08-灰色の世界④



「え、結構ヤバかったじゃない、それ。あんたも無茶するわねー」

私はの話を聞いて、ちょっと驚いた。まだ呪霊の何たるかも知らない彼女が、よく知りもしない先輩を助ける為にそんな行動をとるなんて無謀かつ危険すぎる。
それには寸でのところで逃げたのも驚いた。呪いを目の前で見た非術師は、普通腰を抜かして動けなくなるのが殆どだと思うから。
は性格も見た目もほんわかしてるけど、それ以上に機転が利く子らしい。

一週間に一度の休日。予定通り私はを誘い出し、渋谷に遊びに来ていた。伏黒はいい顔こそしなかったものの、が「野薔薇ちゃんと買い物したい」と言ってくれたおかげで、渋々許可してくれたようだ。まあ、ほんとに不満そうではあったけど。ああ見えて寂しがり屋か?
男二人が残されるってことで、虎杖が「暇だし一緒にアキバ行こうぜ」なんて言って伏黒を誘ってたけど、ブツブツ言いながらも結局は行くだろうな。
そんな想像をしてちょっとだけ笑ってしまった。

そして私との女子組は渋谷の色んなお店を見て回り、疲れたところで小洒落たカフェで休憩することにした。
そこで、この前聞きそびれた伏黒との馴れ初めってやつを訊いてみる。最初こそ渋ってたけど――伏黒の奴、ガッツリ口止めしてやがるな――しつこく訊いたら、は「め、恵には内緒にしてね…」と承諾してくれて、今は伏黒と親しくなった経緯をこっそり教えてくれてたところだ。

「そっか…。要するには視える側だったけど、小学生の頃に危ないのを分かってて友達に忠告しなかったのをずっと後悔してたから、そんな無謀な救済をしようと思ったわけだ」
「う、うん…でも今考えたらホント無謀だった…。あの頃より呪いのことを勉強してる今なら、恵があんなに怒った理由も分かるもん」

自殺行為だった、なんて言っては反省してるけど、まあ…私が伏黒でも、きっと同じように怒ったかもしれない。

「で、それがキッカケで付き合うようになったってことね」

聞いてると伏黒が助けたのは先輩二人なわけで、直接的にを助けたわけじゃない。でもそのことが二人の距離を縮めたのかと、そう思ってた。けどは「え?」と驚いた顔で首を振った。

「ち、違うの。今の話は恵と呪いのことを話すようになったキッカケというか…」
「え?そーなの?じゃあ…それ以外には呪いに襲われたってこと?」
「…う、うん、まあ…」

はどこかバツの悪そうな顔で「ははは…」と笑っている。その顏を見てたら何となく、そう何となくピンときてしまった。今、聞いた彼女の性格を考えると――。

「もしかして…そんなことがあったのに、また危ないことに首突っ込んだとか…?」
「……う…お、仰る通りで…」
「マジ?え、じゃあ襲われたってのは屋上にいた呪いにじゃなく――」

は小さく頷いて、「例の…小学校の音楽室にいた呪いなの」と、苦笑交じりで呟いた。






「あ、おはよう。伏黒くん」
「……おう」

あの件があって以降、伏黒くんとはこうして挨拶を交わす程度の関係になった。前はちょっと不愛想で不良グループを次々に潰したりだとか、他校の生徒ともケンカしてたりとか、そんな話ばかり耳にしてて怖いイメージがあったけど、話してみたら思ってた人と違ったし、この前は助けてもくれたから悪い人じゃないんだと分かる。
何気にイケメンだし、あれで愛想が良ければ凄くモテると思う。まあ、それを伏黒くんが喜ぶかって言われたら微妙としか言えないけど。

わたしのことを叱ったのも心配してくれたからだし、悪い人どころか凄く優しい人だと思った。
それに、これからは例の呪いとかいう化け物を見かけたら伏黒くんに言えばいいんだって思うと、気持ち的に楽になったし、助けてくれる人が近くにいるって凄く安心する。ずっと一人でどうにかしてきたから、頼れる人が出来たことが凄く嬉しかった。まあ、相変わらず愛想はないけど。
自分の机に突っ伏して寝てしまった伏黒くんを見ながら、ちょっとだけ苦笑が洩れる。

(ホントはもっとお喋りとかしてみたいんだけどな…)

彼がどういう経緯で呪術師になろうと思ったのか、五条さんとはどうやって知り合ったのか、とか。色々考えだすとキリがないくらい聞きたいことは山ほどある。
でも伏黒くんの性格を考えると、ウザがられるかもしれない。でももう少し仲良くなりたい気もする。
うーん、と考えた結果、放課後、伏黒くんにまず声をかけてみることにした。

「伏黒くん、一緒に帰ろ」
「……っ?!」

先に校門で待ち伏せして、伏黒くんが一人で出て来たところへ声をかけると、イケメンな顔が一瞬で引きつったように崩れて、凄い顔をされてしまった。

「……は?何で」
「何でって…途中まで同じ方向だから…?」
「……何で俺がオマエと――」

と伏黒くんが言いかけた時、後ろから「恵?」という女の子の声が聞こえて驚いた。見れば上級生の女子生徒――物凄く綺麗な人だ――が、こっちへ歩いて来る。伏黒くんは彼女のことを「津美紀…」と呼んだ。え、も、もしかして年上彼女?!

