海月の火の玉は鬼火の一種である。
碧々と輝く炎は恋しい人を待ちわびるかの如く、海の近くを飛び回るという―。
世は戦国時代―。
ヨーロッパではオスマン帝国により東ローマ帝国が滅ぼされ、古代から続いてきたローマ帝国は滅亡した。
日本では幕府と守護の体制崩壊により、戦国大名の乱立が起こったのち全国動乱の時代に突入していた。
1400年以降、この動乱は約1世紀に渡り、続くことになる。
名だたる武将が天下統一を目指し戦火を上げている裏で、もう一つの戦いが幕を開けていた。
それは長きにわたる人間と、世に暗躍する"鬼女"、鬼族との戦い。それによって溢れる呪霊――。
世界は混沌としていた。
呪術師の頂点に立つ御三家は更なる力を得るため鬼族の持つ力を欲し、人間を喰らう鬼を滅ぼすのではなく手中に収めようと企んでいた。
鬼女の持つ妖力は呪術師にとって自らの能力を底上げしてくれる膨大な呪力の塊であり、手中に出来ればその一族は末代まで安泰と言われているほど強力なものだ。
そして鬼にとっては非術師よりも呪力の高い呪術師の生気は生きていく上での必要なエネルギー源であり、呪術師を喰らえば更に妖力も向上する。
それ故、簡単に決着を付けられるはずもなく、何百年と膠着状態のまま時は過ぎ、いつしかどちらにも仇をなす存在、宿儺が現れた。
宿儺にとっては人間も鬼も己の欲を満たす獲物でしかなく、時には呪霊を操り、鏖殺を繰り返す存在だった。
同じ敵を得た御三家と、元々100人ほどしかいない鬼族はこれ以上の争いは互いに不利益と判断。
御三家の当主と鬼族の長は互いに利益の生む制約を交わす事を決める。
しかしそこで御三家がうちの禪院家と加茂家の裏切りが発覚する。
鬼との約束を破り、制約を交わす前に鬼の力を独り占めしようと企んだ禪院家と、密かに呪詛師と通じていた加茂家が互いの利益の為に手を組んだのだ。
制約の印を結ぶため、一人で決議の場へ姿を現した鬼の長であり鬼姫の呉羽を、これ幸いと討ち取ろうとした当時の禪院家当主と加茂家の当主は、
「一匹の鬼女など恐るるに足らず!!」
と、己の術式を発動させたのだが、結果まさに鬼神が如く怒り狂った呉羽の返り討ちに合い、死亡した。
呉羽は人間の裏切りに怒り狂ったが、唯一最後まで裏切りに加担しなかった五条家の当主とのみ制約を交わす事に決めた。
五条家当主と鬼の長が決めた制約と誓約。
一、鬼は人間の生命の源である生気を喰らわぬよう、五条家の術師から生きる為に必要な分の生気を与えられ、それにより人の世界に存在する事を認める。
※五条家は鬼族から妖気を与えられる事で呪力の底上げが出来る。
二、当主のみが稀に生まれる鬼の姫と生気、そして妖気交換ができる。
それによって特殊な力を持つ鬼特有の碧眼を稀に授かる事がある。
(この場合、いつ、どの世代で碧眼の者が生まれるかは分からない)
三、五条家は鬼族の姫を慈しみ大切に特別に扱うべし。
四、この誓約はどちらかが滅ぶまで有効とし、裏切ればその者の死を以って償わせるという縛りを科す。
※特例、万が一、人間と鬼が交わった場合、互いの脅威となる為、絶対に子を残してはならない。
この時の五条家当主の嫡男が、特例で鬼族の長である呉羽の娘と交わり、嫡男は妻との間に、のちに六眼と呼ばれるようになる鬼特有の碧眼を持つ子を得たという。
しかし鬼一族の長、呉羽の血が濃いとされる姫が生まれるのは稀で、数百年に一度のみと言われており、500年もの間、鬼姫は生まれていなかった。
だが時は流れて現代、今より16年前――五条家の現当主の相手となる鬼女が、当主と顔合わせをする前に恋仲の男と駆け落ち、自分の任を放棄した事から、数百年もの間続いた五条家と鬼族の誓約が壊れかけようとしていた―――。

2005年・夏。都内某所にあるその屋敷は、他人が足を踏み入れる事を拒むかのような大きな正門と、屋敷を隠すほどの高い石造りの塀に囲まれていた。
そこは御三家が内の一つで、かつて鬼族と唯一誓約を交わした、あの五条家である。
久方ぶりに呼び出しを受け、生家であるこの家の敷居をまたいだのは、五条家の嫡男であり、18歳を迎えた際には次期当主となる事がすでに決まっている五条悟だった。
五条家相伝である"無下限呪術"のみならず、数百年ぶりに"六眼"の抱き合わせで生まれた、呪術界にとって特別な存在でもある彼は、現在16歳の高校一年生だ。
と言っても五条が通うのは普通の学校ではなく、呪術師の家系ならではの呪術を専門にした東京都立呪術高等専門学校に今年の春から通っている。
高専へ入学して寮住まいになってから帰省はしていなかったが、今日は当主直々に呼び出され、その内容も薄々分かっている事から、五条は足早に正門を潜り抜けた。
この歳にしてすでに190はある高身長と長い手足を持つ日本人離れをした体型だが、彼が目立つのはそれだけが理由ではない。
日の光に反射して艶やかに輝く白銀の髪に、端正な顔にかけられた真っ黒なサングラスの奥に隠れているその特異稀なる双眸は、南国の澄んだ海のようなアパタイトブルーだ。
この眼こそが、彼の術式を最大限に引き出す事の出来る"六眼"である。
五条悟が生まれた事がキッカケで、呪術界は安泰となり、逆に世に暗躍してる呪詛師達は恐怖に慄いた。
「悟さま、お帰りなさいませ」
すでに五条が帰って来る事は聞いていたのだろう。
正面玄関では使用人頭の彩乃を筆頭に、他の使用人達も一斉に頭を下げる。
その前を通り過ぎて五条はすぐに当主のいる母屋へ足を向けた。
