二十九.期待



「面白かったあー!」

映画館の出口に向かいながら、は未だ興奮冷めやらぬ様子ではしゃいでいる。久しぶりに見るその明るい笑顔に、五条は内心ホっとしつつ「そーお?」と苦笑を零した。

「シリーズもんって長くなればなるほど飽きて来ない?」
「そんなことないよ。私は最後まで観たい」

は映画を観る前に買ったパンフレットを捲りながら未だに感想を話し続けている。しかし五条にとっては主人公の魔法使いがどういう結末を迎えるのかはそれほど興味がなかった。ただが楽しそうにしている姿を見るのは悪くない。だからこうして予告編を見てからずっとが「行きたい」と言ってた映画に連れて来たのだ。

「でもダニエルも成長してカッコ良くなったよね。最初の頃は可愛い感じだったのに」
「そう?僕の方が断然カッコいいと思うけど」
「………」

アピ―ルするようにニコリと笑う五条を見上げながら、は僅かに目を細めた。これも"何言ってんの"という無言のアピールだ。以前より性格は柔らかくなったものの、逆に軽薄さに磨きがかかったのでは?と思わないでもない。しかし心の中ではそういう五条もまた、好きだと思ってしまうのは惚れた欲目かもしれない。忙しい合間を縫って、こうして映画に連れて来てくれる五条の優しさがは好きだった。

「あーこれからどうする?」
「え…真っすぐ帰るんじゃないの…?」

人気シリーズの最新作というだけあって映画館は予想以上に混雑していた。人波に押されるように出口を抜けながら尋ねると、応える前に五条がの方へさり気なく手を伸ばす。

「え?」
「え?じゃねーよ。手、貸せ。オマエ、人波にさらわれそうだし」
「う、うん…」

照れくさくて、つい大丈夫、と言いかけたが、すぐに思い直すと素直に頷いた。繋がれた手がしっかりと握り締められる感触が伝わって来る。その熱が少しだけ恥ずかしい。五条とは口付けも、それ以上に身体の関係もあるはずなのに、手を繋ぐだけでどうしてこんなにもドキドキするんだろう、とは不思議に思った。こうして手を繋ぎながら歩いていると、本当の恋人同士のような気分にさえなってしまう。

「ああ、そんでどーする?何か飯でも食ってこーか」
「あ…うん…」

てっきり映画を観終わった後は真っすぐ帰るものだとばかり思っていた。今朝も任務で朝早くに出て行った五条は、昼過ぎになって帰って来ると、突然「映画観に行こう」と言い出したのだ。ずっとマンションの部屋に籠っていたは嬉しかったが、さすがに任務帰りで出かけて来たのだから五条も疲れているのではと心配だった。

「でも悟、疲れてるんじゃないの?」
「…え、何で」
「だって…任務続きだったし今朝だって、あまり寝ないで行ったでしょ。映画観ながらちょっと寝てたし…」
「あー。いや、大丈夫だけど?」

五条はあっさり言いながら笑っている。その顏は確かに疲れているようには見えない。映画の途中で眠ってしまったのは単に飽きたせいだろう。

「最近、疲れないんだよ。常に反転術式で回してるし、前より体力もついたし…まあのおかげ、かな」
「え…私?どういう意味?」

キョトンとした顔で五条を見上げるは、その言葉の意味を全く理解していないようだった。五条は苦笑すると僅かに身を屈め、の耳元に口を近づける。

と交わってるおかげで呪力が爆発的に向上してるから」
「………っ」

の顏がアニメのキャラのように赤くなっていくのを見て、五条は小さく吹き出した。身体を何度重ねても、こういうところは純真無垢な少女のままだ。

「あ、あれ!あれが食べたいっ」

照れ隠しなのか、が不意に前方を指さした。その先を視線で追うと、そこには一台のキッチンカーが止まっている。前には"トルコ料理・ケバブ専門店"という旗が立っていた。最近流行っている移動販売型の屋台だ。車内にいる外国人が忙しなく動いては行列を作っている客にケバブの入った弁当を売っている。

「え、、あれ食べたいの」
「う、うん。美味しそうな匂いがするし」
「あー確かに。でも…店じゃなくていいのかよ。あれ、テイクアウト専門だぞ」
「いいの。あれ買って帰ろ」
「まあ…が食べたいならいいけど」

ふたりで食べるならレストランであろうとテイクアウトであろうと、さして変わりはない。五条はの手を引いて行列の最後尾へと並んだ。五条との前には五組ほどが今か今かとケバブを待ってるようだ。

「こりゃ少し待たされそうだな」
「いいよ、時間もあるし」

時計を見ながらは笑顔を見せた。並ぶのは嫌いな五条だが、と話していればアッと言う間に時間が経つような気がして「それもそうか」と素直に頷く。だがその時、僅かな気配を感じて五条は背後へ意識を向けた。

「………」
「どうしたの?悟…」
「いや、ちょっとトイレ。は並んでて」
「え…?悟…?」

急に列から飛び出し、後方へ走って行く五条を見て、は慌てて追いかけようとしたが、すでに後ろには3組ほど新たな客が並んでいる。追うに追えなくては溜息をついた。

(…トイレなら映画館を出る前に行ってたのに…)

