13-呪術師として
最初はのお人よしすぎるところが苦手だった。見ててイライラした。
育った環境を考えれば、アイツもこの世に善人なんていないと気づいてるはずなのに、悪意を持って近づいて来る奴らに利用されても、どんなに理不尽な目に合っても、は屈託のない笑顔を見せる。他人に蹴飛ばされても、誰かの為に何かをしようとする優しさがある。
どうしようもなく屈折した俺のことを理解しようとしてくれる。
が明るく笑いかけてくれるのが、いつの間にか心地よく感じていた。
津美紀と下らないお喋りをして笑うが好きだ。料理をする前に長い髪を縛る仕草が好きだ。一緒に帰ってる時、不愛想な俺の顔を覗き込んで、柔らかく微笑む彼女が好きだ。
一つひとつは他愛もないありふれた光景でも、確実に俺の心に染み入っていった。
将来を他人の手で決められて、皮肉な運命の糸で雁字搦めになった息苦しい毎日が、灰色だった日常が、のおかげで少しずつ色づき始めた。上手く呼吸が出来るようになった。
その何気ない日常の積み重ねが形になったのかもしれない。
俺はが好きだ。誰にも奪われたくないくらいに、好きだ。
――で、のどこに惚れたの?
何故か俺達に興味津々だったアイツからそう聞かれた時、心の奥にある温かい感情を、ちゃんと話しておけば良かったんだ。虎杖ならきっと変にからかうこともなく「そっか!」っていつもの明るい笑顔で受け止めてくれただろう。
今日、俺の目の前で――虎杖が死んだ。

梅雨明けだと発表される前から、夏の気配が一気に近づいてきたような朝だった。むせかえるような湿度と一斉に鳴きだした蝉。どちらも暑さを助長させる為だけに存在してるとしか思えない。
ミーンーミーンミーンと定番の声が聞こえる合間に、ジージーと別の蝉も負けじと鳴きだす。それをBGMのように聞きながら、退院してきたばかりの釘崎を呼び出した俺は、高専の敷地にある本堂前の階段に座っていた。虎杖の最期を話す為に。
「……長生きしろよって、自分が死んでりゃ世話ないわ」
話し終えたあと、釘崎がポツリと呟く。頬杖をつく横顔に変化はない。頬に貼られた大きな傷パッドは痛々しいが、本人は傷の痛みよりも別のところが痛いのかもしれない。普段の刺々しさは鳴りを潜めていた。
「……アンタ、仲間が死ぬのは初めて?」
「タメは初めてだ」
同じ呪術師が任務中に殉職するのは何度か見てきた。慣れはしないが、そういうこともある世界だと覚悟はしてる。いや、してたはずだった。
でも虎杖の死は違う気がして、何とも言えない悔しさが溢れてくる。少なくとも、虎杖の言ってた"正しい死"では決してなかったはずだ。
「ふーん。その割には平気そうね」
釘崎にしては珍しく元気のない声。そのくせ、いつもみたいに皮肉めいたことを言う。「……オマエもな」と返すと、「当然でしょ」と抑揚のない声で返された。
「会って二週間やそこらよ。そんな男が死んで泣きわめくほど……チョロい女じゃないのよ」
いつもの釘崎節のようでいて、やはりいつもの棘はない。言ったそばから「……ったく」と小さなボヤきが聞こえてきた。こっそり視線を向ければ、釘崎の口元が不自然に歪んでいる。泣くのを必死で耐えるかのように、奥歯をぎゅっと噛みしめてる。俺にはそう見えたし、少なくとも釘崎の今の気持ちが痛いほどに理解できてしまう。
例え二週間やそこらの付き合いでも、人と人が接すればそこには大なり小なり関係というものが形成される。特に虎杖みたいな底なしに明るくて懐っこい奴が遺していった存在感は、俺達が感じてた以上に大きい。
今にも「よ!伏黒、釘崎!しけたツラしてんなぁ!」なんて言いながら、ニカッと白い歯を見せてひょっこり帰って来そうな気さえする。
しばし無言のまま、虎杖の面影を思い浮かべながら蝉の暑苦しい鳴き声を聞いていた。でもどんなに気分が落ちようと、気温の高さを感じなくなるわけじゃない。じんわりと汗が滲み出てきて、「……暑いな」と無意識的に呟いてた。
釘崎のことだから、俺の独り言のような呟きなんてスルーするだろうと思ってたのに、「そうね……」と血の底を這うような低い声で返される。
「夏服はまだかしら」
そんな言葉まで付け足した釘崎は、ふと俺の方へ振り返った。
「それよりは……?」
「……」
