07-灰色の世界③


わたしは小さな頃から他の人には視えないものが視えるような子だった。それが幽霊の類じゃなく、もっと危険なものだと知ったのは、小学校の高学年の時。
学校で怪談話や、ちょっと怖い都市伝説が流行った。要は昔から実しやかに語られるような、根拠のない噂話だ。
口裂け女、トイレの花子さんなど、誰もが知ってる都市伝説の他にも、理科実験室の人型模型が夜中に校内を歩き回るだとか、誰もいない音楽教室からピアノを弾く音がするだとか、誰一人として実際には体験したことすらないような話を、いかにも真実かのように尾ひれをつけて話しては、友達と「怖ーい!」と騒いで終わる。そんな流行り病的なものが学校中に蔓延してた頃、わたしはアレに気づいた。子供の頃から視てきた、幽霊とは似て非なる異形の存在に。

それは突然、音楽室に現れた。誰もいない音楽室のピアノの椅子に、ソレは座っていて、珍しく人型のように見えた。でも幽霊じゃない。姿かたちは女性っぽいけど、その女は手が四本もあったからだ。普通の両手の他に脇腹からも二本の手が生えている。どう考えても幽霊には見えなかった。
その異形は四本の手で器用にピアノを弾いていた。後ろから見た感じ、髪は黒髪のおかっぱ。着てる服は鮮やかな赤いワンピースで、それはまるで血を被ったみたいに見えて凄く怖かったのは覚えてる。だからわたしは極力一人では音楽室に近づかないようにしていた。

でもある日、都市伝説を確かめようなんて言い出すクラスメートが出てきた。その話に数人が乗り、計四人で夜の学校に忍び込む計画らしい。わたしは特に親しくもない人達だったし、あの異形は自分にしか見えないものだから、彼女達には特に何も言わずにその日は帰宅した。
だけど次の日、彼女達は学校に来なかった。先生の話では行方不明になったということらしい。夜のうちに家を出て、親は何も気づかなかったと。
でもその話を聞いた時、私は咄嗟にアレのせいだ、と直感した。
彼女達は夜の学校へ忍び込み、きっと噂を確かめるために音楽室へ行ったに違いない。そこで何かが起こった。

そう思った時、放課後につい足を音楽室へ向けてしまった。もし彼女達がアレに何かをされたのだとしたら、自分のせいなんじゃないかと思ってしまったからだ。わたしが忠告をしなかったせいでクラスメートが消えてしまったんじゃないかと。
だから、どうしても確かめたくなった。

人気のない放課後の学校は、夕方とはいえ少し不気味だ。でも勇気を振り絞って三階にある音楽室へ向かう。そこには相変わらずアレが存在してると気づいたのは、音楽室から聞こえてくるピアノの音を聞いたから。恐る恐る後ろの窓から中を覗いてみると、アレは最初に見た時と同じように、こちらへ背中を向けてピアノを弾いていた。
とても中へ入る気にはならず、見つからないよう息を殺して音楽室の中を見渡す。でもクラスメートの姿はどこにもないし、アレがいる以外、特に変わった様子はない。
わたしの思い過ごし?と少しだけホっとしたのは、クラスメートが行方不明になった罪悪感から解放されると思ったからだ。
先生や保護者の人が騒ぐように、ただの家出とかなら、わたしには関係ない。そう思った。

(アレに見つかる前に帰ろう…)

一応確認はしたという自分なりの責任を果たしたような気持ちで、わたしはそっと音楽室のドアから離れようとした。でもその時、突然バァァンンっという鍵盤を叩く音が響いて、びくりと肩が震えた。それはどう考えてもアレが出した音で、わたしはそのまま走って逃げたい衝動に駆られた。でもその恐怖に堪えつつ、もう一度だけ中を覗いてみる。すると背中を向けていたアレが、不意に体を前に向けたまま、ぐるんと首だけを回してこっちを向いた。