は首を傾げつつも、ここは言われた通り並んで待つことにした。







「…何してんだよ、武長」

映画館に隣接しているショッピングビルのエントランス。そこに立っているスーツ姿の男に、五条は背後から声をかけた。

「…悟さま」

五条家の番人、武長は特に驚いた様子もなく、相変わらずの硬い表情で振り向く。

「オヤジの命令で僕をずっと見張ってたのか?」
「………」

武長は何も応えない。しかしそれを肯定と取った五条の顔つきが変わった。

「忘れるなよ?僕が本気になれば番人のオマエは僕に従わざるを得なくなることを」
「もちろん承知しております。ですが最近の悟さまはさまに入れこみすぎ――」

最後まで言わせないよう、五条は武長の胸ぐらを思い切り掴みあげた。しかし武長は表情ひとつ動かさない。

「旦那さまは今まで悟さまの我がままを見て見ぬふりをしてきました。しかし彼女のことはそう言うわけにはいきません。理由は悟さまが一番ご存じのはず」
「何が言いたい」
「ひとつくらい旦那さまの頼みを聞き入れてくれる気はありませんか」
「………」

真剣な表情の武長を見て、五条は手を離して息をついた。武長は当主となった五条の直属の部下になるが、元当主である五条の父に幼い頃から仕えて来た男だ。どちらかと言えば父に忠誠を誓っているのは五条も分かっている。

「どーせ…見合いの件だろ?」

これまで何度となく父から打診されているが、五条はそもそも見合いすらする気はなかった。

「もし先方の女性と会って下さるなら、旦那さまもさまのことは大目にみるとおっしゃっておいでです」
「…は?何だ、そりゃ。大目に見る?五条家当主の僕に言ってるの?引退したくせに何様なんだよ」
「………」

五条の碧眼が鋭い光を放った。しかし怒気を多分に含んだ言葉にも、武長は眉一つ動かさない。怒りながらも、五条の中に僅かな迷いや、今の言葉に対する期待が見えたからだ。

「悟さま…とにかくさまを連れて一度お戻り下さい」

五条は応えない。その視線は行列の間で自分の番を待っているに向けられた。すっかり秋めいて今日は少し肌寒い。は風が吹くたび首を窄めながら手をこすり合わせている。こうして見ていると、その辺の人間と何ら変わりない。普通の女の子だ。

「…僕だけだ」
「え?」
「僕だけなら一緒に行ってやる」
「悟さま…」
「見合い?してやるよ。それでクソオヤジの気が済むならな。相手には僕から直接断る。それでもいいんだろ?」

武長はその問いに応えなかった。代わりに「ではあちらの車でお待ちしております」と頭を下げて静かに歩いて行く。その背中を見送りながら、五条は軽く息を吐いての方へ歩き出した。

「あ、悟。次が私達の番だよ」

五条が戻るとは笑顔で言った。見れば前にいる客は一組となっている。

…悪い。ちょっと呼び出されたから行かなくちゃならないんだ」
「…え…任務…ってこと?」
「…ああ。だから――」

と言いかけた時、キッチンカーにいる外国人の店主が「ツギノカタ~ドゾー」と片言の日本語で話しかけて来た。五条はが食べたがっていたケバブの弁当を二つ購入すると、それをに渡した。

「これ持って家で待ってて」
「…悟、帰って来る?」

お弁当を受けとりながらは少しだけ不安そうな顔をした。五条はその気持ちを察して安心させるよう笑顔で頷く。

「当たり前だろ。お腹空いてるからって僕の分は食うなよ?」

言いながらの額を指で小突くと、すぐにの頬が膨らんでいく。

「人を食いしん坊みたいに言わないでよ…」
「実際、食いしん坊だろ。コッチも…アッチも」
「……っ知らない。早く行ったら?」

最後の言葉は耳元で囁かれ、の頬が一気に赤くなる。恥ずかしいのを誤魔化すようにそっぽを向くに、五条は苦笑しながらもその頭を軽く撫でた。例え嘘でも、のことを大目にみると言い出した父の真意を知りたかった。

「じゃあ…なるべく早く戻るから」
「…う、うん…。気をつけてね」
「誰に言ってんの」

五条は笑うと、お弁当の入った袋を持つの手にそっと自分の手を重ねた。の指先は待っている間に冷えたのか少し冷たい。

「身体、冷えてるから帰ったらまず風呂で温めろよ」
「…分かった――」

頷いて、顔を上げた瞬間、五条の唇がのそれと重なる。冷えていた唇にじわりと熱を持った。

「…さ…悟っ?」

五条のいきなりの行動に,は驚いて辺りを見渡している。すぐ傍には未だに行列が出来ていて多くの人達が並んでいるのだ。案の定、ふたりのキスを見たギャラリーから冷やかすような声が飛んで来る。知らない人たちにからかわれ、の頬が更に赤くなった。しかし五条は動じることなく微笑むと「ちゃんとタクシーで帰って」とだけ言って歩いて行く。言われなくても、とはその場から離れて歩き出した。ひとりで好奇の視線を向けられるのは恥ずかしくて耐えられない。だがふと足を止めて振り向いた。

「悟…何で…」

キスをされた唇は未だに熱い。これまで何度となく戯れでされてきたが、今の感じは少し違ったように感じた。人混みに紛れ見えなくなった五条の姿を追うよう碧眼を向ける。姿は見えなくても、鬼の眼は五条の強い呪力を捉えている。

(任務って言ってたけど…この近くなのかな…)

だったら帰らずに待っててもいい。そう思った。しかし次の瞬間、五条が何かに乗り込むような動きを見せた。そしてその近くには見覚えのある呪力が見え隠れしている。

「あれ……武長…さん?」

五条の大きな呪力と重なって分かりづらいが、チラっと見えたのは武長の呪力のような気がした。

「悟……?」

周りにいる人間たちの微量の呪力や生気エネルギーに交じってわかりにくいが、あの様子だと五条は武長の車に乗り込んだのだろう。の胸の中に不安が広がっていく。

(何で任務なんて嘘つくの…?)

五条の呪力は遠ざかり、そのうち見えなくなった。なのに、はしばらくの間、その場から動けないでいた。




残り数話ほど…頑張るぞ✊


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