05-もう少しで愛が微笑む-②




「そろそろ行こうか」
「あ……うん」

クレープを食べ終わり、私と赤司くんはそのまま水族館へと向かった。京都タワーからも徒歩で行ける京都水族館はダイナミックなイルカパフォーマンスショーや鴨川、由良川といった京都府内の河川に生きる生き物達の暮らしぶりを間近に観察できる人気の水族館、ということらしかった。この暑い夏にデートするにはちょうどいい場所だ。

は何が見たい?」
「うーん、やっぱりイルカとペンギンかなぁ」
「女の子らしいね」

赤司くんは笑いながらそんなことを言ってくれる。水族館までの道のりは駅のように混雑していないのに、さっきよりも自然に繋がれた手がやたらと熱い。赤司くんとは合宿中、何度かこうして隣を歩いたことはあったけれど、手を繋ぐのと繋がないのとでは全然感じ方が違う。触れあっているだけで特別な関係のように思えてくるのだ。
赤司くんがどこまでも私を女の子として扱ってくれるのも照れ臭いけど、嬉しい。

「じゃあ最初はペンギン見に行こうか」
「え、いいの?赤司くんは見たい生き物とかいないの?」
「僕はと一緒に見れたら何でも楽しいから」
「……」
?」

さらりと照れるようなことを言えてしまう赤司くんはズルい。恋愛初心者の私なんて赤司くんの手のひらで転がされて一気に落ちてしまいそうだ。
恥ずかしくて俯いた私の顔を覗き込んで来る赤司くんは「どうしたの?」と心配そうな顔をしている。

「暑くて具合悪くなった?」
「え?あ、ううん!全然、大丈夫だよ」
「そう?もし体調悪くなったらすぐ言って」
「……ありがとう」

ダメだ、赤司くんが優しすぎてクラクラする。さっきから胸もうるさいくらいに鳴って息苦しい。具合が悪いというならこの現象も当てはまるのかもしれない。なんてバカなことを思った。
赤司くんに手を引かれるまま歩いていると、気づけば水族館についていた。チケットはやっぱり赤司くんが買ってくれて何から何まで任せきりでいいんだろうかと不安になってくる。

「あ、あの……やっぱりここのチケット代くらいは自分で……」

玲央ちゃんに絶対やめろと言われたのに、ついそんなことを口走ってしまう。そもそも奢られ慣れてないのだ。玲央ちゃんは別としても普段だって時々先輩方にジュースやアイスを奢ってもらう程度。それだって気が引けるけど「先輩の顔を立てなさい」と玲央ちゃんに言われるから素直に受けているだけ。同級生の赤司くんに払ってもらうのとはまた別の感覚だ。
けれど赤司くんは気分を害するようなことはなく、今度も優しく笑うだけだった。

「言ったろ?僕から誘ったんだし今日は僕に任せて欲しい」
「……でも」

まだ付き合ってるわけでもないのに、いや付き合っていたとしても全部赤司くんに払ってもらうのは気が引ける。いや、赤司くんが御曹司だというのは知っているけれど。
そう思っていると不意に頭へ手が乗せられた。ドキっとして顔を上げると、赤司くんが優しい眼差しで私を見ている。それだけで容易く顔の熱は上がってしまうのだから、すでに私は赤司くんの思うように転がされてるような気がしてきた。

「また一つ、のいいとこ見つけた」
「……え?」
「そうやって僕に気を遣って遠慮するところ。でも僕としてはに気を遣わせたいわけじゃないから素直に甘えて欲しい」
「う……」

玲央ちゃんがこの場にいたら怒られるだろうなと思った。ただ初めてのデートだし、男の子からエスコートをされるのも初めてだから、すんなりと甘えられないのだ。いや、甘え方を分かってない。

「ご、ごめんね……」
「謝ることじゃないよ。のそういう律儀なところや優しいところも僕は好きなんだ」
「……ッ」

またしても照れるようなことを言われて、顔から火が出たのかと思うくらいに頬が熱くなった。この空気をどうにかしたい。そう思った時、赤司くんが「どうしたら気を遣わないでくれるかな」と笑った。だから思わず「じゃ……今度は私に払わせて」という言葉が口から飛び出す。

