽をあげながらも少しだけこちらに顔を向けた。さすが特級呪術師にして現代最強を自負する男。
あんなに頑なだったが少しだけ反応した。でも真っ赤に泣きはらした目が痛々しい。
私なら失敗しても何くそって踏ん張れるけど、みたいな一途で何事にも一生懸命の子が失敗すると頑張ってきた分ショックは大きいのかもしれない。

「それにさ、失敗って言うけど半分は出来てたでしょ。なら次はあれを完成に近づける為の練習をすればいいんだよ」

そう、そうなのだ。失敗はしたものの、"帳"が完全に出なかったわけじゃなく。
途中までは順調に"帳"は下りていた。ただ――途中で止まっただけで。
あれはまるでバニラアイスの上にたらされたチョコのようだった。思い出すとちょっと笑える形だ。
五条先生もそう思ってたのか、せっかくが泣き止みはじめ、ゆっくりとこっちへ振り向いたのに。

「でもあの形はあれだね。バニラアイスにかけたチョコのように美味しそうだったね。ぷ…うくくく」
「――ッ!!」

笑われたことがよほどショックだったのか。は再び「わーん、五条先生がバカにしたぁぁぁーっ」と大きな声で泣き始め、伏黒と虎杖も手で顔を覆うと、盛大な溜息と共に天井を仰いだ。

「っちょ、センセー!せっかく泣き止んでたのに何言ってんスかー!」
「……チッ」

焦る虎杖とイラッとした様子の伏黒を見て、五条先生はヘラヘラしながら「ごめんごめん。あまりに可愛い"帳"だったからついね」と謝っている。
ったく、ウチの男どもは本当に使えない奴ばかりだ。

「どけ!」
「お、おい、釘崎…オマエ、これ以上を追い込むような真似は――」
「釘崎…余計なことは――」
「はあ?オマエらと一緒にすんな!」

邪魔な虎杖をどつくと、私は未だ泣いているの肩をガシっと掴んだ。そして背中を向けている彼女の体をこっちへぐりんっと向けると、の頬を手で掴む。
むにゅっとした柔らかい感触の頬はすべすべで、少し羨ましい。でもやっぱり顔は涙でべしょべしょだから、ガラにもなく私の体のどっかがぎゅうっと変な音を立てた。

「の…野薔薇ひゃん…?」

手に力を入れれば、もちもちホッペに押され、その小さく艶のある唇が突き出される。その顔が何とも言えず可愛くて吹き出しそうになるのを堪えながら「口、開けて」と一言告げた。
するとは意味も分からないといった顏なのに、素直に口を少しだけ開けてくれた。その従順さにキュンとまた胸が鳴ったのは気のせいだろうか。伏黒の気持ちがちょっとだけ分かってしまうのが悔しい。
とりあえずポケットにずっとしまってあったものをの口に放り込んでから手を離した。

「な…何…?あ…甘くて…シュワシュワする…」
「美味しい?それデパートで見つけて色が綺麗だったから買ったの。サイダー味の金平糖」
「ほんとだ…サイダーの味がする!」
「気に入ったならあげる」

そう言って袋ごとに渡すと、その琥珀色の瞳をキラキラと輝かせた。

「うわー綺麗!これ、紫陽花みたいだね」

丸い袋に入れられた小さな粒は赤紫や青紫が入交り、小さな紫陽花のようだったのだ。その見た目に惹かれて選んだんだけど、もやっぱり好きだったみたいだ。

「ありがとー!野薔薇ちゃん!嬉しい!」
「うわ…っ」

予想外にもガバリと抱きつかれて驚いた。その瞬間、ふわりと甘い香りが私の鼻腔をくすぐるから、は匂いまで女の子らしいなと思う。

「でもいいの?全部もらっちゃって…」

さっきまであんなに泣いてたが、今はすっかり笑顔満開。の笑顔は捻くれた私には眩しすぎるけど、でも嫌いじゃない。
むしろ、胸の奥に沈殿したままのどす黒い怒りすら消し去るくらいの威力があって、私を癒す暖かい光のようだ。

「いいよ。この前の薔薇のお礼」
「え、あれはわたしが勝手にあげたものだからいいのに…」
「いいのよ。私、今ダイエット中だし」
「だったら何でそんなもん買ったんだよ」
「うるさい、虎杖!」

