「よし、出来たー」
シャワーで綺麗に泡を流し、水を止めて立ち上がると額の汗を腕で拭う。しばらく屈んでいたので地味に腰が痛い。
「今夜はお湯溜めて入ろうかなぁ」
ピカピカになったバスタブを見下ろしながら、ふと時計を見ると午後4時になろうとしていた。
昨日の夜、五条にこのマンションへ連れて来られたは、少しの間高専を休むことになったので暇を持て余していた。自分の父親が何をするか分からないから外出もあまりするなと五条に言われたので出かけることも出来ない。なので今日は一日、部屋を掃除して過ごしていた。殆ど使われていなかった部屋はそれほど汚れてもいなかったが、埃くらいはたまる。時間は有り余っているので、リビングやキッチンから始めた掃除も、寝室、玄関、最後にはバスルームまで洗い終え、気分がスッキリした。とはいえ、一日中動いていたせいか腰だけじゃなく全身が怠い感じがする。
はバスタブに湯を溜めようと自動ボタンを押した。憧れの全自動機能付きのバスルームは最高だった。高専の大浴場も広くて開放的ではあるが、やはり高級マンションのお洒落なバスルームは女の子の憧れだ。
「私も借りるならこんなマンションがいいなぁ…。お風呂は絶対追い炊き機能があるとことか…でも家賃は高そう」
このマンションの家賃がいくらなのかは分からないが室内はもちろん、エントランスロビーからエレベーター、廊下などの豪華っぷりを見れば、相当な家賃だろうと想像できる。
「特級って給料いいもんなぁ…」
もちろんも高額な給料をもらってはいるが、今は殆ど使い道がないため全て貯金してある。
「あー疲れたぁ…」
腰を軽く叩きながらリビングへ戻ると、フカフカのソファに身を投げ出して寝転んだ。横になった途端、更に気怠くなってくる。任務の時以上に身体を動かしたかもしれない。
「お腹…空いたな…」
楽な姿勢になった途端、腹の虫が鳴る。この場合、妖力は使ってないので生気の方ではなく、普通に人の食事を欲している音だ。
(夕飯、どうしよう…悟はしばらく来なさそうだし、自分の分だけ作るの面倒くさいかも…)
天井を眺めながら、ふと昨日出がけに五条が言ったことを思い出した。
"はしばらくここにいて"
部屋へ入ってすぐ五条はそう言った。理由は五条家がふたりの関係に口を出して来たこと、そしてに相手を無理やり見つけようとしてるということらしかった。
"次の交換の儀の時に来るよ。それまで不便だろうけど外出は控えて。必要なものは揃ってると思うし、何か足りないものがあれば連絡してくれたら持ってくるから"
帰り際、五条はそれだけ言って出て行った。てっきり泊まっていくものだと思っていたは、少しだけ寂しくなったが、五条なりに心配してくれてのことだろうと素直に頷いたのだ。
「次の交換、かぁ…」
あと半月はある。本当にそれまで来てくれないんだろうか、と不安になった。五条の言った通り、食材などは揃えてくれたので困ることはない。その他もろもろの物は大抵すぐ隣のビルに入っているコンビニで買える。ただ何もせず部屋にいなければならないのはにとって少々退屈であり寂しくもある。
(それにしても…お見合いの件、何であんなに不機嫌になったんだろ…)
五条家に迎えに来た時の五条は明らかに機嫌が悪かった。がすんなりそれを受け入れてると知って余計に仏頂面になった気がする。
「まさかヤキモチとか…?」
前にも人間の彼氏が出来たと勘違いされ、"嫉妬した"みたいなことを言われたのは覚えている。
でもあれはパートナーとして接してる内に自分の所有物のように感じてたからだとは思った。悟もそう思っていた事実を認めてに謝って来たのだ。今回もあれと似たようなことなのかなとは首を傾げる。
(でも…悟が心配してくれるのは嬉しい…)
最近はそれなりにふたりの関係は上手くいっていると感じていた。それは恋人同士のような甘い関係ではなくても、五条とふたりで会える日は今のにとって幸せな時間だった。抱かれた後で、朝まで一緒に寝ている時間は本当の恋人同士になったような気分になれる。その反面、こうして独りの時間があると、どうしようもなく寂しく感じる。
「はあ…ダメだ。お腹空き過ぎて気分までマイナスになってくる」