「珍しい。恵が女の子といるなんて――」
「こ、こんにちは!わたし、伏黒くんのクラスメートでと言います…!ほんとにただのクラスメートですっ」
「…え?」

何か誤解があってはいけない、と大事なところを二回ほど言っておく。でも彼女は少し驚いた顔をしてから「恵のクラスメート?」と優しい笑顔を向けてくれた。

「私は伏黒津美紀。恵の姉です。宜しくね、ちゃん」
「…………えっ!おっお、お姉さま…でしたか…」
…オマエ、うるさい」

まさかお姉さんとは思わずビックリしていると、それまで面倒そうな顔をしてた伏黒くんが、今度は不機嫌丸出しでわたしを睨んできた。しかもサッサと歩いて行ってしまう。一緒に帰ろうって言ったのに完全スルーを決められてしまった。

「もう!恵ってば!――ごめんね、不愛想な弟で」
「へ?あ、い、いえ…」

伏黒くんのお姉さん、津美紀さんは優しい笑みを浮かべて「ちゃんのお家はどこ?」と訊いてきた。自然と一緒に歩き出す。

「えっと…わたしは"愛の丘"に住んでるんです」

近所にある施設だからこの辺に住んでる人はみんな、愛の丘が児童養護施設だと知っている。津美紀さんも当然そうだと思うけど、わたしの言葉を聞いて「そうなの?うちと近いね」と自然に返してくれて嬉しかった。この人は差別とかそういう物差しを持ってないんだろう。素敵な人だなと、ちょっとだけ泣きそうになった。

「なので伏黒くんに一緒に帰ろうって誘ったんですけど…怒らせちゃったのかな」
「やだ、そうだったの。全く恵ってば…女の子にあまり免疫ないのかも――」
「聞こえてんぞ!」

少し前を歩く伏黒くんが、怒ったように振り向く。それを見て津美紀さんは「聞こえるように言ったんだもの」と笑った。何だかんだ姉弟の仲はいいみたいだ。伏黒くんはシャイで不器用そうだから、津美紀さんに素っ気ない態度をしてても、きっと互いに大事に思ってるんだろうな。そういうのって肌で感じるものだ。

「あ、そうだ。ちゃん、門限ってある?」
「え?あ…門限は一応八時ですけど…」

小学校の時は六時までだったけど、中学に上がってからは八時までと少しだけ門限が伸びたのは、部活に入ってる子に配慮してるからだ。わたしは中学校に上がっても相変わらず帰宅部だから関係ないけど。

「あ、じゃあちゃん、このままウチに寄っていかない?」
「…え?」
「もしちゃんが良ければ、あ、あと愛の丘の方から承諾してもらえれば、ウチで一緒に夕飯でもどうかなと思って」
「…えぇっ?」
「おい、津美紀!」

津美紀さんの申し出にわたし、そして当然伏黒くんもギョっとしたように足を止めた。

「何言ってんだよ…」
「何って…ちゃんを夕飯に誘ってるんだけど」
「だから何で!」

伏黒くんは怒ったように津美紀さんに詰め寄ってるけど、津美紀さんは慣れてるのか、笑顔のまま「いいじゃない。恵の初めてのお友達を夕飯に誘うくらい」と呑気に返してる。

「友達じゃねえから」
「あら、別に照れなくてもいいのに」
「照れてねえよ!」
「あ、それで、どうかな。ちゃん」

津美紀さんは伏黒くんの怒りなど眼中にない感じで、わたしに笑顔を向けた。同時に伏黒くんの釣り上がった目もわたしに向くから、一瞬「う」と言葉に詰まる。この場合、どう応えたらいいのか分からない。だって夕飯に誘われた経験がないからだ。
両親がいなくなったことで、友達は話しかけづらくなったのか、だんだんとわたしから距離を置くようになったし、中学に入っても今度はわたしがみんなから距離を置いてしまって、家に誘ってくれるような友達はいなかった。
だから津美紀さんからの誘いは凄く嬉しい。でも行けばきっと伏黒くんに嫌な顔をされるだろうなってことくらいは、わたしにも分かる。
返事に困っていると、津美紀さんは何を思ったのか、わたしの目線まで身を屈めて微笑んだ。

「いつも恵と二人きりだから、たまには可愛い子と一緒にご飯を食べたいなと思って。だめかな」

改めて言われると、わたしもつい首を振ってしまう。だって、やっぱり嬉しかったから。
津美紀さんは「良かった!じゃあ今夜は腕によりをかけちゃおう」と言いながら、わたしの手を引いて歩き出す。あまりに自然に繋がれた手は、とても優しいものだった。
伏黒くんは何を言っても無駄だと思ったらしい。深い溜息と共に「勝手にしろ」と言って、サッサと歩いて行く。ハッキリ断らなかったから怒らせちゃたのかもしれない。
少しだけ不安に思っていると、津美紀さんがふとわたしを見て、「大丈夫よ」と明るい声で言ってくれた。

