十四.芽吹く想い

まるで宝石のようにキラキラと輝くアパタイトブルーの海にピンク色の珊瑚礁、周りには真っ白い砂浜、咲き誇るハイビスカスに降り注ぐ太陽の光。
かつて"琉球王国"と呼ばれていた独立国家も、今や日本だけにとどまらず諸外国からも観光客が訪れる最大の観光地となった。
その有名な観光地、"めんそーれ"と書かれた看板が出迎えてくれる那覇空港、到着ロビーに姿を現したのは呪術高専で呪術を学ぶ一年生3人組だ。
保護対象の天内理子の世話係である黒井美里が拉致され、敵側が受け渡し場所に沖縄を指定、五条と夏油、そして天内理子の3人はすでに沖縄入りしているとのことだった。

「あれ…沖縄って来たら綺麗なお姉さんがレイってやつをかけて出迎えてくれるんじゃないの?」
「全然その気配がないよなー」
「……それはハワイでしょう」」

キョロキョロしていると灰原に、七海がいつものように気だるそうなツッコミを入れる。
突如、先輩ふたりの護衛任務に駆り出された七海は、心底面倒そうな顔をしているが、初めて沖縄に来たと灰原は旅行気分なのか、あれやこれやと辺りを見ながら楽しそうだ。

「どう考えても1年の私達に務まる任務じゃない…」
「僕は燃えてるよ!夏油さん(それにちゃん)にいいとこ見せたいからね!」

爽やかな笑顔を見せて張り切っている灰原に、七海は虚ろな目を向け溜息をつく。
この同級生、いいヤツなのだが七海とは正反対の言ってみれば"陽"側の人間だ。
どちらかと言えば"陰"側の人間である七海に、やる気全開の灰原は少々眩しく映る。

「それにいたいけな少女の為に先輩達が身を粉にして頑張ってるんだ!僕達が頑張らないわけにはいかないよ」

その"身を粉にして頑張っている先輩"の片割れ、五条がこの瞬間、護衛対象の理子と仲良く海で遊び、ナマコを拾って大爆笑しているなどとは露知らず、灰原はますます張り切っている。

「偉いね、灰原くん。私なんかちょっと観光気分だった…。うん、私も頑張る!」

呪術師としての役目を忘れない灰原を見て、は感心しながらも小さくガッツポーズをする。
その姿を見て一瞬でデレた灰原は、沖縄の太陽にも負けないくらいの眩しい笑顔を見せた。

「一緒に頑張ろうね、ちゃん!(やっぱり素直で可愛いなあ、ちゃんは)」

結局、元同級生の男とはデートを何回かしただけで付き合っていないと分かり、灰原はすぐに復活したようだ。
それを知っている七海だけはウンザリしたような顔で溜息をつくと、足取りも重く空港内を見て歩いた。
星漿体となる少女、理子を狙っている組織の内、Qは五条と夏油が壊滅させたため、残るは盤星教という宗教団体のみと聞いている。
空港を占拠されないよう見張りをしろとの事だったが、今のところ敵の気配すらない。

「台風が来て、空港が閉鎖されたら頑張り損ですけどね…」

七海がそうボヤいた時、のケータイが鳴りだした。

「あ、傑からだ」
「えっ夏油さん?」

が着信表示を見て驚くと、灰原は瞳を輝かせている。
術師として尊敬する夏油からの連絡というからには、何か動きがあったのではというようにと顔を見合わせた。

「もしもし…傑?」
『ああ、そろそろ到着した頃かと思って。今は空港かい?』
「うん、今ちょうど着いたとこ。空港内に盤星教らしい人達はいないっぽいよ」
『そう。じゃあ空港は灰原と七海に任せてはこっちに来れるかな?』
「え…こっちって…」
『私たちはI.コンチネンタルホテルにいるからもおいで』
「え、そこって…超有名な高級リゾートホテル…」

