四.青い火の玉

"じゃあ、一週間後の夕方五時に迎えにくっから、は出かける用意しとけよ"

五条と花火大会の約束をしてから一週間後の土曜日。
待ちわびたその日、は前の晩からソワソワしていたせいか、朝はいつもより早く目が覚めてしまった。
カーテンの隙間から日の光が差し込んでいるのを見て布団から起き上がったは、思い切り両腕を伸ばす。
布団の脇には夕べ遅くまで見ていた雑誌が開いたまま置かれていて、そこには夏の花火大会特集の記事が載っていた。
この時期は色んな場所で花火大会が開催されるようで、それを見ているだけでもはワクワクした。

「良かった…。今日も天気良さそう」

カーテンを開け放ち、雲一つない青空を見上げると、はホっとしたように息を吐き出す。
外の空気を吸いたくて窓を開ければ、すぐそばでは短い命を燃やすように蝉達が一斉に鳴きだして、今日も暑くなりそうだなとは思った。
そこへ「さま」という彩乃の声が聞こえて来た。

「あ、彩乃さん、どうぞ」

朝の支度を手伝いに来た彩乃は、の言葉を合図に静かに襖を開けて中へ入って来た。
いつもの紺生地で地味な着物ではなく、今日は藤色の綺麗な着物を着ている。

「おはよう御座います。さま」
「おはよう、彩乃さん。今日はお出かけするの?」
「え?」
「いつもと着物が違うから」
「ああ、いえ。だいぶ暑くなって来たので使用人も薄物に変わったんですよ」
「うすものって…?」
「夏の着物という意味です。夏の着物はしゃといって、どちらも盛夏せいかに着ることのできる薄手の織物なんです。その薄さと軽さから"薄物"とも呼ばれています」

彩乃はにも分かるよう丁寧に説明してくれた。
絽と紗はからみ織やもじり織という技法で織られており、生地の目が大きく開いていることから、通気性がよくて涼しいのが特徴だ。

「へえ、そうなのね。ホントだ…。生地が薄くて軽そう」
「これでだいぶ涼しく感じるんです。さま、着物に興味が?」
「うーん、前は全然だったけど、ここに来てからずっと浴衣着せられてるし、何となく興味が湧いてきて。小物とかも可愛いし」
「そうですか。では今度、私が着付けを教えて差し上げます」
「ほんと?ありがとう」
「いえ、これくらいお安い御用です。あ、では朝の支度をしましょうね」

彩乃は嬉しそうに微笑むと、まずは寝室の布団を片付け始めた。
その間には洗面所へ向かい、歯を磨き顔を洗う。
終えて部屋に戻ると、彩乃が今日の浴衣の用意をして待っていた。
すっかり片付けられた部屋を見て、相変わらず仕事が早いなとは感心した。

「今夜は悟さまと花火大会に行かれるんですよね?」
「うん。ご当主さまの許可も下りたから」
「良かったですね。天夜さんも結局、悟さまの意向を当主様が聞き入れたとか。これは凄い事です」

に浴衣を着せながら、彩乃がますます嬉しそうな笑顔を見せた。
一週間前、天夜のことでがゴネたことで、五条は当主である父親に上手く話を付けてくれたらしい。
結果、天夜は五条家に仕えることになり、今は武長の元で番人としての仕事を学んでいると聞いていた。
しかし助ける代わりに鬼女と番いになることを条件に出され、その相手がこの彩乃だったのだ。

「番いってよく分かんないけど…お兄ちゃんの相手が彩乃さんで良かった」
「それは光栄です」
「あ…で、でも彩乃さんはホントにお兄ちゃんが相手で良かったの…?他に好きな人とか…」

政略結婚みたいな形だということに気づき、は慌てて尋ねた。
だが彩乃は「とんでもない」と笑って首を振っている。

「このまま行かず後家にならずに済みましたし、天夜さんは素敵な方ですので、私はむしろ嬉しかったくらいです」

柔らかく微笑む彩乃の頬が僅かに赤く染まったのを見て、はそれが彼女の本心なのだと気づいた。
こんなに綺麗なのに相手がいないことに不思議だったが、やはり鬼女は天狗と結ばれるのが一番いいらしい。
それに本能で惹かれ合うようで、彩乃と天夜は一目見て互いに気に入ったという。