長い長い廊下を進んでいくと、当主の私室を現す襖が見えて来る。
それは極彩色の濃絵で花鳥を主題にした障壁画が描かれていた。
その派手な襖の向こうにいる当主に会う為、五条悟は遠慮のない所作でそれを開け放つ。
正面に座している和服姿の男性は五条家の現当主にして、この五条悟の父親だ。
五条とはまた違うその凛々しい顔立ちが、今は苦虫を潰したかのようにしかめられている。
「もっと静かに開ける事は出来ないのか、悟」
「あ?んな事より、手がかりがあったって?」
すぐにでも本題に入ろうとするせっかちな我が息子に、呆れたような眼差しを向け、当主たる男は深い溜息を吐く。
「あの駆け落ちをした鬼女を見つけ、粛清してから約16年。奇跡的にもその鬼女が粛清前に鬼姫を生んでいたのは前に話したな?悟、オマエの相手となる姫だ」
「ああ。でも番人の天狗がその赤ん坊を連れ去って消息を絶ったんだろ?で、見つかったのかよ」
「赤ん坊だった姫を連れ去った天狗を見つけたと武長から報告があった」
五条武長は五条家に古くから仕える"番人"の家系でいて、若くしてそれらをまとめる番人長であり一級呪術師でもある男だ。
五条家の為に裏で暗躍し、必要とあらば敵とみなした者を粛清する事もある。
「へえ、遂にか。で、場所は?」
「神奈川県由比ヶ浜」
「は?近いじゃん。何で今まで見つけらんなかったわけ?」
息子の質問に 五条家当主の眉間に深い皺が刻まれる。
「我々に見つからないよう各地を転々としていたらしいが最近そこへ引っ越したようだ。地方だと余計に目立つと思ったんだろう。鬼、特に姫は万人を惹きつけるほど見目麗しい」
「へぇ…そりゃ楽しみだな」
「その鬼姫には代々天狗の一族が付くのは知っているな?」
「ああ、ソイツが赤ん坊だった姫を連れ去ったんだろ?」
"天狗"―――。
古の時代から鬼に仕え、手足となり動く一族であり、鬼と同様の能力を持つ、いわば鬼達の番人といったところだ。
姫には必ず天狗が一人選ばれ、幼い頃から寄り添い守るという。
「まあ身の危険を感じたんじゃねーの?姫の両親が粛清されて」
「それも大きいかもしれないが…私の相手だった裏切者の鬼女を粛清したとしても貴重な鬼姫の赤ん坊を殺すわけがないだろう。ヤツは姫を渡したくなかったんだ。この五条家に。いや…六眼を持って生まれた悟、オマエにな」」
「…俺がまだ一歳くらいの時の話だろ?何で誓約を破ってまでそんな事すんだよ」
鬼の姫が能力に目覚めるのは16の歳であり、五条家の嫡男である五条と生気交換の儀を行うのはそれからだ。
五条はその場にどっかり座り込んで胡坐をかくと、呆れたように肩を竦めた。
父親とはいえ当主の前で横柄な態度を隠すこともしない我が息子に溜息をつきつつ、
「他の術師や姫以外の鬼女とは違い、特に六眼持ちと鬼姫が交わるとより強力な力を得られる。我が五条家相伝"無下限呪術"と六眼を持つオマエは鬼の力でも制御は出来ない。そんなオマエにより強い力を持たれては困るとでも思ったんだろう」
「交わるって…要するにエッチするかしないかって話だろ」
「………」
言葉を選ばない息子に対し、当主の目が僅かに細められ、軽く咳払いをしている。
「別にそれは必ずするって誓約じゃなかったはずだけど?互いに気に入ったらって話じゃねーの」
「鬼姫とのソレは人間の男女のソレとは違う。快楽というよりは能力を得る為のもの。まあ、そもそも何故その話が出たのか、まだオマエに話してなかったな」
「あー…生気の交換とはまた違うんだっけ」
「ああ、違う。生気交換の儀では鬼が人を襲わぬよう生きる為の生気をこちらが分け与えねばならん。そして我々呪術師にとっても鬼の持つ特殊な妖気が与えられ、呪力の底上げが出来る」
「じゃあ別にエッチしなくていいじゃん」
「…そういう下品な言い方はするな」
またしてあっけらかんと応える息子に、父は顔をしかめた。
「そもそも生気交換の儀は最初の一か月は一週間に一度、ある程度馴染んで来たら一か月に一度でも十分に足りる。だがその際の行為で男女間に特別な感情が芽生える事もある」
「…特別な感情?」
「そうだ。そもそも鬼と人間とはいえ男と女の場合、交換の儀で何度も触れ合っていれば、そういう感情を持つ者達が一定数いた」
「あ~なるほどね。要するに生気交換で欲情しちゃった二人の為の交わりの儀って事か」
「………だから、」
「言葉をオブラートに包め?はいはい」
「ただの快楽を求めた交わりではないと言ったろう。五条家の未来にとっても左右する話だ」
「ああ、だから妻がいようと、鬼との交わりだけは特例として許されて来たってわけか。五条家の為って言われちゃ母さんも文句は言えねえしな。ま、オヤジの場合相手に逃げられてんだけど」
五条は笑いながら当主に肩を竦めて見せた。
幼い頃から人を食ったような態度をするのは変わらない息子に、父は溜息しか出ない。
数百年ぶりの六眼持ちである息子を甘やかしてしまったのは親の責任でもある。
「でも、その天狗は俺とその姫がそうなる事を良しとせず、姫を隠したってわけ?」
「まあ…そうだろうな。姫と六眼のオマエが交われば、より強い呪力と能力を得られるはずだ。いつの世か、また六眼も生まれる」
「んなもん絶対にそうなるなんて言えねーじゃん。別に交わりの儀?はしなくてもいいんだろ?」
「それはそうだが…奇跡的にオマエが生まれた現代に鬼姫が生まれたんだ。この機を逃す手は―――」