「……今度?」
「えっと……だから……」

何かお返しが出来る場面はないかと必死に考える。そして頭に浮かんだのは唯一同じ趣味である映画だった。前にそんな会話を交わした記憶があるのだ。赤司くんの好きなことは乗馬だとかヴァイオリンだとか、悉く私が踏み入れられないものばかりだと思っていたのに、映画の話をしていた時に「それ僕も好きなんだ」と言い出したのがキッカケで、しばし映画の話で盛り上がったことがあった。まさかあの赤司くんと話が合うなんて思わなくてビックリしたのを覚えてる。

「あの……赤司くん映画好きだったよね?だから観たい映画があったら、それ私がおごるからどう……かな?」

恐る恐る尋ねると、赤司くんは少し驚いたような顔で私を見ていた。失敗したかな?と不安になったけど、次の瞬間、赤司くんはふと意味深な笑みを浮かべた。

「それって……また僕とデートしてくれるってことでいいのかな」
「……えっ?あっ」

確かに映画に行くということは、またこうしてふたりで出かけるということだ。しかも映画。デートと言われたらそうかもしれない。

(赤司くんともう一度デート……したい、かも)

今日のデートも終わっていないというのに、この時の私の頭にはそんな思いが過ぎった。見れば赤司くんは私の返事を待っている。恥ずかしいけど誘ったのは私だ。ここは素直になっていい場面だと言い聞かせて「いい、です」とハッキリ伝えた。どうやら私は緊張したり恥ずかしい時に限って変な敬語が出るようだ。赤司くんもそれに気づいたのか、もう敬語はやめてとは言って来なかった。代わりに「じゃあ観たい映画探しておく」と満足そうに微笑む。わざわざ探すのかと驚いたけど、赤司くんが嬉しそうに微笑むから、それでもいいかと思った。







「イルカ可愛かったねー」

館内のカフェエリアで休憩しようということで、飲み物やアザラシホットドッグなるものを買って疲れた足を休めながら、たった今見て来たショーのことを思い出す。
お目当てだったイルカショーは凄く楽しくて、すっかり満足感に満たされていた。他にも可愛いペンギンや、色とりどりの魚だったり、大きな水槽を泳ぐエイを見てはひとしきり騒いでしまって、その都度赤司くんは笑っていたように思う。「は子供みたいだな」なんて言われて恥ずかしくなったけど、やっぱり普段見られない魚や生き物を見るとテンションが上がってしまうのだ。

「アザラシも可愛かったなあ。私も餌あげたかったー」
「僕はオットセイが面白かったかな。鳴き方が特に」
「あ、オウオウ言ってたね!何か赤司くんに話しかけてたっぽく見えたからおかしかった」
「僕も話しかけられてるのかなって思ったけど、あいにくオットセイ語は習ったことがないな」

真面目な顔でそんなことを言う赤司くんがおかしくて思わず吹き出した。彼でもこんな冗談を言うんだと驚いたし、意外な一面を見た気がする。

「あの子、女の子だったみたいだから求愛されてたのかもね」
「そうなのかな。でも残念。僕が好きなのはだから、オットセイには悪いけど気持ちには応えられないな」
「……そ、それ笑っていいのか困る」

またしても唐突に告白をぶっ込んでくる赤司くんにドキっとさせられ、つい思った事を口にしてしまった。なのに赤司くんは「本当のことだから」と澄ました顔で応えるから、やっぱり笑ってしまった。

「何か……不思議」
「不思議?」
「こうして赤司くんと他愛もないことを話して笑いあってるのが」
「そうだね。今までは会話も部活に関することばかりだったし。でも僕はもっとと色んな話がしたいし色んな場所に行ってみたい」
「……赤司くん」

