06-絶え間ない痛みを恋と呼んだ




赤司くんとの初デート後、彼は私を家まできちんと送り届けてくれた。玲央ちゃんは私が赤司くんのジャケットを着ていることに凄く驚いていたけれど、事情を話したらまた新しい服を買いに連れて行ってくれた。

「次の映画デートで来なさいよ♡」

映画デートの約束をしたことを伝えたら、玲央ちゃんは「でかした!」と喜んでくれたけど、結局その後はインターハイに向けて練習がハードになったことで、それを実現する時間も余裕もなくなってしまった。そして気づけばインターハイが開幕。
あれよあれよと勝ち進み、最後は周りの期待通りに洛山が優勝。
そこで私の高校生初めての夏とインターハイは幕を閉じた。

「――じゃあ今日はここまで!」

赤司くんの号令で今日の練習は終わった。インターハイの次はウインターカップが待っている。今はその中間で少しだけ練習も軽めの調整となっていた。もう少し経てば本格的に始まる練習を前に、しばしの休息タイムといったところだ。

「はい、葉山先輩。ドリンク」
「おーサンキュー!ちゃん。は~喉乾いた~!」
~私にもちょーだーい」
「はい、玲央ちゃん」

軽めの調整とは言え、洛山の練習はそう甘くはない。皆もそこそこ疲れたようで、汗を拭きながら私が配ったドリンクを一気に飲みだした。

「あ……赤司くんも、これ」
「ああ、ありがとう」

ドリンクを差し出すと、彼は笑顔で受け取ってそれを一口飲んでいる。やっぱり皆よりは涼しい顔で額に少し汗が浮かんでいる程度だ。それでも一応タオルを渡すと「ありがとう」と言って赤司くんは顔の汗を拭いた。

「いい匂い。もしかして、これが洗った?」
「あ、うん。昨日持ち帰って……何で分かるの?」
「だってと同じ匂いがするから」
「……」

何とも言えない恥ずかしさがこみ上げてきて頬が熱くなる。まるで自分の匂いを嗅がれているような気分になったからかもしれない。
自然と後ずさった私を見て、赤司くんは優しい笑みを浮かべながら監督の方へ歩いて行った。彼はさりげない言葉や微笑みだけで、完璧に私の心を支配してくる。二カ月以上も前のデートの時から、ううん。きっと告白されたあの夜から、私の心は赤司くんに囚われていたのかもしれない。
現に今だって無意識に赤司くんの姿を目で追ってしまっている。監督と話す時の静かな声や、唇の動き、時折私の渡したタオルで口元を覆う仕草全て、艶めかしく見えた。
こんな感情は初めてで、胸の奥が締め付けられたように苦しくなることすら、初めてだった。

、何ボーっとしてんの?帰るわよ」
「あ、うん」

頭にポンと手を乗せられ、我に返った私はすぐに頷いた。
シャワールームに歩いて行く玲央ちゃんの後ろをついて行きながら、今日も赤司くんとあまり話せなかったなと寂しく思う。デート後は時々電話でも話したりするようにはなったものの、彼は家に帰ってもバスケ以外にやることは沢山あるらしく、それほど頻繁には話せないのも要因のひとつだ。
赤司くんの告白を断った頃の自分を思い出すと信じられないほどに心が動かされてる。これでは私が赤司くんに片思いをしているようだ。
部活で使ったものをしまいながら部室を片付けていると、シャワーを終えたレギュラー部員たちが次々に戻って来る。帰り支度をしながらもさり気なく確認していると、戻って来た部員の中に赤司くんはいなかった。まだシャワー浴びてるのかなと少し残念に思いながらも、鞄を持って「お先に失礼します」と先輩たちに声をかけて部室を出る。でも出がけに先輩たちの会話が聞こえてきた。

「赤司、またファンに囲まれてたなぁ」
「くー羨ましいーっアイツばかりが何故モテるっ!」

根武屋先輩と葉山先輩のその会話にドキっとして足を止めてしまった時、玲央ちゃんがシャワールームから戻って来た。

「あら、。もう支度済んだの?じゃあちょっと待ってて。すぐ着替えるから」
「うん……。あ、玄関で待ってるね」
「そう?ああ、また雨が降ってきたの。傘、ちゃんと忘れず教室から持って来た?」
「ん。ばっちり」

鞄の中から折り畳みの傘を見せると、玲央ちゃんはホっとしたように部室へと消えた。今朝から降り出した雨は一度、お昼頃に止んだけど、予報通りまた降って来たようだ。秋雨前線なんてお天気キャスターが言っていたけど、しばらくはこんな天気が続くと思うと少しだけ憂鬱になってくる。
溜息を吐きつつ校舎の外廊下を歩きながら、私は体育館の方へ視線を向けた。

