09-灰色の世界⑤
「じゃあちゃん、このレシピ通りに牛乳を計量カップで量って鍋に入れてくれる?」
「は、はい!」
今日はやたらと我が家に活気がある。狭いキッチンに女二人が立ち、津美紀があーだこーだと料理の手ほどきをしているせいだ。
教えてもらってるのは俺のクラスメートの。
両親のいないは料理を習ったことがないと落ち込んでたから、津美紀に教えてもらえばいい、と言ったのは俺だ。
ちょっとからかっただけのつもりが、を傷つけてしまったんじゃないかと思ったから。
親がいないというだけで、周りの人間が当たり前のように持っている色んなものが、自分には欠けているんだと思って欲しくもないから。
でもまさか、こんなにすぐ習いに来ることになるとは思ってなかった。
意外とは行動力があるらしい。次の日には学校で津美紀の教室へ押しかけ、料理を教えて下さい、とお願いしたようだ。
津美紀の返事はもちろんOKで、からの申し出に酷く喜んでいた。
日頃から「可愛い妹が欲しかった」なんて俺が面倒ごとを起こすたび嫌味のように言ってたけど、あれはあながち嘘でもなかったんだな、とに向ける津美紀の嬉しそうな顔を見て気づかされた。悪かったな、可愛くない弟で。
「――で、今度はその牛乳を入れた鍋にバターと小麦粉。あ、あと固形のコンソメを一つ。これを全部鍋に入れて溶けるまでひたすら掻きまわすと、だんだんとろみが出てくるの」
「え…!これ全部一緒に入れちゃうんですか?」
「うん。以前はフライパンでバター溶かして小麦粉を入れてじっくり炒めるっていう手間のかかる方法でやってたんだけど、この方法を思いついたら凄く簡単かつ失敗せずにホワイトソースを作れるって気づいて。だから今はこのやり方で作ってるの。あ、味は恵の保証付き」
津美紀はそう言いながらテレビを見ている俺の方へ振り向いた。当然もこっちへ振り向く。女が二人になると圧が倍になるのは何なんだ。
「まあ…美味い…けどさ。いつもは和食が多いのに何で今日はそんなもん教えてんだよ。きんぴらとか煮物とか教えてやればいいだろ」
「いいでしょー別に。ちゃんに恵が好きな物は何?って聞かれたからグラタンって答えちゃったんだもの」
「……っは?俺の好きな物って…何で――」
「え、伏黒くん、和食の方が好きなの?」
「……べ…別にどれが好きとかは…」
「え、じゃあ一番これっていうのはない?グラタンも好き?」
ぐいぐい来られてギョっとはしたものの、別に嘘をつく必要もない。そこは「まあ好きだけど」と応えると、は「良かったぁ」と大げさなほどに喜んでいる。
そんな反応されると何となくむず痒さを感じるし、そもそも俺の好物を知ってどうすんだって思うけど、も津美紀も楽しそうだから、そういう二人を眺めてるのは悪くない。
たった一人増えるだけで、こんなにも家の空気が変わるものなのかと、内心少し驚いていた。
顔もすでに忘れた父親と、津美紀の母親が出て行ってからというもの、ずっと津美紀と二人でどうにか生きて来たから、こういう賑やかな空気はやけに新鮮だったりする。
きっともそうなんだろうな、と、学校ではあまり見せない明るい表情で津美紀と話す姿を見ていたら、ふとそんなことを思った。
そして一時間後、香ばしいチーズの香りがしてきて、夕飯は無事に出来上がったようだ。
「――はい、ちゃんお手製海老グラタンとコンソメスープ。あ、ちゃんとサラダも食べてね、恵」
「…分かってるよ」
テーブルに並んだ夕飯を眺めつつ、いつまで経ってもガキ扱いしてくる津美紀を睨む。こういう態度には慣れてるせいか、津美紀は笑いながらキッチンの方へ戻って行った。