「本来、鬼女と天狗は古の時代より寄り添って来ましたので、互いの遺伝子が惹かれ合うように出来ているのかもしれません」
「そうなんだ…。何かロマンティック」
「まあ。今時の女の子らしい感想ですね」

彩乃は照れたように笑いながら最後の帯をキュッと結んだ。
今日はリボンではなく文庫リボン返しといった結び方で、最後に余った"たれ"をリボンの上から覆うようにして垂らしている。

「わあ、可愛い」
「花火大会に行くならお洒落しないと。悟さまもお喜びになりますよ」
「え…別に悟の為にお洒落なんかしなくていいし…」
「あら、さまは悟さまがお嫌いですか?」
「…嫌いっていうか…いちいちムカつくこと言って来るから…」

不意にふくれっ面になるを見て、彩乃は一瞬目を丸くした後、小さく吹き出した。

「確かに悟さまは気性の激しいところもあります。生まれながらにして、すでに呪術界を背負う存在になられて大事に育てられたようですしね」
「…ただの甘やかされた坊ちゃんね」
「でも呪術師としての実力は誰よりも上です」
「実力…?」
「間違いなくこの先の世界に必要な方となります。さまがパートナーであれば今より更に強い力に目覚め、最強となられるでしょうね」

彩乃は言いながらも、の髪を浴衣に合うよう高い位置で縛るとヘアアレンジを施してセットしてくれた。

「はい、出来ました」
「あ…ありがとう…。最強って…悟はそんなに強いんだ」
「もちろんお強いですよ。今後の五条家も悟さま次第ですので、さまも悟さまとは良い関係を築いて下さいね。それが鬼族の為にも繋がります」
「…鬼族の為」

そう言われても、いまいちピンと来ない。
鬼姫が生まれれば必ず鬼族の長となり、一族を守らねばならない。
そう聞かされたものの、何からどう守ればいいのか、今のには分からなかった。
彩乃はの気持ちを察したのか「鬼として目覚めれば全て理解できるようになりますよ」と微笑んだ。

「それまでは一時、今を楽しんで下さい」

それまでは――。
では鬼として目覚めれば、"今の自分"は消えてしまうんだろうか。
この気持ちも、感情も、として暮らした全ての日々が、なかったものになるんだろうか。鬼姫とはすなわち、先祖である呉羽の血を最も色濃く宿した存在。
言ってみれば呉羽のクローンのようなものだと聞かされた。
力も、記憶も、それは受け継がれていく。
臓器移植をされた者が、まれに臓器提供者の生前の記憶や好みまで引き継ぐことがあるように、その肉体や血からも先祖の力が受け継がれ、また先の未来に託される。

それなら今の私はいったい何者なんだろう―――。

にはよく分からなくなった。







「うわぁ…」

ドーン、ドーンと大きな音が響く中、夜を飾る火花が遥か頭上で鮮やかに散って行く。
は瞳いっぱいにそれを映しながら感動するように小さな声を漏らした。
生まれて初めて見た花火は、想像以上に綺麗で、儚い光を降り注ぐその光景に、は夢中になっていた。

「へぇ、意外に人も出てる大きな花火大会じゃない」
「あ?意外って何だよ。花火大会と言やぁ、俺的にはガキの頃から、ここなんだよ」
「何か五条が花火大会とか似合わないけどねー」

家入は五条を見上げながら楽しげに笑っている。
花火に似合う似合わないなんてあんのかよ、と五条も言い返しつつ、後ろで夜空を見上げてるの方へ振り返った。

、嬉しそうだな」
「あ?」

ふと隣で同じく花火を見上げていた夏油も、後ろを振り返りながら微笑む。
一週間前、の願いを聞き入れるよう五条に進言して良かったな、と夏油は思った。
聞けばは花火大会というものに一度も行ったことがないと言う。
今も次々に打ちあがる赤光しゃっこうに瞳を輝かせている。

「花火大会、初めてとか、どんなけ陰気な生活してきたんだ」
「そりゃ先日まで五条家から逃げてたんだ。あの天夜とかいう天狗も人が多い場所には近づかなかっただろうし彼女も連れて行けなかっただろう」