ホテルの周りには国定公園があり、更に海に囲まれてるビーチリゾートだ。
前にテレビで見たことがあったは一瞬、瞳を輝かせる。
しかしそこにいるのは夏油だけではない。

『…?どうした?』
「あ、あの…やっぱり私も灰原くん達といる…」

昨日の今日ではまだ五条と顔を合わせづらい。
家入の話だと五条も多少へこんでいたらしいというのは聞いたが、それは夏油が話していたことで実際のところは違うかもしれないし、五条もと顏など合わせたくないんじゃないかと思った。今回の任務もふたりの援護という話ではあったが、合流するわけではなく空港を見張ると言うものだった為、少しホっとしていたところだ。
しかし夏油は苦笑気味に『いやに助けて欲しくてね』と切り出した。

「…助ける…って…何を?」
も聞いてると思うが今、護衛してる理子ちゃんはと同じ年頃の女の子でね。男の私達だけよりは同じくらいの女の子が護衛についてくれると気も休まると思うんだ』
「……でも…」
『彼女は明日、天元さまと同化する。彼女の意思で自由に過ごせるのは今日だけなんだ』
「え…同…化?」

天元さまの存在や星漿体のことは簡単に説明を受けたものの、詳しい内容は理解していなかった。
天元さまと同化をするという意味を、は今、初めて知る。
肉体が死ぬわけではないにしても、彼女の意思が明日には消える。
自分の意思がなくなるのは死ぬことと同じじゃないのか、とは思った。

『…?』
「…分かった。行く」
『……助かるよ』

が了承すると、夏油はホっとしたように息を吐き出した。
それは少しでも明日、消えてしまう少女の為に楽しい思い出を作ってあげたいという夏油の優しさのように思えた。
は詳しい場所を聞き、タクシーでおいでと言われたので、灰原と七海に事情を説明してから、タクシー乗り場へと向かう。
灰原は終始「僕も行きたかったー」とボヤいていたが、と話した後で、夏油は灰原にも電話をして頼んだらしく「でも夏油さんに頼まれたからキッチリ空港は守るって伝えて」と笑顔で送り出してくれた。
最後まで台風の影響を気にしていた七海は、灰原から「七海、滞在一日伸ばすって!」と言われた途端、額の筋をピクリとさせていたが、渋々ながら帰ることを諦めたようだ。
に向かって「気を付けて行ってらっしゃい」と力なく言っていた。

(七海くん、相当嫌そうだったなぁ…大丈夫かな)

那覇の街並みを眺めながら、は先ほど見送ってくれた時の七海の様子を思い出し、軽く吹き出した。これからも先輩に振り回される七海の未来を思うと、少しだけ同情してしまう。

「はぁ…いい風」

車の窓を開けると、少し潮の香りがしてくる。
沖縄は同じ日本とは思えないほど、どこを見渡してもポストカードになりそうな風景ばかりで、の目を楽しませた。
その中にも街中には昔の名残のように、アメリカ的な店も多数目につく。
終戦後アメリカの統治下にあったことから、那覇市の中心地である国際通り周辺にはステーキハウスやハンバーガーショップ、アロハシャツのお店などがあり、どこかアメリカっぽい雰囲気を漂わせている。

「昔は沖縄に来るのにパスポートが必要だったんですよ」

と七海に教えられた時は、も凄く驚いた。
アメリカが沖縄を統治していたことで、その時までは日本本土から沖縄に渡るにはパスポートが必要だったらしい。
通貨もアメリカドルを使用し、車もアメリカ式に右側通行で日本の本土とは異なっていたようだ。
1972年に沖縄が本土に復帰した後は、沖縄の行き来にパスポートは不要となったと話していた。

「お嬢さんはコンチネンタル泊まるのかい?」

目的地が見えて来た頃、タクシーの運転手が標準語で話しかけて来た。
本当なら今日の内に東京へ戻る予定だったのを、五条がもう一泊して行こうと言い出したらしい。
それは星漿体、天内の為なんじゃないか、と夏油が言っていた。