が何故か津美紀に花を持って来たから、それを花瓶に入れて飾りたいらしい。ってかこの家に花瓶なんてもんがあったのか、とちょっとだけ驚いたが。
何で花なんだと訊いたら、ほぼの趣味、というか花が好きらしい。買うのは高いから施設の庭に植えてあるチューリップを摘んできたと言っていたが、その真っ赤なチューリップをもらった津美紀はめちゃくちゃ喜んでた。
この人は花をもらったら、こんなにも喜ぶ人なんだと初めて知った気がする。まあ、この場合の気持ちが一番嬉しかったんだろうけどな。
は俺の隣に座りながら「美味しいか心配…」と不安げな顔でテーブルの上のグラタンを睨んでいる。作り方を教わっただけで、今日は全てが一人でグラタンを作ったからか、少し緊張してるようだ。
「最後の塩コショウ、少々ってどれくらいかよく分かんなくて振り過ぎちゃった気がする…」
「別にオマエが最初から完璧に作るとかは思ってねえよ」
そんな小さなことは気にするな、というつもりで言ったのに、の奴は「え、ほんと?なら良かった」と何故か嬉しそうな顔をした。てっきりヘコむか、怒るかと思ったのに、ほんと変な奴だ。
他人に対してまるきり剣がないのは知っていたし、お人よし過ぎる部分が俺としては苦手に思っていたはずなのに、今こうして自分の家で家族のように一緒に夕飯を食べている。その空気が、あまりに自然でがいても苦にならない。これには自分でも内心驚いていた。
「じゃあ…今日はありがとう、伏黒くん」
夕飯後、例の如く津美紀に「ちゃんを送ってあげて」と言われたことで、前回同様、十字路のところまでを送っていく。ここまでの道中、はニコニコとしながら、他にも教わったレシピの話を一人で喋っていた。
「別に俺は何もしてねえよ」
料理を手伝ったわけでもなく、ただ出来上がったものを喰っただけ。笑顔でお礼を言ってくるを見て、つい苦笑が零れた。
はそのくりくりとした瞳でジっと俺を見上げて「でも嬉しかったから」と笑った。
「嬉しい?」
「うん。初めて作ったグラタン、伏黒くんが残さず食べてくれたから…」
そんなことでいちいちお礼を言われても、と思いつつ「まあ、ちょっとしょっぱかったけどな」と返せば、は途端にわたわたして謝り出した。別に冗談だってのに相変わらず真面目に受け取る奴だと呆れてしまう。
「嘘だよ。美味かった」
放っておくと延々と謝ってきそうだから、ついそんな言葉をかけてしまった。何となく、の落ち込んだ顔は見たくない。こいつは津美紀に見せるような明るい笑顔が似合うと思う。俺にはちょっと眩しすぎるくらいの、元気な笑顔が。
「う…で、でも次はちゃんともっと美味しく作るから」
「……(次は?)」
色々レシピを書いてもらったり教えてもらってたみたいだし、てっきり今日で終わりかと思ったけど、そうでもないらしい。また来るつもりかよ、と苦笑が洩れたが、でもそれはそれで楽しみにしてる俺もいた。俺からしても津美紀以外の奴が作った飯は初めて食べたから、地味に新鮮だったかもしれない。
「ま…あんま期待しねえで待ってるわ」
「う、うん!期待しないで!プレッシャーになっちゃうし」
「………あ、そう」
めちゃくちゃ張り切った様子で言われた。悉く予想外の言動が返って来るから、つい吹き出してしまいそうになる。普通の女ならここ怒るとこだろって場面でもはだった。
そういうところが地味にかわい――…って、何考えてんだ、俺は。
「次はやっぱり和食かなぁ」
レシピを広げて首を傾げている目の前のちっこいを見下ろしつつ、今、頭に過ぎった感情に唖然とする。これまで女に対し、こんな風に感じたことも思ったこともない。
そう、一度もなかったはずなのにを知れば知るほど、放っておけないと思わされるこの現象はなんだ?