食事の前にお風呂に入ってスッキリさせようと、は気怠い身体を起こすとバスルームへ向かった。自動にしておいたので湯はすでにたまっている。そこへお気に入りのバスソルトを入れて、溶ける間に服や下着を脱いで洗濯機へ放り込んでいく。しかしショーツを脱ごうとしたところで、ふと手が止まった。
「あ、着替え持って来てないんだっけ」
五条家からそのままマンションへ直行したので、着替えの類を持ってなかった。夕べは高専の制服を着ていたが、今日は五条の私服を借りていたのだ。昼間メッセージで着替えを頼んでおいたが、五条からは未だに返信はなかった。
「もう…ここにいろって言われても着替えがないと困るな…。服はいいとしても下着は…。あ、コンビニにあるかな」
今はコンビニでもちょっとした下着は売っている。すでに服を脱いでしまったので面倒だが、お風呂に入る前に買っておきたい。
「仕方ない…」
はもう一度Tシャツを羽織り、制服のスカートだけ身につけた。ブラジャーをもう一度つける気にならないので上にカーディガンでも羽織ればコンビニくらいなら行けるだろう。
「えっと財布は…」
リビングに戻り、バッグを漁る。その時、玄関の方から鍵の開ける音が聞こえてハッと顔を上げた。
「…悟?」
ドアの開閉音がして視線を向ければ、そこには見慣れた呪力。思わず笑みがこぼれた。
「?」
「悟!どうしたの?」
リビングの扉が開き、五条がひょいっと顔を見せたのを見て、はすぐに駆け寄った。
「次の交換の日まで来ないって言ってたのに…」
「いや…まあ…そう思ったんだけど…って、ああ着替え。ほらテキトーにオマエの部屋から持って来た」
「え?嘘、ありがとう!」
よく見れば五条は両手にバッグや大きな袋を手にしていた。
「こっち飛ぼうとする前にメッセージに気づいて良かったよ」
「その荷物も?」
「ん?ああ、これは寮にあった僕の荷物を少し持って来た。後は暇だろうから映画のDVDとか」
「え、悟の荷物って…ここにもあるのに?」
このマンションにも当然のように五条の衣類は置いてある。昼間、服を借りようとクローゼットを開けた時に気づいたのだ。
五条は気まずそうに視線を一瞬反らしながら「僕もこっちで寝泊まりすることにしたから」と言って再びを見下ろした。
言われたことが分からなかったのか、一瞬だけがキョトンとした顔をする。
「えっ悟も…?」
「うん。イヤ…?」
の反応に五条が少しだけ不安げな顔をした。しかしは気づかなかったようだ。思わぬサプライズで笑顔になった。
「え、何で?嬉しいよ」
「……素直じゃん」
のその反応に、五条は少し照れ臭そうに目を細めた。無邪気な顔で嬉しいと言われるのは五条も悪い気はしない。ただでさえ最近はに手を出しすぎたことで、傷つけていないかどうか心配だったのだ。だからこそ変な気を起こさないようしばらくは離れていようと決めたはずが、家入に可哀そうだと言われたことで、理由はどうあれに不自由な思いをさせていることに気づき、結局こうして傍にいることを選んでしまった。
(意志薄弱だな…)
そうは思ったが、ここで軟禁するのも五条家でされるのも彼女からしたら同じことなんじゃないかと心配になったのもある。
「あれ、風呂入ろうとしてた?」
キッチンの方から【お風呂が沸きました】というメッセージと共に可愛らしいメロディが流れて来たことで、五条が廊下の方へ視線を向ける。
「あ、いけない。そうだった。でもその前に今ちょっと下のコンビニ行こうとしてて…」
「コンビニ?風呂の前に?」
「えっと…下着の替えがないことに気づいたから…」
恥ずかしそうにモジモジと応える。しかし五条はアッサリ。
「ああ、それなら寮のの部屋から持って来たけど」
「……え」
「メッセージくれたろ。着替えないって。だから――」
と言いかけた時、がすぐに五条の持って来たバッグを開けた。中には秋冬物の洋服の他にメイク道具といった化粧品もある。その下には可愛らしいデザインの巾着があり、中を見ればそこには色とりどりの――。
「ちょ、悟…勝手に私のクローゼット開けたの?」
「え、そりゃ開けるだろ。着替え欲しいって言われたら…」
「だ、だからって下着まで…」
