02-優しい溺死
"が好きだよ"
赤司くんに言われた言葉が昨日からずっとグルグル頭を回ってて、リアルな声が耳の奥に残ってる。
赤司くんは何も言えずに固まっている私を見て微笑むと「返事は今すぐじゃなくていいから」と言ってくれた。
というか、やっぱり返事をしなきゃいけないらしい。困り果てた私は次の日の朝、従妹の玲央ちゃんに泣きついた。
「――征ちゃんに告られたぁ?!!」
「シーッ!声が大きいよ、玲央ちゃん……!」
練習前、合宿で使わせてもらってる体育館の床とボールを綺麗に磨いた後、皆の朝ご飯の用意をしてから部屋に戻って――玲央ちゃんと私は同じ部屋――昨日の夜のことを全て話してしまった。
勝手にこんな話をして良かったのかは分からないけど、ひとりで考えるにしても私には重すぎる秘密だ。玲央ちゃんは案の定、その綺麗な顔を歪めたまま、数秒間はフリーズしていた。
「……きょ、今日ってエイプリルフールだったかしら」
「今は夏だよ、玲央ちゃん……。夏休み中なんだから。現実逃避しないで」
「そ、そう、だったわね。やだ……私としたことが……」
玲央ちゃんは熊の如く部屋の中を歩き回って、私以上に動揺しているみたいだ。でもその気持ちは分かる。私だって今朝起きた時に夕べのことは夢だったのかなって思ったくらいだ。
「ねえ、玲央ちゃん……どうしたらいい?」
「どどどどうしたらって、それは私にだって分かんないわよっ。えぇ?っていうか征ちゃんの好みって確か上品な子って言ってたわよ?なのに何でよりによってなの?」
「玲央ちゃんひどい!そんな言い方しなくても……」
「そ、そうね……。それは謝るわ。でもアンタ、からかわれただけじゃないの?」
目線を合わせてジっと見つめてくる玲央ちゃんに、私もそうかもしれないと思い始めていた。だって玲央ちゃんがこんなに動揺するくらいだから、赤司くんが私を好きだなんてホントにありえないんだろうし、自分でもそう思う。
「で……実際、なんて言われたの?」
「……好きだって」
「すっ……き?!そ、それはアレじゃないの?"僕はカレーが好きだ"って言ったのを、アンタが勝手に告られたと勘違いしたとか――」
「む。そこまで私もバカじゃないもん。赤司くんはちゃんと"が!好きだ"って言ってたし!」
「な、名前付き……なのね」
玲央ちゃんは何故か膝落ちして両手を床について項垂れてしまった。私も未だに信じられないけど、そこまで驚かれると多少は傷つく。
「ねえ、玲央ちゃん……」
「し、仕方ないわね……」
「え?」
「こうなったら私が直接……征ちゃんに訊くわ」
「えっ!」
「私はの保護者みたいなものだし、やっぱり可愛い従妹を弄ばれるのだけは、いくら征ちゃんでも許せないもの。そこはハッキリしないと」
「……」
玲央ちゃんは完全に私が赤司くんに騙されてる体で話を進めてる。そりゃ私だって赤司くんが本気とは思ってないけど、ここまであり得ないといった感じを出されると、ものすごーく傷つく。
「あっ玲央ちゃん。そろそろ準備して朝ご飯食べないと練習遅れちゃうよ?」
「あ!やだ、ほんと!じゃ、じゃあこの話は後でね!」
玲央ちゃんは遅刻しちゃうーと言いながら着替え始めたから、私は先に食堂へ向かった。今朝は夕べ焚いたご飯がまだたくさん余ってたからおにぎりにしたし大丈夫なはず。そう思いながら廊下を歩いてると後ろから「ちゃーん」と呼ぶ声が聞こえてきた。振り向くと葉山先輩が笑顔で走って来る。
「おっはよ~!今日もぽんやりしてて可愛いねー♡」
「おはよう御座います、葉山先輩。……っていうかぽんやりって何ですか?」
「んーイメージ?」
「……またバカにして」
「してないって!ってか朝ご飯なにー?夕べのカレーもめちゃくちゃ美味かったし楽しみなんだけど」
「お、おにぎりで、す……」
「マージ?朝のおにぎりそそられる!みそ汁のいい匂いもするしー」
葉山先輩は嬉しそうに言いながら食堂に入って行く。でも夕べのカレーを作ったのは私じゃなくてあれは――。
「な、何だ、このサッカーボールみたいな丸いヤツは!」
食堂からそんな声が聞こえて来てぎくりとした。やっぱりアレはマズかっただろうか。でも握っていくうちにどんどん丸が大きくなって、普通よりも大きなおにぎりに適当に海苔を貼ったら見た目がサッカーボールみたいになってしまったのだ。
