※性的描写があります。18歳未満の方の観覧はご遠慮ください。 この世界に希望などないのだと、彼は言う。 どれほど人の為に尽くしても世界を蹂躙する化け物は増えるばかりで、希望とは見えてる先から一瞬で消えていく、儚い光だと――。 昨日、ひとりでふらりと街へ出かけた時、アキくんを見かけた。 いつものカフェで飲んだアイスコーヒーに喉が満たされた後、前から欲しかった靴や服を買いに行った帰りだった。私はすぐに声をかけようと彼の後を追って、そして、足を止めた。 アキくんの隣を歩く存在に、気づいたからだ。 長い三つ編みを背中に垂らした、美しい女性。彼の――上司だ。 私も何度か依頼されて顔を合わせたことがある。マキマ――確かそう言う名前だった。 内閣官房長官直属のデビルハンターで、公安対魔特異4課のリーダーなのだと、アキくんが教えてくれた。 そして――彼の想い人でもある女性。 ふたりは何やら楽しそうに話をしながら、私の前を歩いて行く。 今日は夏日だからだろうか。ふたりして手には美味しそうなソフトクリームなんか持っていて。 仲良く舐めながら歩いている姿は、とても上司と部下には見えない。普通に美男美女のカップルのようだ。 マキマさんはアキくんの口元についたクリームを自分のハンカチで拭いてあげている。 優しい笑みを浮かべているその姿は、女の私から見てもドキっとさせられるほどに、綺麗だ。 アキくんは照れくさそうに頭を掻きながらも笑顔でお礼を言っているように見えた。 彼のあんな顔を、私は一度も見たことがない。 ふたりはそのまま、ある建物へと入って行った。 (そうだった……。この街にはデビルハンター東京本部がある……) 気づけば踵を翻して、私は元来た道を走り出した。 見たくもない光景に胸の奥がヒリヒリと痛んだけれど、私には何も言う資格なんかない。 ||| 真っ白いシーツが波打つくらいの強さで押し倒されて、夢中で互いの唇を合わせる。 性急に動くアキくんの指に背中のジッパーを下ろされて、火照った肌が露わになると、冷んやりとしたシーツが触れた。アキくんのくちびるが首筋をすべるように掠めていくだけでゾクゾクとした快感が電流のように背中を駆け抜けていく。敏感な場所を知り尽くしているかのように動く彼の指とくちびるで、解された身体がじんわりと汗ばんでいくのが分かる。一度イカされて朦朧としている私の視界にアキくんがシャツを脱ぎ捨てるのが映って、鍛えられた身体を見るだけで鼓動が速くなってしまう。 最初に肌を合わせた時から、こうしてアキくんの裸を見るのは何度目だろう。 「……挿れてもいい?」 準備をしたアキくんが、再び私の上に覆いかぶさり、見下ろしてくる。 その射抜くような瞳を見つめていると、自分で恥ずかしくなってしまうほど、身体が火照っていく。 そろそろ慣れてもいいはずなのに、こればかりは一向に慣れない。回数が増えれば増えるほどに、愛しさも増していくから。 アキくんと最初に言葉を交わしたのは、民間のデビルハンターである私が悪魔と対峙していた時だった。 一緒に戦うはずだった仲間の男が来なくて、そうこうしているうちに逃げられそうになり、結局私ひとりで悪魔と戦うことにした。 でも予想よりも強かった悪魔に少々手こずっていた時、通りかかったアキくんが援護に来てくれたのだ。 何気に間一髪という場面だったから、それこそ彼が救世主のように見えた。 それから公安に依頼された仕事でも何度か顔を合わせるようになり、公安の皆と飲みにも行くようになって、お酒がそれほど強くない私が一度泥酔した時、アキくんに家までおぶってもらった事があった。 彼は思っていた通り凄く紳士的で、私を送り届けてすぐに帰ろうとする姿が寂しく映った。 