× Extra Story.Beast's wish








最初は――――ただの気まぐれだった。


尸魂界から、わざわざ望んで虚圏へとやって来た、かなり変わった女。
グリムジョーが自ら連れて来たって事も考えて、最初は…そう、監視するつもりだった。
あのグリムジョーが、ただの女を連れて来るはずがない。何か理由があると思ったからだ。

たかが死神――

それもまだ見習いの何の力も持たない女を、何故あのグリムジョーが連れて来たのか。ちょっとした興味もあったんだろう。
怪しい素振りを見せれば、すぐにこの手にかけるつもりだった。
なのに、あの女ときたら緊張感の欠片もなければ、警戒する様子もない。
自分はオレ達破面にとって、招かれざる客だと気づいているのか、いないのか。
十刃のグリムジョーが連れて来たってだけで騒ぐ女どももいるってぇのに、あの女はビビる素振りさえ見せない。
ただ藍染が認めているから、誰もあの女に手出しできないだけだってのに、呑気にもほどがある。
今だってシャウロン達も連れず、一人で無防備に虚夜宮の中を歩き回っていて、警戒すらしてないようだ。
散歩でもしているかのように建物の中を見て回る。そして行き着いた先は、俺には興味のない"書室"という名の退屈な場所。
女はその中へ慣れた足取りで入っていく。
こんな場所に何の用があるんだ?と思いながらも少し遅れて俺も中に入ってみる。
するとここを任されている下級の破面が驚いたように駆け寄ってきた。

「これはノイトラ様…!何かお探しの物でも」
「別に……ただの暇つぶしだ」

じゃなけりゃ、こんな場所にも来ねぇし、あんな弱っちぃ女の後をつけたりしないだろう。
普段、来る事もない俺が来た事で動揺している破面に、構うなと釘を刺し、あの女がどこにいるのかと探してまわる。
なかなか広い部屋にズラリと並ぶ本棚。
その棚には数え切れないほどの本が詰め込まれていて、見ているだけで頭が痛くなってくる。
藍染の趣味だか何だか知らねぇが、俺には全く興味がない。
こんな場所に興味を示し、通う奴なんか、ウルキオラくらいだろうと思っていたのに。

女は奥の棚の前にいた。何やら探し物をしているようで、本の背表紙を熱心に確認している。
そして目当ての物を見つけたのか、一瞬だけ笑顔になり、その本へと手を伸ばした。

「あれ……届かない…っ」

思わず噴出しそうになった。一番上の段にあった本を取ろうとしたが、身長が小さすぎて届かないのだ。
女は必死になって背伸びをしているが、それでも棚の半分にも届いちゃいない。

「…もぅ、高すぎだよこの棚……」

ブツブツと文句を言いながら、それでも諦めようとしない女。
その姿を陰で眺めながら、オレは小さく欠伸をした。

(相変わらず怪しい素振りもないな…そろそろ戻るか…)

そう思いながら踵を翻す。だがその時、女の気配が移動し、ふと振り返った。

「ノイトラさん…でしたよね」
「……っ…ああ」

突然の事になるべく平静を装ったが、いきなり声をかけられ正直驚いた。今の今まで見張っていた女が目の前で微笑んでいる。
俺に臆する事なく、普通に声をかけてくる女なんて、十刃以外ではいなかったな、とふと思う。

「あの…突然こんな事を頼むのもズーズーしいと思うんですけど…私じゃ無理だしお願いしてもいいですか?」
「あ?お願い?」

こんな事を言われるのは初めてで、俺は本気で戸惑った。何だ?この女は。俺が怖くないのか?

「あそこの棚の一番上に読みたい本があるんです。良ければ取ってもらいたいんですけど…」

女の指差す方へ視線を向けると、ソレはコイツがさっきまで必死に手を伸ばしていた棚だった。

「俺に…本を取れって言ってんのか?」
「私の身長じゃ届かなくて…。でもノイトラさんくらい大きければ簡単に届くでしょ?」

届くでしょう?、なんてキラキラした瞳で見られても。普段なら俺にこんな口を利く奴は一撃で始末してる。
でも縋るように俺を見上げている女の目を見ていたら、そんな気もそがれた。

「いいぜ…どれだよ」

気まぐれ。だったのかもしれない。別に暇だしいいか、くらいの気持ちだった。
俺が監視していた事すら、コイツは気づいてないだろう。
―――そういや、コイツの名前は何だった?