面倒ごとは嫌いだし、他人の感情に振り回されるのも嫌いだ。なのにが関わると、いつもみたいに俺には関係ないって無視を決め込むことも出来ない。いや、無視するどころか自ら関わりにいってしまったような気がする。
何とも言えない感情と向き合っていると、は「あ、そうだ」と呟き、ふと俺を見上げた。
「あの…呪いの話なんだけど…ちょっと伏黒くんに相談が」
「…相談?」
そう切り出したは、そこで自分の通っていた小学校にいたという呪いらしき存在の話を俺に語り始めた。

――じゃあ俺も一緒に見に行ってやるよ。
夕焼けに染まった道を施設に向かって歩きながら、ふと夕べ伏黒くんに言われた言葉を思い出した途端、無意識で顔がニヤケてしまった。その瞬間ちょうどすれ違った小学生とばっりち目が合う。一人でニヤケてたせいか、その少年に怪訝そうな顔をされ、そこでハッとしてすぐに顔を引き締めた。
伏黒くんは呪術師として言ってくれただけで、そこに特別な感情はないはずだし、もしまだ呪霊がいるようなら危険だから協力してくれるだけだ。わたしの為じゃない。
ただ、そう言ってもらえた時、伏黒くんに相談して良かった、と心から思えたし、長年一人で抱えてきた不安が少し和らいだのは事実だった。
――悪い。ちょっと五条さんから呼び出し合ったから終わらせてくるし、戻ったら電話するからそれまで帰ってて。
放課後、一緒に小学校へ向かう約束だったけど、帰りがけにそう言われたから、今は施設へ一度帰るところだ。
五条さんからは定期的に連絡が入るらしく、そういう時はだいたい彼の任務のお手伝いをさせられるとボヤいてた。今日もきっとその類だろう。だから「今日じゃなくてもいいよ」とは言ったけど、伏黒くんは「もし呪いがいるなら早い方がいいだろ」と言ってくれた。
(忙しいのに…ほんと伏黒くんって優しい…)
またしても顔が緩みそうになったのをどうにか堪えつつ、施設へ続く道へと曲がる。でもそこで足が止まった。この道を真っすぐ10分ほど歩いて行けば、わたしの通ってた小学校がある。伏黒くんとは微妙に学区が違う、少し離れた場所にある古い小学校だ。さっきすれ違った小学生もそこの生徒だろう。この時間ともなれば学校には生徒もほぼいないはずだ。
(伏黒くんから連絡くる前に確認だけしに行こうかな…)
分かれ道に来た途端、ふとそんな思いが過ぎる。万が一、行ってみて呪いはもういませんでした、となれば、五条さんとの任務で疲れて戻ってくるであろう伏黒くんに無駄足させてしまう。それじゃ申し訳ない。でもわたしが事前に確認だけしておけば、そういう事態も避けられるはずだ。そう思ってしまった。
わたしが小学校を卒業して一年半以上も経っているし、あの音楽室のモノがその後どうなってるのかすら知らない。特にあの小学校で何かが起きた、なんて話も聞かないから、もしかしたらすでに消えてるかもしれないと思ったのもある。
不可解な事件が起きれば、それを確認する"窓"と呼ばれる人達がいて、それが呪い関連だと分かれば五条さんの通う高専というとこに連絡がいくらしい。そこから呪術師が派遣されることもあるそうで、あの音楽室のモノもそういった事情ですでに祓われてる可能性もないとは言い切れない。
「…確認するだけだし大丈夫」
そう言い訳しながら踵を翻し、小学校への通学路を進んでいく。この時のわたしは、少しでも伏黒くんの負担を減らしたいとしか考えていなかった。
「…わ、あの頃と全然変わってない」
その懐かしい校舎を見た時、一気に過去の記憶が蘇って、ふと足を止める。
この学校に通っている間、本当に色々ありすぎて、余り思い出したくない記憶ばかりが残っていた。もともと家に寄りつかなくなった父親と、その父親に当てつけるみたいに自分も夜遊びを始めた母親。わたしはいつだって蚊帳の外で、二人が優先するものの中には入れなかった。
最初は食費を置いて行ってくれてた母親も、そのうちそれすらしなくなって、気づけば帰っても来なくなった。食べ物は尽きて、電気も止められて、そこで怖くなったわたしは学校の先生に家のことを打ち明けた。
もともと先生も日増しに痩せていくわたしを見ておかしいと思ってたらしい。校長に相談して区の指導員とわたしの家を訪問する直前だったと教えてくれた。
結局、親は失踪扱いでわたしは養護施設へ入所することになり、そこからは目まぐるしく生活は変わっていったように思う。
飢える心配はなくなったけど、わたしの学校生活は一変した。
どんなに隠していても親が失踪した事実は消えないし、近所の人から噂が立ち、噂する親から子供に伝わり、結果として、そこから学校の友達の耳にも入ってしまう。
