「明日の出張、お土産は何がいい?」
あの日――。灰原と七海、男ふたりだけの出張が決まった時、灰原が明るい笑顔を見せてに尋ねた。はいつものようにその土地の名産物を頼むと、灰原は「了解!楽しみにしてて」と爽やかに応えて、次の日の朝七海とふたりで出かけて行った。
これが――灰原と交わした最後の会話となった。
「なんてことはない二級呪霊の討伐任務のハズだったのに…!クソッ!!産土神信仰…アレは土地神でした…。一級案件だ!」
次の日、灰原は物言わぬ体で高専へ戻って来た。七海の悲痛な声を聞きながらも、はただ、目の前に横たわっている灰原を隣にいる夏油と同じく呆然と見つめた。酷いケガをしたのか顔のあちこちに血が滲んでいるのが痛々しい。
「今はとにかく休め、七海。任務は悟が引き継いだ」
白い布を灰原の顔にかけようとした夏油の手を、が止めた。驚く夏油を見ぬまま、は慈しむように両手で灰原の頬へ触れる。昨日までは確かに温もりのあった体が、今は氷のように冷たく、人とは思えぬほどに硬い。は溢れ出る涙を拭うこともせず、己の力を使い、灰原の負った傷を治した。今更治したところで、消えた命は戻らない。けれども、治さずにはいられなかった。
"オレ、ちゃんが好きだよ。あ、でも別にだからどうしようってことでもないから。そもそも鬼と人間は絶対に結ばれない運命って分かってる。ただ言わないで後悔したくなかっただけなんだ"
だからこれからも仲間として宜しくね――!
いつだったか灰原はそう言って笑っていた。最後までを気遣う灰原の優しさが有難かった。そして悲しくなった。灰原が言った"結ばれない運命"は自分と五条にも当てはまる。自分は灰原のように相手を気遣い、この想いを諦めることが出来るんだろうか。灰原のように笑顔で気持ちを伝え、決して実らぬ想いを抱えていても普段と変わらず接することが出来るんだろうか。あの時のには灰原の素直さと実直さが、少しだけ眩しく思えた。
共に学び、戦って来た仲間をは初めて失った。あの時の悲しみはとても言葉で言い表せない。ひとり生還した七海は更に無口になった。そして灰原を失った傷も癒えぬうちに夏油の事件が起こり、は心の一部を削られたような気持ちになった。大切な人を失う痛みに泣いて、泣いて、泣くことでしか行き場のない悲しみを浄化する術もなく。形のない心が痛めつけられていった。周りの人間もどこか顔に覇気がなく、口にはしなくても皆が同じように鬱々としていた。五条もそのひとりだった。泣きつかれた頃、は夏油に裏切られ、打ちのめされた五条を見て、自分を奮い立たせた。
"俺は自分がやれることを精一杯やるだけかな"
いつか灰原が言っていた言葉を思い出し、自分のやるべきことを考えた。自分が五条の為に出来ることは一つしかない。それ以外、何もしてあげられないことが悲しいとは思っても、ツラいことだとは思わなかった。
だからこそ、自分から言い出したのだ。決して五条からは言い出さないだろうと思ったからこそ、自分の心を押し殺してでも、少しでも五条の力になりたいと思ったから――。

「…ん…ぁあっ」
「…」
初めて身体を貫かれた時の激痛に、の背中が反り返った。自然に涙が溢れてシーツを濡らしていく。繋がれている手を強く握りしめると、五条が切なげに眉根を寄せた。
「…痛い…よな?」
五条の問いにはすぐさま首を左右に振った。しかし唇をかみしめ、呼吸も荒い。が我慢をしているのは処女の相手との行為が初めての五条でも分かる。
「へ…いき…」
にとっては何もかもが初めてで、異性に、それも想いを寄せている五条に肌を晒し、自分でも触れたことのない場所を愛撫されるのは死ぬほど恥ずかしいことだった。それ故にここまで来るのに随分とかかってしまったが、やっとの思いで繋がれた嬉しさは、痛みよりも大きいものだ。どんな事情にせよ、好きな男に抱かれることが女にとって幸せなのだと、は身をもって知ることになった。
「平気って…泣いてんじゃん…」
五条が呟き、の目尻から零れ落ちる涙を指で拭う。ふと視線を上げれば、酷くツラそうな五条の双眸がを見下ろしていた。
「悟も…痛いの…?」
「…俺?」