「はい…多分」
「凄いねえ。このホテルは見るとこいっぱいあって楽しいと思うよ。楽しんで行ってね」

運転手の男は優しい笑顔でそう言って、ホテル前で停車した。
は「ありがとう御座います」とお礼を言って支払いを済ませてから下車すると、目の前に広がる広大な公園を見渡した。
そしてテレビで見るよりも遥かに大きなホテルに思わず口が開いてしまう。

「…凄い」

遊びではなく任務ということで、出張費、宿泊費は全て高専側の払いになる。
五条はそれを分かっていて、ここを選んだようだ。
でもそれもきっと天内理子という少女に、少しでも楽しい思い出を作ってあげる為なんだろう。
あの五条が、ひとりの少女の為に帰る日を伸ばしたり、素敵なホテルを選んだりしてあげたのかと思うと、は少し複雑な気持ちになった。
人間の女の子には、そんなにも分かりやすい優しさを見せられる人なのか、と思う。

!」

暫くの間、ボーっとしていたらしい。
不意に名前を呼ばれハッと我に返ると、ホテル内の敷地にある小道からアロハシャツを着た夏油が歩いてやって来る。

「もう着く頃かと思って迎えに来た」

夏油はひとりだった。
皆は?と問うように目の前に歩いて来た夏油を見上げると「皆はまだ海にいるよ」と小道の奥を指さした。五条がいないことに少しホっとしていると、それを察したのか夏油が苦笑いを零す。

「悟のこと…まだ怒ってる?」
「え…?あ…お、怒ってるわけじゃ…」
「まあ…悟が思ってもいないことを言ったのが悪いし、私は全面的にの味方だけどね」

そう言って夏油は笑うと「行こうか」とを促し、再び小道を歩いて行く。
その後に続きながらも、は今の夏油の言葉に首を傾げた。

「思ってもいないって…ことはないと思うけど…」
「そう?は本当に悟が本心からあんなことを言ったんだと思ってるのかい?」
「……それ…は…」

思ってないと言いたかった。
でも五条のことを信じている自分の気持ちに今は自信など持てなかった。
五条が売り言葉に買い言葉で言ったにせよ、心のどこかにそういう気持ちがあるから出た言葉だったんじゃないかと思ってしまう。

「まあ…がもう悟のことを嫌いになったと言うなら仕方ないけど―――」
「き、嫌いになんてなってない…っ」
「……そうなの?」

つい口走ってしまった後で、はハッとしたように夏油を見上げた。
そう、嫌いになったわけじゃない。
鬼としての自分が五条に拒絶されたような気がして、実は嫌われてたんじゃないかと思って悲しくなっただけだ。
不意に泣きそうになり、は慌てて俯いた。すると頭にポンと夏油の手が乗せられる。

「それ、直接本人に言ってやって」
「悟は…昨日のことなんて気にしてないでしょ…?」
「さあ。それはどうだろう…。悟は素直じゃないからハッキリは言わないけど…でも私から見ると珍しく元気がないように見えるかな」

その言葉にが顔を上げると、夏油は困ったような笑みを浮かべて、ふと前方へ視線を向けた。小道の先にはキラキラ光る澄んだ碧が一面に広がっている。
その中で少女と戯れている五条の姿が見えた。

「…凄く元気そうだけど」

人が悩んでいるというのに、楽しげな笑い声をあげながら少女と海で追いかけっこをしている五条を見て、は思わず目を細めた。

「あはは。まあ…理子ちゃんの為になるべく楽しませようとしてるんだ」
「…ふーん」

少女の事情は聞いているし、天内理子として過ごせるのが今日だけしかないのも分かっている。
だけどの中に、どうしようもないモヤモヤが湧き上がった。
あの意地の悪い五条が他の女の子に優しくしている光景は、にとって凄く嫌なものに映った。