親がいなくなっただけなのに、周りにいた友達は潮が引くように離れていって、わたしは学校でも孤独になった。
見えるもの全ての色が消えた、灰色の世界。ここはそんな苦い思い出がたくさん詰まってる場所だ。
目の前の校舎を見上げながら、その時の記憶が蘇り、しばらく忘れていた痛みを思い出す。でも今更そこへ戻ったところで、今のわたしが楽になるわけじゃない。
それよりも今、自分の傍にいる人達のことを考えればいい。
「よし…行こう」
校舎の外からじゃ裏側にある音楽室は良く見えない。わたしは裏口へと回って開いているドアから校内へと入った。ここは生徒用じゃなく、色々な業者が使用するドアだから放課後は閉まっていることもあったけど、今日はまだ開いてたようだ。
いくら卒業生とはいえ、勝手に入っていいわけがないので、なるべく人が通らない廊下を進んでいく。この時間ともなれば生徒はほぼいないだろうし、いるのは残ってる教師や用務員さんくらいのはずだ。
「えっと…どっちだっけ」
一年半も経っていると何となく記憶も薄れていて、少し迷いながらも音楽室を目指す。早くしないと暗くなってしまう上に伏黒くんからも連絡が入りそうだ。
「あ…あった」
薄暗くなり始めてる廊下を進んで上に行く階段を見つけた。またここで懐かしい感覚に襲われたけど、それを振り払うように上を目指す。
校内はまるでわたししかいないみたいに人気はなく、シーンと静まり返っているから少しだけ不気味だった。自分の靴音だけがカツンカツンと響くだけでビクビクしてしまう。
「土足で入っちゃったけど脱いでくれば良かったかな…」
どうでもいい独り言を呟きながら、どうにか音楽室のある三階へ辿り着く。そこでふと以前にもこうして音楽室を覗きに来たことを思い出した。
あの時は消えた同級生の手がかりが少しでも分かるかと、その思いだけで来たけど、アレがいつもと違う動きをしたのが怖くて逃げだしてしまったことまで思い出す。ついでにその時の恐怖も蘇って来て、無意識に喉が鳴ってしまった。
でも一歩、廊下を進んだ時。どくん、と心臓が跳ねた。それはあの日と何ひとつ変わらない音色で、わたしの鼓膜を刺激してきたからだ。
(…い、いる!このピアノの音色…あいつだ…!)
突然聞こえ始めたピアノの音色に、心臓が一気に早鐘を打ち出す。まだ音楽室が見えてもいないのに、わたしの足が進むのを拒むようにがくがくと震え出す。
一瞬、一人で来たことを後悔したけど、伏黒くんの顔を思い出しながら、一歩、一歩と歩を進めていく。
アレがいるかどうかを確認する為だけに来たのだから、いると分かった以上、わたしはここで引き返すのが正解だったんだろう。でもどうしても、その姿をきちんと確認したかった。
(大丈夫…アレは音楽室から動けないはずだから…)
この時のわたしはまだ呪いのことを何もわかっていなかった。アレが人を喰らい、自らを成長させ、領域を広げていく。そういった呪いがいるということすら、何一つ。
ぞり、という音がした。静寂に包まれた廊下で、それはやけに近いところで聞こえた。心臓がばくばくとうるさい中、背中に氷でも入れられたのかと思うような冷気を感じ、産毛がぶわ、と逆立った。同時に息を呑む。いつの間にか、廊下に大きな大きな影が伸びていたからだ。
それはまるでわたしを覆うように伸びている。ガタガタと体が震え、勝手に涙がぼろぼろと零れ落ちていった。大きな影はわたしの背後から伸びている。
いるのだ。アレが――。
全身で恐怖を感じた時、わたしは僅かに残っていた勇気を振り絞り、そこから駆け出していた。

「恵ー今から飯でも行かない?」
五条さんの任務に付き合う形で呪いを何体か祓ったあと、補助監督さんの運転する車で都内へ戻って来たら、いつもの軽薄なノリで誘われた。
「無理っす。これから約束あるんで」
「ハァ?もしかして夜遊び覚えちゃった系?ダメだよ、恵ー。付き合う友達は選ばないと」
「……別に遊びじゃないんで」
内心、ウザ、と思いながらスマホを出すと、すぐにのトーク画面を開く。一応、メッセージアプリと普通の番号も交換してるが、アプリの方は通話も無料だから、まだ学生の俺には有難い存在だ。
電話をかける前にメッセージも確認したが、特に変更などの連絡も入っていないから、予定通りでいいんだろう。
「お、ちゃんに電話?なになに、もしかして約束してるのってちゃん?まさか付き合いだしたとか?」
「…ちょ、勝手に見ないで下さいよ…!つーか、そんなんじゃねえし――」
