03-ロスタイムは海の底




ツルツルだった床はきちんと乾拭きして、どうにか滑らなくなった。けれど磨いたのは何も床だけじゃない。皆の使うボールもしっかりつや出しで磨いてしまった。全てを拭きなおす時間はないからこのまま使うと言う赤司くんの言葉に甘えてしまったけど、おかげで午前中の練習は思ってもいない方向へ飛んでいくボールが多かったように思う。あげくパスを受けた手が滑ってボールが顔面に当たってしまった葉山先輩は鼻血を出してしまった。申し訳ないから後のことはもうひとりのマネージャーである樋口先輩に任せて、葉山先輩の治療のため保健室に付き添い止血するのを手伝った。

「ほんとごめんなさい……」
「だーいじょうぶだって!こんなのバスケ始めた時はしょっちゅうだったしさ」

葉山先輩はいつも優しくて明るい笑顔で私を励ましてくれる。チームの中ではムードメイカーで、彼の周りはいつだって笑顔が絶えない。

「お、血は止まったみたいだな。サンキューちゃん」
「いえ……元々私のせいなので……」

綿棒や薬をしまいながら、ふと時計を見ると、そろそろ午前の練習が終わる時間だった。午後の練習が始まる前に残りのボールも滑らないよう、拭き直さなきゃならない。

「あ、じゃあ私、行きますね。ボール拭きなおしておくので」
「え、一人で?俺も手伝おうか?」
「い、いえ!先輩に手伝ってもらうわけにはいかないので大丈夫ですっ。それより身体を休めて午後の練習に備えて下さい」
「そぉ?つーかちゃんもだいぶマネージャーっぽくなってきたじゃん」
「ぜっ全然ですよ!さっきだって失敗しちゃったし……」
「あんなの俺達のためを思ってやってくれたことじゃん。気にすることないよ。あの赤司でさえ怒らなかっただろ?」

そこでいきなり赤司くんの名前を出されてドキっとした。そう言えば床の始末に忙しくて忘れてたけど、皆の前で抱きしめられたことを思い出す。そっと葉山先輩の方へ振り向けば、彼はニヤリとした笑みを浮かべていた。

「っていうかちゃんと赤司ってそういう関係だったんだなー」
「えっ?そそそそういう関係って何ですか?!」

意味深な響きに顔が一気に熱くなった。私の反応を楽しむようにニヤニヤしだした葉山先輩は「付き合ってんだろ?」と肘でグリグリ押してくる。とんでもない誤解をされたような気がして、ますます顔が赤くなってしまった。

「つつつ付き合ってませんっ」
「まーたまたぁ。隠さなくたっていいじゃん。赤司のファンにバレたくねえのは分かるけど、こればっかりは――」
「ち、違いますってばっ。ほんとに私、赤司くんと付き合ってないんです」
「……」

必死に訴えるように言うと、葉山先輩は一瞬キョトンとした顔をしたけど、すぐに驚愕の表情へと変化した。

「え……じゃあ付き合ってねえのに何で赤司はちゃんをあの場面で抱きしめたりしたワケ……?」
「そ、れは……」

何でだろう?そんなの私に訊かれても困ってしまう。好きだとは言われたけど、まだ返事だってしてないし、これまで赤司くんはあんなこと私にしてきたこともない。部員の皆だってそりゃ誤解をして当然だ。その時、保健室のドアが開いて白金監督が顔を出した。

。ちょっと来い」
「え?あ……は、はい」

監督直々に呼ばれ、心臓が嫌な音を立てる。やけに神妙な顔をしていたからだ。私は葉山先輩に頭を下げると、すぐに監督の後を追いかけた。監督は休憩所へ入ると、すぐに振り返り眉間に皺を寄せた。とっても怖い。

「お前があの床やボールを磨いたそうだな」
「はい……」

やっぱりその件かと心臓が早鐘を打つ。部員の皆はいつも笑って済ませてくれるけど、監督には時々怒られることもあった。

「ったく。何で洗剤とつや出しを間違えたりするんだ!あれじゃ皆がケガをするだろう」
「す、すみませんっ」

明らかにいつもより怒っている様子の監督が怖くて、私は慌てて頭を下げた。叱られて当然だ。ただのドジで済ませられるはずがない。些細なキッカケで選手がケガでもしたらインターハイに影響してしまうのだから。
必死に泣くのを堪えていると、監督は深い溜息を吐いた。

「お前が皆の為を思ってやったのはわかってる。しかし注意力がなさすぎる。今後はきちんと色んなことに目を配って確認も怠るな。分かったか?」
「はい……すみませんでした」