「ちょっと~。何、入口で突っ立ってんのよ」
そこへ着替え終わった玲央ちゃんが来て、私の頭をコツンとする。
「あ、玲央ちゃん……」
「って、何あれ?もしかしてが作ったの……?」
「う、うん。まあ……」
玲央ちゃんは皆が集まってるテーブルの上にある物体に気づいて口元を引きつらせた。
「何よ、これ。サッカーボール?」
「……ち、違うけど」
「いいよ、いいよ。腹ん中に入れば同じだって!な?根武屋!」
「お、おう……。まーな。質より量だろ」
皆はそんなことを言って笑顔でボールのようなおにぎりを食べてくれている。私はガックリ項垂れつつ、お味噌汁をよそうことにした。でも玲央ちゃんが「ちょっと、これ出汁とったの?」と素早く味見をしてこっそり訊いてくる。
「出汁……?」
……って何?と思っていると、玲央ちゃんの口元が微妙に引きつって行く。
「はあ……入れてないのね。いいわ。これは私が作り直すからは先に食べててちょうだい」
「う……ご、ごめんね、玲央ちゃん」
「いいわよ。どうせ夕べのカレーもアンタじゃないんでしょ?」
「あ、あれは――」
「おはよう、みんな」
その時、背後から赤司くんの声が聞こえてきてドキっとした。玲央ちゃんが目くばせしてくるから、焦りと恥ずかしさで顔が赤くなる。というか昨日の今日でどんな顔をすればいいのかも分からない。
「おはよう、」
「お、おはよう御座います……」
赤司くんは私の頭にぽんと手を乗せて微笑んでくれた。朝からその微笑みは眩しすぎる。っていうか、何だろう。いつもの赤司くんじゃない。
そこへ玲央ちゃんがすっ飛んで来た。
「せ、征ちゃん。朝ご飯どーぞー」
「ああ、ありがとう。でも……これ玲央が作ったのかい?」
玲央ちゃんは新妻よろしく赤司くんを椅子へ座らせると、目の前に私の握ったおにぎりと、自分が作り直した味噌汁、そして玉子焼き――いつの間に作ったの玲央ちゃん――などを並べた。
でもやっぱり赤司くんもサッカーボールのようなおにぎりを持って目を丸くしている。
「やあね、征ちゃんったら。私がそんな不細工なおにぎり作ると思う?」
「……!(ひどい、玲央ちゃんっ)」
バシバシと赤司くんの背中を叩きつつ、玲央ちゃんが豪快に笑い出す。せっかく早起きして作ったのに軽くディスられて私はムっと口を尖らせた。でも赤司くんはマジマジと手の中のおにぎりを見つめて「じゃあ、これ……」と言いながら、ふと私の方へ視線を向けた。
「ご、ごめんなさい……。私、です」
恐る恐る申告すると、赤司くんは一瞬、おにぎりと私を交互に見て「ぷっ」と小さく吹き出した。
「くくく……そ、そうか……。これをがね……」
「……あ、あの」
てっきり呆れられるかと思ってたのに何故か赤司くんは楽しそうに笑いながら肩を揺らしている。それを目の前で見ていた玲央ちゃんが驚愕の表情で固まっていた。ヴァイオリンの時に続いて見れた赤司くんのマジ笑いは相当にレアだから仕方がないけど。
「じゃあ、頂くよ。朝早くから朝食の準備してくれてありがとう」
「……う、ううん」
赤司くんは笑いがおさまった後で、労いの言葉までくれるものだから変な緊張も解けて嬉しくなった。私が早起きしたなんて知らないはずなのに、言わなくても察してくれてるところは本当に凄いなあと思う。結局、赤司くんは「美味しい」と言って、サッカーボールのおにぎりを二つも食べてくれた。どうやら味は失敗してなかったみたいでホっとした。
「ちょっと……」
朝食も終わり、皆は体育館での練習に向かう。赤司くんも「ご馳走様」と丁寧な言葉を残して食堂を出て行く。その場に残ったのは食器などの後片付けに残った私と、私のお目付け役の玲央ちゃんだけだ。でもお皿を洗っていると玲央ちゃんが深刻な顔で私を見た。
「なあに、玲央ちゃん」
「私、思ったんだけど……」
「うん?」
玲央ちゃんは私が洗った食器を拭きながら、困り顔で微笑んだ。
「アレはマジね、きっと」
「……え?」
「ずっと征ちゃんの様子を見てたけど……を見る目つきからして普段の征ちゃんじゃないのよねえ……」
「ど、どういう……」
目つき?と首を傾げながら玲央ちゃんを見上げる。自分では実際どんな目で見られてるかなんて分からないのだ。