「ひっ」

初めて女の顔を見たわたしは、思わず息を呑んだ。全身がぞわりと総毛立ち、怖気が走る。女の目はただの黒い孔で、口が耳まで裂けていたせいだ。ソレはわたしと目が合うと、にたぁと大きな口を歪ませ、何かを言おうとしてるのか、真っ赤な唇が不自然に動く。でもわたしはそこで我に返ると、慌てて元来た道を必死に走った。何となく、女の言葉を聞かない方がいい気がしたからだ。

アレはみんなが話していた都市伝説を全て再現したかのような存在に見えた。
おかっぱ頭はトイレの花子さん。口が大きいのは口裂け女、と、そんな具合で全てが合体してるような化け物。あれじゃ、まるでみんなの恐怖を象った化け物の集合体だ。

――何で、何で、何で!

必死に走りながら急いで校舎を出る。アレは追いかけては来なかった。もしかしたら、あの場から動けないのかもしれないけど、わたしにはアレが現れた理由も分からない。
一つだけ分かるのは、やっぱりクラスメートはアレに遭遇して消えたということだけだ。そして、それは危険な存在だと薄々分かっていながら、彼女達に忠告をしなかったわたしのせいでもあるということ。
わたしは大きな罪を背負ってしまった気がしていた。
結局クラスメートは見つからず、現在も行方不明のまま。そして音楽室にいたアレは、わたしが小学校を卒業する時も同じ場所にいた。きっと今もあの場所でピアノを弾きながら、獲物がかかるのを待ってる気がしてならない。

そして、その小学生の頃の後悔があったからこそ、わたしは彼らに声をかけることを躊躇わなかった。
休み時間、鍵が締まっているはずの屋上のドアを開けて、外へ出ようとしている三年の先輩を見かけた。会話を聞く限り、鍵は職員室から盗んできたらしい。そして彼らの手には煙草。それを吸いたいが為に、先輩達は屋上へ出ようとしている。
だけど、わたしは知っていた。屋上にいる、化け物の存在を。

「あの…」
「「うぉ!」」

わたしが後ろから声をかけると、先輩二人は驚いたように飛び上がり、手にしていた煙草を背中へ隠した。でもわたしを見た瞬間「何だ、二年かよ」とホっとしたように笑っている。きっと先生に見つかったと思って焦ったんだろう。

「屋上、出ない方がいいです」
「は?いいだろ、ちょっとくらい。ってかオマエ、先生にチクんなよ?」
「チクったらお仕置きすっからなー?」

二人はそんな脅し文句を言いながら、ドアノブに手をかけた。すでに鍵は開けてたらしい。それを見て焦ったわたしは、手前にいる先輩の手を慌てて掴んだ。

「出ちゃだめ!そっちに行ったら危ないの!」
「あぁ?何がだよ。つーか離せって!」
「おい、コウジー。その女も連れてくぞ。チクりそーだし」
「あーそうする?屋上でお仕置きしとくか、ケースケ」
「いいねえー」
「え?や、ちょ、やだ!そこは危ないんだってばっ」

放置したらチクられると思ったらしい二人はわたしまで屋上へ無理やり連れ出そうとしてくる。

「放して下さい!」
「あ?オマエから声かけてきたんだろ。つーか屋上の何が危ないんだよ」

掴んでた腕を逆に掴まれ、屋上へ出る扉が開け放たれる。それを絶望的な気持ちで見ていた。

「…ひっ」

先輩の一人がドアを開けた瞬間、そこにはすでに――ソレがいた。いつも屋上の扉からはみ出して視えていたもの。それはウネウネとした長く黒い髪の毛と、その毛先には無数の小さな目玉。
でもそれはほんの一部だったらしい。屋上にいた本体の全貌が視えた時、わたしは思わず言葉を失った。
長い髪の毛だと思っていたのは、そいつの体毛だったらしい。三メートルはある巨体がびっしり長い毛で覆われてる。そして毛先の目玉は全てキョロキョロと忙しくなく動いて何とも言えない気持ち悪さだった。

