九.嵐の夜

五条の何倍もある巨大な呪霊は、激しい衝撃音の後に消滅し、これで今日の任務が終わった。
神奈川県、郊外の山中にある古ぼけた寺院。
すでに人はなく廃墟と化し、今では心霊スポットなどと呼ばれている。
どこかのテレビ局が心霊特集でこの寺院にまつわる奇怪を紹介してからは更に来観者が増え、寺院に対する恐怖心の吹き溜まりのようになっていた。
案の定、幽霊ならぬ呪霊が次々に生まれ、噂は更に信憑性を増して広まって行く。
悪循環とはよく言ったもので、その噂を聞きつけ来る人が後を絶たないことで、この場所は年に数回ほど、こうして呪術師が祓徐に来なければならない。
特にこの季節になると"心霊ツアー"だの"肝試し"だのという理由で普段以上に人の出入りが激しくなり、呪霊も増殖する一方なのだ。
おかげで呪霊の強さも格段に上がり、また数も増える。
今回は一級相当の呪霊が数体出現した為、五条と夏油が派遣されていた。

「ったく、ここどんどん酷くなってねえ?」
「仕方ないさ。テレビで放映されれば、どうしても全国に広まってしまうものだしね」

二手に分かれて祓っていたが、夏油の方も難なく終えて寺院前で五条と合流した。

「取り壊しちまえばいいんだよ、こういう場所は。害でしかねぇ」
「ここは今じゃ県が所有してるらしいけど、ここまで大きな建築物は壊すのも莫大な費用がかかるんだよ。簡単にはいかないさ」
「俺が"蒼"で吹っ飛ばせば一瞬だけどな」
「確かにそうだが、ここも一応は歴史を持つものらしいし、県も扱いに困ってるんだろうね」

苦笑しながら、夏油は後ろを振り返り、大きな寺院を見上げる。
200年以上も前に建てられたというわりには崩壊もせず、今もその威圧感は健在だ。
見る人から見れば不気味だろうが、こういう建築物が好きな人にはたまらない造形美はある。
少し綺麗に整えて見物客でも呼べるように周りの生い茂る木々をどうにかすれば、おかしな恐怖も生まれないだろうに、と夏油は思った。

「それにしても悟、また呪力量が上がったんじゃないか?」

隣りを歩く五条から感じる呪力の圧に、夏油は苦笑を零した。

「ああ、まぁ確実に上がって来てるな。おかげで"蒼"の威力も上がったし、色々と応用も効かせられるようになってきた」
「全く、底なしだな、悟は」

夏油と五条は補助監督の待つ駐車場―といってもただの広場だが―まで、長い階段を下って行った。

「その分じゃともいい関係が築けてるようだな」
「あー…まあ」
「…何か問題でも?」

どこか歯切れの悪い五条に、夏油は何の気なしに尋ねた。

「今はまだ一週間に一度、儀を行ってるんだろ?は元気なのか」
「まぁな。でもすぐ交換して特に話をする前に帰ってるから元気なのかは分かんねえ」
「どうして。コミニュケーションも大事だろ?ああいうことは。またケンカでもしたのかい?」

五条がこの性格故に、たびたびと衝突していたことを思い出し、夏油は呆れたように笑っている。
しかし五条は「してねぇよ。ってかケンカするほど長くいるわけじゃねぇから」と肩を竦めた。

「じゃあ本当に交換の儀だけを行って悟は早々に帰ってるのか」
「…まあ、な。それにも学校や今の生活にも慣れて来たみたいだし、俺が傍にいて構ってやらなくても寂しくねーんじゃね?」
「そりゃそうかもしれないが…どうした?何かあったのか?」

以前は何だかんだ文句は言いつつも、の我がままを聞いてやるくらいにはコミニュケーションを取ろうとしていた。
だが今はそういったものを避けているようにも見える。
夏油の問いに、五条は頭を掻きつつ言いにくそうにしていたが、不意に天を仰ぎ、溜息をついた。

「…最近…ってか先月?ちょっとやらかしそうになったんだよ…」
「…やらかす、とは?」
「だから…アレだよ」
「アレ?」

口を尖らせつつ、ハッキリしない五条に、夏油もさすがに眉間を寄せる。
こんな物の言い方は五条にしては珍しい。普段は余計なことまでハッキリ口にする男なのに。
サングラスで隠されているアパタイトブルーの碧眼も全ては見えないが、雰囲気から左右に泳いでいるようにも見える。

