04-ストレスフリーの誘惑




「断ったぁ?!」

静かな部屋に玲央ちゃんの雄たけびが響いて、ベッドに寝転がっていた私は思わず耳を塞いだ。
分かっていた。予想通りのリアクションだ。私が玲央ちゃんの立場でも全く同じリアクションをする。

「う、嘘、よね、アンタ……」

夕食後、お風呂も終えてお肌のお手入れをしていた玲央ちゃんが顔面蒼白――多分――で振り向く。
その綺麗な顔に真っ白いパックを貼ってるからちょっぴり怖い。

「嘘じゃないよ。ほんと」
「はあ?アンタ、バカなの?!棒にも箸にもかからない万年ドジッ子のアンタを、仮にもあの征ちゃんが好きだって言ってるのよっ?」
「万年って……玲央ちゃん、そこはもう少しオブラートに包んで欲しいんだけど……」
「オブラートもビブラートもないわよっ!何てもったいないことするの?あんなに完璧に揃ってる男を逃してアンタに明るい未来があると思ってるわけ?!」
「れ、玲央ちゃん……パック中にそんなに怒鳴ったらよれちゃうよ……?」

さっきから玲央ちゃんが怒鳴るたびに口元のパックが剥がれてピロピロフワフワするからおかしくなって、笑いを殺しながら指を指す。
玲央ちゃんは「あ、あらやだ……」と我に返った様子でパックを貼り直した。こういうところは本当に女の私よりも女子力が高く、意識も高い。

「玲央ちゃんの言いたいことも分かるけど……私にも気持ちってものはあるんだよ」
「そりゃそうだけど……っていうか、は他に好きな人でもいるの?」
「いない」
「じゃあ征ちゃんのこと、嫌いなの?」
「き、嫌いじゃないよ。むしろ尊敬してるもん」

何でもスマートにこなして頭も良くて、怖いとこもあるけど実は優しいとこもあって、顏だって完璧。入学したばかりの頃からファンがついてて、いつだって彼の周りは華やかだ。あんな男の子が傍にいたら誰だって憧れてしまう。

「じゃあ何で断わったりしたの?一生分の運を使い果たしたわよ、アンタ」

玲央ちゃんはきっちり15分経つとパックを外して更に化粧水などで肌を整えている。鏡越しで私を見ている玲央ちゃんは少々呆れ顔だ。

「だって……私が傍にいたら赤司くんの完璧さが壊れちゃうらしいし……」
「ああ、その話は私もさっき病院に付き添った時に教えてもらったわ。でも彼はそれが嬉しいって言ってたわよ?」
「私にもそう言ってくれたけど……でも私からすれば今日みたいにしなくていいケガをさせちゃったりするかもって思ったら申し訳ない上に怖くなったんだもん」
「怖い?」
「……私が傍にいたら今後も赤司くんを色んなトラブルに巻き込んじゃいそうだから」
……」

自分で言ってて泣きそうになった。今日ほどドジな自分を恨んだことはない。赤司くんの手首はケガと言うほどのものじゃなく、違和感もすぐ取れたらしいけど、一歩間違えば本当に大怪我させてしまうとこだったんだ。そう思ったら怖くて赤司くんの告白を素直に受け入れることは出来なかった。

「バカね、は」

玲央ちゃんは私の隣に座ると、優しく肩を抱き寄せてくれた。玲央ちゃんの綺麗で大きな手に頭を撫でられると、昔から不思議なくらい気持ちが落ち着くのは変わらない。この手に何度助けられて来たことか。

「大事なのはお互いの気持ちじゃないの」
「……気持ち?」
「本当のとこ、どうなの?征ちゃんのこと少しも好きじゃないの?」
「そ、れは……分かんなくて……。だって私にとって今まで赤司くんは部のキャプテンで、しっかり者で頭も良くて凄いなあって思ってる同級生だったから……個人的に知ってるってほど知らないし」
「まあ……そりゃそうか。部活してる姿しかアンタ知らないものね」
「うん……赤司くんのプライベートは全く知らないもん。趣味は乗馬とかヴァイオリンとか、私の分からない世界だし」

