07-私の心はひらり、雨に垂れ落ちて-①




赤司くんが好き――。
そうハッキリ自覚をしてしまうと、もう今までみたいに気軽な感じで接するのは難しいことに気づいてしまった。
日曜日、赤司くんとの二度目のデート当日。初デートの時以上に緊張して一睡も出来なかった私は、重たい体をどうにかスッキリさせようと、まずシャワーに入った。そして玲央ちゃんに前回同様、メイクやヘアアレンジを施してもらうと、軽めに朝食――殆ど喉を通らなかった――を食べて、いざ決戦の場へ。

「って戦国時代じゃないんだから決戦ってなによ。ほんと大丈夫ー?目も地味に赤いし目薬さしなさい」

朝からひとりガチガチになっている私を見ていた玲央ちゃんは、とうとう呆れたように溜息をついた。ついでに目薬を放り投げてくるからキャッチして、目元メイクが落ちないよう何滴か垂らす。冷たい液体が寝不足の目にじんわり沁みて何とも気持ちがいい。

「だ、大丈夫……じゃないけど……大丈夫」
「やーねー。これだから恋愛初心者は……。アンタは恵まれてるんだから、もっと楽しみなさいよ」
「……恵まれてる?」

瞑っていた目をゆっくり開けて鏡を見ると、赤くなっていた目はどうにか通常に戻っていた。

「だってそうじゃない。好きな人が自分のことを好きなのよ?アンタは気づいた時点で両想いなの。それを恵まれてる以外に何ていうわけ?しかも相手はあの競争率の激しい征ちゃんなんだから」
「そ……れは……そうかもしれないけど……」

でも好きだって言われて相手を好きになっちゃうなんて単純すぎると自分でも思う。そう言ったら玲央ちゃんは心底バカを見るような目で私を見下ろした。

「好きって言ってきた相手を誰でも彼でも好きになるわけないでしょ。征ちゃんの告白はキッカケに過ぎないの。意識してなかった相手を意識するようになったからこそ見えて来るものもあるわけだし、アンタは素顔の征ちゃんを知って好きになったってことでしょ」
「そ、そうか……そうだよね」

一度は断ったのに赤司くんは私の気持ちを優先してくれた。気まずくないよう気遣ってくれた。デートをした時だって私に合わせて場所を決めてくれて、困ってる時も飽きれることなく助けてくれた。そういう一つ一つの彼の優しさが身に沁みて、私は赤司くんを好きになったんだ。

「分かったなら早く行きなさい。今日こそちゃんと気持ちを伝えてね。征ちゃんも言わないだけできっと聞きたいはずだから」
「う、うん。分かってる」

そう。前回のデートからあやふやになってたけど、あのデートは僕のことを知って欲しいと赤司くんに言われてしたものだ。だからきちんと返事をしなくちゃいけない。告白なんてしたことがない私にはハードルが高いけど、でも赤司くんはちゃんと私に伝えてくれたから。
そう考えると赤司くんは凄いなと思う。好きな相手に好きだと伝える勇気がある人なんだ。

「じゃあ行って来るね、玲央ちゃん」
「行ってらっしゃい。頑張って」

いつものように玲央ちゃんは笑顔で私を送り出してくれた。待ち合わせは前回と同じ京都駅だ。バス停までの道のりを歩きながら、時計を確認する。今日こそ赤司くんより先についていたいから少しだけ早く出て来た。

「だいぶ涼しくなったなぁ……」

吹きつけてくる北風に首を窄めながら、どんよりとした空を見上げる。今週はずっと嫌な天気が続いていて、今日も午後から雨予報となっていた。折りたたみ傘をしっかりバッグに入れておいたから最悪降って来ても大丈夫だ。玲央ちゃんに買ってもらった秋用ニットワンピに念の為にと薄手のコートを羽織って来たけど、暑いかなと心配するほどでもなく、むしろちょうど良い。この秋雨が通り過ぎる頃には寒い冬が駆け足でやってくるような冷え込みだった。
ちょうどバスが来て、車内の暖かさにホっとする。日曜の午前中だからもっと混んでいるかと思ったけど怪しい天候のせいか、思ったほど人は乗っていない。余裕で座れるので降り口の前の一人用の椅子へ腰を下ろした。今のうちにスマホをマナーモード設定にしておく。映画館でうっかり鳴ってしまわないようにと玲央ちゃんに何回も言われたのだ。ギリギリだと忘れる可能性がある私は覚えている内にやっておく。
ついでに映画情報を見るのに今日見る予定の作品を検索してみた。