玲央ちゃんは「ん~」と天井を仰ぎながらもニッコリすると「可愛いなあ~って思ってる目?」と、とんでもないことを言いだした。
「かっかわ……?!まさかっ」
あんなボールおにぎりを食べさせられたというのに、あの赤司くんがそんなことを考えてるわけがない。玲央ちゃんの眼力も相当劣化したんじゃないのかとすら思う。
「私だって目を疑ったわよー。まさかみたいなドジッ子を見初めるなんて、あの征ちゃんが……ねえ?」
「私もそう思うけど……何か玲央ちゃんに言われるとヘコむ……」
頬に手を添えながら溜息を吐く玲央ちゃんに、ムっとしつつも言いたいことは分かるから何も言い返せない。
「まあいいわ。練習に行きましょ。その話は練習の後にでも私がきっちり征ちゃんに訊いてみるから」
「うん……」
あまりそこは突っ込んで欲しくないような気もしたけど、私ひとりじゃ答えなんか出せない。ここは玲央ちゃんに任せることにして私達は体育館へと向かった。ちょうど皆もジャージに着替えて体育館にやって来たところだった。
「おぉー!何か床もボールもピカピカじゃん!」
「ん?これ、がやってくれたのか?」
葉山先輩と根武屋先輩が笑顔で私を見た。褒められたのは素直に嬉しいし早起きした甲斐もあったってものだ。
「はい。汚れが気になってたので磨いておきました」
「ありがとな!これだけピカピカだと気持ちがいい」
根武屋先輩は大きな手で私の頭を撫でながら「んじゃー張り切って今日も――」と一歩、足を踏み出した瞬間。足を滑らせてステーンと見事に後ろへひっくり返った。巨体が転んだせいでドシンっという地響きみたいな音が体育館に響く。
「ってぇ……」
「だ、大丈夫ですか?!」
「まあ、何とか……」
派手に転んだ根武屋先輩が腰を擦りながら上半身を起こした。それを見ていた玲央ちゃんが思い切り笑っている。
「やーだ!アンタ、何してんのよー。ダッサ―」
「ああ?!足が滑ったんだよ!」
「バッシュ履いてて滑るわけないじゃなーい。ほんとドジなんだか、ら――?!」
そこへ玲央ちゃんも笑いながら歩いて行ったけど、途中でツルリと足を滑らせ、根武屋先輩と同じく後ろへひっくり返ったのを見てギョっとした。
「いったー-い!!」
「ぶはははは!お前も転んでんじゃねえか!」
「何よ、もうー!何でこんなに滑るわけー?」
玲央ちゃんも腰の辺りを擦りながら、足元を見ている。そして何かに気づいたのかハッとしたように私を見た。
「ちょっと!アンタ、床を磨いたって何で磨いたの?」
「えっ?あ……えっと……汚れがひどかったからコレで……」
と持って来た洗剤を見せた。でもそれを見た瞬間、玲央ちゃんの綺麗な顔が一瞬で般若みたいな顔になる。
「それ洗剤じゃなくてつや出しじゃないの!」
「えっ!」
「っていうか、、アンタそれで何回この床拭いたわけ?!凄い滑るわよっ?」
玲央ちゃんは指で床を触りながら、怖い顔で訊いて来る。私は今朝のことを思い出しながら「……3回?」と応えてしまった。
「さっ3回ですって?!つや出しを3回……?!だから渇いてなくてこんなにヌルついてんのねっ」
仰天したような顔の玲央ちゃんは眩暈がしたのか、一瞬フラっと後ろへひっくり返りそうになっている。でもそこへ「何してるんだ?」という声が聞こえて一瞬でその場の空気が固まった。
「あ……赤司くん……」
「あれ?床もボールも凄く綺麗になってるね」
「そ、それはその……」
「ああ、もしかしてが磨いてくれたの?ありがとう」
赤司くんは感心したように体育館を見渡すと、何とも嬉しそうな笑みを浮かべた。おかげで私の笑顔は引きつる一方だ。赤司くんは同じく固まっている玲央ちゃんや根武屋くんに気づくと「二人とも、何で床に座ってるのかな」と不思議そうな顔で眉を寄せた。
「あ、あのね、征ちゃん――」
「時間がもったいないから練習を始めるよ。いつまでもそんな場所に座り込んでないで早く――」
と言った瞬間だった。床に一歩踏み出した赤司くんの足がつるりと滑り、見ていた皆の顏が凍り付く。でもハッと我に返った私はすぐに彼の方へ走って行くと、倒れて来た背中を受け止めようと両手を伸ばした。でもこの時の私は床がツルツルなのを忘れていた。おかげで赤司くんの背中を受け止める前に、派手に前のめりで転ぶ。ついでに言えば、赤司くんは見事な条件反射で咄嗟に手を突き、ひっくり返ることはなかった。
