
こう見えて、私は"視"える方だったんだと気づいたのは、中学三年の時。
普通の人が認識しづらい物が私にはハッキリ視える、らしい。
と言っても幽霊とかそっち系の話ではなく――。
私の目には、くっきりはっきりと黒子テツヤという同級生が最初から普通に視えていた。
なのに周りの人間は彼がすぐ傍に来てやっと気づくこともあれば、気づかないこともあるくらい、彼のことを"影が薄い"という。友達も「黒子っているかいないか分かんないじゃん」と言うけど、私は何で皆がそんなことを言うのか不思議でならない。
朝、学校に来た時の玄関とか、休み時間クラスで友達と話してる時に何気なく見た廊下だとか、放課後、部活のバスケをやってる体育館だとか、ふとした時に見かける黒子くんは普通に私の中で存在している。
そんな話を友達にしたら「って視力いいんだっけ」と返されたけど、そういうのって視力の問題か?と首を傾げる。普通に見えるでしょって言っても驚かれるだけだった。
友達曰く"バスケ部には他にキラキラしたイケメンがいっぱいいるから黒子くんみたいな影薄い系の子は目に入らない"そうだ。確かに才能の塊で顔面偏差値なんか日本中のイケメン男子を集めても敵わないだろうと思える男の子が、バスケ部には揃ってる。
特に180という長身と大きな体で目立つ紫原くん。あとしょっちゅうモデルやアイドル事務所からスカウトの絶えない黄瀬くんは私と同じクラスで隣の席だから毎日嫌ってほど、あの美しいご尊顔を目の当たりにしてる。でも彼は眩しすぎて、直視するにはサングラスが必要だ。
一度、黒子くんが黄瀬くんに用事か何かでクラスに顔を出した時も、私は黄瀬くんより先に黒子くんの存在に気づいた。それを教えてあげても黄瀬くんは最初「どこ?どこにいんの?黒子っち」とキョロキョロしてたくらいだ。普通に教室のドアのところに立っていたのに。
あげく後に「よくアイツの存在に気づいたっスねー!さん凄い、尊敬するわ。今度からっちって呼ぶっス」と変な呼び方に変更され懐かれる始末。(恥ずかしい上にファンの目が怖いからやめて欲しい。)と、まぁ同じバスケ部員でもその体たらくで、よく一緒に試合やってるなぁと首を傾げる。
そう言えば黒子くんを初めて認識したのはバスケの練習試合を観に行った時だった。
それまで同じクラスになったこともなかったし、どこかですれ違ってたかもしれないけど、ハッキリ視界に捉えたのはその試合が初めてだったと思う。
ウチのバスケ部は超強豪らしいけど、私はぶっちゃけバスケにもバスケ部にも興味はなかった。
でも友達に無理やり連れて行かれた練習試合を見学している時、私は初めて黒子くんを見つけた。
興味のないバスケのルールなんて当然分からない。でも分かってないけど黒子くんが凄いのは分かった。他のメンバーみたいに派手なプレーをするわけじゃないのに、私の目には黒子くんだけが見えていた。まるでモノクロの中に一か所だけ色があるように、黒子くんがハッキリと視界に映ったのだ。
それくらい、私の目には彼が光って見えた。
隣にいた友達にそう話したら「はあ?逆でしょ、それ!」と驚かれたけど。
でも仕方ないのかもしれない。驚かれたのは何も友達や黄瀬くんにだけじゃないからだ。
黒子くん本人にも、実は驚かれたことがある。
あれは――ちょうど一週間前。
家の近所に新しく出来たハンバーガーショップへ行った時のことだ。
新しい店と言うことで予想通りある程度、列が出来ていた。
仕方なく私も列の最後尾についてすぐ、目の前にいるのが黒子くんだと気づいた。
でも話したこともない相手に「この前の試合」の話を出来るはずもなく、ただ黙って黒子くんの背中を見ていた。彼はハンバーガーを買わずに、シェイクだけを頼むと席の方へ歩いて行った。
けれど、帰ろうとしていた若者数人が彼の存在に気付かなかったのか、もろに黒子くんにぶつかり、最悪なことに彼の持っていたシェイクが宙を舞った。
「あ……」
と思った時には遅くて。シェイクは床へ落下し中身をぶちまけることになった。
店員が急いで片付けていたけど、ぶつかった奴らは「人がいたなんて気づかなかったっつーの」と謝罪もせず帰って行き、その場には悲しげに立ち尽くす黒子くんだけが残された。
私の後ろには更に長蛇の列が出来ていて、また並ぶには勇気がいる。
黒子くんもそう思ったのか、諦め顔で店を出て行った。
その後ろ姿を見ていたら、何故か追いかけなくちゃと思った。
ちょうど注文をしていた私は、自分の分のハンバーガーセットと、他にシェイクを一つ買った。
黒子くんが先ほど買っていたであろうバニラシェイクだ。
それを受けとって急いで店を出ると、黒子くんの姿を探した。
「どっち行ったんだろ」
見える範囲を探しながら交差点を渡って左右を確認しても彼の姿は見えない。
