嘘つき―――この世界は、あなたのいる世界じゃないじゃない。
現世を離れ、月日が経って、気づけば死神となるべく修行をしてても。
胸の奥の孔を塞ぐものは、ここにはなかった。
尸魂界に来ても、水浅葱色の髪の男はいなくて、少しだけ私をガッカリさせた。
人間だった頃の記憶は、いつしか薄らいでいって、なのに……最後の夜の事だけは、何故かはっきりと覚えている。
「この場所…だったっけ…」
現世――人間だった自分が最後に見た光景を、私は再び見ていた。
日に日に薄らいでいく記憶を頼りにやってきた、その場所に、ほんの少し懐かしさを感じる。
多分、人間だった頃の私は、この学校に通ってた。
何歳だったっけ?――もう、その辺は曖昧になっていて、良く思い出せない。
最後に立ったはずの場所に腰をかけ、空中に足を投げ出す。
今はもう、ここから飛び降りても命を落とす事はない。
「あいつ…破面だったんだ」
ふと冷たい目をした男の顔を思い出す。
尸魂界に行って、最初に聞かされた事。
それは数ヶ月前に、ある隊長が起こした事件。
そして、それによって生み出された化け物、破面が、今最大の、死神の"敵"。
それらを目にした事のある死神が教えてくれた特徴を聞けば、あの夜に会った男と一致していて驚いた。
あの時、人間だった私が破面を見る事が出来たのだから、私もそれなりに霊力があったのかもしれない、と今更ながらに思う。
「…どうやったら見つけられるんだろ」
尸魂界に来て、真央霊術院生になった今でも思う事。
でも私は何かを思い残して死んだわけじゃない。
だから虚にさえならず、尸魂界に来てしまった。
「はあ…退屈」
現世にいた頃も、尸魂界にいる今も、たいして変わらないものなんだ、と小さく苦笑いを零した。
誘われるまま、死神の学校に入ったけど、そこも私の心を満たすほどでもなかった。
それも死神になれば退屈しないですむかもしれない、と思っただけ。
時々、虚は見かけるけど、破面には未だ、対面した事がない。
前に実習に来てくれた阿散井副隊長が教えてくれたっけ。
破面は"
虚圏ってとこにいる"って。
そこはどうやったら行けるんだろう、なんて言ったら、凄い怒られたけど。
「お前が行ったら秒殺されるぜ?」
阿散井副隊長は、そう言いながら少しだけ心配そうな顔をした。
私はあいつが"ゴミ"だと言っていた死神になってしまったから、きっと見つけられないんだろうな。
見つけられたとしても、出逢った瞬間に、今度こそ殺されそうだ。
「それでも…いいのにな…」
そう呟いた瞬間だった。
目の前の空、いや空間が、二つに割れた―――
「…あ…」
その光景を見た時、あの夜の事が鮮明に思い出された。
そうだ……思い出した。あの夜もこんな風に空が割れて、そして気づけば―――
「――何だぁ?こんなとこに死神かよ」
あの男が現れたのだ。
水浅葱色の髪の―――
破面。
ビリビリと男の霊圧が私の体に伝わる。
あの夜とは比べ物にならないほどに、男の力をその肌に感じた。
「あ…あなた…」
「苦しいか?すぐ楽にしてやっからよ」
男はニヤリと笑いながら、私の目の前に掌をかざす。
でも、やっぱり彼を怖いとは感じなかった。
それよりも、記憶の中に鮮明に残っていた彼に、また会えた事の方が嬉しくて―――
真っ直ぐに男を見据える私を見て、彼は訝しげに眉を寄せた。
「てめぇ…命乞いしねぇのか?」
「…しない…殺しても…いいよ」
「…あ?」
あの夜、あなたが殺してくれなかったから…私は遠回りをしたんだ。
何かを期待して死んだって、見つけられるはずなんかなかったんだよ。
「けっ!つまんねぇ…よく見りゃガキじゃねぇか」
男はそう言うと不意にかざしていた手を下ろし、私に背を向けた。
(またガキって言った…)
そんな事までハッキリと思い出す。
男の霊圧に意識がボーっとしていたけど、でもその背中を見たら、あの夜みたいに、無性に寂しさを感じた。
「――待って…!」
気づけば叫んでいた。男が振り返る。
「何だよ…死にてーなら勝手に死ね、クソガキ」
そう言って私を見た瞬間、男の表情が僅かに驚きの表情へと変わった。
私の顔を無言のまま見つめながら、訝しげに眉を寄せている。
まるで、過去の記憶を手繰り寄せるように――
「思い…出した…?」
「…てめぇ…あの時の…ガキか…?」
「…やっと…見つけ…た…」
そう言ったのと同時に、私の意識は深い闇へと落ちていった―――
誰かが…傍にいる
この霊圧は誰…?