「悟…ハッキリ言えよ。アレとは―――」
「あーだから!交換中にそれ以上のことしたくなるんだよっ。分かんだろ、男なら」
「………」

どことなく照れている五条の態度に、夏油も思わず足を止めた。
まだ五条との付き合いは短い方ではあるが、性格はだいたい把握している。
五条家の嫡男、それも六眼を持って生まれた五条は幼い頃から我がまま放題に育てられたようで。あまり我慢という言葉を知らない男だ。
その五条が男の欲求を我慢して、あの鬼の少女と距離を保とうとしているのが、夏油には意外に感じた。

「何だよ、その目…」
「いや…私の記憶違いでなければ…悟はのことをガキだの何だの―――」
「アイツは普段ガキだけど、あの時だけは違うんだよっ。いや、違わねーけど!はガキだけども!」
「どっちなんだよ…」

あまりにハッキリしない五条に、これまた珍しいと思いながら、夏油は苦笑を漏らした。
女の子にそういった行為をすることを躊躇うほど純情でも不慣れでもないのは夏油も知っている。

「アイツが変に意識してくっからコッチも妙な気分になるっつーか…空気変えようとからかっても余計におかしな空気になるっつーか」
「そりゃは悟と違って男に免疫なんかないだろうし…ある程度は仕方ないんじゃないか?」
「だけど今からこんなんじゃこの先もたねえじゃん。まあ…そのうち慣れるとは思うけど」
「ああ、だから儀だけを済ませたら極力会話もせずに帰ってるのか。その方が単なる"作業"っぽいしね」

確かに夏油の言う通り、互いに思春期と呼ばれるくらいの年齢なのだ。
それも男女間で唇を合わせる行為を意識するなという方が無理なのかもしれない。

「ま…オヤジも交換の儀で何度も触れ合っていれば、そういう感情を持つ者達が一定数いたって言ってたけど、その意味が分かったよ…」
「鬼と人間とは言え、男と女なんだ。それが普通だと私も思うよ。もそのうち慣れてくるさ」
「そうしてくんねぇとコッチが困るっつーの」

五条は溜息交じりで呟くと、車の方へ歩いて行った。
そのイラついた後ろ姿を見ていた夏油は、五条家の次期当主という立場も案外苦労があるんだな、とからかうように苦笑した。





「五条さん」

そんな声が聞こえて来たが、はそれが自分のことだと一瞬気づかなかった。

「五条さん?」

ポンと肩を叩かれ、はハッとしたように振り返る。
中学に編入する際、五条家の人間として手続きをされた為、苗字も本来使っていたではなく、今は五条として学校生活を送っているのだ。

「あ、は、はい」
「良かったぁ。無視されたかと思っちゃった」

そう言って可愛く笑うのは同じクラスの女子だった。名前は確か―――。

「え、えっと…」
「あ、私は神崎乃絵かんざきのえっていうの。宜しくね」
「神崎さん…宜しく」

転校して以来、初めて声をかけられたは嬉しそうに微笑んだ。
やはり外見も目立つ上に五条家の人間ということで、クラスメート達も話しかけづらかったようだ。いつも遠巻きに見られていることを、も寂しく思っていた。
乃絵の後ろには二人の女の子も立っている。いつも乃絵にくっついて歩いてる二人だ。
茶髪でボブの子と、セミロングの子はパーマをあてた髪をポニーテールにしている。
乃絵は綺麗な黒髪を胸元まで伸ばし、少し大人っぽい。

「五条さんって呼びにくいからって呼んでもいい?」
「あ、もちろん」
「私のことは乃絵って呼んで」
「の…乃絵ちゃん」
「ああ、この子達はリコとサユ」

ボブの子がリコで、ポニーテールの子がサユというらしい。
は二人にも「宜しく」と挨拶をした。
二人も笑顔で「宜しくねー」と言ってくれたことで、一気に休み時間が賑やかになる。

は五条家の分家なんだってね」
「え…?あ…う、うん、まあ」

乃絵の言葉にそういう設定・・だったっけ、と思いながら何とか頷く。

「確かに髪の色と目の色が悟先輩と同じ」
「え…?あ…うん」

マジマジと見つめて来る乃絵に少し引き気味になりながらも、そう言えば悟もこの学校出身だったと思い出す。
ということは乃絵たちは五条の一学年後輩に当たる。知っていて当然だろう。

「悟先輩、元気?」
「え…悟?」
「悟…って随分親しいのね。は悟先輩と仲いいの?」
「ぜ、全然…!仲なんて良くないし、どっちかと言えば悪い方かな…」
「あ、そうなの?なーんだ」

