世界を救う仕事も大切だけど、そんな身に余るほどの大義よりも。
もっと身近で愛しい存在を守る方が、今の俺には大切なんだと、気づいた。
彼女と出会ってから、俺の見る世界が変わったからだ。

「うわーまたチェンソーマンが人を助けたって。凄いよね、彼。あ、彼なのかな。どうなんだろ。身体つきは男だよね?」

テレビに流れる映像を見ながらがはしゃいでいる。
チェンソーマンは、こうして俺と会っている時でも必ず一回は出るワードで、内心舌打ちをしたい気分になるのは毎度のことだ。
足の間に座ってる彼女が俺に返事を促すように仰ぎ見るから、答えたくはなかったけど「男、だと思うよ」と脳裏によぎった顔を浮かべながら言った。

「やっぱそうかぁ。カッコいいのかなー。この姿だと全然想像つかないけど、普段は人間の姿してるんだよね、きっと」
「さあね」

適当に相槌をして、の長い髪を片方に寄せると、露わになった白い項にキスを落とす。
テレビの中のチェンソーマンに夢中だった彼女は「くすぐったいよ、ヒロくん」と笑いながらも、やっと俺の方を意識してくれた。前を向いていた体を横にして恥ずかしそうに見上げて来るから、何かを言おうと動かしかけた艶のあるくちびるをそっと塞ぐ。抱きしめている腕に力を入れて、もう片方の手で後頭部を固定すれば何度でも触れられる。最後にちゅっと音を立てて啄むと、彼女の頬がほんのりと赤く染まった。
でもやっぱり何か言いたそうにしている瞳は分かりやすいほど左右に泳いでいる。

「……?」
「何か……悔しいな」
「……悔しい?」
「だって……年下のクセにヒロくんは私より大人だもん」
「そんなことはないけど……」
「……あるよ。高校生とは思えない」

どこかスネたような口ぶりで俺を睨むだって、大学生とは思えないほど幼い。
あまり女とか恋愛に興味のなかった俺がこんな気持ちにさせられたのだから、悔しいというなら俺だってそうだ。目の前の、何の力も持たない普通の女を見て愛しいとか、可愛いとか、触れたいとか。
そんな欠落してると思っていた感情が俺のどこから湧いて来てるのか、不思議でならないけど。
本能にしたがったら、とても楽になった。
ただひとつ問題なのは――がチェンソーマンのファンってことだけだ。

「れっきとした高校生だよ、これでも」
「こんな落ち着いてる高校生ってヒロくんだけだよ。いつも余裕の態度だし、最初は年上かと思ったもん」
「余裕って……そんなことないけどな」

そう、こうしてを腕に抱いてるだけで落ち着かない気分になっているのに、彼女は全く気づいていない。本当は、もっと色んなところにキスをして、彼女の全てに触れて、誰も見たことがないようなの姿を暴きたい、なんて思ってる。なのに嫌われたくないという前の俺からすれば笑ってしまうような理由のせいで、強引なことは何ひとつ出来ないんだから嫌になる。煩悩の塊みたいなデンジくんが時々羨ましいと思うこともあるけど、俺にはマネできないだろうな、と内心苦笑した。
も憧れのチェンソーマンが彼みたいな男だと知ったら、どんな顔をするんだろう。

「って、俺、そんなにフケて見える?」

知り合った頃、年齢を言ったら凄く驚かれたのは覚えてるけど、まさか年上と思われてたとは思わなかった。軽くショックを受けての顔を覗き込む。はジっと俺を見上げると、不意に恥ずかしそうに俯いた。そういう顔をされると、色々とたまらなくなるのは、俺もデンジくんと同じ煩悩に左右されるただの男だってことだろうか。

「……ううん。カッコいい」

ふと呟いた彼女の言葉が耳から入って来た時、こっちまで顔が赤くなりそうだと思ったほど心臓が音を立てた。照れてる顔は見られたくないから。そんな理由を作って彼女の顎に指をかける。
持ち上げた瞬間にくちびるを塞ごうとした時、テレビから再びチェンソーマンというワードが聞こえて来た。

「あっ!またチェンソーマンが誰か助けたみたいだよ?え、今度は猫だって!チェンソーマンって動物にも優しいんだね。ね?ヒロくん!」
「……そう、だね」

何とか自分を保って応えたものの、じわじわと湧き上がってくるとても嫌な敗北感は何なんだろう。
このタイミングでもチェンソーマンに負けるのか、という苦い思いがこみ上げて来る。
の心をこれ以上盗まれるのは耐えられないから、とりあえず今度デンジくんに会ったら目立つ行動は控えるように説得してみることにしようかな。

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