ジっとしたまま動かずにいるとだいぶ痛みが和らいできて、は力んでいた手の力を抜くと、そっと五条の頬へ指先を伸ばす。しかし五条は「バカ…煽んな」とのその手を自分の手で制止してから握り締めると、そっと布団の上に固定した。
「俺はすっげー気持ちいい…だから今、触れられたらヤバいし蕩けそう…」
「……っ」
思ってもいなかった返答に、の上気した頬がますます紅に染まっていく。その表情すら五条を煽るだけなのを、は知らない。すでに行灯の中の蝋燭は燃え尽き、窓のない寝室は暗闇に包まれている。しかし互いの両目は何の障害もなく相手を捉える。は初めて見た五条の鍛え抜かれた締りのある裸体から僅かに視線を反らした。しかし長くしなやかな指がの顎を捉え、すぐに重なる唇。交換の儀でただ唇を合わせているだけのものとは違う。啄む動きに鼓動がやたらと速くなる。熱い舌が唇を割って咥内へと侵入してくると、ゾクリとしたものが全身を走り抜けた。全てを奪うような激しい口付けを受けていると、胸の奥が熱く昂って来る。余すことなく咥内を舌で解され、最後にちゅっと音を立てて離れた唇からは、互いの唾液が細い糸のように垂れ落ちた。それさえも舐めとり、五条の唇がいたずらにの首筋へと触れていく。痛みを少しでも和らげようとしてくれているのかもしれないと頭の隅で思いながら、唇が触れた場所からの甘美な刺激に身を任せた。
「……ん…っ」
繋がっている場所がジクジクとした痛みを脳に伝えてくるのに対し、五条の愛撫はどこまでも甘く。そこに愛があるのだと勘違いをしてしまいそうになる心を押しとどめるのに精いっぱいだ。
「悟…動いて…いいよ」
吐息を漏らしながら涙目で訴えて来るを見ていると、五条もまた胸の奥の形ないものが疼く。こうしているだけでも、の身体から湧きたつ甘い匂いだとか、繋がっている場所から伝わる力の熱が、五条の体内をめぐって脳を沸騰させていく。他のどの女からも得られなかった。鬼姫を抱くことでしか味わえない呪力の源泉とも言える力の熱量は、五条の想像をはるかに超えていた。
「煽んなって…言ったろ…」
今では全身が性感帯と言っていいほどに敏感になっている。鬼姫の妖力をまともに浴びている中、男の欲で自然に腰が疼き、五条はツラそうに息を吐き出した。ジっとしているだけでも言ったように全身が蕩けてしまいそうな快感に襲われ、強い情欲が脳を痺れさせる。しかしこのままではもツラいだろうと、ゆっくりと抽送を始めた。
「…んぁっ」
だいぶ馴染んで来たとは言え、動きを与えるとズクリとした痛みが走り、は喉をのけぞらせた。しかしその痛みを上書きするように、甘美な快楽を記憶の中で無意識に見つける。鬼の祖と言える呉羽や、その娘の紅葉も経験したであろう行為は、の記憶の深淵に眠っていた。五条に抱かれていると、膨大なエネルギーが血管の一つ一つを巡っていくかのようで意識が飛びそうになる。
「悟…さと…る…」
少しずつ、でも確実に速まる抽送を感じながら、うわ言のように愛しい人の名前を呼ぶ。全てを喰らいつくしたいほどに、五条への恋慕が募っていく。
「…」
白肌を薄紅色に染め、苦しげに自分の名を呼ぶは、六眼に何とも艶めかしく映る。同時に、彼女の肉体を巡る妖力が波打つように沸き立つのが視えた。
「…あつ…」
額に汗が吹き出し、ポトリと一滴の汗がの胸元へ落ちる。の中はとても熱く、どこまでも甘い。上限のない快感に飲み込まれそうになるのを必死で耐えていた五条も、気づけば夢中でを掻き抱いていた。
「…ぁあ…っ」
「……っ」
慣れない行為で負担をかけないようを気遣っていた五条も、今は余裕のない表情で腰を打ち付ける。その激しさでの身体が何度ものけ反った。ゾクリとした痺れが足のつま先まで走る。その時――の脳裏に見たことのない景色がフラッシュバックのように浮かんでは消えた。白い雪がちらつく海。周りを飛ぶ青い鬼火が、ゆらゆらゆらゆら、浮いている。
"この想いは来世に持っていきましょう――"
ふと、切なく物悲しい声が頭の奥に響く。
それは成就の叶わぬ泡沫の恋に打ちのめされ、自らこの世を去った女の、悲愴な言霊のように聞こえた。
※泡沫:水面に浮かぶ泡 / はかなく消えやすいもののたとえ。