もう一度謝ると、監督は私の頭をグシャリと撫でて「その謝罪は赤司にするんだな」と言った。その名前にドキっとして顔を上げると、監督は「アイツは今、近所の病院に行ってる」と言って困ったように溜息をついている。病院と聞いて一気に血の気が引いた。

「あ、赤司くんケガしたんですか?まさか、ボールが滑って――」

床は拭きなおしたので大丈夫だったはずだ。でもボールは全て拭ききれず、葉山先輩もあんなことになったのだ。まさか赤司くんも、と思っていると、監督は「いや」と言って首を振った。

「ボールじゃない。赤司は転びそうになって手をついたんだって?その時に手首を捻ったようだ。少し違和感を覚えただけで大したことはないと言っていたが念の為、病院に行かせたんだ。今、赤司にケガをされたら困るからな」
「手首……」

そう言われてさっきのことを思い出した。滑って転びそうになった赤司くんは持前の条件反射で転ばずには済んだけど、確かに手をついていた。ならあの時、無理な体勢で手をついたことで手首を痛めたんだ。そう思ったら心臓が嫌な音を立てて痛みだした。

「まあ、さっきの練習も難なくこなしていたし少し捻った程度だったかもしれんが――」
「失礼します!」
「あ、おい!っ?」

赤司くんがケガをしたと聞いて居ても立っても居られなくなった。私は休憩室を飛び出すと廊下を走って一気に外へ出た。近所の病院と言えば、あそこしかない。合宿している施設から歩いて数分のところに総合病院があるのだ。私はそこへ向かって必死に走った。私のせいだ。よりによって洛山のキャプテンである赤司くんにケガをさせてしまうなんて、本気でマネージャー失格だと思った。

「ほんと……最低だ、私」

私はどこかで皆に甘えていたんだ。思いばかり空回りして失敗ばかりしてしまうことを反省はしても、皆が優しいからつい学習することを忘れていた。ドジな私は何をするにも監督が言ったように色んなことへ目を配って最終確認をしなきゃダメなんだ。

「あ、あれだ……」

合宿所から一気に走ったせいで息が切れる。一度止まって息を整えながら深呼吸をした。でも病院までもう少しだと再び走ろうとした時、前方から赤司くんと付き添いだったのか、玲央ちゃんが一緒に歩いて来るのが見えて立ち止まる。赤司くんを見た瞬間、顔を合わせるのが怖くなった。

「あら?じゃないの。どーしたのよ、そんな息を切らせて……」

玲央ちゃんが私に気づいて駆け寄ってきた。赤司くんは少し驚いた顔で「どうした?何かあったのかい?」と普通のテンションで聞いてくる。何かあったのか、なんて、そんな他人事みたいに言うから私も驚いた。

「い、今……か、監督に赤司くんが手首を捻ったって聞いて……」

呼吸を整えてから説明すると、玲央ちゃんと赤司くんは互いに顔を見合わせている。大したことはないと言ってたらしいけど本当は酷いケガだったんじゃないかと心配になった。でも玲央ちゃんはすぐに苦笑いを浮かべると「そんな血相変えて来るほどのものじゃなかったわ」と言った。

「え、それじゃ……」
「大丈夫だよ、。手首は少し違和感があるくらいだったのに監督が大げさに騒いで病院に行けって言うから来ただけだ」
「ほ……ほんとに?」
「ああ。レントゲンやら色々検査をしてもらったけど問題なかった。もう違和感もとれたしね」
「よ、良かったぁ……」

赤司くんの説明を受けてホっとした私はその場にしゃがみこんだ。酷いケガだったらどうしようかと思っていたけど、とりあえずは大丈夫みたいだ。
赤司くんは私の前にしゃがむと頭を軽く撫でてくれた。

「心配して来てくれたんだ。ありがとう」
「だ、だって私のせいだし……」

赤司くんが優しい笑みを浮かべるものだから思わず泣きそうになったけど、ここはグっと堪える。泣いたところで私がやらかした事実は消えない。そう思ってたのに、赤司くんは不意に怖い顔をすると「それは誰に言われたの?」と訊いてきた。

「え……?」
のせいだなんて僕は思ってない。まさか監督に言われたのか?」
「え、えっと……」

何故かよく分からないけど、赤司くんは怒っているようだ。でも誰が何と言おうと赤司くんのケガは私のせいだ。

「だって私のせいだもん……。赤司くんが滑ったのだって――」
「あんなの僕にとっては大したことじゃない。むしろ予想外の出来事だから楽しかったよ」
「……た、楽しい?」