(それにしても赤司くんがこの映画を選ぶなんて嬉しいな……)

それは以前、ふたりで映画の話をしていた時に盛り上がった作品の続編だった。赤司くんがアクションアドベンチャーなんて見るんだと驚いたんだっけ。勝手なイメージで赤司くんはフランス映画とか難しそうな作品が好きなんだろうなと思っていたから意外過ぎたのだ。

(今日は映画前に軽く食事して、午後から映画を観て……終わるのは夕方近くかぁ)

映画上映時間をチェックしながら、その中途半端な時間の後、どうするんだろうと考えた。ちゃんと自分の気持ちを伝えるなら、やっぱり映画を観終わった後の方がいいような気がする。

(映画終わったらお茶でも誘ってみようかな……)

そのことを考えると自然とドキドキしてくる。
赤司くんが好き。そんな言葉を果たして私が言えるのかどうか、少しだけ不安になってきた。

「――うそ。雨……?」

バスを降りて最寄りの駅から電車に乗り、京都駅に着く頃にはポツポツと雨が降り出していた。予報よりだいぶ早い。これから河原町まで行くのについてないと溜息が出る。とりあえず改札口に向かって歩き出した。今日は改札の外ではなく、中で待ち合わせてるからだ。

「やっぱり京都駅まで来ると人出が凄いなぁ……」

相変わらずの混雑ぶりに辟易しながら先を急いだ。だいぶ早めに出て来たから遅刻することはないけれど、待ってる間の場所を確認しておきたい。この混み具合じゃ見つけにくいかもしれないからだ。
人の流れに沿って進んでいくと中央改札口が見えてきた。やっぱりそこも人で溢れていて、私はどうしようかと悩んだ末に辺りを見渡す。
赤司くんはまだ来てないようで少しホっとした。

(あ、トイレに行っておこうかな)

ふと目についた場所に足を向ける。案の定10人ほど並んでいたけど、どうにか中へ入ることが出来た。メイクや髪型のチェックをしてから時計を見ると、待ち合わせ時間の15分前。トイレに入るまでに並んだことで少し時間がかかってしまった。

「いけない……これじゃ早く来た意味ないし」

前回のことを思い出して、すぐにトイレを出ると小走りで改札口の方へ向かう。右へ左へ、人が思うように歩いている為、何度かぶつかりそうになった、その時だった――。背後から物凄い衝撃が来た。予期していなかったことで体勢を立て直すことも出来ないまま、体が前に傾いていく。ぶつかられたんだと気づいた時にはその人物は走り去っていた。

(転ぶ――!)

そう思って咄嗟に手を前に出した。でも次の瞬間、何かが私の体を受け止めて引き戻してくれた。

「大丈夫?」
「あ、赤司くんっ?」

驚いて顔を上げると、目の前には僅かに息を切らした赤司くんがいて、私を抱き留めてくれていた。

「ちょうど改札に向かってたら後ろから凄い速さで走って行く人がいて、危ないなって思って見てたら前方にがいることに気づいて」
「ありがとう……転ぶかと思った」
「間に合って良かったよ」

赤司くんはホっとしたように笑顔を見せた。もしかしたら距離があったのに咄嗟に走って来てくれたのかもしれない。いつもは練習でも息を切らすことなんて殆どない彼が、今は少しだけ息が乱れてるのを見てそう思った。

「……痛っ」

歩き出そうとした時、右足首に痛みが走って、思わずよろけたところを再び赤司くんに支えられた。

「どうした?ケガでも――」
「う……足首が痛い、かも……」

赤司くんのおかげで転びはしなかったけど、無防備なとこへ勢いよくぶつかられ、無意識に体勢を立て直そうとした時に足首を捻ってしまったらしい。

「え、足首?捻ったの?」
「う、うん……そうみたい……」

赤司くんは心配そうな顔をして一瞬辺りを見渡した。

「ここじゃ往来の邪魔になるから一度外に出よう」
「え……で、でも」

本当ならここから電車を乗り換えて一緒に河原町へ行く予定だ。でも赤司くんは心配そうな顔で私の足を指すと「かなり痛そうだし無理しない方がいい」と言って私の肩を支えた。

「あまり右足に力を入れないで歩いて」
「う、うん……ごめんね」

やらかした、と思った。せっかくの映画デートがダメになるかもしれない。そう思ったら瞼の奥がじわりと熱くなっていく。大丈夫と嘘を言って歩けるほど、軽い痛みじゃないから、きっと今日はこのまま家にUターンってことになりそうだ。何で私はいつもこうなんだろう。



