揺蕩う-07

ダメだ。顔が緩んでしまうのを止められない。
そう思っていたら案の定。五条が「何笑ってんのー?」とニヤニヤしながらの顔を覗き込んできた。
「べ、別に笑ってないし…」
「嘘つけ。のここ、締まりねえじゃん」
五条は笑いながらの頬を突いてくる。でも今日はそれだけでも幸せに感じてしまうから、かなり単純な自分に笑ってしまう。
今日は四カ月ぶりに自由な時間を貰えた。それは巫女として五条の穢れを祓って来なさいという当主さまからのご命令だからだ。前は呪霊を祓うたびに行っていた儀式みたいなものが、年々期間が空いて、今じゃ数か月に一度となっている。それは五条の強さも関係しているので、としては複雑だが、穢れをため込まないようにすることは大事だ。こればかりは例外なく、五条にも必要になって来る作業だからだ。
「でもいいのかな…巫女のお勤めで来たのに遊園地なんて…」
「いいんだって。久しぶりに会えたんだしデートくらいしようぜ」
五条は言いながらの手を引いてパーク内を歩いて行く。今日は前から行ってみたかった夢の国まで五条が連れて来てくれたのだ。広い園内は大勢の客達で賑わっている中、と五条も他のカップルと同じようにアトラクションを楽しんだ。こんな風に誰の目を気にすることなく、五条と並んで歩くことが出来るのは初めてかもしれない。これまで感じたことのない嬉しさがこみ上げていく。
同時に、それは自分が五条のことを幼馴染としてでも、主としてでもなく。異性として好きなんだと自覚させるものだった。
あれほど長いこと傍にいながら、何度も身体を重ねていながら、会えなくなった途端、自分の気持ちを自覚するなど、なんて皮肉なんだろう。
五条家の使用人扱いとはいえ、巫女として大切に育てられた世間知らずの自分の鈍さに、もただただ呆れ果ててしまった。なのに今更その想いを五条に伝えることも出来ず、こうして会えたことの嬉しさを、全身で表すことしか出来ない。
「あ~目が回る…」
「あれくらいで?だっせー」
「む…だって初めて乗ったんだもん…」
人気のアトラクションは想像以上に怖くて大絶叫してしまった。おかげで喉がすでに掠れている。このペースでいけば帰る頃にはガラガラかもしれない。五条が「、叫びすぎ」と笑いながら彼女の頭を撫でていく。こんな他愛もないやり取りが、思うように会えない今はとても大事に思える。あの頃、この想いに早く気づいていれば、と今更悔やんでも仕方がないのに、ついついそう思ってしまう。
「少し休憩する?」
「うん」
ここへ来て二時間、延々と乗り物に乗ってたから疲れてしまった。きっと五条も気づいて言ってくれたのかもしれない。
五条はの手を引くと、近くにあった店に入った。
「何飲む?」
「えーと…あ、これがいい」
キャラクターのアートが施されてるカフェラテを指すと、五条はそれを買ってテーブル席まで運んでくれた。こういうときの五条がは好きだった。
「あー疲れたぁ~」
「しょっぱなから飛ばしすぎなんだよ、オマエは」
と同じものを飲みながら、五条も苦笑いを零している。でも久しぶりに会えた上に、こうして夢の国でデートまで出来るんだから、これではしゃがない女の子はいないだろうな、とは思う。
「だって楽しいんだもん…こうして外で会うなんてことなかったし、夢の国にも来れたし」
「まあ…いっつも室内ばっかだったもんな」
五条が意味深に笑うから頬が熱くなった。と五条は地元じゃあまり一緒に出歩くような機会もなく、また家の人間の目が気になって必然的にそうなっただけだ。そして五条と密室にいると自然とそういう空気になってしまう。
そこまで考えて本格的に顔が赤くなってしまった。それに気づいた五条は困ったように笑いながら「何、えっちぃ想像してんだよ。スケベ」と指で額をつついてくる。
「な、何も想像なんてしてないし…っていうかスケベは悟じゃない…」
「まあ俺はスケベだけど、何か?好きな子とくっついてたら男はみーんなスケベになんだよ」
「う…」
堂々スケベ宣言をしたあげく、「好きな子」と称されたのが、想像以上に恥ずかしい。五条が含みのある言い方するのがいけないのに。そう思っていると、五条は僅かに身を乗り出して彼女の顔を覗き込んだ。ズレたサングラスからキラキラした青い瞳がを射抜いてくる。その瞳に男特有の熱が垣間見えて、の鼓動が小さく跳ねた。
