二十一.自分らしく

男は少しばかり高をくくっていた。いくら最強と呼び声の高い男とはいえ、年下である相手に自分が一方的な弱者となる戦いにまではなるまいと。どうせ術式頼りだろうと侮っていたのかもしれない。五条悟は間違いなく強かった。男に対し特に強い術式なども使わなかった。なのに、まるで最初からそうなる運命だったかのように、男は降参した。術式うんぬんよりも、体術ひとつを取っても五条悟には敵わない。そう思っての降参だった。

「参りました」

五条は相手の言葉を聞いて攻撃をやめた。戦闘が始まって1分18秒後のことだった。五条の相手は京都校3年の一級術師でそこそこ強いと言われていた男だ。それでも力の差は歴然だった。

「あれ、もう降参?張り合いねえなぁ」

頭を掻きつつ地上へ下りると、勝利の証である白紙を相手の男から受け取った。五条にとっても人間と戦うのは久しぶりなので、もう少し戦いたかったと思う。術師同士の戦闘では相手が自分の術式をどう駆使して戦うのかを"視る"楽しみもあるのだ。しかし今回の戦闘においてはそこまで行くこともなく終わってしまった。

「仕方ねぇなあ…戻るか」

白紙さえ手に入れればもう用はないとばかりに踵をひるがえし、五条は自陣のスタート地点まで戻る為、歩き出す。だがふと他のメンバーの戦いも気になった。無限を利用し空中へ上昇すると、六眼を使い辺りを見渡す。当然、夏油やその操る呪霊の辺りは終わってるようで、七海や灰原もそろそろ終わりそうな戦況に見えた。問題はだ。

「アイツ…苦戦してんな…」

比較的近い場所のフィールドで戦っている為、ハッキリとの妖力が見える。だが、の相手の呪力を見た時、五条は「直哉か…」と軽く舌打ちをした。ふたりが当たる確率がそれほど高いとは思えない。何か裏技を使ったのか?と思っていると、自身の呪霊を操り、五条の方へ飛んで来る夏油が見えた。

「やあ、悟は早々に終わったみたいだね」
「まーな。物足りねえくらいだったわ。そっちは?」

五条の傍まで飛んで来た夏油は「こちらも似たようなものさ」と苦笑した。操っていた呪霊の相手はどちらも二年の二級術師で同じくらいの呪霊を用意したが、それでも圧勝だった。

「ああ、でも私の相手が面白いものを持っていたよ」
「面白いもの?」
「この呪具なんだけどね」

夏油は制服のポケットから手のひらサイズの手鏡を取り出した。五条の六眼にはしっかりとその呪具の効力が見て取れる。

「これ…は」
「持ってるだけで私の呪力を喰い尽くそうとしてくる。何でも映した呪霊をとりこんで自身の呪力で育てることが出来るらしい。私の術式に似てるんでちょっと借りて来たんだよ」
「へえ…持つヤツによってはやべえ呪具じゃん。マジもんの呪いがかかってるわけだ」
「いわくつきだろうね、間違いなく。でも面白いのはそれだけじゃない」

夏油はその呪具を五条へと放り投げ、五条はそれをキャッチした。手に持った瞬間から呪力を喰われていくのを感じる。だが五条が気づいたのはそこではなく、手にした呪具から僅かながら知っている呪力の残穢を見たからだ。

「…直哉?」
「ああ。それを持っていた先輩にどこで手に入れたのか尋ねたら、禪院直哉からもらったと言っていた。何でもそれをくれる代わりにブロックを交換したとかでね」
「…まさかアイツ…」
「そう。彼はちゃんと戦うために彼とブロックを交換したらしい」
「…チッ。そういうことか。おかしいと思ったんだ。そんな都合よくアイツとが当たるなんて」

五条は忌々しげに呟くと、たちのいるAブロックを見下ろした。戦う前、念のためと思って直哉の術式の説明をしておいて正解だったと思う。

「彼はやっぱり鬼の力を狙ってるってことかい?」
「ああ…だろうな。個人的にものことを気に入ったなんてぬかしてたが、どうだかな。おそらく昨日、突然現れた一級呪霊も直哉がコレ使って仕掛けたんだろう。一応コレは夜蛾センセーに提出しとくか」
「そうだな。それを交換した先輩も思った以上に呪力を喰われるから好きに処分して構わないと話してたしね」

そうこうしている内に、灰原と七海の方も終わったようだ。

「残るはちゃんのみ、か」
「…アイツ…やっぱまだ自分の力を使いこなせてねえな。目の前の攻撃を交わすのにいっぱいいっぱいってとこだろ」

鬼の力に目覚めてから一年のと、幼い頃から厳しい訓練を受け、呪霊を相手に戦って来た直哉とでは圧倒的に経験値が違う。相手の能力が分かっていても、例えそれを交わせたとしても、次の攻撃へ繋げるところまで考えていなければ防戦一方となってしまう。経験を積んでいる者は先の先まで考えながら戦っているのだ。

「これは交流戦だし彼も下手なことはしないだろう。そこまで心配することはないさ」
「…別に心配なんかしてねぇよ」

五条は苛立ちを隠そうともせず、仏頂面で応える。個人戦ではいかなる場合であろうとも他の生徒の加勢は禁じられているので、五条は見ていることしか出来ない。

「…チッ。アイツらしい狡猾なやり口だな」

ふたりの戦闘を眺めながら、五条は忌々しげに呟いた。




どのくらい経ったんだろう――?