「あ、そのシリーズの5巻をお願いします」
「5…これか?」

そう言ってギュウギュウに詰まっている本たちの中から、女の頼みどおり、5という数字が書かれた本を抜き取る。
だがギッシリと詰め込まれていた本は、一冊抜いたせいで支えがなくなり、一緒に引き出されてしまった。
何冊か抜け出た本はバサバサと音を立て、下へと落下していく。

「ぃたっ!」

女が悲鳴をあげ、視線を向けた。どうやら見上げていたせいで落ちた本が顔面にぶつかったらしい。

「ドジだな」

額や鼻先を手で押さえ、涙目になっている女を見て薄く笑う。
コイツが取ってくれと頼んだから悪い。そう思って女を見下ろした。
だが女は唇を尖らせ、「もう〜ノイトラさんが横の本抑えないで抜くからですよ」と文句を言ってきた。

「あ?俺のせいだつってんのかァ?」

ビビる事なく俺に文句を言ってきた女は殆どいない。生意気な女だ、と目を細めた。

「だって無造作に抜くから…」
「…………」
「でも助かりました。ありがとう御座います♪」

若干イラだっている俺の手から、本を奪うと、女は嬉しそうな笑顔で頭を下げた。
その無防備な笑顔に、毒気を抜かれた気がした。
女は本を持ったまま、書室の中にあるラウンジのようなところへと歩いて行く。
そこは寛げるようソファが何個か置かれ、テーブルが並んでいる場所だ。
女はその中の一つに腰をかけると、すぐに本を読み出した。
それを見て、俺も何となく。そう何となく、女の隣へ腰を下ろした。

「あれ…ノイトラさん、本読まないの?」

何も持たず、隣に座った俺を、女は不思議そうな顔で見上げた。

「俺ァ本なんか興味ねぇ」
「え、だったら何でここに?」
「暇だから覗いただけだよ」
「ふーん。まあ、ここは静かだしノンビリ出来ますよね」

女はそう言って笑うと、再び本に視線を戻した。その顔は真剣で、そんなモンの何が面白いのか。
そこへ先ほどの破面が、紅茶を運んできた。何故か俺の分と二つ、テーブルの上に置く。

「あ、ロンダさん、いつもありがとう」
「いえ、これくらい」

ロンダ、と呼ばれた破面は女に微笑み、俺に一礼すると、そのまま戻って行った。
目の前に丁寧に置かれた紅茶が、どこか間の抜けた空間を作り出す。
十刃の俺と、死神の女が並んで座り、目の前には淹れたての紅茶。
見張っている者と見張られている者にしちゃ、あまりに平穏すぎる。
それに正直、この女があんな下級の破面の名前を知っている事に驚いた。

「お前…アイツの名前なんか知ってんのか」
「え?ああ、この書室を見つけてから結構通ってるし…いつも顔合わせるから。ここで本を読んでると、こうしてお茶を淹れてくれたりするんですよ」
「……お前、変わってんな」

思った事を素直に口にすると、女はキョトンとした顔で俺を見上げた。女の大きく黒い瞳に、訝しげな顔をしてる俺が映っている。

「変わってるって…?」
「あんな下っ端の奴の名前なんか、誰も知らねぇ」
「それは名前を聞かないからでしょ?」

苦笑いを零しながら女が言う。
そりゃそうだ。だが俺にとったら倒す価値もない奴の名前なんか、聞く必要もない。
それは俺の価値観であり、コイツにとっては違うんだろうが。

「お前しょっちゅう通ってんのか?ここ」
「本、好きなんです。だからつい」
「部屋で読めばいいだろうが。一人でウロついてちゃグリムジョーも心配なんじゃねぇのか?」

半分嫌味で言った。だが女は徐に顔を顰めて、「それが…」と不満そうに唇を尖らせる。

「部屋でノンビリ読書なんて出来なくて」
「何でだよ?」
「グリムジョーが起きてる間は肩揉めだの、メシ作れだのうるさいし…それにディ・ロイとかが遊びに来ちゃうから、すぐうるさくなるの」