――赤司、またファンに囲まれてたなぁ。

さっきの根武屋先輩の言葉がぐるぐる頭を回ってる。そうか、赤司くんが遅いのはその子達に囲まれてるからか。いや、そんなのは前からそうで何ひとつ変わっていない。帝光中の頃からファンだという熱狂的な子達がいるのも知ってるし、練習の時も遅い時間まで残って見学なんてしてたりする。私はそんな光景を見るたび、凄いなあとか熱心だなあと思っていたくらいだった。でも今は、その当たり前の光景をもう目にしたくないなんて思っている私がいて。
赤司くんとのデート以来、ずっと胸の奥に何かが詰まってるのかと思うくらい、心が重たい気がする。そして赤司くんを知る為のデートだったのに、未だに返事をしていないことに気づいた。でも彼も特に何も聞いてはこないし、自分から言いだすのも躊躇われた。

「わ……凄い雨」

玄関で靴を履き替えて外に出ると、校庭は雨粒が跳ね返るほどの土砂降りで、空を見上げると薄灰色の空から大きな粒がまるでシャワーのように落ちてくる。この勢いなら例え傘があっても足元はずぶ濡れになるだろうなと思った。
土が湿っていく匂いを嗅ぎながら溜息交じりで立っていると、後ろから「お待たせ」という玲央ちゃんの声がした。振り向くと玲央ちゃんが笑顔で手を振っているのが見える。私も笑顔で手を振ろうと手を上げかけた瞬間、玲央ちゃんの後ろから赤司くんが歩いて来るのが見えて鼓動が素直に反応した。

「ちょうど征ちゃんも帰るとこだから送ってくれるって」
「……え?」
「この雨なのに征ちゃん、傘を忘れたみたいでお迎え頼んだんですって。ついでに私とも乗せてってくれるって言うからお言葉に甘えちゃいましょ」

玲央ちゃんがウインクをして意味深な笑みを浮かべるから酷く慌ててしまった。それにしても車でお迎えってどういうことだろうと思っていると、赤司くんが私の方へ歩いて来た。

「この雨じゃ傘があっても濡れてしまうから送るよ」
「え、あ……う、ん……」

部活以外の時間にこの距離感で話すのは久しぶりで、やけに照れくさい。そんな思いが態度に出てぎこちなくなったのが自分でも分かる。でも赤司くんはそれほど気にした素振りもなく、校門の方へ視線を向けると「ああ、来たよ」と言って、私の手から傘を奪っていった。驚いて顔を上げると「車まで傘に入れてもらうね」と言いながら私の傘を開く。キョトンとしていると、先に傘をさして歩き出した玲央ちゃんが「早く入れてもらいなさいよ」と笑いながら振り向いた。

「え……(入れてもらう?)」

ふと赤司くんを見上げると、私の方へ手を差し出している。これってまさか相合傘をして車まで行こうということだろうか。そう考えただけで頬が熱くなった。自慢じゃないけど男の子と相合傘なんてしたことがない。

、行こう」
「う……うん」

身長差を考えれば、赤司くんが傘を持つのが自然だ。それは分かっているけど私の折りたたみ傘はそれほど大きくない。互いの肩が濡れないようにするには、自然に身体が密着してしまう。でも赤司くんは私の方に傘を傾けながら歩いてくれているようで、ふと見れば彼の肩を雨粒が濡らしてた。

「あ、赤司くん、濡れてるってば」
「ああ、いいよ。このくらい平気だから」
「で、でも肩が冷えちゃう。スポーツ選手は肩を冷やすのは大敵でしょ?」

そう言って彼の傘を持つ手を掴んで元の位置に戻すと、赤司くんは「マネージャーに叱られたな」と笑っている。

「し、叱ったわけじゃ……」

慌てて首を振ると、赤司くんは笑みを浮かべて「ありがとう」と言ってくれた。そして車に到着すると運転手さんがドアを開けてくれて、赤司くんは私を先に乗せてくれる。ドラマとかでは見たことがあるけど、明司くんの自然なレディーファーストに驚いてしまう。

「ひゃー凄い雨だし助かっちゃった。征ちゃん、ありがとうねー」

最後に乗り込んで来た玲央ちゃんが、赤司くんの濡れた制服をハンカチで拭きながらお礼を言っている。そのさりげなさは女子の鑑と思ってしまうほど、よく気が付く従妹だ。
その時、車が静かに走り出した。

「ありがとう。――いや。ちょうど良かったよ。たちが帰るところで」
「でも何で傘、忘れたの?朝も雨降ってたんじゃ……」
「いや、僕が家を出る時は降ってなくてうっかりしてた。午後から降り出すって予報も見てたのに忘れてたよ」
「え……赤司くんて何時に家を出たの?」
「今日は朝練でもしようと思ったから普段より一時間早く出たんだ」