「生気交換の儀だけでも十分、呪力の底上げ出来るんじゃねーの。それとも俺に鬼とエッチしてガキでも作れって?」
「違う!それは取り決めで禁止されている」
不意に怒鳴る父親に、五条もギョっとした様子で顔を上げた。
「禁止って…」
「鬼と人間の間に生まれた子は我々にとっても鬼族にとっても脅威となり得る存在だ。だから絶対に子を作ってはいけないと制約の中に含まれている」
「へえ…でも脅威って…」
「どんな能力を持つかも分からない両方の血を持つ者が、どちらの方へ傾くか分からないという事だ。力の差が傾けば今のバランスが崩れる恐れがある」
「ああ…なるほどね」
「とにかく。細かい話はこれくらいにして…オマエはその姫を必ず連れて来い。オマエの今後に必要な存在だ」
当主らしく、厳しい目つきで五条を見据えた父に、五条も笑みを浮かべて頷いた。
何だかんだ言っても、強い力を手に入れられるのは悪い話ではない。
「その鬼姫を捕まえて生気交換すりゃ、今の俺に足りないものが手に入るってわけ?」
「反転術式か。そうだな。鬼族、特に姫として生まれた者は反転術式にも長けている」
「なら話は早い。俺がその番人の天狗をぶっ殺して鬼姫を連れ戻せば、俺は自他ともに"最強"になるってわけだ」
「そういう事だ。六眼を持つ次期当主のオマエにこそふさわしい言葉だ」
父親の言葉に五条もニヤリと笑みを浮かべ「つー事で早速行くか」とゆっくり立ち上がった。
だが父は「待て。まだ話がある」と渋い顔をされ、五条は渋々座り直した。
「何だよ…気づかれる前に捕まえたいんだろ?」
「"彼女"は今、中学3年生の15歳。鬼の力が目覚める16歳まで残り一か月だ」
「15歳?まだガキじゃん」
「オマエと一つしか違わんだろ」
「中学生のガキと高校生じゃ、その一つがデカいんだよ。で?」
「鬼姫は目覚める前は鬼としての記憶がない。だからこそ母親が幼い頃に全てを教え込むんだが、その子の場合それは叶わなかった。天狗が話していれば別だが連れ去るくらいだ。普通の人間として育てたかもしれん」
「え、じゃあそのガキは自分が鬼と知らないで人として生きてるってのか。でも鬼は人間喰わなきゃ死ぬんだろ?」
「それは鬼として目覚めてからの話だ。鬼と言えど元々は人だったもの。目覚めるまでは普通に人として生きてはいける。これは前に説明しただろう、悟」
鬼―――それは元人間だったもの。
いつ、何故鬼という存在に変化したのかは最初に鬼が現れたという1000年前から今日に至るまで分かってはいない。
ある者は呪術師が鬼の妖怪に呪われた末路だと言い、ある者は呪詛師に堕ちた者が人を喰らったからだと言い、その繊細は未だ謎のままである。
だがルーツが呪術師ではないか、というのが大幅の見解だった。
「あーそうだっけ。んじゃ本人だけは自分が人間だと思い込んでんだな?」
「多分な。それも視野に入れて慎重に行動しろ」
「ふーん…。だったら…五条家の人間は連れていかない方が良さそうだな」
「…何故だ。武長がすでに彼女の学校を見張っているんだぞ」
「派手に動きたくない。アイツは呼び戻してくれよ」
「オマエ一人で行くのか?それはいくら何でも―――」
「いや、俺の同級生を連れてく。ソイツらだけで十分だ」
「同級生…?」
「夏油傑と家入硝子。二人も鬼と五条家の関係は知ってるからな」
夏油と家入は同じ高専に通う一年だ。
呪術界にとって鬼の存在は周知の事実であり、術師をしていれば誰でも五条家との関係は知っている。
親は非術師なのだが夏油本人の能力は非常に高く、初対面の頃は一悶着あったものの、今では五条とよくつるんでいる親友でもある。
家入も扱える術師が殆どいないと言われる難しい反転術式が扱え、自分だけでなく他人のケガまで治せる優秀な術師だ。
「ああ…反転術式の子と呪霊操術の彼か。まあ…ならいい。そっちの方が目立たないかもしれんな。分かった。武長は下がらせよう」
「頼むよ。天狗に気取られたくないんでね。で、その鬼姫の名前は?」
立ち上がった五条が尋ねると、父は数枚の資料を手にして、それを息子へ差し出した。
「。神奈川県立礎中学校に最近転入した少女だ」

この日、はいつになく体調が優れず、ベッドの中で鬱々としていた。
体が重く、頭もどこかボーっとする。
風邪かとも思ったが、転校したばかりの学校を休むというのも気が引けた。
「…はあ。仕方ない…起きるかぁ」
もそもそと動き、ゆっくりと布団から出たは、長い黒髪に透き通るような白い肌の綺麗な顔立ちをした少女だ。
だが今はその綺麗な顔も生気がなく、色白と言うよりはどこか青白さが目立つ。
軽く欠伸を噛み殺し、はボーっとする頭を軽く振ってベッドから下りた。
そこへドアをノックする音がして、ふと顏をあげる。
この時間、部屋に呼びに来る人間はこの家に一人しかいない。
「…お兄ちゃん?」
そう声をかけると、すぐにドアが開かれた。
「、もう時間…って、オマエ、具合悪いのか?」
そう言って部屋に入って来たのはスラリとした長身の男、の兄の天夜だった。
と同じ黒髪で肩まで伸びたそれを後ろで一つに縛っている。
顔立ちも男にしてはと同様に端正な顔立ちで、漆黒の瞳はやけに鋭い。
「顔色すげー悪いぞ?熱でもあんのか?」
「うーん…何かダルいの。でも熱はないと思う」
「でも…具合悪いなら無理しないで休んでろ。俺が学校に連絡しておくから」
「ううん。転校してまだ三日しか経ってないのに休めないよ。これくらいのダルさなら大丈夫」