呆れたように呟く五条に、夏油も苦笑いを浮かべた。
近所の花火大会とは言え、人出はそれなりに多く、出店もある通りは人が溢れかえっている。
五条達は五条家が確保してある高台で花火を見ていたが、出店はちょうどそこから下りて行った場所の細道にずらりと出ていた。

「おい、何か買いに行こうぜ。俺、腹減ったわ」
「そう言えば任務から戻って直行だったし何も食べてなかったな」
「はーい!私、たこ焼きと焼きそばー!」
「…定番中の定番だな、硝子」
「いいじゃない。ソースの匂いがさっきから食欲を刺激してくるのよ」

家入は下に見える出店を指しながら口を尖らせた。
こういった催しや祭りの際の出店は見た目より味が大したことはないのに、つい食べたくなってしまう不思議現象はいったい何なんだろうと思いつつ、五条は未だ花火を見上げているへ声をかけた。

「おい、。オマエは何食いたいんだよ」
「…え?」
「腹減ったろ。出店で喰いもん買ってくっから何が食べたいか言え」

五条に言われて並んでいる出店を見る。
当然、出店などもは初めてで再び瞳を輝かせた。

「一緒に行ってもいい?」
「あ?」
「出店、初めてだから見て歩きたい」
「はぁ~?」

五条は徐に目を細めて口を大きく開けた。いかにも面倒といった顔だ。
だが夏油が「いいじゃないか。付き合ってやれよ、悟」と言って来た。
ついでに家入までが「そーよ。ちょっと出店回ってあげればいいでしょ」と言い出す始末。

「ったく…オマエら、コイツに甘くねえ?」
「だって可哀そうじゃない。年頃なのに花火大会も来たことないなんて」
「じゃあ硝子が付き合ってやりゃいーじゃん」
「それでもいいけど、彼女のパートナーはアンタでしょ、五条。コミュニケーションの一環ならアンタが行くべきじゃない?」
「………ああ言えばこう言う」

五条はブツブツ言いながら後ろで待っていたに手招きをした。

「一周してくるだけだぞ」
「…うん!」

は嬉しそうに頷くと、五条に続いて転ばないよう今度は慎重に階段を下りて行く。
この前の二の舞にならないよう、五条は術式を使いながら後ろのが下りる様子を伺っていた。

「大丈夫か?」
「う、うん…」

浴衣の裾を少し持ち上げながらおっかなびっくり下りていただったが、今度は足を踏み外すことなく無事に下まで辿り着く。
ホっとした様子のに、五条は苦笑交じりで「だいぶ下駄にも慣れて来たじゃん」と足元を指さした。

「五条家に来てからずっと履いてるから…」
「別に合わせて和服を着る必要はねーんだぞ?高専の寮に入るまで俺もあの家に住んでたけど、だいたいTシャツにスウェットだったしな」
「うん…でも慣れるまでは。自分で着れるようになったら洋服でもいいって言われたし」
「あーなるほどね。ああ、で?オマエは何が食いたいんだよ」

出店の前まで来たところで、五条がもう一度に尋ねた。
はズラリと並んでいる出店を見ながら、その大きな瞳をキラキラと輝かせている。

「何か目移りしちゃう」
「ま、ゆっくり考えてろ。俺は硝子と傑に頼まれたもん買ってくっから」

五条はそう言ってまずはたこ焼きと焼きそばを調達しに行った。
残されたはあちこちからいい匂いがして来るので、キョロキョロしながら人混みを避けて店を眺めて行く。
その間も「お嬢ちゃん、ウチのお好み焼きどうだい?」や「ウチのイカ焼き美味いよぉ~」などとテキ屋の人から声をかけられる。
だが自身はお金を持っていないので笑って誤魔化して、また次の店へと移動していった。

「あ…悟はどこだっけ」

この人混みでは僅かに目を離せば見失ってしまう。しかし五条は人より頭ひとつ分大きい。
すぐに先の出店前で白い頭を見つけて、こういう時は便利だな、と思いながらは五条の方へ歩いて行った。
だが五条はひとりではなかった。と同じような浴衣姿の女の子数人に何やら話しかけられている。

「何あれ…逆ナン?」

でも一応そういう言葉は知っている。雑誌やドラマなどで覚えた言葉だが、実際に見るのは初めてだった。
五条は女の子達から「ひとりなら一緒にどうですか」などと言葉をかけられているようだ。