下着類は寮のクローゼットの奥にミニチェストを置いてそこにしまっていた。そこには女性用のナプキンといった物もしまっていたのだが、ご丁寧にそれもきちんと入っている。の顏が羞恥で赤く染まった。
「…何でそんな怖い顔すんの」
「…悟ってばホントにデリカシーないんだからっ」
「は?だってが着替え頼んだんだろ?」
「あ、あれは…服とか靴のことだもん…」
「ならそう送れよ。だいたい下着は必要だろ。現に今コンビニで買おうとしてたんだし。こういう場合は気が利くねーとか言うもんじゃないの?」
「…う…そ、そうだけど…」
五条の言っていることも最もだと言葉に詰まる。けれど恥ずかしいものは恥ずかしい。そういう女心を分からないのが五条という男の五条たる所以なのだが本人はケロっとしている。
「だいたい今更だろ。の下着なんてもう見慣れてるし――」
と言いかけた途端、五条の顔にぼふっと何かが飛んで来た。オートで術式を発動しているので痛くはないが、ボトリと足元に落ちたのは着替えの入った巾着だった。中から可愛らしいデザインのブラジャーが半分飛び出してしまっている。
「何すんだよ…ったく、恥ずかしいならこういうものは投げるなって」
「きゃー触らないでよっ」
飛び出したブラジャーを五条が拾ったのを見て、その手から奪い取る。それには五条の目も僅かに細められた。
「なら投げなきゃいいだろ」
確かに、とも思ったがそこはプイっと顔を反らす。本当に何でこんな女心も分からない男を好きになってしまったんだと自分でも少し不思議に思う。その時、何かに気づいた様子で五条がサングラスを外し、マジマジとを見つめてきた。
「な…何よ…」
「いや…さっきから気になってたんだけどさ…、もしかして…ノーブラ?」
「……ッ?!」
身を屈めた五条に、指先で胸の膨らみをつつかれ、の顏が耳まで赤くなる。思わず胸に触れている五条の手をバチンと叩き落とした。無限があるので当たってはいないが。
「悟のドスケベ!鈍感!お風呂入って来るっ」
「あ、おい――」
がプリプリと怒りながらバスルームへ走って行く。その怒りように五条は呆気にとられたものの、困ったように頭をガシガシ掻きながら苦笑した。
「何だ、アイツ…。相変わらず怒りんぼだな…」
五条にしてみれば儀という前提であれ、すでに身体の関係があるにも関わらず、あそこまで恥ずかしがるの気持ちの方が分からない。分からないが、照れてる顔は嫌いじゃない。ついつい意地悪したくなる欲が刺激されるからだ。
「可愛いやつ」
軽く吹き出すと、五条は脱いだジャケットをソファに引っ掛け、キッチンへと向かった。

「うわー美味しそう!」
風呂から上がり、リビングへ顔を出したの顔に笑顔が浮かんだ。
「だろ?」
が風呂に入っている間に、五条が夕飯の支度をしておいたのだ。先ほどの件で不機嫌になったであろうの機嫌を直すため、ここへ来る途中に買って来た食材で彼女の大好きなオムライスを作った。あとは簡単なサラダを作り、コンソメスープにバジルを振れば意外とお手軽な夕食として形になっている。
「食後はこれな?」
最後に必殺"食後のデザート"を見せれば、の瞳が更に輝きを増した。
「あーっ!フレジェ!」
以前、お土産に買って行った時にが大喜びしたケーキをここへ来る途中で店に立ち寄り買って来たのだ。案の定、は先ほどの不機嫌さなど吹っ飛んだように喜んでいる。
「ありがとう、悟!」
「いえいえ。(ちょろいヤツ)」
ガバっと抱き着いて来たを見て、五条は内心苦笑いを零す。
「んじゃー冷めないうちに食べよう」
「うん」
ふたりはカウンターのスツールに並んで座ると「頂きます」と言いながら、少し早めの夕飯をとる。ふたりでノンビリ食事をするのは久しぶりだった。
「んー!美味しいっ」
「そう?なら良かった」
「卵ふわふわ…悟、凄いね。料理も出来るの?」
「いや、あんまやったことなかったなー。まあこれくらい僕にかかれば」
元々が器用な五条はちょっとやっただけですぐに覚えてしまうようで、は感心しきりだった。
「悟が来てくれて良かったー。夕飯どうしようか悩んでたの」
「そんなに喜んでくれるなら作った甲斐はあったな」
美味しそうに食べてくれる顔を見ていると、ふとそんな本音が零れ落ちる。