その問いにはすぐ応えることが出来なかった。は今回の任務に参加してない。五条先生が不在、かつ少年院の中がどうなってるかも分からない状況。だいぶ呪力のコントロールを覚えてきてはいるが、まだまだ非術師に毛が生えたくらいの彼女を、そんな危ない場所へ連れていくわけにはいかない。それは補助監督として俺らの引率をしてくれた伊地知さんの判断だった。一緒に行きたいと我がままを言うに「万が一の場合に避難する為の呪術を覚えてからだ」と諭すのは大変だったけど、来なくて正解だったかもしれない。身近な仲間の死を受け入れるには、まだも覚悟が足りてないから。
分けも分からず消えてしまった小学校のクラスメートの時とはわけが違う。
俺が黙ったままだからか、数秒後にはしびれを切らしたように釘崎が口を開いた。
「何よ……、大丈夫なの?」
「今朝は起こさなかった。泣きつかれて明け方やっと眠ったから」
「……そう」
俺の説明に釘崎はハッとした顔で息を呑んだあと、また俯いて黙ってしまった。付き合いはまだ浅いけど、の性格を考えればどんな状態かすぐに理解できたんだろう。口も態度も悪いくせに、と同じく釘崎も他人の心を思いやることができる側のヤツなんだと思った。
「のそばにいなくていいわけ……?」
「……」
「ああ……悲しむを見てるのがツラいのか」
「……うるせぇな」
図星だった。虎杖の最期を知って泣き崩れるを前に、どう言葉をかけてやればいいのか分からなくて、俺はアイツを抱きしめてやることしか出来なかったから。
釘崎とのやり取りのあと、再び沈黙が訪れる。俺達はただ、ひたすら蝉の声を聞いていた。
「――なぁんだ」
そこへ唐突に聞き覚えのある声が割り込んできて、釘崎と同時に顔を上げる。目の前に立っていたのは、ポニーテール姿にスラリとした長身の眼鏡女子。肩から呪具の入った長いケースを抱えている。
「いつにも増して辛気臭いなぁ、恵ぃ。お通夜かよ」
「……禪院先輩」
彼女は俺らの一個上、高専二年の先輩で禪院真希。しばらく任務で地方へ行ってたけど、どうやら今朝帰校したらしい。
「私を名字で呼ぶんじゃねえ!」
「……」
相変わらずの返しが、どこか懐かしいとすら感じてホっとする。それくらい俺も心が折れてたようだ。
「――真希……真希!」
「今、話し中だ!」
彼女の背後からコソコソ呼ぶ声がすると思ったら、同じく二年の先輩が狛犬の銅像の陰から顔を出していた。巨体と小柄な男子、一人と一頭は分かりやすいくらいに顔を引きつらせている。
「し、知らないのか?アイツらが暗いワケ!」
「何のことだ?」
同級生の忠告を聞いた真希さんが怪訝そうに振り返ると、巨体を頑張って小さく見せるような動作で白黒の生き物が説明し始めた。背景と見比べると、どうしても合成に見えてしまうのは相変わらずだ。
「マジで死んでるんですよ!昨日、一年坊が一人!」
「おかか……」
「ぃっ」
事情を聞かされ、見る見るうちに真希さんの顔が崩れて引きつっていく。この顔は本気で知らなかったみたいだ。まあ知っててあんな冗談を言える人じゃないのは良く知ってるし、特に気にはしてないが。
「は、や、く、言、え、やぁ!これじゃ私が血も涙もねえ鬼みてえだろ!」
「実際そんな感じだぞ」
「ツナマヨ」
「ぐ……っいや、ちげえよ!もっと気遣いくらい言ってるよ!」
二人のツッコミを受け、真希さんの顏が真っ赤になっていく。相当お怒りのようだ。こういったノリはいつものことだから慣れてるし止めもせずに眺めていると、隣の釘崎はポカンとした顔をしてた。そういや釘崎は先輩らと会うのは初めてだったっけ。
「何、あの人(?)達」
「二年の先輩」
「……(先輩って明らかにおかしいのが交じってるけどっ)」
釘崎の顔は何かをツッコミたそうに、やっと姿を現した白黒の動物を凝視している。
「後輩にはもっと優しく接しないと」
気持ちは分かるから紹介だけはしてやろう。
「甘やかすだけが優しさかねぇ」
そんな先輩同士のやり取りを眺めつつ、まずは最初に「禪院先輩」と釘崎へ説明した。
「呪具の扱いなら学生一だ」
「すじこ」
「呪言師、狗巻先輩。語彙がおにぎりの具しかない」
「でも憂太といる時は少し丸くなるよなぁ、真希は」
「パンダ先輩」
「……」