どうにか笑顔を見せて、はクローゼットから制服を出した。
は言い出したらきかない。天夜は仕方ない、とばかりに小さく息を吐くと、
「なら…酷くなった時は早退しろよ」
「うん」
「じゃあ…朝食は出来てるから俺は先に行くけど、何かあればケータイに電話して」
「分かった」
天夜はの頭を軽く撫でると、時間がないと言いながら慌てたように仕事へと向かった。
兄の天夜は銀行に勤める22歳。
二人の両親はが生まれてすぐ不慮の事故で亡くなっている為、暫くは施設で育てられた。
今は成人した天夜が親代わりとして働いている。
仕事の都合で日本各地を転々とする事も多く、最近もこの神奈川県に引っ越してきたばかりだ。
リビングに行くとテーブルの上に天夜が用意してくれたのだろう。
焼き魚や卵焼き、お味噌汁といったものが準備されている。
だが、空腹感はあれど食べる気がしない。
ただ、今日は午後の授業で体育の授業がある。
食べておかないと空腹でぶっ倒れてしまいそうだ、とは朝食を食べられる量だけお腹に詰め込んだ。
朝食を終えて簡単に片づけた後で、家を出る。
新しい学校は家から歩いて10分もしない場所にあるのが救いだった。
「梅雨も明けたし、もう夏だなぁ…」
あちこちから蝉の鳴き声が聞こえて来て、夏の到来を知らせて来る。
道なりに植えられている木々を見上げながら、ふと笑みを浮かべた。
新しい土地の匂いも新鮮だ。この場所にもいつまでいられる事やら。
兄の仕事は何故か急に転勤となる事が多いのだ。
(銀行員って転勤が多いとは聞くけど、こんな頻繁に移動になるものなのかな…)
早い時には半年で引っ越し、という事もしばしば。
そのたびに学校も転校するはめになり、は殆ど親しい友達も出来た事がない。
それは寂しいが兄が男手一つで自分を育ててくれたこと。
こうして学校へ通わせてくれている事を思うと、あまり我がままも言えないのだ。
「あ…海…?」
かすかに潮の香りが流れて来て、何故か懐かしい気持ちになった。
近くに海がある―――。引っ越して来た当日、天夜がそう話していたのを思い出す。
三日ほどこの道を通っているが、風向きのせいか初めて潮の匂いを嗅いだ気がする。
(今度行ってみようかな)
そんな事をふと考えた後で少しの違和感を覚えた。
「懐かしい…って私、海の近くに住んでたことあったっけ?」
物心ついた頃にはすでにあちこちを転々としていたから忘れているだけだろうか。
(あれ…でも私が子供の頃ってお兄ちゃん、まだ学生で未成年よね。なのに何で転々としてたんだっけ…)
ふと過去の記憶が僅かに蘇り、首を傾げる。
ここのところ辻褄の合わない記憶を思い出す事も増えた気がした。
「気のせい…かな」
何か思い出しそうな気はするのに、手が届きそうになると、それはすぐに萎んでしまう。
先日その事を天夜に話してみたが、気のせいだろと笑われただけで終わった。
「んーでも何か忘れてる気がするのよね…」
独り言ちながらボケるにはまだ早いのに、と苦笑いが零れる。
だが何気なく腕時計を見て「いけない!遅刻しちゃうっ」と、慌てて学校へ向けて走り出した。

(はあ…ダメだ。頭が重たい…)
朝から続いている気だるさは、学校に行っても少しも良くならず、結局一日中続いていた。
やたらと喉が渇くし、と言って水を飲んでも少しも喉が潤った気がしない。
なのに変に汗は出るので、余計に喉が渇く気がする。
「海に行ってみようと思ってたけど…帰って寝よう…」
は重たい足を引きずるように教室を出ると、玄関に向かって歩き出した。
その時、肩をポンと叩かれ、ハッと顔をあげれば同じクラスの男の子が笑顔で立っている。
クラスの中でも一番背が高く、見た目はイケメンと呼ばれる部類に入るだろう。
は一度も話した事はないが、彼が身長と顔以外でもクラスの中で目立つ存在なのはこの三日で分かっていた。
「えっと…」
「あ、俺は遊部太一。さん、宜しく」
「よ…宜しく」
遊部太一。そうそんな名前だった、とは思い出し、適当に笑顔を見せておく。
この生徒が厄介なのはも"見ていた"から知っている。
彼の父親はこの一帯の持ち主でいわゆる地主というやつらしい。
他のクラスメートがそんな話をしていたのをは覚えている。
そしてそれをいい事に太一がクラスで威張っている事も。
「もうウチのクラスに慣れた?」
「う、うん、まあ…」
あまり関わり合いたくない相手だ、と思ったは話しながらも歩き出した。
太一も当然といったように隣を歩き出し、笑顔で話しかけて来る。
「何か困った事があれば俺に言いなよ。助けてあげるから」
「…困った事はないわ。あ、あの…私、急いでるから」
体調が悪い上に面倒な生徒とこれ以上関わりたくない。
は唐突に切り出し、足早に下駄箱の方へ歩いて行った。
なのに太一は気にする事なく追いかけて来ると「家まで送ってあげるよ」と言い出した。
「え、い、いいよ。ウチ、近いから」
「知ってるよ?あのマンションは俺の父さんのものだから」
「…え?」
靴を履き替え、歩いて行こうとした時、太一がそんな事を言いだした。
周りにいる生徒がチラチラとを見ながら「まーた遊部の悪いクセが出てるよ」と苦笑している。
「君の住んでるあのマンションは俺の父さんの持ち物なんだ。ウチの不動産会社が管理してて早い話、俺の父さんが大家ってこと」
「…そうなんだ」
だから何なの?と思いながらもはそのまま歩き出した。
遠回しに脅してるようにしか聞こえないが、それとも自慢してるんだろうか?