思い出したように笑う赤司くんの感覚はやはり凡人の私には分からない。すると今まで黙っていた玲央ちゃんが小さく咳払いをした。

「ちょっとー私もいるのにふたりの世界を作らないでくれるかしら」
「れ、玲央ちゃん……っ」

いきなりのぶっこみにギョっとして立ち上がると、赤司くんは笑いを噛み殺しながら「それは悪かった」といつものように淡々と応えている。

「それより。征ちゃんは午後の練習は念のため休むから、アンタ、ついててあげて」
「……えっ?で、でも私、残りのボールを拭かないと――」
「あ~そんなの平気よ。ボールなんてそんなに沢山必要ないんだから。さっき使う分だけ私が拭いておいたし」
「玲央ちゃんが……?そっか……ごめんね」
「って何でアンタ、そんなにヘコんでんのよ?のドジなんていつものことでしょーが」

そう、そうだけど、そうだから良くない。いつものことだと済ませてるようじゃ私はまた同じことをしてしまう。料理を焦がしたとか、お皿を割ったとか小さなドジならまだいいけど、部員の皆をケガさせるようなドジは絶対にしちゃいけないんだ。
また涙が溢れそうになったけど強く拳を握って耐えていると、玲央ちゃんが溜息をついた。

「征ちゃん。悪いけどを頼むわね」
「もちろん」
「れ、央ちゃん……?」

赤司くんの肩にポンと手を乗せて歩いて行こうとする玲央ちゃんに驚いて顔を上げると、玲央ちゃんは呆れ顔で振り向いた。

「私は午後の練習に行くから、は征ちゃんについてて。監督にもそう上手く言っておくから」
「え、そ、そんな……」
「思わぬ時間も出来たし……夜とは言わず、ふたりでゆっくり話でもしたら?」
「……えっ」

急に意味深な笑みを浮かべる玲央ちゃんに呆気に取られていると、赤司くんは苦笑しながら「そうさせてもらうよ」と応えている。もしかして玲央ちゃんが病院に付き添ったのも赤司くんと話をする為だったんだろうか。というか、ふたりで何か話したのかもしれない。アイコンタクトをしているふたりを見て何となくそう思った。

「じゃ、また夕飯の時に……ああ、でも征ちゃん。私の可愛い従妹をあまり誘惑しないでね。男に免疫なんてないんだから」
「れっ玲央ちゃん!」
「分かってる」
「あ、赤司くんまで……っ」

あっさりと言いのけて片手をあげている赤司くんを見上げると、その口元は緩やかな弧を描いていた。最近の赤司くんは良く笑う。だからこそどんな顔をして向き合えばいいのか分からなくなるから困るんだ。こんなことなら前の怖い赤司くんに戻って欲しいとさえ思っってしまう。


「は、はいっ」

玲央ちゃんを見送っていると、唐突に名前を呼ばれて何故か体が直立した。それを見た赤司くんは苦笑しながら私の目線まで屈んだものだから、もろに目が合う。鮮やかな暖色のオッドアイが、太陽の光で細かい輝きを生んでキラキラしているのがとても綺麗だ。私の頬の熱が上がってしまうのも、きっとそのせい。

「僕たち先輩後輩じゃないんだから普通に話して欲しいな」
「……そ、そうだね、うん」

彼と目が合っている時に逆らってはいけない。バスケ部に入った時から気をつけていることだ。というか入部したての頃は赤司くんの顔をまともに見れなかったけど。同じ歳なのに彼の持っているオーラは本物だ。住む世界が違う、そんな空気を感じた。なのに最近は前よりもうんと近く感じるのは何でなんだろう。

、この近くに海があるから行ってみない?」
「……え?あ、うん。行く」

どこか近くのカフェでも行くのかと思っていたら、赤司くんは海の方向へと歩き出した。京都市内にいると滅多に海は行けないから、凄く久しぶりに潮の匂いを嗅いでいる。
夏特有の熱風が髪をさらって、首元が少し涼しくなった気がした。そこで思い出し、ショートパンツのポケットに入れていたヘアゴムを出すと、長い髪を簡単に上げてそれを縛った。こうすると少しは体温も逃げていく。

「縛っちゃうんだ」
「……え?」
の長い黒髪、好きなんだ」
「……あ、りがとう……」

砂浜を歩きながら、赤司くんはさも当たり前のようにそんな誉め言葉をくれた。ただでさえ緊張してるのにこれ以上ドキドキしたら私の心臓がまたおかしくなってしまいそうだ。
少し前を歩く赤司くんの右手首を見れば、そこにはサポーターが巻かれている。それを見るたびドキドキがズキズキに変わって、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