空気を読めない男は口を開くなと言わんばかりに怒鳴れば、すぐにビビって伏黒の背中に隠れている。あれで本当に宿儺の器なのか、コイツは。

「でも釘崎すげーな。が泣き止んだ」
「フン。泣いてる女の子には甘いものが一番効果あんのよ。知らないの?」
「へえ。ってか釘崎が女心分かる方が意外だったわ」
「はあ?!ケンカ売ってんの?」

バキバキと拳を鳴らすと、虎杖が今度は五条先生の背中に隠れた。ったく逃げるくらいなら最初からケンカを売って来るなと言いたい。

「でも野薔薇は凄いねー。どっちかと言えばは人見知りする子なのに、そこまで懐かれるなんて」
「いや、これ餌付けされただけでしょ?」

と、さっきから私の腕に自分の腕を絡ませているを指さした。

「あはは。まあでも助かったよ、野薔薇。今度からが泣いたら野薔薇に慰め役を頼もう。ね?恵」
「………」

五条先生はホっとした様子だけど……。ああ、見るからに不機嫌そうだな、伏黒のヤツ。
自分の彼女が元気になったんだから喜べばいいのに。

「恵も食べる?これ美味しいよ?」
「…俺はいらねーって。甘いもん苦手なんだよ。知ってるだろ?」
「あ、そっか…。じゃあ五条先生、食べる?」
「え、いいの?じゃあもらっちゃおうかなー。僕は甘いもの大好きだし」

素っ気ない伏黒とは打って変わって五条先生は嬉しそうに手を出した。はその手に私があげた金平糖をさらさらと出してあげている。

「ん!んま。上品な味だねー。って、これ京都の緑寿庵清水の金平糖じゃない」
「え、それ有名なの?」
「まあねー。金平糖ならこの店って感じだね。可愛くて贈り物にもピッタリだよ。あれ、野薔薇もしかしてこれ…」

五条先生は意味深な笑みを私に向けた。ほんと軽薄なクセに勘だけは鋭いみたいだ。
しらを切るようにそっぽを向けば、またしても笑いを噛み殺しながら肩を揺らしている。ほんとムカつく先生だ。

「はい、じゃあ今日の反省会はここまで。今夜はゆっくり体を休めて明日の授業の準備をしておくよーに」
「明日って何すんの?センセー」
「明日は呪具を使った体術指導!特に悠仁、今は術式ないから呪具での戦闘も覚えておかないとね」
「おー!俺、そういうの得意!伏黒は?」
「俺は…あまり使わない」
「ああ、伏黒は式神使いだもんなー。釘崎は…って、オマエはすでに武器あるもんな」
「まーねー。でも体力づくりの為に体術もやらないとね」

うーんと腕を伸ばしながら応えると、何を思ったのかまでが「わたしも体力づくりする」と言い出した。

「え、でもは補助監督志望なんだしいーんじゃねーの?」
「ちっちっち。悠仁、補助監督も何気に体力いる仕事だよ?何せ激務だからね」

五条先生が教師らしく窘め、虎杖のバカは「へえ」と間抜け面で聞いている。でも当事者のはすっかり元気になったようで、可愛い笑顔で先生の言葉に頷いた。

「うん。だからわたしも体力づくりする」
「…大丈夫かよ、
「あ、恵、どんくさいオマエがって思ってるでしょ」

がふくれっ面で伏黒を睨んでいる。図星だったのか、伏黒は目を泳がせつつ「だってオマエすぐコケるじゃん」と苦笑いを浮かべた。
まあ、あれでも彼女のことは心配してるようだ。もっと素直に優しくしてやれ、このツンデレ彼氏め。

「だからコケない為に体力づくりするのー!真希ちゃんだってそう言ってたもん」
「…真希ちゃん?」

そこで聞いたことのない名前を口にしたを見ると、彼女は「あ、二年の先輩なの」と教えてくれた。
二年と言えば今は任務で出払っていると五条先生がここに来た時に言ってたっけ。どんな人達なんだろう。そう思ってたらが察したのか、先輩方について教えてくれた。

「真希ちゃんは体術と呪具使いですっごく強いの。それに面白くてカッコいいんだよ!」
「へえ。他にどんな先輩がいるの?」

少し興味が沸いて尋ねると、は満面の笑みを浮かべて「棘ちゃんとパンダ!」と答えた。
え、真希さんって人みたいな詳しい説明は……ないのかな?