乃絵は突然嬉しそうな笑顔を見せての手をぎゅっと握って来た。

「今度、の家に遊びに行っていい?今は五条家にお世話になってるんでしょ」
「うん。もちろん遊びに来て」

と言いながらも、勝手に人を呼んでいいのかなと思ったが、特にその辺のことは何も言われていない。学校の友達を離れに呼ぶくらいならいいだろう。
その後も女子特有のお洒落の話で盛り上がり、今度一緒に買い物へ行こうと誘われたところでチャイムが鳴った。

(良かった…クラスで浮いてるかなって思ってたから今回も友達なんて出来ないと思ってた…)

これまでは転校してばかりで親しい友人を作ることも出来なかった。
でもこれからは自由に友達を作れると思うと、少しは重苦しかった気持ちも軽くなってくる。

"もう逃げなくていいんだし好きなだけ友達作れんだろ"

ふと以前、五条に言われた言葉を思い出す。あの時は本当に嬉しかった。
自分の運命を知った時、色んなことを諦めなくちゃいけないと思っていたけど、今はこうして少しずつ前と同じような生活を送ることが出来ている。
なのにここ最近、いまいち気分がパっとしなかったのは五条の様子が急におかしくなったからだ。
今では一週間に一度しか実家に顔を見せず、交換の儀を簡単に済ませるとその後はすぐに高専の寮へと帰ってしまう。
前は儀の前後も雑談をしたり、一緒にケーキを食べたりくらいはしていたのに。
避けられている―――?
そう感じた時、思い切って尋ねてみたが、五条は「明日は早い」とか「忙しい」「疲れてる」などと似たような理由を並べ立てるのだ。
はそれが少し寂しく感じていた。

別に五条とは友達でも恋人関係でもない。ただ互いの利害が一致している者同士というだけ。
でもこの先も二人の関係は続いてくのだから出来るなら仲のいい関係でいたかった。
頻繁にじゃなくていいから花火大会に連れて行ってくれた時みたいに、たまには一緒にどこかへ出かけたり。
そういう関係であるくらいはいいじゃないかと思っていたのに。

(やっぱり子供の相手をしてるより年上のお姉さんとデートする方がいいのかも…)

前もガキだとバカにされて一歳しか違わないと言い返したら「色気の問題だ」と言われて腹が立ったことを思い出す。
中学生で色気なんてある方が問題じゃない、とは言いたかったが、ふと先ほど話しかけてきた乃絵は、どことなく大人っぽくて少女特有の色気があったなと思った。
綺麗な黒髪をかき上げる仕草は女のから見てもドキっとしたくらいだ。

(悟も…ああいう感じが好きなのかな…)

授業を受けながら前方に座る乃絵のことを観察しつつ、は溜息をついた。

(―――って、何で悟の好みのことで私が考えこまなきゃいけないのよ。絶対おかしい!)

五条の好きなタイプなどにとっては関係のないことだ。
そう思いながらふと窓の外を見ると、どんよりと黒い雲が次第に広がって来ているのに気づいた。
予報では九月に入ってから初めての大型台風が近づいてきているとの事だった。

(帰りまで天気持つかな…)

は昔から台風が極度に苦手だった。横殴りの雨や雷、強風の音が本能的に怖いと感じるのだ。
時々蘇る遥か昔に感じたことのあるような感情は今の自分のものなのか、それとも別の姫のものなのか分からなくなる。

(傘、持ってきたら良かった…)

今朝はまだ晴れていたので傘も持って来ていなかった。
出来れば降らないで欲しい、と願いながら、は今日の授業の内容をノートに書き込んで行った。





の願い空しく、学校が終わる頃には予報通り土砂降りの雨へと変わっていた。
大粒の雨が地面に叩きつけられるような勢いで灰色の雲から落ちて来る。
まだ風が吹いていないことだけは幸いだったが、傘がないにとってはどっちみち濡れネズミになるのだから似たようなものかもしれない。

「この雨じゃ傘があっても濡れちゃいそう…」

学校のエントランスで溜息交じりに項垂れる。
その時、背後から「君、傘ないの?」と声をかけられた。
振り返ると、そこには背の高い男の子が立っている。
何度か廊下ですれ違ったことがある顔だった。
背が高い上に容姿も今風の涼しげな目元と整った顔立ちでいわゆるイケメンだから目立つのだ。
確かどこかの芸能事務所に入っているとクラスの女子が騒いでいた。