は直哉の攻撃をギリギリで交わしながら、ふと思った。五条に言われた通り直哉の高速移動の攻撃を眼で追いながら戦っているものの、避けるだけで精一杯で殆ど攻撃に繋げられていない。直哉に触れられると同じ速さで動かなければ一秒間フリ―ズすると言うので、そのことも意識してしまうと自分から攻撃を仕掛けるのも怖いのだ。といって、このままでは時間ばかりが過ぎていくだけだ。

「逃げてばかりやったら、いつまで経っても終わらへんでー?」

木々の合間から聞こえる直哉の声に、は「分かってるよ、そんなの」とボヤきながら、居場所を眼で探す。直哉の呪力を眼で追うことばかりに集中していては危険なのだが、戦闘経験が多くないはついそこに頼ってしまいがちになる。相手からしたら動きが読みやすい上に攻撃も仕掛けやすいのだ。

「…わっ」

風が動いたと感じた時、見えない何かが向かって来るイメージが沸いて、は素早く上に飛び上がった。またしてもギリギリで交わすことが出来たようで「よぉ、避けたなあ」と直哉の声が聞こえて来る。

「ただ…避けても次の動作が止まってたら意味ないで?」
「…ひゃっ」

いつの間にかすぐ後ろから直哉の声がして距離を取ろうとした。だが体が動かない。一秒間のフリーズ。どうやら直哉に触れられてしまったようだ。

「さっきより動きが遅なってるし疲れて来てはるようやから…これで終わりにしたげるわ」
「……っ?」

――攻撃される!そう思った瞬間、直哉の手がの制服のポケットへ伸びて、中から一枚の紙を抜き取った。

「…え?」
「これ、奪ったし俺の勝ちや」
「あ…」

ひらひらと目の前で紙を振りながら、直哉はニヤリと笑った。てっきり攻撃されると思っていたはしばし呆気に取られたように放心している。肩で息をしているほど荒い呼吸だけが耳に届く。負けたんだ――。そう思った時、悔しさがこみ上げて来た。

「ふざけないでよ…まだ決着はついてないっ」
「無理せんでええよ。防御だけでかなり力も消費してはるやん。ちゃんはまだ戦闘経験が少ないし俺には勝てへん」
「……っ」
「それに今、本気で戦ってちゃんにケガさせたら…あの人に後で何されるか分からんしなぁ」

直哉が笑いながら、空を仰ぎ見る。も釣られて上を見ると、遠くの空に五条と夏油の浮かんでいる姿が見えた。

「ほんまかなわんわー悟くんには。あないな殺気ビシバシ放たれたら戦いにくーてしゃーないわ」

直哉は苦笑交じりで肩を竦めると「ほな、今回はこれくらいで」との方へ歩いて来ると、右手を差し出した。

「な、何…?」
「何て握手やん。対戦おーきにっちゅうことで」
「あ…」

悔しさは残るが、これは交流戦なのだと思い出し、も慌てて手を差し出した。その瞬間、直哉がの手を握り、思い切り自分の方へ引き寄せる。

「俺は五条家ともちゃんともモメる気はあらへんし…今後ともよろしゅう頼むわ」
「……な…」

引き寄せた手の甲へ口付けを落とす直哉に、はギョっとしたように手を引いた。直哉は「純情やなぁ、ちゃんは」と笑いながら歩いて行く。さっき一瞬見せた冷めた表情が嘘のようだ。

「な…何なのよ、アイツ…」

生意気な女だ何だと言って来たわりに、本気で戦う気がなかったようにも見えた。あれはの力がどの程度のものなのかを測るような戦い方だったように思う。そこへ五条と夏油が降り立った気配がして、ハッと我に返った。

…!」
「悟…」

目の前に走って来た五条達に、は慌てて頭を下げた。白紙を奪われての不本意な敗北をしてしまったからだ。

「ごめんなさい…紙、盗られちゃって…」
「気にすることはないさ。彼の方が圧倒的に戦闘の経験があるんだから」

夏油はそう言いながら労うようにの頭へポンと手を置く。今のにはその手の温もりが有難く感じた。悔しいのは負けたからじゃなく、ただ何も出来ないまま直哉の思う通りに試合を終わらせられてしまったからだ。