不意に真剣な顔で言われてドキっとした。さっきはつい次のデートの約束をしてしまったけど、それ以外でもってことだろうか。

「えっと……私ちょっとパウダールームに行って来るね」
「ああ、いいよ。僕はここで待ってるから」

恥ずかしさのあまり慌てて席を立つと、赤司くんは苦笑気味に片手を上げた。きっと赤司くんには私の考えてることなんてお見通しなんだろうなと思う。

「はあ……ダメだ……。心臓が持たない」

普通に水族館を見て回っている時は生き物たちに助けられてたけど、いざこうしてふたりだけの時間になるとドキドキが復活してしまう。赤司くんが時々あんなことを言うから、どんな顏をすればいいのか分からないのだ。

「うわ……真っ赤だ、私」

大きな鏡に映る自分の顏を見て溜息が出る。これじゃあ赤司くんにもバレバレだったに違いない。
軽くファンデーションを直してグロスを塗り直す。玲央ちゃんがしてくれたメイクは完璧で、特に崩れることもなく保っていた。

「もうこんな時間なんだ……」

ふとケータイで時間を確認すると夕方の4時になろうとしている。それほど広くない水族館は全て見終わったから、きっとこの後は帰るんだろう。そう思うとこの緊張から解放されることでホっとすると同時に、寂しさも感じた。もう少し赤司くんと一緒にいたい、なんて、私どうしちゃったんだろう。ついこの間までは同じ部活というだけの、ただの同級生だったはずなのに、今は凄く近くに感じてしまう。
ただ今日は心配してたドジを披露することもなくここまでこれたし、出来れば何事もなく帰りたい。そう思いながらメイクポーチをバッグにしまってパウダールームを出て行こうとした――その時。
勢いよく飛び込んできた女の子の肩が当たり、弾き飛ばされてしまった。壁、というより壁際に飾られていた観葉植物にぶつかった私は、思わず「痛っ」と声を上げた。
そこで気づいた女の子は「あ、ごめーん」と言うだけで慌てたようにトイレのスペースへと走っていく。あまりに軽い謝罪でムっとはしたものの、洩れそうなら仕方ない。

「いたた……」

勢いよく観葉植物、というよりサボテンに激突したせいでお尻の辺りがジンジンする。でも出血するほど刺さったわけでもなく、良かったと思いながら傾いた体勢を直して歩き出そうとした。でもその瞬間、生地が裂けるようなビッという嫌な音が耳に響く。

「……え?」

何の音?と思いながら振り返るが特に何もない。いや、待って。もしかして――と慌てて鏡の前に戻って後ろ姿を確認すると、ワンピースの後ろの部分が思い切り破れているのが分かった。

「えっ?嘘でしょ……っ?」

思わず声を上げてしまった。サボテンに引っ掛けてしまったらしい生地が綺麗に裂けている。しかも最悪なのは裂けた場所がお尻の部分だということだ。下着がもろに見えてしまっているのを見て、私は一気に血の気が引いた。

「ど、どうしよう……っ!こんな格好じゃ出られない……」

鏡の前でオロオロしながら焦る気持ちだけが溢れてくる。せっかくのデートが最後の最後でこんなオチ?と泣きたくなった。でも泣いてる場合じゃないのだ。外では赤司くんが待っているし、いつまでもここにいるわけにもいかない。と言って、この恰好で外を歩く……いや、赤司くんの前に行く勇気がない。
そう思ったらやっぱり泣けてきた。せめて何か羽織るものでもあれば腰に巻いて隠せるけど、この暑い中、そんなものを持ってくるはずもなく。私は途方に暮れてしまった。

「と、とにかく赤司くんに連絡しなきゃ……」

この瞬間にも待たせてる赤司くんのことが気になってスマホを取り出す。
でもなんて説明しよう?最悪、先に帰ってもらう?でもそんな失礼なことは出来ない。事情を説明して何か羽織るものを買って来て貰う?それも言いにくい。
すでに頭の中はどうしようのパレードが出来上がっていた。その時、手にしていたスマホが鳴りだしドキっとした。