「帰らないで」とアキくんを引き留めてキスをしたのは私の方だった。 何であんなに大胆になれたのか、思い出すだけで顔から火が出そうになるけど、酔っていたと言われればそうかもしれない。でもそれ以前に、私はどうしようもなくアキくんのことが、好きだったから。 普段はあまり自分のことを話したがらない彼が、一緒にお酒を飲むようになった時、ぽつりぽつりと昔話をしてくれるようになった。きっと私が先に、自分の過去を彼に話したからだと思う。 私の家族は私の目の前で"銃の悪魔"に殺された。命日はアキくんの家族と同じ。 私達には共通点がありすぎたから、同じような思いを抱えている彼にどうしようもなく惹かれて、身も心も頼りたくなった。けれど、何度目かのお酒の席でアキくんのバディの姫野さんに言われたことがある。 「アキくんはマキマって女のことが好きなんだよ」 その名前は聞いたことがあった。公安のデビルハンターでアキくんの上司。 アキくんはその人のことが好きなんだ、と妙に胸がざわついた。 その女性と初めて対面した時も、噂通りの美女だと納得したけれど、ますます想いは募るばかりだった。 だから、酔った勢いでアキくんを困らせるようなことを、してしまったのかもしれない。 私を好きじゃなくてもいいから、いつ死ぬかも分からないこの世界で、一度でいいから好きな人の腕に抱かれたい。そんな甘い夢を見てしまった私を、アキくんは受け入れてくれた。 もしかしたら彼も、誰かに甘えたい夜があったのかもしれないし、持て余している想いを吐き出したかっただけかもしれないけれど。 私はデビルハンターだけど公安じゃないし、つい言い訳で「好きな人に彼女がいたの。寂しいから慰めて」なんて嘘をついてしまったから、アキくんにとったら人肌が恋しい時に抱ける都合が良い女だったんだろう。そしてマキマさんに押し付けられた半悪魔の少年と魔人の少女に手を焼いて、帰りたくないとボヤいていたアキくんは、関係を持った日から私の家にしょっちゅう泊まるようになっていった。 「……んっ」 ゆっくりと挿入されていくのを感じる瞬間は、いつだって泣きそうになるほど幸せだ。 私達の間に、好きだとか愛してるなんて甘い囁きはないけれど、互いの熱を交ぜあうだけで心が満たされていく。挿れ終えると、アキくんはそのままゆっくりと腰を打ち付けはじめた。 次第に強くなる抽送に、喉の奥から自分の声だと思えないほどの甘い嬌声が洩れる。 静かな部屋にベッドの軋む音と、互いの乱れた吐息だけが響く。 夢中でしがみついたアキくんの背中もじっとりと汗ばんでいて、合間に降って来る甘いくちづけにさえ、酔わされてしまう。思わず「すき」という言葉を言ってしまいそうになるのを必死で耐えた。 他の人を想っている相手に告白したところで、面倒だと思われたくはないから、私は今夜も"嘘"という皮をかぶって彼に抱かれるのだ。この密室だけが、唯一彼と共有できる私の理想の世界だから。 心の中でだけありったけの想いを叫びながら、私はアキくんの首に腕を回した。 限界が近いのか、少しずつ抽送が速くなって、奥を突かれるたびに私の声も跳ね上がる。 「ぁっ……ぁ、んっ……!」 「……っ」 アキくんがイク時は必ず私の名前を呼んでくれる。この瞬間が、最高に幸せで、最高に寂しい。 腰の動きがいっそう速くなり、何度か打ち付けられた後で、彼は欲を吐き出した。 快楽で甘い痺れに溺れそうになりながらも、力の入らない手をそっとアキくんの頬へ添えれば、汗で額に張り付いた私の髪を指で避けて、彼はそこへ軽めのキスを落としてくれる。たったそれだけで、心が満たされるのだから私も単純だ。 「……今日、泊ってってもいいか?」 