太一の言動は、にとって不快でしかない。
「あ、おい。待てって。送るってば」
「いいって言ったでしょ?」
「でも、具合悪そうじゃん。顔色悪いし…」
確かに先ほどよりも頭が重たく感じる。
熱はないはずなのに少し寒気もしてきた。
今日は朝から快晴で気温も高いのに寒気がするのはおかしい。
「あ、危ない。フラフラしてんじゃん」
足を速めたのがいけなかった。少しよろけたの体を太一が支える。
「あ…ありがとう…」
「いいよ。やっぱ具合悪そうだし家まで送るって」
「………」
断りたかったが、すでに歩くのすらしんどい気がして、ここは仕方なく太一に送ってもらう事にする。
「うん…ごめんね」
「いいよ」
素直にお礼を言ったに気を良くしたのか、太一は笑顔を見せた。
太一はの体を支えるように肩を抱いて歩き出した。
男の子に密着されるのは初めての事で少し落ち着かない。
だが自宅のあるマンションはもうすぐそこだ。
「あ…ここでいいよ」
マンションのエントランスまで来ると、は太一から離れようとした。
いかし、太一は腕を放そうせず、そのままエレベーターのボタンを押している。
「部屋の前まで送るよ。フラフラしてるし」
「い、いいよ…大丈夫だから」
「いいって。ここまで来たら同じだろ?」
「でも…」
よく知らない相手に部屋まで来られるのは正直遠慮したい。
そう思うのだが足に力が入らず、頭もボーっとしてきた。
(どうしたんだろ…昨日までこんな事なかったのに…)
軽く頭を振って深呼吸を繰り返す。
その間にエレベーターはの家がある階に到着した。
「ほら、歩ける?」
「…うん…」
部屋の前までどうにか歩いて行ったはスカートのポケットから家の鍵を出そうとしたが、手に力が入らない。カチャンっという音を立てて鍵が足元に落ちてしまった。
「あ…」
「いいよ。俺が開けてあげる」
太一はそれを拾うと、鍵を外し部屋のドアを開けた。
これ以上はダメだと本能的に思ったは、フラつきながらも太一から離れ、玄関へ入ろうとした、その時。
「あ…ありがとう、ほんとここで――きゃっ」
いきなり体を押し込まれ、玄関に入れられたが驚いたように振り返ると、太一はニヤニヤした顔でドアを閉め、ゆっくりと近づいて来る。
その表情にゾっとして、一歩後ろへと下がった。
「な…何…?」
「ってマジ、綺麗だよなぁ?ウチの学校にはいないし、オマエみたいな美人」
「…何…する気…?」
「何されたい?くくく…」
この状況を明らかに楽しんでいる太一に、今までにない大きな恐怖が足元から這い上がって来る気がした。なのに足に力が入らず、上手く動いてくれない。
「こ、来ないで…」
「いいじゃん。仲良くしようぜ。オマエ、親いないんだよな」
太一は強引にの腕を引き寄せると、無理やり抱きしめて来る。
好きでもない相手から触れられるおぞましさで、全身に鳥肌が立った。
「やめて…っ」
「いいじゃん。どうせ色んな男と付き合って来たんだろ?綺麗だし放っておかれるはずねーよな」
「やだ…っ!」
強引に顎を持ち上げられ、唇を寄せて来る太一にゾっとしたは、思い切り太一の足を蹴とばした。
「いってーな。暴れんなって。いいだろ?キスくらい」
「や…やっ」
太一はまたしても唇を近づけて来る。すでに全身の力が抜けそうなほど体はおかしい。
顔を背ける事すら辛くて、額に汗が浮かぶ。
「やめ…て…」
そう言ったつもりだった。
だが次の瞬間、太一の寄せて来た唇から、熱い何かがの口の中へとなだれ込んで来るのを感じた。
「う…」
その時、太一が小さく呻いた声がした。
同時にそれまで鉛のように重たかった頭が急激に軽くスッキリとしていく。
(な…にこれ…)
太一の口から洩れているオレンジ色のオーラのようなものを、自分が吸い取っていると気づいたは急に我に返った。
その時、バンっと勢いよく玄関のドアが開き、
「ストーップ!!」
「―――ッ?」
突然、見知らぬ男が現れたかと思った瞬間、凄い力で太一をから引きはがした。
太一は玄関の外へ放り出され、糸の切れた人形のように崩れ落ちるのを、は唖然とした顔で見つめていた。
「オイ、硝子。こっちの男、診てやって」
「りょーかい」
いきなり現れた白髪の男は誰かを呼んだ後で徐に玄関のドアを閉める。
は自分に何が起きたのかも、目の前の人物が誰なのかも分からず、ただ驚きで固まっていた。
「…オマエ、覚醒すんの16からじゃねーのかよ」
「な…何ですか…アナタ、誰…?」
かなりの長身、白髪、そして真っ黒いサングラス。
その男の風貌に心当たりはない。身に着けている制服のような黒い服も見た事がない。
怖くて逃げだしたいのに、玄関のドアの前に男がいるので逃げ出す事すら出来なかった。
「俺は五条悟。御三家五条家の人間。聞いてない?」
「…は?ご…御三家とか…五条なんて…知りません…っ」
いきなり名乗られてもはそんな名前に心当たりもなければ聞いた事すらない。