「あ、あの……」
「ん?」
「手首……痛い?」
「いや。今は全然。言ったろ?少し違和感あっただけ。大したことないよ」
「でも本当にごめんね……。赤司くんや葉山先輩にまでケガさせて、マネージャー失格だよ……」

出来ることなら朝起きたあの時間に戻りたい。考えても仕方のないことばかりが頭に浮かぶ。すると赤司くんが急に立ち止まり、自分の足元しか見ていなかった私は彼の背中にそのままぶつかってしまった。

「わ……っ」
っ?」

ぶつかった上によろけた足が砂にとられて後ろへゆっくりと体が傾くのが分かった。無意識に前へ伸ばした手を赤司くんが咄嗟に振り向いて掴んでくれたけど、体勢が体勢だけに引き寄せるまではいかなったらしい。私の体重に赤司くんの体重も加わって、そのまま砂へと倒れ込んだ。

……大丈夫かっ?」

がばっと体を起こし、下敷きになった私の顔を慌てて覗き込む赤司くんは、珍しく焦っているようだ。でも砂がクッション代わりになったおかげで痛みはない。

「だ、大丈夫……!ごめんね、赤司くんまで巻き込んじゃってっ」

またしてもケガをさせてしまいそうになったことで私も焦った。手首を痛めてるのにその手で掴んでもらうなんてもってのほかだ。

「手首……手首は大丈夫っ?」

慌てて体を起こして赤司くんの手を取ると、彼は「平気だよ」と言いながら私の服についた砂を払ってくれる。自分だって砂まみれなのにこんな時でも赤司くんは優しい。

にケガがなくて良かった」
「……私はケガしたって平気だよ。試合に出るわけじゃないもん」
…?」
「でも赤司くんは違うでしょ……?」

そう言って顔を上げると、赤司くんはジっと私を見つめている。その真剣な眼差しにドキっとした。怒られるかもしれない。そう思った時、彼の手がゆっくりと伸びて私の頬へ触れた。
一気に心臓が跳ねあがったような感じがして顔が熱くなる。赤司くんは「砂、ついてる……」と言いながら優しくそれを払ってくれた。

「……ありがとぅ」
がケガをしたって……困るよ」
「……え」

不意に赤司くんが口を開く。彼はやっぱり真剣な顔で私を見ていて、頬の熱が顔全体にじんわりと広がっていく気がした。真昼間の海岸なのに、海水浴場から少し離れた場所だからなのか、人が殆ど通らない。波の音しか聞こえないから余計に緊張しくる。

がベンチにいてくれないと、僕も試合どころじゃなくなるからさ」
「……え、でも私、いつも仕事なんかちゃんと出来たことないけど……」

自慢じゃないけど、皆の為にタオルやドリンクを準備したつもりが、だいたい一つ何かを忘れてしまう。樋口先輩が補ってくれてるからいいものの、もし私ひとりだったら皆に迷惑かけまくりだと思う。
蜂蜜レモン付けも上手く作れなくて、いつも玲央ちゃんに手伝ってもらってるし、結局ひとりじゃ何も出来た試しがない。むしろ試合中はベンチにいない方がいいんじゃないかとすら思った。

「そういう意味じゃないんだけど」
「え……?」

赤司くんはふと笑みを浮かべて困ったように眉を下げた。

「でもちゃんと出来ないと言うけど、は出来ないんじゃなくて一つのことに真っすぐすぎて視野が狭くなっちゃうだけだから」
「あ……そ、そうかも。玲央ちゃんにも指摘された気がする」

あれもやろうこれもやろうと思っているのに、どこか一か所に集中すると途中で他のことがすっぽ抜けてしまうのだ。でも子供の頃から私を見て来た玲央ちゃんが気づくならまだしも、高校に入って知り合った赤司くんが気づくなんて少しだけ驚いた。
確かに彼は洞察力が凄くて視野も物凄く広い。中学の頃から"キセキの世代"と呼ばれる凄い選手たちを率いてきた赤司くんは、洛山でも一年なのにキャプテンを任されるほど出来ることもいっぱいある。それが少し羨ましくなった。

「監督にも言われたの……。色んな事に目を配って、きちんと確認しろって。上手く出来ない分、そこをちゃんとしないとダメだよね」
「自分で直すべきことをちゃんと理解してるなら大丈夫だよ。もっと自信持って。部員たちだってが皆のために頑張ってるのを知ってる」
「赤司くん……」