「ほーら何も怖くねえじゃん」

先輩たちにはコレが視えてないらしい。笑いながら屋上へ出て行く。でも異形の化け物がそれを黙って視てるはずもなかった。

「だめ!戻って!」

慌てて掴まれてた腕を振り払い、彼の手をもう一度掴む。でも「あ?マジでうっせーな、オマエ」と煩わしげに振り払われた時だった。大きな異形の化け物の体毛がうねり、まずは最初に屋上へ出た先輩の体に巻き付くと、凄い力で持ち上げて自らの体内にあっという間に摂り込んでしまった。悲鳴を上げる間もなく、まさに一瞬の出来事だ。

「あれ?ケースケ?」

残された先輩は友達が忽然と消えたことに驚いて辺りをキョロキョロしている。目の前には異形の化け物。慌てて「逃げてっ」と叫んだけど遅かった。その先輩もさっきの人と同じように体毛に巻き付かれ、悲鳴を上げる間もなく化け物の体毛の中へと埋まっていく。わたしは震える足をどうにか動かして、そいつがわたしに意識を向ける前に校舎の中へと駆け込んだ――その時だった。

!」

わたしが腰を抜かして座り込んだと同時に階段の下へ息を乱して現れたのは、クラスメートの伏黒くんだった。





駆けつけた時、は屋上へ出る扉の前で座り込んでいた。俺を見た瞬間、酷く驚いた顔をして、それから大きな瞳にぶわっと涙を浮かべた。

「何があった!オマエ、呪いに襲われたのか?」
「…の、のろい…?」

彼女は視える側ではあるけど、自分の視ているモノの正体は何一つ知らないようだった。その言葉を聞いても不思議そうな顔で俺を見てる。まあ呪術師の家系でもなければ、そんなもの知るはずもないか。

「屋上にいた奴だよ!オマエ、視えてんだろ?」
「え…伏黒くんも…アレが視えるの…?」
「ああ」

とりあえず腰を抜かしてたらしいを立たせて体を確認すると、どこにも怪我がないようで少しホっとした。すると彼女は突然「アレが視えてるなら助けて!」と俺にしがみついてきたからギョっとする。話を聞けば、三年の先輩が呪いに食われたという。どうしても助けたいけど、どうしたらいいのか分からない。伏黒くんはアレの正体を知ってるなら何か助ける方法を知らないか、と。
でも俺はそいつらを助けようとしたの行動に驚いていた。

「バカか、オマエ!術師でもねえくせに危ないマネすんじゃねえよ!」

つい怒鳴ってしまったことではびくりと肩を震わせた。

「他人の為にオマエは命まで捨てる気かよ!お人よしもいい加減にしろ!」

普段から他人の為に自分を犠牲にするようなところがあるに、俺はイラついてた怒りをぶつけてしまった。どうせまたヘラヘラ笑うか、謝ってくるかのどっちかだろう。そう思ってた。
でも、彼女は俺が思ってたような子とは違ったようだ。涙でべしょべしょに顔を濡らしながらも「危ないって分かってるのに放っておけるわけないでしょ!」と、俺を怒鳴り返してくるんだから心底驚かされた。
普段は大人しくて、穏やかで、俺にいきなりバカだと言われても怒りもしない。どんだけお人よしなんだと思ってたけど、彼女は他人の為に怒れる子なんだと、そこで気づいた。

「…チッ。オマエはここで待ってろ」
「え…?あ、危ないよ、伏黒くんっ!」

俺が屋上へ出ようとすると、は凄い力で腕を引っ張ってきた。こんなちっこい体のどこにそんな力があるんだってビビるくらいに強く。

「話したでしょ?外にいるのはすっごい大きな化け物で――」
「知ってるよ。でもアレは三級程度の呪いだから俺でも祓える」
「…さ、さんきゅう…?え、は、祓うって…?」
「…ハァ。いいからはここで待ってろ。絶対に屋上には出てくんなよ」