「えっと…隣のクラスの…?」
「うん、俺は羽田雪十はねだゆきと。君は…五条さんだろ?五条
「う、うん…」

これまで話したこともない隣のクラスの男の子に話しかけられ、は少し戸惑った。
しかし雪十は傘を見せて「傘ないなら送ってこうか?」と言ってくれた。

「え、えっと…」

一度も話したことすらないのに何故?と思っていると、そんな空気を感じ取ったのか、雪十は笑いながら「五条さんと話してみたかったんだ」とストレートに言って来た。

「あの五条先輩の親戚で、しかも凄く綺麗だし君と話したがってるヤツ、結構いるんだ」
「え、私…と?」

綺麗と褒められドキっとしたものの、今日まで誰も声なんてかけてくれなかったけど、と思っていると、雪十はまたしても察したように「話しかけづらい空気はあるからね」と苦笑している。
話しかけづらい空気なんて出してるつもりもなかったは少しだけ驚いた。

「で、どうする?」

雪十は傘を持ち上げ、再び訊いて来た。
雨は一層強まって来て、生ぬるい風が吹きつけて来る。このままだと更に雨が強くなりそうな雰囲気だった。

「あ…じゃあ…」

良く知らない相手ではあったが、この際送ってもらおうか、と思った時、「さま!」という声が聞こえた。
見れば校門の方から傘をさして天夜が走って来る。

「お兄ちゃん…?!」
「え、あの人、五条さんのお兄さん?でも今、さまって…」
「え?あ、ああ…彼は…お兄ちゃんみたいに慕ってる…人なの」

長らく兄弟として過ごしていたせいで、は未だに天夜を"お兄ちゃん"と呼んでしまうが、天夜はのことを姫として扱うのでとしても困っていた。
出来れば前のように接して欲しいのだが、目覚めた後は特に「出来かねます」ときっぱり言われてしまった。

「ああ、そうなんだ。めちゃくちゃイケメンだけど、あの人も五条家の使用人なの?」
「あ、そうなの…」
「へえ。五条家の人って本当に美形揃いだよね」

と驚く雪十にも笑って誤魔化していると、天夜が二人のところへやって来た。

「お迎えに上がりました」
「…おに…天夜さん、どうして…」
さまは台風が昔から死ぬほど苦手なので心配になりまして。武長さんには許可を取ってます」

天夜はそう説明しながらもニヤリと笑みを浮かべた。
やはり子供の頃からの傍にいただけあって、その辺は分かっているようだ。

「さあ、帰りましょう。これから雨脚も強くなりそうです」
「あ…うん。じゃあ…羽田くん…」
「あ、うん。迎えが来てくれて良かったじゃん。俺としてはちょっと残念だけど…また今度」
「…うん。じゃあ、ありがとう。またね」
「うん、また」

は笑顔で手を振ると、そのまま天夜に促され、校門前に止まっていたベンツへと乗り込んだ。天夜もすぐに運転席へ乗り込むと「さっきの彼は?」と訊いて来る。

「あ、隣のクラスの人。私が傘を持ってなかったから送って行こうかって」
「なるほど。でもまあ…気を付けて下さいね。人間の男には特に」
「え…」
「また前のようになっては大変ですので」

苦笑気味に言う天夜に、はドキっとして顔を上げた。
転校先のクラスメートに無理やり迫られ、危うく喰いかけたことを言っているのだと気づき、頬が赤くなる。
せっかく学校に通わせてもらっているのだから、確かにその辺は慎重に行動しないといけない。
五条から定期的に生気をもらってはいるが、それでも何が起こるか分からないし、も自分のことがまだ信用できないのだ。
絶対に人を襲わないとは言い切れない。

「分かった…」

古の時代、鬼は人から忌み嫌われ恐れられる存在だった。
この現代で下手なことをして正体がバレるようなことがあってはならない。
呪術師も似たようなもので、普通に暮らしている人間に呪霊という化け物、それを祓う存在がいるという事実を知られないでいるに越したことはないのだ。
日本政府もその存在を容認し、管理しているわりには世間に公表はしていない。
そう考えると、鬼も呪術師もこの世の闇の部分と言えるかもしれない。

「今夜中には上陸しそうですね」

車を運転しながら、天夜は静かに呟いた。






夜も七時を過ぎると豪雨に強風も追加され、まさに暴風雨と化してきた。
窓がガタガタと激しく揺れ、その音でいちいちビクリとするは、全く集中出来ないと教科書をしまう。
早めに夕飯を食べ、勉強をしてから好きなドラマを観ようと思っていたのに、雨風が気になって今日の授業の復習をしようにも手につかないのだ。