(へえ…悟ってばモテるんだ…。でもまあ…黙っていれば確かにすんごいイケメンだもんね…黙ってればね)

大事なことは二回言う、ではないが、そんな言葉を付けたしながらは事の成り行きを見守っていた。
すると不意に五条と目が合い、ドキっとする。

「俺が花火大会、ひとりで来るように見える?」

五条はそう言いながらの方へ歩いて来ると、コツンと軽く額をノックするように拳を当ててきた。

「ダメだろ?ひとりでウロウロしちゃ」
「………ッ?」

サングラスをズラしているせいで見えている澄んだ碧が優しい光を帯びて見下ろしてくる。
その甘い表情に、は不覚にも鼓動が鳴ってしまった。

「あ…彼女さん一緒だったんですね。ごめんなさい」
「いえいえー」
「こんな綺麗な彼女さんいたんじゃ、そりゃそーよね。行こ。――失礼しました~」

女の子たちは慌てたように頭を下げると、足早にどこかへ行ってしまった。
それを見送りつつ、今の言葉の意味を理解したは「え、ちょ、彼女じゃない―――」と言いかけたが、すでに女の子達は見えなくなってしまった。
変な誤解をされたままのとしては何とも気持ち悪さが残る。
五条はニヤニヤしながらの顔を覗きこむと、

「いや~助かったわぁ、がいてくれて」
「な…何よ、さっきの!わざとでしょっ」
「だって、ああしないとしつこそうだったし」
「……人をダシに使って。いっつもガキだってバカにしてるクセにいいわけ?私が彼女だって誤解されて」
「今夜のは大人っぽいし、その浴衣も似合ってて可愛いじゃん。まあ中3には見えねーな」
「…え」
「ほら、後はオマエの欲しいもんだけだぞ。何がいいんだよ」

五条はの頭をぐりぐりした後、サッサと歩いて行く。
それを見たも慌てて追いかけた。
だがさっきの言葉にドキドキして、少しだけ頬が熱い。
ちょっと誉められただけなのに、ときめいてしまった私はなんてちょろい女なんだろうと自分で呆れる。

「で、決まった?」
「え?あ…えっと…」

本来の目的を思い出し、は近くの出店を見渡した。
その時、子供の頃、テレビで見たことのあるものが目に入り、とある店の前で足を止める。
五条は暖簾に書かれている商品名を見て、呆れたような声を出した。

「は?りんご飴…?」
「う、うん…。前にテレビで見て食べてみたいって思ったの」
「ってオヤツじゃん、これ。腹減ってねーの」
「へ、減ってるけど…これも食べたい…」

が哀願するように五条を見上げると、その碧眼が僅かに細められたものの、すぐに溜息をつきながら「仕方ねーなぁ…」と項垂れた。

「んじゃーオジサーン。りんご飴ひとつちょーだい」
「あいよー」

五条は呆れたような顔をしつつも、の欲しがったりんご飴をテキ屋の主から受け取ると、それをへ差し出した。

「ありがとう…」
「そんな嬉しいか?」

瞳を輝かせながらりんご飴を見ているに、五条が苦笑いを浮かべる。
しかしは「食べるのもったいないくらい綺麗…」と感激した様子だ。
暫く眺めていたは艶々したりんご飴の匂いを嗅いだり、一口舐めたりして「美味しい!」と喜んでいる。
その姿を見ていた五条はふっと笑みを浮かべると、自分の手にある物を思い出し、再びへ声をかけた。

「あーコレ、アイツらに渡してくっけど、オマエまだ出店見てーの?」
「うん。金魚すくいとかあったし」
「はあ?すくうな、そんなもん。つーか、オマエここで待っとけ。俺が戻ってくるまで動くなよ?」
「分かった」

の下駄で今の道のりを往復させるのはさすがに大変だろう。
そう思った五条は先に家入と夏油に頼まれた食べ物を渡しに、一度二人のところへ戻った。
それを見送っていたはりんご飴を舐めながら近くの出店に視線を向ける。
第一部の花火は終了したのか、いつの間にか音がしなくなっていた。
五条の話では第二部が九時から始まるとのことだ。
次の花火が打ちあがるまで色々な出店を見て回りたいと思いながら、はふと目についた出店の前へ歩いて行った。
そこは様々なお面が売られている店で、今テレビで人気のキャラクターや、昔ながらのオカメやひょっとこ等も置いてある。