こいつは何をしでかすか分からないと思ったから、一応念を押しておく。は不安そうな顔で俺を見上げてたけど、何となく信用してくれたのか「き、気をつけてね」と言いながら、やっと俺の腕を放した。
でもやっぱり顔は青ざめていて心配そうに見えた。助けてって言って来たわりに危ないって止めたり、変な奴だと苦笑が洩れる。

ドアを開けて屋上へ出ると、今朝、俺が視たのと同じ呪いが目の前にいた。を追ってきたはいいが屋上からは動けないんだろう。低級呪霊にありがちな縛りだ。動けない代わりに、人をおびき寄せる力が強い。少しでも条件にあう人間が、ここへ来たくなるような待ちタイプの呪いのようだ。
心が鬱々として死にたいと思ってる人間が近寄れば、一発で喰われる。屋上って場所がら、そんなネガティブな心が生み出したような呪いだ。ただ三年の先輩ってのは、に聞く限りじゃたまたま鉢合わせしたってとこだろう。
俺が現れたことで、呪いの攻撃はこっちに向かってきた。真っ黒い塊がうねりながら、体毛のような触手を放ってくる。

「――玉犬」

印を結んで影絵を作り、式神を顕現すれば速攻で白と黒が同時に触手へと噛みつく。ぶちぶちっと不快な音と共に、そこで触手は呆気なく破壊できた。
反撃されるとは思わなかったんだろう。呪いは怯んだように巨体を後退させ、襲い掛かる二匹を振り払おうと暴れ出した。甲高い悲鳴のような唸り声がキーンと頭に響き、思わず耳を塞ぐ。

「チッ…うるせえ…サッサと消えちまえ」

黒に頭部、白には胴体を攻撃させると、うねっていた腹の部分が膨らみ、体毛の中から何かが飛び出してくる。ずるずると体液にまみれたそれは、が話していた三年生二人だろう。意識はないが死んではなさそうだ。
見れば呪いはみるみるうちに萎んでいく。あとは黒と白に喰われるだけだ。

「…消化される前で良かったな。センパイ・・・・

足元に体液まみれで倒れている先輩を見下ろしながら苦笑する。まあ命は助かったが、呪いに中てられた状態だから、このままというわけにもいかないが。

「チッ…またアイツ・・・に連絡しなきゃいけねえのか…」

真っ黒いサングラスをした白髪頭のヘラヘラ笑う顔が浮かび、つい舌打ちが出る。

「あいつって?」
「…うぉ!」

突然背後から声をかけられ、びくっとなった。慌てて振り向けば、が不思議そうな顔で俺を見上げている。どうやら勝手に屋上へ出てきたらしい。

「オマエ…何で出てくんだよっ」
「何でって…アレの気配が消えたから…。もしかして伏黒くんがやっつけてくれたの?あの犬は伏黒くんの犬?どこから連れて来たの?」
「う……」

くりくりとした目で見つめながら、次々と質問攻めにしてくるに怯みながら、どう説明したらいいのか迷う。こいつは何も知らねえみたいだけど、呪いの気配も、姿も感じられるし、あげく玉犬すらも視えているようだ。そこそこ呪力もあるみたいだし、ひょっとしたら俺と同じように術式まで持ってるんじゃないかと考えた。
とりあえず、聞いてみて、もし術式があるようならアイツに報告しよう。

「おい、――」
「あ!二人とも助け出してくれたの?良かったぁぁあ…」
「……」

声をかけた途端、俺を通りすぎて、は倒れてる二人の方へ走って行った。ついでに傍にいた玉犬を「かわいい!」とはしゃぎながら撫でている。落ち着きのねえヤツ、と思いながらも、白に舐められて笑ってる姿は案外悪くない。教室でみんなに見せてるような愛想笑いじゃなく、ごく自然の笑顔。これが本来のコイツなんだろう、と思わせる。きっと酒井達に避けられてるのを感じて気を遣った結果、あんな愛想笑いを覚えたんだろうな。好かれたい一心で。