釘崎の顏が納得いかないと言った感じだけど、気にせず続ける。
「……あと一人。乙骨先輩って唯一手放しで尊敬できる人がいるが……今、海外」
説明を終えながら立ち上がると、釘崎はやっぱり納得しなかったようだ。明らかに不満げな顔で俺を見上げてきた。
「アンタ、パンダをパンダで済ませるつもりか」
「いや、これ以上、説明しろと言われても長くなる――」
と言いかけた時、「真希ちゃん!」という声が、先輩達の内輪もめの中響き渡った。ハッと息を呑んで顔を上げると、正面からものすごい勢いで走って来る奴がいる。だ。俺と釘崎が一瞬で固まり、名前を呼ばれた真希さんはギョッとした様子で振り返った。
「は?――ふぐっ」
「……真希ちゃんせんぱーい!」
一気に走って来たはその勢いのまま体当たりの如く真希さんに飛びついて泣き出した。ちょうど真希さんの腹に頭突きをした形だ。悪意のないボディブローを喰らわされた真希さんは目を白黒させてるから、何故か俺が罪悪感を覚えて頭を抱えるはめになった。
「真希ちゃんセンパイ~……!」
「お、おい、……何だ何だ、どうした……?」
「悠仁が……悠仁が死んじゃったぁぁあっ」
「……ゆーじ?」
たった今、一年の一人が死んだと聞かされたばかりの真希さんは当然虎杖の名前なんか知らない。そこはパンダ先輩が「今話した一年坊だよ」と捕捉する。それだけで真希さんは理解したのか、泣くじゃくるの頭を優しく撫でて宥めだした。
「私も今聞いたとこだ。ツラかったな、も」
「う……す、すごく……いい人だった……や、優しくて、明るくて」
「そっか……」
うんうんと聞きながら上手くを宥めてくれたおかげか、は少しすると落ち着きを取り戻したようだった。聞けば目を覚ましたら誰もいなくて寂しくなったらしい。俺や釘崎を探し回ってここへ辿り着いたようだ。
「悪かったな、一人にして」
「う、ううん……わたしこそ野薔薇ちゃんが退院してくるって分かってたのに寝坊してごめんね」
「いや、私は別にいいって……それより大丈夫?、虎杖と仲良かったもんね」
「……う」
釘崎までがの頭を撫で始めてちょっと驚く。何となく気づいてはいたが、釘崎も何気にに対する対応が過保護な母親みたいになってる気がする。まあ歳は同じだから良く言って姉貴って感じかもしれない。ただ余計な一言のせいでの悲しみが再燃したのか、泣きはらした目に再び涙が浮かんできた。
でも先輩方もいるおかげか、が夕べみたいな号泣を思いとどまったのが救いだ。今ではパンダ先輩に抱っこされてもふもふを堪能してる。こういう時、俺は何の役にもたってやれないんだから情けない。
「いやー。スマンな、喪中に」
がだいぶ落ち着いてきた頃、パンダ先輩が何故ここへ立ち寄ったのかを説明し始めた。何でも京都姉妹校との交流会に一年の俺達も出て欲しいという。釘崎に至っては何も知らないせいで何それみたいな顔だった。
「京都にあるもう一校の高専との交流会だ。――でも二、三年メインのイベントですよね?」
当然ながら俺も出たことはないし詳しくは知らないが、そういうイベントがあるのは聞いている。一年は実力を考慮してなのか、出場資格はないということも。なのに何で?と思っていると、真希さんは徐に顔をしかめた。
「その三年のボンクラが停学中なんだ。人数が足んねえ。オマエら出ろ」
なるほど。そういう事情か。確か三年の秤先輩と星先輩は去年の百鬼夜行の際、保守派の連中とモメたと五条先生からチラっと聞いた気がする。その結果が停学か。三年の先輩はまだ会ったこともないが、一体、どうやったら上をそこまで怒らせることが出来るんだか。五条先生曰く、その二人は素行が良くないってことだったけど、それしか教えてくれなかった。
何も知らない釘崎が交流会の説明を受けてるのを眺めながら、確かにいい機会かもしれないと思った。
この鬱々とした苛立ちは自分を強くすることでしか払拭できない。釘崎も同じことを考えたんだろう。真希さんに「やるよな?」と聞かれた時、俺と同時に「やる」と即答した。
俺は強くなるんだ。そのためなら何だって――。
脳裏に虎杖の後ろ姿が過ぎる。あの時、何も出来なかった悔しさを忘れたくない。
「でもしごきも交流会も意味ないと思ったら即やめるから」
「同じく」