「おー可愛いお嬢さん。どんなキャラクターが好き?」

声をかけて来たのはお面屋の店主で、顏にはひょっっとこの面を付けている。
声の感じからして30代くらいだろうか。
は目についた人気アニメのキャラクターを手に取り、自分の顏に当ててみた。

「あはは。お嬢ちゃん、顏が小さいから全部隠れちゃうねー。それがいいの?」
「うーん…猫のも可愛い」
「お嬢ちゃん、猫好きなの」
「うん。でも犬も好き。モコモコしてるのは全部好きかも」
「なるほど、哺乳類が好きなんだねー。ウチは動物も色々置いてるよ。他にも定番のからアニメキャラ、昔ながらの妖怪、動物とかね」

店主は後ろに置いてあった箱からもいくつかお面を出して来た。

「うわーたくさんあるのね」
「店先に飾れないものも結構あってねー。ああ、これ天狗のお面とかもあるよ」
「……天狗…」

真っ赤な顔の鼻の長い顔をしたお面を見せられ、は少しだけドキっとした。
世間一般ではこの顔が天狗と認知されているのはでも知っている。
だが実際の天狗は見た目が人と変わらず、更に端正な顔立ちをしているのだ。
鼻もこんなに長くはない。
は真っ赤な長っ鼻のお面を見て、天夜を思い出すと吹き出しそうになった。

(これ、お兄ちゃんに買ってこうかなぁ。付けないと思うけど天狗が天狗のお面をかぶってるとこ見てみたい)

そんなふざけたことを考えていると、店主がもう一つ赤いお面を差し出した。

「あーそうそう。これ、お面の定番!鬼の面もあるよ」
「…え?」

鬼、という言葉に再び鼓動が跳ねたが、目の前に差し出された鬼の面も世間一般で言われているような、真っ赤な顔に角が二本あるものだった。
私はこんな真っ赤な顔はしてないし角だって生えてないのに、と思いながら、はその鬼の面を手に取った。
ついでに何となくそれを自分の顏に当ててみると、サイズは大きめなのか、またしても顔全体が隠れる。
それを店主が楽しげに笑った。

「やっぱり顔が隠れちゃうねー。それがいいの?」
「…ううん。鬼はいらない」
「そうだよねー。鬼が鬼の面を付けてたら―――隠す意味がない」
「…え?」

それまで明るい声で話していた店主の声が、一瞬で底冷えのするようなトーンに変わった。
しかも今、とてもおかしなことを言われた気がしたは、お面の目の穴から見えるひょっとこの顔をマジマジと見つめた。
ひょっとこの目の穴からは店主の目が真っすぐにを射抜いている。
周りは相変わらず見物客でごった返していて、色々な話し声が飛び交う中、の周りだけが異質な空間のようだ。
の記憶があるのは、ここまでだった。次に目覚めた時、は暗い神社の境内にいたのだ。

「目覚めたかい?可愛いお嬢ちゃん。いや、鬼姫さま、だったな?」
「……ア、アナタ…お面屋の…」

体をゆっくり起こし、声のした方へ振り返ると、すぐ隣に見知らぬ男が立っていた。
黒装束姿の男は髪が腰まであるが、声の感じは先ほどひょっとこのお面をかぶっていた店主と同じものだった。
男の後ろには数人、これまた黒装束を身につけた男達が立っていて、よく見ればのことを囲んでいるようだ。
そこでは初めて恐怖を感じた。

(ここはどこ…?悟たちは…)

辺りを見渡してみても人っ子ひとり歩いていない。
少し遠くからは見物客たちのはしゃぐような声が聞こえていることからして、花火大会の会場からそう遠くない場所にある神社だというのはにも分かった。
 
「参ったなぁ、もう気付いちゃったのか。鬼に薬物はあんま効かないみたいだな」
「な…何で…?オジサン…誰なの…?」
「オイオイ…オジサンはないだろ?俺はまだ28歳…って15歳のお嬢ちゃんからしたらオジサンか」