「ま、いっか…」

早々に勉強は諦め、はキッチンへ飲み物を取りに行くと、買い込んでいたスナック菓子を手に部屋へ戻って来た。
まだドラマの始まる時間ではなかったが、ケータイをいじりながらジュースとお菓子を食べるこの時間が至福の時なのだ。
ケータイは学校に転入する際、五条が買って来てくれたもので、まだ登録されているのは数人程度しかいない。
まずは五条がサッサと自分の番号を登録していて、その後に天夜と彩乃の番号を登録した。
そして遊びに来た際は家入が「番号の交換しよ」と言ってくれたので登録、ついでに夏油も教えてくれたので家入の次に登録しておいた。
家入は時々メールをくれる。今日も「学校は慣れた?」とメッセージが届いていたので忘れないうちに返信しておく。
そして今日は更にクラスメートの三人とも番号を登録し合えたので、嬉しかった。

(友達なんて出来ないと思ってたのに…)

中学校生活は残り半年ほどしかないが、それでも前のように学校へ通えて、しかも友達まで出来たのはにとったら幸せなことだった。
だからこそ、あの場所は守らなくてはならない。前のような失敗は二度としないようにしなくちゃと心に誓う。

「…ん…」

お菓子を口にしていると時々別の空腹が近づいて来るのが分かる。
明日でちょうど一週間。そろそろ生気が欲しくなってくる時期だ。

「悟、明日は何時に来るのかな…」

ふとカレンダーを見ながら呟く。
その時、外でゴゴゴっという低い不気味な音がし始め、次の瞬間バリバリバリッという雷鳴が響き渡った。

「きゃぁぁっっ」

すぐ近くで雷が落ちたらしい。物凄い音で思わずは叫んでしまった。
ついでに雨が強風に煽られ、窓を覆っている雨戸にバチバチと当たっている音が聞こえる。
先ほど彩乃がまだ風が強くなる前に夕飯を運んでは来たが、台風が酷くなったら母屋からでもこの離れに来るのは危険らしい。
五条家の庭は広いあまりに遮るものがないため、強風が吹くと近くの雑木林から木の枝や小石などが飛んでくるようで、今夜は絶対外へ出ないで下さいねと言われている。

「はあ…やっぱり母屋の方に泊めて貰えば良かったかなぁ…」

この台風の中、ひとりで離れにいるのは心細い。
一応、ここは補強してあるので吹き飛ばないから大丈夫です、と彩乃に言われたが、こうも雷や雨音がうるさいと怖くて仕方ない。
そんなことを言えば五条にまた「鬼なのに台風が怖いのかよ」と笑われそうだが、鬼だろうと怖いものは怖いのだ。

「テレビつけとこ…」

まだ目当てのドラマは始まらないものの何か音が欲しくてテレビをつける。
しかしバラエティ番組が流れる中、台風情報が横と下に表示されていて、ついそっちに目が向いてしまう。
風速何メートルと言われても、あまりピンとは来ないが、外のゴーゴーと地鳴りのような音を聞いていると、相当強いと分かる。
その時、カツン!という大きなものが雨戸に当たる音で、はビクっと首を窄めた。
強風で石でも飛んで来たのかもしれない。雨戸を閉めていなければ窓ガラスが割れるくらいには強い音だった。

「雨戸…大丈夫かな…」

この離れの造りは古く、何度か建て替えをしたりと新しくしてきたらしいが、雨戸は結構年季の入ったものだ。
大きな木の枝が風に乗って飛ばされて来れば簡単に突き破ってしまうだろう。
その時、不意にケータイが鳴り出し、その音ではホっと息を吐いた。

「誰だろ…硝子ちゃんかな…?」

それとも今日番号を交換したばかりの乃絵だろうか。
少し気になりながらもケータイを開くと、そこには"さとる"の文字。
はすぐに通話ボタンを押した。

「もしもし…」
『あ、俺』
「うん。どうしたの…?あ、明日のこと?」

交換の儀の前の日は五条もメールではなく時々直に電話をくれることがあるので、そう訊いてみると案の定『おう』という言葉が返って来た。

『明日は任務で地方に行かなきゃなんだけど、この台風で午前中は飛行機欠航らしくて午後になったんだ。で、帰り遅くなりそうなんだけど夜10時過ぎても大丈夫そうか?』
「…うん。まあ…大丈夫」
『わりぃな。なるべく急いでそっち行くからさ』
「うん…」

は話しながらテレビの音を下げると、明日の夜10時とカレンダーに書き込んでいく。
五条は寮からかけているのか、通話口の向こうでも窓がガタガタ鳴っているのが聞こえて来る。