この男は何しにここへ来たんだろう、と思っていると、五条と名乗った男は深い溜息をついて項垂れた。
「やっぱ聞いてねーか…」
「な…何を…ですか?」
「ま、いーや。俺と一緒に来て」
「は…?ど、どこへ―――」
「俺んち。あ、オマエに拒否権はないから。そういう制約と誓約結んでんだし」
「せ、せーやくと…せーやくって何言って…ちょ、ちょっと…!」
いきなり現れ、訳の分からない事を言われたはすでに混乱していた。
考える時間さえ与えず、五条という男はの腕を強引に引っ張り、家の外へ足早に出る。
「ソイツ、生きてる?」
「うん。まー半分吸われたっぽいけど死んではない。どーする?この子」
「あー。いっちょ前に盛ったお仕置きとして適当にマンションの外に放り出しといてよ、傑」
「私か…」
がハッと反対側の廊下を見ると、またしても背の高い男が現れた。
黒髪を後ろで一つに縛り、前髪を少し垂らしている傑と呼ばれた男は意識を失っている太一を軽々と抱えている。
「あ、あの…アナタ達は…誰ですか…?何で私の家に?」
「何よ、五条。まだ話してないの?」
そこで口を挟んで来たのは綺麗な顔立ちの少し勝気そうな女の子だった。
よくよく見ればデザインは違えど皆、同じボタンをつけているようで、やはりどこかの学校の制服らしいと分かる。
は三人を交互に見たが、やはり誰一人として知らない。
なのに何故家に突然現れ、連れ去ろうとしているのか。
見た感じ高校生くらいだが、中学生の自分に何の用があるというのだろう。
それに…さっき自分に起こった事は何だったのか。
は傑と呼ばれた男に抱えられグッタリとしている太一を見た。
(あれは…私がやったの…?さっきのは何だったの…?)
訳が分からない。
そう、分からないのに、先ほどまで不調だった体が、今はだいぶスッキリしている事には気づいていた。
「んじゃー行こうか、ちゃん」
「…っ?私の…名前…」
「そりゃ知ってるよ。君は俺の―――」
「悟!早く行くぞ!天狗にバレたらまずい」
「へーへー。つーか、天狗が現れたら粛清すんだよ」
(天狗…?何言ってるの、この人達…)
全く意味が分からない状態ではマンションの外まで連れ出されてしまった。
そこへ黒塗りの車が一台、近づいて来るとたちの目の前で静かに停車した。
(これ…リムジン…ってやつ?こんな長い車、テレビでしか見た事がない…)
唖然としていると、リムジンを見た五条が軽く舌打ちをしたのが聞こえた。
「たーけながー。何でオマエが来てんの?」
リムジンから下りて来た黒スーツの男に向かって、五条が不満そうに唇を尖らせている。
武長と呼ばれた男は軽く会釈すると、
「旦那さまが悟さまと鬼姫さまを迎えに行くように、と」
「…チッ。あのクソオヤジ。俺も信用ねぇな…」
「夏油さまと家入さまもご一緒に、と申されてます」
「あーっそ。おい、傑、硝子。先に乗ってて」
五条が声をかけると、硝子と呼ばれた少女は「やったー!五条家のリムジン初乗り」と喜んでいる。
そして武長がドアを開けると「ありがと、武長さん。相変わらず男前♡」とニコニコしながら車へ乗り込んだ。
その間も武長という男は表情一つ変えず、会釈をするだけだ。
白髪の合間から覗く切れ長の鋭い瞳と通った鼻筋、冷たそうに結ばれた薄い唇は、どこか冷たい印象を与えるが、確かに美形だとは思った。
そこに傑と呼ばれていた男が歩いて来た。見れば抱えていた太一がいない。
五条が言ったようにマンションの裏手に放り出して来たようだ。
「悟。あの子の記憶、消さなくていいの?」
「あー。コイツ、その力、使えんのかな」
五条はガシガシ頭を掻きながら、目の前のを見下ろす。
「オマエ、アイツの記憶、消せる?ってか覚えてる?やり方」
「…は?き、記憶を消すなんて…出来るわけ―――」
「やっぱダメか。武長~。やっといてー」
「畏まりました」
武長と呼ばれた男はすぐに夏油の案内でマンションの裏手に歩いて行く。
は唖然としたままそれを見ていたが、いきなり腕を引かれ、車に押し込まれそうになったところで慌てて足に力を入れた。
「ちょ、何するんですか!」
「あ?さっき言ったろ。オマエを俺んちに連れてくんだよ。暴れんなっ」
「や、やだ…!誘拐…人さらい…っ」
「はあ?んなわけねーだろ!いいから早く乗れって」
「やだってば!放して…!」
突然家に押し入って来て、かつ車で連れ去られそうになっているこの状況が、にはワケが分からなかった。
昨日までは普通に静かに暮らしていたはずなのに、何故こんな状況になっているのか。
―――そこへ夏油と武長が戻って来た。
「悟さま、僕が変わりましょうか?」
ひとしきり暴れているを見て武長が歩いて来る。
それを見たは本気で誘拐されると恐怖を感じた。
(どうしよう…この人達何なの?本当に人さらい?でも何で私みたいな子をさらうの?)