男は自嘲気味に笑いながら、の首へ手を伸ばしてくる。
それを反射的に振り払い、は立ち上がろうと足に力を入れた。だが何故か上手く動かない。

「あー無駄だよ。効き目は弱いみたいだけど、筋弛緩剤を打ったんだ。まだ動けないだろ」
「な…い、いつ…?」

自分の力で動けないという恐怖に声が震えた。
そもそもこの男達は何者なんだろう。が鬼だと知っているのも不思議だった。

「さっきお嬢ちゃんが付けた面にたーっぷり睡眠薬を塗っておいた。なかなか寝てくれないから焦ったよ」
「…え?」
「んで寝てるお嬢ちゃんに注射を打たせてもらった。逃げられたら困るしね」
「な…何で…?」
「…何で?」

男は不思議そうに首を傾げると、不意にニタリと笑った。

「そんなの殺す為に決まってるじゃない」
「……こ、殺す…?」
「鬼に目覚める前にお嬢ちゃんを殺さないと、あの憎たらしい六眼の小僧が今以上に力をつけることになる。それは俺達も困るんだよねぇ」
「……ッ?」
「さすがに六眼相手じゃ敵わないが、目覚める前の小娘くらいなら簡単に殺せる」

目の前の男は五条家の事情を良く知っているようだ。
まさかそんな理由で自分が狙われるなどとは思っていなかったは、男が本気なのだと理解した。そして五条が子供の頃から命を狙われて来たと話していたことを思い出す。

「ま…まさか…アナタ達…呪詛師…?」
「あれ、気づいちゃった?まあ気づいたところでね」

男は笑いながら肩を竦めると、その笑顔に似つかわしくない台詞をさらりと吐いた。

「ホントは寝てる間に首を斬り落とすつもりだったんだけど―――仕方ないからこのまま斬ってあげるよ」
「や…っ!」

の足を徐に掴み、自分の方へ引き寄せると、」男はどこから出したのか、長い刀を取り出した。
柄の部分には変わった装飾がされており、はそれをどこかで見たことがある気がした。

「知ってる?これはねえ、対鬼用の呪具なんだ。まあ目覚めてもない今のお嬢ちゃんなら普通の刀でも斬れるだろうけど念の為ね」
「…じゅ、呪具…」

そこで先日、武長が天夜に対して使用した武器のことを思い出した。
男の持っている刀とは少しデザインが違うものの、鬼や天狗の鋼の肉体を簡単に傷つけることの出来る呪具だと話していたのは覚えている。
この世にまだ数本あるとも聞いたが、この男が持っているのはそのうちの一本なのだろう。

「ア…アナタ…誰なの…?」
「これから死ぬお嬢ちゃんには関わりのないことさ」

男はニタニタと笑いながら刀を握ると、それを天高く振り上げた。

「動くなよ?動いて斬り損ねたら苦しいのはお嬢ちゃんだからね?」
「…や、やめて…!さ…悟―――!」

夜の闇に光る鈍色にびいろの刀を見上げながら、はその大きな瞳を見開いた―――。







30分前―――。


「ほらよ」

五条は家入と夏油が待つ高台まで戻ると、頼まれていたたこ焼きと焼きそば、お好み焼きなどを手渡した。

「お、さーんきゅー。ってかちゃんはどうしたのよ」
「悟、オマエ、彼女を置いて来たのか?」

家入と夏油はの姿が見えないことで、辺りをキョロキョロ見渡している。

「まだ出店見たいっつーから店前で待たせてる。先にオマエらの餌を持って来てやったんだよ」
「あーっそ。じゃあ早く戻ってあげなさいよ。あんな可愛い子ひとりにしておいたらナンパされちゃうじゃない」
「はあ?あんなガキ、ナンパするアホいねぇだろ」

五条は笑いながらも家入の食べているたこ焼きを一つ摘まんで、それを口の中へ放り込んだ。

「あ、ちょっと私のたこ焼き!」
「あ?いーだろ?ひとつくらい。買って来てやったんだから」
「おい、悟。いいから早くちゃんのところへ戻れ。ひとりじゃいくら何でも心配だろ」
「アイツは逃げねーし大丈夫だろ、少しくらい」
「いや、逃げる逃げないの話じゃなくて、オマエにしたら子供に見えても他の男からしたらちゃんは可愛い女の子なんだよ。硝子の言う通りナンパされる可能性は大いにある」
「チッ。傑まで何言ってんだ」