『つーか大丈夫かよ、台風』
「う…うん。何とか…暴風雨に加えて雷も定期的に鳴るけど…」
『雷に関してはそこ雑木林や竹林があるから落ちるならそっちだろうけど外は出るなよ?色々飛んでくっから』
「うん。彩乃さんにも言われた。悟は?今、寮なの?」
『まあな。こっち田舎だから風がヤバい』
「確かに悟の後ろでゴーゴー鳴ってるもん」
『…こんなうるさくちゃ眠れねーっつーの。は?何してた?』

苦笑しながら訪ねて来る五条に、はふとテレビの方を振り返った。

「今、テレビ見てた」
『あー俺も。でも特に面白い番組やってねーんだよなぁ…』

ベッドに寝転がったのか、ギシッという音が聞こえて声のトーンが少しだけ変わった。

「悟、今ベッドに寝転がったでしょ」
『え、何でわかんの』
「音がした」
『あ~このベッド古いからな…買い替えようにも部屋が狭いしデカいベッド入らねーか…』
「高専の寮って狭いんだ」
『まあ、それなりに。つっても殆ど寝るだけの部屋だけど』

来年、も中学を卒業したら高専に入学することがすでに決定している。
鬼の自分に呪術師を名乗る資格はない気もするが、家入や夏油、そして鬼族で呪術師をやっている仲間は喜んでくれてるそうで、それはにとっても幸いだった。

『ああ、。明日は俺、仙台行くんだけどさー。何か土産買ってってやろうか』
「…え?」

五条から土産のことを言い出すなんて珍しいことがあるものだ、とは少しだけ驚いた。
任務で出張に行った際、家入や夏油はにあれこれ買って来てくれたりするのだが、五条からは一度ももらった事がないからだ。

「どうしたの?悟からお土産なんて…」
『あ?何か文句でもあんのかよ』
「な…ないけど…」
『時間遅くなりそうだし…まあ…そのお詫びもかねて何か買ってこうかと思ったんだけどいらねぇなら――』
「い、いる!えっと…仙台って何が有名なの…?」
『まあ無難に萩の月とか…笹かま、牛タン…あーでも移動途中で買うから駅で売ってるヤツな?』
「じゃあ…悟に任せる…。ありがとう…」
『おう。じゃあ明日――』

とそろそろ電話が終わりそうな時、再び大きな雷鳴が響き、は「きゃぁっ」と悲鳴を上げた。
同時に電波の状態が悪くなった気がする。

「さ、悟…?」
『…だ?…る?』
「き、聞こえない…何て言ったの…?」

その後もジジっと雑音が入ったりして、会話が途切れる。
向こうも自分の声が途切れて聞こえてるのかもしれない、とが思ったその時、不意に部屋の電気が全て落ちた。

「ひゃっ…て、停電…?!」

突然真っ暗になったことで、は軽くパニックになった。
今の雷が近くに落ちた影響かもしれない。

「や…やだ、どうしよう、悟…真っ暗になった…っ」
『…つけって!…なら…だろ?』
「え?何?よく聞こえない…っ」

いっそう強まって来た豪雨の音で余計に聞き取りにくい。
その時、玄関の方からガチャンっというガラスの割れる音が聞こえて来て、は悲鳴と共に飛び上がった。

「さ…悟…?何か割れた…っ」

すでに泣きそうになりながら、はすぐに玄関の方を覗いた。
幸い暗闇でも鬼の碧眼は良く見える。しかし怖いものは怖い。

「あ…嘘…」

床を這いながら廊下に顔を出してみると、玄関の引き戸のガラスが何故か割れて、そこから雨風が吹き込んでいる。

「悟…玄関のガラス割れてる…って、もしもし?聞こえる?」

五条からの返事はなく、相変わらずノイズ音しか聞こえてこない。
この嵐でケータイの電波状況にも影響が出ているようだ。
仕方なくは電話を切ると、暗闇の中寝室へと向かい、布団の中にくるまった。
怖いことがあると子供の頃から布団に潜るのがクセなのだ。

「…ひゃぁっ」

玄関のガラスが割れたせいで、強風が入るたび、廊下にかけられている高価そうな額縁に入った絵などが落ちる音がして、いちいち驚かされる。
このままにしておいて大丈夫なのか分からないが、ひとりでどうすることも出来ず、ただ布団をかぶって震えることしか出来ない。
一瞬母屋に助けを呼びに行こうかとも思ったが、あの強風で吹き飛ばされないという自信はなく。
鬼とはいえ、やはり吹き飛ばされるのはごめんこうむりたいと思ってしまう。