「?!」
自分の背後で派手に転んだ私に気づき、赤司くんが慌てたように身体を起こしてくれる。でも私は恥ずかしさと膝の痛みで泣きそうになった。
「ケガはっ?」
「ご、ごめんなさい……私のせいで……」
「何のこと?」
泣きたいのを堪えて謝ると、赤司くんは訝しそうに眉を寄せながら他の皆へ視線を向ける。そこで玲央ちゃんが仕方ないといった顔で、床が滑る理由を赤司くんにきちんと説明した。
「じゃあ……こんなにピカピカなのはつや出しで拭きすぎたってこと?」
「……は、はい」
「……」
さすがに今回は赤司くんも飽きれてるだろう。無言のまま私を見ているから凄くドキドキしてくる。その間も練習に来た何も知らない部員が、玲央ちゃんの忠告も空しく次々に尻もちをついていく。
これじゃケガをしてしまうから練習なんか出来るはずもない。さすがに皆も怒ってるだろうなと思うと、本当に泣きたくなった。
「ご、ごめんなさい。赤司くん……ちゃんと乾拭きするから、それまで――」
「……ぶっ……ぁはははははっ」
「――ッ?」
床の上で正座をして謝っていた最中、赤司くんが突然吹き出したからギョっとした。まるでヴァイオリン事件の時と同じように爆笑している。
何がそんなにおかしいんだろうと呆気に取られていると、玲央ちゃんや根武屋くんも顔を見合わせながら吹き出し、爆笑している赤司くんに釣られたのか、他の部員たちも次々に笑い出した。
「もぉーほんっとは空回りする子ねえ」
「いや、マジそれな。つーか、こんな滑るまで床拭いてくれた努力はすげえわ」
「う……ご、ごめ……」
部員の皆がどんどん釣られて笑い出したのを見て顔が真っ赤になってしまった。重ねて磨くとどんどんピカピカになったから調子に乗りすぎたのがいけない。まさか拭けば拭くほど渇きにくくなってツルツルになるなんて思わなかったのだ。その時、目の前で笑っていた赤司くんの手が私の方に伸びて、腕を引き寄せられたと思った時には、抱きしめられていた。まさか皆の前でそんなことをされるとは思ってなかった私は一瞬脳が完全にフリーズする。
「僕が何でに惹かれるのか……やっと分かったよ」
「……え?」
耳元で聞こえた赤司くんの言葉にドキっとした。部員の皆も赤司くんが私を抱きしめている光景に驚いてるのか、さっきまで賑やかだった笑い声は聞こえず、体育館はシーンと静まり返っている。
皆の前で抱きしめられるなんて凄く恥ずかしいのに、赤司くんの体温でじんわりと温まっていく感じがドキドキして、でも何故か心地いい。
「あ……あの赤司く……ん?」
「は――」
赤司くんが何かを言いかけた時だった。それまで固まっていた玲央ちゃんが慌てたように立ち上がり、足をツルツル滑らせながらもバランスを取りつつ(さすが)こっちへやって来た。
「ちょっと征ちゃん!いくら征ちゃんでも私の従妹を気軽に抱きしめるなんてダメよっ」
「……っ!(玲央ちゃん、チャレンジャー!)」
普段は赤司くんに素直に従ってる玲央ちゃんも、そこは保護者代わりと言う使命があるからかキッパリ言い切った。赤司くんは意外なことに怒るでもなく、くすりと笑みを浮かべて「そうだね。悪かったよ」とすんなり私を解放してくれた。でもさっきの言葉が気になって、立ち上がった赤司くんを見上げると、彼は優しい笑みを浮かべながら私の頭へ手を置く。
「話の続きは今夜にでも」
それだけ言うと普段と変わりない様子で遅れてやってきた監督の方へ歩いて行く。ツルツルの床も赤司くんにかかると、普通に歩けてしまうらしい。玲央ちゃんいわく「要は滑るって分かってたらバランスとればいいだけ」と言っていた。
「話の続き、かぁ……」
今夜、なんて言われたら気になって仕方ない。というか変なドキドキが襲って来る。赤司くんが私の何に惹かれてるのか考えるだけで顔が火照ってしまった。今日まで意識してなかったのに、今は赤司くんが気になって仕方ない。
じわじわと彼の術中に絡めとられていくような、溺れていくような、そんな怖さがある。床を磨き直している間、赤司くんがあまりに優しい顔で私を見ているから、本気で溺れてしまいそうだと思った。
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