五条は呆れたように舌打ちをしたが、しかし確かに今日のはお洒落な浴衣を着て少し大人に見えるようなメイクまでしている。
彩乃が気を利かしたのだろうが、こういう場では祭り気分の男達が大勢いて、その中にはナンパ目当てに来ている奴らがいるということも五条は知っていた。

「わーかったよ…。ったく」

五条とて別にを放置しようと思っていたわけではない。
あの下駄では歩き回るのも辛いだろうと珍しく気遣っただけだ。

「行きゃーいいんだろ?」

二人の冷たい視線が痛くなり、五条は元来た道を戻って階段を下りて行く。
そこへ夏油と家入も追いかけて来た。

「次の花火までまだ時間あるし、私も出店見るー」
「私も同じく」
「あ?勝手にしろ」
「勝手にしますー」

二人は食べ歩きをしながら五条の後ろを歩いて行く。
五条は今度こそ自分の分の焼きそばを買おうと、がいた辺りまで歩いて来た。

「あれ…のヤツ、どこだ?」
「え、ここで待たせてたの?」

そこは先ほど五条がにりんご飴を買った店の前だった。

「ああ…りんご飴買ってやったから―――」
「へぇ~優しいじゃん」
「……ぐっ」

家入がニヤリとしながら五条を見上げて来る。
その顔が憎たらしいことこの上ないのだが、五条は言い返せば無駄にからかわれるだけだとスルーを決め込んだ。
それにがここにいないことも気になる。
さっきの様子じゃ勝手にひとりでどこかへ行くとは思えない。

「どーせその辺の店を見てんだろ」
「この人混みじゃ探すの大変じゃない。ケータイは?」
「まだ持たせてねえ」
「えぇー?だってあの子、お金も持ってないんでしょ?迷子になってたら可哀想じゃない」
「わーってるよ!」

辺りを見渡してもの姿が見えないことで、五条も少し苛立ったようにサングラスを外した。
六眼での微量な呪力を探してみるが、ここには一般人が大量にいる為、分かりにくい。

「クソ…鬼だったら妖力がハッキリしてるから一発なんだけどな…」

目覚める前の人間のでは薄すぎて残穢すら色んな人間のものと混ざっては見えにくい。
五条は仕方ないとばかりにアナログ方式で探すことにした。

「オジサーン、さっき俺がりんご飴買ったの覚えてる?」

五条はりんご飴の店まで戻ると、そこの店主に声をかけた。
店主は「ああ!さっきのイケメン彼氏か。もちろん覚えてるよ。目立つしね、君」と笑顔で答えた。

「彼女にもう一つ強請られたのかい?」
「いや、彼女じゃねーんだけどさ。俺と一緒にいた子がこの辺で待ってたはずなんだけどいないんだよね。オジサン、どこ行ったか知らね?」
「え?ああ、そういや少しの間立ってたなぁ。あれ?でも気づいたらいなくなってて…」

と店主は首を傾げながら、ふと目の前の出店を眺めながら「ああ」と言って手を打った。

「そうだ。あの子、確かそこのお面屋でお面を見てたよ」
「…お面屋?」

店主の指す方へ視線を向けてみれば、確かにりんご飴屋の斜め向かいに色々なお面を売ってる店が見える。
だがその店の前に当然はいない。そこにいれば、ここに来た時点で五条が気づくはずだ。

「その後は?」
「いや…お面屋にいたとこはチラっと見たんだけど、その後のことは分からないなあ…。こっちも客が来れば周りなんか見てないしねぇ」
「…そっか。分かった。さんきゅーオジサン」
「いやいや。彼女、早く見つかるといいね」

店主はそう言ってくれたが、五条は溜息交じりで辺りをもう一度見渡した。

「どうだった?五条」
「いや…そこのお面屋にいたとこまでは見たらしいけど、その後は見てねーって」
「こっちも奥の出店まで行ってみたけどいなかった。どこ行っちゃったんだろ…」
「チッ。動くなっつったのに…」