遅かったかな、と私も諦めムードで、家の方向へ歩き出した。
その時、近くの公園にバスケコートがあることに気づいた。
普段はこの辺なんか通らないから、その存在は初めて知った。
「こんなとこにバスケのコートなんてあるんだ……」
バスケに興味なんかなかったのに、あの試合を見てからは何となく楽しさが分かった気がして、少しだけ興味が出て来る。自然と足がそちらへ向いて、フェンス越しにコートを覗いてみた。
「あ……っ」
すると、そこには今の今まで探していた人がいて、思わず声が出る。
慌てて口を閉じたけど、私の声は聞こえていたのか、不意に黒子くんが私の方を見た。
その瞬間、鼓動が大きく跳ねる。
話したこともない相手なのに、黒子くんが何故か私に会釈をしてきたからだ。
彼は私に会釈をした後、私がいる位置とは反対側の方へ歩いて行く。
思わず「待って!黒子くんっ」と声をかけて、コート内へ入れる入口のところまで走っていった。
当然、黒子くんは不思議そうな顔で私を見ている。
「えっと……同じ学年の――」
「。。黄瀬くんや紫原くんと同じクラスの」
「ああ、やっぱり。前にクラスへ行った時、黄瀬くんにボクのこと教えてくれましたよね」
「え……気づいて……たんだ」
「はい。一発でボクを認識する人は珍しいので」
「そ、そっか……」
黒子くんは自分が影の薄いことを自覚してるみたいだ。
でも初めて話したけど、彼は何となくおっとりしてて話し方も静かで落ち着く。
「で……ボクに何か用ですか?」
「え?あ!そ、そうだ。あの……これ」
本来の目的を忘れそうになり、私はすぐにテイクアウトをしてきた袋からシェイクを取り出し、黒子くんへ差し出した。
「はい。さっき黒子くん頼んでたものと同じだから」
「……え、さっきって……あのバーガーショップです、か?」
「うん。黒子くん、私の前に並んでたの。でも見てたら人にぶつかられて買ったシェイク落としちゃってたでしょ?」
「ボクのこと……気づいてたんですか」
「え?それはすぐ気づいたよ。でも黒子くん結局、買い直さずに帰ったでしょ?だからついでに買ったんだ」
「これ……ボクに?」
「うん。だってあんなことになったら店員さんが新しいの出してくれてもいいのに片付けに夢中で何もフォローしてくれなかったでしょ?黒子くんはサッサと帰っちゃうし……」
私が話してる間、黒子くんはずっと驚いたような顔で固まっている。
だから私は話し終えると手の中のシェイクを黒子くんの胸に押し付けた。
「あ……ありがとう……御座います」
ハッと我に返ったような顔で、彼はやっとシェイクを受けとってくれた。
「えっと……お金」
と言いながらポケットを漁る黒子くんに、私は「いいよ」と首を振った。
「私が勝手にお節介しただけだしいらない」
「え、そんなわけにはいきませんよ」
「いいってば」
「いえ、払いますって」
私も頑固だけど、黒子くんもかなり頑固らしい。でもこうなったら私も引くに引けない。小銭入れから小銭を出そうとしている黒子くんの手に自分の手を重ねて止めた。
「じゃ、こうしよ。次は黒子くんが私にシェイクおごって」
「……え?」
「今度あの店に行く時があれば教えて。そういうのは……ダメ?」
後から思えば何であんなことを言ったんだろうと自分でも首を傾げたけど、何となくお金を受けとるよりいいかなと思った。黒子くんはしばらく考え込んでいたけど、最後は笑顔で「いいですよ。じゃあ行く時は声、かけますね」と言ってくれた。
あれから一週間。未だに黒子くんからのお誘いは、ない。
けれど前と変わったことがひとつだけある。
時々、廊下ですれ違う黒子くんは、私を見ると必ず会釈をしてくれるようになった。
私も会釈したり、たまに「おはよう」と声をかけたりする。
隣にいる友達は「え、アンタ、誰に挨拶したの」なんて怖がられたりするので、相変わらず私以外の人には黒子くんの存在が見えてないらしい。
「何で皆には見えないんだろ……不思議」
そう、凄く不思議な存在に思えて、だからなのか私は気づいたら彼のことを目で追うようになっていた。学校にいる間中、無意識に黒子くんを探すクセがついて、今ではもはや"黒子探し"は趣味の域だ。
そして私のその"趣味"にいち早く気づいたのは、やはり隣に座っているキラキラ星人、黄瀬涼太だった。この人はやたらと洞察力があるらしく、私がいつも黒子くんを目で追ってることに気づいてからかってきたのだ。だからこれまで不思議に思ってたことを、つい話してしまった。
黒子くんの存在が見えてない人に話しても仕方ないけど、彼は黒子くんとチームメイトでもあるし一緒にバスケをやってる時はさすがに見えてないわけはないだろうから、そういう人の意見も聞いてみたかったのだ。黄瀬くんはニコニコしながら、私の顔を覗き込むと、とんでもないことを言いだした。