「おい、
「え?」
「オマエ、今日これから時間あるか?」
「…うん。あるけど…」
「オマエに会わせたい人がいるんだ。色々な説明はそん時に話せるけど、来るか?」

は視える側の人間で、これからも今回みたいなことが起こらないとは言い切れない。コイツにはきちんと説明した方がいい気がした。それにが気づいてないだけで術式があるなら、それも含めて五条悟に報告する義務がある。
は俺の問いに対して、不思議そうな顔をしていたが、すぐに「うん」と笑顔で頷いた。それはやっぱり酒井達に見せてたものとは違う、彼女本来の素直さが見せた笑顔だった。





「…じゅ…じゅ、つし…」

その名前を聞かされた時は、何かの怪しい宗教団体かと思ってしまった。
放課後、伏黒くんに誘われて渋谷のカフェに連れて行かれたら、そこで物凄いチャラい男の人を紹介された。

「え!なになに?このかわいー子!ま、まさか恵の彼女?!」
「違う!さっきクラスメートだって説明したろ!」

高身長で丸いサングラスをかけたその人は、五条悟と名乗り、凄いテンションで話しかけてきた。伏黒くんは学校でも見せたことがないくらいにしかめっ面を真っ赤にしてたけど、何でも五条さんは親のいない伏黒くんの後見人だという。こんなに若い人が後見人なんてそれも驚いたけど、伏黒くんがわたしと似たような家庭環境だったというのも驚いた。
そして一番の驚きはやっぱり、その呪術師という存在だ。伏黒くんには呪術師になれる力が生まれつき備わっていて、わたしに視える化け物は人の心が生み出した"呪い"、もしくは"呪霊"と呼ぶそうだ。

「んー。恵が考えてたような術式はちゃんにはない、かな。でもその辺の人間より呪力は高い方だね」
「…そうっスか。じゃあ術師には…」
「なれないね。残念だけど。でもまあ術式がなくても呪いがそこまで視えるなら目を合わせないとか、近寄らないとか今まで通りのやり方で自衛することは出来るでしょ」
「…まあ、そうっスけど…コイツ、結構無茶するとこあっから――」
「あーなるほど!恵は心配なんだー。ちゃんのこと」
「ばっち、違うっ!ただ、今後もあんな危ないことされて目の前で死なれちゃ俺が後味悪いだけだし、術式があるなら戦う方法を教えた方がいいと思ったんだよっ」
「へえーーほぉーー」
「………(ピキッ)」

二人の会話はよく分からないけど、伏黒くんはわたしのことを心配してくれてるみたいだ。口も態度も悪くて、よく不良とケンカしてるって聞いてたから、ずっと怖いイメージがあったけど、ホントは凄く優しい人だったらしい。
その呪いに食べられた先輩二人も、この五条さんが治療できる人のところへ運んでくれたから、もう大丈夫だって言ってくれたし、ほんとに良かった。

「あ、あの…!そういう世界があるってことは分かりました。もし、わたしに何かできることがあれば――」
「ねえよ」
「…う」

伏黒くんにバッサリ切り捨てられて、わたしは言葉を詰まらせた。やっぱりちょっと怖い。

「聞いた通りオマエに俺のような戦う力はない。だから今まで通り、呪いに気づいたとしても目を合わせないこと、あとは近づかないこと。それをきっちり守れ」
「で、でも…また誰かがアレに襲われたりしたら…」

と口ごもると、五条さんがニッコリ微笑んで身を乗り出してきた。

「そういうのは僕たち呪術師の仕事なの。だからちゃんがまたそういう場面に遭遇したり、気づいたことがあれば、恵に報告してくれる?」
「は?何で俺に――」
「分かりました!じゃあ今度から伏黒くんに頼むことにします」
「って、おい!勝手に決めんなよ」
「恵」

