二十七.ただ、逢いたい



「どういうことなんだ、悟。ちゃんと説明しろ」

朝から夜蛾に呼び出された五条に、開口一番そんな質問が浴びせられた。理由は五条家元当主、五条の父親にある。

「突然高専をやめさせたいなんて…いったいとオマエの間に何があったんだ」
「ったく…あのクソオヤジ…」

五条は軽く舌打ちをしながらソファへ凭れると、呆れ顔で肩をすくめた。その態度に夜蛾の額の筋がピクピクと動く。そこへ空気の読めない事務員の女性がコーヒーを運んで来た。夜蛾が応接室を使っていたので客と勘違いしたようだ。

「あら、五条くんだったの」
「どーもー」
「コーヒーなんぞいらん!コイツはまだ学生だ!」

夜蛾はイライラしたように怒鳴ったものの、事務員の女性は「せっかく淹れたのに」と不満そうに目を細める。五条はつかさずコーヒーカップへ手を伸ばした。

「これは僕が飲むよ。もったいないしねー」
「そう?じゃあ、これは夜蛾先生に」

事務員の女性は真っ赤な顔で五条を睨んでいる夜蛾の前にカップを置くと、そのまま応接室を出て行った。再び室内はどんよりとした重たい空気に戻る。

「センセーも飲めば?もったいないし」

自身のカップにボトボトと角砂糖を落とす五条を見て、夜蛾のイライラもマックスに達した。しかし怒鳴ったところでこの男は一切動じないのも分かっている。怒鳴るのは体力の無駄だと言わんばかりに深呼吸をした。

「いいからきちんと説明しろ。何故、オマエのオヤジさんはを辞めさせたいんだ?彼女については高専で卒業まで預かるということで五条家とは話がついているはずだが」
「ああ、それはさ…。まあ…僕からを引き離そうとしてんだと思うよ」

思う存分自分好みの甘さに調節したコーヒーを飲みながら、五条は苦笑いを浮かべた。まさか父がこんな手に出て来るとは五条も思っていない。夜蛾にはその辺のことを説明しておいた方がいいかもしれないなと思った。

「引き離す?何故だ。五条家と鬼族は制約を交わしてるんだろう。鬼姫のは五条家に大切にされる存在なんじゃないのか」

事情を知る者としてはもっともな意見だった。

「もちろんオヤジもをぞんざいに扱う気はないだろうね。これまで通りの関係を保つことを考えてるはずだし。ただ…僕との関係をこれ以上深めたくはないとも思ってる」
「オマエと…の関係…?」

訝しそうに眉間を寄せる夜蛾を見て、五条は軽く息を吐いた。夜蛾もある程度は五条家と鬼族の関係は知っている。しかし制約の中身までは知らないはずだ。

「ウチと鬼族の交わした制約の中に"特例"ってのがあるんだよ」
「……特例?」
「そう。まあ簡単にいうとソレを行うことで交換の儀よりも強い力を得られるし運が良ければ六眼も生まれる。鬼姫にしても莫大な妖力と力をつけられるいわば互いに有益な裏技みたいなもんかなー」
「…裏技?具体的に何をするんだ。交換よりも強い力を互いが与えられるって――」
「あれ、そこ詳しく聞きたい?」
「当たり前だ。オマエと彼女を引き離したいって理由がそこにあるんだろ?…って何をニヤついてるんだ、オマエは」

目の前で口元を緩めている五条に気づき、夜蛾がふと顔を上げる。ラウンドのサングラスから垣間見える碧眼は意味深な光を宿していた。

「まあ交換の儀が接吻なら、それ以上ってことは?」
「…それ…以上……」

腕を組み、首を傾げながら夜蛾は考えている。しかし徐々にそのゴツい顔はタコのような色へと変化し、最後には金魚の如く口をパクパクし始めた。

「オ、オマ…オマエら…まさか…」
「ぷ…夜蛾センセーその歳で純情かよ」
「笑ってる場合かっ!っていうか歳は関係ないだろ、歳は!いーから応えろ、オマエとはすでにそういう…」
「まあ…でも変な意味で捉えられても困るけど」
「変な意味もまともな意味もないだろが!ウウウチは不純異性交遊は禁止だ!」

ドンとテーブルに拳を振り下ろした夜蛾に、さすがの五条も目が丸くなる。高専にそんな禁止事項があったなんて初耳だ。五条は夜蛾の狼狽ぶりを見て盛大に吹き出しながら爆笑した。

「何がおかしい!」
「だ、だってさー今時…ぶはは…不純異性交遊って…古くない?」
「こ、こういうことに古いも新しいもない!そ、それにそういう話を他人のオレに話すな!ったくデリカシーのないヤツめ…」

夜蛾は憤慨しながらも気を落ち着かせるためにコーヒーをガブリと飲み「ぅあっちぃ!」とひとり騒いでいる。その様子を呆れ顔で見ていた五条も静かにコーヒーを飲みながら溜息をついた。すぐ頭に血が上るところは前からだ。

「何だよ、デリカシーって。そっちが訊いて来たんだろ」
「こ、この手の話はオマエだけの問題じゃないっ。相手あっての話で、しかもその相手は女性…だろ。勝手に他の人間に話されたと知ったらが傷つく」
「………」

この時、五条は夜蛾の意外な一面を知った。ゴツい顔のわりに女性の気持ちを考えられる男だったとは意外だと、妙に感心してしまった。しかし五条にだってその辺のことは分かっている。

「でもその話をしないことには最初の質問に答えられないからさ。まあ…夜蛾先生は知らないフリしててよ」
「ぬ…当たり前だ。も大事な生徒だからな。オマエより可愛いと思ってる。傷つける気はない」
「酷くない…?」