だから時々ここへ来て、読んでるんですよね〜と、女は溜息交じりで笑った。

「あ、でもグリムジョーが昼寝してる時に抜け出してきてるんで内緒にしててもらえますか?」

その顔は叱られるかもしれない、と怯えている子供のそれと、良く似ていた。

「下らねぇ…。そんな事いちいち言うかよ」
「良かった」

女はホっとしたように微笑む。その笑顔があまりに自然で、小さく息を呑んだ。

「……どうかしました?」
「別に……けどよ…あんま長いことウロついてたらバレんじゃねぇのか?」

顔を覗きこんでくる女から目を反らし、そう言ってみる。小さな動揺を、あの真っ直ぐな瞳に見抜かれそうで嫌だった。

「大丈夫です。午後から修行するから、それに合わせて目覚ましセットしてあるし」
「…あァ?修行?」
「あ、今、私ちょっと修行してて。グリムジョーやシャウロンさん達に剣を教えてもらってるの」
「……あいつらに?」
「でもなかなか剣さばきが上手くならなくて…」

そう言いながら溜息をつく。だが不意に顔を上げると、いきなり「どうやったら上手くなります?」と俺に訊いて来た。

「はァ?」
「だってノイトラさん、前に大きな剣、持ってましたよね。あんな大きい剣で戦えるんだから扱いも上手いんでしょう?どうやったら強くなれるのかなって」
「どうやったらって……んなモン、センスじゃねぇの……」

突拍子もない質問をされ戸惑いながらも、あまりに真剣な顔で訊いて来るから、つい答えてしまった。

「えぇぇ?それじゃセンスがないと、いくら修行しても上手くならないって事ですか?困ったなぁ……」

特に意味もなく言った俺の言葉に、女は軽くへコんだようだった。コロコロと表情を変える、せわしない女だ。

「何でそんなに剣が上手くなりてぇんだ?別にいいだろが。お前は戦闘要員じゃねえだろ」
「そうなんだけど…でも弱っちいままじゃ、イジメられても対処できないし。いつもグリムジョー達に護ってもらってるようじゃダメだから」
「…イジメ?お前誰かにイジメられてんのか」
「え?あ、そ、そういうわけじゃ…ないんだけど」

誤魔化すように笑う女を見ながら、ふと気づいた。
コイツを気に入らない奴は、ここには沢山いるだろうが、中でもイジメなんて下らねぇマネすんのは女どもだけだろう。
藍染がコイツを皆に紹介した時、明らかに殺気のこもった目で睨みつけていた…そう、多分ロリとか言う奴らのグループだ。

「グリムジョーにもセンスないって言われたし…はぁ…。ノイトラさん、何かコツとか教えてもらえます?」
「あ?」

それまでブツブツ言っていたクセに、急に真顔で俺を見つめた。その瞳は真剣で、本気で訊いてるんだろう。

「コツなんか知るかよ。要は経験だろ?実戦つみゃそれなり強くなる。まあ…多少はセンスがいるだろうがな」

そう…過去の俺がそうだったように。女は黙って聞いていた。だが小さく溜息をつくと、先ほど出された紅茶を口に運ぶ。

「実戦か…そうですよね。私、尸魂界でも実戦なんかした事ないし…。あ、今日の紅茶、いつもと違う…アップルティかな」

女はそう言って嬉しそうな顔をする。表情と同じように、よく会話がコロコロ変わる女だ。

「ねね、ノイトラさんも飲んでみたら?美味しいですよ」
「あァ?俺は紅茶なんか―――」

そう言いかけた時だった。書室の中に破面の霊圧を二つ感じて、俺は素早く視線を向けた。

「あ、さん!やはりこちらでしたか」
「あれ、シャウロン、ディ・ロイ…」

こっちに向かって歩いてきたのは、シャウロンとディ・ロイというNO10以下の破面達だった。
グリムジョーお抱えの戦士どもだ。
二人は俺に気づくと、一瞬驚いたような顔したが、すぐに軽く頭を下げた。
だが俺は""と呼ばれた女を見ていた。そうだ、確かそんな名前だった。

「グリムジョーが目を覚まして、さんがいない、と怒ってます。早く戻りましょう」
「えっもう起きちゃったの?まだ目覚まし鳴るのに30分はあるでしょ?」
「そんなこと言ったって起きてるものは起きてるんですよ…。さ、早く戻って修行に行きましょう」
「う、うん。分かった」