なるほど、と納得した。その時間では確かに雨は降っていなかった。でも個人で朝練の為にそんなに早く出るなんて、やっぱり赤司くんはストイックだなぁと感心してしまう。

(それにしても……)

促されるまま乗り込んでしまったものの、赤司くんを迎えに来た車が凄く大きくて驚いてしまった。さすが大富豪のご子息……と変な緊張を感じる。そもそも住む世界が違うと分かってはいたけど実際この目で見てしまうと本当に別世界の人なんだと思い知らされる。

「ああ、そうだ。さっき監督に聞いたんだけど今度の日曜に予定している東浦高との練習試合が来週に変更されたんだ。何でも向こうのエースが風邪を引いたらしくて」
「え?あ、そうなんだ。季節の変わり目だし風邪引いてる人も多いよね。じゃあ……」

と私は手帳を出して予定表に変更の旨を書き込み、必要な物の買い出しは来週末にしておいた。

「あら、じゃあ今週の日曜は完全なる休みってこと?」
「そうなるね」
「インターハイ終わってからは初めてじゃない?丸一日のオフって。やーっと衣替えが出来るわー」

玲央ちゃんはそう言いながら嬉しそうに喜んでいる。確かにここ最近は朝夜の冷え込みがきつくなっていて、夏物だけで過ごすには少々キツイと思っていた。でも毎日忙しくて衣替えをする時間すらなかったのだ。

「インターハイまでは日曜でも練習や練習試合があったからね。衣替えもいいけど玲央はゆっくり身体も休めろよ」
「あら、征ちゃんってば心配してくれるの?嬉しい」

両手を合わせてニッコリ首をかしげる玲央ちゃんはその辺の女子より女子力が高いなと内心苦笑していると、不意に赤司くんが私の方を見た。こんな近くで目が合い、その不意打ちに心臓が小さく跳ねる。相変わらず目力が強い赤司くんの瞳は綺麗すぎて、まともに見れない。

は?」
「……え?」
は日曜、何する予定?」
「私、は……」

急に休みになったことで何も考えてはいなかった。きっと玲央ちゃんの衣替えを手伝わされる運命だろうなと思っていると、赤司くんは私の顔を覗き込みながら「もし何もないなら……前に話してた映画なんてどう?」と微笑んだ。

「えっ」

思ってもみなかった誘いに、つい声が裏返る。玲央ちゃんが「いいじゃない、!行きなさいよ」とすぐに背中を後押しするような笑顔で言った。前のデート中につい次の約束をしてしまったけれど、部活で忙しくてお互いにその話をすることはなかった。でも赤司くんはちゃんと覚えていてくれたらしい。

「え、えっと……何も予定は考えてない」
「じゃあ、映画デート、誘ってもいいかな」
「う、うん……」

恥ずかしさと嬉しさがごちゃ混ぜの中、どうにか頷くと、赤司くんも嬉しそうな笑みを見せてくれた。最近はあまりふたりで話せていなかったから、このまま曖昧な関係で過ぎてくのかなと、そんなことまで考えだしてた。だから余計にこのサプライズのような誘いが嬉しい。久しぶりに胸の奥の痞えが取れた気がした。

「きゃー良かったわね、。この前のデートだってとっても楽しかったって言ってたもんねー?」
「ちょ、ちょっと玲央ちゃん……!余計なこと言わないでよ……っ」
「僕も凄く楽しかったよ」
「……」

赤司くんを間に身を乗り出して玲央ちゃんに文句を言っていると、不意に彼ががくすくす笑いながらそんなことを言う。その笑顔を見ただけで容易く心臓が飛び跳ねてじわりと顔の熱が上がる私はなんて単純なんだろう。
今では赤司くんのちょっとした言葉だったり、笑顔で一喜一憂してしまうのだから困ってしまう。私のドジに巻き込みたくないのに、きっと次にまた好きだと言われたら、私は断れない。ううん、断りたくないと思ってる。これってやっぱり――。

は何の映画が観たい?」
「え……私はいいから赤司くんが選んで」

この前のデートのお礼として誘ったのだ。やはりここは赤司くんの観たい映画を選んで欲しい。それに彼がどんな映画を選ぶのかも興味があった。少しずつ赤司くんのことが知りたいなんて欲が出て来てるのかもしれない。