「悟…ごめんね。色々教えて貰ったのに」
「何だよ。んなしょぼくれた顔すんじゃねぇ。少年野球のチームがプロの球団に勝てると思うか?」
「な、何ソレ…」
「それだけ経験の差があるって話だよ。ま、その悔しさは今後の任務にぶつけろ。来年また交流会があるし、そこでリベンジすりゃいーだろが」

五条はそう言って夏油と同じようにの頭へ手を置く。だが夏油と違ったのは、その後にグリグリと頭を回したことだ。その手の強さに、少なからず五条も悔しいと思ってくれてるような気がして、は「痛いよ」と文句を言いながらも笑顔になれた。かくして個人戦もと灰原以外は全員が勝ったことで、今年の京都姉妹校との交流戦は東京校の勝利で終わった。負けたと灰原はまた明日から授業や任務、そして個人で鍛錬を積むと誓い合った。

「なーに黄昏れてんだよ」
「…わ、悟…?」

娯楽室の窓を開けて夜空を眺めていると、背後から頭を鷲掴みされたは驚いたような声を上げて振り向いた。そこには五条が呆れ顔で立っている。

「まだ直哉に負けたこと気にしてんのか?」
「…そ、そういうわけじゃ…」

五条はと並んで窓枠に肘をつくと、星の散らばった夜空を見上げた。すっかりと空気が乾燥して、ふわりと吹く夜風がどこからか秋の匂いを連れて来る。この前までは蝉がうるさいくらいに鳴いていた草むらの方からは鈴虫の小さな声が聞こえて来た。

「ただ…少しでもいい人って思った自分が情けなくて」
「まあ、は単純だからな。優しくされたら誰でもいい人って思うとこあるもんなー?」
「む…そんなことは…」

笑いながら顔を覗き込んで来る五条をジロっと睨みつつ、確かに言い返すことも出来ない。これまでの歴史を考えれば、禪院家の人間が鬼の力を欲しがるのは当然なのだと気づくべきだった。

「どうせ鬼らしくないって言いたいんでしょ…」

鬼は古から人間の敵として知られて来た。鬼も人間は餌としか思わず、その命すら軽く見ていたはずだ。なのに人間として育てられたが故に、はどこか人間臭いところが多分に残っているところがある。自分でもその辺のことは気づいているが、現代で生きていくのに鬼の非情さは必要ない気がしていた。五条は俯いたを見ながら、再び夜空へ視線を戻すと「ま、いいんじゃねぇの、それで」と一言、呟く。

「鬼らしさなんて今の世の中じゃ邪魔なだけだろ。オマエは…今この時代に生きてるんだから」
「悟…」
「まあ…は今後、戦闘の経験値も増やさないといけねえけど、敵は呪霊だけじゃねぇ。呪詛師とだって戦うことも出て来るだろうし、そういう人間に対してだけは非情になれ。迷えばやられる」
「…うん」
「後は…直哉が何を考えてんのか知らねえが、アイツが近づいて来たら警戒はしろよ?」

五条の言葉には素直に頷いた。そう言いながら五条も直哉の動きは把握しておくに越したことはないと判断する。そこは武長辺りに頼めば問題ないだろう。とりあえず先ほど引かせる程度には威嚇しておいたから、すぐ何か仕掛けてくることはなさそうだが――。五条はさっきのことを思い出しながら密かに苦笑を漏らした。個人戦は加勢してはいけないというルールの中、五条は直哉にしか分からないように殺気を放っていた。もしに何かしたらルールを無視して呪術界全てを敵にまわすことになってもオマエを殺す。そう伝える為の呪いのような殺気を。直哉が本気でを殺そうとか、何か仕掛けようとしていると五条も本気で思っていたわけじゃない。ただ今後も含めて牽制しておいた方がいいと判断した。きっと直哉には伝わっているだろうと思っていた。だからこそ、あんなやり方で勝利をもぎ取ったのだ。はバカにされたと思ったかもしれないが、直哉にはああするしか、あの場から早々に戦いを終わらせて逃げ出すことが出来なかったのだ。

「今夜はしっかり休んで、明日からの特訓に備えろよ?」
「うん」

本来なら明日は休みになっているが、は負けた悔しさから灰原と特訓をすると決めたらしい。五条も空いた時間には付き合ってくれると言うので、もやる気が出て来た。鬼らしくいる必要はない。そう言って貰えただけで幸せな気持ちになったからかもしれない。五条の前では、ただの女の子でいたかった。


※メニューを増やしていくとデザインが崩れるようなのでトップデザインを変更しました👹💦
今回で一区切りで次回からは少し未来へ飛びます✨



▽管理人にやる気エナジーをくれるという方は此方から笑🥰▽

🔥一言エナジー🔥

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