そんな優しい目で見られたら堪えてた涙が零れそうになった。でもここで泣くのはダメな気がすると思って慌てて俯く。その時、頭をぽんぽんとされてドキっとした。

「僕はドジなが好きだけどね」
「……っ」

またしても好きだと言われて顔が熱を持つ。本当に何で私みたいな子を、この完璧な赤司くんが好きになってくれたのか分からない。そう言えばその話は後でと言ってたけど、聞いてもいいんだろうか。

「あ、あの、赤司くん……」
「何?」
「変なこと聞くようだけど……私のどこを好きになってくれたの……?自慢じゃないけど……っていうか知ってると思うけど、私は赤司くんみたいに何ひとつ完璧には出来ないのに」

思い切って尋ねると、赤司くんは不思議そうな顔で私を見つめた。

「言っただろ?僕が完璧でいるのはそう教育されてるからだって。もちろん僕も完璧を望んでる。けど時々ふと空しくなることがあるんだ」
「……空しい?」
「何でもやろうと思えば出来るって案外退屈なんだよ。まるで決まり事みたいにね」

何とも贅沢な話だとも思ったけど、話してる赤司くんの顏がどこか寂しそうに見えた。もしかしたら私が想像すら出来ないような苦しみとかツラいことが、彼にもあるのかもしれない。

「でもね。その僕の完璧さを壊す人が現れたんだ」
「……え、そう、なの?」

そんなけしからんヤツがいるのか、と少し驚いていると、不意に赤司くんは苦笑いを浮かべて私を見た。その顔を見た時、頭の隅で何かが弾けた気がしてドキっとする。
まさか、そのけしからんヤツって――。

のことだよ」
「……ぅ」

や、やっぱり!と嫌な予感が当たって恥ずかしくなった。でも赤司くんは不満を言ったわけじゃない。だって私を見る目がずっと、優しい。

「完璧な僕の世界を唯一壊せる子は、だけなんだ」
「ご、ごめんなさい……」

思わず謝った。褒められてるのかどうかも疑わしいけど、やっぱり私のせいで完璧じゃなくなってしまうなら罪悪感がこみ上げてくる。でも赤司くんは少し慌てたように俯いてる私の顔を覗き込んだ。

「勘違いしないで欲しいんだけど責めてるんじゃない。むしろそれが嬉しいって言うと変かもしれないけど……でもやっぱり嬉しいんだ」
「う、嬉しい……?」

思わぬ言葉を聞いて、つい顔を上げると、赤司くんはやっぱり優しい笑みを見せている。

「うん。それに……毎日楽しい」
「……」

赤司くんの完璧さをぶち壊してるらしい私としては、どうリアクションしていいのかも分からない。でも赤司くんは言葉通り、本当に楽しそうな笑顔を見せるから、顏の熱が一気に広がって耳まで真っ赤になった気がする。

がいると予想のつかないことが起きるから、それが毎回ハラハラするんだ。最初は何でこんなことも出来ないんだろうって思ってたけど、だんだん心配になってが何かするたび気をつけて見るようにしてたんだけどね。最後はやっぱり何かトラブルが起こるし、でもだんだん興味が出たんだ。次は何をやるんだろうって」

まさか赤司くんにそこまでハラハラさせてたなんて、しかもこっそり見守られてたなんて思ってもみなかった私は、本当に言葉を失ってしまった。もう今までで一番の赤面だと思う。でもこれってもしかして……いやもしかしなくても、赤司くんが私を好きになった理由ってやつだろうか。

「気づいたらのことを目で追ってて、この気持ちは何なんだろうって戸惑ったけど、難しいことを取っ払ったら答えは凄く簡単だった」

赤司くんはふと真面目な顔で私を見つめた。

が好きだよ。もっと学校以外でも傍にいて欲しいって思ってる」
「……っ」

目の前で真剣に告白をされて、心臓が口から出そうになったという例えはこういうことなんだと身をもって実感した。本当にそれくらいドキドキしてしまった。

「……僕のこと、どう思ってるのか聞かせて欲しい」

どうしよう。赤司くんから目が離せない。すでに蛇に睨まれた蛙状態だ。
私は――赤司くんのことをどう思ってるんだろう。
"キセキの世代"のキャプテンで、洛山でもキャプテンで、何をやらせても完璧な王子様のような人だ。私とは真逆の世界の住人だ。今までそう思ってた。でも、でも今は?分からない。もっと、時間が欲しい。このドキドキした気持ちに名前を付けるのは、まだ少し怖いと思った。

「わ、私は……」

言葉を絞りだそうとした時、打ち寄せた波の音が私の声をさらっていった。






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