「じゃあ映画は僕が選んでおくよ」
「うん、そうして」

そんな話をしていたらアッという間にマンションへ着いてしまった。赤司くんと運転手さんにお礼を言って車を降りると、赤司くんは笑顔で手を振って帰って行った。車が角を曲がって見えなくなるまで見送っていると、隣で傘をさしてくれていた玲央ちゃんが肘でつついてくる。ふと顔を上げれば玲央ちゃんの綺麗な顔がニヤニヤとした変な笑みを浮かべていた。我が従妹ながらこういう顔の時はろくなことを考えてないのだ。

「良かったわねぇ、
「な、何が?」
「まーたまたー。アンタだって征ちゃんと早くデートしたがってたでしょーが」
「し、したがってたわけじゃ……っ」
「毎日、今日も練習かぁ~休み欲しいな~なんて言ってたクセに」
「そ、それは疲れてたから……」
「アンタが疲れるほど何してたのよ。むしろ疲れたのはアンタのドジに巻き込まれた私達でしょーよ」

呆れ顔でいう玲央ちゃんの冷たい一言にうっと言葉が詰まる。でもそんな言い方しなくたって私だってこれでも頑張ってるのに、と思いつつも、インターハイや練習中も私のドジは健在だった。
皆の練習着を洗えば縮ませてへそ出しTシャツみたいにしてしまったし――乾燥機に入れちゃダメなやつだった――飽きないよう、たまには違うスポーツドリンクをと思って新しいのを買って来たらプロテインだったし――練習後に飲んだ皆が一斉に吹いてた――練習スケジュールをコピーしてホッチキスで止めたら止めるとこ間違えて開かなくなっちゃったし、ほんと散々だった。

「次のデートこそドジしないようにね」
「う……この前だって私がドジしたわけじゃ……不可抗力だもん」
「まあそうだけど……私がその場にいたらぶつかった女に弁償させたのに」
「でもあの子だって悪気あったわけじゃないからなあ……」
「ったく、ほーんとお人よしね、は!まあ、アンタのそういうとこ嫌いじゃないけど」

玲央ちゃんは私の肩を抱いてマンションに入ると「あ、この前買った秋物のニットワンピ着ちゃいなさいよ、次のデートで」と私よりも楽しげに言いながら笑っている。私の誕生日に玲央ちゃんが買ってくれたもので、まだ一度も袖を通していない。

「今度も私がばっちり可愛く仕上げてあげるから、チューの一つでもしてもらいなさい」
「ちゅ……っ?ななな何言ってんの、玲央ちゃん!私と赤司くんはまだ付き合ってないし……っ」

いきなりの爆弾発言で一気に顔が熱くなる。そうだ。赤司くんとデートはしたけどそれだけで、まだ返事すらしていないのに次のデートの約束をしている。今は微妙な関係だというのに、そんなことを言わないで欲しい。
そう思って玲央ちゃんを睨むと、玲央ちゃんは呆れ顔で溜息をついた。

「付き合ってないなら早くOKしちゃいなさいよ」
「それは……」
「好きなんでしょ?征ちゃんのこと」

玲央ちゃんは部屋の鍵を開けながら普通にさらりと言った。その一言にドキっとして顔を上げると、玲央ちゃんの優しい瞳が私を見下ろしている。好き、という言葉が頭の中をぐるぐる回って言葉に詰まってしまった。

「見てたら分かるわよ。アンタ、デートに行く前から様子がおかしかったけど、デート終わった後は更におかしかったもの」
「お、おかしいって……」
「征ちゃんと顔を合わすたび、やたらと緊張してる感じだったし顔は赤いしで、あれじゃ征ちゃんだって気づいてるわよ、きっと」
「えっ!」

自分がそんな態度になっているなんて気づかなかった。心底驚いて、ついでに赤司くんにバレているかもしれないという玲央ちゃんの言葉が心臓に突き刺さる。

「何そんなに驚いてるのよ。あれでバれてないとでも思ったの?めちゃくちゃ意識してんのバレバレよ。小太郎にもちゃん、赤司のこと好きなの?って聞かれたしねー」
「えっ葉山先輩にも……?」
「ふたりのこと知らない小太郎にまで気づかれるくらい意識してるんだから、そろそろ自覚しなさいよ。アンタは征ちゃんのことが好きなのよ」

玲央ちゃんはそう言って私の額をぐいっと押してきた。その痛みで頭の中でぐるぐる回っていた「好き」という言葉がストンと胸に落ちた気がして、じわじわと顔が熱くなる。
私が赤司くんを好き?それって――男の子として?

「ほら、恋してる顔になってる」

玲央ちゃんに鏡の前に連れていかれて、映った自分の顔に驚いた。いつもの私の顔じゃない。頬がほんのり赤く染まって、目は今にも泣きそうなくらいに潤んでる。こんな自分の顔は見たことがない。それは紛れもなく、恋をしているひとりの女の子の顔だった。






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