は仕方ないといった顔で立ち上がると、読みかけの本を持ち、二人の方へ歩きかけた。
だがふと足を止め、俺の方に振り返る。

「ノイトラさん、これ取ってくれてありがとう。あと相談にも乗ってもらっちゃって」
「…乗った覚えはねぇけどな」
「でも参考になったもん。――じゃ、またね!」

はそう言って柔らかい笑顔を俺に向けた。それは今まで見た事がないくらいの、自然で爽やかな笑顔。
護られるようにして戻っていく女の後姿を見ながら、今、僅かに跳ねた鼓動に思わず失笑する。
よく分からない感情が、今、確かに込み上げてきた気がして、冗談じゃねぇと呟いた。

「………静か…だな…」

たった一人いなくなっただけで、急に静寂が戻る。どれだけあの女が騒がしいかって事だろう。
とりあえず俺がここにいる理由はなくなった。そう思い、立ち上がろうとした。
が、テーブルの上には暖かそうな湯気のあがる、紅茶が二つ。

「……………」

俺は浮かせた腰を再び下ろすと、紅茶の入ったカップを手に取った。
俺に出されたものではなく、あのという女が残していったカップを。
先ほど「美味しい」と嬉しそうに微笑んでいたを思い出し、何気なくそれを口に運び、一口飲んでみた。

「…ッ…甘めぇ…」

アップルの独特の甘さが口内に広がり、思わず顔を顰める。でも決してマズイわけじゃない。
普段飲んでるものより、ほんの少し甘いだけ。たまに飲むのも悪くない。そんな味だ。

「チッ…何やってんだ…」

自分の行動に失笑し、カップを置いて立ち上がる。出口に向かうと、あの破面がさっきと同じく慌てたように走ってきた。
確かが"ロンダ"と呼んでいた奴だ。こいつが書室を全て任されているらしい。

「ノイトラ様。お戻りですか」
「ああ…」

それだけ言って書室を出る。が、ふと足を止め、振り向くと、ロンダは深々と頭を下げていた。
その姿を見ていたら、何となく言ってやりたくなった。そう、それだけだ。


「……紅茶…美味かった」

「…え?」


驚いたように顔を上げたロンダは、すぐにまた「あ、ありがとう御座いますっ」と頭を下げた。
その大げさな振る舞いに何だか気恥ずかしい気持ちになり、足早にその場を後にする。
俺はあの女のように、あんな笑顔で笑えない。いや笑う、なんて感情は忘れていた。
戦う事だけが全ての、この世界では必要のないものだ。

それから女の監視をする事はなかった。いや必要ないと判断した。
それに顔を合わせれば向こうから声をかけてくる。まるで友達に声をかけるように、気軽に。
何してるの?とか、少しは剣が扱えるようになったんだ、とか、そんな他愛もない話を、一方的にしゃべりまくり、俺はそれをただ黙って聞いている。
いつもの俺なら、声をかけられても無視して通り過ぎてたはずだ。
なのに俺はの下らない話に、耳を傾ける。それが少しも苦じゃなかった。
あいつの楽しげな笑顔を見ていると、俺の中で暴れる獣が何となく大人しくなる気がする。
気づけば、俺もあいつと一緒に笑うようになっていた。

グリムジョーが何故、あの女を虚圏に連れてこようと思ったのか。何となくだが理解できるくらいには、――




「…それでね、グリムジョーってばムカツクの…って、ノイトラさん、聞いてる?」
「…あ?」
「何、人の顔ジーっと見ちゃって…何かついてる?」
「別に…ただ、よく表情が変わんなぁと思っただけだ」
「えっそぉ?」
「…それに、よくしゃべる」
「あ…ごめんなさい。つい愚痴っちゃって…」
「…別にいいけどよ…って、んな顔すんな」


俺の何気ない一言に、すぐ落ち込んだような顔をする。単純としかいいようがない。
でも俺が見たいのは、そんな顔じゃなくて―――

こっちまでつられてしまいそうなほどの、眩しい笑顔―――願わくば、あの笑顔をもう一度。









(笑っておくれよ、なんて照れ臭いけど)








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本編で書く暇のなかった話を、何となく番外編で…(笑)
番外編では、こんな感じで他のキャラとの日常的な話を描いていこうかなぁと思います。
これは本編の8話中間辺り。修行を始めた直後ですかね。


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