「いやー青春だね。恵もそんな歳になったんだー」
「だから違うって言ってんでしょーが」
勝手にスマホ画面を覗き込んだあげく、勝手におかしな妄想をして一人納得してる五条さんにイラっとした。この人のこういうところがマジで扱いづらいと思う。
「えーデートじゃないの?こんな暗くなってから、わざわざ約束して会うって、どう考えてもデートじゃん」
「ハァ…」
「いや、溜息だけで返さないで」
五条さんはこう見えて地味に寂しがり屋だ。無視したりすると更に距離を詰めてくる辺りが、この人の厄介なとこでもある。
ただでさえ狭い後部座席なのに190超えの五条さんがぐいぐい俺の方へ詰めてくるから圧死するかと思うほどに苦しい。ついでに邪魔だ。電話かけれねえ。
「くっつかないで下さい!邪魔っ!」
「うわーひど!恵ってば、いつからそんな冷たい男になったわけ?」
今度は身を引いてさめざめと泣くふりをしている。ってか、どこのオネエだ。
「はいはい…っつーか、今からに頼まれた呪いを祓いにいくだけで、五条さんが妄想してるようなことじゃないっスから」
「は?呪い?」
そこでいきなり素に戻る辺り、この人も根っからの呪術師なんだなと、ちょっと苦笑が洩れる。興味津々で訊いてくるから、そこは帰る道すがら簡単に説明しておいた。
「へえ、じゃあちゃんは前に話してた小学校の時に見た呪いがまだいたなら、それを恵に祓って欲しい、と。そう頼んできたってわけだ」
「まあ…。の話じゃ、その呪いは音楽室から動けないようだったって話だし、それほど強くはないと思うんで…別にいいっスよね」
「それは恵の判断に任せるよ。高専に入って呪術師として働くようになったら、一人ひとりの判断も求められることが多くなるし、今のうちからそういう意識は持っておいて」
「…うっす」
とりあえず飯に行く件は諦めてくれそうだ、とホっとしつつ、に電話をしようとした時、五条さんがふと思い出したように「お姉さん元気?」と訊いてきた。今、電話しようとしてんだろ、と思いつつ「まあ」とだけ応えておく。
「お姉さんに呪術師になることは話してないんだ」
「……それは…まあ」
「ま、高専に入ったら寮に住んでもらうことになるし、早いうちに上手い説明考えときなよ。心配させないように。唯一の家族なんでしょ」
「……言われなくても」
その辺を考えると、どうにも憂鬱だったが、とりあえず津美紀のことは保留だ。今はの方を…と再びスマホの画面を表示する。でも電話をしようと思った瞬間、逆に電話が鳴り出してびくっとなった。
「…あ、からだ」
「ん?あー待ちくたびれて電話してきたんじゃない?早く出てあげれば」
「…何スか、そのニヤニヤ顔は」
サングラスで目は隠れてるけど、口元がやたらと緩んでる五条さんを睨む。電話中にいちいちからかってきそうで出るのを躊躇ったものの、電話は鳴り続けている。かけ直そうかとも思ったが、仕方ないとばかりに通話マークのアイコンをスライドさせた。
「もしも――」
『伏黒くん…!助けて――』
第一声、の悲痛な叫びが鼓膜を震わせ、俺の心臓が一際大きく跳ねた。
「どうした?」
『ア、アレに…追われてるの…っ』
「アレ…?!って、まさかオマエ…勝手に一人で小学校に行ったのかよ…!」
『…ご…ごめんなさ……』
思わず怒鳴ると、の泣き声が更に震えたのが分かる。咄嗟に隣にいる五条さんを見れば、すぐに事態を飲み込んだのか、運転している補助監督に「行き先変更」と告げていた。
「追われてるって…今どんな状況?」
『…こ、校舎を逃げ回ってて…い、今は隠れてる…』
「隠れてる…?どこに」
『…い、一階にある…ト、トイレ…』
「バカか!逃げ場のないとこに行くんじゃねえ!すぐそこから出て別の場所へ逃げろっ。俺も今そっちに向かってるから!」
『う…うん…ご、ごめんね…伏黒く……まさか音楽室から出てくるとは…お、思わなく…て…ひっく』
「移動したのか…ってことは…」
「育ってる可能性があるね」
五条さんも気づいたのか、今は真面目な顔でふと呟いた。それなら尚更急がないとが危ない。ただ今はやっと都内に入ったところで、のいる小学校まではどう飛ばしても一時間はかかってしまう。
その時だった。通話口の向こうから『い、いや…!』というの悲鳴が響いてきた。
「おい、――」
『やぁ…!助けて…伏黒く――』
ぶつ、と通話が途絶え、全身の毛が総毛だつ。
「おい、!…!」
無駄だと知りながらも、俺はその名を呼ばずにはいられなかった。
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