「あれ…何か怒ってる?」
「別に…ただ悟も女の子にあんな笑顔見せられるんだなあって思っただけ」

口を尖らせ、プイっと顔を反らしたを見て、夏油は一瞬呆気に取られるも、すぐに「ぷっ」と吹き出した。

「なーんだ。もヤキモチ妬くんだ」
「…な、ヤキモチなんかじゃ――」
「はいはい。まあ…でも悟と無理に仲直りしろとは言わないけど…理子ちゃんとは仲良くしてやって」
「う…うん、それは…」

夏油に優しく微笑まれ、は小さく頷いた。
その時、海で遊んでいた五条が浜辺に歩いて来たふたりに気づいて、足を止める。

…」
…とは誰じゃ?」

五条と遊んでいた天内が不思議そうに首をかしげ、の方へ視線を向ける。
そして驚いたようにと五条を交互に見た。

「お、同じ髪色に同じ眼じゃ…。ふたりは…兄妹か?」
「あ?ちげーよ。アイツは…」

と五条はそこで言葉を切った。どう説明していいのか分からないようだった。
は天内の方へ歩いて行くと「初めまして。私、。宜しくね」と笑顔を見せる。
そして「悟とは何も関係のない赤の他人だから」と付け加えると、五条の口元が僅かに引きつった。

「そうなのか?」

天内が尋ねると、五条は不機嫌そうに顔を反らして「知らねーよ」とだけ言うと、海から上がり、ホテルの方へ戻って行く。
それを夏油が呆れ顔で見送っていたが、に「少しの間、理子ちゃんのこと頼むね」と言って五条を追いかけて行った。

「何じゃ、アイツ…変なヤツじゃのー」
「悟はいつも変なの。気にしないで」

は笑顔で言いながら、今度は浜辺で休んでいる黒井に挨拶し、少しの間3人でお喋りに花を咲かせていると、10分ほどで五条と夏油が戻って来た。
何やら手にはカラフルな飲み物が入ったグラスを人数分持っている。

「はい。ホテルのラウンジで飲み物買って来た。後でお昼ご飯も届くよ」
「おぉー気が利くな、前髪の人は」
「……お願いだからその呼び方やめて」

天内と夏油のやり取りを見ていたは最初何のことか分からなかったが、夏油の前髪のことを言っているのだと分かった瞬間、吹き出した。
まで笑うなよ」と、夏油が悲しげな顔をするものだから余計に笑いがこみ上げてしまう。
そこへ五条が歩いて来た。隣に立った五条にドキっとして顔を上げると「ん」と素っ気なくピンク色の飲み物が入ったグラスを差し出される。
一瞬、受け取るか迷ったものの、はそのグラスを受けとり「…ありがと」と一言だけ呟く。
しかしやはり昨日の今日ではどういう顔で向き合えばいいのか分からず、はそのまま夏油の方に歩いて行く。五条が何かを言いたそうにしていたのは気づいたが、何かを言われるのが怖かったのだ。
もう傷つきたくない――。
その後も、は一度も五条と目を合わせることはなかった。







「あーっ疲れた…!」

ホテルの部屋に戻って来た五条はそう叫びながらベッドへダイヴした。
昼ご飯を食べた後はボートに乗ったり広大な公園を歩き回ったりと、天内が行きたいと言った場所は全て回った。
最後には水族館に行こうと言い出し、沖縄美ら海水族館でジンベエザメを見てから帰って来たのだ。
天内と黒井はふたりの部屋の隣で今は休んでいる。
何かあればすぐに駆け付けられるようドアで繋がっているスイートルームを取ってあった。
これも経費で落ちる為、ふたりには痛くもかゆくもない。

「お疲れ、悟。少しは寝たらどうだ?」
「いや…今寝たら起きられる気がしねぇ」
「まあ、そうだろうけど…本当に高専に戻るまで寝ないつもりかい?」
「大丈夫だって。それより…は?」