涙が零れ落ちるのを必死に堪えながらぎゅっと唇をかみしめた時、赤司くんが私の頬に触れてきた。その温もりにドキっとして顔を上げると「泣かないで。大丈夫だから」と微笑む。そして改札を出たところで誰かに電話をし始めた。

「ああ、僕だ。悪いけど京都駅に戻ってきてくれる?うん、そう。じゃあ頼むね」
「……赤司くん?」

誰に電話してるんだろうと彼を見上げる。赤司くんは「今から車が迎えに来る」と言って、私を支えながら歩いて行く。車とはこの前乗せてもらったやつだろうか。
外は小雨が降っていて、彼は濡れないよう駅入り口のところで足を止めた。

「え……迎えって……この前の?」
「うん」

やっぱりそうか。このまま家に送ってくれるつもりなんだ。そう思ったらまた悲しくなってきた。せっかくのデートなのに初っ端から失敗してしまうなんて、本当に私はついてない。この前と同様、不可抗力とはいえ玲央ちゃんにも呆れられちゃうだろうな。

「今日観る予定の映画は次回にしよう」
「……うん」

次回か。ということは、また赤司くんとデートをする口実が出来たんだ。でもウインターカップも始まるし、どうせまた忙しくなって延期に――。

「だから今日は僕の家で何か違うもの観ない?」
「うん………」

悲しくてひとり落ち込みながらつい頷いたものの。赤司くんの言葉がじわじわと脳に到達して思わず顔を上げた。

「――え?」

今、何て言ったの?と思いながらポカンとしている私に気づいた赤司くんは「それとも……このまま帰る?」と少し寂しそうな顔をした。全てを理解するよりも帰る?という言葉に反応した私が慌てて首を振ると、彼はすぐにホッとしたような笑顔を見せてくれる。その笑顔に胸の奥がきゅんと鳴った気がした。
赤司くんの家に行く。その言葉をようやく脳が理解した頃に、迎えの車が京都駅前に止まったのが見えた。

「ああ、来たよ。じゃあ、少し力抜いて」
「……へ?」

やっと前に言われた言葉を理解した時、赤司くんがニッコリ微笑んだ。今の言葉を理解する前にそれは起こって。ふわりと体が浮いたと思った時には、私の体は赤司くんに抱きかかえられていた。

「えっ?ちょ、赤司くんっ?」
「足首痛いんだろ?このまま車に乗せるから」
「え、いや、でも……っ」

こんな人の多い駅前で、まさかのお姫様抱っこは恥ずかしい。なのに赤司くんは涼しい顔で車まで歩いて行くと、運転手さんが開けてくれたドアから私を後部座席へと座らせてくれた。

「家に戻って」
「かしこまりました」

隣に乗り込んで来た赤司くんが運転手さんに告げると、車は静かに走り出す。私は今起こったことも消化しきれないまま、ただ真っ赤になって固まっていた。不意打ち過ぎて心が追いつかない。というか重たくなかっただろうかと、そっちの方に気が向いて、更に恥ずかしくなった。

「……?足、痛い?」
「い……痛いわけじゃ……」

座ってるだけなのだから痛くはない。いや少しジンジンとした痛みはあるけれど。恥ずかしくて俯いていたから、赤司くんは足が痛いせいだと勘違いしたようだ。

「家についたら手当てしてあげるから」
「う、うん……ごめんね。映画観れなくて……」
のせいじゃないだろ。気にしないで」
「でも前だって迷惑かけちゃったし……」
「迷惑?どこが?」

ふと顔を上げると、赤司くんは不思議そうな顔で私を見ていた。

「え、だって――」
「僕はと一緒にいるのが楽しいから何があっても同じだよ」
「……」

私といるのが楽しいなんてサラリと照れるようなことを言う赤司くんは、本当にそんな顔をしていた。私はドジばっかりであれこれ悩んでしまうけど、赤司くんにとったら何も変わらないのかもしれない。そんな風に全部を受け止めてくれる赤司くんを、また一つ好きになった。
赤司くんの整いすぎた顔が優しい表情を浮かべている。練習中に見せる厳しい目も、言葉も、ふたりの時間には存在しない。たったそれだけで、赤司くんのプライベートを共有している実感が湧いて、ドキドキした。






  • ひとこと送る
  • メッセージは文字まで、同一IPアドレスからの送信は一日回まで
    現在文字数 0文字