(そう言えば…誰かの為に料理したのなんて初めてだな…)
これまで自分の腹を満たすために簡単なものを作ったことはある。だがこんな風に喜ぶかどうかを気にしながら他人の為に料理をするなど一切したことがなかった。いや、料理だけじゃなく。ケーキだってそうだ。ここへ戻ると決めた時、柄にもなくの好きなものを買って行きたくなった。だからわざわざ渋谷に寄り道してまでの好きなケーキを買って来たのだ。
「ケーキも…ありがとう。凄く嬉しい」
「…大げさ」
「だって…今夜もひとりでご飯食べて寝るのかなーって思ってたから…嬉しいんだもん」
の表情は明るかった。昨日、五条が帰る時に見せた寂しそうな顔とはまるで別人のようだ。不意に胸が苦しくなった気がして、五条はから視線を外した。よく分からないモヤモヤが喉の奥に痞えているような感覚だった。
「あ~美味しかった!ご馳走様でした」
はペロリと食事を平らげ、満足そうに手を合わせた。
「あ、お礼に私が片付けするから悟はお風呂入って来たら?」
「あー…うん、そうしようかな」
ちょうど食べ終えた五条の皿を下げようとがスツールから下りる。すると座ったままの五条と目線が同じになり、目が合った時にが恥ずかしそうに反らしたのを見て、五条の鼓動が小さく跳ねる。一瞬、男の欲が疼いた気がして、五条は誤魔化すように立ち上がろうと腰を浮かした。
「…やっぱ僕も手伝うよ、洗うの」
「え、いいよ。作ってくれたお礼だもん」
そう言って立ち上がろうとした五条の肩を押して再び座らせる。の頬はかすかに赤くなっていて、照れているようなその姿がやけに可愛く見えた。だから――。
「悟はお風呂入ってて」
――笑顔で言いながら歩いて行こうとするの腕を、つい掴んでいた。
「悟?」
「お礼なら…ここにして欲しいかなー」
「…え」
五条がふざけて自分の頬を指さすと、はドキっとしたように固まった。
「ダメ?」
「ダ、ダメっていうか……何で?」
「何でって…して欲しくなったから?」
「……」
五条がスツールを回しての方へ身体を向けると、はモゴモゴ言いながら俯いてしまった。色白の頬はさっきよりも赤みを増している。
「ホッペにするくらいいーでしょ」
あからさまに照れているが可愛くて、からかい半分で顔を覗き込む。するとが小さく頷いた。
「そ、そんなことでいいなら…」
「いいよ。じゃーはい」
初々しい反応に笑いを噛み殺しつつ、五条が自分の頬をに向ける。は恥ずかしそうにしていたが意を決したように一歩前に出ると、五条の頬へちゅっと可愛いキスをしてくれた。途端に唇の触れた場所から熱が生まれ、小さな疼きに変わっていく。
「こ、これでいい――」
そう言いながら離れようとしたの頬を、五条が掴んで引き寄せる。そのまま何かを言いかけた唇を塞ぐと、の瞳が驚きで見開かれた。
「…ん…ん、」
スツールに座ったまま、の腰を抱きよせた五条は柔らかい唇を優しく啄む。何度か繰り返した後でゆっくりと唇を離せば、の潤んだ瞳と目が合った。首まで赤く染まった姿はやけに色っぽく見える。
「あ、あの…お皿洗っちゃうね」
恥ずかしいのか、は慌てたように五条から離れると、お皿を手に持ちキッチンへと走って行く。その姿を見て五条も何故か照れ臭くなった。
(何やってんだ…僕は)
最初は照れてるをからかってやろうと始めたはずなのに、最後は自分の方が本気になっていた。ただ本当に自然に、にキスをしたくなった。これまでにも感じたことがあるむず痒いような感覚だった。
(何でドキドキしてるんだ…?)
今までも何度かにキスをしたことがあった。でも今はその時以上に意識してしまう自分がいて、五条は少しだけ戸惑っていた。触れあっているだけで、気持ちまで強く引き寄せられる。これまで見て見ぬふりをしていた心が限界を超えてしまうような、そんな予感があった。
「悟?お風呂早く入って。ケーキ切っておくから」
「あーうん…」
声をかけられ、ハッと我に返ると、五条は笑顔で応えた。こんな会話でさえ、まるで恋人同士のようでドキドキさせられる。楽しそうに洗い物をしているを見ながら、いつの間にか心の深いところまでが入り込んでいることを、五条は初めて自覚した。
先生は女物の下着も特に気にせず普通に触りそう…笑