武長に腕を掴まれ、が思い切り叫ぼうとした時だった。
「―――何してる!」
鋭い声が飛び、その場にいた全員が声のした方へ振り返る。
そこにはの兄、天夜が驚愕の表情で立っていた。

「お兄ちゃんをどうしたの?!」
無理やりリムジンに乗せられ、は置いて来た兄の事が心配なのか、窓に張り付いて外を見ている。その様子を見ながら、五条、夏油、家入の三人は互いに顔を見合わせた。
「ほんとに記憶がないのね、この子」
「そうみたいだな…実の兄だと思い込んでるのか」
「ったく…めんどくせぇ」
「何よ…!どういう意味…?」
三人の会話は耳に入って来たが内容が頭に入って来ない。
すでに混乱など通り越していた。
先ほど兄が帰って来てくれたまではいいが、武長が「僕に任せて皆さまは車に乗って下さい」と言い、も無理やり乗せられてしまったのだ。
天夜が追いかけようとしたのを、武長が阻止するところまでは見えたが、その後の事が心配だった。
「お兄ちゃんのところへ帰して…」
遂に泣き出してしまったを見て、三人は困った様子で溜息をつく。
「五条…早く説明してやりなよ…可哀想だよ」
「そうだぞ、悟。女の子が泣いてる姿は見ていたくないな」
「チッ…別に今説明しなくたって16になって力が芽生えたら嫌でも思い出すんだよ」
そう言いながら五条はシートに凭れ掛かると、隣で嗚咽を上げてるを横目に再び溜息をつく。
「そもそもさっきのガキ殺そうとしといて、よく泣いてられるな。俺が来なきゃオマエ、制約違反になるとこだぞ」
「こ…殺そうとなんてしてない…!さっきからアンタ達が何言ってるかも分からないよ…っ」
「はあ…ダメだ…。俺パス!泣いてるガキ苦手」
五条はそう言うや否や向かい側の家入の隣へ移動してしまった。
それには家入も冷たい視線を向ける。その目は暗に"クズ"と言っていた。
「でも噂通りめちゃくちゃ綺麗な子じゃない。瞳は黒いけど」
「それも力に目覚めたら容姿は変わんだよ」
「じゃあアンタと同じになんの?」
「多分な…。俺だって実際に鬼姫は見た事ねーし」
「でも数百年に一人しか生まれない姫が生まれたんだから良かったじゃない。アンタにもパートナーが出来て」
家入は楽しげな笑みを浮かべながら、未だ泣いているを見た。
するとさすがにいたたまれなくなったのか、夏油がの隣に移動し「そんなに泣かないで」と慰め始めた。
「ち、近寄らないで…誘拐犯…っ」
「いや、誘拐したわけじゃ…。君は五条家と約束をしたんだよ。遥か500年も前に」
「……は?」
「まあその辺は五条家にいけば分かるさ。でも悪い事にはならないから安心して欲しい。君のお兄さんも無事だと思うから」
「…ほんと?お兄ちゃん無事なの…?」
「ああ。大丈夫。だから泣かないで。ね?」
夏油は優しく微笑みかけながら、の頭を撫でている。
それを見ていた家入は隣にいる五条を横目で見ると「アンタとは大違いね」と鼻で笑った。
「けっ。俺はガキの扱い専門外なんで」
「え、でも一つしか違わないんでしょ?」
「中学生はガキだろが。いーから黙ってろ」
五条は疲れた、とボヤきつつサングラスを直すと、そのまま目を瞑ってしまった。
それはこれ以上話したくないという意思表示であり、家入も溜息交じりで「はいはい」と肩を竦める。
話に聞いただけで鬼という存在には遭遇した事がなく、興味があった家入はミーハー気分で誘いに乗ったのだが、肝心の鬼が目覚めていなかった。
となれば何故自分がこんな状況になっているか分からないのは当然の事だろう、と内心に同情していた。
それも相手がこのスーパー自己中唯我独尊男の五条悟とは、この鬼姫さまもついてない。
家入は呆れたように寝に入った五条を睨みつつ、未だに必死で慰めている夏油を見ては苦笑いを浮かべた。

数時間後、の姿は五条家の離れの一室にあった。
何もかも和で整えられたその空間は、すでにが住むためのものとして用意されており、ベッドや勉強机、押し入れはクローゼット風にリノベーションを施されて中には衣類などが沢山入っている。
部屋の奥には高級そうな桐ダンスがドンと置かれ、中には色とりどりの着物がしまってあった。
も先ほど五条家の使用人頭だという女性に、無理やり和服へ着替えさせられた。
本格的な着物ではなく、が着せられたのは浴衣だったのだが―――。
てっきり誘拐されたのだと思っていたら、これまで見た事もないようなお屋敷に連れて来られ、なおかつこの家の当主だと名乗る男性に会った。
そこで聞かされた話は、にとって寝耳に水。
いや、かなりファンタジーに近い嘘のような話だった。
「君はもうすぐ鬼姫として目覚める。今はその初期段階。だからまた体調が悪くなるかもしれないが、その時は言ってくれ。悟から生気を与えさせよう。そして完全に目覚めたその時は五条家の為、そして君の一族の為に力を貸して欲しい」
説明はされたのだが、何に力を貸せばいいのか未だあまり分かっていない。
エナジーがどうとか言われてもいまいちピンと来ないのだ。
だが五条悟から「オマエがさっき吸ってたもんだよ」と言われてドキリとした。
転校先のクラスメート遊部太一に無理やりキスをされそうになり、抵抗していた際に起きた異変。
あれは何だったんだろうと思っていたが、あれが"人間を喰う"という行為らしい。
最初は何を言ってるんだ、とか、この父子は頭がイカレてるのではとも思ったが、確かにあれほど体調が優れなかったのに、あの事があってから嘘のように体が楽になった。