「ちなみにここにもホテルはある」
「え…?」
「オマエが泊まりたいならすぐにでも部屋とるけど?」
ここのホテルと言えば豪華で可愛い部屋が有名なあのホテルだろう。五条はニヤリとしながらの反応を見ている。どちらかと言えば泊まってみたいけれど、それは無理な話だ。外泊の許可までは取っていない。
「い、いい…泊れないもん」
「そんなの俺がどうとでも理由作るって」
「ダメだよ…。奥様たちに変に思われちゃうし…」
「別にババアなんて平気だって。俺の言うことに逆らえねーんだし。ってか、とっくに気づいてんだろ、俺とオマエの関係」
「…えっ」
気づいてると言われては驚愕した。五条の母親は昔からのことを可愛がってくれているひとでもある。そんな五条家の奥様に、五条とのふしだらな関係が知られてると思うと、羞恥と恐怖での顏から血の気が引いて行く。
それに気づいた五条は「んな顔すんなって…」と呆れたように溜息を吐いた。
「つーか…前から俺が母さんにオマエとのこと匂わしてたし、まあ向こうもそれなりに俺の想いには気づいてたっぽいから、別にいいんじゃない?としか言われなかったわ」
「え、い、いいって何…?わたしと悟のこと許してくれてるの…?」
「そりゃそーだろ。次期当主の俺が言えば黒も白になんだよ。変にオマエとの関係を隠してて、よそから縁談話とか持ってこられんのも困るし、早めに手を打っただけ」
「…悟……」
の瞳が戸惑いで揺れるのを見た五条は「何だよ。外堀から埋められてるとか思ってんの」とスネたように唇を尖らせた。しかしも五条と同じ気持ちだ。慌てて首を振る。まさか、そこまで五条が動いてくれてたとは思わず、驚いただけだ。だが、五条は「ほんとかよ」と、どこか自虐的な笑みを浮かべていた。
「俺はさぁ…オマエが俺のことを男として好きじゃねえのは何となく分かってんだよ。どうせ流されて俺に抱かれてんだろうなって思ってるとこあったし、ってか、そう仕向けたの俺の方だから」
「…え?な、何それ…」
「何って…そりゃあ…まあ…オマエのこと好きで好きで仕方なかったから。だから…あんな強引なことしたわけで…あの頃のはまだ全然何も分かってなかったじゃん。そこにつけ入った自覚はあるっつーか…」
五条は言いにくそうに頭を掻くと、それでも真剣な眼差しをへ向けた。
「でも絶対に他の男に渡したくなかった。どんな手を使ってでも。今もその気持ちに変わりはねえよ」
「…悟…」
「ただ、の気持ちもあることだから…って母さんに言われたとき、あいつも俺と同じ気持ちだとは言えなかった」
何やってんだろうな、と五条は苦笑した。その寂しげな横顔を見たとき、思わず五条の服をぎゅっと掴む。それを見た五条は、ふとを見下ろし、かけていたサングラスを外した。その表情を見たとき、は五条が泣いてしまうんじゃないかと思った。そう思うほど、初めて見せる顔だった。
「は…俺が傷ついてないとでも思ってんの?」
「…え?」
「勝手なこと言ってんのは分かってる。先にを傷つけたのは俺だし…。でもその後も俺に従順なオマエを見てると、俺が五条悟だから無理してんのかなって思うこともあって…何か…時々やりきれなくなる。なのに手放すことも出来ないんだから最低だよな」
そう呟いた五条の顔は、やはり泣いてるように見えた。涙を流してるわけじゃない。なのににはそう見えてしまう。
「…わたしが従順に見えてたなら…それは悟が好きだからだよ」
「はっ。どうせ幼馴染とか五条家の主だとか――」
「違うっ」
またしても自虐的なことを言う五条を見て、はつい声を上げてしまった。確かに傍にいる頃は分からなくて、きっと五条の言う通り、そんな気持ちがあったのは確かだ。でも今は違う。ハッキリと自分の気持ちを自覚している。そのことを必死に伝えると、五条はぽかんとした顔で彼女を見ていた。
今はもっと悟と一緒にいたいし、ここのホテルにも泊まってみたい。出来れば朝まで悟の腕に抱かれて眠りたい。でも現実にはそんなこと無理だって思ってた。
そう訴えるように見上げると、五条はふと困ったような顔での髪を撫でた。
「…オマエ、そういうのもっと早く言えよ」
「ご…ごめん…会えなくなってから気づいたし…」
そう言って俯けば、五条は「ハァ…」と深い溜息を吐いている。どこかホっとしたような、それでいて呆れたような顔だ。でも不意に掴まれている腕を引き寄せ、もう片方の腕での肩を抱き寄せた。ついでに身を屈めて顔を近づけてくる五条を見て、ギョっとする。