「…朝までこれじゃ寝てられないよ…」

未だ続く暴風雨と雷雨の中、心細くて涙が浮かんで来る。
すぐ近くに天夜や彩乃もいるが、助けを呼べたところで二人がいる母屋の部屋とこの離れは地味に遠い。
この暴風雨の中、あの距離をここまで来させるわけにもいかない。
どれくらい布団の中に潜っていたのか。
一向に収まる気配のない台風に、気持ちが限界に来た時、突然「…!」と自分を呼ぶ声が聞こえて、は慌てて布団から顔を出した。

「…悟?」

今、雨の音に交じって五条の声が聞こえたような気がしたのだ。
でもすぐに「まさかね…」と思い直す。きっと怖くて幻聴が聞こえただけだと思った。
だがその瞬間、寝室の襖がガラリと開き「?!やっぱここかよ」という皮肉めいた言葉と共に、目の前に五条がしゃがんだ。

「え…さ…悟…?」

あまりに突然、それも全く予期していない五条の来訪に思考回路が数秒停止した。

「おい、大丈夫か?ったくオマエは鬼のくせに台風怖いのかよ」
「……お…鬼とか関係ないもん」
「って、何で泣くんだよ」

やっと脳が本物だと理解した時、の瞳にぶわっと涙が浮かび、そのまま布団から飛び出すと五条に抱き着いた。

「悟…!」
「うぉっ」

勢いよく抱きついたせいで、五条が後ろへ尻もちをつく形になり、何とか両手で身体を支えた。
しかしは五条の首に腕を回し、嗚咽を漏らしている。

「はぁ…ったく…なーんかオマエの方から凄い音がするし、でも声は途切れ途切れで何言ってっか聞こえねーから心配になって来てみれば…玄関、何かぶつかったの?」
「……た、多分…石が飛んで…来て…」
「なるほどね…。つーか窓だけじゃなく引き戸も補強しとけよな…クソオヤジのヤツ」

五条はの背中をポンポンと叩くと「簡単に直してくっから、オマエここで待ってろ」と言って立ち上がろうとした。
だがは依然抱き着いたままで、五条は動くことが出来ない。

「おい、…?」
「う、うん…」

渋々離れると、五条はの頭をひと撫でしてから立ち上がり、玄関の方へ歩いて行く。
そして割れたガラスのところにガムテープを張ってこれ以上ガラスが飛び散らないよう、穴を塞いでおいた。

「おい、もう大丈夫だぞ。朝までなら持つだろ、あれで」
「…あ…ありがと…」

は五条が戻ってくる間も布団に潜っていたのか、そう声をかけるとモソモソと顔を出した。
その姿がヤドカリみたいで、五条はたまらず吹き出している。

のそのクセ、いい加減直せよ」
「い、いいでしょ…ここが一番安心するんだもん…」

口を尖らせ文句を言いつつも、ふと五条を見て彼が全く濡れていないことに気づいた。

「悟…どうやって来たの…?」
「あ?あー補助監督に無理やり車出させた。まあ高専から近道ルート通れば、ウチまで30分ちょいで着くし」
「そ…そうなんだ…。でも濡れてないね、悟」
「俺にそれ言う?」
「あ…無限?」
「そ。術式発動してりゃ、この台風の中でも濡れずに歩けるし、ついでに強風も意味ねえよ」

確かに彼に近づけば近づくほど遅くなるのだから、いくら強風が吹きつけようと無限に触れて緩やかな風に変換されてしまうだろう。
何て便利な術式なんだ、と今更ながらに感心する。

「で?少しは落ち着いたのかよ」
「…うん」
「あっそ。はぁ~マジでこの辺一帯停電してるしビビったわー。辺り真っ暗」
「い、いつ電気つくのかな…」
「停電してどのくらい?」
「んーと…40分くらい?」
「あーじゃあ、もうすぐ着くよ」
「え、何で?」
「この辺は大物政治家とかの家が多いから。そういう地区は優先的に処置されることになってんだよ」
「え、っそうなの?」

と言った瞬間、魔法でも使ったかのようにパっと電気がついた。

「あ!」
「ほらな?」

五条が肩を竦めながら、笑っている。
さすが高級住宅街は違うと思いながら、はホっと息をついた。

「んじゃーもう大丈夫だな?」
「え…?」

言いながら五条が立ち上がった。

「帰るよ。補助監督、車で待たせてるし」
「え、何で…?」
「何でって…もう大丈夫だろ?ドアは直したし電気もついた――」

と言いかけた時、が慌てて五条の腕を掴んだ。

「な…何だよ…」
「やだ…いてよ、悟…」
「はあ?」
「だ、だってまだ雨風凄いし…」

怯えた顔で五条を見上げると、呆れたような碧眼がを見下ろしている。
そう言えば最初から愛用のサングラスをしていなかったことに気づいた。

「悟…サングラスは…?」
「あー…急いで出て来たから忘れて来た」
「……」

ということは、との電話中の異変で、五条もそれだけ慌てて飛んできてくれたということだろうか。

「悟…ありがとう」
「あ?何がだよ」
「…来てくれて」
「別に…礼言われるほどのことじゃねぇよ…。オマエが騒ぎすぎて疲れたら腹減るの早まりそうだと思っただけだし…」