あれがなければ到底信じられなかったが、まさか自分が―――。
「…鬼の…姫…」
ふと目の前の姿見に映る自分の顔を見ながら、は不思議な気持ちになった。
頭では否定してるのに、本能のようなものがそう呼ばれる事を懐かしく感じている。
そしてがもう一つ驚いたのは、兄だと思っていた天夜が実は鬼姫に代々使える天狗だという。これが今日一で驚いた話だった。
「天狗なんて…そんな都市伝説みたいな存在がいるなんて…嘘みたい…」
天夜は武長に捕らえられ、この五条家のどこかに監禁されているという。
約束を破り鬼姫を隠した罪は重いと当主の男が話していた。
本来なら制約通りに粛清されるのだが、情けとしてが目覚めるまでは生かしてやると言われた。殺さないでと必死に頼んではみたが、あまりいい返事は期待できない。
とりあえず天夜がいればは逃げないと約束をしたので、今ここに軟禁されているも同然だった。
「お兄ちゃん…」
そう呟いた時、誰かが歩いて来る足音がして、はふと顔を上げた。
襖が勢いよく開いた音で振り向けば、そこから五条家の次期当主と言われていた五条悟が入って来る。最初にの家に来た白髪の男だ。
16歳という話だったが、すでに大人の平均身長を軽く超えている。
「よお、少しは落ち着いた?んで理解はしたのかよ」
五条は勝手に入って来るなり、の前にどかりと座った。
「……さっきの話が本当なら」
「は?まーだ疑ってんの?」
「だって…」
「まあ…本来ならオマエの母親が物心がついた時に簡単には話すらしいけど、オマエを生んですぐ粛清されたからな」
「……それってお母さんを殺したって事ですよね…お父さんも?」
「もちろんオマエの父親の天狗も同じく粛清された。そういう約束だからな」
「………」
「おい…また泣くなよ?」
「…泣きません。両親の記憶は一つもないし…顔も知りません」
「ふーん…」
プイっと顔を反らすに、五条は僅かに目を細めたが、そのサングラスを外すと「おい」と声をかけた。
「何です…か…」
ムっとしたように振り返ったは、五条の瞳を見て小さく息を呑んだ。
まるで宝石のような輝きを放ち、南国の海のように澄んでいる瞳は、吸い込まれてしまいそうなほどに綺麗だと思う。
初めて全貌が見えた五条の端正な顔立ちに、年頃の女の子らしくの頬がほんのり赤く染まる。
「オマエも目覚めたら俺と同じ瞳に変わる」
「…え?」
「そもそも先祖達が続けて来た制約だけど、こうして現在にまでその効果が出るんだよ。俺とオマエの責任は重大だな」
「…私と…アナタ…?」
「悟」
「え?」
「アナタじゃなくて俺は五条悟だ。名前で呼べよ、」
いきなり呼び捨てにされ、ドキっとした。
兄以外の、それも同じ年ごろの男の子に下の名前で呼ばれたのは初めてだ。
「さと…る?」
「これから長い付き合いになるんだ。仲良くやろうぜ」
五条はニヤリとしながらも「ま、ガキんちょに興味ねーけど」と意地の悪い言葉を付け加える。
「ひ、一つしか違わないじゃない…」
「その一つがデカいんだよ。中学生」
「……偉そうに」
「あ?実際に偉いからな、俺は」
どこが?と言うようにが目を細める。
確かに五条家の時期当主なのだろうが、今は若干16歳の高校生だろう、と言いたくなった。
五条はの顔を見てぷっと吹き出すと「ま、そのうち分かるよ」とだけ言って意味深な笑みを浮かべる。
「16歳を迎えて鬼に目覚めたら…、オマエは俺のパートナーになる」
この家の当主も同じ事を言っていた。
鬼姫と五条家の当主は強い繋がりを持つことになると。
は生きる為、五条は真の力を手にする為、力を与えあう、パートナーに。
「…生気交換の儀って…具体的には何をするんですか…?」
話は聞いたものの、そこは教えて貰っていない。
何をどうすれば互いにそんなものを分け与えられるのか想像もつかないのだ。
の問いに、五条は訝しげに眉を寄せたが、すぐに笑みを浮かべた。
「さっきオマエがやってたろ」
「…え?」
ふと顔を上げると、芸術的な造形美の如く整った五条の顔が目の前にあった。
「な…」
「さっきは外から六眼で"視"てたけど…あれじゃ生気が漏れちまうから…」
と言った五条は僅かに顔を傾けると己の唇をゆっくりとの唇へ近づけた。
「口移しするんだよ」
「…は?」
「接吻で行うべしって書いてある誓約書、ちゃんと読んだ?ちゃん♡」
「せ…接吻…っ?」
その言葉に、の顏が真っ赤に染まった。
五条先生の新連載スタートです。
説明でも書きましたが今度は和の方の鬼をヒロインに書きたくなりました👹
設定を読んで下さった方は分かると思いますが、結構アレコレ混ぜ合わせた創作となりますので、都合の良い箇所も多々あると思います笑
話の流れ上、六眼設定や五条家登場など微妙に原作と違う箇所もありますが、他の関係性などは一切変わりません。特に気にならないという方は楽しんで頂ければ幸いです♡
説明でも書きましたが今度は和の方の鬼をヒロインに書きたくなりました👹
設定を読んで下さった方は分かると思いますが、結構アレコレ混ぜ合わせた創作となりますので、都合の良い箇所も多々あると思います笑
話の流れ上、六眼設定や五条家登場など微妙に原作と違う箇所もありますが、他の関係性などは一切変わりません。特に気にならないという方は楽しんで頂ければ幸いです♡