「さ、悟…ダメ…」
「…何で?今、めちゃくちゃにキスしたいんだけど。両想い発覚記念」
「な、何それ」
「今、思いついた記念日名。記念日と言えば…やっぱちゅーすんのが基本だろ」
「こ、ここで…?」
「ここで」
「う…」
しばし見つめ合った後、自然と唇を寄せてくる五条から顔を反らす。ここは大勢の客がいるカフェ内で、ただでさえ目立つ五条は女性客から注目の的だ。なのにこの中でキスなんてされたら死ぬほど恥ずかしい。
「み、みんな見てるし…」
「あんなギャラリーどもはほっとけ」
「そ、そういうわけにはいかないよ…」
心を鬼にして五条の胸元を押し戻すと、再びスネたらしい。綺麗な瞳が半分にまで細められ、艶々した唇はこれでもかってくらいに尖っている。こういう時の五条は昔に戻ったみたいに子供になるから、内心可愛いなんて思ってしまう。そんなことを言えば怒り出すのは目に見えてるので絶対に言えないが。
「のケチ」
「ケ、ケチで言ってないもん」
「あっそー。じゃあさっき買うって約束したオマエの好きなキャラのヌイグルミはお預けだな」
「えっ何それ!横暴!」
本気で焦って腰を浮かすと、五条はたまらないと言った様子で盛大に吹き出した。どうやらからかわれたらしい。
「マジで焦ってやんの。かわいー」
「…む。バカにしてる」
「してねえよ。ほんとに可愛いって思ってる」
「………」
プイっとそっぽを向いた瞬間、頬に素早くキスをされ、ギョっとして辺りを見渡す。かすかにざわついたのと同時に、痛いくらいの視線が背中に刺さるのを感じた。きっと、あんなイケメンに何であんなガキが?と思われてるのかもしれない。でもそんなことを気にしていたら五条とは一緒にいられない。
「じゃあ、そのヌイグルミでも買いに行く?」
「う、うん」
見られている本人は周りの視線など一切気にしてないらしい。カフェラテを飲み終わった五条が席を立ち、の方へ手を差しだす。この手を、わたしは選んだんだな…とは思った。
「特大サイズの買ってやるよ」
「え、でも運ぶのは悟だよ」
「………」
手を繋いで歩き出した足をピタリと止め、五条は複雑そうな顔で振り向いた。
「やっぱ普通サイズにしとけ」
「えー…」
「つーか、そんなもん持って帰ったら、それこそ遊んでたのバレるぞ」
「あ…そうだった」
そのことを思い出して吹き出した。五条といると楽しくて、つい今日の目的を忘れそうになる。
自分の手を引きながら前を歩く五条の背中を見上げると、は触れている手から浄化を始めた。それに気づいた五条がギョっとしたように振り向く。
「おい、こんなとこで――」
「誰も何してるかなんて分かんないよ」
「まあ、そりゃそうかもしんねーけど…」
五条は苦笑交じりに言いながらも、歩く速度を落としていく。
通常、呪力は負のエネルギーの塊だが、の特殊な呪力は触れたものの穢れを浄化させることが出来るプラスのエネルギーで出来ている。平安時代から脈々と続く彼女の家の力は、普通の呪術師とは少し異なっていた。戦闘が出来るほどの強い術式はないけれど、呪力で傷つけられた体から穢れを吸いだし、ケガを癒すこともできるので、過去も呪術師たちからは重宝されたらしい。
歩きながら五条の肉体を癒していると、不意に立ち止まったらしい。の顔面が五条の背中にぶち当たってしまった。
「いったぁ…もう何で急に止まる――」
と文句を言った瞬間、ふたりのくちびるが重なる。ビックリして瞬きを繰り返すを満足げに見下ろすと、五条は綺麗な唇に弧を描いた。
「どうせ癒してくれんなら、こっちがいい」
そう言いながら身を屈めた五条は、もう一度のくちびるを優しく塞いだ。こんな人混みの中でを抱き寄せる五条は確信犯かもしれない。固まったのくちびるを何度も啄んで、魅力的な笑みを浮かべるのだから、本当にタチの悪い幼馴染だとは思う。
「浄化も出来て、十分パワー補給できたかも」
「……バカ」
ペロリとくちびるを舐めながら笑う五条に、そんな言葉しか返せない。こうして普通の恋人同士のように笑い合える時間が、ただ愛しかった。
この手があれば、寂しい夜を何度だって超えられる。
いつか世界の時間が止まったとしても、ふたりが一緒にいられればそれでいい。そう願ったのはどちらも同じで、もう二度と心が揺蕩うことはなかった。