「………それ、人間?」

トゲとパンダの意味、誰か説明して欲しい。







「じゃーなーお休みー」
「お休みー悠仁」

自分の部屋に入って行く悠仁に手を振って振り返ると、途端に怖い顔をした恵と目が合った。何かジト目だし、口も不機嫌な感じで尖ってる気がする。わたしのせいなのかなって思ったら心配になった。

「め、恵…?どうしたの?何か怒ってる…?」
「別に…怒ってねえよ。ま、が元気出たならいいけどさ…」

恵はハァ、と溜息交じりで言いながらも、最後はちょっとだけ笑みを浮かべてくれた。そのままわたしの手を引いて部屋のドアを開ける。もちろんわたしの部屋の。

「あー…疲れた…」

恵は入るなりベッドに倒れ込むと、仰向けに寝転がり大きく伸びをしている。呪術実習で疲れたというよりは、きっと悠仁や野薔薇ちゃんという自由な仲間が出来て振り回されることが増えたからだと思う。恵は他人と一緒に動くことに慣れてないから、それで疲れちゃったのかも。
これまでは五条先生だけだったのが、一気に三人も自由人が増えたから、恵の性格上ちょっとキツいのかもしれない。

「恵、だいじょーぶ?」
「…ん。こっち来て、

恵は甘えるようにわたしの方へ手を伸ばして来た。こういう時はわたしも思い切り甘えられるから、すぐにベッドに上がって寝転がっている恵に抱きついた。
恵はわたしをぎゅうっと抱きしめながら髪に顔を埋めてホっとしたように息を吐いている。
もしかしたら、わたしが思っている以上に疲れてるのかもしれない。

「恵、ほんと大丈夫?疲れてるならお風呂入って寝よ?」
「……ああ。でももう少しこのままがいい」

恵はわたしを抱えたまま横向きに体勢を変えてコツンとオデコをくっつけてきた。視線だけを上げると、恵の綺麗な切れ長の瞳が優しい眼差しでわたしを見ている。皆には絶対に見せないような甘ったるい顔だ。恵が自然体でいれてる証拠でもあるから、この顔を見るだけでわたしもホっとする。

「明日は瞼、腫れそうだな、オマエ」
「…あ…そうかも。冷やして寝ないとブスになっちゃう」
「泣いた次の日は、パンパンになるもんな」

恵は小さく吹き出した。笑わないでよ、と唇を尖らせると、恵は上半身だけ起こしてその唇にちゅっとキスをくれた。
ドキっとして見上げると、今度はゆっくり唇を寄せて来て優しく塞がれる。
恵と触れ合う瞬間は、未だに胸がドキドキうるさくなって、すぐに全身が熱くなってしまう。
何度か啄まれるキスに少し物足りなくなって来た頃、唇を割ってゆっくりと舌が侵入してきた。
やんわりと動く舌に絡み取られると、頭の芯が熱くなって下腹部にずくんっとした感覚が広がる。
いつも恵がくれる甘い刺激を思い出すと、体が勝手に反応してしまう。わたしの身体は恵のせいで少しエッチになってしまったかもしれない。
ゆるゆるとした動きで口内を愛撫してくれる恵のキスは優しくて、身も心も蕩けそうだ。

「…癒された」

舌がゆっくりと口内から出て行くのを感じて少し寂しいなんて思っていると、恵がポツリと呟いた。
こんな私でも恵を癒すことが出来るなら、もっと癒してあげたいと思ってしまう。

「恵……大好き」
「…俺もだよ」

いつもなら聞き飽きたと言われるのに、二人きりの時はちゃんと受け止めてくれるし、自分の気持ちをはっきりと言葉にしてくれる。
それが凄く嬉しかった。素っ気なくて不愛想で不器用な恵も好きだけど、優しい笑みを浮かべながら見つめてくれる恵が、わたしは一番好きなんだ。

「今日もお疲れ様。恵」

今度はわたしから恵にちゅっとキスのお返しを一つ。


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