「あ……赤司くんだ」

私がパウダールームに来てから、かれこれ10分近い。あまりに遅いからかけてきたんだろうと、すぐに電話に出た。

『もしもし、?遅いから何かあったのかと思って……まさか体調でも悪くなった?』
「……赤司くん」

耳に届く優しい声に我慢の限界を超えた。赤司くんの声にホっとしたせいで、堪えていた涙が頬を伝っていく。

『もしかして……泣いてるの?何があった?』

さすがに赤司くんも驚いたようで慌てている。こうなったらきちんと説明しようと、自分に起きたことを赤司くんに話した。

「だから……外に出られ……なくて……うっう…ひ…っく」

話してる最中から嗚咽が漏れる。子供みたいだと呆れられてしまうかもしれない。でも涙が止まらない。何でこんな日に限ってこんな目に合うんだと悲しくなった。でも赤司くんは『分かったから落ち着いて』と優しい声で言ってくれる。

『パウダールームの前に来たから出ておいで』
「で、でも……恥ずかしい……ひっく……」
『大丈夫。バッグで後ろを隠して来ればいいよ』
「で、でも……」
『いいから、おいで』

優しい声でおいでと言われて、こんな時なのにドキドキしてきた。でもこれ以上赤司くんを待たせるわけにもいかず、私は言われた通り、バッグで破れた場所を隠しながら出口に向かうとそっと外を覗いてみた。すると赤司くんがすぐ横に立っている。赤司くんは着ていたサマージャケットを脱いでいて、それを私に放って来た。

「それ着て」
「え……」
「僕のサイズだとには大きいから破れたとこも隠れると思うし」
「あ……そっか……」

私は言われるがまま彼のジャケットを羽織ってみた。肩幅とか袖はブカブカだけど、大きいおかげでお尻の部分も隠れている。

「赤司くん……ありがとう……」

ホっとした瞬間、また涙が溢れてきた。赤司くんは私の涙を見て困り顔で「泣かないで……」と心配顔で微笑む。

「もう大丈夫だから」
「ん……うん……ごめんね」

グスグスと泣いている私の頭を撫でながら、赤司くんは「は悪くないだろ?」と言ってくれる。でもさすがに初デートでこんな失態を犯すとは思わなかった。

「やっぱ僕の服じゃ大きいか」

苦笑気味に言いながら、赤司くんは袖口を丁寧にまくってくれる。そうすることで私の手が見えてきた。

「平気……。ありがと、赤司くん……」
「こんなこと何でもないよ。具合が悪くなったわけじゃなくて良かった」
「う……ご、ごめんね……」
「いいって。それより行こうか。そろそろ閉館だろうし」
「うん……」

赤司くんの優しい笑顔につられて、つい笑顔になる。さっきはどうしようかとパニックになったけど、赤司くんのおかげで助かった。

「服、クリーニングしてから返すね」
「そんなのいいよ。それより……はい」

赤司くんは笑いながら先ほどと同じように手を差し出してきた。不意打ちだったこともあり、またしてもドキっとさせられる。おずおずと手を出せば、さっきよりもシッカリと握られた。今日一日、何回赤司くんにドキドキさせられたんだろう。

「もうすっかり暗くなったのに暑いね……」
「そうだね」

照れ臭いのもあって、どうでもいい話題を振る。京都の夏は夜でも蒸し暑く、繋いだ手が汗ばんだりしないか心配になった。
そう言えば赤司くんはあまり汗をかくイメージがない。バスケ選手なのに不思議だと思った。練習などでも殆ど汗を見せない彼は、地球の温度を感じない身体なのかと疑問に思う。今だってこんなに蒸し暑いのに涼しい顔をしている。でも、何故か頬がかすかに赤いように見えた。それは繋いでいる手から伝わる彼の熱のせいなのかもしれない。私と同じように、もしかしたら赤司くんもドキドキしてくれてるのかなと思った。

「……家まで送ってく」

駅についた頃、赤司くんがふと呟いた。もう少し一緒にいたい。そう言ってくれてるようで、やっぱりドキドキしたから、つい繋いでいる手に力が入る。その手を、赤司くんが優しく握り返してくれた。
今日一日でよく分からなかった赤司くんのことが少しだけ分かった気がする。優しいのはもちろんだけど、意外にも良く話すところや、ちょっとした冗談を真顔で言うとことか、いざという時頼りになるとこも。そういうところを含めて全部、好きだなと自然に思っている私がいた。






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