ふとがいないことに気付き、五条はベッドから起き上がった。
その言葉に夏油は苦笑しながら「はひとりで水族館に残るってさ」と肩を竦めた。

「は?何で…?」
「さあ。ひとりになりたいのかなって思ったから聞かなかったけど、一応早く戻っておいでとは言っておいた…って、悟?」

いきなりベッドから立ち上がり、部屋を出て行こうとする五条に、夏油は驚いた。

「迎えに行く気か?」
「……別にそんなんじゃねぇよ。…散歩」
「散々歩き回ったのに?」

笑いを堪えながら夏油が澄ました顔で尋ねると、五条は何ともバツの悪そうな顔で振り向いた。

「…うっせぇな。ガキのお守りに疲れたからひとりになりたいんだよ」
「そうか。ま、ならこの場は私が呪霊と一緒に見張っていよう。悟はゆっくり散歩してきてくれ」
「……わりぃな」

五条はそれだけ呟くと静かに部屋を出て行く。
それを見送った夏油は小さく溜息を吐き「ちゃんと話せればいいけど」と苦笑交じりに呟いた。

その頃、は人も少なくなった水族館をのんびり歩いていた。
閉館時間が近づいている為、特に3Fの珊瑚礁エリアには客が二組くらいしかいない。
先ほど天内はジンベエザメを見たがり、他のエリアは行かなかった為、はひとり残って色々なサンゴの入った水槽を見て回っていた。

「綺麗だなぁ…」

サンゴと一緒にカラフルな魚たちが泳いでるのを眺めながら、がポツリと呟く。
海を見ていると、どこか懐かしい気がするのは誰の記憶なんだろう。
そんなことを考えながら"サンゴの部屋"と呼ばれる薄暗い部屋を見渡した。
きっと昼間などは大勢の客で賑わっているであろうその場所も、台風が多いこの時期は観光客もまばらだったせいか、客が引けるのも早いようだ。
気づけばそこにはひとりで、辺りはシーンと静まり返っている。
でも水槽の中を眺めていると、不思議と怖くはない。むしろ心が落ち着く気がして、はゆっくりと歩いては一つ一つの水槽を覗いて行く。
その時、閉館を告げるアナウンスとBGMがスピーカーから聞こえて来た。

「もう終わりなんだ…」

時計を見れば、もうすぐ午後6時半になろうとしていた。
仕方ない、とは出口に向かうと、来た時と同じく海人門ウミンチュゲートを通って、ジンベエザメのモニュメントを見上げながら、ホテルへと足を向ける。
その途中でアパタイトブルーの海と伊江島を望む景色があまりに綺麗で、は海の方へ歩いて行こうとした。
その時、前方から歩いて来る長身の男が視界に入り、ドキっとして足を止める。

「…悟?」
「よぉ…もう水族館はいいのかよ」

ハーフパンツのポケットに手を突っ込み、ぶっきらぼうに尋ねて来る五条に、は思わず視線を反らして俯いてしまった。

「もう…閉館だから」
「そっか…。じゃあ…ちょっと付き合えよ」
「え、え?ちょ、っと…」

不意に目の前まで歩いて来たかと思えば、強引に腕を掴み引っ張って行く五条にはギョっとした。

「な、何よ…どこに行くの?」
「どこって…オマエ、海行こうとしてたじゃねーか」
「そ、そうだけど…」
「昼間の海もいいけど…夜の海を散歩すんのもいーかなって」

五条はそう言いながら海へと続く道をの手を引きながら歩いて行く。
周りには同じように散歩をしているカップルや家族連れなどもいたが、水族館から離れると誰もいなくなる。
は気まずい思いをしながらも、五条が来てくれたことは素直に嬉しいと思っていた。
自惚れでなければ、先ほどの五条は水族館へ行こうとしていたように見えたのだ。
天内と見た後なのに、わざわざ戻って来るのは迎えに来てくれた以外に考えられない。
ただ、その理由はにも分からなかった。