「恵が勝手にしろって言う時はそんなに怒ってるわけじゃないから」
「え…?」

不安そうな顔をしてたせいか、気遣ってくれたらしい。津美紀さんはわたしの手をぎゅっと握ると「これからも恵と仲良くしてやって」と優しく微笑んだ。
つい笑顔で「…はい」と答えてしまったのは、わたしも伏黒くんと仲良くなれたらいいな、と思ったからだ。みんなに話せない秘密を共有した時から、少なくともちょっとした特別感を持ってしまったから。
その時、ふと思った。伏黒くんと唯一の共通点。呪いの視えるわたしが、呪術師の伏黒くんの為に出来る何かがあればいいのに、と。


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「津美紀さん、凄く素敵な人だね」

伏黒家での夕飯に呼ばれたこの日。三人で津美紀さんの作ったカレーを美味しく食べたあと。「恵、ちゃんを送ってあげて」という津美紀さんの鶴の一声で、いま伏黒くんは渋い顔のままわたしの隣を歩いていた。

「…まあ…お人よしすぎなとこもあるけどな。まんま善人の塊のような人だから」

伏黒くんの言葉を聞いて、やっぱり見た関係以上に二人は仲がいいんだろうなと感じた。反抗してるようで、伏黒くんは何だかんだと津美紀さんの言うことを聞いてたし、そこには目に見えない彼の気遣いも感じた。
伏黒くんは血が繋がってないとは話してたけど、二人は本当の姉弟のようにしか見えないし、何でも言い合える関係は少し羨ましい気もする。

「あ、あの…伏黒くん」
「…ん?」
「ご、ごめんね…今日…。急にお邪魔して夕飯までご馳走になっちゃったし…迷惑…だったよね…」

結局津美紀さんの言葉に甘えた形になってしまったけど、伏黒くんは学校でもあまり他人と関わりたくなさそうにしてるから、今日みたいなことは凄く嫌だったかもしれない。今更ながらに気づいて少し落ち込んだ。
だけど伏黒くんは意外にも「今更かよ」とは言ったけど、隣を歩くわたしを不意に見下ろしてくる。その眼差しがあまりに優しいから、心臓がきゅっと縮んだ気がした。

「津美紀があんなに楽しそうに飯作ってるの久しぶりに見た」
「…え?」
「きっと言ってた通り、腕を振るうのが俺だけじゃ味気ないんだろ。が手伝うって言った時も嬉しそうだったし、お礼言うのはこっちの方」
「伏黒くん…?」

その声が凄く優しいから、よく分からない熱がわたしの頬を熱くしていく。津美紀さんのことだと、伏黒くんはこんなにも素直になれるんだなと思った。

「まあ…オマエの剥いたジャガイモがやたらデコボコすぎて笑ったけど」
「ご、ごめん…料理は習ったことないから…」
「…………別に…悪い意味で言ったわけじゃ…」

しゅん、とした途端、伏黒くんが焦ったようにわたしの顔を覗き込む。その時、至近距離で目が合って、今度は心臓が大きく跳ねてしまった。
月明りの下で見る伏黒くんの瞳が、やけに優しい色をしてるせいだ。一瞬、変な空気が流れて、伏黒くんはパっと離れると軽い咳払いをした。

「…い、いちいち落ち込むなよ、オマエも」
「う、うん…ごめん」
「……料理なら…津美紀に習えばいいだろ」
「……………ん?」

一瞬、聞き逃すところだった。驚いて足を止めると、それに気づいた伏黒くんも足を止めて振り返る。その顏はどことなく照れ臭そうだった。

「…何だよ」
「…だって…津美紀さんにお願いして、もしOKしてくれたら…家に行ってもいいのかなって…」

てっきり家に尋ねていくのは嫌なんだと思ってたから、ついそんなことを聞き返していた。まさか伏黒くんの方から、そんな優しい言葉をかけられるなんて思わない。
わたしの質問に伏黒くんはちょっと笑ったようだった。

「…オマエも今日見たろ。津美紀が決めたことに俺が意見言っても無駄だし」
「でも…津美紀さんにそんなことお願いしたら迷惑じゃ…」
「ない。津美紀に限ってそれは、ない」

伏黒くんはきっぱり言い切った。わたしが津美紀さんにお願いしたら、絶対に快く受けてくれるはずだと、彼は言った。
最後に、津美紀はそういう人だから、と。
そう言った伏黒くんの表情はやけに優しくて、またドキドキしてしまったけど、彼の言葉でわたしは何故か救われた気持ちになった。
ほんの少しでも、伏黒くんに関わっていいと思ってくれたことが、わたしは嬉しかったんだと思う。

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