恩師の言葉には苦笑しか出ない。でも夜蛾に可愛いと思われても困るか、と思いながら、本題に話を戻した。

「ま、でもオヤジも力の為にソレを僕に進めて来た。なのに今頃になってこれ以上親密にはなるなと忠告してきたんだよ。だから…」
「…だから…?」

夜蛾の顏がだんだんと険しくなっていく。

「本家に軟禁されてたを連れ出して、今は都内に借りた僕のマンションに連れて行った」
「…は?マンション…」
「高専の寮にいたらまたすぐ連れ戻されるからね。僕のいぬ間に。五条家の人間に頼まれたら夜蛾先生も拒否できないだろ。この前みたいに」
「……確かにな。だがが五条家に連れて行かれるのが何故ダメなんだ。二度と会わせてもらえないというわけじゃないだろう。制約があるんだから」
「そりゃそうだけど…の意志とは無関係に軟禁されて、好きでもない天狗と見合いさせられるのを放っておけない」
「は…?見合い?」

夜蛾はまたしても驚き、五条は更に詳しく説明することになった。







「で?夜蛾先生は納得したわけ」
「まあ一応はね」

夜蛾から解放され、五条が帰ろうとした際、家入に呼び止められた。「少しお茶しない」と言われ、五条は渋々承諾すると、娯楽室に誰もいないことを確認して中へと入る。家入は缶コーヒーを買っていたが、五条は応接室で飲んできたばかりだ。今度はサッパリしたものが飲みたくて好物のコーラを自販機で買う。プルタブを一気に引けばプシュっという小気味いい音が響いた。

「それにしてもを辞めさせようなんて、五条のパパも困ったものねー。高専には優秀な術師が足りないってのに」
「夜蛾センセーも同じこと言ってた。まあ…今はも特級案件をひとりで任せられるくらいに成長したし、高専側としてもキツいだろうな」
「夏油の離反の次にまでいなくなられたらね」
「その辺は僕がオヤジを説得することになったから、それまではも高専休ませると思う」

椅子に腰をかけ、コーラを一気に飲みながら、五条は深い息を吐く。
あの日、五条家の離れからを連れ出した五条はその足で都内の自分のマンションへ向かった。初めて連れて行った日から何度となくもそこへ通っていたので「しばらくここに住め」と言えば、驚いた様子ではあったが素直に頷いてくれた。

「ふーん。じゃあ五条もしばらくはマンションにお泊りするんだ」
「何だよ…」

テーブルに突っ伏した家入が意味ありげな視線を向けて来る。その顔を見た時、彼女の言いたいことが分かった。家入には少し前に交わりの儀のことは話してある。それはが女性特有の悩みが出来た際、相談出来る同性が傍にいた方がいいと思ったからだ。家入に話すことを最初は恥ずかしがっていたも、最後は承諾してくれたから話した。だからこそ、こんな風にからかわれるのは心外だった。

「別に…毎日泊まり込む気はないよ、僕だって」
「でもじゃあ高専にも来れないし、五条が行けない日はひとりぼっちってこと?そんなの可哀そうじゃない」
「…それは…」

家入に言われて、一瞬言葉に詰まる。

"なるべく外出は控えて"

をあのマンションへ連れて行った時、五条がそう告げるとは素直に頷いた。前のなら文句のひとつでも言ってきそうなものだ。だけど、は何も言わずに「分かった」と応えた。その時の寂しそうな顔が脳裏をかすめ、五条は僅かに息を飲んだ。

「僕はバカか…」
「は?」

守っているようで、自分もさして父と変わらないことをに強要している事実に気づく。

「――ちょっと五条!どこ行くの?」

突然、立ち上がり娯楽室を出て行こうとする五条を見て、家入は驚いたように腰を浮かした。

「…任務入ったら連絡しろって夜蛾センセーに言っておいて。僕はしばらく都内にいるから」

後ろからギャーギャー叫ぶ声は聞こえたものの、五条はそれだけ言うとすぐに門まで走って行った。以前から瞬間移動をする方法を模索し、色々試した結果が門の外にある。

(ルート内の邪魔なものは半分ほど除いた。まだあのマンション近くまでとはいかないが、途中までなら"蒼"で飛べる)

車でのんびり移動するよりは早く着く。そう計算し、五条は門を抜けるとすぐにルート用地点へ足を向ける。それほどに早く帰りたかった。

本当はしばらくのところへ行かないつもりだった。傍にいると何故か触れてしまいたくなるからだ。一度交わってからずっとその感覚が続いている。の前では理性が機能しない。それは五条にとって怖いことでもある。なのに、を抱いている時の蜜月にも似た甘美な快感に抗えない。

"それは普通の男女ではなく、六眼と鬼姫さまだからだと思います"

以前、彩乃にチラっと相談したことがあり、そう言われたのを思い出す。

"長いこと制約として交わりの儀は行われて来ました。呪術師と鬼との間で交換される生気や妖力は接吻の比ではありません。古から続けられて来た交わりはどれだけの年月が経とうと先祖の濃い血と共に受け継がれ、現代の悟さまやさまの細胞ひとつひとつに組み込まれています。きっとそれが惹かれ合って身体が反応しているんだと思いますよ"

改めて説明された時は少し恥ずかしいものを感じたが、惹かれ合っていると言われた時には素直に頷けた。しかしそれは鬼姫としてではなく、というひとりの女の子にだ。
接吻だろうと交わりだろうと感情が入らなければただの作業に過ぎない。少なくとも以前の五条ならそうだったはずだ。でも今、のことを思うと誤魔化せないほど心が騒ぐのは、五条がに惹かれているからだと認めることが出来た。
それが女として好きなのか、それともパートナーとしての独占欲なのかは分からない。ただ、これからも自分にはは必要だと心の底から思っている。今はただ――会いたい。そう思った。




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