「はー!やっぱ夜の海もいーな」

五条はの腕を放すと、思い切り両腕を伸ばしている。
時折強い風が吹き付けるのは台風の影響だろうか。
五条の着ているパーカーがパタパタとなびいて、鍛えられた上半身がの視界に入る。
男の裸など見慣れていないは、いくら南国の島とはいえ、薄着でいる五条の方をまともに見れなかった。だから自然と足が一歩下がり、五条の後方に立って海を眺める。
すると不意に「…」と五条に名を呼ばれ、ドキっとした。
の前に立つ五条は、振り向かないまま小さく息を吐くと「昨日は…悪かった」と静かな声で言った。
まさか謝られるとは思っていなかったは、この予想もしていなかった状況にどう答えていいのか分からない。
無言のままでいると、五条がゆっくりと振り向いた。その顔にはサングラスをしていない。
目の前に広がる海と同じ色を宿した虹彩は、どこか悲しげに揺れている。
その表情を見た時、五条が本気で謝罪しているのだと理解した。

「あんなこと…言う気はなかった。もちろんを傷つける気もなかった」
「べ…別にいいよ。本当のことだもん…」

五条が本気で謝ってくれているのだと分かっても、心のどこかであの言葉が五条の本心なのではないかと思っている自分がいて。つい、そんな言い方をしてしまった。
けれど、五条はに歩み寄ると、もう一度「良くない。俺が悪かった」と真剣な顔で見つめて来る。夜の闇に光る碧眼に、後悔と言う言葉が映っているような気がして、は小さく息を飲んだ。

「…私が…人間の男の子と付き合うことを悟が心配した気持ちは分かるから…いいの。それに私ほんとに羽田くんと付き合う気は――」
「よくねぇよ」
「え…?」

五条はどこか不満げな口調で言うと、から僅かに視線を反らした。
その横顔はも見たことがない表情をしていて、何故か胸の奥が小さな音を立てる。
五条は何度か口を開きかけては言葉を飲み込み、苛ついたように頭を掻いた。

「つーか…あんなこと言ったのは…自分にイライラして思ってもねーのに、つい言っちまったっていうか…」
「…え、自分にって…」
「だから…オマエに…彼氏が出来たって聞いてイラっとした自分にイラっとしたっつーか……」
「………っ?」

五条にしては珍しく歯切れが悪い。
しかし今の言葉の意味は、にも分かった。

「私に彼氏が出来て何で…悟がイラっとするの…?」
「それは……だからアレだよ…」
「…アレ?」
「……だーから。のことを無意識のうちに勝手に俺のもんだとか思ってた自分に腹が立ったんだよ…っ」

最後は半分怒った口調になっている五条に、は呆気に取られた。
それはつまり、遠回しに嫉妬をしたと言いたいんだろうか。
自分のものだと思っていたから彼氏が出来たと聞いて腹が立った―――。
そう言ってるのだと分かった時、の頬が僅かに赤くなった。

「わ…私は悟のものじゃないから」
「わーかってるよ!だから…謝ってるんだろ?」

恥ずかしくなりプイっと顔を反らせば、五条も困ったように口を尖らせている。
けれどは五条が言うほど、それが嫌だとは思わなかった。
五条が自分のものだと思ってくれてたことが、嬉しいとさえ感じて同時に胸の奥がまた音を立てる。

「…悪かったよ。酷いこと言って」
「も、もう…いいってば」

不意に真剣な顔で見つめて来る五条に、の心臓が更に速くなっていく。
こんな風に五条がハッキリと自分の気持ちを口で伝えてくれたのは初めてだった。

「いいって…じゃあもう怒ってねーのかよ」
「…最初から怒ってなんかなかったもん」
「嘘つけ…さっきはずっと俺のことシカトしてたろ」
「あ…あれは…どんな顔で話せばいいのか分かんなくて…悟に嫌われてたのかなって思ってたから…」
「は?俺、嫌いなんて言ってねーじゃん」
「そうだけど…ほんとは鬼なんか嫌いだけど制約の為とか力が欲しいから我慢してたのかなって思っちゃったんだもん…」
「バカ言うな。んなわけねーだろ」
「……悟…」