こんなに世界が違うのに一緒にいて話が合うのかな、とか、どんな話題をすればいいのかなということも多少は考えたりした。でも一番はやはり赤司くんをこれ以上、私のドジに巻き込んではいけないという答えが出てしまったのだ。
赤司くんは「……分かったよ」としか言わなかった。それ以上、何を言うでもなく、いつも通り接してくれて夕飯の時も当たり前に「ご馳走様」と笑顔で声をかけてくれた。
ただ、不思議なことに普通にされればされるほど罪悪感が沸いてくる。だから夕飯後に皆でトランプしようと言い出した葉山先輩からのお誘いも体調が悪いからとお断りしておいた。赤司くんからの告白を断ったその日に、どのツラ下げて一緒にトランプ出来るというんだ。

の言いたいことも分かるけど……でも仲のいい恋人同士や友達だって元々はお互いのことを何も知らないところから始まるのよ。少しずつ相手を知っていく過程でそれが恋になったり友情になったりしていくでしょ?と征ちゃんはまだその過程の途中だと思うけど」
「途中……」
「征ちゃんは少なくとものことを今日まで見て来て好きになったんだろうし、は征ちゃんのことを完璧すぎて今までは恋愛対象に見られないくらい世界が違う人って感じたんだろうけど、圧倒的にの方が征ちゃんを知ろうとしなかったってこと。ならこれから知ろうとすることは出来るんじゃない?」
「これから……知る?」
「それくらいのチャンス、あげて欲しいわね。あの征ちゃんがちゃんと誠実に想いを告白してくれたんだから、その想いに応えろとは言わないけど彼の誠実さに報いて欲しいとは思うわ」

私の頭を撫でながら、玲央ちゃんは優しく諭すように言葉を紡ぐ。
確かに私は赤司くんのことを深く知ろうと思う前に答えを出してしまった。迷惑かけたくなくて、彼の気持ちから逃げだしたも同然だ。それは確かに誠実じゃなかった。なのに赤司くんは怒るでもなく、私が気まずい思いをしないように普通に接してくれてる。

が自分のせいで征ちゃんに迷惑をかけたくないって気持ちも凄く分かるけど、征ちゃんはむしろのそういうとこに惹かれたんだし、そこまで気負う必要もないんじゃない?」
「……玲央ちゃん諭すの上手すぎ。そう言われるとそうかなあって思えて来ちゃう……」
「まあは基本、単純だものね」
「む……」

玲央ちゃんは失礼なことを言いながらケラケラ笑っている。まあ単純っていうのは当たってるんだけど――。
その時コンコン、とドアをノックする音がして玲央ちゃんが振り向いた。

「やだ。小太郎かしら。もう部屋に行くって言ったのに」

玲央ちゃんは葉山先輩からのお誘いを受けたようで、この後に葉山先輩の部屋でトランプ勝負をすると言っていた。
「せっかちなんだから」とブツブツ言いながら、玲央ちゃんがドアの前に立つ。すると再びドンドンと今度は少し強めのノックが響いた。玲央ちゃんが「うるさいわねえ!」と言いながらドアを開けた瞬間――

「何度もたたかないでよっ!こたろ――っひゃ!」

と、変な声を上げた。何事かとベッドから立ち上がり、廊下の方を覗き込んだ時、そこに立っていたのは葉山先輩ではなく、少し慌てた表情の赤司くんが立っていた。玲央ちゃんが驚いたのも無理はない。赤司くんは普段、こんなノックの仕方は絶対しないからだ。