互いの息が落ち着いて来た頃、アキくんが私を抱きしめながら訊いてきた。 そんなの断る理由が見つからない。 「もちろんいいけど……ふたりにまだ手を焼いてるの?」 「……最悪なんだ、アイツら」 溜息交じりで呟くアキくんの顏は、少し疲れてるようにも見える。 そんなに嫌なら追い出せばと言ったこともあるけど「マキマさんに頼られたら嫌とは言えない」そうだ。 「あ、そうだ。昨日ね、アキくん見かけたよ」 「……え?どこで」 「本部の近く。マキマさんとふたりで歩きながらアイス食べてたでしょ」 「ああ。ちょっとマキマさんの用事に付き合った帰りかな」 「そっか……」 マキマさんの話をする時、アキくんは凄く優しい顔になる。 彼のそんな顔を見るたび、焼けるような痛みが胸を突いて、その後は決まって息苦しくなるのだ。 「俺もこの前、を見かけた」 不意にアキくんが顔を私に向けて言った。 「え……嘘。どこで?」 「隣街のカフェで」 「……声、かけてくれれば良かったのに」 なんて、私も昨日、声をかけられなかったんだけど。 そう思いながらアキくんを見れば、彼は言いにくそうに天井を見上げた。 「、ひとりじゃなかったから」 「……え、ほんと?」 「アイツ、だろ?が好きだって言ってた仲間のデビルハンターって」 そう言われてドキっとした。 アキくんに自分の気持ちをバレたくなくて、ハンター仲間の名前を出してしまったことを少しだけ後悔する。 「吉田……だっけ」 「……う、うん。まあ」 「マキマさんがたまに呼んでるから顔は知ってるんだ」 「そ、そっか……だよね」 どちらかと言うと嘘をつくのが下手な私は、笑って誤魔化すしかない。 リアリティがあった方が信じてもらいやすいかと思ってヒロフミの名前を出してしまったのは、やっぱり失敗だった。顔見知りのハンターなどではなく、ただの一般人で良かったのに。例えば同じ大学の先輩とかでも。 「にこんなことしといて俺が言うのも何だけどさ……」 「……え?」 「アイツに……告白しなくていいのか?」 不意に真剣な顔で私を見て来るアキくんは、本気でそう思っているみたいだった。 きっと彼は優しいから、私が寂しさを紛らわすように自分に抱かれてるんだろうと思って、そんなことを言いだしたに違いない。 「い、いいの。だって……彼女いるんだよ?振られるの分かってて気まずくなるようなことはしたくないし」 「……そう、かもしれないけど」 「何で……急にそんなこと、言うの?」 思い切って尋ねると、アキくんは僅かに視線を反らして、ふと窓の外へ視線を向けた。 すでに真夜中で、窓の向こうは星の見えない漆黒の闇が広がっている。 「こんな世界だから、かな」 「……え?」 「俺達は明日、どうなるか分からないだろ。今日、無事でも明日には肉片になってその辺に転がるかもしれない」 「アキくん……」 「この世界には希望なんて何ひとつないも同然で、どれだけ人の為に戦っても次の瞬間には死人が出たりする。希望はさ……見えてる先から一瞬で消えていく、儚い光みたいなもんなんだよ」 ポツリポツリと静かに話すアキくんの声が、私の耳には心地よく響くのに。 彼が紡ぐ言葉たちは、この世界に絶望しているそんな悲しい音でもあった。 「だからが後悔しないように、大切な人には言える時に好きだって伝えて欲しいと思っただけ」 アキくんはそう言って微笑んだ。 その柔らかい微笑みは、昨日マキマさんに向けられていたものと同じに見えて泣きそうになった。 確かに、彼の言う通りだ。生きている今、出来る事をしておかなければ、死ぬ瞬間に後悔したって遅い。 混沌とした世界で戦う意味を考えても答えなどでないけれど。でも、これだけは言える。 あなたは間違いなく私の目に映る世界の、希望の光だったと。