感じるのは呼吸の音……強く、それでいて儚い、透き通るような蒼い旋律――――
意識が薄っすらと戻って来た瞬間、私はさっきの事を鮮明に思い出し、ゆっくりと目を開けた。
「あれ…」
まず最初に見えたのは綺麗な夜空、そしてそこで光る青白い月だった。
――あいつと会ったあの夜のような、青くて綺麗な、まんまるの月……
ガバっと体を起こし、振り返ると、そこはあの屋上。
そして、そこで仰向けになって空を眺めているのは……。
「…助けてくれたの?」
あの場所で意識を失えば、当然体は下へと落ちるはず。
なのに、こんなところに寝ているのは、目の前で私を睨みつけている、この男が私をここへ運んだ、という事だろう。
「誰が助けるか。お前がオレにしなだれかかってきたんだろうが」
「…そのまま…落としても平気だったのに」
――私はもう、人間じゃないんだから。
そう付け足すと、男は怖い顔をして体を起こし、「今から突き落としてやってもいいんだぜ?」と凄みを利かせてくる。
第一印象通り、粗忽な男らしい。
だが、出逢った時とは明らかに変わっている、男を見て、私は声をかけた。
「ねえ」
「あ?」
「腕…どうしたの?」
「……てめーには関係ねーよ」
男は忌々しげに怒鳴ると顔を反らした。
どうやら触れられたくなかったらしい。
それでも私は懲りずに声をかける。
「ねぇ」
「…何だよっ?」
「思い出してくれたんだ」
「チッ…さっきまで忘れてたよ」
「でも思いだしてくれた」
「死にたがってる奴と会うのなんて、これで二度目だからな。でも―――」
まさか死神になってるとは思わなかったぜ、と言って、男は笑った。
それには私も自分で笑ってしまう。
「まだ見習いだよ。あなたは…破面…なんでしょ?」
「ああ。だったら何だよ。仲間を呼んでオレを殺すか?そんな事しても皆殺しにしてやるけどよ」
「まさか。探してたのよ?」
「……オレを?」
男が訝しげに眉を寄せる。
「うん」
「何でだ?」
「あの時、殺してくれなかったから」
「…はあ?」
私の言葉に、男は心底呆れたような声を上げた。
「お前、まだ死にたいのかよ」
「今はそうでもない。あなたに逢えたし」
「………」
「でもあなたは死神のこと、嫌いなんでしょ?」
「…ああ」
「だったら…死神にはなりたくないな…。あ、もう一度死ねば私はあなたの世界に行けるのかな」
「……変な女」
男は小さく笑うと、ゆっくりと立ち上がった。
そう言えば、さっきまでの物凄い霊圧が今は何も感じない。
「ねえ、もしかして霊圧、抑えてくれてる?」
「…勘違いすんな。話してる最中に何度も意識飛ばれちゃ困るからな…」
煩わしいといった顔で男は舌打ちをすると、私に背を向けた。
「もう帰っちゃうの?」
「別に遊びに来たわけじゃねえ…」
「じゃあ何しに現世に来たの?破面は殆ど姿を見せないって、先輩が言ってたけど」
「…探してる奴がいんだよ」
「誰?死神?」
「…ああ」
男はそう言うと、忌々しげに舌打ちをした。
私が死んだ後、何かがあったらしい。
彼の左腕がなくなっている事と、何か関係あるのかな。
「お前…オレが怖くないのか?」
不意に男が私を見た。
「怖かったら探さない」
「…はっワケ分かんねえ」
「あなたこそ…何で私のこと殺さないの?死神、嫌いなんでしょ?」
「…言っただろ。死にたがってる奴殺したって面白くも何ともねえからだって」
「そっか…じゃあ…また会える?」
「あぁ?」
「だって、あなたが言ったのよ?オレを見つけてみろって。私はあなたを見つけた」
「そうだっけ?覚えてねーよ。それにお前、今はオレの敵だろ」
男は呆れたように私を見る。
―――敵。
その言葉が何となく胸に突き刺さった。
「敵じゃない…」
「敵だろ?こんな風に呑気に話してていい相手じゃねえ」
「でも敵だなんて思ってない」
――好きで尸魂界に行ったわけじゃないもの。
そう言った私を、男は驚いたように見つめた。
「命を与えて欲しい、なんて頼んでもいないのに、勝手に人間に生まれたり、死神の世界に行ったり…理不尽だと思わない?」
「……お前…何言ってんだ?」
「どうせなら行きたいと願ってる場所で生まれたかった。例えば、あなたがいる世界とか」
「……………」
「そんな莫迦を見るような目で見ないでよ」
「…莫迦だろが。何でそうオレに拘る?」
「分からない。でも…」
「でも?」
「人間として最後に会ったのは…確かにあなたなの」
男の言うとおり、どうして私は彼に拘ってるんだろう、どうして覚えてたんだろう。
人間でいた頃よりも、少しは生きやすい世界にいるというのに。
それなりに友達も出来たりしたのに。
目の前の男の、私を射るような瞳が、鮮やかな蒼が、忘れられなかった。
「あなたの…名前を教えて?」
本当に会えるなんて思ってなかったけど、こうして会えた時、聞こうって、ずっと思ってたこと。
男は呆れたような、困ったような、そんな顔で私を見た。
「……グリムジョー」
「グリ…?」
「グリムジョー・ジャガージャックだ」
男は名乗ると、水浅葱色の髪をクシャリとかきあげた。
「…変わった名前…覚えづらい」
「うるせぇな…」
「私の名前は――」
「知ってる」
「…え?」
「あの夜、聞いたからな」
あの夜、私は名乗ったんだったっけ。
そんな事を思っていると、
「…だろ?クソガキ」
グリムジョーはそう言って、ニヤリと笑う。
現世の風が心地よく吹いて、彼の鮮やかな色の髪を、フワリと浚っていった―――
(何が待ってる?この出会いの先に――)
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最初グリムジョーの名前を見た時、グリム童話を思い出した(ベタすぎ)
ジャガージャックってプロレスラーっぽいけど、でもカッコいい。
グリムジョーが虚だった時の姿って、凄く見たいんですけど(笑)
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