慌てて腰を浮かした伏黒くんを見上げてると、急に冷んやりとした声が聞こえた。見れば彼の隣にいる五条さんが、かけてるサングラスをズラしてジっと伏黒くんを見つめてる。その宝石のようなキラキラの瞳は、さっきみたいに笑ってはいなかった。

「彼女が危なっかしいと思うなら最後まで面倒みなよ。オマエはもう、呪術師なんだから」
「……チッ」
「あ、舌打ちした!未来の担任に向かってそういう態度は良くないなあ」

急にチャラいノリに戻って、隣でやいやい言ってくる五条さんに、伏黒くんは例の如くしかめっ面になってしまったけど、最後は「はいはい」なんて言いながらそっぽを向いてコーヒーを飲み始めた。
彼はブラックコーヒーが好きみたい。大人だなぁってちょっと驚く。わたしなんかミルクも砂糖もたっぷり入れないとコーヒーは飲めない。その辺は五条さんと話が合いそうだ。彼は尋常じゃないくらい砂糖を入れたコーヒーを美味しそうに飲んでるし、ついでにケーキも追加して頼んでる。わたしにも食べる?と聞いてくれたから、つい甘えてケーキもご馳走になってしまった。

「いい人だったね、五条さん。凄くイケメンだし、最初はどこのモデルさんかと思っちゃった」

その帰り道。伏黒くんに送ってもらいながら、施設までの道のりを歩いた。いいって言ったのに五条さんが「送ってやりな」と伏黒くんに言ったせいだ。
伏黒くんは終始、仏頂面だったけど、でも何気にわたしの歩く速度に合わせてくれてる。不機嫌そうなのに、やっぱり彼はそういう気遣いが出来る優しい人なんだなと思うと、自然に笑みが零れた。

「五条さんも伏黒くんみたいに強いの?呪術師…だっけ」
「あの人は…呪術界でも頂点にいる人だから…俺の何万倍も強ぇよ」
「え、そうなんだ!あんな緩い感じなのに」

呪術界の頂点、と言われてもピンとは来なかったけど、何となく凄い人なんだという空気は伝わってきた。伏黒くんは将来、五条さんの話してた呪術師になるらしい。
彼は人の為に戦える術を持ってるからだ。それが少し羨ましい、なんて思ってしまった。

「あ、じゃあ…わたし、こっちだから…」
「…ふーん。俺はこっち」

わたしが右の道を指すと、伏黒くんは左の道を指す。学校から徒歩数分の十字路まで戻ってきたところで、わたし達は分かれることになった。

「あの…今日はホントにありがとう…助けてくれて」
「別に…オマエを助けたわけじゃねえけど」
「うん、だから…先輩たちのこと」
「は…オマエ、アイツらのこと知らねえんだろ?なのにお礼とか意味分かんねえ」
「でも…死なれたら後味悪いんでしょ?」
「……っ」

さっき彼が言ってたことを口にすると、思い切り睨まれてしまった。でも、もう彼のことを怖いとは思わない。きっと不器用なんだと思うから。

「オマエも…もう無茶なことすんじゃねえぞ」
「うん。分かってる…まだ死にたくないもん」
「あっそ。ああ、言っとくけど、今日聞いた話は――」
「誰にも言わない、でしょ?分かってる」

わたしが頷くと、伏黒くんはホっとしたようだった。何でもこういう話をすると、人の不安を煽ってああいう化け物が生まれるキッカケになってしまうらしい。だから気をつけないといけない。

「…じゃあな」
「うん。また明日ね、伏黒くん!」

背中を少し丸めて歩きだした彼の背中にそう声をかけると、伏黒くんは軽く手を上げて帰って行った。その後ろ姿に「ありがとう」と呟くと、わたしも施設に向かって歩き出す。

あの時はまだ、"ちょっと不愛想で口の悪い伏黒くん"のことを、こんなに好きになるなんて思いもしてなかった。


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