「せ、征ちゃん?どうしたのよ、いったい?」
が具合悪いって小太郎から聞いた。熱でもあるのか?」
「……え?」

そんな会話が聞こえて来てドキっとした。玲央ちゃんが目を細めながら振り返り、顔で威嚇してくるのが怖い。きっと"アンタなに嘘ついてんのよ!"とでも言いたいんだろう。

「あ、あのね、征ちゃん。ならピンピンしてるわ。ほら」

私は首を振りながら寝てるって言ってと合図をしたつもりだった。でも玲央ちゃんはあっさり本当のことをバラしてしまったようだ。赤司くんは「え?」と驚いた声をあげながら中をひょいっと覗き込んできたものだから、バッチリと目が合う。

「こ、こんばんは……」

赤司くんは私を見ると一瞬目を丸くして、何度か瞬きを繰り返したものの、すぐにホっとしたように息を吐いた。

「何だ……体調悪いなんて小太郎が言うから熱でも出たのかと思ったよ」
「あ、ああ、、夕飯ちょっと食べ過ぎたみたいで……。――ね?」

何故私が葉山先輩に嘘をついたのか察したらしい玲央ちゃんはフォローのつもりらしいけど、でもそれじゃ私がとんでもなく大食いみたいに聞こえるからやめて欲しい。

「そう……。でも元気なら良かった。悪かったね、急に」

赤司くんは玲央ちゃんの説明に納得したのか、照れ臭そうな顔をしながら「それじゃ」と戻って行こうとした。それを何故か玲央ちゃんが引き留めた。

「ちょい待ち。征ちゃん」
「……何だい?」

腕を掴まれ、訝しげな顔で振り向いた赤司くんに、玲央ちゃんはニッコリ微笑んだ。

「せっかく来たんだから入って行ってよ」
「れ、玲央ちゃん……っ?」

無理やり赤司くんの腕を引っ張りながら部屋に入って来た玲央ちゃんを見て、私は焦りに焦った。もうこのまま寝てしまおうと思っていたからパジャマに着替えていたし、もろにスッピンで髪なんか邪魔な前髪を縛ってちょんまげにしているのだ。いくら何でも赤司くんに見せていい恰好ではないと思って、すぐにゴムを外した。

「ちょっと話しましょーよ。ほら、もここ座って」

合宿で使う施設はホテルとは違って個室はさほど広くはない。あまり寝心地のいいとは言えないシングルベッドが二つあるくらいでソファなんて気の利いたものもなく。玲央ちゃんは無理やり赤司くんを自分のベッドへ座らせた後、私を向かい側の――要は私のベッド――に座らせた。そして自分はちゃっかり赤司くんの隣に座っている。何とも気まずい気持ちになった私は目の前の赤司くんを直視することも出来ず、つい俯いてしまった。

「何よ、ったらモジモジしちゃって――」
「玲央。気を遣わせて悪いけど……僕は戻るよ」

赤司くんが唐突に立ち上がるから私は驚いて顔を上げた。

「あら、どうして?とちゃんと話しなさいよ」
「いや……これ以上、僕のことでに気を遣わせたくないし気まずい思いもして欲しくないんだ」
「赤司くん……」
「今来たのはただ……小太郎が大げさに具合が悪いみたいだと言うから心配で様子を見に来ただけだよ」

ドキっとした。やっぱり赤司くんはそんなことを気にしてくれていたんだ。あげく仮病なのに凄く心配して部屋まで慌てて来てくれたんだと思ったら、胸の奥がほんのり温かくなって小さなドキドキが襲って来た。

「それじゃ……」

と言って赤司くんはドアの方へ歩いて行く。それを見た玲央ちゃんが「これでいいの?」と訊いてきた。でも私だってどうしたらいいのか分からない。なのに、赤司くんの後ろ姿を見ていたら自然と立ちあがってTシャツの裾を掴んでいた。