少し怒ったような顔を見せた五条にドキっとして、は喉の奥が痛くなった。
嫌うはずがないと言ってくれてる気がして、胸の奥が熱くなる。
同時に涙がじわりと浮かび、軽く唇を噛み締めた。

「な…何で泣くんだよ…」
「ご、ごめん…」
「泣くなよ…」

五条の手が伸びて、頬に零れ落ちた涙を指で拭っていく。
その熱にドキっとして、僅かに肩が跳ねた。
五条の指が触れた場所が、じわりと火照って行く。

「あー噛むなって。血が滲んでる」
「…っ」

泣くまいと必死に噛み締めていた唇に、五条が指で触れる。
それだけで顔が一気に熱を持った。
交換の儀では未だに緊張と恥ずかしさで初めはドキドキしてしまうだったが、今、感じているドキドキはそれとも違う。
五条に触れられるだけで、勝手に心臓が音を立てるのだ。

「…何だよ。こんな時に腹減ったの?オマエ」
「…え、な、何で…?」

訝しげに自分を見下ろしている五条にそんなことを言われて驚いた。
この前の儀からまだ4日しか経っておらず、空腹感はない。

「いや、だって…目が潤んでるのは泣いたからだろうけど…何か顔が赤いし、やけにほら…色っぽい顔してっから…」
「……なにそれ」
「何って…オマエ、腹減った時って、だいたいエロい顔してるし?」
「な…っ」

空腹感がある時、自分がどんな顔をしてるのかまでは分からない。
ただ生気の甘い香りに酔う感じになるので、理性がぶっ飛んでいるのはにも分かっていた。
それでも、まさか自分がそんな顔をしてるとは思っていなかったは、恥ずかしさのあまり更に顔が赤くなった。

「…腹減ってんなら帰ってからやろうか?まだ早い気もすっけど」
「い、いい!減ってないからっ」
「……じゃあ何でオマエ、そんな真っ赤なんだよ」
「あ…暑いの!っていうか、そんな恰好で近寄らないでよ」
「はあ?そんな恰好って…別にフツーだろ、沖縄じゃ」
「いーから早く帰ろ…傑も心配しちゃうから」

目の前に立たれると逞しい胸元が見え隠れして、は慌てて視線を反らすとホテルに向かって急いで歩き出した。その後を五条が首を傾げつつ、追いかけて行く。
だが数歩歩いたところで、は段差につまずき、派手に転んでしまった。

…っ?」
「いったぁ…」
「何やってんだよ、オマエは…」

五条は慌てて駆け寄ると、起き上がろうとしたの体を抱き起した。
見れば膝を擦りむき、血が滲んでいる。

「ったくドジだな、ほんとに」
「だって薄暗いから段差が見えなかったんだもん…」
「ちゃんと見てればオマエの眼なら見えんだろ。よそみしてっからだよ。ってかそんなケガ、治せるだろ?」
「治せるけど…」

いくらケガを治せても痛いものは痛い。は溜息をつきながら傷口を治した。
そして塞がったところで歩き出そうとした時、五条が「ほら」と手を差し出してくる。
その意味が分からず顔を上げると、五条は呆れたような顔で「手、貸せよ」と言って来た。

「…手?」
「オマエ、どんくさいから手を引いてやるっつってんだよ」

五条はそう言いながらもの手を繋ぐと「はーガキのお守りは天内だけで十分だって」と溜息をついている。けれども、の手に繋がれた五条の手が意外にも優しくて、また胸の奥で音が鳴る。指先から伝わる熱にドキドキしながらも、は少しだけ繋いだ手に力を入れた。

―――私は、悟が好きだ。

自分の心にいつの間にか芽吹いていた想いは、きっとそういうことなのだと、思った。



口も態度も悪い人から、いきなり優しくされた瞬間、恋しちゃいます笑



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