まさかいなくなるとは思わず、五条は軽く舌打ちをした。
そこへ別の場所を探していた夏油が戻って来た。

「こっちにもいなかった。今、私の呪霊を放って探させてる」
「マジ?助かる」

夏油の呪霊操術は戦闘だけでなく、簡単な見張りや探索なども出来るので、こういう人混みだと便利だ。
個人を特定して探すことは出来ないが、呪霊ならではの方法で夏油に分かるようになっている。

「で、何を対象に?」
「呪詛師」
「…傑もそう思うか?」

五条が僅かに目を細めると、夏油も静かに頷いた。
家入だけが「え、呪詛師ってマジ?」と驚いている。

が勝手にいなくなるとは思えねえ…。もしかしたら呪詛師に連れ去られたかも」
「な、何であの子が?人質?」
「いや…鬼姫になる前に殺そうとしてるのかもしれねえな…。そうなれば結果的に俺も力を得ることが出来なくなる…」
「あ、そっか…」
「とにかく探すぞ!まだこの辺にいるかもしれねえ。こんな人混みだ。ガキとは言え女の子ひとり連れ去るには目立ちすぎる」
「わ、分かった…」

五条は花火大会の会場付近にまで捜索の手を広げようとした、その時。
異様な力を感じ取り、ふと足を止めた。

「…何だ、この感じ…」
「ちょっと五条!どうしたの?」
「悟…?」

五条はその場から動こうとはせず、ある方角へその碧眼を向け、驚きの表情のまま固まっている。
それは神社のある方角だった。
五条はその方角へフラフラ歩いて行くと、神社に続く小道に赤くて丸い物が落ちているのを見つけた。

「これ…りんご飴…?」
「悟。それって―――」

と夏油が訊こうとした時、自分の放った呪霊の力が消えた。

「…っ。悟、私の呪霊が一体祓われた…」
「それは…どっちの方角だ?」

夏油が指さしたのは、たった今、五条が見ている方向だった。

「行くぞ…」

嫌な予感がして五条は一気に地面を蹴った。それに夏油も続く。
家入だけは「え、ちょっと!置いてかないでよ!」と慌てて二人の後を追いかけたが、やはり走る速さでは敵わない。
どんどん距離を離され、家入が二人に置いついたのは、目当ての神社についてからだった。

「はあ…つ、疲れた…ってか、ここにちゃんいるの…?」

と言いながら、前方で突っ立っている二人の方へ歩いていく。
そして家入もその場に立ち尽くすことになった。

「な…何よ、あれ……」

最初は花火大会の関係で松明でも焚いているのかと思った。
薄暗い神社には明かりひとつなかったからだ。
境内、さい銭箱のある辺りがぼんやりと光っていたのを見て、家入はてっきりそう思った。
しかし小さな違和感と共に、それが普通の炎ではないことに気づく。

「あ…青い炎…?」

それはふわふわと浮遊しながら、いくつも境内を飛んでいた。
こんな青い炎は家入も見た事がない。
その時、五条が一歩、前へ足を踏み出し、呟いた。

「鬼火だ…」
「え…?」
「これは……鬼姫が操る鬼火だ」
「え、鬼姫って、まさか…」

五条は何かに引き寄せられるように青い炎が飛び回る方へ歩いて行く。
夏油はそれを引き留めようとしたが、その手を払われ、仕方ないとばかりに五条の後ろから着いて行く。するとさい銭箱のある建物の裏手前に、何かが落ちているのが見えた。

「な…んだ、これは…人の…服…?」
「アイツ…ッ」

青い炎で照らされたソレは、まるで中身だけが消えたかのような形で落ちていた。
それも一着ではなく、三着ほど辺りに落ちている。

「何よ、コレ…気持ち悪い…。人が着てた形のままって―――」
「アイツだ…」
「え?」

五条が何かを呟いたことで顔を上げると、五条がもう一度、口を開いた。

が…人を喰った・・・

その一言で、夏油と家入は僅かに息を呑み、互いに顔を見合わせた。



近年の暑さでは薄物でも暑いよ…笑
浴衣も見た目は涼し気ですが、着てる本人はめちゃくちゃ暑いのよね💧


▽管理人にやる気エナジーをくれるという方は此方から笑🥰▽

🔥一言エナジー🔥

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