プイっと顔を背けて素っ気なく応えているものの、五条の頬がかすかに赤くなっている。
は心の中で悟も素直じゃないなぁと思いながら、笑いを噛み殺した。

「てめ、何笑ってんだよ…。つーか腕、放せ」
「…え、やだ。だって帰るでしょ?」
「いいから放せって」

と五条はの腕を掴んで外すと、カーゴパンツのポケットからケータイを取り出した。
それを見て、やっぱり帰るんだ、と悲しくなっただったが、五条は誰かに電話をかけると、

「ああ、俺。悪いけど先に帰っていいよ。うん、俺、今夜はこっち泊ってくし。帰り、気を付けて運転して。うん。じゃあお疲れ」

五条はそこで通話を切った。

「…悟?」
「いつまでも台風ん中、待たせておくわけにもいかねぇし、補助監督は帰した」
「え、じゃあ…」
「俺にいて欲しいんだろ…?ったく、鬼のくせに弱すぎなんだよ、は」
「…だ、だから鬼とか関係ないし」

と言い返しながらも、五条がいてくれると分かったことでは笑顔を見せている。
そのゲンキンな姿に五条も苦笑いを浮かべた。
まあ、明日の出張もここから東京駅へ行く方が断然、近い。

「仕方ねぇから添い寝してやるよ」

五条はニヤリと笑みを浮かべ、ソファに座る。
その言葉にはギョっとしたように後ずさった。

「え、そ、それはいいよ、別に…」
「あ?テメェ、俺にソファで寝ろってのかよ」
「だ、だってお布団、一つしかないんだもん」

慌てたように言いながらの頬がかすかに赤くなる。
目覚める前は五条もこの離れに泊まり込んでいたが、その時は彩乃が母屋から布団を一式運んでくれたのだ。
しかし今はもちろん泊まりこむこともなくなり、五条の布団は撤収されてしまった。

「だから添い寝してやるって言ってんの。雷怖いんだろ?」
「…こ…怖い…けど…」

と、は目の前で未だニヤニヤしている五条を睨む。
怖いからと言って、添い寝されても困ってしまう。

「何、俺に襲われるとか思ってるわけ」
「…え?ま、まさか…そんなこと思ってないっ」

ドキっとして首を振ると「じゃあいいじゃん。少しは慣れろよ、俺に」と五条は澄ました顔で肩を竦めた。

「い、いい…けど…。あ、でも悟なら母屋まで行って布団運んで来れる――」
「あー腹減ったなー。パンケーキ食いたい」
「…え?」

の言葉を遮るように言うと「俺、風呂入って来るから、パンケーキ焼いておいて」と風呂場の方へ歩いて行ってしまう。

「パ、パンケーキって…」
「前に焼いてくれたやつな」

と途中で振り向き、ニヤリと笑う。
以前、泊まり込んでいた時に、一度ミニキッチンで軽食として焼いたことがあった。

「あ、あんなのでいいなら…」
「あれがいいんだよ。美味かったし。ああ、も腹減ってんなら後で少しやるから」
「…え?私、夕飯は食べた―――」

と言いかけた時、五条は意味深な笑みを浮かべながら自分の唇を指さした。

「コッチな」

その一言にがドキっとしたのを見て、五条は満足げに笑いながら風呂場へと歩いて行った。

「…な…何でバレてるの…」

五条がいなくなった時、かすかにの頬が赤くなり、その場にしゃがみこむ。
先ほど五条に抱きついた時、生気の香りに食欲をそそられたのは確かだった。
でもそれより何より駆けつけてくれたことが嬉しくて、僅かな空腹のことは忘れていたのだ。
最近は少し素っ気ないのが寂しいと感じていたが、今夜は前のような優しさを感じる気がした。

「あ…パンケーキ…」

そこで思い出したは、お礼の為に美味しいパンケーキを焼こうと急いでキッチンへ走って行った。




この時期ほんと台風怖いですね…💦
長くなったのでここで一区切り。


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