「……?」
「あ、あの……さっきは上手く理由を言えなかったけど……思ってること話してもいい?」
「……どんな?」

赤司くんは少し驚いたように振り向くと、困ったような笑みを浮かべて軽く息をつく。その顔を見ていたら、やっぱり本心を全て話した方がいいと思った。だから断った理由は赤司くんを巻き込みたくないことが第一前提ではあるけど、次に赤司くんのことを良く知らないからだと伝えた。住む世界が違い過ぎて、一緒にいて話が合うのかどうかも分からない。そういう色んな不安があったからだと説明すると、赤司くんは黙って聞いてくれていた。

「言葉足らずでごめんなさい……」

昼間に「僕のこと、どう思ってるのか聞かせて欲しい」と言われた時、私はさっき玲央ちゃんに話した通りのことを伝えた。赤司くんは部のキャプテンで、しっかり者で、頭も良くて凄いなあって思ってる同級生。私みたいな平々凡々な子が近寄れる人じゃないと思っていた。でも赤司くんに好きだって言って貰えた時、本当は凄く嬉しかったんだ。きちんとそのことも伝えると、赤司くんは小さく息をついて、笑みを浮かべた。

の気持ちはよく分かったよ。僕も悪かった。急に告白なんかして困らせたよね」
「ううん、そんな……」
「でも……嫌われてるわけじゃないと知ってホっとした」
「え、嫌いなんて言ってないよ?」
「いや……住む世界が違うと言われたから遠回しに苦手だって言われたのかと思って」
「え、何で?」
は優しいから、オブラートに包んでそんな言い方をしたのかなって」
「……」

いえ、思い切り世界が違うと思ってたし本心なんですけど、と思いながら笑顔が引きつってしまった。
でも嫌いでも苦手でもない。玲央ちゃんに言われたように、赤司くんを知ろうとしてなかっただけだ。
赤司くんは少しの間、黙っていたけど、不意に私を見て微笑んだ。

「じゃあ……こうしないか?京都に帰ったら僕とデートして欲しい」
「……えっ?」
とはクラスも違うし部活でしか顔を合わせないだろ。だからお互い普段の姿を知らない。でも僕はに普段の僕も知って欲しいんだ」
「きゃー!いいじゃない、それ!そうよ、デートすれば今までよりお互いを知る機会もあるだろうし、もそうしなさいよ」

それまで黙って見守ってくれていた玲央ちゃんが何故かテンション増し増しになっている。でも恥ずかしながら私は誰かとデートというものをしたことがないのだ。しかも初デートの相手が学校一のモテ男、赤司くんだなんて、この高ランクのミッションを果たして私にクリア出来るんだろうか?
……違う意味でドキドキしてきた。

「ダメかな」
「ダメじゃないわよねー?
「う……」

玲央ちゃんにまで詰め寄られている気分だ。でも赤司くんは「玲央。君は口を出すなよ。が断りにくくなる」と、ちゃんと私の気持ちも考えてくれている。そんな真摯な姿を見ていたらデートしてみようかなという気持ちになってしまう。結局のところ私も赤司くんがどんな人なのか興味があるのだ。

「えっと……じゃあ、デートお願い……します」

どうにか応えると、赤司くんは「え……いいのかい?」と少しだけ驚いた顔をした。もしかしたら断られると思っていたのかもしれない。

「う、うん。あの……宜しくお願いします」

デートを受ける返事にしてはおかしな言葉だなと自分でも思ったけど、まさにこんな気持ちだった。恋愛だけじゃなくデート初心者の私が何もヘマをすることなく赤司くんとデート出来るか不安は残るけど、何事も踏み出さないと前には進めない。誠実な相手には誠実に向き合えと玲央ちゃんに言われたことを思い出して、私は心を決めた。

「……良かった」

赤司くんが本当に嬉しそうな笑みを浮かべるものだから、少し恥ずかしくなったけど、彼が笑顔になってくれるのは私も嬉しい。そう思う時点で答えは出ていたのに、鈍い私はそんな自分の気持ちに全く気づいていなかった。






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