「それってっちが黒子っちのこと、好き、だからじゃないっスか?」
「……はい?」
「じゃなければ俺が隣にいるのに黒子っちが見えるとかありえないっスよ」
「へぇ……(相変わらず自意識過剰ね、コイツ)」
溜息交じりで肩を竦めている黄瀬くんに口元が引きつった。
確かに顔は特上かもしれないけど、この自意識過剰なとことチャラいとこは苦手な部類に入る。
「好きってこの前初めて話したばかりだしないでしょ」
「言葉を交わさなくたって好きになることあると思うっスけどねぇ」
「そりゃー黄瀬くんの周りにはそんな子ばっかり集まって来るもんね」
「そーなんスよ。だから俺も困っちゃってー。やっぱ話したことない子から告られても困るっスよねぇ?」
「……(嫌味が通じない)」
せっかくの休み時間が黄瀬くんの自慢話で終わりそうだ。
そう思った時、教室の入り口に黒子くんが顔を出した。
今回もまた私はすぐに気づいたけど、隣で未だ自分のモテ話を話している黄瀬くんは気づいていない。
また黄瀬くんに用事かと思って教えてあげようかと思った。
けれど、黒子くんは私を見ている。目が合っているから間違いない。
「さん」
黒子くんがハッキリと私の名前を口に出したのを聞いて、ドキっとした。
すぐに椅子から立ち上がると、それまで話していた黄瀬くんが驚いたように私を見上げて来る。
「え、どこ行くんスか?」
「……ちょっと」
それだけ言ってすぐに黒子くんのところへ行くと、後ろから「あー黒子っち?」という声が追いかけて来る。今頃、彼に気づいたらしい。
黒子くんは黄瀬くんに会釈をしてから、ふと私を見ると「今日……何か予定ありますか?」と訊いてきた。
「え、今日……何もない、けど」
「良かった。じゃあ、この前の約束、今日どうですか?」
「……う、うん。いいよ」
「じゃあ、放課後、また迎えに来ます」
「え?」
と聞き返した時にはすでに黒子くんは行ってしまった後だった。
「迎えに……来る……放課後……迎えに来る……」
今言われた言葉を繰り返しながら席へ戻ると、黄瀬くんがニヤニヤしながら待ち構えていた。
「え、黒子っち、っちに用があってきたわけ?何?何の用事?」
「……シェイク」
「は?」
「な、何でもない」
そうだ、シェイクだ。この前あげたシェイクの代わりに、黒子くんにおごってもらう。
そう言ったけどあまり深く考えていなかった。おごってもらうということは、学校が終わったらふたりであのお店に行くってことで。別々に行く意味もないし、まして同じ学校なんだから店で待ち合わせするのもおかしな話だ。でも一緒にバーガーショップに行くって、何かそれって――。
「……デートっぽくない?」
「デート?」
「はっ」
気づけば黄瀬くんが訝しそうな顔で私の顔を覗き込んでいた。自分の心の声が駄々洩れになっていたことに気づき、慌てて口を抑える。
でも少し遅かったかもしれない。隣の男は一瞬でニヤケ顔になっている。
「へぇ、黒子っちとデートするんだぁ」
「ち、違うよ。デートじゃないし!」
「じゃあ何の用で来たわけ?っちと黒子っちってクラスも同じになったことないって言ってたっスよねぇ」
「う、うるさいなー。関係ないでしょ、黄瀬くんには」
「ふーん、いいけど。黒子っちに聞くから……って、そーだ、今日部活休みだったわ」
「え……?」
「なーんか体育館の空調が壊れて修理するってんで急遽休みになったんスよ。この暑さじゃ空調なしじゃ使えないっスからねー」
なーんだ、ガッカリと言いながら黄瀬くんは教室を出て行った。
でも、そうか。だから黒子くんは今日誘ってくれたんだ。
そして誘いが来ないなあなんて思ってたけど、私は部活に入ってないし、すっかりそのことを忘れていた。きっと今日まで黒子くんは部活で忙しかったんだ。強豪バスケ部はいつも遅くまで練習があると聞いたことがある。
まあ、スタメンは上手すぎて練習サボったりする人もいるみたいだけど、黒子くんは真面目そうだからきっちり練習に参加してたに違いない。
「でも貴重な休みなのに誘ってくれるんだ……」
ふとそんなことを思ったら顔がニヤケてしまった。
そんな自分にちょっと驚く。今、私は完全に浮かれている気がする。
"それってっちが黒子っちのこと、好き、だからじゃないっスか?"
さっき黄瀬くんに言われた言葉が今更ながらに頭を回り出し、顏がやけに熱くなって来た。
そう言われるまで考えたこともなかったのに、一度頭に浮かんだことで考える羽目になってしまった。
黒子くんに迎えに来てもらって、一緒にバーガーショップまで並んで歩いて、そして一緒にシェイクを飲む。そうすれば、この胸がドキドキしている理由を彼が教えてくれるかもしれない。