釘崎の言葉に乗っかって宣言すれば、真希さん達も不敵な笑みを浮かべた。この人達とまともにやり合ったことはないが、手強い相手なのは十分に分かってる。
「ハッ」
「まあ、こんくらい生意気な方がやり甲斐あるわな」
「おかか」
宣戦布告ととられたようで、先輩達もやる気満々らしい。ただ一人、俺達のやり取りを見学してただけはきょとん、とした顔だ。
「え、そのイベントって補助監督志望のわたしは参加できないの?」
「……うーん。が出たら……秒で泣くだろ」
真希さんは苦笑気味に応えると、狗巻先輩やパンダ先輩も大きく頷く。
「だな」
「しゃけー」
「え!そのイベントは怖いの?!」
……やっぱり交流会の内容までは詳しく聞いてなかったらしい。イベントって遊びの方だと思ったみたいだ。
とりあえず説明するのにを連れて、俺と釘崎は寮へ戻った。はもっと真希さん達と話したかったみたいで、なかなか離れたがらないから大変だったけど、出張帰りで疲れてる先輩を困らせるなと言うと素直についてきた。
でも何より、寮に戻りたくない理由はきっと――。
「じゃあ明日ね」
「ああ」
釘崎が自分の部屋へ戻っていくのを見送って俺も自分の部屋のドアを開ける。でもの視線は隣の部屋へ向いていた。今にもドアが開いて、明るい笑顔を浮かべた虎杖が出て来そうな気がする。
「……」
「……うん」
それはきっとも同じなんだろう。ぐすっと小さく鼻を啜った彼女は、俯いたまま俺の腹に抱き着いてきた。そっと頭を撫でてやりながら、肩を抱いて部屋の中へ促す。最近はずっとの部屋で過ごしてたから、こうして自分の部屋で彼女と二人きりになるのは久しぶりだった。たった一人、隣からいなくなっただけで、やけに静かだと感じる。
「大丈夫か……?」
「ん。ごめんね、恵……」
「何で謝るんだよ」
「今日……みんなに甘えちゃったし」
「そんなの謝ることじゃないだろ。先輩達もを可愛がってるし」
部屋に入っても俺にくっついて離れないは、どこか子供みたいに甘えてくる。ついこの間まで非術師の世界に生きてた彼女に、同級生の死は重すぎるんだ。
「スッポンか、オマエは」
上着を脱いでハンガーにかけようとしても、は腰に抱き着いて離れない。ずるずると俺に引きずられるように動くから、軽く吹き出してしまった。
「ほら、まだ眠いだろ」
僅かに顔を上げたを抱きかかえると、俺のベッドへ寝かせた。あんなことの後だから今日一日は休みをもらえたし、俺も正直、眠りたかった。二人で布団に入るとはまた身を寄せてきて、その華奢な体を抱えるように抱きしめる。どんなに悲しくても、寂しくても、こうしてお互いの体温が交じり合うだけで、ほんの少しはそれが紛れるから。
「……明日から真希ちゃん先輩達と特訓するの?」
「まあ……」
「そんなに危ないイベントなの……?」
ぽつりと呟くの声は、かすかに震えていた。
「恵、また怪我するんじゃないの……?」
「そうかもしれないけど、出来るだけそうならない為にするんだよ」
小さな手が、俺のシャツをぎゅっと握り締める。その瞬間に気づいた。は虎杖の死を嘆きながら、あの少年院で怪我をした俺のことでも心を痛めていたんだと。
「ごめん……心配かけてばっかだな、俺」
腕に包んだを抱きしめると、かすかに首を振るのが伝わってきた。
「でも俺は呪術師だから、立ち止まってちゃダメなんだ」
「……うん。分かってる」
さっきとは違うしっかりとした声。ふと視線を下げればが顔を上げている。泣きはらした目に、もう涙はなかった。
「強く、なってね。恵」
五条先生を泣かせるくらい、なんて恐ろしい言葉を付け足すから、つい吹き出してしまった。
「それは無理だろ。こっちが泣かされそう」
「だよね。恵なんかギャン泣きだよね」
「……言いすぎだろ、それ」
苦笑しながら互いの額を合わせると、もやっと笑みを見せる。手のひらで彼女の柔らかい頬を包みながら唇を重ねれば、かすかに涙の味がした。
この先、またを泣かせることになるかもしれない。だけど少しでも彼女みたいな、津美紀みたいな善人が、平等を享受できるように、俺は不平等に人を助けたい。呪術師として。
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